ererr

(セ・リーグ、中日6-0阪神、19回戦、阪神10勝8敗1分、5日、ナゴヤドーム)中日は5日、阪神19回戦(ナゴヤD)に6-0で圧勝。49歳25日 で先発した山本昌投手が5回5安打無失点と好投、今季初勝利を挙げ、1950年に阪急の浜崎真二が中継ぎでマークした最年長勝利のプロ野球記録(48歳4 カ月)を64年ぶりに更新した。浜崎が48歳10カ月で達成した最年長登板、最年長出場、最年長先発のプロ野球記録を塗り替え、自らの持つ最年長先発勝利 の記録も伸ばした。(サンスポ)
海外の反応をまとめました。





彼はマーク・バーリーのようなタイプのピッチャーだ。
彼が30代後半から、ずっと彼のピッチングを見ている。


・彼は中日ドラゴンズ一筋だ。
30年のNPBのキャリアで、ずっと一つのチームでプレーしている。
今の監督とピッチングコーチは、彼の元チームメイトだ。
彼よりも後にデビューした。


・↑1988年に交換プログラムでベロビーチ・ドジャースで出場した25試合は除いてね。
野茂英雄以前は、成長の為にアメリカのマイナーで1年間プレーする選手たちがいたようだね。


・明らかに彼は1988年にドジャースのファームでプレーしていたようだ。

1988年2月、中日は業務提携していたロサンゼルス・ドジャースと同じベロビーチでキャンプを行い、山本ら若手選手5人が野球交換留学としてそのままアメリカに残ることになる。 しかし実情は中日がドジャースとの交流関係を保つために選手を派遣する必要があり、その年の戦力にならない選手が選ばれ、山本については「手足は長いし、 体も大きい。本場アメリカの指導者ならこういう選手の扱いに慣れている分、うまくいくかもしれない」という一縷の期待を掛けられてのものだった。

ドジャース傘下の1Aベロビーチ・ドジャースには山本と西村英嗣が所属することになり、そしてそこで前年に山本を指導していたドジャースの世話役・アイク生原との再会が人生の転機となる。生原からは投手の基本である低めへのコントロール、スローカーブの精度の向上、その他生活習慣を厳しく指導されたが、特に大きかったことは消えかけていた野球への熱意や楽しさを再び思い出させてくれたことであったという。

3月ころ、生原がドジャースの往年の名投手サンディー・コーファックスに山本のピッチングを見せたところ、「アイク、あのピッチャーはだめだよ。彼はサイドスローにするか、トラックの運転手になるか、どっちかにしたほうがいいんじゃないの」という評価だったという。また、これも3月、生原に連れられてロサンゼルス・ドジャースのフェルナンド・バレンズエラのピッチング練習を見に行くが、そのスクリューがあまりに衝撃的であったために「投げられるわけない」と思ったという。その2か月ほど後、チームメイトのメキシコ人内野手ジョゼフ・スパニュオーロが、試合前のキャッチボールでスクリューボールを投げていたのを見て、その選手から投げ方を教えてもらう。後に自分も遊びで投げてみたところ、驚くほど球が曲がったそうである。よく曲がるので、その日の試合でも使ってみたところ、決め球として通用。それ以後の登板に使っていると、1Aのオールスターゲームまで呼ばれるようになり、それを見た対戦相手の数球団のスカウトが評価、メジャーリーグのロースター入りを正式に打診された(ドジャースからは打診がなかった)。しかし、山本のビデオを見た星野が成長ぶりに呼び戻すことを決定、リーグ優勝を実現するための 戦力とするべく、当初1年間のはずであった留学予定が切り上げられた(星野自身は、「そのままメジャーでやらせてあげてもよかったが、球団社長の意向で」 と発言している)。このため、ロースター入り・メジャーリーグデビューはならなかった。ベロビーチ・ドジャースでの成績は、13勝7敗、防御率2.00。(ウィキペディア)


・↑88年のシーズンは、148イニング投げて無死球だ。
22歳にして、ピンポイントの制球力を身に着けていたようだ。


・↑すごいシーズンだったな。
その後、どうなったの?






・ ルーベン・アマロ(フィリーズGM)が、彼にオファーを出す準備をしている。


・通算1200打席でホームラン0。


・日本にもジェイミー・モイヤーが生まれるのは、時間の問題だた。
ジェイミー・モイヤーJamie Moyer)とは、アメリカ合衆国出身のプロ野球選手投手)。現在はFA

1984年シカゴ・カブスからドラフト6巡名され入団。87年メジャー昇格し、88年には12勝をあげるなどローテとして活躍。

しかしその後は思ったような活躍をすることができず、数球団を渡り歩くことになる。ボルティモア・オリオールズ時代に13勝をマークし復活したかに見えたが、長くは続かず96年途中にシアトル・マリナーズに移籍。

マリナーズに移籍してから彼の快進撃は始まった。2001年(イチローが加入し、佐々木主浩クローザーチームで116勝した伝説の年)の20勝、2003年21勝に代表されるように在籍11年中10年2桁勝利。マリナーズ時代だけで155勝をマークしている。まさにマリナーズ金時代のローテーションであった。この21勝が彼のシーズン記録であるが、この時彼は既に40歳であった。

その後フィラデルフィア・フィリーズに移籍。44歳で14勝、45歳で16勝、47歳でMLB最年長封を達成するなど衰え知らずであった。が、その47歳のシーズン契約が切れ、ウィンターリーグで就職活動をするも左ひじに大怪を負ってしまう。トミージョン手術を受け、リハビリで48歳ではシーズンを棒に振るった。

そして49歳のシーズンロッキーズマイナー契約で拾うとあれよあれよで開幕ローテに残り、ついにメジャー記録である49歳74日の勝利を塗り替えた(49歳151日、7回2失点自責0)。しかし6月1日放出されると、その後はオリオールズブルージェイズマイナーを転々とし、現在はFAとなっている。(ウィキペディア)


・彼はジェイミー・モイヤーではない。


・彼は野球殿堂入りするのか?


・我々が彼を頂こう。(ツインズファン)


・ ジェイミー・モイヤーが、最後に勝ったのは何歳の時だ?


・↑2012年5月16日にアリゾナ戦に49歳180日で勝利したのが最後だ。


・↑山本昌は、49歳と20数日で勝利した。
彼がもし今シーズンで引退したら、俺たちは大丈夫だ。
もし引退しない場合、2015年もモイヤーにユニフォームを着てもらわないとね。





http://goo.gl/dJ6sy2@RoderickCrowley

follow us in feedly