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 1937年の盧溝橋事件を機に日中戦争が始まり、40年に日独伊三国軍事同盟を締結、そして41年の対米宣戦布告へと、日本は戦争への道を突き進んでいった。昭和天皇は懸念を示しながらも、この流れを受け入れていった。
御前会議前日の41年9月5日、昭和天皇は近衛文麿首相から政府方針である「帝国国策遂行要領」の説明を受けた。第1項が対米戦争の決意、第2項が外交手 段を尽くすとなっており、「戦争が主、外交が従であるが如(ごと)き感あり」と不満を述べ、順序を改めるよう求めた。首相は軽重の順ではないと答えたが、 納得しなかった。
 その後、杉山元・参謀総長と永野修身軍令部総長を呼び出し、南方作戦の成算などについて問いただした。約5カ月で終了見込みだとの回答にも納得せず、参謀総長の発言は反対の結果になることがしばしばあると指摘。さらに事情説明するのを強い言葉で叱責した。
 この日は2人が「決して戦争を好むにあらず、回避できない場合に対処するのみ」と答えたため、これを了承。翌6日の御前会議で同要領が可決され、10月上旬まで対米交渉がまとまらない場合の開戦方針が決まった。(時事通信)
海外の反応をまとめました。




昭和天皇は会議終了間際、杉山参謀総長と永野軍令部総長が答弁しなかったことを「極めて重大な事項にもかかわらず、意思の表示がないことを遺憾に思う」と 批判。平和を祈る気持ちを詠んだ明治天皇の歌「よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ」を読み上げ、2人の意向をただした。御前会議で の天皇の発言は極めて異例だった。
 10月上旬になっても対米交渉に進展はなく、近衛内閣は総辞職。昭和天皇は次の東条英機首相に、9月6日の御前会議の決定にとらわれることなく検討するよう命じ、11月5日に武力発動の時期を12月初めとする新たな国策遂行要領が決まった。
 結局、日米交渉は決裂し、12月1日の御前会議で開戦が決まった。昭和天皇は会議後に面会した杉山、永野両総長に対し、開戦の決定を「やむを得ないこと」と話し、陸海軍は十分に協調するよう命じた。
 12月8日、日本は米ハワイの真珠湾を攻撃し、英国と米国に宣戦布告。太平洋戦争が始まり、日本は暗い時代を迎える。(時事通信)


・冗談ではなく、これには驚いた。


・なんだか不安になる。
明らかにプロパガンダだろ。
本当のメッセージは何なんだ?
「アメリカ、すまない。どうして君たちと戦ったんだろう?」
「中国が本物の敵だ。そうだろ?兄弟?」


・彼は加害者というよりも被害者だ。
彼の全体的な行動をスターリン・毛・レーニン・カストロ・ヒトラー・オバマ・カーターとの行動と比較してみろ。


・一体俺たちはいつになったら、最初の帝国主義の大統領「バラク」の辞任の記録をつけはじめるんだ?


・いまだに彼らが1つ目の原爆後に降伏しなかったことに驚く。


・↑実は多くの歴史家が日本の降伏は原爆が理由ではないと信じている。
ソ連がカムチャッカ半島と日本に侵攻しようとしていた。
ソ連が昭和天皇に何をするのか予想したんだ。


・戦争に反対したのは、彼ではなく海軍だろ。
海軍の大将は、何度もアメリカに行ったことがあって、アメリカの能力を知っていた。
これは日本のプロパガンダに他ならない。


・彼は山本大将の意見に耳を傾けたんだよ。






・典型的な歴史修正主義の歴史家だよ。


・どんな歴史の本でも、現実に則しているのだろうか疑問に思ってしまうよな。


・すまないが、勝った方だけが歴史を書くのはなかったのか?


・敗者だけが戦争犯罪者。


・こんなのデタラメだね。


・どちらにせよ興味深い歴史だ。


・現在の裁判なら、彼は有罪になっていた。
でもラッキーなことに、裁判は「アメリカの」裁判だった。
偏見に満ちたモラルが崩壊した裁判。


・日本にはドイツと同じくらい残虐行為に対する責任がある。


・↑日本は特定の人種を一掃しようとはしなかった。
ドイツとは比較できない。


・今まで考えたことがなかったが、アメリカが日本を中国で放っておいたら、毛が権力につくことはなかったのでは?




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