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海外の反応をまとめました。



右田 年英(みぎた としひで、文久3年6月17日〈1863年8月1日〉 - 大正14年〈1925年〉2月4日)とは、明治時代から大正時代にかけての浮世絵師、日本画家。ただし生年は文久2年(1862年)ともいわれる。(ウィキペディア)


・権力者の著しい対照だね。
日本人は、ヨーロッパ人が生やしそうな髭を生やして、ヨーロッパ人が着そうな衣装を着用している。
一方の中国は、何世紀も着ていそうな衣装を身にまとっている。


・↑両者の違いは、プロパガンダの為に過度に強調されている。


・西欧の列強との交流で、日本が封建時代から工業国に発展した速さは狂っているよね。
接触を強制された20~30年の間に、サムライからライフル銃兵に変貌した。


・↑明治天皇が生まれた頃は、封建社会だったのに、晩年の頃にはロシア帝国を倒した。
彼は生きている間に、間違いなく多くの変化を目の当たりにした。


・↑ああ!俺は日本の歴史について、もっと調べないといけないな。
明治天皇が誰だったか知っているし、明治時代のことも知っている。
でも俺が知っていることのほとんどは、侍や第二次大戦に関することばかりだ。


・別に以前の日本人が、銃を持っていなかったわけではないけどね。
明治維新の前から、大規模な銃の製造を行っていたよ。


・↑俺は何年も前に日本を訪れた。
ホストファーザーは、歴史に詳しい人だった。
彼が言うには、西洋人が銃を日本を紹介した翌年には、日本人は同等の質の銃を製造することが出来たそうだ。
その翌年には、西洋よりも優れた銃を製造したそうだ。






・日本の将軍たちは、素晴らしい口髭を生やしているね。
当時の日本文化では、ああいう口髭を生やせることが、位の高い男であるサインだったの?


・↑西洋人を真似したのではないだろうか。


・↑(スレ主)口髭を生やすことを西洋が産み出したとかどうかは知らないが、明治時代は欧州の文化をとても取り入れた時代だ。
だから妥当な推測だと思うよ。
当時の日本の陸軍元帥、山縣有朋は、プロイセンを熱心に見習った。
髭もその一つかもしれないね。
似ていると思わないか?

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※下は
オットー・フォン・ビスマルク
オットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼンは、プロイセン及びドイツの政治家、貴族。プロイセン王国首相、北ドイツ連邦首相、ドイツ帝国首相を歴任した。ドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相」の異名を取る。(ウィキペディア)

・↑それは事実ではないな。
あの時代もその前の時代も、中国と韓国でも同様にああいった口髭を生やしていた。
絵の中の中国人だって、同じような口髭を生やしているのが分かるだろ。


・↑(スレ主)日本陸軍がビスマルクの口髭を真似たというのは、ほとんど冗談で書いたんだ。
中国の将軍の口髭について指摘してくれてありがとう。



>>明治時代は欧州の文化をとても取り入れた時代だ。
↑これは日本人は、西洋風の軍服を着ていて、中国人は伝統的な衣装を着ていることからも分かるよね。





・これって日本の伝統的な芸術様式なの?
それとも中国の芸術様式?


・勝利の鍵は、大量の金
の飾緒だということを憶えておけ。
飾緒(しょくちょ、しょくしょ、かざりお、英:Aiguillette)とは、一般に軍服の片肩から前部にかけて吊るされる飾り紐のことをいう。材質に金銀糸が使用されることからモールとも呼ばれている。(ウィキペディア)
http://goo.gl/hNnzJt

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