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※1929年10月21日 横須賀海軍工廠で撮影
金剛(こんごう)は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦。イギリスに発注された最後の主力艦である。2度の改装を経て高速戦艦に変身し、太平洋戦争でも活躍した。本艦は、日本海軍が太平洋戦争で使用した唯一の外国製日本戦艦である。(ウィキペディア)
海外の反応をまとめました。



第一次改装

第一次改装後の「金剛」

1928年(昭和3年)10月より1931年(昭和6年)9月15日まで横須賀工廠で、主として水平・水中防御力の強化と重油への燃料移行が行なわれた。1931年(昭和6年)6月1日付けで戦艦に艦種変更された。

  • 水平防御の強化。弾火薬庫上部甲板に厚さ4inのNVNC装甲板を、機関区画は缶室や機械室上の下甲板に厚さ3inのHT強度材を追加した。
  • 砲塔支筒の円筒部装甲板と砲塔天蓋装甲板を3in増厚し、6inとした。
  • 煙路、通風路、揚弾筒が防御甲板を貫通する部分を4inから7inの範囲で増厚した。
  • 対魚雷と至近炸裂弾による水中弾片防御としてバイタルパート部の側外板に厚さ1inのHT材を3-4枚張り重ねた。
  • 主缶室外側の燃料庫内に厚さ2inのHT材縦隔壁を新設した。
  • 水中防御のため喫水線長の4/5に渡り総容量3,000tのバルジを取り付け。前後部は水防区画、中央部は燃料タンクとして用いた。艦の幅が広くなり水中抵抗と排水量が増加したため速力は低下したが、復元性能上有効であった。
  • ヤーロー式缶36基を取り外し、日本海軍がヤーロー式を改良したロ号艦本缶を重油・石炭混焼缶が6基、重油専焼缶が4基の計10基搭載した。
  • 煙突を一本減らし2本煙突となった。重油使用の増加により従来あった石炭庫の一部は油密され給油配管艤装され重油タンクとなり、このため重油搭載 総量は5,000tとなり、航続距離が14ktで2,000海里延伸された。また煙の色が薄くなるため遠方から発見される確率が低くなった。
  • 艦橋構造を変更し檣楼頂部に射撃指揮所を設置した。
  • 三番主砲塔の後方に水上偵察機3機搭載設備を設置した。
  • 水中魚雷発射装置4基を撤去した。

その他艦内全般に渡り諸艤装の改正が施された。(ウィキペディア)



・イギリス人によって造られたんじゃなかったっけ?


・金剛はイギリスで造られた。
で最初から、大日本帝国海軍で勤めを果たすために造られた。
発注したのは大日本帝国海軍だからね。
外国の工廠で造られた最後の日本の主力艦だ。


・事実、金剛はイギリスが建造した3隻の戦艦の1つで、第二次大戦中に潜水艦により沈められた。


・↑他の2隻は何?


・↑ロイヤル・オークとバーラムだ。
ロイヤル・オーク
r

バーラム
b


・イギリス人の手によって造られたなんて知らなかったよ。
だからこの板が好きなんだ。
毎日のように新しいことを学べる。






・俺の記憶が確かなら、潜水艦シーライオンが金剛を攻撃中に録音していたと思う。
音声はほとんど理解不能だが、雰囲気を感じることは出来る。
魚雷が爆発する様子も分かるよ。
リンク


・巡洋戦艦と戦艦の違いは何?


・↑巡洋戦艦は、装甲よりもスピードを重視している。
それでも、戦艦と同じくらい兵器を搭載することが出来る。
第一次大戦前に導入された。
反対に戦艦は、スピードよりも火力と防護を重視した。
第二次大戦が近づくころには、従来の巡洋戦艦のスピードを持つくらいまで戦艦の設計は進んだ。
発展した戦艦の方は、依然として火力と防護に優れていた。


・日本はイギリスの設計を真似て、発展させていた。


・レイテ沖海戦で、最も攻撃を仕掛けてきた戦艦だ。





http://goo.gl/2ER4xLhttp://goo.gl/c4EOFn
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