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ヤン・キョンジョン(1920年頃 - 1992年4月7日)は、朝鮮出身の軍人。第二次世界大戦中、大日本帝国陸軍、赤軍、ドイツ国防軍の軍人として戦った。ただし、その実在については議論がある。(ウィキペディア)
海外の反応をまとめました。


1920年頃、日本統治時代の朝鮮に生まれる。1938年、18歳になったヤンは関東軍に志願し]、ソビエト連邦との緊張が高まっていた満州に派遣される。その後、ノモンハン事件の折に赤軍の捕虜となり、労働収容所に送られた。当時、ソ連邦は独ソ戦の激化から兵力不足に陥りつつあり、労働収容所等の収容者からも志願兵の募集や徴用を行っていた。1942年、ヤンは他の1,000人ほどの収容者と共に赤軍に徴用され、最前線へと送られた。

1943年、第三次ハリコフ攻防戦の折、ウクライナにてドイツ国防軍の捕虜となる。しかしドイツ側もまた捕虜からの転向者を募集していた為、ヤンはここでドイツ側に寝返った。その後、東方大隊ドイツ語版として知られるロシア系捕虜部隊の一員としてフランスに派遣され、連合軍側の上陸候補地であるユタ・ビーチにほど近いコタンタン半島に配置された。1944年6月、ノルマンディー上陸作戦が開始され、その中でヤンは米陸軍部隊の捕虜となり、英軍管理下の捕虜収容所に送られた。当初、アメリカ兵たちは彼をドイツ軍の制服を着用した日本人だと考えていたという。戦後、ヤンはロシアを経てアメリカに移住し、1992年に死去するまでイリノイ州に暮らした。(ウィキペディア)


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※1944年6月、ドイツ軍人として捕虜となったアジア人兵士。ヤン・キョンジョンとされる人物。(ウィキペディア)

・酷いことを見てきた顔をしている。


・すごい人生だな。


・タフな男だ。


・写真の中の彼は、「またかよ。」という顔をしている。


・なんてことだ。
人類史上最悪の3つの軍隊の為に戦うことになるとは。


・私の祖父(朝鮮出身)は、大日本帝国陸軍の一員として戦うことを強制され、中国に送られた。
彼は決してそのことを語ろうとしない。
理由は良く分かる。


・戦う理由のない兵士か。
どうやら敵軍に選ばれるのに慣れていたようだ。


・同じ災難。軍服が違うだけ。


・この男は、何カ国語を話せるの?


・↑アメリカが彼を捕えた時、彼らはコミュニケーションをとることが出来なかった。


・↑元妻の父親は、質問をせずにバスに乗るような男だった。
同じようなことが彼にも起きたのだろうか?


・「プライベートライアン」で、捕えられた2人のチェコ人が、ドイツ軍の為に戦わされるシーンを思い出した。





・それなのに、まだ彼を題材にしたハリウッド映画が無いのか?


・↑近いのはあるぞ。
「マイウェイ 12,000キロの真実」。


・↑良い映画だ。
俺が今まで見た戦争映画の中で、ベストな物の一つだ。


・でも彼は誰の為に、命を懸けて戦おうと思ったの?


・第二次大戦の話の中でも、彼の話は馬鹿げている。
毎回、笑ってしまう。


・生きたまま、4回も捕らわれてしまったのか?
幸運なのか災難なのか分からないな。


・↑捕ったのは3回だ。
彼は日本に徴集された。


・どうして自分が他人の戦争を戦っているのか困惑している表情をしているな。


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