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太平洋戦争中に旧日本海軍から原爆研究を委託された京都帝国大(現京都大)の荒勝文策研究室が、ウラン濃縮の遠心分離装置開発に取り組んでいたことを示す ノート3冊や関連資料が24日までに、京大放射性同位元素総合センター(京都市左京区)で見つかった。京都帝大による原爆開発の全容は、終戦直後に連合国 軍総司令部(GHQ)が一切のデータや研究ノート類の提出を命じ、押収した資料は米国で機密指定されていたため、明らかになっていない。なぜ押収を免れた かは不明だが、秘められた日本の原爆開発と科学技術史を検証する上で、貴重な発見といえる。以下略(京都新聞)
海外の反応をまとめました。




・日本陸軍と日本海軍は、それぞれ原爆の開発研究をしていたとどこかで読んだ記憶がある。
彼らはお互いに協力することと資源を共有することを拒んだ、


・↑ああ、彼らの軍部間の対抗意識は狂っていたよ。


・彼らが原爆を開発しようとしていた事実は、大地を揺るがすようなことじゃないと思う。
でも資料が発見されたことは、とても良いことだと思う。


・原爆を開発しようとしていたことをどうしたら忘れられるの?


・↑秘密のままにしたがる人たちもいるんだろう。


・↑自国の二都市を壊滅に追いやった武器の研究をしていたことを恥じたのでは?
もしかするとね。


・ナチスが原爆を開発していたという小説はたくさんある。
日本の原爆開発については聞いたことが無かった。





・1945年の日本にアメリカや連合国の領土を脅かすだけの確かな手段はあったのか?
日本の原爆は、厳密に言えば防御用兵器だったのでは?
原爆の有用性を妥協させるための。


・↑君が何を「確かな手段」とするかによるな。
こういうことが起きた。
もし原爆を持っていたなら、西海岸に落とすこともそれほど難しいことではなかっただろう。
風船爆弾(ふうせんばくだん)とは、太平洋戦争において日本陸軍が開発した気球に爆弾を搭載した兵器である。秘匿名称は「ふ号兵器」。「風船爆弾」は戦後の用語で、当時の呼称は「気球爆弾」である。戦果こそ僅少であったものの、ほぼ無誘導で、第二次世界大戦で用いられた兵器の到達距離としては最長であり、史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器であり、実戦に用いられた兵器としても約7700km(茨城県からオレゴン州への概略大圏距離)は、発射地点から最遠地点への攻撃である。(ウィキペディア)

・↑原爆は彼らが風船や潜水艦搭載用の水上攻撃機から落としていた物よりずっと重たいぞ。
アメリカまで運ぶのは、かなり難しかったはずだ。


・一方は風船で運ばれる30ポンドの爆弾。
もう一方は、B29で運ばれる10,300ポンドの爆弾だ。
日本が第二次大戦中にどんな大きさの原爆であろうと、西海岸に落せたことを想像するのは難しいよ。


・こういう秘密が明らかになるのが好きだ。
彼らはこの発見をすべて発表するのだろうか?



https://goo.gl/u1jeMvhttps://goo.gl/UurD9f
「原爆の図」が日本から渡米、米国で巡回展(海外の反応)

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