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ヘンリー・ルイス・スティムソン(Henry Lewis Stimson, 1867年9月21日 - 1950年10月20日)は、陸軍長官、フィリピン総督および国務長官を務めたアメリカの政治家である。保守的な共和党員であり、ニューヨーク市の弁護士でもあった。スティムソンは、ナチス党政権下のドイツに対する攻撃的な姿勢のために、陸軍とその一部である陸軍航空軍の責任者に選ばれ、第二次世界大戦期における民間人出身の陸軍長官として最もよく知られている。1,200万人の陸軍兵と航空兵の動員と訓練、国家工業生産の30%の物資の購買と戦場への輸送、日系人の強制収容の推進、また原子爆弾の製造と使用の決断を管理した。(ウィキペディア)
海外の反応をまとめました。



スティムソンは原子爆弾に関して、マンハッタン計画の長レズリー・グローヴズ准将を監督し、原爆投下決定を検討したとされる「暫定委員会」の委員長を務めていた。ルーズヴェルトと後任のトルーマンは共に、原子爆弾のあらゆる局面で彼の助言に従った。そして必要とされるときスティムソンは軍の意見を却下した。 例えばスティムソンの頭越しでグローヴズから受け取った原爆投下の目標リストのうち、文化の中心都市であるとして京都への投下に強硬に反対しリストから外させた。1945年8月6日、最初の原子爆弾の攻撃が広島を破壊した。戦後には、原爆投下に対する批判を抑えるための「原爆神話」を生み出した。

スティムソンは、原爆投下に対する批判を抑えるために、「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」と表明(1947年2月)。 これが原爆使用正当化の定説となった。(ウィキペディア)


・歴史的な観点から見ると、京都は私が今まで訪れた都市の中で一番だ。
文化的な財産だよ。


・↑京都を凄く気に入った。
長崎も歴史的な魅力がある。


・京都の文化が失われたことを想像するだけで、後味が悪くなるよ。
アメリカよりも歴史がある寺が京都にある。


・つまり退屈な街だと、標的になる可能性が高くなるということか?
プーチンはニューオーリンズよりもデトロイトを先に標的にするということか?


・とても興味深い。
京都がリストから外れたのは、歴史的な重要性と、もし京都が破壊されたら日本人は決して許さないからだと聞いていた。


・70近い日本の都市が情け容赦なく破壊された事実は変わらない。
罰っせられていない完全な戦争犯罪だよ。


・京都に原爆を落とさせなかったと、この男を賛美することは、世界貿易ビルを破壊したテロリストを、エンパイアステートビルを破壊しなかったと賛美するようなものだ。


・↑公平な比較ではないと思う。
いずれにせよ、原爆は投下されようとしていた。
彼は単に膨大な日本文化を救っただけだ。





・長崎は小倉よりもリストの中で優先順位が低かった。
「ボックスカー」は2発目の原爆ファットマンを投下するつもりで、小倉上空を飛んでいた。
目視で原爆を落とすことだけが命令だった。
でも雲で阻まれてしまったので、2番目の標的である長崎を選んだ。
ステュムソンが京都を救ったが、長崎は雲が救った。


・雲が小倉を救ったのか?
アメリカの空襲で立ち上がった煙が小倉を救ったと思っていた。
それとも原爆投下を免れさせた言うべきか。


・↑小倉がリストに載っていたのは、あまり空襲されていなかったからだ。


・↑たしか工場で老人がタイヤを燃やして、黒い煙幕を張ったと思った。
どこかで読んだ気がする。
長崎への原爆投下の日に「煙幕」を張ったと八幡製鉄所の元従業員が証言(海外の反応)


・代わりに東京に原爆を投下していたら、どうなっていただろうか?
もちろん国粋主義の政府を取り除くことになっていただろう。
生き残った大日本帝国陸軍と大日本帝国海軍は機能しただろうか?


・↑東京以外の生き残った軍には、彼らを制御する高官がいないから、自制心を無くしていただろう。
終戦を宣言する天皇陛下もいない。


・原爆を使う代わりに、空襲していたとして、どんな違いがあったというのだ?
投下された2つの原爆については、みんな不満を言うが、東京やドイツの空襲は無視する。


・↑究極の武器の方がずっと恐ろしいだろ。

https://goo.gl/2gMWEvhttps://goo.gl/L67IGrhttps://goo.gl/X8SrJK
70回目の原爆の日を迎えた広島(海外の反応)

中国紙「日本は策略的、原爆投下の被害だけ強調」(海外の反応)

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