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奈良市の平城宮跡で出土した「天平神護元年」(765年)と記された木簡に、ペルシャ人の役人とみられる「破斯清通」という名前があったことが5日、奈良文化財研究所の調査で分かった。「破斯」はペルシャ(現在のイラン付近)を意味する中国語の「波斯」と同義で、国内の出土品でペルシャ人を示す文字が確認されたのは初めて。外国人が来日した平城宮の国際性を示す史料となりそうだ。 同研究所によると、木簡は1966年、平城宮跡東南隅の発掘で出土した、役人を養成する「大学寮」での宿直勤務に関する記録。当時は文字が薄いため名前の一部が読めなかったが、今年、赤外線撮影したところ、「破斯」の文字を判読できた。「大学寮解 申宿直官人事」のほか、下部に、特別枠で任じられた役人を意味する「員外大属」という役職名もあった。以下略(海外の反応)
海外の反応をまとめました。


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・これは興味深いな。
その男は一体どんな旅をしたのだろうか?


・↑全く同じことを思った。
旅に出る時、彼は日本の存在を知っていたのだろうか?


・我々の古代文明の足跡だ。


・仕事終わりに、彼が同僚とカラオケに行った証拠はないのか?


・わあ!
でもシルクロードの旅人を考えると、納得がいくね。
昔の日本とペルシャの芸術には、似たような模様がある。


・日本の城跡からローマ時代のコインが発見されたと数日前に発表されたばかりだったよな。


・日本は人類と知能が集まる場所だった。
この世界だけでなく、全宇宙から得た様々なもので構成された。
信じてくれ。


・平家はペルシャ人だったいう説もある。
だからこの話には驚かない。





・彼が当時、労働ビザを取得できてよかった。


・ビザの発給場所は、福井のどこかだった。


・記事「当時の奈良は外国人が平等に扱われる国際都市であったことを示唆している
↑良い考えだ。


・外国人も平等に扱われた時代があったんだね。


・結局、命を奪われるか、放り出されたんだろうな。


・昔の日本は思っていたよりも国際的だった。
そうでなければ、この記事は世に出ていない。


・「国際的」なだけでなく、開かれていて、謙虚だった。
そして、ペルシャが世界の知性の中心であることを理解できるくらい賢かったんだよ。

https://goo.gl/eIr3rV,https://goo.gl/QwtL9h
戦国時代の日本に黒人の侍がいたらしい(海外の反応)

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