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ニコライ2世(ロシア語: Николай II, ラテン文字転写: Nikolai II、ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ、ロシア語: Николай Александрович Романов, ラテン文字転写: Nikolai Aleksandrovich Romanov、1868年5月18日(ユリウス暦5月6日) - 1918年7月17日(ユリウス暦7月4日))は、ロマノフ朝第14代にして最後のロシア皇帝(在位1894年11月1日 - 1917年3月15日)。ウィキペディア
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1891年4月27日にニコライ皇太子を乗せたロシア軍艦が長崎に寄港した。以降5月19日まで日本に滞在した。日本政府はこの未来のロシア皇帝を国賓待遇で迎え、その接待を念入りに準備していた。各休憩所で出される茶菓子の吟味にまで及んでいた。公式の接待係には、イギリスへの留学経験があり当時の皇族中で随一の外国通であった有栖川宮威仁親王(海軍大佐)が任命された。また岩倉使節団の留学生としてロシアに10年滞在しロシア女性と結婚した万里小路正秀が通訳を務めた。ウィキペディア

・謙虚だね。
人力車を引かせている奴隷が一人だけだ。


・人力車の後ろにある足を見て、ゾッとしたのは私だけ?
まるで人力車に足があるみたいだ。


・あの男は、風刺画に出てきそうなステレオタイプの日本人だな。


・↑想像したよりも肌が浅黒い。


・↑たぶん屋外で仕事をしているから、浅黒いのだろう。


・彼は日本と戦争をする前に偵察に行ったのか?


・↑もしそうならば、酷い仕事をしたものだ。
日本はロシアをやっつけた。


・>>偵察に行ったのか?
↑日本は美いことで世界的で有名だったんだよ。





・この旅でニコライは、護衛の日本の警察官にサーベルで暗殺されそうになったが生き延びた。
暗殺は失敗したが、額に9㎝の傷が残った。
5月11日、大津に入り、琵琶湖や唐崎神社を見学した。しかし同日、大津から京都へ戻る際、滋賀県警察部所属の警察官津田三蔵巡査が人力車に乗っていたニコライ皇太子にサーベルで斬りかかり、彼の右耳上部を負傷させた(大津事件)。切り傷そのものはそれほど深くなかったものの、重いサーベルによる斬撃を受けたため頭蓋骨に裂傷が入った(脳には届かなかった)。これ以降ニコライは終生、傷の後遺症と頭痛に苦しむようになった。ウィキペディア

・↑日露戦争を始めた動機の一部は、この件で抱いた日本に対する怨みだったと聞いた。
たぶん事実ではないだろうが。


・↑暗殺が成功していたらなぁ。


・↑ロマノフ朝の崩壊が、もっと早く起きていたと思う?


・額の傷が見える写真はあるか?


・↑あるよ!
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https://goo.gl/ypiF2H,https://goo.gl/ZaVx0C
(1868年)侍の集団に囲まれて集合写真に写るオランダ人(海外の反応)

1600年に初めて日本に行ったイギリス人が侍になったことを今日学んだ(海外の反応)

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