カテゴリ:日本 > 日本の歴史

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    米西部モンタナ州の元海兵隊員、マービン・ストロンボさん(93)が、第2次大戦中に戦地サイパン島から持ち帰った日章旗を岐阜県の遺族に返還するため今月訪日する。旧日本兵の遺品の返還活動に取り組み、遺族の特定に協力した米国のNPO「オボンソサエティー」が31日までに明らかにした。  日章旗の持ち主は岐阜県東白川村出身の安江定男さん(25歳で死亡)。ストロンボさんは1944年7月、戦死した安江さんが上着の中に入れていた日章旗を発見し「いつか、しかるべき人に返せるかもしれない」と持ち帰った。  ストロンボさんは終戦記念日の8月15日、娘や孫らと東白川村を訪問する予定。安江さんの弟の辰也さん(89)ら遺族に、安江さんの最期の様子を直接伝えたいという。以下略(共同)
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    東京ローズ(とうきょうローズ、英語: Tokyo Rose)は、日本軍が太平洋戦争中におこなった連合国側向けプロパガンダ放送の女性アナウンサーに、アメリカ軍将兵がつけた愛称。日本政府は太平洋戦争中、「ラジオ・トウキョウ放送(現在のNHKワールド・ラジオ日本)」で、イギリス軍やアメリカ軍、オーストラリア軍をはじめとする連合国軍向けプロパガンダ放送を行っていた。捕虜から家族宛の手紙の紹介等をしていた。 1942年(昭和17年)2月に軍当局の発案で、連合国軍捕虜のラジオ放送の専門家を使う事にし、元オーストラリアABC放送のアナウンサーで、オーストラリア兵捕虜のチャールズ・カズンズ少佐、元アメリカのフリーランスアナウンサーで、アメリカ兵捕虜ウォーレス・インス大尉、レイズ中尉らを参加させた。チャールズ・カズンズ少佐は当初拒んだが、最終的に承諾した[1]。 そして始まったのが「ゼロ・アワー」で、音楽と語りを中心に、アメリカ人捕虜が連合国軍兵士に向けて呼びかけるというスタイルを基本とした。1943年(昭和18年)3月から、1945年(昭和20年)8月14日まで放送され、太平洋前線のアメリカ軍兵士らに評判となった。 英語を話す女性アナウンサーは複数存在したが(同局の女性アナウンサーは4人から20人ほどいたという証言もある)、いずれも本名が放送されることはなく、愛称もつけられていなかった。そこで、魅了する声や口調で、「今頃あなた達の奥さんや恋人は他の男性と宜しくやっている」など、棘のある内容を話す声の主に、アメリカ兵が「東京ローズ」の愛称を付けた。 1943年11月からアナウンサーに加わったアイバ・戸栗・ダキノ(アイバ・戸栗・郁子)は、自ら「孤児のアン」(Orphan Anne)という愛称を名乗って曲の紹介等をしていた[1]。ANはアナウンサーを意味するとも考えられた[2]。「東京ローズ」の人気はアメリカ本国で戦時中にもかかわらず、映画『東京ローズ』が製作・公開されるほどであった。ウィキペディア
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