開票率100%(午後10時45分) 
投票率 54.57%
当選 山中光茂   40,650票
    竹上真人   32,727票
参考 平成21年1月の市長選挙結果
投票率51・53%
山中光茂 38571票=当選
下村猛  30742票

山中市長再選 025現職の山中光茂氏か、県議選で最も高い得票の竹上真人氏かで関心の高まった松阪市長選。フタを開けてみれば、山中氏の圧勝だった。

竹上氏には、県議時代属していた自民党、民主党が一本化して推薦したほか、前回は関与のなかった公明党も自民への配慮からか要請からか支持に回った。
経済界、労働界を挙げて「オール松阪」と称した護送船団を形成し、いわば盤石の体制でこの選挙戦にのぞんだ。
しかも、竹上氏にとっては、昨年末の総選挙で自民党が大勝、従来、竹上氏が選対責任者を務めてきた田村憲久衆議院議員が厚生労働大臣に就任したばかりの押せ押せムードの中の出陣。自民党からは石波茂幹事長まで駆け付けるなど、必勝態勢でのぞんだ。

民主党も、市職員組合や教職員組合など労働界の組織票をまとめ、「山中落とし」に執念を燃やした。
特に、竹上氏の出馬に向けては、民主党公認及び民主党系、社民党の松阪市議会議員でつくる会派が、昨年夏ごろから要請に出向くなど、山中氏を追い落とせる候補は「竹上氏しかいない」とばかりに周到な手はずをととのえたはずの選挙戦だった。

定数30の市議会議員も、10数人の自民党系、5人の民主、社民系、3人の公明党が、組織として竹上氏側に付いている。

構図自体は、4年前とまったく同じ。

だが、前回は自民・民主が推す、当時、現職市長のほうに「負けるわけがない」という油断があったろう。
役所を定年退職してからの2回の選挙で無投票当選だったので選挙を知らない人だった。

しかし、今回は、過去3回の県議選でトップ当選している50歳の中堅どころで、田村代議士の最も身近なパートナー議員だった人。

スキはあるわけがない。

それに引き換え、山中氏は、出馬表明はしたものの、自らは選挙運動をするのかしないのかはっきりとしなかったうえ、前回応援した支持者の中にも離反者が目立ち、応援できる態勢を組もうにもゼロから再構築するに等しい状態からのスタート。今年1月5日に態勢づくりを始めたが、初当選の4年前と比べてははるかに少なく見えた。

出陣式も、竹上氏側700人、山中氏側100人。

前回とは状況が違う。
選挙の常識で言えば勝てるわけがない布陣だった。

事務所に設置されている電話も、選挙準備の段階、そして選挙戦本番も含め、1本しかなく、市議会議員選挙以下の態勢。政党の推薦や、組織、企業、団体の組織的応援はなく、みんなの党が勝手に応援を決めただけ。
事務所に詰めるスタッフも、軽四の選挙カーに乗るスタッフも、みんなボランティア。いわゆる、ウグイスも、1人か2人が朝から晩まで乗りづめ。山中市長再選 007

とにかく、カネもなく、人の動員もない。

まるで、竹上氏側の護送船団の前に、釣り船で突き進むような印象を受けた。
それでも、応援に参加する市民の意思だけは十二分で、どこの個人演説会場も熱気が包んだ。

竹上氏の陣営は、自民党が取り得る限りの選挙の定石を駆使し、徹底した物量・組織戦に見えた。個人演説会場の松阪コミュニティ文化センター前を通り掛かると、何人もの青いジャンパーの運動員が一人ひとり赤色灯の棒をもって、整然とクルマを誘導していた。山中氏の側には、そんな数の人も、道具もなかった。
それでも、500人入るホールには空席が目立っていたという。
公民館などで開催の個人演説会場でも同様だった。

こうした状況を知って、「もしかしたら・・・」という気がした。
いわゆる、組織型・動員型選挙の陥穽(かんせい=落とし穴)だ。

山中氏本人は、個人的に話したとき、昨年の秋も年末、そして、年明け、選挙に入ってからも、最初から最後まで一貫して、「100倍、こっちのほうが強く、絶対に勝てます」と、言い続けていたが、入ってくる情報や人の話、態勢等々、すべての面において、なにが自信の源なのか、わたしには見当も付かなかった。

いくら組織で上から下へ下ろす指示経路を持っていても、一人ひとり意思を持った市民の意思までを変えることはできない時代になったということだ。

選挙中、選挙カーに、山中氏といっしょに乗り込み、市内を走ったが、対向してくるクルマから、街から、こちらに振られる手や、「頑張れ!」という声、自然な笑顔の数々。

組織動員ではあり得ないものだ。

市民革命というのかもしれない。

1回目の4年前にはそんな風を吹かすのはカンタンだったのかもしれない。
2回目の今回こそ難しいはずだった。
しかし、それができた。

1回目より、2回目のほうが、市民革命なのだろうと思った。

市民は変わった。いや、基からこういう意思を持っていたが、それをおもてに表現できるようになった。
実は、山中市政の4年間、市の政策決定に対して意思を表明できる機会が何度と行われてきた。
そんな民主主義の訓練を重ねてきた成果か、それとも、山中光茂という希有の才能を市政から失いたくないという思いが市民に広がっていたのかもしれいない。

不利な材料ばかり目立っていたのに、終わってみれば、前回より得票数を伸ばしていた。