右の翼(ライトウィング)でも、左の翼(レフトウイング)でもなく、平和の翼を表す「ピースウィング」とは、よく思いついたものだと妙に感心してしまった。ネーミングに当たっては、他団体と重なってはいけないので調べたところ、ほとんど該当事例はなかったということだ。松阪市の山中光茂市長が、集団的自衛権の行使容認の閣議決定に対して、裁判所への提訴を視野に、市民と地方の政治の中からその違憲性を問う運動を起こす考えを明らかにした。

山中市長は、38歳。三重県議を経て、34歳で市長になって、現在2期目。

政治家になる前、若手医師としてアフリカのケニアにエイズ予防のボランティアに出向いていたことがある。何かにつけ話すのは「政治が壊れてしまったときの悲惨さ」だ。政治が壊れるのは、戦争や内戦のとき。そのとき、一番苦しむのが、ふつうの人々だ。政治が壊れた国で飢えや病気、死などを見てきた体験を持つ。
それゆえ、為政者の都合で犠牲者を出す国家にしてはいけないという思いは、政治家としての原点のところにあると言ってよいだろう。

もう一つ、かれが最もよく使う言葉は、「当たり前の幸せ」。
どこが「当たり前」で、どこから「当たり前」でないのだろういう部分なのかはわかりにくいかもしれないが、当たり前のようにある家庭の団らんが、突然の津波によって断ち切られたとき、当たり前の幸せは無くなる。
政治によって「当たり前の幸せ」を無くすことがあってはならないという帰結が得られる。

歴代内閣のもとでは現行憲法から見れば違憲だと解釈されてきた集団的自衛権の行使が、安倍晋三首相のもと、閣議決定でもって合憲であるとの解釈が行われ、そのもとで自衛隊法をはじめ関連法の改正が行われる。
それは、安倍首相にとっては「当たり前の国家」の仲間入りかもしれないが、国民には「平和」を保つという「当たり前の幸せ」を失うリスクが高まる。

衆参両院の国会で3分の2以上の国会議員の発議のもと、国民投票で過半数の賛成を得なければ出来ない憲法改正と同じだけの効果を、密室の与党協議を経ただけでの閣議決定で済ませてしまうわけで得られるわけだから、立憲主義と三権分立という日本国家運営の大原則を、数を背景とした一内閣の判断で踏みにじってしまう蛮行である。

立憲主義と三権分立の原則からの逸脱であるのでだれかが法廷に問わなければならないと思っていた。それが、まさか、一番身近なところから起きるとは想定していなかった。

たんに、一地方の松阪市での運動ではなく、全国の自治体の住民、議員、首長へ賛同を呼び掛ける運動でもある。
一首長が呼び掛けること自体、画期的な、前人未踏のチャレンジである。
山中市長のもとには、フェイスブックやツイッターなどで大きな反響を呼んでいるという。
「何かしなければと思っていたが、何をしていいかわからなかった」という市民が、参加のうねりをおこしつつある。
もちろん、全国の自治体の議員から、賛同したいという声が、わたしのところへも届いている。