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韓国のネット掲示板に「金玉均、天下の逆賊あるいは朝鮮の天才」というスレッドがあったのでご紹介。

1. 韓国人(スレ主)
金玉均…朝鮮の歴史上の人物の中でも好き嫌いが分かれる人物だ。
関連スレが立てば、擁護するやつと非難するやつで分かれる。
今回は彼が甲申政変に失敗し、日本に亡命した後、上海で暗殺されるまでの過程を紹介したいと思う。

金玉均(1851年1月23日~1894年3月28日)は朝鮮後期の文臣、政治家、作家であり、急進開化派として1884年の甲申政変を主導した

金玉均は1894年、中国上海の東和洋行ホテルという日本のホテルの2階で暗殺された。
金玉均を銃撃した人物は洪鐘宇。彼は朝鮮最初のフランス留学生だった。
上海メディアは、金玉均の暗殺のニュースをトップニュースとして10日間、大々的に報じた。この時期、特に日本に神経を尖らせていたこともあるが、それだけ大きな事件だったと言える


金玉均 - 甲申政変から日本亡命まで
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画像:金玉均

なぜ洪鐘宇は上海まで行って金玉均を暗殺したのか?
その火種は、19世紀半ば以降、北村(ソウル市鍾路区)から始まった。

この北村という地域一帯は、昔から両班の権力者たちが集中的に居住したところであり、いわゆる「開化派の巨頭」の金玉均、朴泳孝、徐載弼などもこの一帯に住んでいた。ここでは当時、朝鮮では手に入りにくい珍しい西洋の文物を持ち寄ったり、既存の封建思想の枠組みを打破し、新しい世界を作ろうと夢見る者たちが集まっていた。(朴珪寿の自宅が集合場所になっていた)
カイカイ反応補足:朴珪寿 - Wikipedia
朴珪寿の西洋認識は、燕行使として、1861年と1872年の2度にわたり清を訪問した際の見聞や、清を経由した西洋情報をもとにしたものであった。朴珪寿の自宅は、少壮官僚による実学思想研究の場として機能した。後年の朴泳孝の回想によれば、金玉均・朴泳孝・洪英植・徐光範らとともに朴珪寿邸で『燕岩集』を学び、平等思想に触れたという。このほか兪吉濬ら、次代の開化派政治家たち影響を与えた。

金玉均を筆頭とした急進開化派は、武力を行使してでも朝鮮を早急に改革すべきだと考えていた。そして、1884年に甲申政変を起こした。

日本軍の支援を受けて起こした甲申政変は、日本軍が後退するに伴い三日天下で終わってしまった。金玉均、朴泳孝、徐載弼などの家族は、拷問により獄死したり、自決などをした。生き残った政変加担者は日本に亡命した(その後、上海で暗殺されるまでの10年間、日本で亡命生活をした)。
カイカイ反応補足:甲申政変 - Wikipeida
袁世凱率いる清軍が王宮を守る日本軍に攻め寄りクーデター派は敗退。結局日本軍も撤退し、親清派の守旧派が臨時政権を樹立。開化派による新政権はわずか3日で崩壊し、計画の中心人物だった金玉均らは日本へ亡命することとなった。残った開化派人士、及び亡命者も含めた彼らの家族らも概ね三親等までの近親者が残忍な方法で処刑された(なお金玉均の妻子については、10年程生死不明で行方知らずとなった後、1894年(明治27年)12月忠清道沃川近傍で当時東学党の乱(甲午農民戦争)を鎮圧中の日本軍が偶然発見し、ようやくその妻と女子は保護されるも、その時の2人は実に憐れむべき姿だったという)。

日本における金玉均の名声は当時から高かったため、亡命した彼にひと目会おうと全国から大勢の人たちが集まった。しかし、日本政府は、彼の亡命を歓迎していなかった。なぜなら亡命者は利用価値がなかったからだ。日本の辺境をさまよっていた金玉均は多くの遺作を残した。当時の自分の置かれた心境を綴った詩などは有名である。そこには、日本の裏切り、朝鮮に帰れない自分の境遇、懐かしさと寂しさなど、その思いが綴られていた。


洪鐘宇 - 金玉均暗殺の刺客
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画像:洪鐘宇、彼はフランスでも常に韓服を着ていた

ここから、ちょっと洪鐘宇の話をするよ。
冒頭に「朝鮮初のフランス留学生」と書いたけど、これは朝鮮が送った留学生ではなく、洪鐘宇自身が日本で2年間仕事をして稼いだお金でフランスに渡ったものであり、いわゆる自費留学である。

フランスで彼は、思想家や学者などと会い、東洋美術館で働きながら「沈清伝(韓国の説話)」をフランス語翻訳するなどし、今日における国家イメージマーケティングのような活動をしていた。欧州の文化を吸収して、朝鮮の文化を伝播した洪鐘宇も、金玉均同様、朝鮮を近代化を望んでいた。

そんな彼がなぜ金玉均を暗殺したのか?

理由は、金玉均の開化思想と別の考えを持っていたからである。
金玉均の場合は、「日本の力を借りて朝鮮を開化しよう」というものであり、朝鮮と日本と中国が力を合わせて、欧米諸国に対抗しなければならないという考え方で、それに対して洪鐘宇は、「西洋の文物も重要だが、朝鮮の文物また重要だ。内政を磨き、外勢の干渉をはね除け、朝鮮的な開化をしよう」というものだった。簡単にいえば、金玉均は、日本を参考にして迅速に開化をしようというもので、洪鐘宇は欧州を参考にした朝鮮式の開化をしようというもの。

約3年間の留学生活を終えた洪鐘宇は帰国する過程で日本を経由することになる。そして日本で10年間の亡命をしている金玉均の存在を知ることになる。


金玉均と洪鐘宇の出会い、そして暗殺
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画像:金玉均(左)、洪鐘宇(右)

当時、金玉均は日本の極右派の巨頭である頭山満と密接な関係にあった。頭山満は 「玄洋社」を創設した人物だ(閔妃殺害の背後にいる組織)。

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画像:金玉均(左)と頭山満(右)

当時の日本政府から冷遇を受けた金玉均は、頭山満のサポートを受けて、政治再起を図るべく活動をしていた。金玉均が、日本人と勢力を形成しようとしている噂は朝鮮にまで広がり、金玉均が第二の甲申政変を起こそうとしているのではとも噂された。このような金玉均の行動を容認できなかった朝鮮政府は、彼を暗殺するため継続的に日本に刺客を送っていた。

洪鐘宇が日本に立ち寄ったのは、そんな渦中の出来事であった。そして、洪鐘宇は「金玉均暗殺」を自分がせねばと決心していた。

もう一度言うと、洪鐘宇と金玉均は、国家観、世界観、民族観などが違っており、和合はできなかった。洪鐘宇はその事実を隠し、金玉均に接近した。接近することはそれほど難しことではなかった。なぜなら、金玉均にとって洪鐘宇は「フランス留学派」という興味深い人物であったからだ。洪鐘宇は、その点を利用し、金玉均の関心を買い、しばらくの間、彼と行動を共にした。この時、金玉均は洪鐘宇の企てにまったく気が付いていなかったという。その後、洪鐘宇は暗殺を実行するために拳銃を手に入れ、暗殺の場所を上海に定めた。日本で暗殺しなかった理由は、日本では金玉均の側近たちが周囲を囲んでおりリスクが高かったためだ。

そして、1894年3月28日、金玉均は上海で洪鐘宇により銃殺される。
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画像:金玉均が暗殺された時の様子

逮捕された洪鐘宇は取り調べで暗殺の理由についてこう答えた。
「金玉均は大逆無道の逆賊だ。私がやらなくても、他の誰かが彼を殺そうとしただろう。彼を殺すためなら、自分の命も惜しまない」

実際、日本は金玉均が暗殺されるであろうことを知っていながら保護しなかった。なぜ日本が暗殺されるであろうことを知っていたか?上にも書いたように、朝鮮政府が刺客を何度も送り込んでいたからだ。最初の刺客である張殷奎は、金玉均が朝鮮に侵入するという噂を流した張本人。第二の刺客、池云英については、日本政府に逮捕された際「金玉均を暗殺しろと命令を受けた」とも告白している。つまり、日本政府は暗殺される危険性があることを認識していたのである。それなのに傍観した理由は、金玉均を利用するためである。実際、金玉均の生前、日本政府は「外交問題になるから日本を離れて欲しい」と彼に要求している。

その後、日本政府の卑劣な二重性が明らかになる。生前は、困りもので招かざる客であった金玉均を死亡後は徹底的に利用し始めたのである。「東アジアの平和を渇望していた人物が暗殺された」「野蛮な朝鮮が、偉大な人物を殺した」「金玉均の無念の死を晴らすべく復讐しよう」といった感じで扇動したのだ。

以来、この事件が日清戦争勃発のきっかけのひとつとなる。

金玉均の死後、日本はその遺体を引き取ろうとしたが清国がこれを拒否。戦艦に乗せて朝鮮に送り、再び極刑に処した。日本政府はこれを直接的な侮辱と受け止めた。このような状況は、1894年東学農民運動の蜂起の際に朝鮮政府が清国政府に志願兵を要請したことにより、一層激しさを増した。
カイカイ反応補足:金玉均 - Wikipedia
遺体は清国軍艦咸靖号で本国朝鮮に運ばれ凌遅刑に処された。その遺体はバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒された。

一方、金玉均を暗殺した洪鐘宇は、その後、高宗皇帝の腹心となり大韓帝国の樹立に大きな役割を果たした。しかし、洪鐘宇も完璧な人物ではなく、人々を説得できなかっただけではなく、金玉均殺害犯というレッテルのため政治的な地位を上げることはできなかった。結局、洪鐘宇の運命は、大韓帝国と同様の道を進むことになる。洪鐘宇が金玉均を容認することができなかったように、日帝強占期時代の日本もまた洪鐘宇を容認できなかった。彼はすべての官職を失い1913年に死亡したと伝えられている。

以上となるが、細かい話はもっと多い。気になる人は、検索バーに「金玉均」と三文字だけ打てば詳細を知ることができるだろう。

翻訳元:http://www.ilbe.com/86230688


2. 韓国人
確かに好き嫌いが分かれるね


3. 韓国人
俺は金玉均を肯定的に考えてる


4. 韓国人
偉人でもなく逆賊でもなさそう


5. 韓国人
歴史に関心がないからこのスレは評価しない


6. 韓国人
イルベのガキンチョたちがスレ主の文だけ読んで、間違って理解しそうで心配だわ
当時の朝鮮政府が、金玉均を暗殺をさせ、極刑にしたというよりは、朝鮮の歴史上、稀代の悪女として名高い閔妃が独断でさせたとする方が適切
あと、洪鐘宇が相対的に善良に見えるけど、金玉均は生まれる時代を間違えた稀代の天才と見るのが良いだろう
カイカイ反応補足:閔妃 - Wikipedia
閔妃は、李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃。明成皇后、朝鮮王后(閔氏)とも呼ばれる。本来「閔妃」とは「閔氏の王妃」という意味であり固有名詞ではないが、近代朝鮮史で「閔妃」と言えば、この高宗の妃を一般に意味する。死後、大韓帝国が成立すると皇后に追封された国王の正室として強い権力を持ったが、縁故主義と汚職、そして義父興宣大院君との20年以上にわたる権力闘争により政局は混乱し、乙未事変で暗殺された。


7. 韓国人
お互いに思想が違っただけで、両者とも私欲を捨て、国益のためを思い行動したということを考えれば、両者とも愛国者と呼んでも間違いではないでしょう


8. 韓国人
>>7
そうだな
両方とも愛国者だ


9. 韓国人
洪鐘宇は本当にクールなやつだ
金玉均はただバカ
朝鮮時代に事大主義で思想的発展がまったくない妄想野郎だ
それに比べ洪鐘宇様はしっかり実行に移した素晴らしい方だ
カイカイ反応補足:事大主義 - Wikipedia
事大主義は、大に事(つか)えるという考えと行動を表す語。外交政策の1つでもある。事大の語源は『孟子』の「以小事大」(小を以って大に事(つか)える)である。孟子には越が呉に仕えた例が知恵として書かれている。つまり「小国のしたたかな外交政策(知恵)」というのが本来の意味であった。しかし後世になると大義名分論と結びついて、「小国である自国はその分を弁えて、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった「大国に媚びへつらう卑屈な政策」という否定的なニュアンスを帯びるようになった。



10. 韓国人
>>9
お前は間違ってる
洪鐘宇本人が、その正義感から暗殺を実行したわけではなく、朝鮮という権力に対抗した金玉均に復讐することを目的としていた
稀代の悪女・閔妃に操られたということ


11. 韓国人
>>9
改革(クーデター)を実行した人が妄想野郎ってどういうこと?
朝鮮への影響力を強めようとしたいた清を何とか防ごうと、自ら行動を起こしたことは評価に値するだろ
もっとも、朝鮮を乗っ取ろうと企てていた日本を信頼していたのは問題ではあるが…


12. 韓国人
頭山満…アジアを掌握する日本の帝国主義の基礎を築いた人物
金玉均はそんな人の下にいたのか…
歴史をどのような視点で見るかによって、金玉均の評価は変わるだろう
個人的には、日本に取り入って、朝鮮を開化させようとした親日派の知識人であり、それ以上でもそれ以下でもない


13. 韓国人
確かに金玉均を評価する声は日本でもある
ガンダムの作者、安彦良和という漫画家が描いた作品の中に「王道の狗」というのがあるんだけど、その中に登場する金玉均は理想的な人物として描かれている
残念ながら韓国語版はないけど、興味があったら読んでみてよ
カイカイ反応補足:王道の狗 - Wikipedia
王道の狗は、安彦良和の漫画作品。明治時代中期から末期の日本、朝鮮、清王朝を舞台に、秩父事件から日清戦争、辛亥革命までの東アジアの歴史と、それに翻弄された人々の運命を描いた。



14. 韓国人
金玉均を支援していたのが日本右翼だったのだから、仮に計画に成功したとしても結局朝鮮は日本を受け入れなければならなかったようだ


15. 韓国人
>>14
まぁ、属国になることはあっても庚戌国辱はなかったのでは
せいぜい、漢・唐・清のときような感じであっただろう
皮肉なことは、安重根が伊藤博文の暗殺に失敗して第一次大戦前後まで、伊藤が朝鮮を独裁していたら、庚戌国辱は起こらなかったかもしれないということ
伊藤が併合反対論者であることは、それなりに有名な事実である
(もちろん実質的な植民地化を追求していた)


16. 韓国人
本当に気の毒な人だ
外国の文物に触れ、朝鮮の実状を鑑み、居ても立ってもいられなかったのだろう
さらに良い暮らしを熱望したというだけで、売国親日派の扱いを受け、一寸先も読めなかった保守派の人間が、あたかも独立闘士のように持ち上げられて…


17. 韓国人
>>16
それが正解
最近の安いナショナリズムに立脚した 国史観はちょっと危険である
反日反中に心酔して本質を失い、それが主となり、合理的な思考と民主的な認識が不足してしまうこと
これらの歴史観の中で、過度の国粋主義が横行し、それが土壌として生成されてしまうことを懸念する


18. 韓国人
後世、金玉均に対する日本の評価が良くならざるを得ない理由は、日本人が最も尊敬する人物である坂本龍馬と同じ路線を歩んだ人物だからである
王政政治に反対し、西洋蛮夷という批判を浴びながら、龍馬は政府を転覆させるために革命軍を結成した
これに対向するように政府は新撰組を創設し、龍馬は暗殺されてしまうが、最終的には開港と開化の主張が採択され明治維新が始まる


19. 韓国人
何をしようが、どのように死のうが、二人とも祖国のために奮闘した偉人である

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