ka-6718

韓国のネット掲示板に「間違って評価された人物」というスレッドが立っていたのでご紹介。

1. 韓国人(スレ主)
ka-6789

明成皇后閔妃
野心家の女であった
迷信をこよなく信じ、巫堂ノリという呪術儀式に大金を投じたり、
一族(閔氏)を高官に大量に登用して不正腐敗を謳歌したりした
結局は自らの権力掌握の最大妨害者となっていた興宣大院君を排除
当時、江原道の金の採掘権を全てロシアに献上
自らの都合に合わせあらゆる方面に媚びを売り、権力欲を保持し続けようとした
最終的には、日本の浪人の剣によって死んだという理由で、愛国女に昇格し、朝鮮を代表する皇后となった
これを歴史歪曲と言わずして何という

翻訳元:http://www.ilbe.com/1486722165


2. 韓国人
それ正解であって


3. 韓国人
閔妃は本当に畜生だ


4. 韓国人
盧武鉉のようなやつである(笑)


5. 韓国人
明成皇后閔妃と大院君は確かに再評価されるべき人物だな


6. 韓国人
こやつのせいで、微かな希望も全て吹き飛んでしまった


7. 韓国人
国の力がないときに外国勢力を呼び込み国を失う原因を作った張本人
カイカイ反応補足:閔妃 - Wikipedia
世継ぎ問題など、大院君と権力争いをしていた閔妃は高宗が成人し親政をとるようになると、1873年、大院君追放の指揮を裏で執り行い、大院君とその腹心の部下たちを失脚させた。
大院君が失脚した当初、閔妃は開国政策をとり、日本と日朝修好条規(江華島条約)を締結するなど積極的な開化政策を行った。日本から顧問を呼び寄せ、軍隊の近代化に着手したが、従来の軍隊(旧式軍隊)が放置され、また賃金未払い問題なども発生し、新式軍隊に対する不満がたまっていった。そこに開化政策に不満を持つ大院君等の勢力が合わさり、1882年、朝鮮の旧式軍隊が閔妃暗殺を目論んだ(壬午事変)。そのさい多くの閔妃派要人や日本人が殺され、日本大使館は焼き討ちにされたが、いち早く事件を察知した閔妃は、侍女を自らの身替りとして王宮を脱出し、当時朝鮮国内に駐屯していた清の袁世凱の力を借りて窮地を脱した。このクーデターを指揮していたとして、大院君は清に連行され天津に幽閉された。高宗の嘆願・朝貢も効果なく、幽閉は3年間続き、帰国したのは駐箚朝鮮総理交渉通商事宜の袁世凱と共にであった。
大院君が天津に幽閉されると閔妃は親日的政策から、次第に清国に頼る事大主義に路線変更していった。そのような状況を見た開化派の金玉均らは、閔妃を追放しない限り、朝鮮の近代化は実現しないとして1884年12月、甲申政変を起こした。それにより一時期政権を奪われるが、袁世凱率いる清軍の力を使って政権を取り戻し、開化派の政権は3日で崩壊した(1894年、金玉均は閔妃の刺客、洪鍾宇により上海で暗殺された)。
1885年になると、ロシアの南下政策(ロシアの歴史#ピョートル1世以降のロシア帝国)を警戒しだしたイギリスなどを牽制するために親露政策もとりはじめる。1894年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起きると清軍と日本軍の介入を招き、日清戦争の原因と戦場になった。


8. 韓国人
壬午軍乱時に死んでたのなら、評価は変わってただろうな
カイカイ反応補足:壬午事変 - Wikipedia
壬午事変は、1882年7月23日に、興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の漢城(後のソウル)で大規模な兵士の反乱が起こり、政権を担当していた閔妃一族の政府高官や、日本人軍事顧問、日本公使館員らが殺害され、日本公使館が襲撃を受けた事件である。


9. 韓国人
閔妃は本当に美化されてるよな


10. 韓国人
確かに閔妃は酷かったが、
日本人たちが主張する中のひとつとして、「そんな醜い閔妃を我々が殺してあげたのだから有難いだろ」という主張があるが、いくら醜い女だったとしても、外国のやつらが関与することではない
引きずり下ろすべきなら、我々の手で引きずり下ろしていただろう


11. 韓国人
>>10
その通りだ
倭人は他国で殺人したことを正当化する


12. 韓国人
閔妃は朝鮮人に殺されるべきだった
カイカイ反応補足:朝鮮政府内部首謀説|乙未事変 - Wikipedia
事件直後に朝鮮政府は朝鮮国内で行った裁判で興宣大院君(高宗の父)の首謀とする判決が出たことや、朝鮮人実行犯の証言等から、事件の首謀者を大院君とする見解は根強く、また閔氏一族の横暴や怨嗟の声が国中に満ちていることを憂慮していた朝鮮人らが積極的に参加していたとの見解や、決定的な証拠がないため不明とし、実行犯が日本人か朝鮮人かを巡って、小説やノンフィクション、テレビドラマなどで現在でも様々な意見や主張が出されているとも言われる。


13. 韓国人
韓国の近現代史を正しく学べば絶対に持ち上げることのできない女
日本が殺していなければ、おそらく民衆が殺していただろう
実際に壬午軍乱が起きたんだし


14. 韓国人
>>13
マリーアントワネットみたいなことになってただろうね


15. 韓国人
当時の国民は、閔妃が死んだ時、歓呼したという記録があるみたいだが


16. 韓国人
この女の業績って一体何よ
教科書では大院君とセットで言及されているだけで、
後はそのまま刺されて死ぬという内容しかないだろ


17. 韓国人
>>16
親露政策


18. 韓国人
>>16
親露、親日、親清
媚びを売らなかったところはない


19. 韓国人
ドラマが一役買ったよね
カイカイ反応補足:明成皇后 (テレビドラマ) - Wikipedia
「明成皇后」は、韓国KBSで2001年から2002年に放送された、朝鮮時代末期を舞台にした時代劇ドラマ。日本ではKNTVで放送された。全124話。
このドラマは19世紀末の朝鮮時代における実質上最後の王妃・明成皇后(閔妃)の生涯を描いた作品である。「悪女」として描かれたり、政治的野望の高い女として知られた従来の明成皇后のイメージを当時の日本による植民地史観によるものとし、イギリス、フランスをはじめとした列強に、清やロシアの大国、そして新たに台頭してきた近代国家・日本に対して立ち向かいながら、舅である興宣大院君との葛藤など、波乱の生涯を送った女性とする視点で描かれている。成年期をイ・ミヨン、晩年期をチェ・ミョンギル、少女期をムン・グニョンが演じた。


20. 韓国人
ドラマのOSTは本当に歴代級だったよ
カイカイ反応補足:明成皇后OST|IF I LEAVE(私が去ったら)


21. 韓国人
まさに映画やドラマで美化された女性だな
実際は李完用級売国奴だ


22. 韓国人
李完用*
・高宗の寵愛を受けた天才官僚
・純宗 (朝鮮王)の師匠
・朝鮮独立の意志と守護を込め独立門*を建設
・初代独立協会*会長
・日本の圧迫に苦しむ高宗のために俄館播遷*を計画し実行
・代表的な親米派官僚
・朝鮮の独立を維持するため米国の力を引き出すことに努める
・しかし桂・タフト協定*で米国に裏切られる
・結局、独自での独立維持は厳しいと判断
・周辺列強である、清、ロシア、日本との協力を模索
・当時の日本は日清戦争、日露戦争を勝利するなど、東アジア最高の軍事大国
・もし朝鮮が日本に対抗して戦った場合、韓半島は焦土化
・もし李完用が日本との融和的外交政策を取らず戦争の道を選択したのなら、今生まれていない者数知れず
カイカイ反応補足:李完用 - Wikipedia
李完用は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家。日本による韓国併合に大きな働きを果たした。独立後は、韓国植民地化の元凶の一人としての評価が強まり、憎悪を一身に受けた。そのため現在でも韓国・北朝鮮において李完用の名は親日派(チンイルパ)、売国奴の代名詞とさえなっている。韓国政府によって公式にも親日反民族行為者に認定されている。
2005年に韓国において親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法が公布された際にも、親日反民族行為者財産調査委員会は、李完用を含む親日派9人の子孫から土地を没収し、韓国政府に帰属させる旨の決定を下された。
李完用は韓国の将来を考え、自主独立への道を模索していたといわれる。独立協会の創設者の一人となっているが、日本に近づくも日本語を決して学び、話すことはなかった(日本人との会話では英語を使用した)。独立新聞の記事にも、李完用を批判する記事は一つも載っていない。
ka-6787
カイカイ反応補足:独立門 - Wikipedia
日清戦争により日本が清に勝利し、下関条約にて清の冊封体制からの李氏朝鮮の独立を認めさせた。これにより李氏朝鮮は清の支配から解放され、自主独立国家として歩みだすことになり、その記念として清への服属の象徴の一つであった迎恩門を壊し、そのすぐ隣に建設された。また、迎恩門に隣接して建てられた慕華館は独立館と改名された。建設には、朝鮮の開化派の独立協会が中心となり、募金を募り建てている。
カイカイ反応補足:独立協会 - Wikipedia
独立協会は、1896年から1898年まで李氏朝鮮にあった開化派の運動団体。甲午農民戦争を率いた徐載弼が李完用とともに創設し、朝鮮における立憲君主制導入を目指した。
カイカイ反応補足:桂・タフト協定 - Wikipedia
この協定では、米国は韓国(大韓帝国)における日本の支配権を確認し、日本は米国のフィリピンの支配権を確認した。 列強が勢力を模索する時代の中で、日米首脳が相手国の権利を認め合った協定といわれ、その後の日米関係を円滑にするものであった。


23. 韓国人
>>22
これマジ?


24. 韓国人
>>22
アホなこと言うなよwwwwwwwwwwwww


25. 韓国人
>>22
李完用はその当時の進歩主義者であった


26. 韓国人
>>25
李完用は低く評価された人物の代表かもな
その反対が閔妃であって


27. 韓国人
>>22
それでも売国奴である
いくら業績を残しても、ミスひとつでその評価は下がるというもの


28. 韓国人
>>22
一理あるね
ただ、アホ左翼がこれを見れば、親日派と糾弾するだろうが…


29. 韓国人
>>22
アホなやつらが多いな
李完用は親米や親露ではない
ただの日和見主義者だ


30. 韓国人
>>22
生まれるのがもう少し遅ければ大物になっていただろうね


31. 韓国人
閔妃はもちろんだが、興宣大院君もよくやったとは言えないだろ
興宣大院君の鎖国を擁護するのは、北朝鮮式の主体思想を擁護するようなもの
要するにその時代の政治自体がゴミだったということだ


32. 韓国人
>>31
それは結果論だろ
そんなこと言ったら日本も明治維新前には、国内で開港賛否勢力が分かれ戦っていた
結局、その戦いで開港を主張する側が優勢になっただけの話であって


33. 韓国人
>>31
大院君も閉鎖的な鎖国でなく、漸進的改革での鎖国であった
しかし、オッペルトが興宣大院君の父親の墓を荒らそうとしたことで全てが台無しとなる
カイカイ反応補足:エルンスト・ヤーコプ・オッペルト - Wikipedia
1867年に、朝鮮の貿易障壁を除くために興宣大院君の父親(南延君)の遺骸を墓所から持ち去って恐喝しようとし、失敗したことで知られる(オッペルト事件)。この事件は朝鮮人を激昂させ、外国人との交易をより遠ざけるものとなった。


34. 韓国人
>>34
だな


35. 韓国人
美化されたとしても朝鮮最後の王妃だろ
朝鮮の国母が倭人の手によって死んだということは悲痛な歴史であって


36. 韓国人
>>35
倭人でなくてもなくても殺されてたよ


37. 韓国人
西太后とそっくりな女
とにかく韓国は死に様が良ければ過去の誤ちは全て消え去る
盧武鉉のように


38. 韓国人
>>37
西太后はそれなりに評価できるところもあっただろ
閔妃は内政も汚らしくして


39. 韓国人
【衝撃】度を越した"イルベ"…朝鮮の"国母"明成皇后まで卑下…
※ニュースサイトの見出し


40. 韓国人
あの写真は何年も前に閔妃ではないとはっきりしているが
まだこれを閔妃の写真として使うのか
カイカイ反応補足:閔妃とされた写真|閔妃 - Wikipedia
韓国でも写真に疑義が出されるようになり、2001年7月7日付け東亜日報では、この写真真偽問題に関連して「当時“写真を撮らせると、魂が抜ける”と認識 カメラ忌避」と、当時の人間が写真を避けることが説明されるようになり、2004年8月12日付け朝鮮日報では「1909年馬山郵便局消印「閔妃」ハガキ発見」として、「日本人写真師・村上天真撮影の閔妃といわれる写真」とはまったく別の写真が提示された。


41. 韓国人
ところで、閔妃はただ斬り殺されただけ?
日本人たちにレイプされて死んだという話もあったが


42. 韓国人
>>41
日本に対する敵対心を増幅させようと捏造した話だそれ


43. 韓国人
>>41
お前は44歳のおばさんをレイプしたいと思うの?
浪人たちのほとんどが10代後半から20代半だったと思うが


44. 韓国人
朝鮮4大馬鹿王
1位:高宗
2位:燕山君
3位:宣祖
4位:仁祖
近代開花の時期に高宗のようなアホが朝鮮を導いたということは、韓国の歴史上、最も大きな汚点だ


45. 韓国人
>>44
高宗や閔妃よりも、むしろ李完用や伊藤博文の方が韓国を愛していたという言葉もあるほどだからな


46. 韓国人
正直、当時、誰が王になっても朝鮮は終わった状態ではなかったのでは
閔妃や大院君が悪いというわけではない
世宗大王をはじめとする朝鮮の英雄たちがタイムスリップしてきて国を動かしたとしても、日本や中国に取り込まれたことに変わりはないであろう


47. 韓国人
仮に世宗や正祖が復活していたのであれば、滅びてはいなかっただろう
租税改革をして、ある程度財政を確保した上で、新しい文物を積極的に取り入れるだろうから滅びることはなかった


48. 韓国人
惜しい人物は金玉均だけ
本当に哀れな男よ


49. 韓国人
時代を間違って生また朝鮮の三大天才
金玉均、李完用、徐載弼


50. 韓国人
>>49
盧武鉉は?


51. 韓国人
>>50
盧武鉉は単なるお人好しで、李完用は本物の天才
金玉均は本当に残念な人物
もし甲申政変が成功していたら朝鮮の明治維新となり、朝鮮の坂本龍馬となっていたはずなのに…
カイカイ反応補足:甲申政変 - Wikipedia
甲申政変とは、1884年12月4日に朝鮮で起こったクーデター。
当時の李氏朝鮮は、壬午事変(1882年)で興宣大院君が清へ連れ去られており、閔妃をはじめとする閔氏一族は、親日派政策から清への事大政策へと方向転換していた。このままでは朝鮮の近代化はおぼつかないと感じた金玉均・朴泳孝・徐載弼らの開化派(独立党)人士らは、1879年(明治12年)李東仁を日本に密入国させ、福澤諭吉や後藤象二郎をはじめ一足先に近代化を果たした日本の政財界の代表者達に接触し、交流を深めてゆく。日本の政財界の中にも、朝鮮の近代化は隣国として利益となる面も大きいと考え、積極的な支援を惜しまない人々が現れ、改革の土台が出来上がっていった。開化派の狙いは、日本と同じように君主を頂点とする近代立憲君主制国家の樹立であった。政府首脳(閔氏一族)が事大政策を採る中、金玉均らは国王高宗のいわば「一本釣り」を計画。外戚の閔氏一族や清に実権を握られ、何一つ思い通りにいかない高宗もこの近代化政策の実行を快諾した。

結果は…
袁世凱率いる清軍が王宮を守る日本軍に攻め寄りクーデター派は敗退。結局日本軍も撤退し、親清派の守旧派が臨時政権を樹立。開化派による新政権はわずか3日で崩壊し、計画の中心人物だった金玉均らは日本へ亡命することとなった。残った開化派人士、及び亡命者も含めた彼らの家族らも概ね三親等までの近親者が残忍な方法で処刑された(なお金玉均の妻子については、10年程生死不明で行方知らずとなった後、1894年(明治27年)12月忠清道沃川近傍で当時東学党の乱(甲午農民戦争)を鎮圧中の日本軍が偶然発見し、ようやくその妻と女子は保護されるも、その時の2人は実に憐れむべき姿だったという)。また金玉均は日本各地を転々とした後に上海に渡り、1894年(明治27年)3月28日に刺客洪鐘宇に暗殺される。その遺体は朝鮮半島に移送された後に凌遅刑に処せられ、五体を引き裂かれたのち朝鮮各地に分割して晒された。
ka-6788
参考:韓国人「金玉均、天下の逆賊あるいは朝鮮の天才」


52. 韓国人
近現代史を学んでも明成皇后を擁護することはできなかった
結局、日本の野心が朝鮮に向いたのも、閔氏の勢力による外勢依存的な政策が起因したわけで、政権を維持するために、世界情勢を無視し、外勢に蝕まれていく韓半島の運命を傍観した
そのような女性が一国の国母として崇められているのだから笑える
要するに、国のために何かしたというわけではなく、日本に殺害された最後の国母というイメージがより鮮明だということ


53. 韓国人
>>52
君の言うように、仮に明成皇后が堕落して腐敗した人物であるのなら、日本としては積極的に利用する価値があったわけで、なぜ殺す必要があったのか?
この理由を説明できなければ君の主張は単なる誹謗中傷に過ぎない


54. 韓国人
>>53
ロシアと手を握ろうとしたからだろ


55. 韓国人
>>53
当時、日本とロシアの関係は悪かった
明成皇后はロシアと友好的だった
あとは分かるだろ?


56. 韓国人
>>53
日本が明成皇后を殺害した理由は、明成皇后がロシアとの関係を深めようとしたから
もし日本が対処していなければ、韓国はソ連の衛星国家となり、今の沿海州高麗人のようにロシア語を話す三流国家となっていた
カイカイ反応補足:事件の背景と性格|乙未事変 - Wikipedia
事件の背景には、興宣大院君と閔妃の権力闘争(大院君が閔氏一族によって摂政の座を追われた1873年の最初の失脚以来、20年以上にわたって凄惨な権力闘争を繰りひろげていた)、改革派(開化派)と守旧派(事大党)の路線闘争、さらに朝鮮半島をめぐる日本の安全保障問題、日本と清の覇権争い、日清戦争後の日本とロシア帝国の覇権争いがあった。そのため、日本公使・三浦梧楼らの主導による親露派の閔妃を排除するためのクーデターとする説が日本における歴史研究のほとんどで採用されているとの見解があり、歴史事典の多くがこの説を明記している。


57. 韓国人
旧韓末から得る歴史的教訓は、親露、親日、親清が答えではなかったということ
主体性を持って近代化をすることが答だった
現在の親米親中に固執した外交政策を推進する人たちには旧韓末の歴史を正しく見ろと言ってあげたいね(笑)


58. 韓国人
歴史とは実際にその時代に生きてみなくては分からないものだ

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