ka-10057

韓国のネット掲示板に「伊藤博文、日本帝国主義の象徴と穏健派の二つの顔」というスレッドが立っていたのでご紹介。

1. 韓国人(スレ主)

1909年10月26日…
ロシアの外務大臣と面会するため、中国のハルビン駅に降り立った伊藤博文は、安重根の銃弾に倒れる。伊藤は抱えられながら側近の日本人に尋ねたという。
「誰が私を撃ったのか?」
「朝鮮人です」
「馬鹿なことを…」
周囲の悲鳴と絶叫の中、伊藤は70年の生涯に幕を閉じる。
ka-10049


伊藤博文は1841年に日本山口県で生まれた。本名は林利助。彼の家は貧しい農民の家だったが、父が武家の養子に入り下級武士の身分を得る。1853年、米国ペリー提督の艦隊が日本に現れ、通商を要求を出し、幕府は為す術なく屈する。そして下級武士を中心に尊王攘夷運動が起こる。王を尊び、外敵を撃退しようとする思想であった。伊藤もここ参加する。
ka-10050


1863年、英国に留学し、翌年帰国した伊藤は、仲間とともに軍勢を起こし、幕府に協力的だった長州藩の実権を掌握する。1866年、明治維新により幕府が退き、日本の近代化が始まる。

明治維新以来、伊藤は、名前を伊藤博文に改名し新政府に参加する。政府の要職を経て、多くの場合、海外歴訪に出たが、この歴訪は、伊藤に深いインスピレーションを与えたと言われている。1878年、大久保利通が暗殺されると、彼の後を引き継いぎ内務卿となり、政府の実権を掌握していく。
ka-10051


1885年、日本の内閣が設立されると、初代内閣総理大臣となる。そして伊藤は、立憲政府のために憲法を学び、基本権保障と議会の樹立を明文化した近代憲法を起草する。(この作業は、日本国内で伊藤の最大の成果として評価され、基礎、近代国家としての日本を確立するのに貢献)

日本では征韓論が頭角を現してきてた。朝鮮を征伐し、日本の近代化の足場とし、繁栄を実現しようというものであった。これに対し、近代政府樹立と、内政を重視した伊藤は、征韓論に反対する立場を取る。日本国内の外国治外法権を打破し、日清戦争に勝利した伊藤は、東洋平和論を唱え、外国による不平等な条約と、各種利権侵奪に対し、日本主導でそれを救済し、アジアに平和をもたらすというものであった。
ka-10052


これは朝鮮と清などのアジア諸国の支持を得るための口公約であったが、それでも支持を受けることになり、強硬派によって朝鮮を保護するという口実で日露戦争が勃発する。日本はロシアにも勝利し、アジアにおける地位を確固たるものとする。日露戦争においても伊藤は交渉を追求する穏健派であり、これにより日本国内の政治勢力との対立が深化される。

伊藤の政治手腕はそれほど高い水準ではなかったものとみられ、日本国内の様々な敵によって権力を取り戻したり、喪失したりを繰り返した。軍部はすでに内閣が侵犯できない天皇の直属機構であり、他の統治権力であると主張していた。伊藤は内閣と軍部から敵対視される。

1905年、伊藤は朝鮮人たちの怒りを買うことになる。彼が約束した東洋平和論とは異なり、特命全権大使として朝鮮に赴任した後、乙巳条約により大韓帝国の外交権を剥奪、統監府を設置した後、初代統監となって保護国となった朝鮮を統治し始めたのである。
ka-10053
▲李完用(左)と伊藤博文(右)、李完用は乙巳条約に先立ち伊藤の目となる

伊藤は概ね、山縣内閣と軍部が主張した早急な朝鮮植民地化について反対の立場を取っていたことで知られている。彼の考えでは、朝鮮はとても立ち遅れており、朝鮮を急速に発展させれば、過剰に費用がかかり、日本が背負うリスクが大きくなると判断していたようだ。

最終的に彼の目的は、朝鮮の侵奪だったが、それ以前に朝鮮を発展させる必要があると考えていた。外交権を剥奪し、王朝を日本の傀儡とした後、信頼性の高い永続的な保護国とし、日本の利権事業を継続することが正しいと考えていたのだ。

このころの伊藤は既に旧世代の人物に近い老いた政治家であった。露日戦争の勝利は伊藤の政治力の弱体化を加速させたし、朝鮮統監に赴任したのも、再び自らの政治生命力を奮起させようとする試みであった。統監府を通じ伊藤は、朝鮮の治安に集中しながら、日本国内の強硬軍部派と再び対立し、権力の均衡を図っている

短期間で成果を上げるため、伊藤はハーグ密使事件を契機として、高宗に退位を促すが、これには朝鮮民衆の怒りを買い、義兵運動が展開されるなど、むしろ日本軍部に力を与えることとなる。伊藤の政治的判断ミスであった。結局、統監の座を辞任して枢密院議長になった伊藤は、満州視察と日露関係改善に向けロシア外相を訪問し、そこで安重根の銃弾に倒れ生涯を終えている。
ka-10055


一時は、伊藤の東洋平和論を支持したとされる安重根が法廷で、伊藤を処断した罪状について、東洋平和を害しようとした罪と、朝鮮の国王陛下を退位させた罪を上げたことを考えれば、当時、伊藤が高宗廃位の決定を下したことについて、それが朝鮮民衆にとってどんな意味を持っていたのかをうかがうことができる。
ka-10054


ことごとく反対をしていた伊藤博文が消えたということは、日本内閣と軍部をこれ以上邪魔をするものがいなくなったということを意味していた。伊藤の死後、朝鮮の警察権などが日本に移り、1910年にはついに韓日合併条約を通じて、すべての統治権を日本に移譲することになる。その後、3.1運動が展開される時までの10年余間、日本は憲兵警察制度を敷き、朝鮮に対し恐怖政治を実施した。

伊藤は官僚的な穏健派として軍国主義に突き進む日本を牽制した人物だったが、最終的には朝鮮を収奪しようとしていたのは事実だ。ただ、その過程で意見の違いがあったのだ。逆説的に彼が作り上げ、素地を築いた近代国家日本は、アジアの平和を破壊し、戦争と植民地の渦を作るようになる。

伊藤が望んだ日本の姿がどのようなものだったのかは、彼だけが知るところである。
ka-10056

翻訳元:http://www.ilbe.com/2259252559


2. 韓国人
伊藤はそんなに悪いやつではなかったの?


3. 韓国人
>>2
悪いやつだ


4. 韓国人
>>2
収奪者


5. 韓国人
>>2
収奪者が一番適している


6. 韓国人
>>2
目指すべきところは軍部と違っていたが、結局は悪いやつであったことに変わりはない
それでも朝鮮は救いようのない国であり、伊藤の死によってさらに奈落の底に落ちた
俺はこの程度に理解している


7. 韓国人
穏健派も強硬派も両方クソで


8. 韓国人
伊藤はオーストリア・ハンガリー帝国のような方式を望んでいたようだ
カイカイ反応補足:オーストリア=ハンガリー帝国 - Wikipedia
オーストリア=ハンガリー帝国は、かつて欧州に存在した国家。ハプスブルク家の君主が統治した、中東欧の多民族(国家連合に近い)連邦国家である。1867年に、従前のオーストリア帝国がいわゆる「アウスグライヒ」により、ハンガリーを除く部分とハンガリーとの同君連合として改組されることで成立し、1918年に解体するまで存続した。オーストリア=ハンガリーとも。


9. 韓国人
直訳すれば「馬鹿」だけど、意訳すれば「くそ」である
「馬鹿」と直訳すれば、自分を撃った朝鮮人が愚かであり、彼が残念に思っているというふうに感じるけど、「くそ」と意訳すれば、自分が撃たれたことに対して「くそ」という態度を示していると見ることができる


10. 韓国人
死んだ際のエピソードはガセだぞ
伊藤は狙撃されすぐに死亡した
遺言など残せていないし、伊藤の孫もそう証言している
「朝鮮人です」「馬鹿なことを…」という話は、日本の極右が広めたガセである
カイカイ反応補足:暗殺|伊藤博文 - Wikipedia
このとき伊藤は「3発あたった。相手は誰だ」と叫んだという。安はロシア官憲にその場で捕縛された。伊藤は絶命までの約30分間に、側近らと幾つか会話を交わしたが、死の間際に、自分を撃ったのが朝鮮人だったことを知らされ、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟いたといわれる。また、伊藤の孫にあたる伊藤満洲雄の話によれば、「俺は駄目だ。誰か他にやられたか?」と聞き、森槐南も傷ついたと知って「森もやられたか…」と言ったのが、伊藤の最後の言葉であったとされる。享年69。11月4日に日比谷公園で国葬が営まれた。


11. 韓国人
>>10
リアルか?
関連リンクがあれば教えて


12. 韓国人
>>10
その通り
伊藤は何も言えずに死んだ


13. 韓国人
それでチョッパリが何をしたと?
心だけは善良だったと言いたいのか?


14. 韓国人
>>13
心が善良というのことではない
他の方法で朝鮮を利用しようとしたというのが正しい解釈だ


15. 韓国人
>>13
朝鮮が良くて植民地に反対したのではなく、朝鮮がとても未開だったから、すぐに日本主導で開発してしまってはそのリスクも高まると考えたから反対していたのだ
日本が管理しつつも、金は朝鮮に出させるという構図を作り、ある程度発展させたら奪おうという魂胆だった
おそらく、伊藤主導の下、朝鮮が日本となっていたら、軍部のような過激な方法は取らなかったので、植民地統治はより長くなっていたものと思われる


16. 韓国人
ああ…伊藤様、野蛮な朝鮮人をお許し下さい!


17. 韓国人
儒教が諸悪の根源である


18. 韓国人
興味深く読んだ
日本人の立場では、伊藤博文は歴史的に最も重要な人物とされている
憲法の枠組みを作った人物として
まー歴史とは相対的なもの
韓国の立場としては安重根は烈士である
関連書籍:二つの憲法――大日本帝国憲法と日本国憲法


19. 韓国人
>>18
義士ね


20. 韓国人
>>18
烈士は志を示したり、日本帝国主義に抵抗した人々のことを指す
義士はそれに成功した人


21. 韓国人
>>20
そうなんだ…同じ意味だと思って使ってた
情報サンキュー


22. 韓国人
文章の全般的な内容はいいが、韓日併合や乙巳条約のような表現が若干気に障る
韓日強制併合、第二次韓日協約と記述した方が良い


23. 韓国人
>>22
リアル


24. 韓国人
>>22
何で強制?
単に併合でしょう
朝鮮と日本が互いにメリットがあると考えて結んだこと


25. 韓国人
>>24
そもそも純宗の玉璽が使われてない時点で不法だということは知ってる?
もちろん傀儡皇帝など関係ない存在ではあるが…


26. 韓国人
伊藤の東洋平和論と、安重根将軍が執筆した東洋平和論は前提自体が異なる
何を支持したというのか?


27. 韓国人
一つだけ確かなことがある
それは朝鮮が無能な病身王朝であったということ


28. 韓国人
>>27
リアル


29. 韓国人
>>27
お前が書くハングルは朝鮮王朝から生まれた
朝鮮は朝鮮でも、初期・中期・後期で分けなければならない


30. 韓国人
伊藤博文がもし生きていたら、朝鮮はまだ植民地状態だった
割りとマジで


31. 韓国人
>>30
伊藤が生きていたら、日本が米国に戦争を仕掛けるような愚かな真似はしていなかったかもしれない


32. 韓国人
>>30
歴史に”もし”はない


33. 韓国人
伊藤の死によって日本の狂気がいち早く露呈された
もし、伊藤が生きていたら韓半島はゆっくりと支配され、今も日本の領土であったことだろう


34. 韓国人
>>33
リアル


35. 韓国人
李完用の子孫たちはどこにいるのだろうか?
戸籍を変え、一般家庭に溶け込んだのか…
自叙伝やネットの情報では、李秉喆(サムスン創業者)は漢学者の家に生まれたとされているが、果たして本当だろうか
李秉喆は1930年代の植民地朝鮮で創業し、朝鮮最高の金持ちになったことは有名だが、彼が親兄弟と写った写真を誰か見たことある?
そして、李健煕(サムスン二代目会長)は、なぜ毎年欠かさず日本に滞在するのだろうか


36. 韓国人
>>35
はい、次の陰謀論者


37. 韓国人
>>35
李完用先生の子孫の方々は名誉回復されるべき
本当に切ない
殺身成仁して朝鮮人を復活させた人物だとうのに
参考記事:韓国人「李完用、親日売国奴でありエリートでもあった人物」
カイカイ反応補足画像:李完用の家族写真
ka-10048


38. 韓国人
ところで、どうして韓国の英雄はことごとくテロリストなのか?


39. 韓国人
>>38
安重根義士は中将だと明らかに言及している
テロリストではない
カイカイ反応補足:安重根義士は日帝によって旅順法廷に立たされたが、「私は大韓義軍の参謀中将で敵将を狙撃した」と4回も述べた(参考


40. 韓国人
>>39
安重根は無職じゃなかったの?


41. 韓国人
>>38
日本人を殺せばスカッとしたからだろう
民族感情を奮い立たせることもできるし
その後に何が起きようとも、とりあえず日本人を殺せば愛国者となる(笑)


42. 韓国人
安重根が愛国者なのは事実だが、その後の朝鮮と東アジア全体の秩序で見れば、その行為が太平洋戦争の導火線になったと見ても良い
日本の穏健親韓派の巨頭を暗殺して、むしろ韓半島の植民地化を促し、日本の軍国主義を後戻りできない状態とする
一言で言えば、ユダヤ人がドイツでヒトラーと勢力均衡を合わせながら牽制したドイツの穏健派の首長を射殺したようなものである


43. 韓国人
安重根は天皇崇拝してたんでしょ?


44. 韓国人
>>43
天皇崇拝というより、伊藤の大東亜共栄圏崇拝である
伊藤の裏切り行為により射殺した


45. 韓国人
>>44
両方崇拝した


46. 韓国人
1行要約
安重根は韓国の植民地化を促した張本人なのだろうか?


47. 韓国人
>>46
そうではなく、どうせ滅びる朝鮮をより早く滅ぼしたと見るのが正しい


48. 韓国人
>>46
伊藤の立場は、「まだその時ではない」ということであった
「朝鮮併合してはならない!」ということではなく


49. 韓国人
>>46
半熟卵で食うか完熟卵で食うかの違いでは?


50. 韓国人
日本の安重根ドキュメンタリー

関連書籍:安重根は韓国の英雄か、それとも悪魔か


51. 韓国人
朝鮮の併合を防いでいた伊藤は、朝鮮にとっては必要な人物であった
むしろ​​疑うのであれば安重根の方だ
安重根は、独立運動家ではなく、日本の強硬派軍部に買収された親日売国奴である可能性すらある
伊藤が主張していたのは、三国鼎立親善路線であり、これは日本、朝鮮、満州国が、それぞれ独立した状態を保ちながら協力して西欧に対抗しようという論理だ
当時、日本人に熱烈な支持を受けていた伊藤によってこの論理は維持されていた
日本の強硬派の軍部は、伊藤を暗殺しようと常に隙をうかがっていたし、伊藤は暗殺される3ヶ月前からその空気を察し身辺整理をしていたほどだ
それを安重根が暗殺した
とにかく、伊藤の死後、朝鮮はすぐに日本に併合されてしまう


52. 韓国人
>>51
伊藤が朝鮮の独立を望む?
伊藤が死ななかったら、朝鮮はジワジワと日本に蚕食されてしまっただろう


53. 韓国人
>>52
伊藤に限った話ではなく、当時はそれが主流の考えであった
例えば、英国は、過去数百年の間、インドを植民地統治したが、結局そこから得られた利益よりも、植民地を維持するための費用の方が高かった
結局、軍と警察を直接運営しなければならないし、また直接統治することで、より反発も大きくなり、維持費用がさらに増えたのだ
ほとんどの植民地経営する国が、この問題に頭を抱えていた
そこで、米国は直接統治ではなく、その国の独立を維持させながら、親米政権樹立を支援し、親米政権を立てた後、親善を結び、主要な港湾や地域を租借し、軍隊を駐留させたりして軍事的利益、経済的利益を得る方法を実施した
経済的交流を通じて、製品の消費地とし、原料提供の地、利益だけを横領する形態が次第に台頭されていったのよ
米国はフィリピンや東南アジアをそのように運営していた
これは非常に効率的であり、米国に対する拒否感は生まれず、むしろ自分たちの保護者というイメージを与えることに成功した
日本は、このモデルに高い関心を示しており、伊藤が主張した「三国鼎立親善」は、実際にはこのようなモデルだった
朝鮮や満州国が西欧と結んだ不平等条約を日本が除外し独立国を作り、そのまま親日政府を建てて米国式にやろうという手法だよね
でも、結局日本は米国式を自ら脱してしまった
当時の日本は、西欧列強と比べたら格段未熟な国であったし、西欧の植民地となりうる不安と向き合うことができなかったんだ
特にロシアはとてもとても驚異的な存在だった


54. 韓国人
>>53
とにかく伊藤の最終目的も、朝鮮を利用することだろ?
それなのにどうして朝鮮に必要な人物になるのか


55. 韓国人
韓国人は日本人に感謝しなければならない
韓国人は、同じ民族である北朝鮮との統一に際しても金がかかると躊躇しているが、日本は異民族である韓国を統一して、自分たちの税金まで使い、莫大な資金を投じてインフラを敷き発展させてくれた


56. 韓国人
>>55
典型的植民地近代化論
日本が朝鮮を工業化したのは、戦争に備えた軍需産業育成が目的だった
朝鮮人の暮らしの質を向上させるための工業化作業ではなかった
また、歴史的な意味の近代化とは、上からも下からも、その集団の主体性がなければならない
故に、日本は朝鮮の近代化の主要因ではない


57. 韓国人
>>56
教科書見て丹念に覚えたのか
朝鮮人の生活の質がどれだけ向上したかは知ってる?
日本が近代化させていないというのなら、韓国は中世から近代をスキップして現代になったというのか?(笑)
関連書籍:ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実


58. 韓国人
韓国の立場で見れば畜生だが、日本の立場で見れば穏健派の愛国者
伊藤博文は、韓国で言うところの李舜臣のような人物だな
カイカイ反応補足:李舜臣 - Wikipedia
李舜臣は、李氏朝鮮の将軍。文禄・慶長の役において朝鮮水軍を率いて日本軍と戦ったが、味方の讒言による失脚で兵卒に落とされるなど不遇を過ごし、露梁海戦で島津水軍に討たれて戦死した。現在の韓国においてはその功績が評価されて国民的英雄となっており、肖像画が紙幣や硬貨に描かれたり、韓国各地に銅像が建てられている。


59. 韓国人
何勝手に伊藤と李舜臣を比較してんだよ(笑)
やつは韓国を植民地としたやつで、李舜臣は攻め寄せてきたのを防いだだけだが


60. 韓国人
この文章は伊藤博文美化に見える
むしろ伊藤は「力」による統治ではなく、半島自体を「日本化」しようとしたやつであり、さらに危険な人物であった


61. 韓国人
伊藤を美化する必要はない
伊藤博文という人物は、日本に忠誠を尽くして日本のために動いた日本人である
それ以上でも以下でもない
すなわち、伊藤の総督府が朝鮮を結果的に発展させたとしても、それはあくまでも日本政府のためであり、絶対に朝鮮のためではなかったということだ
従って、伊藤を賞賛する理由も名分もない


62. 韓国人
すごい人だったのは確かだよね(笑)
関連書籍:伊藤博文 近代日本を創った男

スポンサードリンク
おすすめ記事(外部サイト)
韓国・東アジアニュース(外部サイト)