ka-20654

韓国版Yahoo知恵袋の「NAVER知識in」から、「朝鮮総督府で働いていたら親日派ですか?」という質問に対する回答を翻訳してみました。

質問者1-1
我が家はかつて、両班の家で、先祖は役人として働いていました。
知ってみれば、曽祖父は朝鮮総督府で働いていたそうです。
今年の正月に、古いアルバムを見ていたら、ヨーロッパ風の官服を着た曾祖父の写真をみつけました。
また、曽祖父は日本語が流暢だったと言います。

朝鮮総督府で働いていても親日しなかった可能性もありますよね。
正直、あまりの衝撃に夜も眠れません。

気にせず、ありのまま客観的に回答してください。
親日派であれば本当に悲しいです…

カイカイ反応補足:朝鮮総督府に関する記事
韓国人「独立記念館にある朝鮮総督府の残骸を見てみよう」
韓国人「今の若者は知らない旧朝鮮総督府の全景及び内部の画像」

翻訳元:http://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=11&dirId=111001&docId=190587585


回答者1-1
それは分かりません。
独立運動家と親日派を明確にできない理由は、親日派のふりしながら独立運動をした人や、独立運動家のふりをした親日した人がいたからです。
実際、独立運動家が、他の独立運動家が親日派であることを知り、暗殺したこともあります。

また、朝鮮総督府の役人でありながら、朝鮮人の差別に抗議したり、憤慨したのなら、それは独立運動と言えるのではないでしょうか?言えませんかね?
実際にそんな人もいました。

このように曖昧な時代が日帝時代です。
朝鮮総督府で働き、ヨーロッパ風の服を着ていたとしても、親日派なのかどうかは分かりません。

大韓帝国時代にも爵位の称号を受ければ、ヨーロッパ風の服を着て写真を撮りました。
閔泳煥や高宗もこんな服を着て写真を撮っていたでしょう。
写真だけでは親日派の証拠とはなりません。

日本語が流暢だったと言っても、当時の日本語は第一外国語と同様であり、今で言うところの「ハロー」や「グッドモーニング」のような感じです。

唯一はっきりしていることは、「朝鮮総督府で働いていた」の一言だけです。
このことだけを持って親日派だとすれば、日帝時代に生きた人たちは、総督府に書類の提出、土地の登記、訴訟手続き、住民登録証の発行などを行っていましたから、親日派でない人はいないということになります。

ただし先祖の名前が李完用や宋秉ジュンという堂々と親日をした人であるのなら、それは親日派と言えます。

質問者の挨拶
本当に親切な回答ありがとうございました。



回答者1-2
はい。
朝鮮総督府は、日本による韓国強制的支配の温床です


回答者1-3
朝鮮総督部で働いていたとしても、無条件に親日派ということにはなりません。
ただ書類作業をした末端職員の可能性もありますからね。
しかし、高官であれば、親日派である可能性は非常に高いです。
総督府は朝鮮統治の最高指揮部として、出世するには親日をしなければなりません。
朝鮮総督府は朝鮮統治収奪の根源地なのです。

ただし、日本語を流暢に話した程度では親日派とは言えません。
当時は、日本語を話さなければ生活が不可能な社会でした。
創氏改名を親日と見ない理由はこれです。
親日もせず、ただ苦痛だけを受けて生きていた民衆も、創氏改名をして日本語を話さなければ生きられなかった時代です。
その時代に住んでいた方々は皆日本語が上手です。
私の亡くなった祖父も、田舎で農作業をする平凡な人でしたが、80歳を越えても日本語は上手に話していました。

高官なら親日である可能性はかなり高いです。
上の回答者が、潜入独立運動家の可能性について話していましたが、もちろんその可能性もあるかと思いますが、それを明らかにする方法はありません。

カイカイ補足:親日派とは、言葉こそ非常に単純なものですが、韓国国内におけるその取り扱いをめぐっての歴史は若干複雑です。以下にその一部をまとめてみました。



親日派を処罰しなければならない理由は何ですか?

質問者2-1
親日派を処断しなければならない明確な理由が思いつかないので質問させてください。
独立運動家は貧しい暮らしをし、親日派は国を売り飛ばし良い暮らしをしていた。
そんな漠然とした理由でしたが、今になって考えてみると、あまり論理性がないように思えます。
親日派を清算しなければならないのは当然のことだと思いますが、知人に聞いてみても、単に「当たり前だから」という返事しか返ってきません。
もう少し具体的で論理的な回答お願いします。

翻訳元:http://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=11&dirId=111001&docId=184658272
翻訳元:http://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=6&dirId=61401&docId=48273629


回答者2-1
日帝の手先となっていた親日派は、大韓帝国の歴史に存在してはならない人物でした。
特に親日派の中心人物であった李完用は、高宗に誓約書を書けと強要までした人物です。
強圧により国を奪われたことも悲しいですが、韓国を守るべき大臣が先頭に立って日帝の手先となったのです。


回答者2-2
親日派を処罰しなければならないのは当然です。
北朝鮮では既に、解放直後から親日派の清算を始め、それに成功しています。
しかし、韓国では、李承晩政府が親日派の清算を妨害し、水の泡と消えてしまいました。
親日派は個人の栄達のために祖国と民族を裏切った逆賊です。
それだけでも、十分処罰するに値します。
以上です。


回答者2-3
私が考える理由について述べます。
歴史とは、過ぎ去った事件の記録ではなく、歴史を通じて、後世に多くを生かそうというものです。
歴史を通じて学ぶことのない国は長続きしません。
親日派を処罰せず再登用するということは、女子高生を強姦した教師を再び教壇に立たせ、性教育を教えるようなものです。

国が苦しい時は奮然と立ち上がり、国を守らなければならない…このように子孫たちに教えなければなりませんが、もしそれを聞いた学生が、「独立運動家は貧乏でしたが、売国奴は子孫代々繁栄しています。なぜ国を守らねばならないのでしょうか?」と言ってきたら、果たして教師は何と返せばいいのでしょうか。

戦犯処罰をしていない国は韓国が唯一だと聞いています。
この理由は、親日派が親米派に継承されたためです。
解放後、意識ある人の多くが、米軍政を避けて北に行きました。
なぜ行ってしまったのでしょうか。
その理由は今も継続されています。
今この瞬間も。



親日派精算が適切に行われていない理由は?

質問者3-1
親日派精算が適切に行われていない理由は?

翻訳元:http://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=12&dirId=12093510&docId=182043135
翻訳元:http://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=11&dirId=11080102&docId=47717089


回答者3-1
親日派が清算されなかった理由は、米国の韓国占領とその後の政府樹立の過程で、親日派が権力を持ったことにあります。第二次大戦末期、ソ連と米国は日本の植民地だった韓半島について、北緯38度線を境に進出することとし、ソ連軍は38度線以北に進駐、米国は多少遅れて38度以南に進駐することになります。その後、ソ連と米国による韓半島信託統治が行われるようになります。

ソ連の場合、北朝鮮で自然発生的に生まれた政治組織を認め、それらの人が後に、北朝鮮を引き継ぎます。北朝鮮の政治権力を掌握したのは、抗日闘争をしていた人たち(抗日パルチザン)であり、権力掌握後、すぐに親日派を清算します。

一方、韓国は、日本が無条件降伏すると、建国準備委員会が作られ、大規模な親日派探しに乗り出しますが、米国は統治を容易にする目的で、建国準備委員会を解散させ、親日派を放置することになります。

親日派は、警察や行政組織によって米軍当局の保護を受けることになります。信託統治を終え、大韓民国政府が樹立された後は、国会で親日派清算のための反民特委(反民族行為特別調査委員会)が作られるも、李承晩率いる韓民党は、多数の親日派が掌握しており、既に警察と軍隊の90%程度を親日派や、過去に日本軍に服務した者で満たされていました。李承晩は、親日派を清算しようとする反民特委を強制的に解体してしまいます。

4.19革命以後、親日派清算についての議論はありましたが、その後まもなくして5.16クーデターが起きました。その主導人物は、日本軍士官学校出身の朴正煕でした。親日派の行跡を持つ朴正煕が親日派の清算をするはずがありません。また、解放後、親日派は反共産主義を主張し、政治や社会など、すべての要素を掌握していきました。このような社会的、政治的背景のため、韓国では親日派清算が行われませんでした。


回答者3-2
解放後、反民特委(反民族行為特別調査委員会)を通じ、民族の反逆者(親日派)を断罪しようとしましたが失敗しました。その後、反民族者に対する処置が何もなかっただけでなく、むしろ反民族者が愛国者に変身してしまったのです。これは、我が国の近現代史の悲劇です。
 
反民特委は、解放後、反民族者を処断することを目的とした、国会で組織された特別委員会でした。しかし、日帝反民族者の力が必要であった李承晩政権は、この組織を解体させ、反民族者たちを李承晩政権の庇護の下に置いただけでなく、日帝時代に受けた地位と業績をそのまま維持させました。
 
反民特委が解体され、その活動が失敗となったことで、我々社会に与えた影響及び、反民特委の解体事件の概要について説明します。
  1. 解放とともに、当然、報い受けなければならなかった反民族者(親日派)が、むしろ執権勢力となり、既得権となったことで、民族主義の挫折と断絶を経験します。
  2. 反民族者の業績と地位が維持されたことで、反民族者の親日清算が不可能となり、民族精気回復が困難となりました。
  3. 特に韓国史を歪曲捏造していた日帝総督府の歴史歪曲機関である朝鮮史編修会のメンバーであった李丙ド、申ソク鎬が、解放後、反民族者としての烙印を押された同じ朝鮮史編修会の崔南善を盾に、その成果と地位を維持してしまいました。そして、歪んだ日帝半島史観が今日まで注入されることになります。これにより、解放されてから60年が過ぎても、その歪曲された半島史観は継続されました。その結果、国民が否定的な歴史観と国家観を持つようになる不幸を招きます。

カイカイ反応補足:そして親日罪としてよく知られる、親日法につながります
親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法 - Wikipedia
親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法とは、大韓民国の法律の一つ。2005年にウリ党の崔龍圭、民主労働党の魯會燦など与野党169人の議員が国会に提出し、12月8日に可決、同月29日に公布された。大韓民国大統領直属の国家機関として親日反民族行為者財産調査委員会を設置し親日であった反民族行為者の財産を選定して国家に帰属することとしている。通称、親日法。

法の目的
この特別法の目的は盧武鉉政権が押し進める過去清算の一環であり、「日本帝国主義の殖民統治に協力し、わが民族を弾圧した反民族行為者が、その当時、蓄財した財産を国家の所有とすることで、正義を具現し、民族精気を打ち立てることを目的とする」(第一条、目的)とされる。




北朝鮮では、いつから日帝残滓清算運動が起こったのでしょうか?

質問者4-1
北朝鮮で日帝残滓の清算運動が起きたきっかけと、その時期について知りたいです。

翻訳元:http://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=11&dirId=111001&docId=62963855


回答者4-1
我々の目には、北朝鮮が親日派を清算したように見えますが、厳密には、北朝鮮は親日派清算をしませんでした。
まず、金日成が戦功をあげたとされる普天堡の戦いでさえも、真意が不明なのが実状でしょう。
また、金日成の実弟である金英柱は、元日本軍の将校だったし、尹公欽も親日派でした。
そして、金日成の母方の叔父である康盤石も日帝時代に親日派でした。
金日成が日帝末期、独立運動家として名声を轟かせたのが、朴正煕時代の反共教育を抜きにしても論議の的ですが、一家が親日をしていた記録を見ると、金日成が独立運動家としての名を馳せたのは嘘である可能性が高いと言えます。
とにかく、金日成は、必要な時に親日派を使い、後なって必要がなくなれば粛清したと言います。
つまり、金日成の複数の側近たちは親日派だったので、北朝鮮は親日派清算をしていなかったと言えます。


回答者4-2
北朝鮮の日帝残滓清算の動きは、日帝強占期にまでさかのぼります。
主に満州地域で活動していた独立運動系列がこれに属します。 
これらは左派、あるいは社会主義者であり、主に中国やソ連の影響を多く受けました。
 
解放直後、これらはソ連の信託陣営に編入され活動しました。
これがいわゆる北朝鮮です。
彼らは徹底的に親日派を掃討しました。
だから、北朝鮮は韓国と違い、親日派が根絶されたと見ても構いません。

この最大の理由は、ソ連の信託ポリシーでした。
米国とは異なり、ソ連は北朝鮮の自治権を認めました。
しかし、米国は、軍政を立て、直接統治をするようになり、このおかげで、日帝強占期に活動した人たちが必要となってしまったのです。
北朝鮮の日帝残滓清算運動の主導的な人物は、北朝鮮の首脳部が挙げられます。
金日成、金策、朴憲永などがいます。

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