ka-207309

韓国版Yahoo知恵袋の「NAVER知識in」から、「日本が強大国となった決定的なきっかけは何ですか?」という質問に対する回答を翻訳してみました。

質問者
世界的に見れば、日本は韓国よりたくさん知られているじゃないですか。
韓国と比較して、歴史的に日本が強大国になった決定的な契機は何でしょうか?

翻訳元:http://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=11&dirId=111002&docId=189283443


回答者1
明治維新です



回答者2
日本が大国になった契機は大きく分けて二つあります。

1. 明治維新
日本は米国の圧力で強制的に開港し、1868年に幕府体制を崩し、明治維新を成し遂げられ、アジアで最初の近代化に成功します。以降、軍事力を育て、韓国をはじめとする周辺諸国を侵略していきます。

2. 韓国戦争
第二次世界大戦で敗北した日本は、米国の原子爆弾を受け再起不能な状態にまで陥ります。しかし、それから5年後、海を渡った韓半島で勃発した韓国戦争により、日本は大きな好況を享受することになります。米国は韓国から最も近い日本から、軍事物資を購入したため、日本は韓国戦争で莫大な利益を得ます。この時稼いだお金は、戦争で荒廃した地の復旧に当てられ、それにより完全なる復興を遂げます。その後も着実に成長を続け1970年代には、米国に次ぐ世界で二番目の豊かな国となります。要するに全て韓国戦争のおかげということです。

以上となります。それでは回答の採用(ベストアンサー)お願いします。



回答者3
日本が文明開化論の明治維新を軸としてアジアで最初の先進国になったのは確かですが、本格的に超大国になったのは第一次世界大戦からではないでしょうか。



回答者4
日本は倭という国号を使っていた時代から、中国や韓国になんと2000年以上も泣きついていました。
「文化を教えてください…シクシク」「お米をください…シクシク」「交易してください…シクシク」

過去に一度、朝鮮と中国という資金援助者に対し、狂った行動(壬辰倭乱)に出たことを除けば、東アジアで最も劣悪な産業と文化を持つ国でした。

そんな国が、かつて強大国とみなされていた理由はいくつかあります。

1. 開港をさせたのがよりによって米国だったこと
ペリー提督の黒船艦隊により開港となったのは有名な話ですが、当時、米国が南北戦争中だったことはあまり知られていません。つまり、開港はさせたが植民地化するだけの余力はなかったということです。

2. ロシアが極東南進政策を推進したこと
ロシアの南進政策は、不凍港と関連して、国策事業のような伝統的な路線でした。帝国主義時代は、海洋進出が必須だったので、ロシアはそこに力を入れていたし、海洋の既得権を持つ英国はそれを防ぐことを重要な外交戦略としていました。
清から沿海州の支配権を認められたロシアは、これを基盤として、アジアで南進政策を推進しようとしましたが、それを阻止すべく英国と米国がロシアの前に立ちふさがります。英米はロシア阻止の一環として最近開花を始めた極東の日本を利用する計画を立てます。そして日本を前線基地とするために莫大な支援をします。つまり、ロシアがなければ、英国と米国の支援はもちろん、日本は植民地となる公算が大きかったと言えます。
実際に、日露戦争当時、精密工作機械と原油を100%支援し、日本の戦費に使用した20億円にのぼる資金のうち、60%にもなる12億円の国債を購入したのも英国と米国でした。当時、日本の国家予算は2億円でした。つまり、日本は英国と米国が国債を購入してくれなければ戦争することはありませんでした。もっとも、戦争に勝利したと言っても、死傷者数は、日本の方が2倍多かったというのが実状ですが。

3. 日露戦争の勝利で列強として認められたこと
第二次世界大戦まで日本は、米国と英国の支援に依存していました。精密工作機械、技術、人材、鉄、原油などほとんどの資源を彼らに依存していました。
実際、零戦は、英国の設計図面をもとに、米国の工作機械を使い、英国の技術者の指導の下、英国のボーキサイト等の希少資源で作られ、米国の石油で運用されました。このような状況でありながら、第二次世界大戦で、それら資金援助者を敵対視したことを見れば、それは日本の種族特性と言わざるを得ません。
日露戦争が制限的な局地戦でしたが、日本はこの傷だらけの勝利を持って列強であることを宣言します。つまり、この列強の称号は、ロシア阻止を掲げた日本の戦略的獲得事例と言えます。

4. 第二次大戦後、ソ連ではなく米国に占領されたこと
物量で到底相手にはなりませんでしたが、神風や玉砕など狂気の沙汰で攻めてくる日本に、米国も相当な被害を被ることになります。血を流して占領しただけに、米国は日本をドイツのように分割する気はありませんでした。

5. 朝鮮戦争とベトナム戦争の勃発
第二次世界大戦でボロボロになった日本を復活させたのは、他ならぬ共産主義者たちでした。米国にとっても、本国からの輸送距離を考えれば、再び日本を戦略物資の生産基地とする他ありませんでした。なぜなら、日本の産業施設は焦土化されていましたが、それでも日本以外の国で、まともなインフラを持つ国がなかったからです。実際、韓国には1970年代までコピー機は一台もありませんでした。

以上です。



回答者5(採用された回答)
まず、地理的観点から説明しますと、日本はアジアの中で最も東の端に位置し、陸地を中心とすれば辺境の地になります。しかし、海洋を中心とすれば世界各国の文化をすぐに受け入れることができるため中心国となったりもします。
これに加えて、島国という特性から、外勢の侵略に対し必然的に保護が容易でした。実際、米国の第二次世界大戦の爆撃以外で、本土が外部勢力から侵略を受けたことはありません。さらに文物においても、西洋文物だけでなく、中国、韓国からの大陸文化等が入り、文化の伝播者ではなく需要者として役割を持ち、独特の文化を維持・発展させていくことができました。
そして、政治的な理由は、明治維新が挙げられます。地理的な理由で、西洋世界から最も早く文物を受け入れた結果、既存の地方武士勢力が力をつけ、江戸幕府の旧制度に抵抗を始めることになります。中でも幕府から最も疎外されていた薩摩藩と長州藩が連合し、最終的に江戸幕府を崩壊させ、鎌倉幕府以来、操り人形に過ぎなかった日本の王の存在を自分たちの勢力成長のイデオロギーに利用しました。
そして、坂本龍馬や福沢諭吉のような西洋の文物を受け入れることを積極的に奨励した人が、日本の進むべき道を提示し、脱亜入欧(アジアを脱してヨーロッパと肩を並べること)を積極的に推進し模倣することで成長を遂げ、今日の先進国に至っています。


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