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韓国のネット掲示板に「1964年、韓日会談反対デモ当時のソウルの風景」というスレッドが立っていたのでご紹介。

1. 韓国人(スレ主)

1964年6月3日、学生たちの間で、韓日会談に反対する大規模デモが起きた。
その規模は、4.19革命に匹敵するほどで、発足してわずか1年足らずの朴正煕大統領の第三共和国が根底から揺らぐほど激しいものであった。

デモは、1965年の韓日協定が結ばれるその時まで続いたが、第三共和国は日本との協定を無事締結し、さらなる基盤を固めた。

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現在はこのデモについて、他の学生運動や市民運動と比べて、相対的に忘れられてきているが、6.3集会に参加した若者は、6.3世代と呼ばれるほど、当時では大きなインパクトがあった。

彼らは、その後、政財界で大韓民国を主導していくことになる。
我々が知る、李明博大統領もその一人だ。

今日の視点で見れば、韓日国交正常化は必ず必要なものであり、当時の韓国の学生たちの反対闘争は、無謀で且つ分別がないように見えるかもしれないが、よく考えてみて欲しい。
植民地から解放されてわずか20年足らずで、その支配国であった国と再び国交を正常化しようとしているのだから当然の行動であったと言えるのではないだろうか。
もし、反対デモが行われないのであれば、世界の人たちは、その国の国民を抜け殻と見ていたであろう。

韓日会談に対する国民の激しい反対は、最終的に、韓日協定で、韓国政府が予定していたよりも多くの利益を得る助けとなった。

翻訳元:http://www.ilbe.com/3620174401


2. 韓国人
貴重な写真をありがとう


3. 韓国人
結果がどうあれ、当時の人達があのような反応を見せることは、別におかしなことではないだろう
朴正煕大統領も、どうしようもなくなって、日本との国交正常化交渉を始めたわけであって…
植民地支配国家に対して良い感情を持つはずがない


4. 韓国人
まさに指導者の力量だ
今の政治家とは次元が違う
明らかに悪口を食らうことを分かりながらも、祖国のために決断する(泣)


5. 韓国人
李明博の若いころカッコイイ


6. 韓国人
最後の画像の真ん中にいるのは、李明博ではないか?
カイカイ補足:来歴|李明博 - Wikipedia
1963年、高麗大学校商学部学生会長になった翌年に同大学校総学生会長代行となる。その当時学生による民主化運動はピークに達し日韓会談に対する抗議活動も非常に活発であった。1964年6月、朴正煕政権下の日韓基本条約締結に向けての日韓会談に対して、約1万2千人参加の反対闘争を主導し第6次日韓会談を中止させる(6・3事態)。これにより国家内乱扇動の容疑で逮捕され、最高裁で懲役3年・執行猶予5年(西大門刑務所に3ヶ月服役)の判決を受けた。このような経緯で彼は「民主化の一世代」とも言われるようになった。


7. 韓国人
>>6
その通り


8. 韓国人
朴正煕も李明博も偉大な人物である


9. 韓国人
李明博が日本生まれというのは事実なのか?
浦項ではないか?


10. 韓国人
>>9
出生地は日本だ
光復直後に韓国に戻ってきたと聞いている
カイカイ補足:来歴|李明博 - Wikipedia
1941年、慶尚北道浦項出身の李忠雨を父親、蔡太元を母親とし、四男三女の三男(第五子)として大阪府中河内郡加美村(その後の大阪市東住吉区、現在の大阪市平野区加美南3丁目)の「島田牧場」の社宅に生まれる。李忠雨は1929年から島田牧場で働いていたが、終戦直後の1945年10月に一家は密航船に乗って、父親の故郷である浦項へ引き揚げた。


11. 韓国人
>>9
大阪生まれ


12. 韓国人
2番目の写真カッコイイね


13. 韓国人
近視眼的で感情的な若者たちと、国家の未来を広い視野で見なければならない指導者
それぞれ、見ていた景色が違ったのだろう
当時の若者も、その後、大人になって韓日会談の必要性を認めたことだろうね


14. 韓国人
当時、戒厳令を宣言したんじゃなかったっけ?
デモに戒厳令とか、正直オーバーだったのでは?


15. 韓国人
>>14
あの時代は、北韓の武装ゲリラやスパイが、国家転覆を企てていた時代だ
あのようなデモは、確実に鎮圧しなければならなかった
当時の北韓は、韓国よりも強く、それだけスパイも多かった


16. 韓国人
教科書には、韓日協定について、不当で且つ屈辱的な会談であったかのように描写されているが、この点については、今後、必ず訂正していかねばならない
元手がなく、日本から無償支援や借款を受けたことで成長することができたのだ
そのような事実を無視し、ただ日本から謝罪を受けていないと強調するのは大きな間違いである
むしろ、韓日協定やベトナム派兵などに対し、リソースを提供した朴正煕大統領の先見の明を賞賛する記述がなければならない


17. 韓国人
もし、あのデモ隊の言う通りにしていたら、今日の韓国の発展はなかった
未開国家のままで、何を主張しようとも日本に外交的打撃を与えることはできなかった
しかし、今は、日本も韓国を無視できないほど大きくなった
これも全て朴正煕大統領のおかげである


18. 韓国人
植民地時代に受けた搾取と強奪
箸やスプーンまでもが日本に奪われた
そんな侮辱を受けていた時代から、20年も経っていないのだから、当然あのような反応を示すだろう
むしろ、あのようなデモがなければ、日本との交渉を有利に進めることはできなかった


19. 韓国人
あのデモは、背後で政府が糸を引いていたと聞いていたが?
日本から提示された金額があまりに少なかったため、デモを煽ってプレッシャーをかけたと理解していたが?
過去に、金鍾泌がそんな話をしていなかったか?
カイカイ補足:金鍾泌 - Wikipedia
金鍾泌は、大韓民国の政治家。1962年、日本の大平正芳外相との会談で、韓国側の対日請求権を「無償3億ドル、有償2億ドルおよび民間信用供与」を提供する経済協力方式で合意に至る。


20. 韓国人
>>19
それはベトナム派兵だろ
米国から派兵の要請を受けると、朴正煕は野党に「反対せよ」と指示
そして、米国には、反対が激しいから、その程度の金額ではできないと演技して、金を最大限に引き上げた


21. 韓国人
結果的に韓日協定は必要だった
しかし、その当時の人が反対する気持ちも十分に理解できる


22. 韓国人
>>21
リアル


23. 韓国人
国交正常化は当然のこと
あのデモも当然のことだ


24. 韓国人
ところで、あの時に受けた補償が、今の慰安婦問題の足かせになっているのはないか?
もちろん、あの補償金で浦項製鉄製鉄(ポスコ)が作られ、経済発展に貢献したのは事実ではあるが…
カイカイ補足:ポスコ - Wikipedia
1973年、日韓基本条約に伴う対日請求権資金などによる資本導入 と、八幡製鐵及び富士製鐵(両社は1970年に合併し新日本製鐵となった後、住友金属工業とも合併し現在は新日鐵住金)と日本鋼管(現在のJFEスチールとなる)の3社からの技術導入により、慶尚北道浦項市に国営の浦項総合製鉄所第一期設備を建設した。


25. 韓国人
>>24
リアル


26. 韓国人
正直、あの時で補償は終わっている
それでも、「正式に謝罪してないよ!」とするのは、あまりにも歪んでいる


27. 韓国人
全世界の列強の中で、唯一植民地賠償をした国が日本だが、朝鮮人たちはさらにむしり取ろうとデモを実施中


28. 韓国人
国交正常化した後も、80年代まで、50億ドルの借款を受けた
3億ドルの賠償金よりもはるか巨大な規模だ
それは借款なので論外とか言うやつは、コスダックのゴミ株に全財産投資してみろ(笑)
カイカイ補足:KOSDAQ - ウィキペディア
KOSDAQは1996年に設立された韓国の証券市場。先端技術株中心であるナスダック(NASDAQ)市場にならってつくられたもので韓国証券取引所とは別の市場。中小企業やベンチャー企業たちが市場で事業資金をより円滑に調逹できるようにするためにつくられた。


29. 韓国人
ああしたのが本当に指導者であって
全国民の抵抗は当然のことだが、それでも日帝の痛みを越えようとする指導者の決断…


30. 韓国人
写真の中の建物のほとんどが、日帝時代に建てられたものというのが罠(泣)


31. 韓国人
あの協定のおかげで、日本と経済交流ができ、経済発展が始まっった


32. 韓国人
韓国にとっては必要なことであったが、本当に屈辱的な状況ではあった


33. 韓国人
デモは感情が先んじて起こったものであり、朴正煕大統領は、感情ではなく実利を取った
その決断により、今の韓国がある


34. 韓国人
50年代~60年代のヘアスタイルの方が、70年代~90年代よりもいいね
特に、90年代のヘアスタイルは最悪だ


35. 韓国人
デモに年寄りが全然いないね
10代か、いっていても30代程度か?
1945年に解放されたので、日本の植民地時代を生きたことがないやつが大半であり、韓日協定が、不平等条約であると思っていたようだ
65年の韓日会談がなければ、我らが誇る朴正煕の業績である、京釜高速道路、浦項製鉄所も今のようにはなっていなかったであろう
これは100%断言する


36. 韓国人
>>35
その金で、浦項製鉄が作られたわけだからな


37. 韓国人
正直、韓日外交正常化の際に受け取った金額はすごく安かったと思う
その点については、左派の意見に絶対的に同意する


38. 韓国人
韓日会談は、明と暗が分かれる
当時に得たお金で、浦項製鉄などを作り、経済開発をすることができたが、反面、植民地時代に日本が犯した悪事に対する補償は全て放棄してしまった
俺は、この協定が韓国にとって、あまりにも不利なものであったと見ている


39. 韓国人
>>38
不利だとするのは、慰安婦のことと、賠償額を引き上げられなかったことだろ?
しかし、この二つは日本が受け入れることのできない条件だった
そこで意地を張れば、一生、貧困の中で生きていくことになったが?


40. 韓国人
>>39
お前のように考える人もいるだろう
しかし、俺は、結果的にいくら良かったとしても、日本の謝罪なしに韓日協定を締結してしまったことには問題があると見ている
受け取った金額が少ないことだけでなく、その名目も、植民地の賠償金ではなく、独立祝賀金というものであった
独島問題も解決できず、日本にある韓国の文化財はもちろん、人的被害なども、全て放棄してしまった情けない協定だったと思う
まあ、そういう意味でも、韓日協定は「明と暗が分かる」ということだから、君の意見も尊重する
同意はできないが


41. 韓国人
>>40
謝罪はたくさんしたが?
日本首相が来る度に謝罪をした
しかし、理由は分からないが、2000年代以降、その謝罪はなくなった
個人的に思うこととしては、いくら謝罪をしても、謝罪していないと言われるからしなくなったのではないかと思う


42. 韓国人
>>41
それは謝罪ではない
20世紀に、日本の韓半島侵略の過程で、真っ先に奪われた韓国の領土が独島だが、日本は韓国が解放された時から、独島を日本領土だと主張している
これが前提とされているのに何が謝罪なのか?
謝罪を1000万回したとしても、その真正性は感じられない
日本は、いまだ真の謝罪をしたことは一度もない


43. 韓国人
>>42
橋本龍太郎は慰安婦にも賠償をしようとした
女性のためのアジア平和国民基金という団体を設立し、国家主導の下で賠償をしようとした
しかし、アジアの平和国民基金という団体が国の団体ではなく、民間団体という理由で韓国の市民団体が拒絶したのだ
日本の官庁がサポートする団体であったにも関わらずだ
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ソース:https://www.facebook.com/photo.php?fbid=601334703289856&set=a.601334749956518.1073741829.100002399952196&type=1


44. 韓国人
>>42
歴代首相謝罪発言
1984年9月7日 - 中曽根康弘首相
「貴国および貴国民に多大な困難をもたらした」「深い遺憾の念を覚える」

1990年4月18日 - 中山太郎外務大臣
「自分の意思ではなしに、当時の日本政府の意思によってサハリンに強制移住をさせられ就労させられた方々が、戦争の終結とともにかつての祖国に帰れずに、そのまま現地にとどまって暮さざるを得なかったという一つのこの悲劇は、まことにこの方々に対して日本としても心から済まなかったという気持ちを持っております。」

1990年5月24日 - 今上天皇
「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません。」

1990年5月25日 - 海部俊樹首相
「私は、大統領閣下をお迎えしたこの機会に、過去の一時期、朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて謙虚に反省し、率直にお詫びの気持を申し述べたいと存じます。」

1992年1月16日 - 宮澤喜一首相
「私たち日本国民は、まずなによりも、過去の一時期、貴国国民が我が国の行為によって耐え難い苦しみと悲しみを体験された事実を想起し、反省する気持ちを忘ないようにしなければなりません。私は、総理として改めて貴国国民に対して反省とお詫びの気持ちを申し述べたいと思います。」

1992年1月17日 - 宮澤喜一首相
「我が国と貴国との関係で忘れてはならないのは、数千年にわたる交流のなかで、歴史上の一時期に、我が国が加害者であり、貴国がその被害者だったという事実であります。私は、この間、朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことについて、ここに改めて、心からの反省の意とお詫びの気持ちを表明いたします。最近、いわゆる従軍慰安婦の問題が取り上げられていますが、私は、このようなことは実に心の痛むことであり、誠に申し訳なく思っております。」

1992年7月6日 - 加藤紘一内閣官房長官
「政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。」

1993年8月4日 - 河野洋平内閣官房長官
「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」

1993年8月23日 - 細川護煕首相
「それから四十八年を経て我が国は今や世界で有数の繁栄と平和を享受する国となることができました。それはさきの大戦でのたっとい犠牲の上に築かれたものであり、先輩世代の皆様方の御功績のたまものであったことを決して忘れてはならないと思います。我々はこの機会に世界に向かって過去の歴史への反省と新たな決意を明確にすることが肝要であると考えます。まずはこの場をかりて、過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とおわびの気持ちを申し述べる」

1993年9月24日 - 細川護煕首相
「私が侵略戦争、侵略行為という表現を用いましたのは、過去の我が国の行為が多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたとの同一の認識を率直に述べたものでございまして、改めて深い反省とおわびの気持ちを表明したものでございます。」

1994年8月31日 - 村山富市首相
「我が国が過去の一時期に行った行為は、国民に多くの犠牲をもたらしたばかりでなく、アジアの近隣諸国等の人々に、いまなお癒しがたい傷痕を残しています。私は、我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ちに立って、不戦の決意の下、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくことが、これからの日本の歩むべき進路であると考えます。我が国は、アジアの近隣諸国等との関係の歴史を直視しなければなりません。日本国民と近隣諸国民が手を携えてアジア・太平洋の未来をひらくには、お互いの痛みを克服して構築される相互理解と相互信頼という不動の土台が不可欠です…いわゆる従軍慰安婦問題は、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います。我が国としては、このような問題も含め、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、関係諸国等との相互理解の一層の増進に努めることが、我が国のお詫びと反省の気持ちを表すことになると考えており、本計画は、このような気持ちを踏まえたものであります。」

1995年6月9日 - 衆議院決議
「また、世界の近代史における数々の植民地支配や侵略行為に想いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民とくにアジア諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。」

1995年7月 - 村山富市首相
「いわゆる従軍慰安婦の問題もそのひとつです。この問題は、旧日本軍が関与して多くの女性の名誉と尊厳を深く傷つけたものであり、とうてい許されるものではありません。私は、従軍慰安婦として心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対して、深くおわびを申し上げたいと思います。」

1995年8月15日 - 村山富市首相
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。」

1996年6月23日 - 橋本龍太郎首相
「例えば創氏改名といったこと。我々が全く学校の教育の中では知ることのなかったことでありましたし、そうしたことがいかに多くのお国の方々の心を傷つけたかは想像に余りあるものがあります…また、今、従軍慰安婦の問題に触れられましたが、私はこの問題ほど女性の名誉と尊厳を傷つけた 問題はないと思います。そして、心からおわびと反省の言葉を申し上げたいと思います。」

1996年10月8日 - 今上天皇
「一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております。」

ソース:http://gall.dcinside.com/board/view/?id=arm&no=219349


45. 韓国人
>>44
ソースがファイスブックとDCインサイドって…
とにかく、お前が示した文章のどこにも、独島が韓国の領土であると認める内容はない
日本の首相が韓国に積極的に謝罪したのは俺も知っている
しかし、その誰もが、独島が韓国領土であることを認めていないため、真の謝罪と言うには足りないと言っているのだ
関連書籍:竹島問題100問100答


46. 韓国人
>>45
領土問題はそんなに簡単な問題ではない
日本は釣魚島と北方4島を今も自分たちの領土であると主張している
そして、我々の独島は、国際司法裁判所に行けば、敗北する可能性のある論理的な脆弱性を持っている
それらをもって、日本全体を悪く言うことはできないだろう
歴代政権の中で、朴槿恵が最も日本に強硬だ
俺は、このような外交政策は、何ら役に立たないことだと思う
日本は独島に大きな未練はない
単に政治的に利用しているだけであって
日本をうまくなだめて、実利を取るのが最も適切な行動だ
朴正煕、全斗煥、盧泰愚、そして李明博政権の初期もそうしていた
しかし、李明博政権末期から、今の朴槿恵政権まで、日本を非難し続け、敵としているという…


47. 韓国人
参考までに1961年4月、韓日国交首脳会談当時、日本側は植民地被害者個人に対して、日本政府が直接補償をするという提案をしていたが、当時の韓国政府は、日本側の提案を拒否し、賠償額を大韓民国政府に支払うことを要求していた
カイカイ補足:条約交渉の経緯|日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約 - Wikipedia
韓国が日韓交渉中に主張した対日債権(韓国人となった朝鮮人の日本軍人軍属、官吏の未払い給与、恩給、その他接収財産など)に対して日本政府は、「韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行う」と提案したが、韓国政府は「個人への補償は韓国政府が行うので日本は韓国政府へ一括して支払って欲しい」とし、現金合計21億ドルと各種現物返還を請求した。


48. 韓国人
そのとき得たお金で、高速道路を敷き、ポスコを建て、各種インフラを構築した
そのおかげで、我々はこれだけの発展を遂げることができたのだ
それとも、金が少ないからと、何十年も待ち続けていた方が良かったというのか?
朴正煕の決断は正しかった
発展を遂げた大韓民国がそれを証明している
関連書籍:朴正煕、最後の一日―韓国の歴史を変えた銃声

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