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韓国版ヤフー知恵袋のネイバー知識人から、「ソウル大学は日帝残滓と見ることもできますか?」という質問に対する回答を翻訳してみました。

質問者
京城帝国大学が今のソウル大になったことは、よく知られていることですよね。
最近、韓日の歴史について、積極的に情報収集をしているのですが、その中で、日本が我が国の植民地化を正当化していることや、これまで間違って理解していたこと、知らなかった事実などを新たに知ることができました。
私は、深く反省し、明治時代以前から現在に至るまで、我々がよく利用する物や、よく出入りする建物、よく歩く道、よく見かけるブランドなど、日本残滓がどの程度あるのかを調査することにしました。
調査の過程で、非常に心苦しい事実にもたくさん触れ、これ以上の調査は意味がないだろうと結論づけました。
もし、そこに意味を付与すれば、私の反日感情は、深刻なレベルまで高まり、愛国心をも越えてしまうだろうと思ったからです。
今は、何とか精神を落ち着かせているところです。
とにかく、京城帝国大学だけ見ても、悲惨な歴史が存在しますが、現在のソウル大学は、日本の残滓として見るべきなのでしょうか?
それとも、当時のやむを得ない事情により、維持統合されたと見るべきなのでしょうか?
率直、且つ、客観的な意見をお願いします。
カイカイ補足:京城帝国大学 - Wikipedia
京城帝国大学は、1924年(大正13年)に日本としては6番目の帝国大学として、日本統治下の朝鮮の京畿道京城府(現:ソウル特別市)に設立された朝鮮唯一の旧制大学。内地の帝国大学が文部省管轄であったのに対し、城大は朝鮮総督府管轄だった。一般的にはソウル大学校の前身として認知されている。

翻訳元:http://kin.naver.com/qna/detail.nhn?d1id=11&dirId=111001&docId=204756168


回答者1
京城帝国大学が、ソウル大学の全身と見ることもできます
設立の基礎になったことは否定できません



回答者2
日本式の建物をそのまま使っただけで、日帝残滓とするには少し無理がありますね。
日本式の建物を使用したことにより、親日的な思想を持つことなど、ほぼありえません。
ソウル大は、韓国初の国立大学ですが、光復直後の財政状態で、新しい大学を建設する余裕があったと思いますか?
また、米軍政期に親日派をそのまま上級職に起用した李承晩政府が誕生していた状況では、大学校舎を建設する以前に、他に解決しなければならない問題が山積していました。
ソウル大を日帝残滓とするのであれば、少なくとも京城帝国大学の親日精神を受け継いでいなければなりません。
しかし、実際には、そのような精神を受け継いだ人はいませんよね。



回答者3
質問者も回答者も何を言っているのか?
今のソウル大学の建物は、朴正煕がデモ対策で、冠岳山に強制的に移住させ、再び建てた建物だろ。
カイカイ補足:キャンパス|ソウル大学 - Wikipedia
ソウル大学校は、ソウル特別市冠岳区新林洞にある冠岳キャンパスと、同市鍾路区蓮建洞にある蓮建キャンパスによって成り立っている。以前は、旧・京城帝国大学が創立された鍾路区大学路(文理科大学、法科大学、美術大学)、外に鍾路区蓮建洞(医科大学、歯科大学、薬学大学)、蘆原区孔陵洞(工科大学)、城北区鍾岩洞(商科大学)、中区乙支路5街(師範大学)、中区南山洞(音楽大学)、京畿道水原市(農業大学、獣医科大学)に立地していたが、1975年にソウル大学校総合化計画の名の基、ソウル大学の学生と他の大学との政争による闘争過激化により国立であるソウル大学校を強制移転することになった。
カイカイ補足:現在の旧京城帝国大学の校舎
旧京城帝国大学本館
日本統治時代の1931年に建てられた旧京城帝国大学本館。戦後はソウル大本館として継承され、大学移転後は韓国文化芸術振興院庁舎として使用されている。
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旧京城帝国大学医学部附属病院
1908年に建設されたもので、1910年に朝鮮総督府医院を経て、1928年に京城帝国大学医学部附属病院となる。終戦後は、ソウル大学医科部附属病院となり、現在は、医学博物館として使用されている。
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回答者4
ネイバーでソウル大学を検索してみると、京城帝国大学との関係を断絶しようと努力した痕跡を見ることができます。
しかし、日帝時代の京城帝国大学の朝鮮人教授の大半は、そのままソウル大学の教授になっており、彼らが日本帝国主義的な妄想に捕らわれた多数の日本人教授たちの弟子であったことは、否定できない事実だと思います。



回答者5
ソウル大は、建物だけ京城帝国大学の建物を使ったのであり、京城帝国大学が名前を変えてソウル大になったわけではありません。
建物を使っただけで日帝残滓とするには弱いのではないかと思います。



回答者6
我が国に大学が初めて設立された時は、1920年でした。
その前に知っておくべきことがあります。
1910年から1919年の3.1運動が始まる前までは、日本は無慈悲な弾圧で韓国を支配しており、まともな教育を受けることは夢のまた夢というのが実情でした。
しかし、3.1運動を契機に、日本の統治方式が武断統治から文化統治に切り替わります。
それと同時に、普通学校の教育年度も増え、韓国語の授業を行うなどして、朝鮮人から植民地支配に対する否定的な認識をなくし、再び3.1運動のような事件が起きないよう懐柔防止策を敷きます。
そして、その時代の統治制度を利用し、朝鮮の知識人たちは、朝鮮民立大学の設立運動を繰り広げます。
しかし、これは日本の妨害と資金不足により、失敗に終わってしまいます。
当時の時代背景で見れば、韓国が自力で大学を設立することは、金銭的な面や日本の妨害を考えれば不可能でした。
それでも、大学は必要だったので、日本は京城帝国大学、すなわち今のソウル大学を建てました(朝鮮人よりも、日本人が多く進学)。
一言で、朝鮮で暮らす日本人のための大学でした。
ゆえに、日帝残滓と言えば、若干そのような面はあるかもしれません。
しかし、いくら過去にそういう経緯があろうとも、今は、親日派や日本人だけのための大学ではないでしょう?(笑)



回答者7(ベストアンサー)
多くの人が、京城帝国大学=ソウル大学だと思っていて非常に残念です。
その当時の教職員や学生たちの努力を無視して、むしろ親日派と罵倒しているようにも見えます。
光復を迎えた翌日の1945年8月16日に、京城帝国大学に勤務していた韓国人教職員は、校名から「帝国」を削除し、「京城大学自治委員会」を構成しました。
その委員会は、学生とともに、その当時の総長(山家信次)から、学校運営に対する全ての権限を取得しています。
1945年8月17日には、学校の本館に太極旗を掲揚しており、京城帝国大学という表札板の「帝国」という文字を紙で覆い、「京城大学」と見えるようにしました。
1946年には、米軍政から「国立ソウル大学設立に関する法令」を頒布し、複数の高等教育機関を統合します。
この法令に列挙された学校は以下の通りです。
京城医学専門学校、京城法学専門学校、京城歯科医学専門学校、京城工業専門学校、京城鉱山専門学校、水原農林専門学校、京城経済専門学校、京城師範学校、京城女子師範学校
ここに、京城帝国大学の名前がありますか?
ありませんよね?
それでは、「国立ソウル大学設立に関する法令」に列挙された各大学について見てみましょう。
京城法学専門学校は1895年に設立された裁判官養成所が前身であり、裁判官養成所の第一期卒業生がハーグ密使として有名なイ・ジュン烈士です。
京城医学専門学校も、高宗皇帝が発布した医学教官制に従って設立され、医学校を継承しました。
一方、京城帝国大学については、学生のほとんどが日本人であり、教職員も日本人が大多数でした。
従って、上記の法令が発布されると、京城帝国大学出身者は、京城帝国大学がソウル大学と同じ学校であるとは思っていませんでした。
むしろ、北韓の金日成総合大学が、京城帝国大学の学風を継続させたと見る方が正しいです。
金日成総合大学は、京城帝国大学出身のマルクス主義と日本帝国大学儒学者、満州建国大学の卒業生を中心に設立されました。
また、学校の組織やカリキュラムも京城帝国大学と同様でした(医学部以外にも予科と本科を区別)。
単純に類型的な部分である建物を、日本が作ったからとして日帝の残滓だとするのであれば、京仁、京釜線、京義線などは、すべて日帝残滓となるのですか?
殻に過ぎない建物を見るのではなく、学風や組織、カリキュラムなどを見なければならないと思います。

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