honda

韓国のネット掲示板に「Hondaと本田宗一郎について調べてみよう」というスレッドが立っていたのでご紹介。

1. 韓国人(スレ主)

アンニョンイルベ民。
今回は、車やバイクで有名なホンダ(Honda)について調べてみたいと思う。
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俺が就職準備をしている時、最も多く聞いた起業家の名前は、パナソニックの松下幸之助とホンダの本田宗一郎だ。特に、本田宗一郎は大学生時代、経営に関する授業で最初に名前が出た人物でもある。それだけ日本でも認められている起業家だ。

ここでは、その本田宗一郎のことを中心に書いてみようと思う。

日本信者ではないが、日本が嫌いなイルベ民からの非難は甘んじて受ける。
それでは始める。


1.ホンダの正式名称は、本田技研工業

一体、ホンダが何を作っている会社なのかよく分からないイルベ民は下の映像を見てくれ。
俺がホンダの説明会に行った時に見た映像だが、センス良く作られていると思う。



映像を見たイルベ民は分かると思うが、ホンダは自動車とバイク以外にも、耕運機、除雪機、発電機、ロボット、小型ジェット機などを作っている会社だ。

トヨタとは異なり、様々な分野の製品を作っている。
バイクと小型汎用エンジンは、世界シェア1位だったりもする。

気づいたイルベ民もいるかもしれないが、社名でもあるホンダとは、創業者である本田宗一郎(以下、宗一郎)の姓を取ってつけられた。

本社は東京都港区にあり、従業員は全世界で20万4000人程度いる。

これがホンダの本社だ。
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この建物の構造に関して、あるエピソードがある。

写真を見れば分かると思うが、すべての階にバルコニーがあり、その内側に窓がある。これは、人の命を預かる自動車とバイクを作る会社なので、地震によって窓が落ちてその破片で建物の下にいる人たちが怪我をしてはいけない!という宗一郎の思想を知ることができる構造になっている。ちなみに、この建物の地下には、約1万人分の食糧と水が保存されている。


2.創業者、本田宗一郎について

このじいさんが本田宗一郎だ。
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1906年、静岡県で鍛冶屋の長男として生まれた。

7歳の小学生の時、自動車を初めて見て、飛行機ショーを見るために学校を無断欠席したことがあるほど自動車と飛行機が好きだった。

ところが、勉強はあまりできなくて、通知表に親の判子をもらわなければいけないのに、親に見せたくないので自分で判子を作るぐらい本当に成績が悪かったそうだ。

16歳になった1922年、今で言う中学校に該当する高等小学校を卒業し、自動車に関する仕事がしたいと思い、自動車修理工場に入社し、自動車の技術を多く学んだ。

その6年後には、当時勤めていた会社の支店を任された(社長の許可を受けたのは宗一郎が唯一だったという)。

28歳になった1934年には、自動車のエンジン部品を作ろうとしたが、思っていたよりうまくできなかったので、高等工業学校(現、静岡大学工学部)の教授にあれこれ聞きながら金属工学を研究した。

そして1946年、静岡県浜松市にホンダの前身である本田技研研究所を設立し、社長に就任した。

浜松市の本田技研研究所。
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1947年に完成させた、ホンダ独自のエンジンを搭載した自転車「Honda A型」。
壁にぶつかったら、死んでしまいそうだ…
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2年後の1948年には、現在のホンダの正式名称である本田技研工業を設立した。
当時の資本金は100万円で、従業員は20人しかいなかった。
そして、この時からバイクの研究を開始した。

1948年の本田技研工業。
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有名なエピソードが二つある。

まず一つ目は、宗一郎は従業員に、親父と呼ばせた。理由は、親近感を持ってもらうためだ。しかし、一緒に働いていた従業員たちは宗一郎を恐ろしい存在だと感じていた。手を抜いた仕事をすれば、激怒して工具で頭を殴ったり、実験室で算出されたデータを見ると、実際の走行結果を持ってこいと灰皿で殴ったという。当事者たちは辛かったかもしれないが、宗一郎の仕事に対する情熱を感じることができるエピソードだ(寝る時も思いついたことをすぐ書くために、枕にいつもメモ帳を置いていた)。

二つ目については、知っているイルベ民もいるかと思うが、海外については台湾を最も高く評価していた。理由は、台湾に技術支援を行ったら台湾から「日本と同じものが作れるようになったので見にきてください」と連絡があり、実際に訪問したら、技術支援を行った会社の職員全員が「全て、宗一郎さんのおかげです」と本当に感謝した。

反対に、最も悪い評価をしたのは韓国。大林工業にバイクの作り方を教えたら連絡がきて「日本と同じものが作れるようになりました。そちらが持っている株式を全部引き受けるのでもう来なくてもいいです」と。宗一郎は「そんな株式は必要ないので売ってしまえ」と激怒した。その後、韓国側はホンダとのライセンス契約を一方的に破棄し、エンジンからデザインまで完全にコピーしたものを売った。宗一郎は、周りの人々に「韓国とは絶対に関わるな」と言ったという(朝鮮クラス…)

話を戻して、1949年には自社で設計した最初のバイク(2ストローク98cc)の生産を始めた。当時の最高速度は50km/hだった…
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そしてこの年に、藤沢武夫という最高のパートナーと出会うことになる。

左が本田宗一郎、右が藤沢武夫。
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藤沢はマスコミの前にはあまり姿を見せない人だったので、あまり知られていないが、ビジネス界では非常に有名な人物だ。「私は経営学など勉強した事がない。何冊か手にとって読んだことはあるが、結局その逆をやれば良いんだと思った」「経営者とは、一歩先を照らし、二歩先を語り、三歩先を見つめるものだ」などの言葉を残した。

おもしろい話がいくつかある。

まず一つ目は、藤沢は「ホンダの社長は、技術者出身でなければならない」という言葉を残した。この言葉通り、ホンダの歴代社長はみな技術者出身(初代社長である宗一郎以外の社長は、すべて4輪F1もしくは、2輪WGPエンジンの開発経験を持っていたようだ)。これと関連して、宗一郎は技術開発のみ(工場をいつも見て回った)、藤沢は経営にのみ専念したという。このような理由から、宗一郎は藤沢に会社印を預け、一度も判子を押したことがない。

二つ目は、宗一郎と藤沢は、自分の子供をホンダに入社させないことにした。その理由は、会社が個人の所有物になることを避けるため。宗一郎は、会社に自分の姓をつけたことを後悔したという。

最後に、宗一郎は藤沢を「六本木」、藤沢は宗一郎を「西落合」と呼んだ。これはお互いが住んでいた場所の名前だった。

宗一郎は「藤沢がいなければ、会社はとっくに潰れていた」、藤沢は「宗一郎がいなければ、ここまで会社は大きくならなかった」と、お互いを高く評価している。

パートナーを得たことにより、ホンダは急激に成長することになる。


3.ホンダの事業「自動車」

ここからはホンダの初期の製品について簡単に説明しよう。自動車やバイク、F1の知識がそんなにあるわけではないので、折々に発表した製品をただ並べる(泣)

今ではシビック、アコード、オデッセイなど、多くの自動車を製造しているホンダだが、自動車を初めて作ったのは1963年だった。

1963年に発表したホンダ初の4輪車軽トラックT360。
とても可愛い仕上がり。
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この車を皮切りに、ホンダは4輪車業界に本格的に参入することになる。

1963年に発表した小型スポーツカーS500。
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1964年には、S500の後継としてS600を発表、当時の価格は50万9000円。
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ちなみに、このSシリーズの続編が最近出た。

S660で、価格は200万円から。
実際に見てきたけど、欲しいよ…(泣)
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この他にも、1972年に発表、シビック。
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1976年に発表、1600cc CVCCエンジンを搭載したアコード。
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アクセサリーとして1981年に発表した世界発の地図型ナビゲーション。
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このように徐々に、自動車事業を広げていった。


4.ホンダの事業「F1」

第1期1964年~1968年。
ホンダと聞けば、F1を思い浮かべるイルベ民はいるかな?
ホンダが初めてF1に参戦したのは1964年だ。
F1ドイツグランプリに出場したが、結果は無残にも13位だった。

1964年ドイツグランプリに参戦したRA271。
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日本初のF1マシンであり、220馬力12000rpm、後方に3気筒×4個(この部分については詳しくなくてすまん)。車体はホンダが設計したアルミ合金を主体とした一体構造(当時、この構造になっていた車はフェラーリ、ロータス、BRMだったという)。

初出場13位の屈辱を味わったホンダは、それから1年後、メキシコグランプリで初優勝をした。

1965年のメキシコグランプリに参戦したRA272。
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RA271の欠点を改良したレーシングカーで重量は、498キログラムまで軽量化し、サスペンションをインボードからアウトボードに変更、エンジンの冷却効果の向上など様々な改善をした。

そして、2年後の1967年にイタリアグランプリで2勝目を挙げる。

1967年にイタリアグランプリに参戦したRA300。
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エンジンの排気量が3000ccに変わり、Honda V12エンジンを搭載した自動車で、ドライバーは1967年にチームに加入したジョン・サーティース。

以後1969年に発売予定だった小型乗用車の開発のためにF1の活動を15年間休む。
80年代に再びF1に参戦するが、その辺については詳しくないので書けないという(泣)


5.ホンダの事業「バイク」

上でも書いたように、ホンダはバイクが有名で、自動車よりも先に作った。
初めてバイクを作ったのは1949年のドリーム。
1958年には、世界で6000万台も売れることになる(2008年基準)スーパーカブを発表。
自転車厨でも乗らないようなデザイン…。
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1969年には4気筒エンジンを搭載したドリームCB750FOURを発表し、世界初の時速200kmを突破した。
このバイクで世界に、ホンダのバイクの名前が知れ渡った。
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この他にも、1990年にイルベ民が好きなそうなZOOK。
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2サイクルスーパースポーツバイクNSR205R。
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4気筒エンジン搭載のスーパースポーツバイクCBR400RRダブルR。
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スーパースポーツバイクVFR750F。
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直列4気筒エンジン搭載のスーパースポーツバイクCBR250RRダブルR。
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1991年に発表したネイキッドロードスポーツバイクジェイド。
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スポーツバイクトランザルプ400V。
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1994年に発表したV型4気筒エンジン搭載のスーパースポーツバイクRVF/RC45。
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1996年発表当時の最大排気量1520cc、4サイクル水平6気筒エンジンを搭載したワルキューレ。
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1998年には4サイクルV型4気筒800ccエンジン搭載のロードスポーツモデルVFR。
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これらのバイクで、世界トップの座に上りつめる。


6.ホンダの事業「現在」

他の自動車会社のようにホンダもハイブリッド車を作っている。

2014年に発表したハイブリッドセダンGRACE。
試乗してみたが、乗り心地は良かった(笑)
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小型ジェット機の初飛行に成功(価格は6750~9000万円と予想…)
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バットマンの乗り物のようなバイクも発表した(99万円~)
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この他にもASIMOというロボットも作っている。
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7.その他のホンダ

(1)アキュラ
トヨタのレクサス、日産のインフィニティのような高級車ブランドであるアキュラを1986年に発表したが、レクサス、インフィニティに比べると知名度は低い(会社の説明会でアキュラを知っている人は、10人中1人だった)。
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アキュラNSX。
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(2)人種差別
2015年7月、黒人、ヒスパニック系に通常より高く利子を設定したとして米国ホンダが2500万ドルの罰金を支払った。

(3)無限
上でも書いたように、宗一郎は自分の家族を会社に入社させていない。彼には博俊という息子がいて、その息子が操業したのが無限という会社。ホンダ用のアフターパーツ(アクセサリーなど)の製造および販売、レース用エンジンの開発、製造をしている。参考までにいうと、2003年に脱税容疑で摘発されて、M-TECという会社になった。

最後に、本田宗一郎の名言の中で、俺が特に好きなものを紹介して終わりたいと思う。
「死んでから来ては、名医もヤブ医者以下だ」
「私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある」

3行要約

1.ホンダの正式名称は、本田技研工業
2.ホンダの創業者である本田宗一郎の精神は見習うべき
3.俺はホンダ車に乗っている

翻訳元:http://www.ilbe.com/6613185514


2. 韓国人
はい次のチョッパリ


3. 韓国人
ホンダ ダイスキ!


4. 韓国人
工具で頭を殴るとかクレイジーすぎるだろ


5. 韓国人
やはり技術の日本


6. 韓国人
ホンダのバイクは本当にかっこいい


7. 韓国人
>>6
あの赤いバイクとか最高にかっこいい


8. 韓国人
技術のホンダ、マーケティングのトヨタという言葉もあったね


9. 韓国人
本田未央は認める
カイカイ補足:本田未央とは
本田未央とは、Mobageにて配信されているバンダイナムコゲームスのソーシャルゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』の登場人物である。


10. 韓国人
ホンダがASIMOを開発して得たものって何?
企業イメージの向上?
技術の蓄積?
まだロボット市場は、まだまだ未成熟だよね


11. 韓国人(スレ主)
>>10
得たものはまだないね
ホンダ自体が、ものづくりを最も重要視しているので、作りたいものがあればやらせる雰囲気がある
未来には介護用ロボットのようなものが出てくるのかな
ロボットはすべての技術が集まった最先端製品だから、一つ一つの技術をロボットに導入していけば、会社の技術の成長にも役立つのではないだろうか


12. 韓国人
>>10
市場が成熟してから参入しても、その時代をリードする会社になることはできないだろ


13. 韓国人
もしかして、スレ主はアコードのオーナー?


14. 韓国人(スレ主)
>>13
アコードではなく、SUVに乗ってる(笑)


15. 韓国人
昔のスーパーカブのクラシックな感じがとても美しいと思う
一度乗ってみたい


16. 韓国人
バットマンの乗り物のようなバイクはなんて名前?


17. 韓国人(スレ主)
>>18
NM4
カイカイ補足:ホンダ「NM4」が『AKIRA』にまた一歩近づいた? ― 11色のカラーオーダープランが利用可能に
大友克洋氏によるコミック作品『Akira』に登場する「金田バイク」のようだと評された「NM4」シリーズ。ホンダは、この750cc のスポーツモデルに11色のカラーオーダープランを追加し、3月2日に販売開始する。


18. 韓国人
1981年にナビってすごすぎる


19. 韓国人
偉人伝を見ると、高学歴の人よりも、とにかく早く始めた人たちの成功の方が多いような気がする


20. 韓国人
ホンダはトヨタに比べると何か物足りない
ホンダとトヨタの両方の車に乗った経験があるけど、無条件にトヨタを選ぶ
そして、アキュラの多くのパーツが、ホンダと同じものなので、アキュラの車を買うということは、高いホンダ車を買うのと同じである


21. 韓国人(スレ主)
>>20
日産とホンダの車には乗ったことがあるけど、トヨタにはまだ乗ったことがないので、次回は必ずトヨタ車を買いたい(笑)


22. 韓国人
>>21
俺の最初に乗った車が日産だけど、乗らない方がいいよ
ゴミすぎる


23. 韓国人(スレ主)
>>22
同意します(笑)
私も初めて乗ったのが日産の車だったが、寒いところに行ったらエンジンが故障した…
ホンダはまだ故障しない方だと思う


24. 韓国人
>>22
日産は90年代がピークだね
その当時発売されたブルーバード、アルティマといった車は本当に芸術的だった
日本製BMWという言葉まで出てきたほどだ


25. 韓国人
戦犯企業、日本信者、親日派、売国奴は評価しない


26. 韓国人
>>25
ホンダは戦犯企業ではない
日本の植民地時代には存在していなかったし、現代自動車よりも後発で市場に参入した末っ子企業である


27. 韓国人
チョッパリの技術をコピーして何が悪いのか?


28. 韓国人
>>27
フォードやGMの技術をコピーしておいて元祖のふりをするのが、日本人という種族の特性だからね


29. 韓国人
どうやって突然あそこまでの会社に発展したんだ?
特異点があるはずで、あんな小さな会社から、大企業になるというのは大変なことだよ
部品工場が、車を作るまでになったのはミステリーだね


30. 韓国人
>>29
起業して少しお金が貯まって、韓国戦争特需のおかげでバイクを作るほど大きくなった
その後、日本の高度成長期がやってきてトップまで上りつめた


31. 韓国人
S660ってあれで200万円以上するのか?
高すぎる


32. 韓国人
>>31
供給不足が続いているので、状態の良い中古車だとプレミアがついて定価より高い


33. 韓国人
ホンダ車は、本当に耐久性に優れている


34. 韓国人
PCXが欲しい…
カイカイ補足:ホンダ・PCX - Wikipedia
PCXは、本田技研工業が製造販売しているスクータータイプのオートバイである。


35. 韓国人
韓国でホンダは、日本の3大輸入車の中で最も売れてないよね?


36. 韓国人
>>35
ディーゼル車ブームなので、日本の車自体売れてないけどね


37. 韓国人
>>35
数年前の統計だけど、釜山ではホンダが1位だよ


38. 韓国人
米国に行ったことがあるけど、ホンダとトヨタの車が多かった


39. 韓国人
シビックの運転席に乗ったらガンダムのコックピットのような感じがした
作った人たちは明らかにガンダムオタクだと思う(笑)


40. 韓国人
>>39
これリアル
アキュラを見れば、ガンダムオタクが作ったことが分かるね


41. 韓国人
>>40
しかもそんな車が1台や2台ではないという(笑)


42. 韓国人
トヨタダイジュには及ばない
カイカイ補足:金大中 - Wikipedia
日本時代は豊田大中( - 1945年)。大統領就任後の来日時には日本統治時代の恩師を訪問し、「豊田です。」と日本語で創氏改名時の苗字を名乗ったため、一部から批判を浴びた。


43. 韓国人
うちの父が20年前にアカディアに乗っていたけど本当に素晴らしかった
カイカイ補足:大宇・アカディア - Wikipedia
アカディアは、韓国の自動車メーカー大宇自動車(現在の韓国GM)がかつて製造・販売していた高級車である。2代目ホンダ・レジェンドをベースとしたライセンス生産として1994年より発売を開始した。当時、ヒュンダイ自動車のグレンジャー(≒三菱・デボネア)がこのクラスのシェアをほぼ占有しており、その牙城を切り崩すため1992年に日本の本田技研工業と技術提携し、市場に投入された。


44. 韓国人
ホンダのバイクっていくらぐらいするの?


45. 韓国人
>>44
排気量によって違う
125cc以上であれば数百万ウォンから千万ウォン台まである
クラシックなスクーターも、割りとかっこいい


46. 韓国人
1980年代、ホンダのターボエンジンを載せたマクラーレンがF1を席巻した
当時のドライバーは、フランスの英雄であるアラン・プロストと、あの有名なアイルトン・セナである
特にセナは、1980年代の日本の高度成長期にホンダのロゴが入ったヘルメットをかぶって伝説を作って日本でも人気がすごかったし、後にチームを離れる時にホンダのオーナーが直接電話したのは有名なエピソードだよ


47. 韓国人
現代にもホンダのような時代があった・・・・・わけがない


48. 韓国人
>>47
ホンダは現代よりも後発企業だ
そのせいか、戦犯企業ではないのでイメージが良い


49. 韓国人
日本の経営者といえば、松下幸之助しか知らないね


50. 韓国人
日本のソニー、ホンダ、トヨタって、韓国でいうとサムスン、現代、起亜みたいなものかな?


51. 韓国人
大林って、チンピラの集まりなのか?


52. 韓国人
>>51
抗日愛国企業
大林工業を卑下するのは認めない
カイカイ補足:デーリムモーター - Wikipedia
デーリムモーターとは、大韓民国のオートバイメーカーの一つである。大林グループのうちの1つ。1981年、当時、日本の本田技研工業と手を組んでいた起亜技研が大林工業と合併し、誕生。


53. 韓国人
ホンダの本社の質素な感じを見てみろ
どこかの企業は、土地を購入するだけで数兆ウォンもつぎ込んだというのに…
カイカイ補足:現代自、「10兆ウォン」でサムスンに圧勝
ソウルの超一等地にある韓国電力本社用地の競争入札で、現代自動車グループがサムスングループとの一騎打ちを制した。落札価格は事前の予想をはるかに上回る10兆5500億ウォン。韓国の産業界関係者を仰天させる韓国史上過去最高額の土地取引になった。


54. 韓国人
ところで、ホンダはなんで韓国でアキュラNSXを売らないのか?
市場が小さいからか?


55. 韓国人(スレ主)
>>54
市場も小さいし、日本を嫌いな人も多いからではないか?
日本車買うならドイツ車を買うという人もいるぐらいだし…


56. 韓国人
一時、ホンダのアコードが韓国内で外車の販売数1位になって、街でたくさん見かけたけど最近はあまり見ないね


57. 韓国人
>>56
アコードは今でもたくさん見かけるだろ
韓国で見かけるホンダ車の割合は、10のうち7はアコードで、2はCR-V、1はシビックとか他の車種


58. 韓国人
>>56
今の韓国の自動車市場は、国産車orドイツ車に二分されているようだ


59. 韓国人
車は分からないけど、バイクは本当に名品クラス
20年前のCBRだけど、一度も故障しないで今でも通勤に使っている


60. 韓国人
日本の企業はなぜキャッチコピーが好きなのか
日産「SHIFT The future」
日立「Inspire The Next」
こんなのは個人的には悪くないと思う


61. 韓国人
>>60
サントリー「水と生きる」


62. 韓国人
自転車厨も乗らないと書いてあるスーパーカブが、韓国の配達業界を独占した88年モデルのようだけど(笑)


63. 韓国人(スレ主)
>>62
すみません(泣)


64. 韓国人
ホンダが自動車のブランドランキングで世界4位なのは驚くべき事実だね
日本の自動車メーカーで最も早く高級ブランドを発表したのがホンダのアキュラだった
レクサス、インフィニティはアキュラより後発だ
悲しいことに韓国人にはアキュラはあまり知られていない
他の国では認知度がとても高いというのに、なぜ韓国人は、今回の不正でリコールになりそうなボロクソワーゲンばかり乗るのか


65. 韓国人
>>64
車については、日本メーカーはデザインが悪いので、同じ価格ならヨーロッパ製を選ぶのではないか
ホンダもデザインがイマイチだし…


66. 韓国人
日本は学ぶことの多い国だね

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