tekisan

韓国のネット掲示板に「敵産家屋の写真を見てください(三角地/漢江路)」というスレッドが立っていたのでご紹介。

1. 韓国人(スレ主)

まず、敵産家屋が何なのか分からないイルベ民たちのために、その定義から説明する。

敵産家屋:敵の財産だった家屋
定義:1945年8月15日、日本が第二次世界大戦で敗れ、韓半島から撤収し、政府に帰属されたが、一般に払い下げされた日本人所有の住宅。
出典:韓国民族文化事前大百科

敵産家屋の概念を知っているイルベ民たちは普通、全羅道の木浦/群山、仁川、釜山などに残っている豪華な邸宅を思い浮かべると思うが、俺が行ったところは、日本軍の官舎/労働者用官舎/住居用住宅などが雑多になっているところだ。

かつての収奪の傷を残す場所であるが、今も地元住民の生活において切り離せない生活の基盤である。

写真は、地域住民のニーズに応じて改良された家屋や、そのまま原型を保存している家屋などを撮ってみた。
俺は、DSLRなどの豪華な装備を持っているわけではなく、撮影技術もあまりないので、その辺は了承してくれ。

片道とか往復とか関係なく、ただ思い出したままのルートを撮ってみた。
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移動ルート(戦争記念館の北門-国防部庁舎の隣の三角マンション一帯)

事実、南営という地名は、過去に日本軍が駐留していた兵舎があって生まれた名前だ。
南営、つまりソウルの南側の兵営という意味だ。
そのため、下の写真と同じような建物が未だに現存している。

最初に紹介する建物は現在、龍山の米軍基地の慰問所として使われている連合サービス組織(United Service Organizations、USO)の建物の一部だ。
龍山米軍基地は過去の日本陸軍第20師団の駐屯地で、建物をそのまま引き継いで使用中。
撮らないつもりだったが、移動ルートの最初の敵産家屋なので撮ってみた。
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道に沿ってもう少し行くと、戦争記念館の北門に出るが、残念ながら今回は、戦争記念館ではなく、その近くの路地に入る。
後ろにある幌がかけられている多層階の建物は、近くを訪れた日本人観光客も、度々写真を撮って行く建物である。
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俺が軍隊に入る前の5年前までは、幌はかけていなかったと思う。
当時、すごく古い建物だと思い写真を撮った記憶がある。
下の写真は当時の姿。
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画像元:ソウルのモダン建物探検、パート5!


今は下の写真のようになっている。
①小さな木の板を順番に並べた軒
②屋根のちょうど真ん中の下に配置した換気窓
③屋根の両端の仕上げ方法(木板)の姿は、典型的な日本の近代建築物の特徴だ。
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それでは本格的に路地に入る。

路地に入ると、ゴキブリが死んでいた。
あまり良くない感じだが、この写真ではその感覚が伝わらないかもしれないで、もっと奥に入ってみよう。
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屋根の先端と軒を除けば、すべての構造が居住者の利便性に合わせて作られているが、屋根の形式が切妻屋根(広い2面が向かい合う形式)なので簡単に把握することができた。
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まだ満足できなくて、路地の隅々までくまなく調べてみた。
人が暮らしてないように見るが、それなりに人は住んでいる。
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はい、もう一つ見つけた。
この家は、上から見下ろしたら直角構造の建物だが、壁面はかっこよく見せるためにセメントで保守したようだ。
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実際には、戦争記念館のある位置も過去に陸軍本部があったところだが、それ以前には、日本陸軍の第20師団78、79連隊の駐屯地だった。
そのため、近い場所に官舎の建物は必須だったのだ。


この家は原型を確認することもできない建物なので、説明はパス。
形式も原型も、あまりに乱雑だ。
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つたと幌が入り混じり雑巾のような姿になっている敵産家屋。
すでに屋根はスレートに変更されているが、壁の模様と切妻屋根の形で、どうにかこれが敵産家屋であることを類推できるレベルだ。
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この白い家のように、屋根の先端の木板だけを残した状態で、「敵産家屋?いやいや、これは戦後の建築物だ!」と虚勢を張っている建物もあるが。
原型の毀損があまりにも深刻で、興味は湧かなかった。
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この建物も上と同じだが、隣に掲揚されていた小さな太極旗が妙に異質な感じを出している。
もちろん、あの家が敵産家屋だということは、知っている人だけが分かることだが。
ちなみに、その隣の家も、暖房用の煙突を備えた敵産家屋である^오^
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太極旗を掲げていた建物の隣にある敵産家屋。
瓦はすべて、韓国産に変えてあるが、4分割形式の窓が残っている。
写真上では確認するのが難しいが、窓ガラスに紅葉の飾りが入った昔の物で、なかなかおもしろかった。
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2階は、セメントをベタベタに塗り、1階は赤いレンガで補強をしたようだ。
当時の家屋としては、かなり一般的な建築方式だが、窓は、あの当時の物ではない。
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そんな中、街の猛獣を一枚。
写真ではよく分からないが、斜視だ。
実際に目が合うと、少し気持ち悪い。
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ファック…
また一つ見つけた。
切妻屋根と換気窓、付属の建物まで、かなり完全な形の敵産家屋だ。
そのまま補修工事もしてなくて、壁面が剥がれて内部の木造物までむき出しになっている。
あの状態で8~90年間、今まで持ちこたえれたのが不思議なほどだ。
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この路地に住んでいた日本人は、どんな人だったのだろうか。
軍人とその家族、もしくは、鉄道職員とその家族だったのかもしれない。
龍山は、すでに日帝強占期から軍事、交通、経済の要衝地だった。
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他人の家のドアの前まで行って写真を何枚も撮ったりしたので、スピーカーを指で抑えながら撮った。
この家もまた多くの改修を経て、大きな枠組みだけを残し敵産家屋の形を維持している。
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路地の端で見つけた敵産家屋。
屋根の先端と形態が原型を維持していて、それ以外にセメントで階段と外壁を作っていて、通り過ぎそうになった。
表通りの近くということから、食堂の建物だったのではないだろうか?
奥の高層マンションとは、かなり異質な感じを出している。
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表通りに出ても、敵産家屋をそのまま活用した商店街の建物を簡単に見ることができる。
ここは、昔も表通りだったが、住居の用途というよりは、商店街の用途として使われていたと考えられる。
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実際には、路地にあまりにもハエが多くて表通りに出た。
前には、俺の2年を無駄にしてくれた国防部の建物が見える^오^
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向かい側の道に行ってみよう。
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ここには敵産家屋があるように見えない。
何も考えずにキンタマを掻きながら、道に沿って下りて行った。
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路地を挟んで左に入ると、チュグミ屋の奥の建物の屋根の形が敵産家屋のようだ。
建築学を学んだわけではないので、詳しいことは分からないが、とがった形の屋根もあれば、水平な形の屋根もあるようだ。
しかし、壁面を見ると、原型の毀損がひどかった。
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カフェに使われているこの建物もまた、側面を見なければ素通りしそうになった。
この建物も整形女のように、前面だけを飾って見栄を張っていたが、側面を見て狙撃に成功した。
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この建物は側面が丸見えだが、間違いなく敵産家屋である。
すごく皮肉なのが、敵産家屋で日本料理屋をしているということ。
意外にも龍山や西大門の方を調べてみると、このような家がかなりある。
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ファック…
これは何なのか。
サッカーキックをしたら、壊れそうな建物だ。
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建物の名前は、三角マンション。
1972年に建てられ、当時としてはかなり高級なマンションのようだ。
再開発中なので、地上げをする人たちがいるようだ。
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写真の円で表記されたところは、現在、三角マンションが位置しているところだ。
日帝強占期には、京城電気株式会社という会社の敷地だったという。
この地図を見ると、主要道路と路地はあの当時に作られたままのようだ。
出典:チェ・イェソンの近代文化遺産踏査記
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虚勢を張っている建物が多すぎる。
実年齢が、すでに入れ歯プラスアルファなので寛大に理解してあげよう。
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龍門洞に住んでいるイルベ民も知っているかは分からないが、入れ歯がやっている美容室に掛けられた虎の絵や西洋画は、ほとんどこのような画室で描かれた作品だ…
家屋の規模は小さいが、菱形に突き出た窓と屋根の形が残っていた。
隣の建物とサイズが同じなのを見ると、官舎だったのではないかと思う。
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画室の隣の建物で何か動いているのが見えたと思ったら案の定、猛獣の子。
すごく可愛いが、どうやっても撫でることができない。
写真の右奥の敵産家屋は、寄棟屋根(4つの面が集まった形)のようだ。
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モダンな三角地の聖堂。
誰かが捨て去った敵産家屋が聖堂に…
いつから聖堂になったのかは分からないが、かなり古くからありそうだ。
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道に沿って上がるほど虚勢を張る家が増え、そろそろ精神的に錯乱し始めた。
ところが…
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ジャーン!
突き出した窓と8面分割の日本式の窓枠。
90度配置の家屋構造。
母屋に付いている付属建物。
両面がまっすぐ伸びた切妻屋根。
木材ではないが、今も日本でよく見る先端の仕上げ方式。
そして、屋根のすぐ下に位置する換気窓一組。
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すぐにもう一軒見つけた。
原型の保存が、かなりうまくいった家だ。
パーティタイムとばかりに写真を6枚も撮った。
家の敷地もかなり広い方で、この家は後日、調べてみると日本人の間では「工場長の家」と呼ばれたりもしているようだ。
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確かに誰が住んでいたのかは分からないが、敷地自体が三角マンションへと続く三角形の敷地内に位置していて、おそらく、京城電気株式会社と関連がある人の家だったのではないかと推測される。
他の日本人のブログにも、写真以外に何の説明もなかった。
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画像元:ソウルのモダン建物探検、パート5!


ファック…
敵産家屋に酔いしれて上まで上がってみると、行き止まりの道だった。
大きくUターンして、国防部が見える丘を挟んで目に入った路地へと入った。
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路地の入口から感じられるのは…洋館の家が物凄く多そうな感じ。
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と思ったら違った^오^
路地に入って少し奥に行くと、窓や瓦を改修した敵産家屋が出てきた。
この家は屋根の下の換気窓は、そのままにしてある。
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それ以外にも敵産家屋が、何軒もあったが「これは改良した韓屋です!幌をかぶっています!」と虚勢を張っている家ばかりだったので、特に細部の写真を残さなかった。
特徴的だったのは、階段の両サイドの石垣が犬歯式で積み上げる日本の様式だということぐらい。
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とても充実した日曜日の朝だった。
朝の散歩を終えて、家に帰る途中に撮った写真だ。
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実は、この写真を撮った前日に、東洋美容タウンがある龍山区龍門洞の敵産家屋も写真に収めてみた。

三角地以外にも見て回ったところが何箇所かあるが、写真がすごく多くてどこから整理し始めればいいのか分からない。

とにかく、読んでくれてありがとう^오^

時間がある時にでも、龍門洞/東・西部二村洞/龍山警察署周辺/文培洞/新契洞/江陵の写真も一度整理してアップしてみるよ。

①カメラの写真撮影ファイルは、横を1500pxに一括調整したからモバイルイルベ民たちも安心してほしい。
②近所にあのような家がたくさん残っているイルベ民がいたら、お勧めがあれば教えてほしい。
③建築に詳しいイルベ民たちの助言を待ち望む。

翻訳元:https://www.ilbe.com/8180193520


2. 韓国人
おもしろかった


3. 韓国人
大変だったね


4. 韓国人
俺の祖父の家も以前は、あんな形だった


5. 韓国人
あのような家は、いくらぐらいするのかな?
地価のせいで、高いのか?


6. 韓国人
敵産家屋は好きなので評価する


7. 韓国人
国防部の位置を明らかにしたので評価しない


8. 韓国人
釜山にもあんな家がある
カイカイ関連記事:韓国人「かつて日本人が暮らした街、九龍浦に行ってきた」→「日本かと思った」


9. 韓国人(スレ主)
>>8
当然だね!
釜山は距離的にも日本から近いし、釜山港もあるから
しかし、俺が行くには遠すぎる…


10. 韓国人
大邱や釜山、群山港一帯にはまだ日帝時代の高位官僚や地主階級の敵産家屋が見られるけど、有産階級が住んでいたところなので保存状態が良い家が多い
敵産家屋は、むしろ地方の方が規模や保存状態が良い家が多い


11. 韓国人(スレ主)
>>10
そこには後で金大中先生の自叙伝を買って、胸に抱きしめながら行くつもりだよ


12. 韓国人
ソウルの中心クラスをご覧ください…


13. 韓国人(スレ主)
>>12
あれが見られる日も残り少ないと思うので、写真だけでも残しておくつもり


14. 韓国人
敵産家屋のラスボス中央庁(朝鮮総督府)が一番好きだった
中央庁を粉砕した金泳三のクソ野郎!
カイカイ補足:韓国人「今の若者は知らない旧朝鮮総督府の全景及び内部の画像」
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15. 韓国人
俺も外国人の友達が韓国に来る前に観光地を踏査するために、たくさん歩き回る方だけど、あんなところを見つけるなんて…
共感ボタンを押していく
関連書籍:トリップアドバイザー 外国人に人気の日本の観光スポット


16. 韓国人
ファック
本当に龍山は再開発しなければならない


17. 韓国人
>>16
すでにしてるから心配しなくてもいい


18. 韓国人
ああやって屋根の先が尖っている家が敵産家屋なのか?


19. 韓国人(スレ主)
>>18
近代の日本式住居用住宅は、屋根の曲線を排除して直線だけで構成されているので、シルエットだけでも容易に識別することができる


20. 韓国人
久しぶりの人気記事に値する記事だね


21. 韓国人
鍾路区平倉洞の和庭博物館のすぐ前に、日帝時代に建築された邸宅がある
庭も広くて、すごく大きいが、ストリートビューのようなものでも確認できると思う
博物館を正面から見て右側に車屋があって、その後ろね


22. 韓国人(スレ主)
>>21
よく考えたら鍾路の方にも残っているね
東大門/東廟の方は、この前写真を何枚か撮ったけど、鍾路に行くという考えはなかった
ありがとう!


23. 韓国人
ソウルにあんなところがあったのか…
俺の学校近くの沙斤洞の方が、一番廃れたところだと思っていたが、あそこはもっとひどいね


24. 韓国人(スレ主)
>>23
盤浦洞もクソだよ
路地の整備を少しはしてほしい


25. 韓国人
ディルクシャには行かなかったのか?
カイカイ補足:ディルクシャとは
ソウル特別市鍾路区にある日本の植民地時代に建築された地上2階建て規模の洋風住宅で、大韓帝国と日本の植民地時代に朝鮮で活動していた米国の企業兼ジャーナリスト、アルバート・テイラーと彼の妻が住んでいた家。
syato


26. 韓国人(スレ主)
>>25
お前はどうやってそれを知ったのか?
調べてみると歴史がおもしろい建物だね


27. 韓国人
俺はこのような写真を見ると、何だか胸が変な感じになる
俺だけかな?
過去の時代を反映した建物や事物を見ると気分が…


28. 韓国人(スレ主)
>>27
俺もそうだよ
理由は分からないけど


29. 韓国人
あまりにも汚らわしいので10年以内にすべて取り壊さなければならない
形が美しければ、欧州のように100年以上保存するべきだが、全く違うので


30. 韓国人
善良なオタクは認める


31. 韓国人
俺が住んでいる近くの山谷洞にも、あのような家がたくさんある
昔、三菱の従業員たちが住んでいた家だとか
関連書籍:岩崎弥太郎と三菱四代


32. 韓国人
韓屋商店街という旧韓末から日帝強占期に建てられた建築物があるけど、今現在まで残っているのは、残念ながら一つしかない
それがネームバリューがある徳政女子大学の徳友堂という建物


33. 韓国人(スレ主)
>>32
1950年に6.25戦争が開戦してすぐに壊された建物が一つや二つじゃないからね…


34. 韓国人
>>33
近代建築では、「京城郵便局」がなくなってしまったのが最も残念だった
それと近代建築に対して無知だった1970年代に、壊してしまった釜山税関のような建物も本当に残念
後者は設計図が残っているので、北港を再開発して復元するという話もあるようだけどね
カイカイ補足:京城郵便局
kei

京城郵便局があった場所には現在、ソウル中央郵便局、通称「ポストタワー」という巨大な建物が建てられています(下写真)。ネットでは「マジンガーZ」「ズボンのファスナー」などと言われネタにされることも多いです
maji


35. 韓国人
そのまま日本に行きなさい


36. 韓国人(スレ主)
>>35
彼女が寿司女だ


37. 韓国人
>>36
羨ましい


38. 韓国人
永登浦駅周辺にも、あのような建物があった気がするんだけど、実際に永登浦駅の方には、敵産家屋がたくさんあるのかな?


39. 韓国人(スレ主)
>>38
文来洞の工業団地には、特に多い
営団の住宅として、日帝強占期末期に、都市の労働者を収容できるよう総督府主導で計画し作った住宅団地があった
この住宅は、居住者の職場、階級によってサイズが違うので、すべての家屋の形が同じではない


40. 韓国人
龍山の二村洞に行くと、日本人がすごく多い
日本人村があったみたいだけど、今でもたくさん住んでいるようだ
マンションの管理室にも、日本語とハングルと英語が一緒に書いてある


41. 韓国人(スレ主)
>>40
龍山区は、日本人の集団居住地域だったというのは事実
その中でも二村洞は、日帝強占期末期、最後の日本人集団居住地だった


42. 韓国人
小さい庭を作って、車が1台入るスペースさえあれば、中途半端な洋館よりは敵産家屋の方が良くないか?


43. 韓国人(スレ主)
>>42
基本的に柱が木造なので、シロアリやゴキブリがたくさん湧くのが玉に瑕だけどね


44. 韓国人
スレ主は、珍しい趣味を持っているね

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