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グローバル企業(日本法人)のCFO経験を持つ公認会計士池田正明によるブログ。世の中の色々な話題や問題について、経済・経営・会計・財務の視点を中心に鋭く切り込みます。これから事業部門のトップや役員になるような方にぜひ知っておいて欲しい会計や財務の本質について発信していきます。筆者運営サイト「経営者のための会計塾」はこちら→http://kaikeiseminar.jimdo.com

2014年09月

マーケティングとファイナンス、この2つの機能型研修はもう古いのか?!

 最近の研修を見ていると、マーケティングやファイナンス〈ここでは、アカウンティングを含めてファイナンスと総称する)という機能的な研修〈以下、F型研修という)が、一般的にやや減少傾向にあり、代わって問題解決や交渉術、リーダーシップ、メンタル研修〈以下、A型研修と会社によってはいう)の比重が上がっている。他社がやるからうちもやるという横並び型の影響なのか、A型研修が増加傾向にあるようだ。全体の研修時間を一定に維持すると、前述のF型研修が削られ、疎かにされやすい。そして、現実にそのような傾向も見られるので、大変残念に思う。但し、会社によっては、これらの重要性をよく認識している会社もある。この場合は安心だ。


 さて、F型研修が現に十二分に行われているか、受講者の実力が十分に備わっていれば問題ないのであるが、実態は必ずしもそうではない。私は、F型研修は必要条件であり、A型研修は十分条件であると考えている。つまり、F型知識が極めて不十分なのに、A型研修が本来の期待される役割と効果を果たすのは大変難しいと思う。

 日本企業はマーケティングとファイナンスの研修にもっと力を入れるべきだ(マーケティングとファイナンスは、機能的には経営に必要な知識の両輪である)と以前から思っている。先週末に、TVでマーケティングの世界的な権威、フィリップ・コトラー教授が出演し、日本のほとんどの企業がマーケティング1.0 に位置していて、20年前から止まっている。製品が優秀なのに、マーケティング能力が韓国よりも弱いとサムスンを例に解説されていた。もっと日本企業にはマーケティング・マインドを持って、頑張ってもらいたいというメッセージだろう。

 報道では、現在、サムスンの業績は下降していて、企業行動についても日本の技術者から先進技術を盗用したとの報道もあったりするので、コトラー教授の上述の主張がどこまで説得力を持つのかはわからない面もある。ただ、マーケティングに関しては、サムスンから学ぶべき点があると解釈することがポジティブな捉え方だろう。コトラー氏は、日本企業がマーケティング力を持てば、もっと今よりも経営状況がよくなるはずだと考えている。テレビでの放送は極めて短時間であったが、参考になった。日本企業にはマーケティング部門やCMO(Chief Marketing Officer)が存在しない組織が大半だとの某社CEOの指摘もあり、組織論から考えても、教授の言うマーケティング力を発揮するのは難しいと感じている。

 結論として、研修という視点からも、マーケティングという従来タイプのF型研修の重要性がまだまだ重要なんだと再認識した。同様に、ファイナンスにもっと習熟する研修の必要性にも確信が持てた。

 以下に、参考のために、コトラー教授のマーケティング
4.0までを以下に掲げる。因みに、4.0は数日前に本人が発表したとのことで、初めて知る概念である。


 コトラー教授のマーケティング

マーケティング1.0    製品中心 (Mind)

マーケティング2.0 消費者志向 (Heart)

マーケティング3.0 価値主導 (Spirit)

マーケティング4.0 自己実現 ( Self- Actualization)


 マーケティング4.0の「自己実現」は、経営学を学んだ方には懐かしい気分になるだろう。例のマズローの欲求5段階説の最上位概念の「自己実現」だ。


 このマーケティングのバージョンに触発され、以下に、ファイナンス1.0から3.1までを作った。この試みは、あくまでも知的お遊びなので、気軽に読んでいただければ幸甚だ。



マーク池田のファイナンス

ファイナンス1.0  
利益オンリー (Profit only) 思考で、利益だけでしか経営を見れない人で、まさに一次元思考の人。利益概念だけでも徹底的に使いこなせればまだいいのだが、意外に不十分な理解に止まる人。体系的な会計教育を受けていない人はこの範疇に属する。一つのベンチマークとして、本の熟読・企業でのOJT訓練・研修参加日数を含めて、生涯累計で全35時間(実働週5日に相当)以下の会計学習の場合もほぼ同様。

ファイナンス
2.0  
投資収益性中心(ROI Oriented) PLとBSで物事を考えられるが、キャッシュフロー思考がない人。決算書と言えば、PLとBSだけを習った20世紀に教育を受けた人の大半がこれに属するが、すっかり忘れた人や、実際にはBSの意義や使い方がわからず、身についていない人はファイナンス1.0 の範疇となる。


ファイナンス
3.0 
投資収益性+資金流動性(ROI, FCF) 財務3表全体と相互関係を完全に読解し、経営戦略までを自在にたてられる人。 三次元思考で経営を分析して、戦略シミュレーションの結果にもとづいて戦略を立案・実行までできることが条件となる。そのためには、全体の経営(分析)体系に習熟し、それを自在に適用できることが要件となる。体験から言わせていただくと、これができる人はごく少数しかいない。


ファイナンス
3.1  
企業価値増大志向 企業経営の目的と目標がわかっている人で、過去・現在・将来の時間軸を自在に頭に組み入れて経営を俯瞰でき、具体的かつ詳細な行動計画までも実際に立てて、実行している人。四次元思考とでも表現できようか。



 コトラー教授の例に倣って言えば、日本企業の経営管理職の人はファイナンス1.0の段階の人が大多数で、2.0以上の理解の方は、現時点では少数派だと思う。そういう意味で、日本企業はファイナンスの研修にもっと力を入れるべきだ。そうでないと、グローバルで勝負するには、率直に言って、土俵にもあがれないのではないか。そういう危機意識を持って講義している。ということで、私の研修では、3日間(基礎演習1日+2日間、計3日間が理想。両者は不連続でも可だが、あまり間隔が開かないのが望ましい。基本ができている場合は、2日でOKだ。)で上述のファイナンス3.1の実践・習得をめざしており、かなりの成果をあげている。  

 以上、マーケティングとファイナンス、この2つの機能型研修は時代遅れどころではなく、現状を考えると、もっと時間を増やして、現実の経営実践に効果的に応用できる能力をもっと養成する必要があるのではないかと考えている。基本がわからずに、表面だけ上級をやっても効果が少ないと愚考している。

 数字を見て経営の現状を短時間で概略を把握できなければ、経営戦略・戦術もしっかり立てられないはずだ。マーケティングでも、数字の意識が吹っ飛んでいたら、問題解決を一体どう考えるというのか?コトラー教授が指摘されているマーケティング、同時に、ファイナンスの基本を理解する研修の重要性を強調しても、しすぎることはないと思っている。マーケティングとファイナンスは経営の両輪を成す戦略的知識と知恵の宝庫だから、それなしでは始まらない。迷ったときは原点に返る。成果を得たいときには最初に戻ってもう一度考える。何が不足しているかわかってくる。

世界標準”BSアプローチ”は、何を意味するのか?日本 vs 世界

 周知のように、IFRS(国際会計基準)はバランスシートをコアの財務表として位置付け、財務諸表全体を構成している。日本は戦後、米国の会計基準を輸入し、それをベースに「企業会計原則」をつくった。以来、企業は実質的には損益計算オンリー志向で高度成長を達成し発展してきたと言える。キーワードは”利益をあげる”であった。問題点をわかりやすくするために、単純化して表現すると、バランスシートに対する関心がなかったので、バランスシートのマネジメントは考えたことがなく、結果的にバランスシートを軽視ないし無視することになった。しかし、その後、日本基準の本家本元の米国基準とIFRSは、上述の方向に舵を切ったために、日本基準は、相変わらず損益計算一辺倒のガラパゴス路線を歩むように見えるのだ。

 つまり、バランスシートにかなり重大な問題点が存在しても、さして気にとめる人も少なかった。企業がどんどん成長し続けたので、常に新しい問題点が生まれていったが、バランスシートの問題も意義にも関心が示されなかった。それに、バランスシートの意義なんて理解していなくても、成長速度が速かったから、現実の経営には、さほどの支障もないと多くの人がそう思い込んでいた。更に、次の問題点が前の問題点に上書きされ、前の問題点は掻き消されていった。


 ”成長”がもたらす恩恵のもと、利益を追いかけていけば、キャッシュもある程度は後からついてきた。幸運にも、利益オンリーでも経営問題がさほど表面化しなかった良き時代であった。ただ、そういう時代でも、心ある識者が「バランスシートは企業経営にとって重要ですよ!」と警告していた。多くの人があまりにも損益計算ばかりに気をとられて、バランスシートが示唆する問題点にほとんど気付かず、無視していたからだ。

 ところで、IFRSは、バランスシートを財務諸表の中心に据え、株主持分の増加のうち、増資などのいわゆる資本取引を除く増加分を「利益」と定義し、損益計算書は「利益の明細を見るためのステートメント」と、キャッシュの増加の明細書がキャッシュフロー計算書と位置づけられている。だから、損益計算中心思考にどっぷり慣れ親しんできた人には、このような新しい考え方はかなりのショックかもしれない。しかし、IFRSが今やグローバルスタンダードだからと言って、また、IFRSが財務諸表をバランスシートをコアにして設計したからと言って、IFRSの方が日本基準よりも優れた考えだと決めつけるのは早計だと思う。なぜなら、損益計算書、バランスシートだけを取り上げて論じると、両表とも等しく重要だからである!

 
 これは次のように考えるとわかりやすい。今、あなたが年収(インカム)をいくら稼ぐかの切り口で見るのは、損益計算のアプローチだ。あなたがいくらの財産(資産から債務を控除した額)を持っているかで見るのは、バランスシートのアプローチだ。あなたの年収のうち、1年間で使った額を差し引いた額は貯金として、年末にあなたの財産に組み入れられる。つまり、所得(損益計算)と財産(バランスシート)の間には、切っても切れない密接な関係があることがわかる。所得が多ければ、財産は多くなる蓋然性が高いし、所得が少なければ、財産は増えないか、減少する蓋然性が高い。だから、「あなたにとって、どちらがより重要ですか?」と聞かれても、「どちらも等しく重要ですよ!」と答えるのが最も妥当ではないだろうか。なぜなら、一方が重要で、他方が重要でないとは言い切れないし、どちらが、ある時点・時期で優先されるべきかは状況によっても異なってくるからだ。

 キャッシュフロー計算書は、損益計算書とバランスシートから計算できることからも理解できるように、両表を重視することは、すなわち、キャッシュフローを重視することと実質的には同じである。

 拙著、「できる人の決算書」でも説明させていただいたのだが、経営者はしばしば航空機のパイロットに喩えられる。パイロットがコクピットのすべての計器類を見ることによって、安全かつ正確な飛行ができるように、経営者も決算書のすべての表を見ることで、正常で安全な経営を行うことができるのである。どれか一つだけ、例えば、損益計算の計器だけ見ていては、経営の無駄や安全性・倒産リスクはわからないし、できないはずだ。例えば、ジェット燃料が不足していれば、飛行機は墜落する。パイロットは燃料のメーターを見なければ飛行できない。ジェット燃料はキャッシュフロー計算書に該当する。キャッシュフローが一瞬でも途切れたら倒産する。経営者はこの計器を見なければ、倒産する可能性が高くなる。だから、それを見るのは、経営者の当然の役割責務になる。利益だけの指針で経営していれば、経営者の役割と責務を十分には果たせないのだ。


 
IFRSBSアプローチが世界標準であるということは、バランスシートをコアにして財務諸表を設計構築したという意味であり、バランスシートが損益計算よりも優れているという意味では決してないと私は解釈している。要は、設計思想の問題に過ぎない。先ほどの例でいえば、IFRSは「財産」の視点で設計して、財務諸表を構成した。経済学的に言えば、フローではなく、ストックの視点で設計したということだ。しかし、フローとストックは、相互に密接に関連しているから、どちらも等しく重要なのである。ただ、日本では今まで損益計算ばかりに目が向いていたので、そういう意味では、バランスシートを強調するのは、相当に意義があるのだ。それに、バランスシートは唯一、毎年リセットされないで、翌年以降に引き継がれる。その企業の体質をまさに体現しているDNAなのだ。自分の職業経験から言わせてもらえれば、現在でも、バランスシートの本質的な意義を具体的に説明できるビジネスパーソンは、まだ少数派である。ただ、そのことを理解したうえで、敢えて言うと、経営情報は財務3表によって初めて必要十分な情報が提供できるので、提供する情報に優劣の差はない。すべての情報を見て経営を総合的に判断することが必要なのである。その後で、その会社の置かれている状況や局面次第では、どの情報をより重視するかは、出てくる場面があるかもしれない。

 損益計算書、バランスシート、キャッシュフロー計算書。これら3表があって、初めて経営を総合的に見ることができる。それらのどれを欠いても不十分だ。
BSアプローチが世界標準というのは、財務3表の内容の優劣の差ではない。設計思想の基本の違いだ。間違って解釈しないことが大事だと思う。ただ、最後に、もう一度、言わせていただくと、損益計算よりもバランスシートの理解のほうが難しいのは確かであり、バランスシートを理解していない人が多い日本の現状では、バランスシートの意義を強調するのはそれなりに十分に意味があることだと思われる。

体系を示さない経営分析は、気の抜けたビールと同じだ!

 我が国No.1の信用調査機関でも、利益が出ているにもかかわらず、ある日、突然に倒産する多くの会社を事前に見抜けないことに悩まされてきた。黒字決算が連続し、バランスシートの流動比率が高く、多くの本が、支払能力が高いと主張する会社や、内部留保が多く自己資本比率が高い会社が、倒産に追い込まれ、伝統的な決算書の見方に絶望的限界を感じていた。そこで、筆者が、なぜ、従来の見方には限界があるのか?を論理的に明らかにし、本邦で初めて、キャッシュフロー分析の実務を成功裏に設計導入したのである。今では、その分析は株価分析に取り込まれ、経営実務に活かされている。倒産が初めて論理的に予測できるようになった事に加えて、少なくとも私が関わる範囲では、経営の見方と仕方が一変した!また、「キャッシュフロー経営」という用語がブームになる、はるか前から、有名中堅製造業の新製品の設備投資等に、DCFによる新製品の投資実務の実践理論の構築など、成功裏にコンサル導入に関わってきた。

 さて、経営分析本には、総花的に指標を並べて解説している本が多い。実践の場で、分析指標を使う人の立場を考慮していないと思う。なぜなら、数ある指標の中で、どの指標を選択し、それはなぜか?に答えていないからだ。分析は時間との勝負である。分析の生産性を上げることが重要だ。それには、フレームワーク思考が必須である。加えて、読者の知的好奇心に応えることも。「著者の分析の哲学を示すことが必須だ!」と考えている。

「全体フレームワーク(体系)を示さない本に意味があるのか?」それは、気が抜けたビールと同じだ!第一、美味しくない。人がビールに期待するものを提供しなければ、それはビールとは言えない!体系がないと、実務では、全体のコメントに収斂(統合)できないから、役に立たない。従来の縦割り志向分析とは、いい加減に「おさらば!」すべきだと言いたい。体系を示さないのは、その人の思考プロセスを隠していることと同じだ。頭の中を人の目に晒す勇気が大切だが、批判されるリスクを恐れると実行は難しい。筆者は、浅学菲才を顧みず、自分の頭の中を曝け出した。批判を恐れては、前に進めないからだ。多くの人が、自らの体系を示せば、議論の活性化に貢献すると思う。

 
 
 会計/財務や企業業績の表わす数字を見るだけで、すでに苦手意識を持つ人が多い。
「会計や数字は会計の専門家に任せればよい」と誤解する向きも多い。ビジネスには数字がついてまわる。数字の意味が論理的に腑に落ちないと、ビジネスのかなりの部分が理解できない。意思決定を行う人は、会計の非専門家の方が圧倒的に多いが、「会計を学習するメリットは、大多数の会計の非専門家のためにある!」これが私が強調したい点だ。会計を理解しないで膨大な金額に関わる意思決定をするリスク/損失を考えれば、会計(数字)を学習する充分な意識付けと動機付けができる。組織の上に行くほど数字(会計)を分かる意義は重要になる。管理職に手が届く前から、会計能力を強化するメリットは大きい。「どんな本から始めればよいのか?」迷ってるなら、ぜひ、拙著から読んで欲しい。論理的な思考力と実践の場での応用力が身につくと、読者からは評価してもらっているからだ。

 誰も書かない事で、経営と分析に重要な事が結構ある。なら、自分で書くしかない。これが本を書いた理由だ。以下に、各本の意義を紹介したい。


①「会計&ファイナンス」厳選27項

 ルールを知らずに、スポーツやゲームを始める人はいない。しかし、会計のルールや考え方を学ばないで、会計を始める人が意外に多い。これは七不思議の一つだ。会計には常識的思考と異なる発想も結構ある。会計が論理で成り立っている事をさまざまな事例で納得すると、経営と会計に興味を持てるようになれる。知識詰め込みを目指すより、まずは、「会計とファイナンスの基本的な考え方を理解(=腑に落ちる)することの方が、はるかに大切だ」と確信している。

 そのためのガイドブックとして本書を著した。
内容は概ね初級から中級向けだ。熟考し、頭と体全体を使って演習を行い、腑に落ちることが重要だペンと電卓を持って、実践的な考え方が体得できるよう設計した。初心者でも、役に立つ実践経験をいっぱい吸収できる。分かったつもりでも、実際にやってみるとできないことが多い。考えるためには、考える源となる戦略的知識が必要だ。本書は、会計とファイナンスの戦略的知識を厳選した。

②「できる人の決算書の読み方」

 決算書の読み方と利用法では、経営分析の全体体系図(俯瞰図)が必須だ。しかし、現実には、収益性、生産性、流動性、安全性、成長性など、それぞれの分野に分けて縦割りで自己完結するアプローチがほとんどだ。相互の分野がどう関わり、それらが企業全体としてどう統合され、収斂していくのか、横の関係と、統合のプロセスにまったく触れない。その結果、ある経営戦略行動の結果が、決算書にどのように現れるかという予測が数字で測定できない。何もわからない人は、問題意識や疑問さえ持たないのだろうが、肝心の実務にまるで役立たない。こんなことが、いつまでも続いてよいのだろうか?

 初心者の方は、まだ何もわからないのだから、縦割の分析セクショナリズムが内包する問題点に気付くはずがない。当然だ。しかし、それでは、結局、学習時間が無駄になる。更に、間違った考え方に洗脳された頭は、最悪の場合、元に戻せない危険が残る。そうならないために、最初から本書を読んで欲しい。これが、著書の魂からの叫びなのである。これは一例に過ぎないが、例えば、会社の流動性を表わす<流動比率>が支払能力を表わすと本気で信じると、得意先や仕入先の与信分析で、痛い目に会う確率が高くなる。なぜなら、流動比率が高い会社でも、枚挙に暇がないほど倒産している現実があるからだ。逃げないで、現実を直視して欲しい。本書では、なぜ、流動比率が役に立たないかを、あらゆる視点から解明している。経営分析の大家、国広教授も、その著「経営分析」で、流動比率は支払能力を表わさないと明確に述べておられる。拙著では、流動比率に代わる有効な指標も示している。

 本書は経営全体の分析フレームワークを示し、企
業を俯瞰するアプローチを詳細に解説した。「目からウロコで、実践に役立つ!」との評価を、受講者を始めとして、圧倒的大多数の方から、いつもいただいている。内容は初級から中上級までをカバーしている。初めて学ぶ方にもぜひ読んで欲しい。実務に使う視点で書いているから、本書の一部だけでも、十分に読む価値があると思う。

③「新版 企業価値を高めるFCFメネジメント」

 主に、ファイナンスの立場から、株式価値(企業価値)を上げることの意味を実務的な視点から上場企業の実例を多く取り上げ、分かりやすく解説した。会社の株価が、売上高や純利益、その比率で決まるんだと思っている人は、必ずしもそうでないことに気付く。イオンとファーストリテイリングとセブン&アイがどんな会社で、どこが違うのか、将来性なども推測できるようになる。このようなアプローチは非上場企業にも全く同様に役に立つ。内容は概ね初中級から中上級までをカバーしているが、序章は初心者でも無理なく読める。企業経営で、いかにキャッシュフローが重要かを定量的に、且つ、具体的に理解できる。ウェブでも他の拙著と同様に、実務に役立つ旨の評価を多数いただいた。

 最後に、損益計算書、バランスシート、キャッシュフロー計算書の計器の表わすすべての情報を簡単に読みこなすだけでなく、戦略立案のシミュレーションができ、戦術〈行動計画)を考え出すことができる経営者や管理者になることが上記著作の最終目標だ。
経営についての理解が損益計算書の視点しか持ち合わせない人が圧倒的に多い中で、上記の著作を読めば、経営の数字に対する考え方やセンスが身につき、業績評価・意思決定の仕方について理解が深くなる。

 会計はロジック(論理)で成り立っている。身につければ、思考能力が飛躍的に向上し、ビジネスに、あなたの人生にも役立つ。やらない手はないと思う。拙著が、皆様の最短のガイドブックになることを切望して、筆を置く。

スコットランド独立投票に想う   

 イギリスはヨーロッパ大陸〈ユーラシア大陸の西端)から離れた島国であり、日本は東アジアの大陸〈ユーラシア大陸の東端)から離れた島国である。両者は、共にユーラシア大陸から離れた(isolated)島国(island country)という点で地理的共通性があり、国民性も島国特有の性格という共通点もあると思われる。国民の最大公約数的な共通的性格を国民性と定義するならば、国民性は大なり小なり地政学的な影響を受けると思われる。


 普段眺めている地球儀や世界地図を見慣れた視点から、北半球について逆にしてみる(北を下に、南を上にする)と、面白いことに気付く。イギリスの北と南を逆にし、普段見る方向とは逆の視点から見て、イギリスの位置を日本とみなす。そうすると、ヨーロッパ大陸が東アジアの大陸(北のロシア極東地域、中は中国、南がインドシナ半島)に相似して見えるのだ。両島国の特徴が地理的な対称としても見えてしまうところに、単なるお遊びの視点にすぎないのだが、何か共通点も感じる。

 大きな括りで見れば、イギリス人は人種的にはコーケイジアン(コーカサス人種)だし、日本人はモンゴロイドに属する。しかし、イギリス人は自分たちを真っ先にヨーロッパ人とは思っていないし、日本人も自分たちを真っ先にアジア人とは言わない。その前にイギリス人は自分たちをブリティッシュと言い、日本人はアジア人である前に自分たちは日本人と思っている。面白いことに、イギリス人も同じイギリスという国の中では、自分たちはブリティッシュと思う前に、イングランド人は自分たちをイングリッシュと真っ先に思っているし、ウェールズ人は自分たちを真っ先にウェルシュと思っている。その後で、自分たちはもっと大きな括りで、対外的にはブリティッシュと考えているのである。スコットランド人も同じで、自分たちは真っ先にスコティッシュであり、その次にブリティッシュなのである。北アイルランド人も多分同じだろう。

 「イングリッシュ」という言葉と発音が、日本人の聞き取りが訛った結果、「イギリス」になった。だから、イギリスは、言葉の定義から言えば、厳密にはイングリッシュ〈イングランド)しか表わさない。だから、イングリッシュ(イギリス、英国)と言えば、それは本来的にはウェルシュやスコティッシュを含んでいず、両地域をカバーしていない。日本語の訳語が適正ではないのだ。しかし、今更、明治時代に定着した訳語を変えるわけにもいかないから、今では、英国という言葉を拡大解釈して、連合王国(UK)のすべての地域と人を包括的に表わすと考えるほかないのである。

 ところで、以前、連合王国(UK)を旅行したときに、ウェールズに向かう列車の中で向かい合った席に対面で乗り合わせたご婦人たちと話をする機会があった。ひとしきり話をした後に、列車がセバーン川の橋を渡ったのだが、それがイングランドとウェールズの国境だった。これからウェールズに入るということで、彼らは外国人である私にウェールズについて話してくれた。ブリティッシュである前に、自分たちはウェルシュ〈ウェールズ人)であり、ウェールズという地域、文化、伝統に大いに誇りを持っていることが言葉の端々に感じられた。ウェールズの首都であるカーディフ駅に着いたら、駅名の上半分がゲーリック語で書かれており、下がイングリッシュで表されている。上の駅名が英語で、下がウェールズ語ではなく、上下がその逆なのである。これは日本ではなかなか味わえない感覚だ。昨年は北ウェールズ地方をドライブしたが、距離的にはイングランドとそんなに離れているわけではないのだが、イングランドとはかなり違う景色や伝統文化に遭遇して大いに楽しめた。

 スコットランドのエンジンバラでも、土産物屋の女店員さんがイングランドのことをあの国には自分は行ったことがないし、行く気もまったくないと言っていた。外国人だから、本音を言ったのかもしれない。これなども日本人から見れば同じイギリス人なのにと不思議な感覚だが、その前にエジンバラ城の見学で、スコットランドの苦難の歴史を学んだ後から聞くと、これが地元の人たちの心底の気持ちかもしれないと思えた。英国という言葉が本来はイングリッシュ、イングランドを表わすように、日本人がまず最初の旅行先として訪ねるのはイングランドだろう。その田園地帯のドライブは本当に楽しい。ドライブが好きな人にはお薦めできる。日本にその景色を借景として借りたいくらいだ。そうすれば、日本でもいつでも英国の景色を楽しみながらドライブできる。歌のタイトルにもあるように、まさにグリーン・フィールズに満ち溢れている。

 ところで、スコットランドの人すべての人が上記のような意見や感覚ではないはずだ。その証拠に、選挙前の現時点では、スコットランド独立賛成派と反対派が拮抗しているとの報道からもわかる。スイスでも、ビール(ビエンヌ)駅からラ・ショード・フォン駅に向かうローカル列車に乗って数分もすると、さっきはドイツ語で話しかけてきた同じ車掌さんが今度はフランス語で話しかけてくる。日本では、国境のトンネルを抜けると雪国になることはあっても、言葉の国境に出合う体験にはなかなか出会えない。何だか不思議な感覚だ。


 実際に体験はしていないが、90年以降、旧ユーゴスラビアが民族や宗教などを基準にして、幾つもの国家に分裂した。チェコスロバキアも後でチェコとスロバキアに分裂した。しかし、これらは分裂したというよりも、元々は別の国だったのが、合体して旧ユーゴスラニア連邦やチェコスロバキア連邦などを形成したのが、元の別々の国だった時代に復帰したと見ることもできる。むしろ、そのほうが自然な見方かもしれない。ということは、経済ではグローバリゼーションが現在のメガ・トレンドだが、経済以外ではローカリゼーションを志向することがむしろトレンドになりつつあるような気がしている。

 スコットランドの独立云々とは離れて、まったくの一般論で言えば、世界の国でさまざまな紛争が起きていて、宗教に起因するものも結構多い。そもそも宗教に限らず、生活感や歴史・文化の伝統や物事についての考え方が同じとか、似たようなグループの人が同じ国で暮らすほうが人間は幸せであり、居心地が良いのではないだろうか。紛争を起こさずに他人に合わせて暮らせるなら問題は起きないのである。

 国家の数が益々増加傾向にある事実からも、その傾向が見てとれる気がする。宗教が異なる人や、考え方や生活習慣がまったく違う人が無理して同じ国に住むことでさまざまな軋轢が生まれるとすれば、そこに何のメリットもない。別々の国で理想を目指すほうがお互いのためとも思える。人はすべての点でグローバル化、その結果として、同一化に向かって収斂することなど本当は望んではいないのではないだろうか。ローカリゼーションがあるから、国も地方も人間も面白い。金太郎飴みたいにどこを切っても同じではつまらない。人間も景色も違うからこそ、興味も引かれるし面白い。経済という視点・グローバリゼーションという視点から見るか、文化・歴史・民族という視点・ローカリゼーションという視点から見るか、どちらが多いかで考え方は異なってくるのかもしれない。

 話を元に戻すと、日本人は一般的に言えば、イギリス人をイングリッシュか、スコティッシュか、ウェルシュか、アイリッシュか、普段あまり意識して区別して考えていないことが多い。ブリティッシュと考えているのが普通だ。昔、修学旅行で行った長崎のグラバー邸で有名なグラバーは坂本龍馬とも歴史の裏で密接な交流があり、グラスゴー出身のスコティッシュだと後で知った。普通の認識はこの程度のものだろう。UKの人々と長年、多少とも関わってきた(いる)人間として、できれば今後も一緒に仲良くやっていってほしいと思う。UKを構成する4か国は個人的にどこも好きだし、来年はニッカウィスキーの創始者の話もNHKのドラマで取り上げるようだし、スコッチウィスキーの故郷、ロンドンで鬱になった夏目漱石が癒されたピトロッホリ、ネス湖などスコットランドの風土や歴史に興味を持つ人間として、ハイランド地方にはいつか必ず訪れたいと常々思っている。それにしても、これからスコットランドはどこに向かうのだろうか、固唾をのんで見守っている。離婚したら、元の鞘に納まるのは現実にはもう無理だからなあ。

「のれん」に関するIFRS(国際会計基準)の見直しもある?!

 9月6日付け日経新聞によれば、「のれん」に関するIFRSが、2015年にも見直される可能性が出てきた。IFRSを審議・作成する審議会のトップが「のれん」に関する現在のIFRSが完璧でないことを認めたからだ。曰く、「のれんがあまりも多く残っている。企業によっては、減損処理のタイミングが遅すぎて、巨額の「のれん」の減損が一気に表面化する例も出ている」(筆者注:新聞の引用を、論理の流れを重視して、わかりやすい表現にした。)IFRS審議会のトップが言ったことは、当然、論理的に予想された問題点だ。この問題点について、筆者は当ブログのM&A関連の記事で繰り返し言及してきたので、興味が有る方は読んでいただければ大変幸甚である。

 M&Aによって生じる「のれん」の定期償却をIFRSが要求しないから、最近、多くの経営者がIFRS導入に踏み切るのである。とすれば、積極的に、「のれん」の減損をするわけがないのは当然予想されることだ。なぜなら、M&Aをした後で、仮に、すぐに減損理由が判明したとしても、積極的に減損する心理になれるわけがない。そんなことしたら、M&Aが失敗だったと自ら認めるようなものだ。自分の責任を追及されるのがオチだ。当然、減損理由があったとしても、減損を否定する理由を見つけて、減損しない方向で、社内に指示するか、あるいは、何も指示しない(不作為の)行動を取るのが人間の心理にもとづいて当然予期される行動だろう。阿吽の呼吸だ。これが、多額の「のれん」が現実に残る大きな理由ではないだろうか。「仮に減損しなければいけないとわかっていても、できるだけ減損を後に延ばしたい。」これが偽らざる経営者の心理だろう。だから、どうやっても、もう減損せざるを得ないギリギリのタイミングで減損をすることになる。だから、巨額の「のれん」の減損が一気に表面化するのである。お分かりのように、これは実に論理的な流れ?!なのである。


 先の審議会の議長は、日本基準の「のれん」の会計処理についてもコメントしている。曰く、「のれんの償却が最長20年という期間は長すぎる。定額である合理的な理由も見つけにくい。」


 20年が長すぎるというのはまったく同感だ。通常なら、M&A35 年もあれば、そのM&Aが成功だったのか、失敗だったのかどうかは大体わかるのではないか。ならば、その期間内で償却し、バラスシートから「のれん」をオフ・バランスにするのが合理的だろう。個人的には、35 年で償却するのが妥当だろうと考えている。しかし、恣意性があっては困るから、一律に決めるとしたら、5年が皆の同意を得る一つの基準になるのではないかと予想している。次に、「定額法である合理的な理由をみつけにくい」というのは、裏返して言えば、合理的な理由が見つけにくいからこそ、定額で償却するのが妥当だという考え方もなりたつと思う。彼が言ったように、減損処理するタイミングが遅すぎるというならば、定率法的な考え方で償却するのが妥当だという見解を落としどころと考えているのかもしれない。「のれん」はもともとさまざまな要素が入っているわけで、定義上はともかく、本質的には、無形資産の部分だけではないからこそ、早く償却して「のれん」をオフ・バランスしたほうがベターと考えているだろう。

 筆者のあくまでも現時点での推測にすぎませんが、IFRS審議会の議長は、内心は、「のれん」についての基本は日本基準の考え方のほうがベターだと思っていて、償却の期間は多分5年程度、定率法による償却によって、早期に「のれん」を償却する事を落としどころと考えているのではないだろうか。また、経営者にとっても、中長期の視点からは、日本基準のほうが今のIFRSよりも安心できるのではないだろうか?勝手な推測ですから、発言に責任はとれませんが・・・。〈笑)

 もちろん、一旦、決まったルールには従う以外にないのですが、それでもルールが経営的な問題点をかなり含むと考えられる場合には、やはり企業の側や、関係諸団体はIFRSに何らかの主張を提示すべきだと思います。外野席の人間としても、ルールがどうなるかを実践的な視点から推論するのも結構おもしろい知的ワークと思っています。推論がもし、実現しそうになれば、少なくとも知的自己満足は満たせます。〈笑)

 IFRSの全世界普及に米国をどうしても巻き込みたい審議会としては、その切り札になる日本をIFRS陣営にどうしても入れたいから、今、日本にはかなり気を遣っているように思えます。この絶好の機会を捉えて、日本は自からの考え方を発信し、日本企業の更なる経済的な発展のために、リーダーシップをぜひとも発揮してほしいですね。

プロフィール

マーク池田

できる人の決算書の読み方
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