80年代のJ-POPを語る上で欠かせない存在といえば
男ユーミンとの異名を持つ大江千里の存在であろう。

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大江がデビューした80年代初頭といえば、女子大生ブームが起こった年でもある。関学在籍中にデビューした大江はこの時代の追い風を受けて、「私の玉子(たまご)様」のキャッチフレーズにウソ偽りのないアイドル顔負けの王子様ぶりであった。「十人十色」などのスマッシュヒットなどでその知名度も右肩上がりとなっていった。

そんな最中やってきたのが、バブル景気であった。
みんながそこそこの金持ちになり、大学に行くことも珍しいことではなくなり、彼の関学出身という売りも徐々に色あせていった感がある。

自分のイメージが時代と合わなくなった事を察したであろう大江は、ここで楽曲を提供することで自分の活路を見いだしていった。
1989年 光GENJIに提供した大ヒット曲「太陽がいっぱい」での売り上げを考えればその戦略は成功といえるだろう。

余談だがこの曲のサビ前のフレーズの

水着をほどいたら 砂がこぼれてく
まぶたのオレンジ 弾ませてごらん


の意味が未だに理解できてない

(追記)「まぶたのオレンジ」とは、眼を閉じて太陽の方を見るとまぶたがオレンジ色にまぶしく光っているから とのコメント頂きました。10年来の疑問が解けました。ありがとうございます)



ここで再び流れにのった大江は1991年に50万枚という自身最大のヒット曲となる「格好悪いふられ方」をリリースする事となった。これでミュージシャンとしての磐石の地位を得たように思えた。


しかし!

この年を境に大江のCD売り上げは急降下をたどる事となった。
何が一体あったのか・・


考察するに大江の売りといえば格好悪いふられ方でわかるようにダサい僕」を開き直ることで得る女性支持層だったと思われる。

ダサい僕を開き直る・・?


その路線の客を根こそぎ持っていったであろうある男が浮かんだ!




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槇原敬之である


奇しくも、「格好悪いふられ方」が発売された91年は、槇原の出世作である「どんなときも」がちょうどリリースされた年でもあった。もはやこれは偶然の一致ではない。かぶったのだ!あの槇原にダサい僕をテーマで歌われば、説得力の重みが違いすぎる。もう相手が悪かったと諦めるしかない。

その後イメチェンを工作したのか、女性誌の取材で突如「僕は実は体育会系だった」と言い出したり、東南アジアに自分探しの旅に出たりと急直下のイメージ戦略に出たものの、時はすでに遅かったようです。

十人十色と自分の中の可能性を求め、ラジオ、テレビなど様々なジャンルへと様変わりをしていった大江千里
ナンバーワンよりオンリーワンと、その枠を守り続けている槇原敬之

どちらが正解なのかは、今後の2人の活動を見守って行きたいと思います。