人生に無駄な事などひとつも無いと言うが、どうも思春期の貴重な時間を、誤った方向に費やしていた気がする。


闘将!!拉麺男(1982年~1989年)で、毒草・毒薬・毒虫を配合して入れた瓶に長い年月をかけて手とうで突き、
毒手を完成させるという話があった。
魁!!男塾の「民明書房刊」を図書館に探しに行った前科のある私が、これを疑う理由などなかった。

8c212d21.jpg



毒手はさすがに無理だったが、ジャッキーの映画で砂をひたすら突いて鍛えるという場面があり、
この行為の裏づけが取れたという確信を持った。
それからというもの人知れず砂場を見つけると、手とう突きを繰り返し、
自分の手を鋭利に削る日々が、結構いい歳まで続いた。

努力の甲斐あって鋭さを持った手を完成させたのは良いが、よくよく考えると、
一般人の私に手とう突きは、どのような場面で使われるのだろうか?

男ならば一度ぐらいはコブシを強く握り締め、それを突き放つ機会はあるだろう。平手も同様にあるだろう。
しかし、この鍛えた手とう突きは、本日まで一度もお披露目する事無く、今後もそんな場面は無さそうだ。
中国カンフーの時代ならいざ知らず、現在においては全く無意味だった。


こんな事を努力したところで、人生の巨大な壁が立ち塞がった時に、何も生きてこない。

壁といえば、ゼビウスでバキュラという攻撃を一切してこない、ひたすら回転するだけの壁がいた。
4a990d94.jpg


そのバキュラに256発打ち込めば破壊できるという情報が流れ、連射機がなかった当時は、
ハイパーオリンピックで鍛えた連射技で、出現からギリギリまで256発を打ち込むことに情熱を注いだ。
幾度も失敗し、これにかけた時間も計り知れない。
しかし、この256発を打ち込むのは事実上不可能で、これがガセ情報とわかるのはだいぶ後であった。

子供ながら脱力感というものを知り、壁は壊すものではなく、よけるものだと理解した。
しかし、人間は忘却、過ちを繰り返す生き物である。


その10年後にバイオハザードにて、迫り落ちてくる吊り天井に対して、パニックに陥り、
ショットガンをひたすら迫り来る天井に撃つという行為を半日繰り返していた。

5ceafbcf.jpg




どうも学習能力が足りないらしい・・

それからまた10年経った今現在、今度は見えない現実の壁に対して、錆付いたマシンガンで今を撃ち抜いているようだ・・・・