BOØWY 裏年表


1960年 
10月7日 寺西修(氷室京介)、群馬県高崎市に生まれる
「氷室」の名前の由来は、漫画「ワル」(講談社)の主人公、氷室洋二からとったもの

1962年
2月1日 布袋 寅泰、群馬県高崎市に生まれる
父親は家にほとんど居なかった

1969年 
3月 高橋まこと、中学卒業後、志望していた進学校福島高校に不合格となり一浪する。
松井常松、小3の校内の陸上大会で優勝した景品のシャープペンを、友達に貸し渋った事をキッカケに、イジメに遭う。

1970年
高橋まこと 福島高校に入学も、長髪に下駄というスタイルで登校し、初日から上級生にボコボコにされる。

1971年 
11月 氷室、小6の時に「友人のカバンを傷つけた」と担任の先生に疑われ、大人たちに不信感を募らす。


1973年
4月 氷室、中学入学。校則通り五分刈りにする。卓球部に所属。
8月 氷室、先輩3人に呼び出しをくらうも返り討ちにし、暴力に快感を覚える。
12月24日 高橋、恋人に浮気される


1976年 
4月 布袋、中学生にして180cmを突破

1977年
氷室、パトカーをひっくり返す

1978年
布袋、190cmを突破

1980年
9月 氷室、三原順子のデビュー曲「セクシーナイト」で 、寺西修一名義にてコーラスで参加する。


1982年
1月 高橋、BOOWYのドラマーのオーディションにて、曲の出だしのカウントする声が大きいという理由で受かる
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2月 高橋の「NO.NEW YORK」演奏開始のカウントがあまりにも大声だった為、松井が笑い出し、演奏が中断

3月 ファーストアルバム「MORAL]発売。
ジャケットの帯には「エアロスミスとアナーキーとサザンを足して3で割ったバンド」とキャッチコピーを付けられる。

5月 ツアーの宿泊費節約の為、全員でラブホテルの一室に宿泊

10月 氷室、太陽にほえろの「ラガーのラブレター」の回に出演



布袋、髪を含め200cm突破


1983年
7月 3万人が集まるイベントと聞き参加するも、村おこしのイベントで若者は30人程度。ギャラもキュウリ、レタスなどの野菜であった。

1985年
高橋 ツアー先の観光地で必ず城に登る。

1987年
2月 ラストシングル「季節が君だけを変える」を発売
布袋が「もっと深い、俺たちの関係を言葉にして欲しい」と氷室の歌詞に意見した最初で最後の曲。
その要求の見返りとして、氷室作詞作曲の「CLOUDY HEART」がB面にくる事となる。

12月 写真誌「FRIDAY」にて氷室に殺人の前科があると書かれる

1988年
4月 LAST GIGS「俺達はまだまだ伝説なんかにはなんねえぞ」の言葉を残しBOOWY解散。

12月 氷室、アルバム「FLOWERS for ALGERNON」が日本レコード大賞を受賞。
「これもひとえにスタッフとファン、それからあとは俺の実力だと思ってます」とコメント

1989年
4月 布袋、イギリスで「DANCING WITH THE MOONLIGHT」を発売するも英国ファンには受け入れられず廃盤に。

7月 氷室、「SUMMER GAME」の作曲の為、首都高のパーキング内でギターをかき鳴らしていたところ、警察に職務質問される

1990年

10月 氷室、30歳になり、「きてよ パーマン」をよく口ずさむようになる。

11月 布袋、COMPLEX解散コンサートを東京ドームで行う
布袋はこのコンサートをやる意思が無く、ソロアルバムGUITARHYTHMの製作にいち早く入りたかったが、ドーム経験の無い吉川に熱望されしぶしぶ興行を行うが、この微妙な空気はDVDでも十分伝わる

1992年
1月 氷室、正月にHOUND DOGの大友の家で麻雀をやり、大友が振り込んだ「中」で大三元をあがる。

1994年
5月 布袋 海外の大物が参加する東大寺ライブのリハに堂々と遅れてきたゲーリーヨシキに
  「XJAPANってなんだよ わけわからねえよ」と告げ、打ち上げ後の深夜に大げんかとなる

1995年
阪神大震災のチャリティーコンサート(日本武道館)で氷室、布袋が共に参加し解散後最もニヤミスした瞬間だが、同じステージ上にあがる事はなかった。


2001年
高橋、解散後いくつものバンドを渡り歩いたが、未だに 「BOØWY 高橋」 とサインしている事が判明



【参考文献】 
「大きなビートの木の下で」(ソニー出版刊)
「BOOWY RENDEZ-VOUS」(ソニーマガジンズ刊)
「BOOWYと日本のロック」(宝島社)