BOØWYは 1988年 東京ドームの「LAST GIGS」において解散した。
これはライブを中心に地道にやってきた彼らなりのケジメともいえる興行で、ファンへの感謝を込めた最後の打ち上げ花火的なものであったといえる。

1987年 12月24日 渋谷公会堂

クリスマスでのこの解散宣言が、事実上の解散ライブだったとも言える。

今回「LAST GIGS」よりも、このライブにスポットを当てて書こうとしてるには訳がある。「LAST GIGS」は昔から色合いが粗悪なダビングを1000回はされたであろう裏ビデオが全国に流れていて、後にDVD化されても目新しさという意味ではさほどなかった。この「1224」のDVD化は、今から5年前の2001年に発売され、ファンとしては待ち望んだ伝説の一夜の幻の映像となっている。

1224
BOOWY
B00005RGUX



解散宣言に至る経緯を私の持つ書物をひも解いて、改めて振り返ってみます。

アルバム「JUST A HERO」の完成度に音楽的な自信を持ったBOOWYは、次は商業的成功を目指すこととなる。そして次作の「BEAT EMOTION」(1986年11月08日)が見事一位を獲得し、シングル「マリオネット」のヒットと共に彼らの目標は全て達成されていた。

地元群馬時代からの仲間でもあり、BOOWYのマネージャーを務めた土屋氏によると
--何故、BOOWYはCDセールス絶頂期のあのタイミングで解散を決めたのですか? との問いに、
「よくあるお金や女のことなんていう理由では決してなかったですね。実は「解散」って言葉はそれよりずっと前からことあるごとに軽く出ていましたから。0か100かなんですよね、常に。ロックバンドがまだ根付いてない日本でその場所を見つける事が出来たら解散という意識が彼らにはずっとあった。」

翌年のアルバム「PSYCHOPATH」はこれが最後として作られたアルバムであり、ツアーの初日から解散は決まっていた。では、何故初日に解散を発表しなかったのかといえば、苦心して作った「PSYCHOPATH」を解散興行ツアーみたいにしたく無かった。その為、このツアーの最終日である12月24日 渋谷公会堂に発表することとなる。

しかし、クリスマスを待たず、ツアー途中にファンの間で解散の噂が広まる。
キッカケは事実上ラストシングルとなった「季節が君だけを変える/CLOUDY HEART」の意味深なタイトルの発売であった。CLOUDY HEARTは氷室の同棲していた相手との別れを歌った曲というのがまた拍車をかけたのだ。

そして決定的だったのが、写真誌「FRIDAY」にて解散の噂をスッパ抜かれたのだ。そしてこの最終日渋谷公会堂には、解散を信じたくないファンが、会場の外まで詰め掛けることとなる

このライブで氷室がどの曲の後で、どのタイミングでどんな事を言うのかは、他のメンバーすら一切知らされてなかったという。


アンコール登場に氷室は

今日は、みんなにちょっと言わなきゃいけないことが、ひとつあって・・・。
(ざわめく観客)

6年間・・・6年間・・・・・・6年間、BOOWYをやってきました。
誰がなんと言おうと日本で一番カッコイイバンドだったと思います。
高橋まことと・・・それから松井恒松と・・・布袋寅泰と・・・氷室京介が、4人が・・・。
4人が、思い切り4人でできる音楽を6年間やってきました。


6b2798ad.jpg

しゃべりながら声が詰まり、正面が向けない氷室と、
腕を組んで観客から背を向けるしかない布袋のこのシーンが象徴的である。


これから、ひとりひとりが、ひとりひとりの為に、今まで4人でしかできなかった音楽をやってきたように・・・、
ひとりひとり、これからやって行こうと思います


もう泣き出しそうにだった氷室は、この異様な空気を振り払うように最後にこう言って解散宣言を終えた。

フォークのバンドじゃねーんだから、ジメッとすんのは似合わねーと思うから!
最後に、ビシッと贈るぜ!Dreamin'!!」


たったこれだけの言葉にどれだけの時間を費やしたかはわからない。
このライブ映像には「LAST GIGS」にはない悲壮感と緊張感が漂ったものとなっている。

この直後のインタビューで氷室は
「売れていたら解散してないと思う。まだ新宿ロフトでやっていたんじゃないかな。だから売れた売れないよりもというより、実数が上がった事によって回転が速くなってやりたいところまで行き着いてしまったと思う。だから、後1~2年やったらカッコ悪くなる気がするし、だからやめたんだよ」



私は1987年、ニュースステーションで久米宏からこの解散を知りました。この解散宣言は、リアル世代じゃなかった恐らくBOØWYファンが本当に一番見たかった映像でもあり、解散から15年後にリリースされたこのDVDは彼らからの最後のプレゼントだったと思っています。