もう自炊をしなくなってから何年経っただろうか・・
毎夜コンビニで、すかすかになっている残り弁当を見つめながら

これいいや・・

と小さく呟きレジに行く。



シャンプーがもう無くなっている。
高くとも気に入った一品を選ぶ心は、社会人になってからどこかに落としたらしい。
日用品は安くて大量が選定のポイントで、値段だけ流し見で即決


これでいいや・・


床屋は自分を際立たせる場所から、伸びたら立ち寄る場所に変わった。
「今日はどうします?」の問いに、「あ・・おまかせします(何も考えてない)」
「では○○○な感じでいいですか?」 (しきりに頷く仕草は見せるが、全く聞いていない) 
仮にスキンヘッドを勧められても、私の口から出る言葉は決まっている。

それでいいです・・




ふと、思った。

最近、「」 を使う機会が増えたなと・・



金八さんがどのシリーズだったか忘れたが、

」と「」の決戦だ!

と生徒に叱咤していたのを思い出した。


うろ覚えだが、受験をやめてとりあえず働くと言い出した生徒に、「これでいい」じゃ何をやってもだめだ。
これがいい」の心を常に持つ事が人生の糧になると。


ああ・・たしかに十代の頃は何をするにも「」が先行していた気がする。
床屋だって吉田栄作の切抜きを持っていって
これがいい」と言い、床屋さんを困らせていたことを思い出した。


あの頃は時間があったから、「~いい」を使えたけど、大人はそんな暇はないからしょうがないと思っていた。
だが、それは言い訳かもしれないと思い始めた。

わたしは昼飯は、いつも味など気にせず、社食をローテションしているだが、
短い昼の時間を使って「これがいい」と、外に出て常に新しいものを食べ歩く人がいる。
こういう人達は、いつもハキハキしていて仕事が出来る人が多いように思えるのだ。

まだ右も左もわからない新入社員の頃、人柄の良さで有名な人事部長にこんなことを言われた。
「常においしいものを探しなさい。食事が作業になったらダメだよ。」

このときは東京はおいしいとこが多いのかと完全に意味をはき違えて理解していたが、今はその本質がわかる気がする。

これでいい」と思った時点で、脳の成長はそこで止まる。
これがいい」は、さらなる「これがいい」の欲求を生み、
その欲求心が響き渡れば、ブルースは加速していくのだ。


人として覇気を失っていくのと、「で」の使用頻度はシンクロしている気がしてならない。
昨日の晩飯ですら何を食べたのか覚えてないのだ。たぶんテレビを観ながらのながら食いだったのだろう。
ああ・・最後に味わって食べたのはいつだろうか?

そこでわたしは脱バカボンのパパ宣言を決意した。


これがいいのだ!



さぁ、明日の昼飯は久々に外に出てみよう・・