大晦日に響き渡る除夜の鐘の「ゴーーン」という音は
我々には澄み切ったひとつの乱れのない音として響き渡って聞こえる。

しかし、実際この釣鐘の中はどうなっているかご存知だろうか?




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下手な図で申し訳ないが、釣鐘の中ではいくつもの激しい音が中で交錯しているのだ

中で激しくぶつかり合うほど、外部には澄み切った音に聞こえる。


自分の体験談を少し真面目に書かせてもらいます。
私が最初に組織というものに属したのは、小学生の頃のリトルリーグだったと思う。そこにいる監督(大人)は少年たちにとっては絶対的な存在であった。そこから学生時代の部活の顧問から大学のゼミの教授に至り、最初に配属された部署の部長に至るまで絶対的な存在のトップがいて、それに従うという上意下達という環境で育ってきました。

もちろん年齢が近い人間同士の会議なら少し踏み込んだデスカッションも行われているのですが、ひとつ年齢が離れたり自分よりも役職の立場の人間がいると、ディスカッションから上意下達の報告会へと様変わりしていくのです。それが正しいとは思わなくても、組織に属するものとして仕方ない思っていたところがありました。

そんな中グループ内のある企画会議に出席した時に驚かされました。そこでは年齢も立場も皆さまざまなのに、今までのやり方に対し保守と反体制に別れ議論を戦わす。その席で一番立場の上の人の意見だって喰い気味に反論する。感情的になるは、机は叩くは、今までの見た事のない会議に私はあっけにとられて、この数時間その場で唯一押し黙ってしまった。
なんてまとまりのない会社だと思っていたが、それは大きな勘違いであった。幾度の激しい意見のぶつかり合いの経緯を経て、最終的にひとつの大きな目標が出来てしまうのだ。それは皆が意見をぶつけあったからこそ、全員納得で意欲的に仕事に取り掛かれるのだ。これこそ最初の釣鐘の図である交錯の繰り返しにより、ひとつの大きな音を奏でるのです。

それに比べて自分のそれまでの会議を思い返すと、外部にひとつの音を奏でているのは同じなのですが、その音は鐘の内部では非常に静かで遠くまで響く音とはならないのです。鐘の中では大人しいのに、いざ会社を離れると各々の本来出すべき音が、仕事後の居酒屋などで不平不満という決して反射してこない音として、夜空に飛散しているだけなのです。

その結果本意ではない事をやらされるという図式になり、さらなる不況和音へと繋がる悪循環の会議を数多く体験してきた。
みんなで決めたことをやる。これが会議の目的のはずなのに、小学生の学級会で行われている事が、大人になると出来ないのだ。

意見をぶつけ合う会議だって、その釣鐘がしっかりしてなければただの騒音を撒き散らす街宣車であり、何一つその音の内容は伝わってこない。この釣鐘の役割こそが、リーダーの器ともいえるかもしれない。先日、このブログのスベっているところを事細かに分析して報告くださったコメントを、迷い無く消してしまった私の釣鐘はまだまだ薄っぺらいみたいだ(笑)


白鳥は、水上をすべるように滑らかに泳いで行くが、実際はその水面下では醜いほど足をバタつかせてその動きを保っている。私はどうもこのバタつく足がいつも水面に出てしまっている気がある。私の釣鐘がきれいに響き渡らないのもこの辺に原因がある気がする。


美しく響いたり、華麗に見えるものの下には、阿鼻叫喚のぶつかり合いによって成り立っている事を忘れたくない。

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