松田聖子の代表曲 「抱いて・・」は今でも女性の間で唄われよくご存じの事だと思う。
しかしこの曲は実はシングルカットされてなく、アルバムの一曲にすぎない事はご存じだろうか?

それなのにこの曲が今でも広く人々に認知され歌われているのには、この曲をひっさげ88年に出演した夜ヒットのあるハプニングによるものが大きいと思っている。


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(88年 夜のヒットスタジオ 松田聖子「抱いて・・」 )

歌の途中で衣装の肩ひもがはたけてしまい、とても際どい状態で最後まで歌い続けたのです。

(うろ覚えの方、初耳の方、百聞は一見にしかずという事で文末に動画を紹介してます。)

当時この放送をポロリしてしまうのではと、とてもハラハラしながら観ており、そんなハプニングでも最後まで歌いきった松田聖子に素直に感心したものです。


あれから20年・・・
純粋無垢だった少年は大人になり改めてこの映像を観たのだが、ある疑惑がふつふつと湧いてきた・・

これは・・・ 仕組まれたヤラセ(演出)ではないだろうかと・・


事件から20年。探究心に火がついた私は裏取り作業を進めていくと、徐々に状況証拠が固まってきた。
そのうち有力と思える3つの根拠を陪審員である読者の皆さんにお伝えたい。


◆ オリコン連続一位記録が途絶えたのは88年

松田聖子はオリコン24作連続一位という金字塔を打ち立てたのをご存じだろうか?
現在ではB'zにその記録を抜かれているがそれでも脅威の記録である。
1980年の『風は秋色』から始まり1988年の『旅立ちはフリージア』でこの記録は途絶えた。
(余談だがこの25作目の連続一位を阻止したは、当ブログ推薦曲でもある小室哲哉氏の2ndソロシングル『GRAVITY OF LOVE』である)

この88年当時、松田聖子は26歳である。
結婚・出産を経過しアイドルとしてやっていくにも微妙な年齢で、常に第一線 を走り続けてきた彼女にとって初めてその人気に陰りが見えてきた時期なのだ。

そう、アイドルからの大きなイメージチェンジが求められていたのだ。

88年を境にサンミュージックから独立し、これまで楽曲を提供してきた松本隆、松任谷正隆 、尾崎亜美からも離れ、新しい布陣で臨んでいるいる事からもわかる。

初期の代表作 『SWEET MEMORIES』も当初B面扱いだったか、夜ヒットでの披露がキッカケで一気に火が付き両A面扱いとなり、その後の彼女の不動の地位をに決定づけるものとなったのだ。私が事務所関係者なら夜ヒットで再び起爆が起こるような行動を指示するだろう。

それぐらいこの曲は彼女にとってターニングポイントとならなければいけない時期だったのです!

◆ 仕組まれた衣装?

着慣れないテレビ用の一発衣装ゆえに、いざ本番でズレおちたという事件は過去にいくらでもあった。だがこの衣装は偶発的ではなく、少しでも動けば間違いなくはたけるようになっているのだ。はたけてからも手で直すという仕草をほとんどみせずそのまま放置していたのは戻しても無駄だとわかっていたからではないだろうか?それぐらいこの衣装に制止力が見受けられない。
最初に「演出では?」と書いたが、少なくともテレビ側は知らなかったと思われる。本当に際どくなると放送事故のように突如意味不明な背景にカメラを飛ばすシーンもあり、その後の司会者の慌てぶりを考えるとあちら側はシロである。


◆ 貫徹して行われたカメラ目線

イメチェンをせまられたスキャンダル女王・・・、仕組まれた?衣装・・・
残念ながら今まで語ったのは状況証拠に過ぎない。
そこで決定的な物的証拠を提出したい。


ポイントは松田聖子自身がこの衣装(ハプニング)を事前に知っていたかどうかにつきる。
事務所側が本人に黙って仕組んだ可能性だってない訳ではない。

そこでこのハプニング中の松田氏の表情に注目したい。

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この目である(笑)

生放送で5分も続いたアクシデントの最後で、胸をひた隠しながらこの妖艶なカメラ目線が出来るだろか?

以上で、当ブログ側の主張を終えます!



はい、実際のところはハプニングに動じない強いプロ意識が成せたものともとれるし、真実は本人のみぞ知るといったところでしょうか。
演出としてもハプニングとしても、身悶えながら抱いて抱いてと連呼する姿がこの曲のイメージと見事にリンクし、その結果この5分間がどれだけの宣伝効果があったかは、この曲の認知度が語ってくれてます。


以下動画 ↓


夜のヒットスタジオ 松田聖子「抱いて・・」 (YOUTUBE)