海峡派135号感想 ③俳句、随想 

俳句

午後 ・・・・・・・・・・・・土田晶子


1
月~12月まで描2句ずつ、24句を発表。それぞれが文芸書を紐解くように作句されている。

病床に「初恋」を読む二月かな

啓蟄や「アンネの日記」の背文字見る

 八月の返らぬ本や「鍋の中」

 残暑光「砂の女」を古書店へ


各月の、対の句は文芸書ではないが、文学にまつわることだったり、関連の事柄を思わず連想してしまう句である。

 祖母の墓前にむかうさくらんぼ拾いて

 遠花火本読み終えしあと終わる

 海峡に船の消えいし星月夜

 書を読むも茶を飲むも飽き十二月


言葉の一つ一つの選び方が、もうこれしかないだろうと思われるくらいに鋭い。土田さんは
2015年福岡県先達詩人に顕彰されたほどなので、詩のうまさは言うまでもないが、俳誌「自鳴鐘」でも大ベテラン。

・土田さんの俳句が、一度にたくさん読めてうれしい。

・言葉の人。



随筆

静と動 ・・・・・木村和彦


小説を書く上で、最も大切なものは「奇抜な題材、静止画像でなく文章内で動かすこと、比喩表現こそ、小説の価値を定める最大の武器だ」「ありそうなことを、さもありそうに書く、これは作文である」と断じる。夢を書くと、自由に活動でき、しかも責任がないから、なんでもありで、許される。音楽が良い例である。

 

・もう少し具体的に引用してほしい。

・自分の体験だけを書いているのが小説と思っているようだが、そうではない。創造性に乏しい。

・物を書く=文学でなくてはいけないのか?

・後輩に優しい論文であってほしい。

・創造力で書く大事さ。

・体験から離れられないが、素材がいろいろ取れるし、表現の仕方によって変わる。

本人談:断定したところは、走りすぎた。事実からできるだけ離れるようにという意味。

老女カヌーに乗る ・・・・・さとうゆきの


134
号に掲載された「奄美紀行」の中の、カヌー体験を詳しく記している。「黒潮の森・マングローブパーク」というところでカヌー体験をするという。さとうさんは写真家Sさん(男性)との二人乗りのカヌー。空気が入ったチョッキとビニール草履にビニールレインコート。必死で漕ぐが、浅瀬に乗り上げる。その時にヒルギの種という黄色い植物を教えられ、ニギニギしてみたら・・・「こころなしか種はくすぐったそうに身を捩じらせた。そして、先端とおぼしきあたりがピシッと割れて、皺くちゃの黄緑の塊が姿を現した・・・(略)・・・わたしに捨てられた苗が、砂の上でもぞもぞしている。このまま放置しているとあの子は死ぬ・・・」。この辺の表現は詩の領域に踏み込む前触れ。切り取って詩になっているのが、「漂木(ヒルギ)」。最後にインストラクターは、44艘をロープでひと纏めにし、係留所まで引っ張っていく。

・勇気がある。まるでヒルギの苗のように貪欲。

・興味尽きない作者、写真が一枚あることで、イメージがわき、よかった。

・インストラクターは力持ちだなあと思った。

・作者は、はたからみれば苦痛に思えるようなことも、楽しく感じられる前向きな女性。

銀次郎の日記(ガン闘病記)
―河村一族のルーツを辿って・・・・青江由紀夫

一、 家系図(血脈図)を妄信して

二、 何故繁栄は継続できないのか

三、 出世不出世は努力のみでは不可能か

四、 凡庸も出る名門

五、 関東の未開地に来ては都では田舎者

六、 平将門のお陰で大出世の秀郷さん

七、 またも、密告・讒言で左遷

八、 必死で生きた祖先の人たち

河村一族のルーツに迫り、また、河村博旨について、ウィキペディアなどより転載。

 

・お身体は相当にきついだろうに、よく書かれる。驚異的な精神力。

・自分のルーツをたどっているが、藤原鎌足までさかのぼられると、まさに小説だ。


 


 


 


 

「海峡派」136号 ②詩 感想 

「海峡派」137号が海峡派同人のお手元に届いたころと思います。
早く読みたいのですが、チラチラ斜め読みしては、136号の感想をまとめております。
②詩の感想です。


雪の降る日に
 ・・・・・・山口淑枝

四十年ぶりの暴風雨、「窓越しに降る雪をみている」と、「―ゆうきやこんこんあられやこんこん」・・・とうろ覚えのうたが「降って」くる。そして、若い頃に住んでいた「東北の辺鄙な村」のことが思い出される。四連は時間が遡り、雪掻き、石炭ストーブ、ぽんこつのボンネットバス・・・が出てくる。五連からは再び現実に戻る。雪は小止みになり、外に出て雪ウサギを作った。

「雪は今年も私に/さまざまな《おもい》を寄越して/溶けていった」ラストで、ぐっと締まった。今年も・・・という一文で、去年も、昔も・・・と雪にまつわる何らかの思い出があるのだろうことがわかる。雪やこんこ・・・の唱歌が過去にいざない、また、一面銀世界という最近の北九州ではなかなか見られない真っ白な色の(ない)風景を見せてくれた。


・美しい詩。雪が流れるような情景。

・うろ覚えの、間延びした・・・詩の良さ。

・「ゆきやこんこ」歌一つとっても歌詞のことなど調べれば、勉強になる。

・懐かしい風景

・雪が降ると、東北の村に住んでいた若い日が、湧き水のようにわいて、流れてゆく。

漂木 ・・・・・・さとうゆきの

まず、ヒルギと読ませるタイトルがいい。「はなびらとともに/砂に落ちた俺」、俺が主人公ではなびらは母。「垂直に砂に刺されば/そのまま苗木となり・・・マングローブの密林を/さらに深くした・・・」、つまり、マングローブの種か。母は「潮がくれば漂って・・・砂をさぐり根を下ろしなさい」という。「みにくく焼け焦げた俺」は、海をめざし、未来を信じる。

焼け焦げた・・・というのは何によって? 戦争という外部の禍のためだろうか。母のはなびらも「無防備に焼け」ているので、俺の「母よ/この責め苦を味あわせるために・・・」というのは俺の誤解だろう。しかし、最後で、未来に息づき、さらに木、樹、森と命を増やす希望を得ることで大きな命の循環、生命の摂理を描き出す。

・ヒルギは終わりのようにおもえて、再生につながっていくという広がりを感じた。

・なり替わる方法・・・斬新

・ラストのマングローブの密林の風景がよくわかる。

・エッセーとセットにするとよくわかる。

・擬人化、はかなさ・・・小さい存在ながらも強くいくという意思もみえる。

・「そこがお前の生きる位置」いい言葉。母の言葉。子どもを突き放して強く育ってほしいと願う。

・マングローブは総称、森の意味。


記憶 ・・・・・・清水啓介

主人公の主語はないまま物語は進む。「二月の生温かな夕暮れ」に、会社から帰宅。中に、「見たこともないオカッパ頭の片眼の少女が・・・・積み木」で遊んでいる。「出られない・・・困った」と言いながら。隙間はたくさんあるのに出られないという。「誰だっけ?」自分の記憶があやふやになるが「雪だるまの歌」が聞こえてきて懐かしくなる、誰の記憶?すると、片眼の少女が「はじめから、有ったのよぉ・・・」と言う。

記憶は作り上げてきたものだけでなく、初めから有ったものもあるらしいことが見えてくるが、それ以上は想像するしかない。


・シュールなちょっと怖い物語。清水さんの作品は、いつも読後、ざわざわと波立つ気持ちを抱かせる。

・片目の女の子が「出られない、困った、困った」という。「何も入ってないじゃあないか」「入れないから出られない」「真ん中に赤い柱があるから、入れない」「何も無いじゃあないか」「有ることになているの」この世の不条理。作者は女の子のように、無いものを有ると思って、受け止めてみようと試みる。

・メルヘンチック

・前の号の詩と関連していて、存在を問う詩。難しいが、詩らしい世界を表現。この世の不条理。

・ラストで初めに戻る。少しホッとする。

向こう側―亡き娘に ・・・・・・高崎綏子

「寝間着が湿っていたので/封印した衣装函から/青い小花模様のパジャマを出して」着た作者。寝間着は「病院の 地価の暗がりで回転していた/ランドリィの匂い」がする。真夜中、用をたしたあと、洗面所の鏡に映る自分を見て「あ のかたちに開いた唇 瞠いた目・・・」がいる。ラストで「あれは あなた/それとも 私/どっち」と、問う。

亡くなった娘の胃腸箱を開けて、青い小花模様のパジャマを着る。封印していた衣装箱の中身は熟知している。長い看病の末に娘は亡くなり、捨てきれなかった衣装を年老いた母が箱に詰め込んだのだから。開ければ思い出があふれて、収拾がつかなくなるのがわかっていたから、封印という言葉を使った。だが、不用意に開けて、しかも身にまとう。真夜中、鏡に映った初老の娘。あっ・・・あの子がよろける私に幽かな笑みを投げて。


・初めて出会う髙﨑さんの詩に仰天した。どうしても詩ではなくてはならない、詩でしか行減できない、という必然が伝わった。

・亡き娘さんのパジャマを着たための錯覚なのか、一瞬、訪れたのか・・・いつもいつも亡き娘さんのことを思う母の愛が伝わってくる。よくある内容だが、言葉の選び方や文の斡旋が見事だと思う。

春はめぐる ・・・・・・赤坂 夕

「木の芽おこしの 雨が続き」の出だし、「春に出会えた」と締めくくる1連。2連目は、色とりどりに咲く花々を「まるで舞台の袖で 自分の出番を待つ様に」と描く。そして、3連は心臓リハビリに励んでいること。4連は鳥たち。終連は、「生きとし生けるもの」への賛美。

・命あることを、そして命がつながれていくことを、心から祈りたくなる春の賛歌。

・きれいにまとめてある。3連目がおちゃめ。元気な作者が顔を出している。
・気持ちの良い詩。

節分の夜 ・・・・・横山令子

「節分の豆は どこに向かって投げればいいのか」と「部屋に独り立ち尽くす」。「鬼はおまえかもしれないぞ」と問いながら、言い訳を探す。「相槌を打てば足元をすくわれるから/孤独を囲って生きるのが賢明」・・・「傷つくことに慣れないから心に圧力をかけていた」・・・が、「等身大の自分の姿が浮かんでくる」。五連、六連では湿原地帯に住む動物や、野焼きの炎の比喩が出てくる。

・孤独感を言葉巧みにつかみ、言い表そうとしているようだ。最後の行で現実に戻る。豆は「まだ手の中」で、短い時間の作者の戸惑いが感じられる。

・「節分の豆は どこに向かって投げればいいのか」「鬼はおまえかもしれないぞ」「豆をつかんでひとり立ち尽くす」「人間としてとりつくろって 生きていくのに疲れた」「誰に、どこに、この思いを投げようか・・・」投げられない豆を手の中にしたままの作者に同感した。


門司港の風 
・・・・・松本義秀

歌詞。門司港の風景描写。海からの風やレトロの街並み、和布刈りの岬、風師の山・・・門司港は作者が生まれてから育った町。自分も変わったように町も変わるが、その変化は作者の中では大したことはないようだ。

いつも変わらない姿を感じさせている。門司港の風、愛を感じさせる作品。曲をつけて披露してほしいものだ。

・門司港の風景がそのままに描かれている。よくわかる。

・昔5区それぞれに賛歌があった。この詩は、門司港という土地の賛歌。

・歌詞も詩であるか? 例えば文学賞に応募してもいいのか? もちろん、詩の一つだし、応募してもよい。よいものはよいという評価になるはず。

・この詩は、長編小説の中に入っている一つの詩。小説を出してほしい。

・歌詞のジャンル。海峡派の「銀次郎日記」にもよくでてくる。千葉の海などを唄った詞で、いずれもあたたかい賛歌。「門司港の風」は、門司港への想い。それは、遥か、深い、翔る、であり、駅舎、海、風が受ける。

・7・5・7・5と調子よく言葉が選ばれており、りっぱなご当地ソングになっている。


海に沈む夕陽 
・・・・・ 若窪美恵

「自らの重さに耐えかねて 落ちながら炎えて 海を焦がして沈みゆく夕陽/赩々揺れる 怒りの波にくるまれながら」・・・鮮烈なイメージ。

泣きたい思いがあっても、家族にも友人にも云いたくない。どこか人のいないところで心を静めていたい。作者は昔、住んだ海の見える場所に車を走らせる。その海は落日が美しい。夕陽を追いかけて走れば、昔、何も聞かずに明るく騒いで、励ましてくれた友と、友の母親を思い出す。あの母にも、自分の母にも重たい荷物があったろうに。大きく揺れながら海を染め、溶けていく太陽に、明日に浮上する自分があることを祈る。

・「泣ける人はいいよね」普段の作者とは違う情感がある

・わたしたちの「たち」がわかりにくい。いきなり疑問を誘う。

・「思う」「考える」は詩の中では禁句。

・ラスト2行は言い過ぎか?

・人生は重い荷を背負って坂道を登る如し・・・の言葉が浮かんでくる。

・母の口癖から自分に取り込まれる優しい気持ちが流れている。


賑やかな透明人間 ・・・・・・池田幸子

「わが家の仏間に/大勢の透明人間が集まった」。「軍服やら 水兵やら/羽織袴やら 桃割れやら・・・」透明人間同士はわかるらしい。なぜこの家に集まるかというと、「いつもお茶とお仏飯があり/お菓子や果物があり 心和む」らしい。いろいろ体調を壊した作者が「早く其方に行
きたい」と囁くと、二十三歳のままの娘を乗せた「てんとう虫が・・・飛び去った」

・戦後70年。異界のひとびとが賑やかに集っている。親戚の名簿に無い人もいっぱいいる。この家は心和むと言われれば悪い気はしない。持病が長引き、骨折などが追い打ちとなると、あちらの方たちにご一緒させて・・・と言ってみたくなる。たしかにあの世は、隣の部屋みたいに近く感じる。そこまでは平凡だが、てんとう虫に乗って秋天深く翔び去った亡き娘の登場で、詩が成り立った。

・この世とあの世とわけるほどのことはないという心境なのか。それでも心が弱ったときには娘さんのいるあの世に行きたいと呟く。終連の娘さんを乗せたてんとう虫は、またお彼岸にくるよ、思えばいつでも会えるとでもいうように感じられた。

・隣の部屋に死者の魂がたくさんうごめいている。堺のない心境。

・てんとう虫に乗って、亡くなった娘が飛んでいく。作者は救われる。

・ビワの音が聞こえる。苦痛に思えることを楽しく感じる。


 

「海峡派」136号 感想①小説 

みなさま
暑い夏でしたね。お元気でしょうか?
はや8月も終わり・・・もうすぐ137号がお手元に届くと思います。
大変遅くなりました。お待たせしました。 「海峡派」136号の感想を順次アップしていきます。まずは、小説から。

ミステリー旅行 ・・・・・・・・若杉 妙

目的地が杖立温泉というだけで、参加人数もスケジュールもわからないまま、誘われた旅行に夫婦で参加した。一億円のトイレや「筑前町大刀洗平和祈念館」に寄り、朝倉で昼食。杖立温泉の旅館で、参加した六夫婦のことが少しずつわかってくる。また、何ともユニークなのは、温泉・夕食後に座布団を抱えて出かけた芝居。何と小国町町長や旅館の主人や郵便局長や駐在さんなどが演じている。少々がっかりしたが、観ると、面白く、とても上手。大いに満足した旅行だった。

612人の珍道中。楽しみの夕食が、宿の女将の手作りで、少しがっかりするが、板前さんが杖立伝承芝居の女形だと知り、許す。同業者の人間関係や宿のもてなし、行ずりのレストランやそこであった人々の様子が、手にとるようにわかり、12日の旅にしては盛りだくさんの楽しい旅だったろうなと思う。

・作者が好奇心に満ちた明るい性格の持ち主だと思う。

・旅紀行の分野か。

・文章が流れるようで読みやすい。描写もいきいきとしていたし、内容もとてもさわやかで、読後感もいい。それぞれの夫婦のありようもよく描かれていた。

・筆に力がある。

・どんどん入ってくる。「見える」のはいい作品。

・「ミステリー」なので何があるのかと思ったら、当たり前すぎる。だが、作者は人との出会いも含めて興味深く、ミステリーと考えているのだろう。

・作者にとってのミステリーだが、タイトルが大きすぎたかも。

 

輪廻 ・・・・・・・・・田原明子
陽子は五回目の、早死にという人生を選び、今また突然の死を迎え、魂になった。解脱するか、それともまた輪廻して徳を積むか。ひとまず、魂のまま前世の家に戻ってみると、夫は20歳も年下の女性と結婚する、しかも女性のお腹には赤ん坊もいるという。夫にだまされていたのだ。しかし、陽子はその赤ん坊に転生する道を選んだ。かつて夫だった男を父とし、夫の浮気相手を母と選び、再び生まれる。

45歳で突然死した陽子は、死後42日で解脱か輪廻の岐路にたち、門番といろいろ問答し、輪廻を選ぶ。夫の愛人のお腹にいる赤ん坊の魂と入れ替わり、無事にこの世に転生する。とてもうまくて、文章は洗練われているので、引き込まれてしまう。

・読後感は気持ちが落ち着かない。「赤ん坊になって、夫の腕に抱かれ、すべてを忘れるのだ」・・・夫への不実、女への恨みなど・・・そして母となった魔性の女がすすり泣いている。それを恨みを超えて愛しく思う陽子・・・と書かれているが、実際にはこうはいかないので、小説仕立てにしたのだろう。

・どこかで読んだような気がする内容ではあるが、その文章力はとても優れている。そのため、輪廻の仕組みもああそうなのかと思わず納得させられる。どういう状況での人生であれ、生まれてきてよかったと思えるのだろうという収まりのいいラストだった。

・よかった。仏教用語なども使い、ユニーク

・輪廻の精神がじんわりと入ってくる。楽しく読めた。

・死んだらどうなるのかというテーマをやわらかく描いている。

・P17上段〈いろいろ〉を3回使っている。

(本人談)チベットかどこかのビデオを見た。その内容が残っていて、こんな物語を作ってみた。

 

一枚の写真から
    ―明治初のミス日本騒動異聞 ・・・・・
有馬和子

聡子は蕎麦屋の壁に貼ってある一枚の写真を見て、女子大生の頃、末永スミ子について調べたことを思い出した。スミ子は明治初のミス日本に選ばれた女性だ。スミ子は学習院女子中等部時代、アメリカでカメラの修行をしてきた義兄が勝手に応募した写真が、みごと一位をとったのだ。景品は高級呉服やダイヤの指輪、タンスなど豪華なもので、二部屋二十畳がうまるほど。しかし、級友たちの冷たい視線や、何より学習院院長・乃木希典の逆鱗にふれ、退学に。義兄も事の重大さに気づくが後の祭り。その後、乃木院長から縁談話が・・・

・明治41年のミス日本一に輝いたスミ子の物語。タキは侍女として、彼女のき方をずっと見守っていた人。そのタキを取材するうちに聡子は、スミ子が女教師になりたいと思っていたことなどを知るが、結局、侯爵の息子の嫁になる道を選んだことがわかる。
・最後の「あなた方のお陰で、今の私たち女性の自立があるのですよね」というのは言い過ぎか。
・スミ子の人生を傍で見てきた侍女、タキから聞いたという設定が功を奏し、タキと聡子の会話もリアル感があった。スミ子の義兄に寄せる思いもしっかり描けていて、内容に厚みが出ていた。文章も滑らか。時代の持つ女性観がよくわかり、興味深く読んだ。
・小倉織は当時は男子の袴に使っていた。

・三層構造の書き方。わかりにくさもあったが、手が込んでいた。

・ラスト、大げさ。スミ子の生き方と今の女性の地位と結びつけるには少し無理がある。

 

上級生 ・・・・・・・・川下哲男

小学3年のミチコの家は崖のヘリにある。崖の下では、トンネル工事が始まり、近くに工事作業員の宿泊所が建てられた。そこに越してきたのが、5年のルミ。ミチコとルミは毎日一緒に通学し、下校後も遊ぶ。ひと月後、子共対抗リレーがあり、予選でルミとサヨが一位争いになるが、いつも一位になっているサヨが選手になった。だが、大会当日、サヨは仮病をつかい、ルミが出ることになり優勝する。夏休みに、ミチコとサヨが赤痢にかかる。サヨはまもなく良くなり、ルミと一緒に遊び場になっている「お地蔵さん」の所に行き、ミチコが早くよくなるように祈る。ミチコは夢の中でお地蔵さんの所に行くが、「行っちゃだめ。戻ってきたら、教えてあげる」という声を聞く。退院後、ルミは父親のトンネル工事が終わり転校していた。ミチコ宛ての手紙には、またトンネル工事が始まれば戻ってくる、その時には、ブランコから飛び降りたり・・・教えてあげると書いてあった。

・崖のへりと、崖の下のトンネル工事、年上の転校生、そしてよく遊んでいる「お地蔵さん」などの設定がぴったりはまっている。時代的には昭和の中ごろぐらいのようだが、ミチコ、ルミ、サヨのほのかな友情には時代に関係なく温かく感じられるものがある。文章もとてもうまく、一気に読めた。

・美少女ルミちゃん、優しく、かけっこも速く、すてき。

・絵本に書いてあげたいような「見えた」作品。

・おもしろかった。おとなのための童話。

・「親の顔が見たい」「先客がいた」などは子どもの言葉としてどうか?

・町内運動会の様子がいきいきと描かれていて、とても面白い。謎の少女、ルミ・・・

・メルヘンチック、ラストが切ない。

・いい小説。サヨ、さりげなく見てて、ルミを選手にさせる手段など思いつく・・・よく表している。

・―いる ―る が多い。タイトルが平凡

・テーマが作品に出ている。

(本人談)妻の体験を聞いた印象で書いてみた。

ハーレーズー ・・・・・中北潤之助

北九州のバイク野郎として名を知られる中野剛と妻しず子は、カフェ「ハーレーズー」を開いている。公園で出会った4歳のひとみを、歳とった養父からもらいうけ、以来、夫婦は人生の大きな転機を迎える。

・クレージーなまでの擬人化した形容詞で、門司港海岸が描写され、荒っぽい喧嘩言葉がいきかう。しかし、独創的な小説で、思わず読みふける。

・パンクは苦手な楽曲だが、ちゃんと歌詞がかかれていると、なるほど・・・と引き込まれる。

・初めて出会う文体なので、面食らっているが、次が楽しみ。

・とても読みやすかったし、ストーリー性もあり、また、得意の訳詩(セックス・ピストル)のもうまい具合に自然に文中に入れられていた。とてもいいと思う。

・ひとみを養女にするくだりで、もう1行でも困難だった経過など(たとえば、弁護士に相談して、とか、ひとみの本当の親や親類を訪ねてみる、とか)あれば、より説得力あるかも?

・ルート66がバイク乗りにとってどういうものなのか、最初に出てきたときに、1行でも説明という か、会話の中ででもあれば、(たとえば、「3キロ超えの一本道、バイク乗りのロマンス街道だ」とか)読者にスッと入ると思うが?

 

あしたは 晴れている ・・・・・ はたけいすけ

正太は全校朝礼で校長から、支那による日本人大虐殺は許されないと、『政府の戦争拡大・断固暴虐し合を應懲する声明』について説明され、最後に「海 行かば・・・」を合唱。やっと校長になれた彼を悩ましているのは長男。教育者一家に生まれたのに、勝手に東京のレコード会社に就職した。息子は新しいレコードと一緒に父や戦争を批判するような手紙を送ってくる。正太はというと、朝礼後、馬糞の前で座り込んでいる。聞くと、「子之八じいちゃんが・・・大将の乗る馬は、一番偉い馬・・・だからババも沢山できれい」のだと言う。正太は校長の新米女先生である娘、恵美子と以前会っている。恵美子は教師になったら支那に渡ると父・校長に話す。それを聞いていた正太は、「支那の鉄砲で、撃ち殺されてしまう」とむきになるが、恵美子は「鉄砲は胸の奥に持っていて、撃ち方も知っている」と正太に笑ってみせる。

・校長と、息子・娘の考え方の対比が鮮やかに描かれている。正太は大人も顔負けの子供らしい発想で、巨大なものと自分たちのような小さく弱いものを暴く。頭の良い子。子之八の影響がそこここで出ている。当時の庶民の様子が、典型的な人物像を動かすことによってうまく再現されていると思う。

・高岡校長の長男と長女を語ることによって、激動する戦争前夜の時代に、庶民の生き方を考えさせている。

・馬糞でも大将の馬糞はきれいで臭くなく仰山すると、子之八じいちゃんから聞かされていた正太が、懸命に馬糞を運ぶ姿が活写されている。

・群が教育に深く干渉し、戦々恐々とする校長らの様子も、リアリティがある。

・文章は子どもの目線だが、背景の歴史的事件をうまく記している。

・触れてはいないが、残虐なことがたくさんあった。

・校長の娘や息子が、父とまったく違う生き方をし、時代と絡めていく書き方。うまい・

・教育の分野に軍部がかなり入っていたのがわかる。

ラスト・ストラグル(連載第四回)・・・ 坂本梧朗

ワラシが死んだ。その前後や火葬も、詳しく書かれている。身内の死よりも切実に哀しみ、カティアとツムジの反応も納得がいくように、丁寧に描かれている。両親(サンジイ、サンバア)のますます進行している痴呆症状に、振り回される。とくにムーサンは、実の両親が夫には見せたくないような「へんなこと」をすると、やりきれない。ムーサンとサンバアの口汚いやり取りも、カーツンとサンバアが繰り広げる食べ物を巡ってのバトルも、よくあることだが・・・。

・スーパーリアリズムに文学性があるか・・・評価はわからないが、犬の死にあれだけの思いを持つ人が、人生を終わろうとする人にどう向き合うか、今後の展開が楽しみ。

・ワラシの目は、ドライアイのため、接着・・・ムーサンは自分のせいだと責める、切なさ。

・最後、甘えさせてあげることができ、ほっとした。

・サンジ―、サンバー夫婦の会話、すごい。また、ムーサンとサンバーの会話もすごい。

・自宅介護の描写が切実。介護には共感する人が多いはず。

・サンジ―、サンバーの性に関するところ、一緒に住んでいて恥ずかしいところも赤裸々に描いている。考え方で違うだろう。

黄昏の街 ・・・・・・・・・・・古濱紘司

徹は損保会社に勤務。課長として単身赴任した北九州でのこと。宿舎に戻っていたら、片山から呼び出しがあり、事故対応に同行することに。事故はおかしいところがいくつもあった。契約者の女性が軽自動車で狭い商店街を運転中、後方で「トン」と音がした。何もなかったと帰ると、その女性の車に当たってケガをしたと言ってきた男がいた。調べると、男はブロック片で自分の腕を叩きつけ、ケガを工作したことがわかった。


・全体にメリハリがない。

・自作自演のニセ事件。ケチな犯罪と、保険詐欺が横行するうすら寒さがジワリと身にこたえる。

・慣れぬ土地で遭遇した出来事に疲れている徹の実情がよくあらわされていた。

・土地柄というには厳しい当時の底辺の暮らしぶりもラストで書かれていることで、全体が引き締まったと思う。

・一昔前のこととはいえ、地元の暗部について小説仕立てでえぐり出そうとしている。この小説から学ぶこともあるだろう。変わったことと、変わってないこと・・・考えさせられ
る。


昼下がりの喫茶店
 ・・・・・・・・ 伊藤幸雄

昼休み、喫茶店でコーヒーを飲んでいる宏は、今日も営業成績が上がらず、会社に戻りたくない。上司はネチネチと疎ましい。時間だ・・・と思っていたら、隣から「邪魔者は消すしかない・・・」とドスの利いた殺気を忍ばせた声が聞こえた。気付かれた宏は、とっさに傍のデンドロビウムという花びらを摘まんでいた。男たちは今話していたのは、今度売り出す小説のことだと大笑いで宏の誤解を解こうとする。なるほどそうかと思った宏。翌朝、ビルの谷間の路上に叩きつけられた男が一人。手には花びらが一枚。

・人の話に首を突っ込んでいたら、ついに殺されることに。

・殺人計画を聞いたとしても、まさか自分のことだとは思わないだろう。

・なぜ宏が殺されなくてはならなかったのか?深読みすればおかしなことも出てくるが、すっと読むとなるほどと思ってしまう。

・オチのあるショートショートはとても難しいが、今後も新作をどんどん出してほしい。

・情景描写、悲哀なサラリーマンを描くのは伊藤さんの得意とするところだ。

  

日光行き その二 ・・・・・・・・ 犬童架津代
幾代は日光行きの途中、娘のところに寄り、孫たちと触れ合う。そして、彼らと別れ、再び日光を目指す。鬼怒川公園近くの旅館が詩の仲間との会合場所だ。一足先に着く。幾代のペンネーム「舞」の詩を批評される。横田すずの「横田商店」の詩も紹介。詩の会のあとは、皆と日光の観光。


・非日常を大事にすることで、日常を頑張れる。その非日常は、詩の世界で、作者が家族とも離れ、一人になり、自分自身をさらけ出せる場所。そのことが今回の小説でよくわかった。旅行も観光に行くだけではやはり物足りないが、詩の会と合わせることで、充実した日程になっただろう。

・好きな趣味のことを大事にしているのが伝わってくる。

・紀行文のように平板に陥りやすい。物の感じ方などをもう少し詳しく。

・P15の友人の詩は、もっといい詩がなかったか?

・幾代が高田先生に会った時のことをもっと詳しく書いてほしい。

・「旅疲れからくる解放感」はおかしいのでは?

・感心した人の詩を紹介しているが、紹介した詩はうまいとはいえない。ほかにあったのでは?


苦節川(九)・・・・・・・・・・・ 山之内士山を背景にする工場で働いている浩一。ある日、警戒警報が構内に流れ、頭上には敵機が低空飛行で旋回していたことがあった
。職場の中には沼津市内の空爆の犠牲者になった人もいた。そんな折、青年士官が一通の封書を持ってきた。母の体調が悪いとの知らせだった。浩一は母の元へと帰る。水戸駅から額田駅へ。母・慶子と妹たち三人が出迎えてくれた。その後、時は過ぎ、ラジオから日本の敗戦を告げる天皇陛下の玉音放送が流れてきた。


・戦争の中、ただならぬ様子が浩一の家族の消息を通して描かれる。浩一は母・慶子のことが気が気ではない。敵機からの攻撃の状況を考えれば、日本の負けは目に見えているが、気をもむしかない。玉音放送は、敗戦という残念な報告ではあったが、ようやく敵機に恐れながら眠る日々に終わりを告げるほっとする気持ちもなかっただろうか?

・すっと終戦までいってしまった。もう少し、戦争への思いなどを掘り下げてほしい。

・天皇のために死んだ人たち、天皇のために死んでしまった大人たち、言えない部分が大事だが、まじめな浩一は言えない。天皇に命を捧げると本気で思っていた。

・「鼓膜が痛くなるほどの静けさ」

・この時代の人々は、肉親を大切にし、引き裂かれれば、何としても会いたいと思う。今、ものは足り、余り、捨てる時代に、この浩一が母を気遣い、弟を気遣う情の深さを思う。

・天皇陛下のために死んだ人々は、それが親、兄弟を救うためと信じて、特攻も辞さなかった。浩一も上の言うことに逆らわないで生きてきたが、どうしても帰りたくて嘘をつく。

メダル・ソルジャーズ(3)川口編 ・・ 大空裕子

川口由美がメダル・ソルジャーズの一員になる前の話。由美の叔父が屋てきて、「メタモン界に異変が起きている」と告げる。そして、由美に一緒に来るように言う。その頃、一人の男が邪悪なメタモンを復活させようとたくらんでいた。かつてのカルサイトだった。由美は、メダル・ソルジャーズの一員になって、その男たちと闘うことになるのだ。

・まだあらすじのようなので、もう少し書き込んでほしいところだ。また、できることなら、なるべく細切れでなく、まとまった枚数で発表してほしい。

・由美がメダル・ソルジャーズになる必然性を描いたようだが、叔父もメダル・ソルジャーズの一員なのか、その説明がほしかった。どんどん話をおもしろくしていってほしい。楽しみだ。

・ライトブックスという分野は初めて知った。


慰霊碑 ・・・・・・・・・・・ 都 満州美

雄一は養豚場で下っ端として働いていたが、四十歳で多額の借金をして、延岡の外れの養豚場を引き継いだ。家から車で一時間もかかり、途中に豚の慰霊碑がある。慰霊碑は雄一の慰めでもあった。雇っている洋一はベテランだが、雄一の母親・繫子はまったくの素人だ。豚は高価なものを食べるので、エサ代だけでもお金がかかる。桂子という妻と二人暮らし。繫子は一緒に住もうと誘うが、話に乗らない。豚舎で働かせることを申し訳なく思うが仕方がない。生まれた子ブタは半年で出荷するが、それまでの飼育は並大抵ではない。弱い子ブタは死ぬ。初めて豚を出荷する日のことを雄一は忘れない。


・豚の飼育について、エサの調合から掃除、出産のことなど詳しく書かれてある。匂いまで漂ってきそうだ。家畜の飼育は根気と愛情がなくては続かない。割に合わない仕事だと思う。大事に育てたからこそ、おいしい肉になってくれよと言えるのだと思う。

・雄一は魚釣りが好きで、サーフィンもやっていた。豚の世話に追われる彼は、一日も休んだことがなく、今では商売人の顔になっている。死んだ子豚を抱いて泣いている母親を見て、自分も声を放って泣く優しい男。
・今までの作品とガラッと違っている。読んだことのない世界。

・豚を送るとき辛い。むごい世界。

・スーパーで何でも買えて恵まれているが、生産者のご苦労は並大抵のものじゃない。

・タイトルにもなっている慰霊碑というのが作品中でうまく位置づけられていない。誰が何のために?由来なども必要。

・力強い筆力。

・息子と母親の情感が出ていて、ラストがよかった。

・体験と見まがうほどの緻密な創作力だ。取材の力だと思う。

・苦労が伝わってくるが、まだ弱い。葛藤を赤裸々に描いてほしかった。



五月二十七日「西日本新聞」【西日本文学展望】

坂本梧朗『ラスト‐ストラグル』が、五月二十七日「西日本新聞 【西日本文学展望】に、長野秀樹氏筆により、「奇妙な固有名詞がもたらす微苦笑」と題して紹介されました。

三月二十日「毎日新聞」【同人誌季評】

坂本梧朗『ラスト‐ストラグル』都満州美『傷跡』 が、三月二十日「毎日新聞」【同人誌季評】に、古閑章氏筆により、紹介されました。

第五回 勉強会

3月17日(木) 13時~ 戸畑生涯学習センターで、第五回 勉強会を開催しました。

講師   都 満州美さん
タイトル 「東京で出会った作家たち」
参加者 13名

都さんが、35歳ぐらいから出会った、画家や作家との交流を通して学んだこと、影響を受けたこと、そして彼らをモデルに小説を書いたこと、また、どんなときでも毎日日記を書くことや英会話を続けてきたことなど、貴重な体験を話してくださいました。

また、勉強会に136号より入会される新しい仲間が二人、参加してくださいました。



Wikipedia に載っています

「海峡派」の同人、青江由紀夫さんが、Wikipedia に載っています。

    ↓  ↓  ↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%9D%91%E5%8D%9A%E6%97%A8



あらためて、すごい方だなあと思いました。

「西日本新聞」2016年01月30日(土)朝刊「西日本文学展望」

「西日本新聞」2016年01月30日(土)朝刊「西日本文学展望」長野秀樹氏筆題「闘病記」

青江由紀夫「銀次郎の日記(ガン闘病記)」 (「海峡派」135号)が、顔写真入りで紹介されました。
また、柿田半周さんの
追悼特集 も紹介されました。

※135号合評会のときに、銀ちゃん(青江由紀夫)にお見舞いの気持ちで、色紙に寄せ書きをし、送りました。
  銀ちゃんはたいそう喜び、海峡派同人のみなさんにくれぐれもよろしくとのことでした

「海峡派」135号 感想 ③ 随想、追悼、他

私の筑豊物語 
  ―炭坑節編―・・・・・・・・・・・ さとうゆきの

私たちにはお馴染みの炭坑節。それをひとり芝居の中西和久氏にお手本を見せたという出だしに何だろうと引き込まれる。1985年、山本作兵衛翁一回忌追善供養を嘉穂劇場でやろうと、上野英信さんが発案し、中西和久さんに演出を頼んだ時の話。さとうさんは筑豊文庫に入り浸っていたという。炭坑夫の父のことから仕事唄である炭坑節について、それは楽しく語る。父のもとに酒をあてにして集い来る若者たちも愉快だ。さて、嘉穂劇場での話が盛り上がってきたとき、英信さんが「締めはやはり炭坑節だろう」と言うのに、中西さんは「でも、みんな踊ってくれますかねぇ」と案じる。この一言に逆上したさとうさん「踊るくさ!」「誰でんかれでん、ぜったい踊る」。


・痛快、痛快。当たり前やん、踊るくさ、ねえ。この話は、千人を集めた嘉穂劇場の山本作兵衛記念祭のフィナーレで、さとうさんの母が一番に舞台に上がって踊ったという実に楽しく「さすが!」と拍手喝采したいくらいの結末も記されている。私も踊る、炭坑節。きちんと注釈があるのも嬉しい。

・転勤先の青森や北海道で「炭坑節」を聞いたときは、涙が出た。皆、当たり前のように踊る。こちらの炭坑節と同じ。

・方言が違うのでは?という意見に対し、「わたしの筑豊物語」というように、「わたし(・・・)()でいいないか、という意見
・上野英信について意見あり。作品とは関係ないのだが・・・

・作者より・・・筑豊物語は、小説でも出したが、今回は随想で。伝えたいことは、当時の炭坑の暮らし。明るくあっけらかんとしている。

走人の詩 ・・・・・・・・・・・・・ 古濱紘司

健康診断で糖尿病を指摘され、奮起してジョギングをすることに。最初はグランドを数周しただけで終わったが、じょじょに10週したり、ロードを走ってみたり、自信がついてきた。そして、「関門健康マラソン大会」の5キロ部門に出場。それが年中行事になった。


・若い女性がいたらスピードをあげ、その後必ず息切れするなどのエピソードもあり、走るだけのエッセイだが、面白く読めた。合評会の日が、「北九州市民マラソン大会」だが、病気で足を悪くして走れないのは、古濱さんにとって、どんなにか残念で悔しいことだろうか。

48歳で、体重85キロの男がジョギングを始め、ついにロードにでるまでになった、苦心談。走った人しかわからない満足感が、わからないながらもあれこれと筆者の気の迷いなど入れて、面白く読める。桜の葉っぱを10枚ちぎり、グランドを1周するたびに1枚捨てて、目標を貫徹するあたり、拍手したくなる。掌に残る桜の葉の匂いを、桜餅の匂いと書くところが、人柄が出ている。

・電車の中から、今日の「北九州マラソン」を見た。大勢いた。

・最初の頃「ベトベトした汗」が、しだいに「サラサラした汗」になるなど、体験した人にのみわかること、リアル。

・(今日はもうやめよう)と自分をかわいがるところなど、よくわかるし、書き方がおもしろい。

・君原ランナーの、首を振りながら走る姿を思い出した。

・体験の中での「思い」を何でするのか、どう考えたのか、書いていくとおもしろいのでは?


銀次郎の日記(ガン闘病記)
    ――また二泊三日の入院治療 ・・・・・ 青江由紀夫

今号はタイトルにカッコ付で、ガン闘病記と入れられた。作品は入院中にも書かれている。原稿は手書き、大変なことだ。闘病記でもあるが、(二)では、大学・大学院のころのこと、(三)では、血統書、家系図のことを書いている。

・13回目の入院とあるが、1回目の2013年の腸閉塞と人工肛門開設手術に遡って回想している。

わたし達は「海峡派」128号、129号で、銀ちゃんの手術体験を読んでいるはず。

129号・・・ ―― この世の別れのつもりの一言 ―― が副題である。何か書いておきたい、と冒頭にこんなひとりごとがあり、せつない。あれから2年もガン闘病記を書き続けておられる。
西日本新聞
130日の文学展望(長野秀樹氏筆)に紹介された。日記形式が取り上げられるのは珍しい。若窪さんが指摘するように、銀ちゃんのは文学の域にあるからでしょう。

長野先生が海峡派の「銀次郎の日記」を長年、読んでくださっていたのだ・・・と感動した。

作家の後藤みな子さんもファンだといってくださいました。みんなが有り難く読んでいる。

・おもしろいのは、(四)のラウンジもホテルのように利用していること。銀ちゃんを訪ねてくる人はたくさんいるようだ。病棟のラウンジが、ホテルのラウンジのようにお客様と話をする様子が手に取るように書かれている。実に前向きな明るい人柄だ。

追悼 柿田半周

柿田半周氏を悼む ・・・・・・・・・・・木村和彦
柿田半周同人を偲んで ・・・・・・・髙﨑綏子
トランペットを吹く柿田さん ・・若窪美恵
柿田半周さん ・・・・・・・・・・・・・・・坂本梧朗
柿田さんのこと ・・・・・・・・・・・・池田幸子
シャイな紳士 ・・・・・・・・・・・・・・ いよやよい
弔句 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 笹田輝子

これら追悼文についても、西日本新聞1西日本新聞130日の文学展望(長野秀樹氏筆)に紹介された。


 


 


 


 


 


 

「海峡派」 135号 感想 ② 詩

拍手 ・・・・・・・・・・・・ さとうゆきの


ママがトイレで手を洗う間、ベビーカーの中の赤ちゃんがそのまま置かれていた。そこに居合わせた皆が赤ちゃんを見つめていた。「ブーンと大きな乾燥器の音が鳴り響いて」戻ってきた時、赤ちゃんは「お指とお指をふんわりあわせて」拍手した。でも音は出ない。「男の子は不思議そうに首を傾げた」。ママはベビーカーを押して退場し、「みんなは・・・・/胸の内にある指先をふんわりあわせ/音の出ない拍手を」した。


・短い時間の中の無言劇。心にさわやかな風が抜けるような詩。こういう光景に出くわしたときに、小さな風を捕まえられるかどうか・・・感性豊かな作者だからこそ。男の子の不思議そうな顔が思い浮かび、読後感が実にいい。
・「退場した」というのが大げさすぎないか。「出ていった」ぐらいでいいのでは?
・「退場した」でいいと思う。作品中に「舞台の幕が降りたときみたいだった」という一文がある。作者は、舞台に見立ててこの詩を作り上げている。「拍手」もその一つ。
・何気ない、ちょこちょこ目にする日常なのに、よく覚えているなあ。こういう風景を詩にできるなあ・・・感心する

ごちそうさまでした ・・・・・・・・さとうゆきの


紅葉の季節、英彦山神宮でのこと。「小さな参拝者が おおきな鈴を鳴らそうと/両の手にあまる綱にぶら下がり 足で漕ぎ 格闘している」なかなか鈴は鳴らないようだ。作者はそれを微笑ましいものとして、その子のパパの姿をも、じっと観察している。「鬼杉までいくのだろう・・・この子は歩けるだろうか/おんぶしても大丈夫のように準備は怠りない」と。「さあ、お祈りしようぜ」のパパの声に、その小さな子は、「ごちそうさまでした!」と甲高い声を響かせる。


・一瞬の出来事。皆の笑い声。やわらかに緩む空気。アクションポエムと呼びたい。「拍手」共々、この一瞬を捕まえられるかどうかは、文章力に加え、かなり映像的なセンスが問われる。そしてそのセンスに長けているさとうさんだからこそ、詩にできた。
・濁音を使うときの心構えについて、考えさせられた。ガキグゲゴ、かいじゅう・・・など。子どもはわりと使う
・本当にあったことだと思うが、そういうことがあっても、気に留めないぐらいのことだ。メモでもとっているのか。すごいね、天才か。・・・天才でしょうの声も。

腰痛・トラジック ・・・・・・・・ 山口淑枝

トラジックとは「悲劇的な様」。料理中に腰に激痛が走り、うずくまる。「つの字の姿勢が/最悪だったのかしらん」と分析するぐらいの余裕はあるというか、腰痛じたいが慣れになっているのか。

歯を食いしばるのは、「家事の切り盛りをしている者は/切ない・ね」と思いつつ、手抜きしつつも家族のために作る。本当だったらもっと色とりどりのサラダも添えたいのに「色消し手抜きサラダ」をうなだれて食べている。

・「つ」その姿勢。「ゆがきすぎたほうれん草」「うなだれて ひとりのおうに もぐもぐ食む」・・・とめどもなくほとばしる愚痴、効かされるとはた迷惑なだけ。だが、詩になると、少し笑える。

・誰かが一緒だと、痛くても頑張れる。家族のためというのはけっこう大事。

・水屋、下(しも)など古い言葉をあえて使っている。下はしもとルビを振った方がいい

・色気がなくなってきた、サラダも色合いが無くなった

・わかりやすい詩


居る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・清水啓介


ふと、自分が「居る」ことに、気付いたという。何者?という出だし。どこに?アパートらしい陰気な木造の内部廊下のよう。何者かはまだわからない。わかならないという不安感がある。その「居る」と感じている何者かも、「居る」という実感は、不安感と区別出来ないような気がするという。

場面は展開して、最後の三行で、女性が玄関の内側で呟く。「何でドアが勝手に開いたのかしら? 誰も居ないじゃない。それとも、誰か、居た、のかしら」と。


・魂のような、透明人間のような、霊のような、実体はないが、「居る」らしい何者かになったような気持ち。不思議な詩。清水さんの詩は、物語的な、独自のワールドを作っていてとても面白い。

・朗読に向いていると思う。

・「居る」という実感は、不安感と区別できないような気がする。この思いは共感できる。存在を決して生きることで、他人につべこべ言われる、じゃまとも思われずに生きてきた男。くらげのような月が象徴的だ。だが、自分を「居る」ことをたしかめようとする。いいところで、女(ひと)がつぶやく。「誰もいないじゃない」・・・ここで男はますます不安になる。

海峡派 135号 感想①小説

菊は好かん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 横山令子

繭子はイトと出会い、次第に仲良くなり、イトの身の上話を聞くことに。イトは結婚してひと月で戦地に行った夫に死なれ、生まれた子どもと嫁ぎ先で働いた。その亡夫の墓参りの時に、繭子の家の前を通る。墓参りに菊を持っていかない、タイトルになる「私ゃ菊は好かん。夫をとった花だから」の言葉を聞く。ある日イトからお昼に誘われ、イトの家を訪ねる。そこは母屋に通じてはいるものの、入り口も別で、鍵をかけられている。夕食は嫁が運んでくる。毎朝、出勤前、息子が仏壇に手を合わせに部屋へ来て、イトに「おはよう」という。その後、知人からイトが死んだことを知らされる。
・繭子とイトとの出会いになる書き出しがとてもテンポよく、繭子のウエットに富んだ子ども達との会話も楽しい。重く切ない内容だが、こなれた美しい文章がイトを不幸に思わせずよかったと思う。
・たった一ヶ月の夫婦生活を心の支えにして、ひとり息子を生きがいに、戦後の荒波を生き抜いた老女を丁寧に、自分達夫婦のありかたと引き比べながら書いている。
イトさんの息子の嫁のしうちに怒りを覚えながらも、理解を示すあたり、筆者の年齢ならではの洞察力と思う。「菊は好かん」と凛とした声に反応する筆者、反戦の気持ちも、ひしひしと伝わる。数年前、同じタイトルで詩を発表している。ずっと大切にしてきた題材であろう。
ただ、今の若い人は、菊と天皇、天皇にとられた命、について書かれているとは全くわからず、「あちらさんにも言い分はあろうよ」の所で立ち止まってしまうのではないか。考える必要もないと筆者が考えるなら、老人向け小説と限定的に評価したい。
・テーマがよい。「菊は好かん」をもっと表に出してもよかったのでは?イトの姿をもっとリアルに書いてほしい。イトと嫁のところ、母屋と玄関も別など、もう少し書き込んだほうがよかった。
・詩にも書いていたが、詩は詩。小説にするとしみじみとしてきた。「戦争反対」というより入ってくる。戦後70年・・・一人も戦死者を出していないことは、素晴らしいこと。

帰り途・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・有馬和子

デパ地下で睦美と幼馴染みの健一が偶然に出会う。お茶でもと誘う健一に、孫たちが集まるからと嘘をつくが、その後、やはり健一に会いたくて、電話をする。健一の家に訪ねたとき、入院中の彼の父が急性肺炎だと連絡がある。睦美は健一の父を介護する役目をかってでる。楽しく世話をしていたら、健一の妻が病院に来て、健一の父のヘルパーに報酬を払って雇いたいと言い出す。

・健一との再会は楽しいものだったが、年月がそれぞれの生活を変えていたことを、妻の出現によって明らかにされ、睦美は現実に戻る。睦美の心の動きが、手に取るように描かれている。健一へのほのかな想いとは裏腹に、お互いの暮らしや家族との関わりが、動かしがたいものだと気づく。健一や妻の立場、性格などが、会話などの表現でよく表している。

・夫もその両親のみとりが終わった女は、ひさびさの独身貴族気分である。同窓会で昔あこがれていた少年が、ちょっと憂いを帯びたよい漢字の初老の男になっていて、声でもかけてもらえば有頂天になる。そして見栄をはる。うそをつく。男も女を知り尽くしていて、うそをつく。よい仲になったところにお決まりの冷たい感じの男の妻が現れる。妻を名乗る女の見下した態度に怒りながら、こんな女の言いなりにならざるを得ない男に同情する。男の父親の世話を任されただけ。なのに「健ちゃんはこれからどうするのだろう」ばかか。「しかもその帰り途を迷うことなく、けっして!」と言い聞かせている。健ちゃんの幸せを願いつつ、ふしだらを避けつつ、真面目に死ぬことだけ。

・全般的にみて状況が手に取るようにわかり、すらすら読めた。ラストは西方への途ということだろうか。

・中年の淡い思い。おくさんが何か感付く。おくさんが現れて予定通りの男と女の描き方。ラストで急に老人文学になってしまい、つまらなくなった。

・行儀よすぎる。もっと遊びも入れていいのでは?

・健一は自分が恥をさらしてように感じているだろう。終わりを簡潔に。


ゆるりさんの左目 ・・・・・・・・・ 若窪美恵

あかねは隔週で〈ほぐしや ゆるり〉という治療院に通っている。たまたま、ゆるりさんから左目がらみでよく外国人に引き寄せられるという。話せば長いが・・・と、自分の左目は角膜移植をしていること、その角膜のドナーはアメリカ人だったこと、そしてどうして治療師になったか、など治療しながら聞く。語り部分は、感情を入れない手法で文体を変えている。
・題名がいい。さらに内容にはいっていくと〈ほぐしや ゆるり〉という屋号が出てきて、治療師の年齢や口調など、それから推し量られる腕前や性格が見事に活写されている。ここで読者はすっかりゆるりさんのファンになっているから、彼のちょっと長い話とやらを聞こうかな、と思う。ゆるりさんの独白は衝撃的だ。じつによく移植手術について調べられており、それだけでは硬くなるところを、術前の家族との会話とか、術後の病室の描写も、同病の人たちの会話もあって、読ませる。遺伝性の目の病気で、右目も視力を失う可能性を考え、マッサージ師になった。終章「あかねは治療院を出た・・・空のほとんど真上の高い位置~暗闇に弾けた」は、詩である。構成がしっかりしえいて、言葉も十分選ばれており、推敲のきいた作品。異色の分野。
・ゆるりさんの内面が美しい文章によって表現され、とても読みやすく、感動した。
・ゆるりさんの話の部分が(中盤)、文体が独立しているので、レポートのような印象。
・手術で新しい人生を考えたゆるりさんの並々ならない覚悟、人生の捉え方がよく描かれている。
・タイトルの「左目」はいらないかも。単に「ゆるりさん」はどうか?
・ゆるりさんは左目が見えるようになった。見えないのと見えるのとでは全く違う。見えないというのはそんなものじゃない。

ラスト‐ストラグル 第三回・・・・・・・ 坂本梧朗

二学期。カーツンは三年スポクラの生徒の成績のことで、相変わらず悩みをかかえている。特に、試験のカンニング疑惑がある生徒たちについて、思い切って学年会でどうしたものかと聞いてみた。注意し続けるだけとの意見に、そんなものかと思いながらも一安心する。そんな時、カンニングペーパーが発覚した生徒が停学になった。授業中、生徒がうるさいということで豊田が校長に告げ、カーツンは校長に呼ばれたが、豊田の思惑通りにならず、校長はカーツンの思いを重視してくれた。校長がカーツンの書いた小説が取り上げられた新聞を見たらしい。一方、家のほうは、サンジ―、サンバーの世話や、老犬ワラシの介護を妻のムーサンと共に労わりながらやっている。
・職場のことも、老犬、老親の介護もあり、言いたい愚痴も溜まっていく状況が淡々と描かれている。どこにでもある暮らしぶりだと思うが、こうしてきちんと書くことによって、カーツン自身、その時々で決着をつけ、明日への活力になっているのかもしれないと思う。文は短く、とても読みやすい。それぞれの立場での心情が汲み取れる。ラストの「武肥」をブヒと呼んだ生徒の名前が、「いさみつ」であったこと、彼との会話が救われる。
・第二部1 カーツンの職場。教師経験のない読者にはこの教室内風景は異常に思えるだろう。退屈か、興味がないか? だが私は面白くてたまらない。カーツンの真面目さが痛々しい。森元をからかいたくなる衝動など包み隠さず書いているもの、おかしくて吹き出したが、こんなときにも生徒にうけたい、なじみたいと努力する姿が痛ましい。
2、悲惨である。あんなに努力して、カンニングを防いだつもりだが、またしてもやられた。そしてスポクラはカーツンの出題した試験になんと半数以上が欠点をとる。
3、カーツン夫妻はサンジイとサンバアの介護に追われる毎日。この両親の介護が必要になったいきさつが納得いく形でつづられていて、どこの家にも起きそうな危機を感じさせる。トイレの始末、こまごまと架かれている。目に見えるようだ。どれくらい臭いか。このひどさもぎょっとする。
4、ワラシが夜泣きする。これは親戚から聞いた話だが、死期が迫ると夜泣きをするらしい。無視して眠りたいが、耳について眠れない。カーツン夫婦の寝不足は深刻だ。ムーサンがいびきをかいて寝ているのさえ恨めしく思ってしまう。「たいしたものだ」なんて。
5、カーツンの職場での人間関係。先生同士は実に陰険にカーツンを責めたてる。給料泥棒と豊田に言われる。我慢ならない。謝らせたい。でも豊田を誤らせる時期を失い、諦める。けれどこれらの連続は、苦痛。
6、再び、カンニング問題。しかし今回はカーツンの投げかけた問題に若い教師たちが真剣に考えてくれた。結局、村岡のいう生徒が処分をうけ、少しは改まったかにみえても、学年末考査が終われば、めちゃくちゃで、救いようがない。そんな中でカーツンは最後の授業をする。ジイサンがサンジイ、バアサンがサンバア。名前の謎解きができたあとは、二人の登場が楽しみになってくる。トイレのトラブルも家族ならではの、あけすけな表現がきいていて、なぜか汚らしくも嫌悪感も感じない。カーツンのため息が聞こえる。

・今回が一番面白かった。一気に読めた。

・夫婦は深いなあ、両親、愛犬、それぞれがぎりぎりで生きている。

・サンジイ、サンバア、身につまされる。

・生徒像は時代により違うのは当たり前。流れに逆らえない教師が描かれている。

・「擒の記」で理想の教師像が破れたあたりがかかれている。それを読んでいると、なおよくわかる。


あしたは 晴れている
   第一章(六)・・・・・・・・・ はたけいすけ

支那事変は、日本軍の一進一退を報道。一方、現地軍は、突然単独で戦線拡大。728日襲撃。冀東政府は報復、日本人を虐殺。そんな時局の中、正太の母丈子は外で働いていたが辞め、家に備え付けた靴下を編む機械で仕事を始めた。父武市は、子之八に頼まれ、子之八の姪、ヌイを預かることに。ヌイは実は軽いものの肺病を患っていた。そのことで丈子と武市はいさかいが絶えない。正太は、ヌイからシンデーラの物語を聞かせてもらうのが楽しみだった。魔法使いにはよい魔法使いと悪い魔法使いがいるのか、と。悪い魔法使いというのは、以前、サトの父、源さんが家賃を払わず、鼠にされたと聞いたことを指している。
・途中で挿入される、ヌイとシンデーラとのつながりになる、香川との話や、『女工哀史』にまつわる話も出てきて、女工たちの中でも文学を語る時間や人がいたことを知れたのは、がとてもよかった。その香川がヌイに言う言葉に「君には明日があるんだからね。教授が云ったんだ。晴れた明日は必ず来る、これは歴史の必然なんだって」という部分がある。この小説のタイトルにもなっている。香川のことを思いながら涙するヌイも不憫だ。
・冒頭の新聞記事見出しで、時局を語り、戦争というものが拡大していくからくりを短く説明した第一章(六)は見事である。あとは結核に関する庶民の恐れや扱い方を活写されていて、丈子の気持ちに同情する。おヌイさんと書いたりヌイと書いたりするが、これはなぜか?
・この号でヌイに香川という大学生が青臭い論陣をはる。そして博多の大学病院に訪ねてくるようにいう。「君には明日があるんだからね。教授が言ったんだ。晴れた明日は必ず来る。これは歴史の必然だからね」・・・いよいよ本題に入ったか。

・ラジオ放送を鮮明に覚えている。これで終わるかと思った。

・肺病のヌイに対する優しさ、思いやりと同時に、丈子のおろおろぶりが感じられた。

・大学生が出てきて、物語が立ち上がった。


傷痕・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 都 満州美

私は東京の精神科病院のナース。病院の新館に配属された私は、何もできないナースとしてナース間のいじめの対象になった。しかし、仕事を離れれば、東京で同人誌に小説を書いたり、音楽を楽しんだり、旅行して、楽しんでいた。が、膀胱に腫瘍があり、手術することになった。腫瘍が良性か悪性か医師が言わないのを、ナースである私は非常に不安に思っている。その辺の心理もよく出ていた。初期だったが、悪性、つまり、ガンだった。定年後、小倉に住むことに。小倉の医師は抗がん剤を使わない方針。患者サイドに立った治療法をしてくれる医師に、田舎だからと思っていた気持ちが吹き飛ぶ。膀胱ガンは治ったが、あらたに、肝臓血管腫が見つかる。検査続きだが、仕方がない。大きくなればガンだということだ。

P150 の夜勤のナースの仕事ぶりが事細かく描写されているところなど、知らない世界を見せてくれ、読み応えがあった。また、ナースと知れたときの医師の対応ががらりと変わるところは面白かった。これは、本当によく聞く話で、私の知り合いのナースは皆、自分がナースだということはふせて診察を受けるらしい(だいたい途中でバレル)。下手に知識があるだけに、不安はかなりのものだろう。リスクのある検査にも盲目的に従うのではなく、「いやです」と言える。自分の人生、最終的には自分で納得のいくように生きた方がいいと思った。

・看護師の専門知識を持っていることによって、病人になった筆者はかえってさまざまな苦労をする。

・一作一作、腕が上がってきている。ち密でおもしろい。

・医療関係に詳しい。冷静。

・日記になってしまったのでは? 出来事が診察記録になっていないか? ドラマをもっと。

・主人公の思いが伝わってくる。病気と格闘している。

・小倉に来てからの診療、P145~東京、P156~小倉。どちらも病気のことを書いているので、わかりにくい。

・自分の専門世界に引き込むことが可能なら、りっぱにできるが、そうはいかない。一般の人の言葉に直して語るのが小説。

・ほっとする部分がいる。

・海外旅行に行く部分が面白い。


あした苦節川(八)・・・・・・・・・・ 山之内一次

川崎を離れる浩一。自転車を漕ぎながら、昔のことをあれこれ思い出す。時間の経過が感じられてよいと思った。そして安易に考え、箱根超えに旧道を選んだ。疲れと喉の渇きに握り飯も口にできない。ようやく芦ノ湖が見えたときは夕闇が迫っていた。旅人宿を見つけ、相部屋で泊めてもらう。

沼津で鉄工所で働くことが決まる。飛行機の翼にとりつける高射機関銃の素材の焼き入れをする過酷な職場だった。

・赤レンガの横浜駅を「ハンチング帽子をかぶり、膝までのホームスパンのズボンを着用して、パイプタバコをくゆらせながらホームに佇む男の姿」と表現。横浜駅の異国情緒あふれるカッコ良さがよくわかる。自転車での道中の景色も細かく書かれていて、目の前に風景が広がるようだった。

・浩一は自転車で川崎から沼津まで超えていく。箱根越え、わざわざ旧道を選び、苦労する。沼津の兵器廠で働くことになった浩一は、飛行機の翼にとりつける高射機関銃の焼き入れという過酷な場所に従事する。東京の上空では、連日、空襲があっている。


藤クラブの仲間たち・・・・・・・・・ 池田幸子

お天気のいい朝から始まる。主人公の名前も朝子。朝子は公民館の事務職を退職後、地域の音楽ボランティア「藤クラブ」の仲間と老人ホームを慰問している。フィリピン人の華ちゃんもその一人。華ちゃんは朝子の姉の看取りの時にも力になってくれた。

文子の、夫のケータイの電話に女性名があったときのエピソードや、華やぐ化粧やドレスを着るなどの楽しそうな雰囲気、歌を紹介しながら、ホームの人たちの様子など、始終楽しそうな状況が描かれている。しかし、アパートに帰ると救急車が来ていてあわただしい様子。たいしたことはなかったが、今後、誰の身にも起こりうる年齢だと心を引き締める。

・老人たちの群像。特養の老人を訪問して、体操やカラオケで喜ばせるボランティア団体。藤クラブは100人ちかい。そのなかの8人のある日の行動をかなり綿密に描写。

・する、行く、見る、言うなど、現在形の動詞で歯切れがいい。こういう表現を写生というのだろうか。絵画ではデッサン、あるいはクロッキーというが。さらっとした印象が、最後の今村のおじいさんの事件で、ちょっと諦めた。お互い他人事ではないよね。ここが筆者の言いたかったことか。

・ボランティアしていることにすごいなあと思う。

・あったかい読後感。

・短編ではあるが、久々の小説が読めて、とても嬉しく思った。重松清の小説のように、ほのぼのとした人間関係を描いていて、読んでいて気持ちがよい。


ストーカー・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤幸雄

四六時中、付きまとわれている女性・・・ストーカーされていることはわかっている。だから、その決定的証拠を写メで撮り、うまく警察に捕まえてもらうことができた。ようやく肩の荷が下りた女性は、今日こそはスター富士夫の部屋に忍び込み、日頃の思いを伝えたいと思う。

ストーカーに狙われていた女性、実は、ファン心理が高じてスター富士夫のストーカーだったというオチ。ストーカーは本当に不気味だが、軽やかタッチで読めた。

・自分がされていやなことを人にしている、それを気付かない。

・ストーカーされている女性は自分が美人じゃないことを知っていて面白い。

・後半の「あたしのストーカー」の部分、あっさりしすぎでは?

・被害妄想だったのか? でも実際に警察に捕まっているし・・・


メダル・ソルジャーズ(2)・・・・・・大空裕子

プロンザナイトをメダルに封じこめた翌日、倉成礼佳ら三人のメダル・ソルジャーズは、新しいメタリックブレスレットを渡される。そして、メタモン訓練所に研修に行くことに。訓練所では、どんな敵にも対応できるように訓練される。そこで新しい仲間、川口由美に出会う。倉成礼佳は、昔見た夢を見るが、「助けてくれ!」と夢の中で叫ぶ男性を思い出せない。その後、高須先生が、コンピュータの画像を見せる。一組の男女がいて、男の方は前世での礼佳の父だった。

・登場人物がどんどん出てくるし、細かい描写に欠けているので、頭の中で映像が浮かにくい。

・ドラマはある。この先どうなるのか、作者はわかっているのだろう。

・ち密にゆっくりと書き上げてほしい。あせらずに。

日光行き(その一)・・・・・・・・・・・・・犬童架津代

幾代は、若いころからの詩の仲間が発案した日光旅行に参加しようと決心する。夫も、快く勧めてくれた。まずは、関西の娘の所による。ユニバーサルジャパンに孫たちと行き、楽しい時間を過ごす。娘は手術後ながら、勤務時間を調整してもらい、もう仕事している。前より楽だという娘に胸を詰まらせる幾代。パレードに参加して、楽しいのは現実から逃避しているから、現実は厳しいと思った。

・まだ孫も小さいのに、ママである娘のことを幾代は不憫に思っている。代わってあげたいが、できるはずもない。たまに行って楽しく過ごすだけ。それでもお互いにとって、大事な時間だろう。

・詩の会にでたいという幾代の思いは、行くという決心に変わる。決心さえすれば、願いは叶う。

なかなか行動できない女性(主婦)が多いが、幾代はちゃんと実行するところがすばらしい。

第4回 勉強会、「あなたが講師」

10月15日(木)
「私たちは好きな時に、好きなだけ時間を割いて、好きなことを書いてきました。これからも色々と書くことで苦しみ悩みながら人生を充実させ、同人たちと楽しい時を分かち合いたいと思います。今回は、あなたが詩や小説、エッセーを書くとき、どのように取り組んでおられますか。皆で考え、勉強しながら楽しい二時間を過ごしましょう」というお誘いのもと、 「あなたが講師」と題して、池田幸子の司会で勉強会を行いました。
池田さんから、お茶菓子に、コーヒーや紅茶を用意していただき、楽しいひと時を過ごしました。
 

伊藤幸雄『変化観音』

海峡派同人の伊藤幸雄が、10月1日変化観音を出版しました。

あとがきより

「『変化観音』は、私が初めて書いた小説です。
 私は現在、文芸同人誌『海峡派』に在籍し、小説やショート・ショート等を書いて居ますが、その原点となったのが、この『変化観音』です。
 読書以外にこれと言った趣味もない私は、定年退職後、小人閑居して、晴耕雨読の生活を送って居ましたが、小説を読むだけの生活に飽き足らず、自分でも書いてみたいと思い、初めて書いたのが、この『変化観音』です。
 若い頃、演劇に熱中し、職場演劇ブームに浮かれ、自立劇団『いちご座』を結成し、脚本を書いた事は有りますが、小説への挑戦は初めてなので、試行錯誤の連続でした。
 私は若い頃から『面白くなければ小説ではない』という偏見を持って居ましたので、如何に読む人に興味を持って貰えるかに重点を置いてこの作品を書き上げました。私に取っては良い勉強になったと思って居ます。
 この作品を書き終えて感じた事は、長編小説は生き物であるという事です。作中の人物が勝手に動きだし、作者お意図せぬ方向に展開する事があるという事です」

来年1月の新年会の時に出版記念会をいたします。そのときに、感想をまとめて更新したいと思います。

海峡派134号 ③リポート、紀行文、随想 感想

リポート

星野村に源太さんを訪ねて
―池田流ヒューマン・リポート 
・・・・・・・・池田幸子
618日、海峡派文学散歩で、星野村に行った。目的は、詩人・陶芸家の山本源太氏を訪ね、「詩人、丸山豊について」お話を伺うというものだ。源太さんは、一部屋を丸山豊展に設えて、丸山豊像を語ってくださった。

・池田流ヒューマン・リポートという副題どおり、あたたかい文面になっているのは、人柄が出ているからだろう。

渾身のレポート、有難うございました。

・久留米市百年公園の「新春」の紹介「なんと清々しい身の引き締まる詩であることか!という

池田さんの感想がいいです。源太さんの推薦でこの詩が、選ばれたそうです。

・一昨年の文学散歩は、「野上弥生子」の間違い

・文部省が喜ぶよ・・・ほめ言葉。りっぱなリポートできちんとしている

・真似できない。雰囲気があらわれている。他の人たちがこれを読むと、きっとうらやましがるだろう。

・源太さんに本を送った。ていねいなお手紙がきた。(回して読む)

『新春』の詩碑のこと、よくぞ載せてくれた



紀行文

田中一村と島尾敏雄を訪ねて 
            ・・・・・・・・・・さとうゆきの

日本画家、田中一村の絵画と、島尾敏雄文学碑を訪ねる奄美大島の紀行文。4人の楽しく珍しく、好奇心旺盛の道中。一日目、蛍光キノコ、シイノトモシビダケを探したり、『田中一村終焉の家』を訪ね、上がり込んだり。二日目、田中一村記念館を訪れたあと、加計呂麻島へ行き、戦跡巡り。ここでの体験で、作者は帰ってから島尾敏雄、妻のミホの著書を読む日々となる。

・一気に読ませる、勢いのある筆力。おもしろい。こんな小さな南の島に戦跡がきっちりと時を止めて、訪れる人を待っていることに、作者同様、静かに感動した。そして、勧められるまま島尾敏雄、ミホの著書を読み、人を愛するというその情熱に、それを引き裂く戦争に対して、厳粛な気持ちになった。

・奄美から出さない絵もある。懐かしく思い出した

・村全体の人が一村を愛している。一村展のとき、村人全員参加、信じられない数。

・中学生まで一村が浸透している

・日本画壇に背を向けた一村、一時は麦の仕事をされていたらしい

・デッサン力、完璧。変化していく。見る人に形で色を見せる技。しみじみとした絵。

・テンポもよく、難しすぎない。少しくだけすぎか・・・

・ヤギが普通にいる文化、おもしろい



随想

父の戦後 ・・・・・・・・・・・・田原明子

大正10年生まれ、93歳で亡くなったお父様の思い出。戦争の体験、それもシベリア抑留は、父の忘れられない体験。当時24歳の父は、「敗戦の責任は自分達兵隊にあると考え、どんな処遇も仕方ない、内地返還は実現しないかもしれないと死を覚悟していた」という。着いた先はシベリア。日本に帰ってきたのは昭和22年、左目を失明していた。

・最後に「ご苦労さん」と言おうとしたけど言えなかった母、「ありがとう。大好きだったよ・・・」と何度も耳元で言った姉妹。あたたかな家族の姿と、戦争の惨さが十分に伝わってくる、とても良い作品だった。

・たった2pなのに、とてもよくわかる。全て周到に簡潔に状況説明したうえで、自分の

感情を伝えている。だからこそ父を送る「ありがう、大好きだったよ、ありがとう」が響く。

・お父様のこと、愛情深く書かれており、読むほうもほろりとしました。戦後70年、いろんな人がいろんな事情を、戦争の傷痕を抱えて生きているのだと考えさせられました。



銀次郎の日記

―抗ガン治療の数値にも一喜一憂 ・・・・・・青江由紀夫

いよいよ本を読み、日記を書き、みかんの木のつぎ木などして過ごす。

作詞を何点か載せているが、「男だったら一人泣け」は特にいい。武骨で我慢強く、仕事をする男の姿がそこにある。昔の男という感じ。「死んで残るは墓石一つ」は悲しい。

・銀ちゃん、がんばれ。医者、がんばって、銀ちゃんを長生きさせてください。それでも、看護師さんに手相を見てあげたり、博学の銀ちゃんは人気者。本も読んでいる。海峡派の原稿も落とさない。

・ほんとに気丈な銀ちゃん。いよいよのみぐすりの抗ガン剤になったらしい。

これは、銀ちゃんに伝えたくないが、夫のときは、効き目がわからない。そしてなぜか飲み下しが困難になり、やがて飲めなくなる。医者にいうと「では量を減らしましょう」・・・それからまもなく、ホスピス入院をすすめられた。がんばって!最後の最後まで、日記書いてください!



輪廻転生 鶴になる ・・・・・・・・・・・・古濱紘志

高校時代の友人が亡くなった。59年前のことだ。友人の家は、高校に通うバスの窓から広がるミカン山の中腹に立っていた。破天荒だった高校時代、友人の顔、記憶を思い起こしながら、亡き友に「次の世に輪廻し、出来ることならお互いに鶴に転生し、自由に大空を飛び回り・・・」と語る。

・誰にもやってくる老いと死。わかっていても友人の死はいっそう悲しい。だが、そうやって、ずっと会うことのなかった友を、若かった自分を想い出す機会を作ってくれたのかもしれない。

友の訃報で、故郷の風景が、あざやかによみがえる。

・子供の頃の風景をふと思い出す。頭に浮かぶ若い日、幼少の頃。よくわかる

・「ブロンディ」というまんがの、冷蔵庫の中にサンドイッチがあった、アメリカに日本は負けるはずと思った。泡がたくさん出る粉せっけんにも、アメリカのすごさを思った

・アメリカ国民は、日本に原爆を落としたことを知らないか、知っていてもよいことだ(それで戦争が終わった)と思っている人もいる。

・破天荒な自分から見て、ミカン畑の友の家がまぶしかったのだろう


つれづれに ・・・・・・・・・・・・赤坂 夕

幹事として、同窓生で「喜寿を祝う会」をしたときのこと。思えば「すべての価値観が根こそぎ覆され、多くの教師が教壇を去ったのもこの頃」。すさまじい窮乏生活。「何より嬉しかったのは・・・お昼の給食があったこと」「引き上げのどさくさで五才上の姉と生き別れ、次女の私が長女になった為、買い出しから食事の仕度まで本当によく働いたものだ」などなど、当時の状況を想い出している。

・貴重な記録だし、これは誰彼に、そして子どもや孫にと読み継がれることこそ大事だ。語り継がれれば一番よいだろうが、なかなかそうはいかないので、こうして記録として書き残せば、確実に残る。そして読んでもらえる。赤坂夕という一人の女性の過ごした子ども時代を伝える小さな伝記として。

・喜寿の祝いで、同級生150人中 48人の出席とは凄い。戦後70年のふしめが同じ苦労をした友との出会いをうながしたのだろう。たべられる草を求めて歩き回った幼い思い出は、わたしにもある。いまも野歩きをすると、自然に、食べられる草を探している自分に苦笑する。

・書けるなら名前を出したらリアルでよかった

・飢えた時代のこと、書いてほしい

・舞踏家も呼び、豪華な同窓会

海峡派134号 ➁詩・俳句 感想



柿の花 ・・・・・・・・・・・・ 山口淑枝

「居を構えて/裏庭にすぐさま植えた/富有」桃栗三年柿八年というが、「五、六年で/そえは見事な/入日色した実を結んだの/ではなかったか」。その後三十年経ち、庭仕事もきつくなった作者。今年の柿の花は「あそこに二つこっちに三つ四つ」という具合。

柿の花を「小さい小さすぎる/小さくて優しすぎて/人目には触れにくい」と言い、それをなんとなく「自分の詩のことなども/考えたりしている」と繋げていく。


・人目に触れなくても小さすぎてもいいではないか、詩も同じだともとれる。また、自身の詩のことも、庭の富有柿のように細々とでも実をつけていこうというふうにも・・・しっとりとした味わいがあった。

・「君に朝の挨拶をして」ここが1ばんいい。このまま呼び掛け文でいけないか、、、、、


ニオイバンマツリ ・・・・・・・・・・・・ 横山令子

「まるで祭りの花笠のよう」に「日毎に変化して」「びっしりと三色咲いて」いるニオイバンマツリ。初夏の夕ぐれにその香りを浴びると、「からだは甘く 痺れる」という。窓ガラスに映った老女の顔を見て「花失せては面白うない」、「一年に一瞬/おんなの盛り 立ち上がる」とニオイバンマツリの香りから、褪せることのない女性の色気を感じさせる。


・窓ガラスに映った姿を、老女と言いつつも、がっくりくるわけでなく、まだまだ女の盛りよと湧き上がる情念のようなものを見るあたりが、若さの所以だろう。

1連がいい。あとはこの花のイメージの持ち方。私はこの花のにおいを柔艶とか魔力とか

かんじない。ただただ、、、清楚。

・今年2回咲いた

・「おんな の魔術は解けたのか」が効いていていい

・匂いがすべての原点、イエスタデーという別名がいい・・・昔のことを暗示

・とらわれの女というイメージを感じる。何にとらわれているのか、わからないのばミソ。


バナナ ・・・・・・・・・・・・清水啓介

「朝、起き」ると、夫の姿はなく、リビングに妻の葉子あてに「バナナが一本と手紙らしき紙片」があった。「自分は昨夜バナナに」なったという。手紙は「まだ人間であるうち」に書いているのだという。そのバナナの処分は任せる・・・と。葉子は「今度はこういうテで来たんだ」と情けない思いでいる。


・「カフカ・・・かしら?」はないほうが読者に想像させる広がりがあったのでは?

変身譚の詩。ものすごくおもしろかった。こういう詩もあるのだと、今後の作詩のヒントになった。夫の人をくったような手紙、痛快だが、自分の夫だったら、呆れて情けなくてものが言えないだろう。

逃げたがっている男をむんずと捕まえ、自信たっぷりの女。でもその女の悲しみをしっている男は、彼女から逃げられないと、観念している。

・人間は普通に生活しているとき、たまに遠くに行きたい、逃げたい、という心境になる。

・おかしみを感じた。

・ラスト、気持ち出ている。

・男のもだえってなんだろう?



八十八夜の月明り ・・・・・・・・・・・・ 笹田輝子

夫婦と思しきABの会話。フランス焼酎、シャンソン愛の賛歌、月・・・「お・・・月だ カーテンは寸分の動きもなしだ・・・」では、風のない月夜を知らせ「今夜は廊下のカーテン/開けたままでいいぞ」と続く。ラストの「八十八夜の月はABの言葉を/絡ませはじめる」がいい。


・穏やかな日常、ABの仕合せの刻、それこそが幸せの時間。かけがえのないいとおしい時間を人はどれくらい過ごし、どれくらい覚えており、どれくらい思い出すかで幸せ感が違うのかなとも思わせられた。

ABの会話はちっとも絡んでいけないが、絡んでいるという錯覚。



終戦の日 ・・・・・・・・・・・・土田晶子

「戦争が終わったぞ」で始まる詩。兄からの一言。そして「兄の携帯ラジオは/大本営発表を繰り返し/そのことを告げていた」。「助かった/日本国民はと」。生活を根底から脅かしていた戦争の終結に、ホッとした安堵感がよく出ている。


・心に沁みる。どこか高見順を思わせる。

・ハンドバッグくらいのラジオを抱えてきたらしいので、携帯ラジオではなく、単に「ラジオ」か、もしくは「ラジオを抱えて」とすれば、誤解がなくてよかった。

・きっとこうだっただろう。10歳の少女の敗戦。



加計呂麻島にて ・・・・・・・・・・・・さとうゆきの

最初の10行、島尾ミホ「海辺の生と死」から「この人を失いたくない・・・この人を死なせるのはいや・・・戦争はいや」という文を引用。加計呂麻島はミホの住んでいた島。そこが「戦争の最前線となり」/島人のすべてが手段自決を覚悟」したことなどの導入として、効果的に使っている。
「本土防衛の捨て石となった奄美大島の悲劇」「わが国の自衛隊から死者はだしませんという総理の文言」の二行は、ラストに掛かる。

・島尾ミホのことを知り、島尾敏雄を読むことにつながる。ミホの愛の力に気圧される。問いかけで終わり、考えさせる詩

・島尾敏雄の「死の棘」という小説があるが、あれはリアル。言葉を選びながらあれだけのものを書いたのがすごい。

・ラストで今とつないでいる

・ミホの言葉でなく、自分の言葉で詩を。大事な素材だけに、読者に届けてほしい。

・ミホの言葉が作者が一番訴えたいことだとわかるが、10行は大きすぎる。

作者の言葉

・借りた10行の叫び声、今まさに叫びたいので、借りてしまった。ミホは、夫への愛(娘をほおってでも・・・と、後に息子が書いている)をとった。



メンタル系疾患 ・・・・・・・・・・・・若窪美恵

「いつ晴れるともしれぬ 立ち込めた 霧」に僕はいる。その霧は、「待ってくれ/と掴んだはずのきみの腕」の、「手ごたえだけを残し」「湿度を含んで重たく」消えていく。「サヨナラと言ったはずの きみの声も」聞こえないふり。


・霧に閉ざされた不安な生のあり様が書かれているようで、感銘した。

・一人の人間が、もう一人の男、死にたがっている、もうひとりを追いかける

・心の悩み=心が重い=メンタル系疾患

・タイトルがいい。掴む

・僕はもう一人の男? 僕はなんなのか? 自分が誰なのかわからないもどかしさ、とらえどころがない、霧の中という感じが出ている

・二人だけど、一人が言っている。心のありようを書いている

・喪失感、逃避願望

・もう一人の自分、その正体がわからない。遠ざかる人もわからない。一人の人格がすれ違う、生き辛さ。

・タイトル、決めすぎでは?


カラスが嗤う ・・・・・・・・・・・・池田幸子

今朝も電線にとまっているカラスが「人間が笑うように/人間を嗤うように/カハハハハハハ・・・」。

そして「日本人が世界で一番食料を捨てるという」と言い、わが家の冷蔵庫の残り物に思いが及び、後半では「七十年前のあの欠乏・・・」から「あの頃は平和だったか/いまは平和だろうか」と問いかける。


・カラスの嗤いは象徴的だ。人間社会の無駄、贅沢、争いなどを嗤っている。「たろう」という矢島太郎の絵本を想い出し、読み直した。

時琉のままに生きる自分自身を悲しむ

・人間が笑っているみたい

・自分が嘲笑われているみたい

・祖母の生き方、教えられた

・カラスは知能が高い

・「日本人が一番ゴミを捨てる」など観念的なところは除けるほうがいい


悲しみの正体 ・・・・・・・・・・・・いよやよい

「夫が逝ったとき・・・泣かなかった」のに、「夫の車が 業者の手で/車庫から運び出されたとき・・・泣いた」と告白する。タイトルは『悲しみの正体』、つまり、悲しみの正体は、「車につながる過去に/別れを強いられて/これから来る変化に/応じられな」かったと気付く。

確かにそういうことってあると思う。夫に車であちらこちらとドライブした楽しい思い出が、悲しみを誘ったのだろう。「泣いた」という単語が重い。


喪ったもののかけがえのなさを、すなお 逃げたがっている男をむんずと捕まえ、自信たっぷりの女。でもその女の悲しみを

しっている男は、彼女から逃げられないと、観念している。にいわず、強がっている。別れを強いられてと、3連で本音。

・胸が詰まった

・いとしさ、優しさ、美しさを感じる

・夫につながる思いで・・・深い愛、こういうふうに表現したのだと思った

・客観的に書いている

・強がっている女、かけがえのない人と暮らした時を思う


空想 ・・・・・・・・・・・・加村政子

「感覚を研ぎすませて/天空を見上げると・・・受信する相手を求めている」と、最初から広大で宇宙的なイメージを喚起させる。3連、「退化して失ってしまった能力が/消える寸前に爆発炎上し/ようやく理解できる脳に変化する・・・」なども難解だ。しかし、作者には、「愛も憎悪も/形としてわかってしまう」のだという。一種の超能力とも言えそうだが、それを世間では「妄想は幻覚だ」と言いうのだろう。しかし、「大いなる未来を切り開く/希望の種かもしれないのだ」と言い切る。


・完結していて、他社が入る隙がない。だが、そういった空想、妄想、幻覚が緻密で飛躍的な小説を作り出してきたのは間違いない。

感覚をとぎすませて 天空を見上げると の1連と 4連の 見えてしまう恐怖。わたしはみえない。空想という題名に対し、妄想、幻覚、未来、希望と展開するが、3連がもっとも理解不能



俳句


草笛 ・・・・・・・・・・・・笹田輝子 

手をつきて何ぞ言ひたげ夕蛙

蛇の衣昨日の意思を見せてをり

草笛が合図今日から友達に

間を守りて力を込めてほととぎす

薔薇剪って今朝の気持ちを変へてみる



・小さな生き物、草木にまで心を寄せる優しさが感じられる。

・旧仮名遣いは、一段と味わいがあるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海峡派 134号 感想①小説

四十年前の紙芝居 ・・・・・・・・有馬多賀子
喜寿になる和子は「終活」というので納戸の整理中、思わぬ物を見つけた。和子が小学校に勤めているとき、社会科の授業で作らせた6年生自作の紙芝居『Yおばあちゃんの満州脱出』だ。そのほか、ダンボールいっぱいの記録も・・・。昭和49年、吉永文夫を家庭訪問したこことから始まる。文夫の祖母の満州の「十五年戦争」体験を聞き、学校で話してもらうことにした。その話を児童たちに「紙芝居」にさせた。

・絵具は色あせてはいないと書かれてあったが、文章も生き生きと色あせずに、すっと昭和49年当時に戻っている。Yおばあちゃんの話を聞いた児童の質問のやり取りなど、ぐいぐいと物語に引き込ませ、読ませる力があった。また、児童の感想を載せたことで、臨場感あふれ、締まった気がした。

 


Yおばあちゃんから戦争体験をきき、それを紙芝居にすることによって扱い辛かった受け持ちの6年生の子共が、しだいに団結していき、卒業前の発表会では創作劇として演じる。当時の小学校でこんなすごい平和教育を実現された和子先生に敬意を表する。とくに、Yおはあちゃんの表情が場面によって次々と変化し、11pの、ロシアの将校に懇願するシーンなど、すばらしい表現でした。これこそ語り継ぐべき庶民の戦争史と思いますが、作者も憂いているように、いまの教育現場でどれほどの事が出来ているか、、、を考えさせられた。

・よい材料をお持ちだった

・引き上げのことなど貴重

・当時、日本人がいかに平和というものをかみしめようとしたかわかる

・児童の個性がよく出ている

・今の子どもたちに、どんなふうにつながっているか。ロマンがほしい

・自分の子もこういう先生に教えてもらいたかった

・おばあちゃんのシーン(口調・表情)がよく書けている。このYさんを通して語ってくれたのでよかった。

 


あしたは 晴れている 
第一章(五)
・・・・・・・・・・・・ はたけいすけ

いろいろすったもんだした後に、何事もなかったかのように暮らしている養女と養父、その母の丈子、子之八、ワカたちに、小2の正太はわかがわからず、寂しい思いをする。ある日、正太は45人で難波の繁華街に行く。そして万引きをし、警備員に見つかる。特に朝鮮人の金が「お前ら朝鮮人は、子共に万引きするように教育しとるんかぁ・・・」と差別むき出して怒鳴る。だが、金は、だた見ていただけだったのに・・・。

 


・警備員の態度、子之八の激怒、かばう母、濡れ衣きせられた子どもに絶望的なあしたを見る金の母・・・などの大人たちに正太の幼いなりに感情が、理不尽や差別、母の愛などを知り、複雑に揺れ動く。物語の展開がとても歯切れよい。当時の時代背景や状況、人間模様が正太の目を通して描かれていて、とても読みやすい。これからどうなっていくのか、楽しみだ。

・今回は、呼笛がキーポイントになっている。子供相手に威張り散らし、それを大人に見せて、威光を誇示するあたり、とてもうまく書けている。あらわな朝鮮人差別とそれに対処する金の

母親の、やるせない怒り。「若奥さんとうちとどっちがすきなんやねん?」と訊く丈子、そして、子之八、武市、直太   それぞれの様子を正太の目線が語る。ときは支那事変前夜、、とある。

つぎが待ちどうしい。

・その頃の巡査、強かった、差別的。

・書いておかなければいけないことが感じられた

・朝鮮人の扱い(書き方)が気になった

・金少年だけが犯人にしたてあげられるところ、辛かったがリアリティーあった

・過去の日本人にそういうことがあった・・・人権問題についての書き方はどうなのか?

・強いものには弱く、弱いものには強い・・・巡査、権力者

作者の言葉

「自分たちが人間として考えるとき、朝鮮・中国に対して下に思っているのではないか、と思い、当時のことを屑買いの隣人に聞いて書いた」


街(三)・・・・・・・・・・・那津瑠々
中島という女性が経営している店で話す。コーヒーはとても味わい深いが、中島自身は仕事に対して甘さが見える。そういうところが文代と似ている感じがした。一方、久美子は仕事でもなんでも情報を収集し、きめ細やかに計画し、実行している。中島から久美子の自殺の原因を尋ねられるが、自殺したことさえ知らなかった。周囲からは仲がよかったと思われているのに・・・突き放された感じがした。

・親友といっても、何も知らなかったことを順を追って探り出そうとしている。それは文代の青春時代の過ごし方にもかかわること。久美子を知ることをどれほど追及できるか、今後の展開が楽しみ。

・自殺した久美子と親友だった文代。文代はでも、彼女との希薄なつながりを、かなしむ。

・秋の空気を飲む。すこんとした味わい。独特の完成。


もったいない ・・・・・・・・・・・・ 伊藤幸雄

ケチ野と呼ばれている男性のケチぶりといったら見事というよりない。40過ぎまで独身。なぜなら、家族が増えれば生活費がよけいにかかるから。そのケチ野が美人女性と結婚。もちろん、ケチはかわらず・・・。同僚の私はちょこちょこケチ野の家に、焼き鳥や餃子などを買って寄っていた。そのケチ野が、莫大な資産を残してあっけなく死亡。美人の奥さんはもったいないので、私が結婚した。

・一番ケチだったのは私というオチ。一番いい思いをしている。ケチ野は性分とはいえ、ケチケチして莫大な資産と美人妻を残し、かわいそうな人生だと思った。やはり、人生楽しまねば・・・

・ケチ野さんのあっけない死。首尾よくあとがまにはいれた私。親切はするものですね。

・ケチ野、ケチが性分、我慢したわけじゃないので、これで案外幸せだった?

作者の言葉

「実際にこういう人が会社にいた。老後の資金をためていたようだが、老後を迎えずして死んだ」

 


蹲いの水と野良猫 ・・・・・・・・・・・・都満州美

夫が亡くなり、晶子も七十歳半ば。家の庭にある蹲いにやってくるようになった二匹の野良猫のことを、つぶさに観察するのが日課となった。水を飲みにくるのだ。日々、見ていればしだいにかわいくなってくるが、餌は勘弁してと思う。「蹲いの水はたらふく飲ましてあげるから」と心でつぶやきながら、蹲いをきれいにし、水を入れ替える。そのうちに一匹になった。

・猫に対する晶子のまなざしは優しい。自分の貴重で幸せな読書の時間に、さらに、野良猫たちが彩を添えてくれている。豊かな時間と言える。晶子が自分は猫が好きなのだろうと思い当たるところが、なかなか楽しい。風や、猫の動き、牛蛙の声など、家の巡りの自然なども随所にさりげなく描かれていて、美しい文章になっている。

・枯葉の掃除ではじまる小説なので、最初、季節がよめずとまどったが、つつじの花が

咲いているから春なんだとおもう。野良猫のしぐさを観察し、克明に書いていく。じっと見つめられた晶子峨幸福な気分になる,、とまで野良猫にいれこんでいく。見張られ、見張り返す晶子の日常。

・毎日水を変えていたら、小鳥が来、猫が来、犬が来た。

P121の上段、小鳥が2羽死んでいた・・・同じことがあった、思い出す

P120 2行目、やしなってみたい→飼ってみたい

P121 夜になると毎年→毎年夜になると

 


メダル・ソリジャーズ ・・・・・・・・・大空裕子
2020年。メタリックモンスターという生物群が現れ、その研究施設の学園での小さなドラマを描くファンタジー。私(礼佳)は、ブレスレットとメダルを手に入れ、メダル・ソルジャーズの一員になった。戦闘員として、敵のモンスターと自分のモンスターとを戦わせ、手に入れるのだ。 


・学園ものとして、もう少し長い物語だと、登場人物たちの個性(キャラ設定はできているのだろうが)が十分に発揮できたのでは、と少し残念だ。

・今からの人、書き続けることでどんどん上達していってほしい。

倉成礼佳という名前の私・メタリックモンスター・ブラックコンドル・和雪・レッドドラゴンブロンザナイト・メタモン・イグアナのメタモン・タートルのメタモン・魔女のカリントン・

ユカナイト・カルサイト・クワガタムシのメタモン3匹・ウルフのメタモン・メタルソルジャーズの反場幸一・永峰亮太・学園長の高須先生。これは2020年の春のこと。しかもこの生物群は

それより2年前に発見せれている。ということは、今から3年後のことかー。

 


苦節川(七) ・・・・・・・・・・・・山之内一次

田舎に疎開すれば、食べ物の不自由はないものと思っていたが、妹由紀や弟辰夫に辛い思いをさせることになった。彼らを残して、浩一は川崎の下宿先に帰った。東京の大空襲勃発。「東京の空は一面真っ赤に燃え上がり、のしかかるように・・・逃げ惑う人々の阿鼻叫喚が・・・」・・・世話になっている祖母の家は都心から離れていたが、「浩一もてっきりこれが最後かと思った」。下宿先はみじめなもので、物音もひどく、何より、留守中、父の愛用の黒のオーバーがなくなっていたことで、部屋を引き払うことにした。

 


・田舎にいてさえ、戦争の余波をくらう。食べ物も困窮し、親は子を心配し、上の子どもは弟、妹など下の子を心配する。アニメ『ほたるの墓』を想い出す。

・浩一のがんばりが伝わってくる。一生懸命に正直に生きる姿がいい。悲惨な物語であるが、読んでいて、浩一の姿には救われる思いがする。

・東京空襲のあおりを食って、亀井戸あたりというからずいぶん田舎なのにB29の襲来に遭遇する。130pの描写がなんのかざりもなく、たんたんと書かれているが、かえってリアリティがあって、浩一の恐怖感はいかばかりのものだったか。

 


一瞬 ・・・・・・・・・・・・犬童架津代

理佐は、「鬱陶しい日は納屋の片づけをしなさい」という新聞の広告欄を見て、物置を片付けることに。クレゾールやグリセリンなど薬のビンをみつけ、医師であった義父のことや、火事にあったこと、義母が火事の犠牲になったこと、一年後に病院を再開したことなど、いろいろ思い出す。その義父もなくなって15年。長いと思っていたことも、過ごしているうち、振り返れば一瞬に感じることだろうと理佐は思った。

・いろいろな場面でひとは一瞬を感じるが、すべて人生は一瞬である。(134P)といわれるともうなにもいえなくなる。最後に人生を花火にたとえるのは陳腐すぎないか。夫、猛、主人と、1文のなかで3回も変わるのはよくない。

・過ぎてしまえば色々なこともあっという間、それでもきちんと生きていくという理佐の決意はよかった。夫との関係も時間が解決してくれることもあったのだろう。それが年月の力のような気がした。

 


ラスト・ストラグル 
第一部 6~11
・・・・・・・・・・・・坂本梧朗

職場の健康診断で糖尿病判定が出たため、カーツンは禁酒をすることにした。2年のスポクラの試験監督でカーツンは、カンニングとも疑われるような行為をしている生徒を見つける。また、答案を返すときに答えを書き換えて点数を上げてくれという生徒に、コピーをとっていたので「答えを書き変えとるやないか」と問題にするのだが、結局、副校長などが出てきてうやむやにされた。コピーをとったことが、生徒を信頼していないというので批判の対象になるというのだ。

一方、ワラシは舌の力も衰え、自力で食べられず、紙オムツもしないといけないようになった。便が出なくなり、手袋を付け、便を取り出すのが日課になった。カーツンとムーサンは、そうやってワラシのために努力し、ワラシが気持ちよさそうにしたり、うまく食べてくれると嬉しいし、次第に体が麻痺していくのを見るのはとても辛いことだった。

・私立高校の国語教師のカーツンの職場での苛立ち、生徒との疲弊するやりとりと、ワラシという老犬を妻のムーサンと介護し、一喜一憂する二つの物語の進行で進めていっている。とてもよくわかり、とくにワラシの弱っていく姿には心が痛む。

・カーツンはほんとにふつーのなさけないほど健康に注意しながらくらす庶民です。素直で純情です。第1部、6 では、それがよくわかる。7・8  では、こんどは勤め先での不愉快な事件だ。どうしてもこうしても、上からも下からも、不利な面白くない結果が返ってくる。9 は管理体制について、、、おたがいに監視しあう最悪な情況。10 では、これらのストレスから来る心臓の異常。医者とのやりとりが細かく書かれていて、カーツンのなげきがみにつまされる。11 ワラシのこと。弱っていくワラシをかなしむカーツン、カーツンはかなしんだ。カーツンは考えた。

カーツンは思った。カーツンはカーツンを悲しませた。カーツンには寂しいことだった。このぶきような、中学生の作文のような、率直な表現が緊迫感を持たせている。だんだんのめりこむ。ワラシ死ぬな。

・カタカナが多く目立つ。

・全体としての苦悩がわかる

・作者のテーマ、それぞれ登場人物の意志を関係づけていく

・生徒のカンニング事件、うやむやにする学校側、教育の歪みにカーツンが疲弊していく様がよく出ている

・ワラシの介護に一喜一憂するカーツンとムーサンがよく書かれている。

 


再見 ・・・・・・・・・・・・木村和彦

理屈ばかりの夫がガンになった。妻はおっとに女でもいるのではないかと怪しんでいたが、

2人一緒に病院で医者に宣告されると、それどころではなくなった。そしてなんと妻が狭心症で

たおれる。臨死体験のようなものをしてしまった妻は、あの世で待ってるとつぶやく。

・文章に破たんがなくとても読みやすい。

・夫がガンで手術、そして妻も狭心症で倒れるなど、人生どうなるかわからないものだ。

作者の言葉

「サイケンと読めば『また会いましょう』、中国語読みにしてツアイチェンと読むと、『もう会えませんサヨナラ』となるそうです」




土田晶子 第八回福岡県先達詩人

「海峡派」土田晶子が、第八回福岡県先達詩人に顕彰されました。


福岡県詩人協会 総会・受賞式・懇親会

七月十二日(日)に、福岡市、西鉄イン福岡で開催された福岡県詩人協会総会・受賞式・懇親会「海峡派」から池田幸子犬童架津代さとうゆきの土田恵子若窪美恵名が出席しました。土田晶子は体調不良のため欠席、代理を土田恵子が務めました。

文学散歩 星野村 6月18日

文学散歩 
「星野村を訪ねてー山本源太さんに聞く〈丸山豊〉像」

6月18日(木)に、海峡派 参加者14名で、文学散歩に行きました。

〈文学散歩内容〉
●食事 池の山荘  八女市 星野村

●池を見学後、源太窯&源太さんによる丸山豊展

詩人・陶芸家の山本源太さんに、詩人丸山豊氏について語っていただきました。

源太さんは、一部屋を〈丸山豊展〉に設えてくださり、また、星野のおいしいお茶とお茶菓子も用意してくださりました。
源太さん、ありがとうございました。

なお、この文学散歩のレポートは、134号に詳しく記されます。

「週刊読書人」第3092号

「週刊読書人」第3092号(2015年06月05日)「文芸同人誌評」に、白川正芳氏筆により、池田幸子「海峡派と私と膠原病」 ( 「海峡派」132号)が紹介されました。

「読売新聞」6月13日

「読売新聞」2015年06月13日(土)「季評-小説」松本常彦筆―名曲の世界観そのままに―に、坂本梧朗「ラスト・ストラグル」「海峡派」第133号)が紹介されました。

海峡派133号 俳句・随想・評論・レポート感想

俳句

今朝の春・・・・・・・・・・・・笹田輝子

どちらからともなく握手今朝の春

書初のまごころと書く気の抜けず
八重一重灘風揺らす野水仙
避難先より参拝てふ今朝の春
雨女とされて探梅行ならず


花菫


朝の空真珠のような雪連れて

寒夕焼け一瞬そっぽ向く鴉

色白に引き立てられて春著かな

九十の髪に差したし花菫

白足袋の殊に目に沁む能の舞

随想

わが家のゆく年くる年 ・・・・・・さとうゆきの


正月のあり方、その家の主人が生きていたときと、亡くなってからの・・・同じように変わりなく続けようとする作者。

それをやはりそうあることこそ当たり前として受け入れる、息子の家族。

あたたかく通い合うものが伝わってきます。変わっていくことのやむを得なさの中で、変わらないことを続けようとすることの大変さと大切さ。

でも、大切さが勝つのです。家族だから。本当にあったかい家族のありようが手に取るように思い浮かぶ。

佐藤家の賑やかな年越しに備えて、エネルギッシュな働き。何
事につけても、好奇心から出発し背景を考慮し、万全を期す。そして端的に愉快に表現される佐藤節。

銀次郎の日記 ―読書― 死の不安からの逃避
             ・・・・・・・・・・ 青江由紀夫

     1. カントもプルーストも役に立たな
2.同級生も死ぬ

           3.  回想・同級生たち
4. 囲碁の勝負に逃避
5.  国政選挙
6. 八回目の入院二泊三日
7. 必ず死ぬ、寿命という天命に服従


相変わらず、読書家で、その種類も多岐にわたるが、やはり、『それでもがん治療をつづけますか』『死を見つめて生きる』『死の淵より』など、死を見つめる作品が多くなってきている。作者の心境なのだろうが、切ない。

医者にがんばってもらうほかないが、海峡派の仲間、文学仲間はみな、銀ちゃんの体を心配し、祈り、
応援している。


蘇った瞳 ・・・・・・・・・・・・・・  赤坂 夕


白内障の手術を受けた作者が。局所麻酔のため意識があったので、手術の様子がありありと描かれている。

ふだん見ることのできない手術の様子を患者の心の目を通してうかがい知ることができた。貴重な体験だったが、術後、視界が開け、すべてが明るくなったような作者の晴れ晴れした気持ちがよく出ている。


とてもいいエッセーだ。簡潔なタッチで、冷静に手術を受ける様子を細かく書いてあり、術後の喜びが伝わってくる。私も迷わず行こうと云う気になってくる。


評論

日本よどこへ行く(七)・・・・・・  木村和彦


これまで書いてきた論をまとめている。日本、日本人についての結論は、「日本人に論理性を」という内容に帰結すると作者はいう。


・日本人は感情的になりやすい。議論するなという風潮。会議をするといっても、そこで決めるのではなく、水面下で根回しができている。

・議論すると嫌われる。根に持つ。

・「日本人論」がたくさん書かれ、たくさん売れる。


レポート

四十年の歴史を引き継いで新しい船出だ!
                   ・・・・・  有馬多賀子


海峡派40周年祝賀会の様子をレポート。

文学仲間のお客様、後藤みな子氏、深田俊祐氏、八田昂氏、中尾三郎氏、下山八州夫氏がご出席くださった。それぞれのお祝いの言葉や、海峡派に対する思いを丁寧にまとめている。また、いよやよい詩集「彼岸と此岸」の出版記念会も兼ねていたため、詩集の感想にも触れている。


・レポートを読めば、その場の情景がありありと思い浮かぶ。

 

海峡派133号 詩 感想

                   みっつ      バラード
亡き夫に捧げる三片の詩
  
・・・・・さとうゆきの

「仏飯」「盗んだ花では」「起こすなよ」の3つの詩からなる。どれも、亡き夫への思いにあふれている。
とても情感がある。ちょっとした会話の中からお互いの考え方や生き方が見えていい。
亡くなったあとも、ふと思い出すあれこれ。思い出す限り、人は完全に無になったわけではない、そう確信するような詩。
寝続けるのも疲れるなあとひょこっと起きてきそうな、生き生きした3篇。

・「起こすなよ」が好きだった。

・「仏飯」と同じ一日を過ごしていると感じた。亡くなってつくづくありがたさがわかる。

・「起こすなよ」ひしひしと感じるよい詩。詩で会話しているのだから、うらやましい。

・花を飾るという作者の気持ちもいい。自分はそのままだと不安。「起こしてよ」と言いそう。

・本当は起こしてほしいのだろう。

・どの作品も生き生きとした問答だ。この掛け合いの小気味よさ、それは作者の中に常に相方が棲んでいて、こんな時、あの人はきっとこう云う・・・・

・これが詩になって発露した。特に仏飯がいい。
・大きなタイトルは「亡き夫に捧げる三片」でもよかったのでは?

「老いてゆく」と言うこと・・・・・・・ 山口淑枝


あちこちに痛みが走っていた体。それが旅先(外国)で一気に襲い掛かり、急きょ帰国することに。「ぐちゃぐちゃした雨は降る/心の奥底にも降る」心象風景はとても湿っている。から元気を得意とする作者をしても「ただ日を 日々を遣り過ごして」いるだけ。終連まで、小さな老いを感じさせる出来事でつづられている。

・少しずつだが、確実に老いはやってくる。それを自覚する時がとてもつらい。でも誰にでもやってくる、老い。そしてその向こう側も透けてくるような・・・じっくりと読ませる詩。
・わかるわかると思う人は多いのでは? そして私もその一人かも・・・もう少しマシ、というだけで。
・「柿の」…一つ取りますか。本当に老いている人は、こんな詩が書けるでしょうか。

ヤマイヌの居る風景 ・・・・・・ 清水啓介

啓介は、詩中では「おーい、啓介!」と呼ばれ、アタシにバッグを持たされ、いいように振り回されている。ヤマイヌの夢の話をしても、「バカなんじゃないの!」と相手にされない。啓介の立場と夢(内的な心理状態?)のヤマイヌとの関係が気になる。詩全体が「 」のアタシの一方的なおしゃべり。

・面白い表現方法だと思う。

・題はカタカナ、文中は漢字の山犬…わざとですね。これ全体が「夢」なんですかね。

虐げられたように従う啓介と、アタシ。表現から想像すると、映画を見ているような。

・ただ、山犬がどう繋がっていくのか、作者に聞きたい。ヤマイヌとは作者の中では弱い存在、それとも強い存在?

・あいかわらず面白い。

・「   」全体が自分の言葉ではないが、この女がいる風景。その情景、表情、姿がよく見える。・「  」だけで人が見えてくる。
・詩はとてもいいのではないか。
・ヤマイヌみたいな女がよく出ていた。発想が効いている。
・女の人が元気でいい。ヤマイヌは女性。女性は自分の中で完結する。

新しい病気 ・・・・・・・・・・・・・ いよやよい


老化が進むと何もしなくなるのが悪い。「不活発病」という病名もある。夫は老いの兆しが見えてから始めた習い事で、「もちろん/「不活発病」になる隙は/ありませんでした」。


・いなくなった人から教えられることは多い。思い出はずっとあるものだなあ。
・「不活発病」は、最近よく聞く病名。夫君は、不活発病になる暇もなかったのに。新しい方法で、現代を切り取った詩。

青い星にいた頃  ・・・・・・・・・・・・・ 加村政子

「川底に潜んでいた魚」が、「いつのまにか・・・「私」という人間」になり、満足したり、後悔したり・・・人間として生きるが、死に向かっている悲しみにとらわれている。脳内ははるか昔の先祖の記憶も刻む、「青い星にいた頃」さえも・・・


・目の前に迫りくる死と、自分を形作るDNAの記憶を見つめる静かなる思考。いい詩だと思う。
・加村さんの初の詩に拍手。生命の発生から進化、脳、記憶、蒸発と丁寧に述懐?
・現代にいたって、やや自己陶酔の感。言葉が多くて分かり易いが、小説家の詩かなあ。最後から4
はいらないのでは?

・今後もたのしみにしている。

あて名だけの葉書 ・・・・・・・・・池田幸子

「古い詩集に挿んだまま」過ぎ、「いつの間にか忍び込んだ病」に日々を籠っている。

爪を切る音が、「故郷の若かった父が/木を切る斧の音に似て」いるという。「彼岸の人と向き合」いながら過ごしている中に、「明日に向かって素振りする」背高き少年がいる。

・足元に落ちていたボタンを挿んだままだった葉書に添えて届けようということか。

・ちょっとわかりにくいが、生きている者にある明日という未来と、彼岸にいる者のいる過去とが交差して情景を映し出している。
・しっとりとしている。ノスタルジック。

海峡派 133号 小説➁


ミシンの音 ・・・・・・・・・・・・・ 若窪美恵

久実は東京で新聞奨学生として頑張っている。故郷には知的障害を持った二人の姉がいて、母親の園子は寮の賄やミシンの仕事をしながら、二人の姉と生活している。

父の葬儀に帰省して、6年生の時に母園子に対して「なんで生んだの?」と云ったことを思い出す。思い出すというより、ずうっと引きずっていたのだ。そして今も。

決して嫌いではない、むしろ可愛い姉たちへの思い。それなのに何故あんな言葉を吐いたのか、自分が許せず自己嫌悪に陥り、ひと時も消えることはない家族への思い、自分が離れて暮らしていることすら済まなく思う久実の独白。


・三行はインパクトがある。この三行で小説の中身がだいたい推測できる。それが小学校6年。
それから10年経って、段落から義之の葬式の回想になるが,このあたりの時間の処理に読む側としてちょっともたついた。題の通りミシン場面がよく出てくるが、特に156ページの上段の描写は効果的。164ページの下段の精神薄弱で小説のニュアンスが変わってくる。2000年3月でこの言葉は廃止になつているので、またすでに160ページ下段で知的障害と出ていますのでずっとこの言葉で貫いて欲しかった。資料にもあるようにフック船長はミシンの音が大きいから着想されているのか知的障害者を軽いタッチで書かれているように思った。

・欲を言えば、6年生の時の「なんで生んだの?」を発した時に、なぜこの言葉が出たか、例えば喧嘩をしたとか、他所の人から二人の姉について悪く言われたとかがあった方が小説としてはよかったのではないか。とてもいい作だと思う。

・登場人物のそれぞれの姿、形が思い浮かぶ。それはすごいこと。

・いきなり佳境に入る見事さ。ものや事を描き進めるのではなく、ていねいに心情をすくいあげ、また、「冷えた麦茶」などの何気ない実感を組み込むうまさ。主人公の内省。自己観照のまったおうさ。P160~161、164~胸打たれる展開だった。個であってはならない、他者には解りずらい世界を開いてみせている。

メタリック ファンタジー・・・・・・・・大空裕子

カイユウイチが異世界、メタリック世界に旅をしたときのこと。先に行った友人はそこにはメタリックモンスターがいると言って、帰っては来なかった。婚約者エリカも帰って来ない。ある日、ユウイチの目の前にメタリックな扉があり、吸い込まれる。メタリック世界に行き、女王に会い、友人やエリカたちのことを聞く。エリカは魔女にさらわれたのだ。

・ファンタジーは珍しいので、どんどん書いてほしい。もっと内容を細かくていねいに。このままではあらすじみたいなので、書きながら勉強し、才能を伸ばしていってほしい。ペンネーム、すてき。

・大空さんの初めての作品。これから書いていかれる中で、自分の本当に書きたいものが見えてくると思う。頑張ってください。



やまは夕焼け(全編)・・・・・・・・・ 柿田半周

「支那事変がはじまって以来、皇軍は連戦連勝です・・・」という時代、省一は6年生。その当時先生たち、友人たちとの学校生活。描写が的確で丁寧なので、手に取るように目の前に浮かび上がる。色あせない光景が描き出される。「東京が天井から下りてきたよう」だという洋館ヤカタの子の転入生。迎え入れる省一たちとの交流。ギンシャリ、金太、それぞれの人物像もとても楽しい。今の子どもたちよりもとても個性的で、生き生きとしている。「ほたっちょけ」「なんな、そん恰好?」というような方言も臨場感が豊かに感じられていい。



・「一同、起立、低頭」「教育勅語」の時代の少年たちの学び、遊び。その一つ一つの描写がとても憎い。「胸の扉がどきんと音を立てて閉まった」など、書きなれた大先生の作。続きが楽しみ。

・文章はさすが。特に心理描写が巧み。

・年代が近いので、松竹の大スター、桑野みちこなど、よくわかる。

・あだ名などのつけ方も、的確で、その人柄を表している。

・方言もいい。




苦節川(六)・・・・・・・・・・・・・・・・山之内一次

浩一たち家族、常磐線列車で故郷、額田へ。学校は空爆でやられ、浩一自身、志願するが不適格者だったという屈辱感をぬぐえない。農を捨てて東京に行った者たちを親族は複雑な心境で迎える。先に送った荷物も、開けられていたりして、省一は、母がここで暮らしていけるのかと心を痛める。

浩一だけは、また東京に戻り、叔母たちの疎開の手伝いをすることに。


・疎開の辛さ、迎える人のうれしくない心情・・・それがことさらに描かれることなく、子どもの省一を通した目でそっと感じる程度に書かれている。そこがまた辛さをそそる。
・どぶ板の下町のくすんだ風景をよく描写している。
・肩身の狭い思いの疎開暮らし、真実だろうが、めいってくる。せつない。
・時代背景がよく出ている。懐かしい。
・アメリカが日本の小さな島々を占領していく場面はよくテレビでも見る。機銃掃射・・・「禁じられた遊び」を想い出した。
・段々山場に近づいているようで、動きがあって説明が少なく面白い。苦節川に馴染んでこられたようですね。表現も「白い雲だけが素知らぬ風に追いかけていた」と、疎開する頼りなさを表していい感じ。

決心 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・犬童架津代
静代は中学の時の同窓会に出て、久しぶりに楽しかった。だが、早々に切り上げて孫のお遊戯会のために大阪の娘のところへ。娘は乳癌、ステージⅡ。手術で乳房を全摘するという。同窓会で聞いた、癌の名医の話をするが、娘は自分の決めたことを曲げない。静代は、娘にしっかり向き合おうと決心する。
同窓会では、昔に戻れる気楽さがあるが、年をとると、それぞれの悩みや老いを知らされることも。

・娘の乳癌という苦境に立ち、静代が静かに娘と向き合おうという重い決心は、ずしんと響くものがあった。離れているし、何かしてやりたいもののどうにもできないもどかしさがあるのだろうが、向き合うということに逃げはないような気がしたからだ。

・「当日、翌日・・・」のところ、当日は除く。

・決心の意図はよく伝わったが、ラストは大事。もう少し深刻な描写がほしかった。

・表現をもう少し豊かに。

・文学への情熱は伝わる。

地獄からの脱出(二) ・・・・・・・・ 古濱宏司

波子は前の勤務先をやめ、福岡の病院で医療事務の仕事についた。八カ月ほどたったころ、リハビリセンターで院長の叔母の老女に、娘と間違われた。整形した顔と髪型がそっくりだったのだ。それから老女とのふれあいが生まれる。その中で、生き別れた母に会いたいと祖母に母のことを聞く。母は父がカツオ漁に出ている時に暴行され、島にいられなくなったという。そして、いろいろ調べて、母クニの居所をつきとめる。母との再会、そして、一緒に暮らし始める。

・ストーリー展開が面白く、ドラマがある。情景描写や登場人物の細かな動きなども入れたら、もっと奥行きが広がったと思う。

・本格的な小説になっている。

・あらすじがあったことがとてもよかった。続き物を書く人は、真似てほしい。

・連載でも、その号だけ読んで一つの作品になるように完結させるのはとても難しいが、十分それができている。

・タイトルが少し大げさ。

・勉強になる。

海峡派 133号 感想 小説①

ラスト・ストラグル ・・・・・・・・・・坂本梧朗

ストラグルとは、奮闘・苦闘の意。シーズー犬のワラシとその子犬のツムジと、飼い主のムーサンとカーツンの暮らしが綿密に描かれている。「ツムジは本当に鬼っ子だ」と言い合うほど、ワラシに噛みついたり、ムーサンらの言うことをきかない。ワラシはもう年寄り犬で、散歩にも苦労している。カーツンは私立高校の教師で、物語の中に、生徒やほかの教師とのやり取りなどを挟み、教師としての苦悩、ストラグルも同時に描いている。ワラシとツムジを仲介に、ムーサン、カーツンの仲の良さと協力体制が微笑ましい。綿密な描写がすばらしい。

・読み始め、犬たち、飼い主らの4つのカタカナの名がわかりにくかった。

題名がいい。日本語は湿っぽいから。

・カーツンとムーサン サンジイとサンバア ワラシとツムジ、作中人物の命名もカラッとしていて、とてもいい。題に相応しい。

・14年飼った愛犬「ワラシ」が老衰で弱って行く様子とツムジの関係、散歩、食事、日常の動作が細かく描かれていて、心から愛し、労わりの生活を共にする家族のような存在。一方、高校教師として最後の一年をスポ―ツクラスを担当して苦労する様が、こと細かく描写され、読ませる。が、命名のように、内容もカラッとを期待。

・ツムジがだんだんと衰える様がていねいに描かれている。

・登場人物が多くなっていくほど、関係性だけが残る。

・人の力関係、犬と人間の生活を描きたかったのでは?



あしたは 晴れている 第一章(四‐2)  
            ・・・・・・・・・・・・はたけいすけ

道に迷って若奥さん(貞子)に助けられる。最初は上から目線で「芸者」とばかにしていた警察だが、若奥さの旦那が報国軍人会関西連合副会長をしていると知るとすっかり打ちのめされるなどのやり取りが面白い。貞子には、正太と同じ名前の主義者となり警察に殺された弟がいたことなど、ストーリー展開に驚く。どんどん広がっている。続きが楽しみ。



・今回道に迷った正太を下地に、貞子の大学生だった弟が、警察を何度もたらいまわしにされ、血反吐を吐いて死ぬという山場が登場する。連載物にはその回でのクライマックスが用意されていて、当時の警察権力に立ち向かう若奥さんの台詞が小気味良い。
・小気味良い大阪弁が行間から立ち上がってくるようで、芝居を見ているようだ。
・ものの考え方など、戦前・戦後がよく書けていて、楽しんで読んだ
・問題深いところをえぐっている。芸者・軍人・主義者・・・など、人物を描いている。
・断定のタイトルで、ランとには何かあるはずと期待。
・大阪弁は、書いてもしゃべってもおもしろい。読みやすい。
・このころの巡査の社会的位置や思いが伝わる。
・今回とくによかった。貞子と巡査とのやりとり、やりこめた軽快さ。
・貞子と正太の風呂のシーン、性のめざめ、うまくさらっと書いている。
・主義者を黄金バットに例えるところなど、時代の英雄というイメージ。ダイナミック。

薫子 六歳の夏   ・・・・・・・・横山令子

兄と姉がいる、末っ子の薫子と米兵とのふれあいを描く。父が漁を終え浜辺を歩いていると、若い米兵が倒れていた。戦時中なので、離れにかくまうことに。薫子は米兵に箸の使い方を教えたり、折り紙でだまし船を作って笑い合ったり、五右衛門風呂で背中を流してあげたりした。戦争が終わり、米兵との別れがきた。

・薫子にとって、初めての異性との付き合いと言えるだろう。あたたかい思い出でよかった。言葉はわからなくても、通じ合うことに、子どものすごさ、それ以上に薫子の持ち前の人懐っこさなどが感じられる。10歳、15歳・・・と続きがありそう。


・題がいい。

・終戦間近の夏、世界わろうとする時、一人の少女の貴重な記憶の一ページ。この少女にも家族にも、人下内があふれており、少ないページの中に、感受性豊かに育っていく様が描かれている。

・戦後70年の今年に相応しい作品。もう少し書き込んでいい作品に育って欲しい。

・米兵をかくまった家があったのだなあ・・・

・薫子の心の変化、交流、ていねいに書いている。

・別れの辛さが伝わってきた。

・まとまって美しく書かれているし、話の展開もよくわかり、相槌を打つことばかり。

・米兵の印象が少し淡い。



作者のことば・・・子どもの視点で小説を書くために、海峡派同人だった故大羽隆之の­­­­作品を参考にした。

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他人の不幸は蜜の味 ・・・・・・・ 伊藤幸雄

ショートショート。サラリーマンにとって、人事異動ほど気になるものはない。同期の上島に「お前、今度の人事異動で所長だよ。所長・・・」と肩を叩かれ、俺はついにこいつを追い抜いたと思ったが、なんと、勤務地は○×島という絶海の孤島。上島は楽しそう。



・天国から地獄に落とされたようだったが、家内の束縛から離れ、独身貴族を満喫するのも悪くないとうことにした・・・など、俺の感情が行ったり来たりするのが面白く描けていた。まさに、他人の不幸は蜜の味、だ。

・うまくストーリー仕立てしたなあといつもながら感心した。

・伊藤さんの得意とする手法。

・誰にでもあることを皮肉っているが、オチはありきたり。

・男性は会社で苦労するのだなあ。

・軽快なタッチで、サラリーマンの心理を描いている。

ホームステイ ・・・・・・・・・・ 都満州美
仕事をやめ、ロンドンに留学した朝子。ホームステイ先のクエスの家族との交流を描く。クエスの母ジョイスがとくに人情味あふれていて、人気者。クエスの元妻のところにいる娘ソフィーなども加わって楽しい留学生活になった。英会話学校の先生であるギャリはクエスの兄弟。つまり、留学先の家族の一員。本好きなギャリと港に出かけたり、楽しい会話が弾んだり・・・



・ラスト、ギャリとの恋に発展・・・というところで帰国したのが残念だが、心残りのある作品になったともいえる。

・朝子の英語学習のホームスティの日々。対人関係や観光先などさりげなく書かれているが、小説としては、山場があったらいいのかなと思った。最後はギャリとのその後の展開を予測させている。

・海峡派には珍しい内容で嬉しい。

・イギリスの家庭が最後までよく書けている。

・登場人物一人一人がよく書かれている。知らない生活がよくわかった。

・スケールが大きい。肩から力が抜けたいい小説。ジョイスの性格がしみじみとわかった。

・朝子のキャラをもっと出してほしい。

・ジョイスの人柄、家族を次々に紹介しているところなど、好感がもてる。

・イギリスに留学する動機が『嵐が丘』に憧れたということ、読者は納得できるか?


 


 


 


 


 


 


 


 


 

「西日本文学展望」2015年06月30日

「西日本新聞」2015年06月30日(土)朝刊「西日本文学展望」野秀樹氏筆により、題「仏露の文学」「海峡派」133号より坂本梧郎さん「ラスト・ストラグル」連載第1回・はたけいすけさん「あしたは 晴れている」が紹介されました。

⑤俳句・書評・評論

俳句

螢・歸省子・・・・・・・・・・・・・笹田輝子

螢 五句、歸省子 五句。本格的な俳句。

 

・螢の、「幻想の刻をつないでいる螢」、「螢の夜風の流しているバイオリン」、共に幽玄な趣。自分の中で、未来と過去とをつなぐような、不思議な感覚に陥る。

・歸省子ではどれもほのぼのとしている。母にとって、いくつになっても子は子。

だが、子のほうは、母の体を気遣っている。「歸省の子ビタミン剤の土産さげて」、「梅漬かりましたと娘嫁らしく」など、母の思い、子の思いそれぞれがよくわかる。

 

書評

いよやよい詩集『此岸と彼岸』感想

   ――此岸という舞台に残されて・・・・・・若窪美恵

三冊目の詩集で、主に、「日曜作家」(2012年終刊)に発表された作品を収めている。ことば遊びの詩や、友人を想う詩、夫を偲ぶ詩などを詩にしている。

 

・よく細部まで読み込まれていると驚嘆した。「思い出すことは、此岸という舞台に残された者の大切な儀式なのかもしれない」改めて、そうかもしれないと思われた。

・散文は、散文詩と捉えてほしい

・よく読んでいて、詩集の解説書のように読める

 

評論

日本よどこへ行く(六)・・・・・・・・・・・・木村和彦

今回は、「今の日本、今の私たちの生活をもっと掘り下げて行くと何が見えてくるのか、行き着く先はわからないけれど、現状を深く見つめる視点は間違っていないかどうか」を、例を出して考えていく。その例とは、「私たちはまだ、封建制度から抜けきっていない」というもの。

 

・評論、楽しく読んだ。

・日常生活を支配している上下感覚について、思考をめぐらしているなど、興味深い

④随想

随想

一人遊び・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・加村政子

人と群れたりするのが苦手な作者は、夫の三回忌を済ませた頃から、一人で小旅行に出掛けたり、ちょっとしたところに出て行くようになった。その日は動物園。独り、動物たちを見たり、観覧車に乗ったり、お弁当を食べたりした。そして、過去を回想し、自分のことを振り返る。しまいには寂しくなって、携帯電話を掛けてみる。「小さな声でモシモシ、と言うと、途端に涙が溢れてきた」と締めくくる。

 

・電話の相手は誰なのか? ラストがどうにも落ち着かない。

・ラストはそのままでいい。独りでだいじょうぶと思っている作者も、ふと、寂しさに耐えられなくなった気持ちがよく出ている。

・しんみりしたいい随想

・今は一人遊びがうまい女性は珍しくなくなった

・高村光太郎の詩を思い出した

・坂口安吾の「満開の桜の下で」を思い出す

・女性も家庭という檻の中で生きているのでは?

 

ウエルカム赤坂宿・・・・・・・・・・・・・赤坂 夕

作者は、長いこと住み慣れた黒崎の地を離れ、近いとはいえ、定年後、赤間に引っ越した。同じ宿場町跡ということで、歴史好きの作者の興味が町の探索に繋がっていった。赤間宿の紹介ではあるが、愛を感じられ、赤間のよさがよく伝わってくる。

 

・また、そこで暮らす人々の小説を書いてほしい。

・先日、テレビで芸能人が赤間宿を散策している番組があった。とてもいいところだと思ったので、ぜひ、みんなで、赤坂さんに案内してもらって、赤間を訪ねたい。

・津屋崎が舞台?の「ここにある幸せ」という映画を思い浮かべた。

 

異常気象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・都満州美

エアコンが壊れたので、去年の猛暑を思い出し、早速購入し、取り付けてもらった。だが、今年はいっこうに熱くならない。蝉も全然鳴かない。いったいどうしたことか? 去年の猛暑も、今年の冷夏もすべては地球温暖化の異常気象だ。

 

・関連して、集中豪雨や豪雪や火山噴火、地震、津波・・・どれもこれも異常気象のなせる大災害だ。そして何もできずにいる人間・・・そんなことを想った。

・三十と三〇どちらがよいか? 作品中で統一していればいいのでは?

 

銀次郎の日記 

――大腸ガンと人工肛門の生活者・・・・・・青江由紀夫

一、血液検査と抗ガン剤の点滴注入、二、寿命が一年延びてどうなるの? の構成。病状は一進一退というところか。治療の副作用の辛さが伝わってくる。苦しみの中でも、本を読み、経済について考え、また、寿命が延びたらしたいことを思いつく。長男の結婚と、墓地・墓石の購入の件。戒名も自分でつける。

 

・毎号、楽しく読んでいる。といっても、今、銀次郎は病気で苦しんでいて、内容は楽しいわけではない。苦しみや辛さがにじみ出ている。でも、銀次郎はくよくよ嘆いてばかりではなく、いつも前向きでがんばっている。読み手が励まされる

・克明に記す病状日記。どうか次号では改善されているようにとの祈りに近い思いで読む

・銀ちゃん、がんばれ。これ以上がんばらなくていいのだけど、がんばれというのは応援のつもり。銀ちゃんの医者、がんばってほしい。

③特集 海峡派四十周年

 特集 海峡派四十周年

「海峡派」四十周年を祝して・・・・・若窪美恵

門司港の九人の同人で始めた「海峡派」。その名前の由来や、今大切にしている、親睦や北九州文学協会、北九州やさらに全国の同人誌間のつながりなどを愛情込めて書いている。作者が発行人として頑張っていけるのも、同人や文学仲間や、印刷さん、表紙やカットの恵子先生たちのおかげと感謝している。

 

・「海峡派」に寄せる熱い思いがひしひしと伝わってきた。

・熱意と、きめ細やかな心配りなど、よくやってくれているので感謝している

・今度は五十周年記念祝賀会をやろう、それまで頑張ろう

 

同人誌「海峡派」の四十年・・・・・・・木村和彦

1.沿革 2.創刊と経緯 3.同人履歴 に分け、海峡派四十年の歩みを紹介。同人履歴では100号までに活躍した10人の同人のことを書いている。海峡派の40年がよくわかる。

 

・ていねいに紹介してくれてありがたい

・「書いていくと人国記のようになってしまう」とあるが、ぜひ、今後もずっと大事な位置で、海峡派を見続けてほしい。

 

「海峡派」との出会い・・・・・・・・・・・新田和子

著書『洞海湾の落日』と、海峡派との出会いがよくわかる。そうそうたるメンバーの時代に、同人になった新田さんが、海峡派を大事に思っていることがよく伝わってくる。

 

・忙しいようだが、また骨のある作品をぜひとも読んでみたい。

・話す言葉自体が、文章化している頭のいい人

 

海峡派と私と膠原病・・・・・・・・・・・・・池田幸子

25年前「海峡派」に入り、文章を書きながら、地域公民館の仕事を通してアイデンティティを見出していく作者。そして、二人の子供たちのこと。25年経ち、仕事年齢も終え、ボランティアからも身を引いたときに、膠原病に罹る。痛みと副作用との戦い。いろいろあるが、いろいろあるのは「海峡派」も同じ。役員たちの影の努力もあり本が発行できている。安心して書ける。

 

・作者も編集役員の一人。いつもいつも皆に気配りしながら、支えてくれている。感謝です!

・だいぶ持病との付き合いかたをわかってきたのか?、以前より随分明るくなっていると感じる

・病気など、いろいろあるけど、前向きに明るく過ごすことを心掛けているように思う

海峡派132号 ②詩

夜行列車・・・・・・・・・・・・・・清水啓介

夢の中で、「夜行列車に乗って旅をしていると、・・・へびのような気がしてきませんか?」という男の声。さらに、人差し指を『く』の字形に曲げて、死にゆく自分を指さすのを見るだろうと男は言う。起きて、人差し指を「く」の字に曲げて「すぐそこ」と言ってみると、「自分を指さす指先が、一本増えたような気がした」という。

 

・マトリョーシカのような入れ子状のストーリー仕立ての面白味、そして怖さがある。尾を引くような詩だと思う。

・この詩を読んで、みな、指をまげて見たのでは?(うんうん、と頷く参加者)そうであれば、大成功。投げかけ、みなを動かした力はたいしたもの。

・低い男の声 → 男の低い声 のほうがいい

・彼岸花は死の間際、詩が深まる、近づくというイメージ

・詩とは逆で、自分は夜行列車には、むしろ希望を感じる

 

見落としてゆく―きず(創)と料理

            ・・・・・・・・・・・山口淑枝

キューリ揉みを作ろうとして、「しゃくしゃく しゃきっと刻んでいたら」、「爪の先を撥ねた」。「若い頃は」「考え事をしていて」「撥ねた」のに、今は、何もしてないのに「撥ねた」。これを老化の一種かなと考える作者。一種というのは、頭でなく、体の動作の老いというところだからだろう。そういう細かい言葉の選びが山口さんにはある。しかし、いろいろ料理を食卓に並べ終わって、「ああ/すっかり忘れていた」のは、キューリ揉み。頭の老いか?とラストでハッとし、さらに、「私のお気に入りの茗荷が入った/もの」と二段階で落とす。

 

・ユーモアに包まれ、くすりとする。

・ズーヨーキューリとは? キュウリの種類で、細長く、コリコリと歯ごたえがある

・シラス が気になる。これは爪が入っていたのでは? そう思うとさらに面白い

本人談「絆創膏のソウの字がとても気になっていた」キズには、傷、疵、瑕、のほかに、創というのがあるのを知ったとき、なるほどと思った」

 

混沌の窓・・・・・・・・・・・・・・・・池田幸子

「片付かない机上」「未整理のハガキ」「読みかけの本」「書きかけた日記」どれも中途半端なまま。そして、「長引く病」に戸惑うわたし。窓の外を見ると、「何日も前から張り付いている足長蜘蛛」と、「クール宅急便の兄さん」という動かないもの、動き去るものの対比。それを見ているわたし。

 

・すっきりしないモヤモヤ感、混沌の日常の一部がよく出ていると思う。

・宅急便の荷物、その家は不在でも親切に言ってあげられない・・・これも混沌

・病気の自分をこめて、悲しんでいる     

・抱えていかなくてはいけない自分の病気、人の苦しみを担えない 

・「その不要ささえも 担えない」これが気になる

・これも逆手にとり、意地悪に書いてもいいかも・・・自分のままにならないものを背負っている切なさ

・病気したときに弱い自分が出る

 

「集団的自衛権」・・・・・・・・・・・坂本梧朗

戦争の始まりがいかにじわっと始まるものか、そして「自衛」「最小限」「邦人保護」が拡大していくか。「戦争が始まれば/いろいろなことが可能になる」という。不可能になるのでは?と思うが、それは、権力者や金力者が平時にはしたくても/とてもできないことが/大手を振って行えるのだ」。

 

・祈るしかないのだろうか。

・タイトルが残念。政治を詩にする場合、難しい

・危険なところを描いていて、読み手を制限する

・感性で書いていき、終連から引っ張っていけないか?

本人談「時事性の魅力に引き込まれ、タイトルを直接に出してしまうところがある」

 

小川のほとりで・・・・・・・・・・・・・・土田晶子

「中津駅から乗り換え」「バスに乗って神谷入り口」から「山道を登っていくと我が家」なのだが、その途中、「戦争で足を負傷した人が腹ばいで寝ている」のを見る。妹は「怖い」と言った。「きっとその人の不幸が怖かったのだろう」。神谷川の水は美味しく、「まるでこの水は水でなく、故郷そのものだった」のかと考える。

 

・木犀の木のある里の感じがとてもよく描かれていて、まるで絵のように浮かび上がった

・さらりと書いているようだが、文がきらりとしている。さすがだなあと思った

・しばらく休筆していたので寂しいと思っていたので、今号の詩はとても嬉しかった

本人談「郷里の大分のことを思い出して書いた」

 

今年の秋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いよやよい

恒例の、息子一家の彼岸の来訪が、今年はなかった。皆、風邪をひいたという。「病み上がりの自分に移すといけないとの/りっぱな理由があった」。「一人ぐらしで 毎日が日曜日/誰も来ない日々に 訪れたもの」は、「金木犀の香りたち」で、「今年の秋は ひととき・・・にぎやかだった」という。

 

・静かで香りのする詩。感覚のにぎやかさとはうらはらに、しんと静まった空間と、寂しい心情風景が浮かぶ。

・金木犀たち、と擬人化している。その香りがどっと入って来てにぎやかというのも擬人化

・作者の強がりが出ている

・「びったれおどし」の表現がぴったりきている

・香りを来訪者とみる、雅な感覚

本人談「今年の金木犀は二度咲きした、不思議なこと」に、参加者数名が同意。

 

秋の断章・・・・・・・・・・・・・・・登り山泰至

「ひっそりと虹彩に結氷する風景」/「みじめな影の継ぎ目から流れ出した街の群像」などの秋のイメージを誘い、「・・・遠い街路を吹く風となって/黄金の子どもの巣箱のように/じっと蒼白のくるのをまっている」と物語を展開していく。ラスト「そこには力強く私の情感へと駆けあがる断章がある」の締めくくり。

 

・断章というのは、詩の断片、物語の一部という意味。秋の断章というタイトルからカッコイイ

・ラストの一文からまた何かが始まる予感を抱かせる

・よくわからないものの、秋というもののもつイメージや、秋を感じたときの身構え、人生の熟す期というような意味合いを再認識する

・作者の抵抗のようなものを感じる

 

ロザリオビアンコ・・・・・・・・・・・・・さとうゆきの

「つい手がのび」て、「透き通る翡翠色の粒の一つをつまんでいた」という。まさに、魔が差したという感じだろう。二連はさらに、その粒がいかに吸い付いて離れないか、体ごと示している。強敵な一粒だ。離れたのは指ではなく、一粒のほう。「甲州路では白の貴婦人と崇められ、夢の味をもつそのひと房は、瞬く間にその気高さを失ってしまった」。

 

・いろいろ言い訳やら開き直りやら考えてみるあたりがおかしい。

・その高貴なぶどうの名はロザリオビアンコ。触ってはいけなかったのだ。触らぬ神に祟りなしだ。ちなみに、果物はロザリオビアンコだけでなく、どれも触らないようにしよう。桃やイチゴを触っている人を見たら、私はチッと舌打ちしながらチラ見して通り過ぎることにしている。

・吸いつけられる様子が目に浮かぶようだ

・とてもおいしいぶどう。ふつうはおつかいものとして買う、高級なもの

・自分ならどうするか? ちょっと考えさせられる

海峡派 132号 ①小説

1月18日(日)に、海峡派 40周年記念号 132号 の合評会がありました。

まずは、小説の感想です。



「月の雫梅」・・・・・・・・・・・・・有馬和子

創業140年の「菓子舗 梅香堂」は、主人が死に、後妻の女将リツが切り盛りしていた。リツは乳癌で、店をたたまないといけない時に来ている。一人娘 美冬に継いでもらいたいのだが、美冬は、家を出て、劇団に入り女優の卵で、店を継ぐ気はない。だが、店のやり繰りの厳しい中、リツがずっとお金の工面をし、自由にさせてくれ、応援もしてくれていたことに気づき、店を継ぐ決心をする。一年後、見事に店を再建する。

リツの老舗の菓子舗を切り盛りし、従業員の信頼も厚く、血の繋がらない一人娘を大事に思い応援する「つくす」生き方に敬意を抱く。

 

・作治が店と家族との歯車になっていて、よい味を出している。美冬も自由にさせてもらったからこそ、店の伝統である「月の雫梅」を絶やさないという決心ができたのだろう。

・場面ごと、シナリオのような書き方で、とても面白かった。

・登場人物のそれぞれの像がきっかり目に浮かぶ

・とてもうまく、ぐいぐい読ませた

・老舗和菓子屋の「月の雫梅」、上品なおいしいお菓子が思い浮かび、食べたくなった

・美冬の挫折感がしっかりと出ていた

 

「地獄からの脱出(一)」・・・・・・・古濱紘志

波子22歳病院事務員は、病院に通院していた日出夫と付き合うようになった。日出夫は酒気帯び運転で事故を起こし、同乗していた波子をおいて逃げた。日出夫は別の女性宅にいたところを捕まった。波子の顔の傷は美容整形で治し、別人のようになった。賠償金も日出夫の父が500万円払ってくれた。冷たくされた病院はやめ、新しい顔とお金で東京を離れ、故郷の博多に戻ろうと決心する。

事故という不運が、波子の人生を変えていくその第一回。

・とても面白い作品になりそうな予感。タイトルから想像するに、ハッピーエンドで終わるのだろうが、あまり終わりを急がずに、ていねいに長編に仕上げていってほしい。

 

・とても楽しみ

・熱の入った書き方。次の展開に引き込まれる。小説をどんどん書く人だと思う

・毎回のラストは、次の展開を予想させるような終わり方がいいと思う

P17上担当課長 →P19上松川看護長 逆にしたほうがいい

P18「東京での一人暮らしの中で」入れ換え「一人暮らしの東京で」がいいだろう

P23「医師からの注意は~笑った」まで、P22「波子が示談金の~答えは出なかった」のセンテンスが長い

・~の様な は ~のような とひらがながいいだろう

 

「あしたは 晴れている(四)」

           ・・・・・・・・・・・・・・・はたけいすけ

子之八とワカが家の中をひっくり返すほどの大喧嘩をした。その後、子之八は病院に連れて行ってくれた善さんを無視しどこかへ逃げた。消息を断って3ヶ月のある日、母丈子に客が来ていて、話の中に子之八の名前が何度も出てくる。その後、二人が出て行くので、正太はついていった。かなり遠くまで来たとき、一軒の駄菓子屋へ。老女と、子之八がいた。丈子が子之八と円タクで帰ったあと、取り残された正太は、迷子になる。

正太を気遣ってくれる朝鮮人、金のおかあちゃん。

 

・正太は朝鮮人が日本を憎んでいると聞かされていたから、金のおかあちゃんの家に行って待っていると言うとき、「ニンニク・・・臭いの、ええかぁ・・・」と言いつつも、おどけて見せるところなど、国同士はいろいろあっても、個人としては、日本で生きて行くために仲良くなろうとしている健気な姿に思え、そういった細かいところの描写がとてもよい。

・その時代のことや、庶民の暮らしを垣間見ることができる。

・朝鮮人に対して当時、言っていたことなど、ありありと描いている

・子どもの目線でよく書いている。時代の空気を描いている。

・戦時中のこと、登場人物のことなど、克明

・母丈子、後の方は丈子だけでもいい

P34 子之八と丈子が何を話しているか、わからないのを時代をうつしながら正太が育っていく。ことばもやさしく、すばらしい。

・関東大震災、朝鮮大虐殺のことなど、書いていくつもりなのか?

・日本人の優位意識が差別意識に繋がっていく、弱いモノにしわ寄せ・・・心理が描かれている

 

「流れる」・・・・・・・・・・・・・横山令子

由利は長年、夫信夫から殴る蹴るの虐待を受けていた。長男直樹や長女紀子も大きくなると、信夫を批判し、由利の味方になった。信夫は職場では評判がよく、子ども達には手をあげないので、離婚にまで踏み切れなかった。紀子の結婚式の後、信夫が末期のがんに冒されていることがわかった。死んだとき、病院で使っていた枕を病院の焼却炉に捨てた。その後、ウオーキングをしていて、原に合い、老人会に入るよう勧められる。そして、老人会の行事を楽しんでいたが、ある日、原に宗教を勧められ、本殿に参る。その後、原は急死する。

 

・新聞掲載、おめでとうございます。励みになりますね。由利の一生がよく書けていて、しかもおもしろい。やはり、小説を書く人なのだなと思った。次の作品がとても楽しみ。

・主人公の人生観がよく出ていた。人間関係を押さえていてよかった。

・原が突然死んだが、そこのところだけ、あっけない書き方だと思った。

・土の匂い、性的な匂いの描写で、原を好きだと読者に感じさせる書き方など、さすが。

・一番いいと思った。

・【表現の問題が少しあるのではと感じた。たとえば、106p上10行「由利は」の主語に対する述語が照応していない。同じく108p上6行「由利は」の部分も述語が照応していない。107p上19行「そう思っているだろうと、」の部分は、主語がだれなのかはっきりわからず、全体的に意味が把握できない。長い作品で、主人公「由利」が同じ名前の人物二人と人生の中で関わりを持つというかなりの大作なので、筋書きとしては面白いと思った。次回作を期待している。(「飃」の渡壁さんからの感想)】

 

「海鳴り」・・・・・・・・・・・・・・高崎綏子

海野遥一郎は、海外でも有名なギタリストで、昨年秋、帰国した。翠は杉から誘いを受け、海野のライブに行く。演奏後に海野とお客さんとの歓談の場が設けられ、翠も参加する。そこで、「弦の角度に合わせて、指先をナイフで削る」話や、「ギターを弾く放浪者が・・・納得のいく音を求めて・・・気がふれたらしい」などの話を聞く。翌日、洞窟のギタリストは「ひょっとすると、彼自身のことじゃないかな」と杉は電話で語った。

 

短いけれど、面白くまとまっている。

・表現など、さすがだなあと唸らせる部分が随所にある

・安定のうまさ

・ストーリーもギターの技術的なことや裏話的なことなど、丹念に調べている

 

「身から出た錆」・・・・・・・・・・伊藤幸雄

法螺吹きの俺は同窓会で、架空のヤスという人物をでっち上げ、「ヤスがコロシ屋になり、海千組の親分を殺したのも、対立している山千組の若頭を切ったのもヤスの仕業」と吹いて回った。その後、夜道を歩いていると、ヤスだと名乗る見知らぬヤクザに、お前のせいで追われていると言われ、横っ腹にドスで刺された。夢かと頬っぺたを抓ったら、頬っぺたも痛かったというありえないお話。

 

・ナンセンスショートショート。有りそうで面白い。タイトルもぴったり。

・「居た」「居る」が多すぎるので、ひらがなのほうがいいかも

・安定してうまくまとめている

本人談「締切が近づいて書き出し、提出してから、ああすればよかった、こう書けばよかったとの思いになる」

 

苦節川(五)・・・・・・・・・・・・・山之内一次

浩一に比べ、弟の辰夫たくましく、気性も激しかった。父邦夫はジャワ島支社に出張。昭和16年。太平洋戦争にまで戦いは拡大していた。浩一は父不在の中、ラジオの軍管区情報を聞く日々。防空壕のようなものを掘ろうとするが、水が沁みだしたり、辰夫がパラチフスに罹るなどの困難にぶち当たる。その後、母慶子の妹幸子の夫直人さんの伝手で茨木に疎開することになったが、引っ越すにあたり、浩一が大奮闘する。

 

・だんだん内容が深まり、面白くなってきた

・知らない町に迷い込んだ子どもの戸惑いのようなものが出ていた

・娘婿だから「直人さん」とさん付けにしているのだろうが、要らないのでは?

・あえて「直人さん」とさん付けしているのは、浩一の視点だからだろう。あっていいと思う

・ネズミの表現、おもしろい

・当時の地理的なことをよく覚えているなあと感心した

132頁、結末、電球の球を突っ込んで・・・実際の経験からだろう、よく書かれている

131頁、英語の先生がユニーク、よく表されている

 

「親切」・・・・・・・・・・・・・・・・・犬童架津代

庭の草に辟易している秀子は、夫、菊雄に草取りを頼む。なかなか腰をあげない菊雄も孫が来るというと、やっと草取りを始める。菊雄と二人で草を取っていると、近くで鈴木さんの草刈機の音がする。あれでいっしょに刈ってくれないかなあと秀子が思っていると、鈴木さんが「これで刈ってあげますよ」と庭の草も刈ってくれた。

 

・困っているときに親切にされると、本当に嬉しいもの。されて嬉しいことを今度は誰かにしてあげたい。そんなことを改めて思った。

・ほのぼのとした作品。

・ご主人との暮らしのままを書いているような感じ

・そこはかとなくユーモラス。夫婦お互いがのんびりしている

P137上など、普通の暮らしぶりがうまく描かれている

・重松清の小説、普通の暮らし、あったかいもの、を思い出す

・虚しさを感じている秀子の気持ちも出ている

 

「街(二)」・・・・・・・・・・・・・・・那津瑠々

文代は自死した友人の久美子のことを思い出していた。そして、死ぬとき、どう思うのかなど、ぐるぐると思う。しかし、久美子の死の直前は無意識に死について考えることを避けていたのだろうと思い至る。仕事に行く時間だったが、久美子を思い出す街に行こうと決心する。そこで病院があったところに「東先坊」という喫茶店になっているのを見つけ、中へ。すると女主人に見覚えが・・・。中島さんだった。(続く)

 

・時が経っても、いや、時が経ったからこそ避けていた友人の自死について考えていく文代の良心に感じ入った

・人が誰かの死について考えることは、とてもよいことと思う。久美子のことを思い出す文代に好感をもった

・最初のほうの、自死についての丁寧な感じ方、とてもいい

・まとめて読みたいところだ

・中島さんと、文代の再会。次号の展開が楽しみ

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