第6回勉強会

10月27日、第6回勉強会を行いました。
講師は伊藤幸雄氏、 「チョイワル少年の乱読放浪記」という題で本や映画との出会い、書くことへ導いてくれた先生との出会いなど面白おかしく話していただきました。
参加者は12名。
意見交換では、それぞれの心に残る本との出会いなどが語られ、思わぬ懐かしい本のタイトルを耳にしたり、思い出がよみがえってきたりと、楽しいひと時となりました。

「全作家文芸時評」 より抜粋 (「海峡派」136号)

全作家文芸時評より 抜粋

 文芸評論家の横尾和博氏による「全作家文芸時評」のHPより、「海峡派」の批評の部分を抜粋しました。
 毎号、横尾氏より批評をいただき、大変うれしく思っています。皆、励みになっています。
 ありがとうございます。

全作家文芸時評
・・・文芸評論家 横尾和博
  ↓   ↓   ↓
http://zensakka.world.coocan.jp/bunngeizihyou1.html


「海峡派」136号、古濱絋志「黄昏の街」は、北九州支店転勤でなじめない独身生活をおくる四十代の損保会社管理職の男が、仕事で見た街の情景を描く。地方都市の荒廃や人の心の荒れは示唆にとむ。

「海峡派」137号感想 ③随想・書評

宇宙の塵 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 加村政子
手首骨折から始まった作者の死の淵までの闘い。入院中はオムツを当てられ宙づり。リハビリにこぎつけた後も、両肺の石灰化。非常に危険な状態だったようで、たまたまリハビリ中だったことでの早期発見と、治療が合っていたことで回復。するとナースに黙ったまま病院内を散歩したり、院内の一般向け講演会に参加したり身勝手に行動したり。ようやく退院したが、肺に影があり手術。死を覚悟した作者は私物や家具など、業者に頼んで処分してもらうよう娘に頼んだ。未練が残るとしたら、若いころから同人誌に
書いてきた作品が何も残っていないこと。

・自分の書いたものがすっかり無くなったことの寂しさはいかばかりか。お金に換えられる価値があるとかないとかではなく。生きているうちは捨てたくないものがあるが、作者のように自分で処分をするのが一番だと思う気持ちもある。
・宇宙の塵として漂う・・・哲学である。ともあれ、死ぬまではまだしっかり生きて、書き続け、合評会や勉強会でお会いし、いろいろと話しましょう。
・強い人だなあと改めて感心した。暗い人という印象があったけれど、この前向きさはどうだ。
・94ページの「群れない媚びない屈しない」という粘り強い性格である・・・という自己分析も納得できる。
・未明に門司港発の一番列車が数人の人を乗せて通り過ぎりくだり、とても詩的で、人の世の哀歓が身に染みる。・心打たれた。読んでいて、生きる悲しさを感じた。・共感できるところが多かった。
・入院中も強い精神で、痛い思いをしながらも好奇心旺盛で歩き回ったり、覚書きをするなど、頭が下がる。
・作者は引揚げ者で、その時、地獄を見たと思っているので、そのことを思えば「たいしたことない」と思っている。屈しない。

私の筑豊物語―どまぐれもん― ・・・・・・・・・ さとうゆきの
甥っ子のYが専門学校に通っていたころ、兄から「あいつ、どまぐれちょるごたる。見に行っちゃらんね」と電話。パチンコに出入りしているようなのだ。夫は北海道出身で、炭車が脱線したときに使われ、転じて人間にも使われる「どまぐれる」の意味がわからない。甥っ子の様子を見るためパチンコ屋に入り、夫婦でパチンコをしていると、裏方のバイトをしているという甥っ子に声をかけられる。安心したのはいいが、夫がパチンコにはまった。「ちょとどまぐれたぐらいで、つべこべいうな」と言う夫に「あんたはただのひとでなしたい!」と言い放つ作者。パチンコ熱は収まったが、夫はそれ以来「どまぐれる」という筑豊弁を嫌った。嫉妬であろう。

・「どまぐれる」とは、まごつく、うろたえる、まちがえる、道を踏み外す、など。方言がとても生きている。
・「どまぐれもん」というときの関係性に、地縁や家族愛を感じ、自分だけが「よそ者」のような感じを常に受けていた夫の気持ちがじわりと伝わってくる。
・今は「どまぐれる」は人にしか使わないが、元々は炭車の脱線に使われていたということが、むしろ新鮮だった。
・ラストで夫が北海道に帰りたいと思っていたことは、とても心に響いた。
・昔、筑豊で教鞭を取っていた時があったので、読んで懐かしかった。
・ユーモアのある展開。引き付ける。・大学生の息子がパチンコにうつつを抜かしていると思っていたのが、実はパチンコ屋でバイトをしていたというところ、ほっとした。

東北で踊った炭坑節 ・・・・・・・・・・・・・ 横山令子
135号、さとうゆきのさんの「私の筑豊物語」を読み、よみがえってきた炭坑節のことや東北のこと。小さい子どものこと。東北ではお盆頃でも、夜は寒い。三才の娘と境内での盆踊りに出かけた。踊っている人たちの浴衣に晒の裏がついている。下着は真っ赤なシャツ、股引。寒いのでもう帰ろうと思ったら、炭坑節。一緒に踊ろうと誘われる。炭坑節は福岡県の人しかしらないものと思っていた。石炭に変わって石油が席巻してきたころのこと。

・作者が東北で過ごしたのが、最初に、何年ごろのことというのがわかればよかった。
・忘れてはいない、思い出せないだけ・・・という言葉を思い出させる。こういうことがしばしばある。今のことは思い出せないのに、昔のことは鮮明に蘇ることがある不思議。
・お盆とはいえ、東北の夜は寒い。浴衣では寒いので、下に真っ赤なシャツ、股引きを着ている。また男性の浴衣にも裏が付いている・・・など、実際に住んでみなければわからないこと。なるほどなあと思った。・なんとなく炭坑節は、私たち福岡県民が歌っているので、このへんの歌だろうと思っていたが、東北の人も自分たち地方の歌だと思っているかもしれない。おもしろい。

居候 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山之内一次
ゴールデンウイークに家にこもって、三味線や二胡、チェロ、オカリナなど思い切り弾いてみた。一日があっという間。と、守宮が。箒をもってきてたたこうとするが、もうどこにもいない。しかし、物は考えようで、小生が守宮の家に住まわせてもらっていると思えば、怖がることはない。

・86歳の作者が、部屋の真ん中にチェロを持ち出して思い切り気を入れて引き出すと、1時間2時間はあっという間に過ぎてしまう・・・とはすごい。
・文章は勢いがあり、ユーモラス。
・楽譜のおたまじゃくしの見過ぎで、やもりの幻覚を見てしまうところなど、笑える。

弟と私
12歳の頃、なぜか鬱のような気分から、死にたい死にたいと思っていた。青病譚のように育った私と違い、弟は成績優秀、今は東京で病院を経営している。私の息子も歯科医として活躍しているが、私のような独居老人の寂しさには理解が至らないらしい。

・兄、弟はそれぞれ比べては優劣を競い合うもののようだ。
・死神を追い出してやると叫びながら、バチバチ顔をたたく祖母。まさに体をはった指導であり、愛情だ。
・兄弟で楽器ができる。家庭の環境なのだろう。

合評会後日譚―海峡派で育つ― ・・・・・・・ 池田幸子
136号の木村和彦氏の『静と動』に対して、合評会で議論になったことを受け、同人Hから、菊池寛の『文芸作品の内容的価値』の一部抜粋記事が送られてきた(掲載)。さらに、平野宏氏の言葉も掲載。「海峡派」を創作活動の研鑽の場として同人同士切磋琢磨しよう。

・木村さんの「奇妙な題材、独特の比喩、文を走りに走らせよ、とどまってはいけない」は言葉足らずか。
・伊藤静雄賞の選考委員の平野宏氏の言葉は参考になった。作品化とは、作品が独り立ちできるかどうか。
・池田さんの海峡派の実力アップを心から希求する心情が伝わる。
・「海峡派」で育つ という副タイトルがとてもよい。そうありたいことだ。

『羊と鋼の森』宮下奈津著
      
―を読んで― ・・・・・・・・・・・・・・ 髙﨑綏子
音を主題にした作品だと何かで読んで、この本を手にした。十七歳という主人公のこの書は人生入門の物語といえよう。文章の美しさに息をのみ、登場人物のリアルな描写に心を打たれる。「小説家原民喜の言葉の引用にも注目。主人公の少年の体感したこと、自らへの問いかけを、私はそのまま、私の文学に取り組む姿勢に重ねた」

・タイトル、書きだしもよい。「本屋大賞」の本は、多くの人々を感動させる本がたくさんある。
・美しいものにあこがれていたい気持ち。
・さっそく、本を読んでみた。そして原民喜まで読んだ。美しいものを求めて、あこがれて、もし人がその純粋さを失わずに、音楽であれ、文学であれ、美術であれ、求め続けられたら、どんなにかよかろうと思う。

林鉄幸生涯作品記録文集
    『駅長室にて』感想
・・・・・・ 若窪美恵
〈生涯作品記録文集〉と名付けたのは、林鉄幸氏が、十八歳で国鉄に就職し、「国鉄文学会」で発表したものから、「海峡派」で発表したものなど活字のままコピーして本にまとめたものだからだ。『日本国有鉄道の時代』『九州旅客鉄道の時代』『JR九州退職後の作品』『姉の作品』『「海峡派」同人としての作品』のカテゴリーに分けている。主だった作品をあげながら、林鉄幸氏の〈鉄道文学〉から〈歴史物〉まで幅広い内容の作品の魅力について紹介している。

林 鉄幸氏より ・・・ 若窪さんから『駅長室にて』の感想を載せてもらい感謝している。何度も読んだ。
副題の〈鉄道と文学のレールで支えられた人生〉というのは、まさに言い得ており、内容もよく汲み取ってもらえている。
今、困難な病気になってしまったが、受け入れている。治ったら、また「海峡派」で作品を発表したい。

「海峡派」137号感想 ②詩

クスリ ・・・・・・・・・・・・ いよやよい

酒を呑んだ夜は鼾をかくらしいので、彼女との旅行では酒をひかえる。だが、彼女は睡眠導入剤を持参していて、どうぞ呑んでとすすめる。彼女の思い遣りが今、クスリを処方される身となってはよくわかる。「クスリ嫌いな自分は/医師から処方されても/その半分しか 呑まないのに・・・」と思うから。それを彼女の思い遣りといい、さらに「彼女の社交術の 上級テクニックを/今さらながら 学んでいる」という。

・自分という書き方のため、作者名を見なければ男性と彼女との旅行に思える。

・彼女が自分と同じクスリ嫌いかどうかはわからないが、それでもクスリ呑んだら眠れるから鼾なんか気にしないでお酒を呑んで、という気を遣わせない思い遣りはたしかに見習いたいものだ。

・今さらながら のリフレインが余韻を残している。

・「社交術の上級テクニック」ではなく、優しさ。・・・わかっていて書いているのだろうが・・・

・こういう友達がいたといのは、いいこと。いない今、切なさが出ている。

・自分のことを「自分」という人、気になる。「わたし」でいいのでは?

・同室で他人と泊まるとき、自分の癖が人様に不快を与えないは、心配なこと。

 

六月『小糠雨』の人 ・・・・・・ 山口淑枝

「あじさいの向こう側から/歩いてくる/女の人は」「左手をにゅーっと突き出して/こぬかあめ・・・・の―/と呟」く。傘をたたもうかどうしようかと「手の平で/雨をはかっている様子」など、情景がすっと現れる。映画のよう。見ているのは私。私は「カット・サロン」からの帰り。その女の人とどこかで出会ったことがある・・・とあれこれ考えている。ラストでふいにひらめいた。それは「散歩をしながら/俳句をひねっていたのかも」しれないということ。


・きれいな絵のような一遍。この女の人がとても魅力的に見える。

5連目の「早速/アンドロイド(スマホ)を操作し」というのが、よくわからなかったが、3連目の「あじさいを写していた其処」を受けて、スマホで写メを取っていたのかと納得。ちょっとわかりにくいかも。

・不透明のビニール傘・・・左手をにゅーっと突き出して、背筋がびしっとしていて、しっとりしていた その人の言葉や所作・・・映像がなかなか浮かばない。

 

流れ星 ・・・・・・・・・・・・ 赤坂 夕

余命4カ月、肺ガンは脳に転移している兄が、「そんなら家に帰ろう」という。「治療はまだ終わっとらんよ」と叫ぶ私に「もうええんよ、これしたら頭が狂うけん」という。1連は読むに辛いが、兄の状況が切々と伝わってくる。「うどんが食べたいのう」という兄に、あつあつのうどんを作って食べさせる作者。それを兄は「おふくろの味」だとすする。時間が遡り、内地に引き上げたころを思い出す。


・別れが近い人との「仲良しの時間」をどれほど持てるか、大事にしたいものだ。でも、なかなかそうはいかず、別れがくるもの。心にじんわりと沁みる作品。兄妹の思いやりが良く出ている。

・生きることの深刻さ、さみしさなどが出ている。

・戦争体験が兄弟にまつわるメインの思い出になっている。

80歳の兄の食べたいものが「うどん」、ささやかで悲しい。しみじみとさせられた。

・流れ星で、一瞬、詩を暗示。

・胸を打つ作品。引揚者として、妹として、見届けること。

・戦争体験が、老いた兄弟に深くまつわる。

・詩を目前にした兄の食べ物の所望は、なんとささやかなことか。

・梅雨の季節に兄が逝く。濃紺の山並みは一瞬、照らす、兄の星。

 

森通い ・・・・・・・・・・・ 若窪美恵

あの日(母が死んだ日)以来、毎日森に通うわたし。わたしはおかんと呼ばれている。森では動物たちにかくれんぼをせがまれる。いつもオニ。探しても見つからない。不安になる。わたしの誕生日に母からカーネーションの花束と、もう交代よというメッセージが届く。

・母を失うと、いい大人になっても心細く、あてどない思いにさいなまれる。母を亡くしてから、毎日森に通う。そこで動物たちとかくれんぼなどをして過ごす。オニになって隠れた動物たちを探す。ずっと居ない者を探し回る感覚に。森通いという美しい言葉で、作者はその心情を語り、やがて母のメッセージに救われ、日常を取り戻す。

・くるくると白昼夢を見ているような作品。

・母を亡くしたばかりの作者、心細さ、あてどない思いでいる。いつも探している。

・深刻に書かずに、探し物・・・うまい表現。

・母からの架空のメッセージ、よかったなあと感動した。

・母のことをまだ作者は納得していない。今まで通りを維持していたい。どこかで取り戻したい心の中が良く出ている。

・かくれんぼは一度だけというところ、がんばって海峡派のみなさんをまとめている姿に思えた。

 

このところ忙しい婆様の二片 
                           
・・・・・・・・・・・ さとうゆきの

「昼飯」「オレオレ」の独立した二つの詩が、並べられ、時間差での物語になっている。「昼飯」は一人で食べる。

一合炊き炊飯器から朝1杯、昼に1杯で「空になるとほっとする」。食べながらも「右手にお箸 左手は読みかけのページを押さえる/目は本を読むため 耳はテレビを聴くため/口は右手が運ぶものを咀嚼するため」という一人暮らしの婆様はとても忙しく、「ほらほら 電話だ」「はい はい」と次につながる。

「オレオレ」では、受けた電話の内容が克明に知らされる。非通知なのをおかしいと思っているのに、落として変えたというのを信じ、声も変だと思うのに、体調がわるいからと言われ信じてしまう。そこに嫁さんが来て、コーヒーを淹れ、冷蔵庫から賞味期限切れのソースを見つけ出し、電話してましたね・・・と再生機能を使って聞くと、「これがKくんのこえであるわけないでしょう。オレオレよ」という。そしてKに掛け直す。オレオレが判明。


・しっかりとコミニュケーションが取れているお嫁さんだから、オレオレがすぐにわかった。いい関係。

・おかしい点がいくつかあるのに、うまく塗り替えられていく心理状態が描かれていて、学ばされる。人は簡単にだまされるのだ。

・ラストではせっかく淹れてくれたコーヒーも冷め、途中だった「昼飯食べてもいいですか」、「わたしの携帯返してください」となる。がっくり感がにじみ出ている。

・あえて編や篇にせず、ひとかけらという片にしている。

・昼食という日常のなんでもない、ありふれた状況を凝縮している。

・オレオレはおもしろい。一人暮らし・・・前向きでけなげ。人柄が出ている。

・若い人はみな賞味期限を気にしてすぐに捨てる。世代で異なる感じが出ている。

・オレオレに、同じくあやうく引っかかりそうになった。

 

半魚人 ・・・・・・・・・・・・・ 清水啓介

古井戸の底からウロコだらけの半魚人と化した自分が浮かび上がる夢を見た。真夜中だが、時計を見ても文字盤だけで針がない。ひょっとして死んでいるのか?それとも半魚人の自分が本当の自分で、今の自分が夢なのか?と問いながら、再び眠りに落ちる。


・作者はずっと自分が何者なのか、生きていること、死んでいることの違いについて問いを投げかけている。回答はない。  

・夢という設定は小説でも詩でも少し甘くなると思う。

・他人事でない現実と夢の深いぞっとするような、それでいてホッとするような意識の流れをうまく作品にしている。

・レム・ノンレム睡眠を言葉にすれば、こういうことなのかも。

・いつも自分を探している人。見つからないのは当たり前と思っている。

・最初2行が怖い。問答により理屈っぽくなったところが詩的でない。

・ずっと自分を探し続けて、詩を書かれるとよい。

「海峡派」137号 感想①小説

雨に咲く花 ・・・・・・・・・・・・・・・ 古濱紘志
弘子、隆男夫婦、娘夫婦が登場する連載小説。時枝を嫁に出して、弘子も役所を退職し、庭にアジサイを育てるなど余裕ある生活の中で、70歳になったばかりの隆男に痴呆の兆しが見えてくる。甘茶、ガクアジサイの変種。弘子が8年前に役所を退職するときにもらった花束にアジサイがあり、庭に挿し木にしていた。それが毎年咲くようになった。花言葉は「別れ」。弘子夫妻には一人娘、時枝がおり、時枝には子供がいない。夫、隆男は弘子より2年早く退職し、家にいる毎日。穏やかだった人柄が、怒りっぽくなってきた。ある日、外出したまま帰らない。午前3時ごろ、警察から隆男を保護していると電話が。

・アジサイから甘茶の思い出・・・そしてラストで紫陽花の枯れていく姿と認知症の隆男の下を向いて憔悴している姿の描き方がうまい。
・共働きで、それぞれ退職して夫婦二人暮らしを襲う、認知症。笑えない現実があり、今後の展開がどうなるか楽しみ。支えあっていくのか・・・娘の時枝がどうかかわっていくのか。
・抒情的なタイトル。ストーリー展開が説明ではなく、場面での表現にしたらいいのでは?・弘子、隆男がたくさん出てくるので、省略したり、彼、彼女に置き換えたりしたらいい。
・続きものなので、弘子の愛していた隆男の痴呆が進んで、どう展開するか楽しみ・P5のアジサイの説明で「知った」が6行の間に4回出ている。
・男性が女性になって書くのは難しいが、よくできている。
・登場人筒の説明、いかにも説明的。

もしかして ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田原明子 
桜の義母洋子は、レビー小体症という小人が見える病気。小人の名はマーシーといい、双子のユーリもいる。夫の淳は単身赴任、洋子と二人暮らし。洋子は「わーたしはあなたーの、とうちゅうかそうー、はっしゃー、おーらい」と東京のバスガールの部分を変えて歌うようになった。冬虫夏草のことらしい。6時から始まる何かのためにマーシーと合唱しているという。そして突然、洋子が死んだ。葬儀も終わり、棺桶の洋子を見ると、小人が立っていた。マーシーだった。ユーリが洋子に寄生して、一旦煙になって粒子として散らばっていくのだという。また誰にでも見えるのではなく、寂しさや悲しさなど抱えた心の隙間から見える人がいるという。・P11上段、後ろから6行目~義母と桜の視点で書き始めたため、桜、洋子、夫、淳・・・関係性がわかりにくくなっている。・寂しさや悲しさの心の隙間を埋めることのできる人がいれば、桜もだが、洋子もユーリに寄生されずに済んだのかも・・・というラストも見事。

・桜はずっと夫の淳がレオナルド・ディカプリオに似ていると思っていたが、葬儀の後、桜が倒れて病院に運ばれ意識が戻ったとき、ディカプリオに似てないことに気づいた。そのときの「幻って、いろいろあるものね」というセリフが面白い。
・レビー小体症という病気のことは知らなかったので、とても面白く読んだ。
・義母の幻視がよく書けている。誰にも訪れる老い、死を考えさせられた。
・一気に読んだ。SFを意識したこと、痴呆症の状況(現実と幻)の二つに感心した。
・「レビー小体症」を1行目にもってきたのは、どうなのか・・・ラストや、医者との話で明かす方がよかったのでは?
・単身赴任中の淳のことをもう少し描いてほしかった。
・ユーリやマーフィーを死神に置き換えるとわかりやすいかも。
・病気のことより、義母と接しての苦悩を描いてほしかった。

新・六本木心中 ・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤幸雄
六本木のソフト制作会社の新入社員のオレが仕事をしていると、パソコンの画面が時々、ポーッと赤くなる。また、「好きです」とか「アイラブユー」などの文字が画面いっぱいに出てくる。どうもパソコンが人間のように喜怒哀楽の感情を持ち、オレに恋心を抱きだしたらしい。ある日、大きなエラーをしたことに腹を立て、パソコンのキーを乱暴に叩いたところ、パソコンが大爆発。

・「六本木心中」というアン・ルイスの歌がある。また、六本木ヒルズというオシャレな高層ビルもある。そこから喚起させられるものが物語を厚くしている。
・心中・・・しんじゅうと読み、パソコンとの恋愛?と思ったところ、ラストで、ホラ話に、(明日からまた、就職活動をやり直すしかないな)と心中(しんちゅう)決意する。しんじゅうとしんちゅうの同じ字の読みの違いをうまく利用したオチ。とても面白い。・タイトルの意味がわからなかった。
・どんどん時代についていけないということを、うまく取り入れている。
・パソコンが赤面するなど、面白かった。独特な味わい。
・人間はどうなるのか、考えさせられる。
・内容が少し古い。

ラスト・ストラグル《連載第五回目》 
                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 坂本梧朗
第3部は勤務先(学校)で、定年退職までの3カ月をいつもの綿密さで描かれている。鹿毛山教頭が、ほとんどの生徒が机に突っ伏して寝ている授業風景の写真を持ってきた。ネットに上がっていたのだという。よく見れば、その授業の教師はカーツンだった。スポクラの生徒たちの悪ふざけだ。普段のように授業は続けられ、広井はあからさまに寝たり、やる気ないので、呼び出すことに。追試を避けるため、放課後、広井に試験範囲の要点を教えたりしたのに、44点で追試決定。頑張るという言葉は嘘だったのか、上から目線のカーツンの指導は受けたくないという。広井との問題はまだ続くものの、三月で退職だ。離任式以降は出て来なくていいとは思いながらも、鹿毛山に21日休ませてほしいと届け出る。そのことで鹿毛山に細かい理由を聞かれたり、しぶしぶといった様子で認めてもらったり、最後まで不快な思いをする。

・授業風景をフェイスブックにアップされて、カーツンが窮地に陥るところは同情する。
・広井とカーツンのやり取りが面白い。「上から目線」教師だから当たり前だ・・・のカーツンの常識が、広井にも、担任の大島にも通じない。それでも、広井に追試指導の徹底を目指して、ストーカーまがいにつきまとう。寝ても覚めても広井だ。脳梗塞を起こすほど思いつめる。このあたり、痛々しい。
・作者は、上から目線は教師だから当たり前について、どう思っているのだろうか。
・忖度とか誼などは、ルビをふってほしい。
・カーツンが自分のことを強迫神経症では?と分析しているところなど、まじめな性分がよく書かれている。
・カーツンは自分が正しいと思っている。
・投げ出したい気持ちがあるが、最後まで生徒と関わり合うカーツンを応援する気持ちになった。
・広井のことを気にしすぎ。広井のことにかなりページ数を割いている。
・学校のことはわからなかったが、面白い。民間企業と同じ悩みがあると思った。徒労感、達成感の繰り返し。
・フェイスブックにUPされたことは、学校にとっても困ったことだろうが、カーツンにとっても手痛い仕打ち。こういうことをいたずら半分にする生徒は、悪質だと思う。

メダル・ソルジャーズ(4) ・・・・・・・・・・・ 大空裕子
中二、礼佳は、メダルを使って敵を封じ込める特殊能力を持つメダル・ソルジャーズの一員。学園内でのこと。日食のように暗い朝。だんだんと闇に包まれる。カルサイトがやってきた。幸一、亮太、由美が戦っている。和雪と礼佳も参戦。だが、カルサイトは以前より強く、巨大になっている。必死で立ち向かうが、かなわず、撤退する。(続く)・今回は、メダルを使っての戦い方がていねいに書かれていて、臨場感があった。もっとも、見たことがないものを想像するわけだから、わかりやすいというところまではいかないが・・・。5体1でかなわかいほど、だんだん強さを増していくカルサイトに、今後どう立ち向かうのか。楽しみになってきた。

・文の乱れがない。
・あらすじがあったので、わかりやすかった。
・なんのための戦いなのか、そろそろ明確にしてほしい。
・ゲームセンターにいるような感じ。日進月歩、極彩色。
・回を重ねるごとにわかりやすくはなっている。がんばってほしい。

薔薇の庭 ・・・・・・・・・ 都満州美
菊子は庭に薔薇を育てている。といっても、手入れはほどんど夫の健一郎の仕事。農家を継がなかった夫に、菜園や庭にする土地がたくさんあったのだ。毎年、薔薇を見に見物客が来るほど。その人たちに、感謝の気持ちで薔薇を切ってあげる。この冬の極寒で植物はかなりやられたが、何とかつぼみをつけ、一斉に花を咲かせた。「プリンセス・アイコ」という名の花もある。今年はオーストラリアからマイケルさんがやってきた。バラを介しての、ご近所さんとの人間関係や、ひと時の楽しい時間が描かれている。

・とてもよかった。緻密でよく書かれている。
・意図した百合子さん、菊子という花の名前は、花をメインにした小説中ではかえってわかりにくいのでは?・一斉に咲くということは、散った後の寂しさを増すこと。ラスト、余韻が残る。
・バラの大きなイメージ、枯れたみじめな様子などよく書けていた。
・いろんな色のバラが目に浮かぶ。
・全体的に穏やか。ドラマ、クライマックスがほしい。
・バラこそ、世界中にあり、それを育て、見ず知らずの人にも見せる、平和を願い、古風な日本家屋の庭をバラでいっぱいにするという夢がうまく小説化されている。

栗まんじゅう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 有馬多賀子
看護師の晶子は、夫、優と九州出張の土産に買てきた栗饅頭をつまみに、朝食後のコーヒーを飲んでいる。こんなゆったりした朝がくるなんて・・・と思っていたら、義兄が義母のシズを連れてくるという。以前同居していたとき、シズは晶子のことを何かにつけ「中卒」と言って見下し意地悪く接した。しかし、シズは3人兄弟の二人のところともうまくいかなかった様子。義兄、義姉がシズを連れてやってきた。シズは認知症になっている。話し合いの最中に粗相をし、機転をきかせた晶子がシャワー室に。義姉もやってきて、シズの体を洗う。シズは気持ちよさから「シャッシャッシャッーと体を洗おう・・・」と歌いだした。

・いくつになっても母親からすれば、子どもは子ども。シズの無邪気な歌に、皆、ハッとなる。世話になってきたのに、いつの間にか邪魔者扱いするようになる。身内の方が厳しい。嫁の晶子に気づかされた。
・同居というのはとても難しいこと。うまく距離を置くことが一番大事かもしれない。
・切実だが、読後感がとてもよい作品に仕上がっている。
・タイトルの「まんじゅう」ひらがながよい。
・認知症の親の介護は実の子どもでも大変で、難しいところがあるのだが、嫁に負担がかかっていることが、現実にも多い。・親は、老後、娘や息子に面倒をみてもらうのがいいのか、嫁に面倒をみてもらうのがいいのか。考えさせられる。

七夕飾り ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 川下哲男
小3のミチコと小5のルミとサヨは仲が良く、三人でよく遊ぶ。大池に寄り道すると、七夕飾りのついた笹が放置されていた。そこへ3人組の男子がやってきた。うち高木と小島は、以前、ルミがブランコの遠くまでの飛び降り競争で二人を負かしたことがある。「ブランコのケリ、つけようぜ」とルミを引っ張り連れて行こうとする。嫌がるルミを今度は池に落とそうとした。が、うまくかわしたルミ。勢いづいて自分から池に飛び込んでしまった小島。逃げた高木。ルミは機転を利かし、七夕の笹を使って、落ちた高木を捕まらせ、引っ張り上げた。その後、警察に事情を聞かれたが、高木は自分がふざけていて誤って落ちたと言い、皆もそれにならい、一応の解決はみた。

・子どもを助ける笹は計算されている感じ。・臨場感があった。
・昔の子どもは外でよく遊んでいた。そんなよき時代。
・子供たちの気持ち、様子など、会話等でよく出ている。
・映像が浮かぶ。
・ミチコ、ルミ、サヨの会話がかわいい。
・このくらいの子供が主役の小説はあまり読む機会がないので、作者はいくつぐらいの人々に読ませたいと思っているのだろうか。
・ルミが男の子を池に放り込むところ、よく描かれている。・前作の「上級生」の時も思ったが、子ども達がとても気遣いができ、好感が持てる。
・とても素直で、わかりやすい。
・池に落ちたところは、いい場面だけにもう少し詳しく。少し物足りなかった。たとえば、少年少女たちの後日談でもあったらそれを入れるなど。

朝子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中北潤之
烏丸徹は京都の呉服店の御曹司。
だが、家を継がず、油絵の道に進もうとパリへ。しかし、絵描きにはならず、英語を身につけたことで、英語教師として北九州のO高校に赴任。烏丸は始業式に奇妙奇天烈な演説をする。5ページに及ぶ長演説だ。次の日は一人の女生徒に目をつける。吾妻晃子だ。このときは烏丸ではなく、透だが、この場合、彼は女生徒を「をんな」と書く。次なる展開は、八雲朝子との手紙のやり取りだ。朝子はW大に入り、パリに行き、個展なども開く画家になったらしい。その朝子からハガキが届く。「わたし朝子は、貴方烏丸透に向かって飛翔します」。烏丸は「さあ 朝子 飛翔せよ!」と最後を締めくくる。ハッピーエンドなのか?・常に〈カラッと〉乾燥しきっている印象を、京都からきた烏丸はもつ。これは九州人特有の市民性と思う。また、透は、しばしば九州という蛮族どもの地という言葉を使い、どちらなのかと読むほうは混乱する。

・話がどんどん飛んでいく。
・思考の段階でまとめる前に書いていっている印象を受ける。言葉があふれ出るのだろう。
・比喩は独特でおもしろい。
・演説部分は、作者の言いたいことなのだろう。
・烏丸が朝子にジャンヌダルクに似ていると言ったことから、父に、ジャンヌダルクのことを尋ね、実は朝子はジャンヌダルクの祖先なんだと言われる。そこからの旅立ちなど、どんどん飛躍していくが、そのへんがおもしろいのか、不思議なのか、とっぴょうしもないのか、ジョークのような小説といえる。

憂愁 ・・・・・・・・・・・・ 犬童架津代
貞子の弟の嫁が乳がんで亡くなった。貞子の娘も乳がん。貞子の兄も喉頭がんで手術をした。夫と兄を見舞いに行くことに。兄は、術後、流動食になったものの、すっかりやつれている。味がわからないという。貞子夫婦が来てくれたことをとても喜んだ。貞子の夫は、「オレが励ましたから、少しは元気になったみたいだったね」と帰りに話すのだった。

・貞子の弟の嫁は、乳がんで「2017年に亡くなった」は、2016年の間違いだろうが、気になるところ。
・病み上がりの兄が「俺だけだよ、遊んでいるのは。他は皆働いている」と言うセリフが泣けてくる。
・日常のことを書き留めたような小説ではあるが、こういうふうに小さな日常を掬うことは大切だと思う。おそらく年数が経って読み返すとじわりとくることだろう。

あしたは 晴れている ・・・・・・・・・・・ はたけいすけ
校長先生が泣いたとき、三丁目の馬島が「噓泣きや」というけれど、校長先生の娘を知っている正太は、「支那で鉄砲で撃ち殺されたんや」と心を痛める。家に帰るとヌイはすでに熊本に帰ってしまっていた。かなしくてくやしくて、気持ちの持って行きようのない正太。そこへ訪ねてきた若奥さんが、二階の正太のところに行く。正太をからかい、セルロイドの筆箱をプレゼントし、旦那はんの都合で満州に行くかもしれないと告げる。校長先生の娘、女先生が殺された地だ。しかし、若奥さんにも言うに言われない悲しみがあり、正太が降りて行ったあと、二階の部屋で忍び泣きしている。誰もかれもが本音を吐けず、軍歌においたくられる日々。

・正太は奥さんが好きなのだなあ。
・目に見えるような書き方。子どもの視点は難しいのだが、よく書けている。
・女性の「わい」という言葉遣いが違和感。男性ぽい。「わて」ならすっと読めた。
・当時、少年雑誌などでも戦争ものが多く、少年少女をあおった。マスコミの罪。
・セルロイドの筆入れの描写など、巧みで、正太がわくわくしただろうと共感できた。
・自分の髪の毛をほめてくれ、さすがやまとなでしこ・・・切らないといけない、裏切り、たまらなさ。

塩おにぎり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 若杉 妙
38年前からスナックバーをしている私は、スーパー銭湯に行くのを日課にしている。今日は夫と孫の真由ちゃんと一緒に。風呂に入りながら、真由が最近自分ばかり手伝いをさせられるという愚痴から、私は子どもの頃、よく手伝いをしていたことや、定時制高校に合格したこと、真由の母、つまり私の娘の結婚相手と遊びに行くとき塩おにぎりを作ったことなどを昔の思い出話をする。

・ほのぼのとした作風を確立していっている。
・孫に聞かせていく話として、とても後味もよく、いい作品。
・小説仕立てなので、すてきな書き出しから、出だしの夫のところを、夫のO男とかにし、そのあと、夫を全部、O男とすると、小説らしくなる。
・ずっと行動を丁寧に説明し、会話も淡々と写実的に書かれるばかりなので、盛り上がりがない。もう少しの工夫しだいで「私」の歩んできた戦後がくっきりするのではないか。
・P173 「まだ」が二かい。一つを取る。
・生活者としてよく書けている。
・塩おにぎりが食べたくなる小説。
・庶民の暮らしの孫と祖母の繋がりがとてもよい。
・あたたかくて、ほっとする。読みやすい。
・地の文での「お米」3カ所は、「米」でいいのでは?
・私ではなく、三人称で書いた方がよかった

文芸同人誌案内 より抜粋

全国の文芸同人誌のことを紹介しているHP「文芸同人誌案内」に、 「海峡派」137号も紹介してくださっています。

文芸同人誌案内

 
 ↓  ↓  ↓

http://www.geocities.jp/hiwaki1/doujin/douindexF.htm

 

「海峡派」第137(北九州市八幡西区)は小説12編と詩、随想、書評を掲載。「編集後記」(m.wさん)に、「四名の入会者があった。」と報告されています。また原稿提出に関して「こんなふうにしてくれたらありがたいなあ、助かるなあと思ったこと」として12項目が記されています。どれも納得。12番目は「校正は基本的には印刷ミスを訂正したり、ちょっとした修正をするもの。なるべくページ数が変わらないようにする。」。よーく判ります。

 

ひわきさん、いつもお世話になっています。ご紹介、ありがとうございます!

「週刊読書人」文芸同人誌評より

「週刊読書人」第3155号(2016年09月02日) 「文芸同人誌評」に、白川正芳氏により、犬童架津代「日光行き その二」(「海峡派」136号)が紹介されました。

「西日本文学展望」長野秀樹氏筆 より

「西日本新聞」2016年09月29日(木)朝刊「西日本文学展望」長野秀樹氏により、田原明子「もしかして」 (「海峡派」137号)が紹介されました。

全作家文芸時評より 抜粋

文芸評論家の横尾和博氏による「全作家文芸時評」のHPより、「海峡派」の批評の部分を抜粋しました。
毎号、横尾氏より批評をいただき、大変うれしく思っています。皆、励みになっています。ありがとうございます。

全作家文芸時評
・・・文芸評論家 横尾和博
  ↓   ↓   ↓
http://zensakka.world.coocan.jp/bunngeizihyou1.html


「海峡派」135号、伊藤幸雄「ストーカー」は短いが最後のどんでん返しがうまい。 有馬多賀子「帰り途」は高齢女性の孤独を幼なじみの男性や正月の情景に託していて読ませる。

「海峡派」134号では戦争回顧物の有馬多賀子「四十年前の紙芝居」が敗戦で満州に押し寄せたソ連軍と庶民の生活の話。シベリア抑留も含めてこの時代の話を書くことは無限大に存在する。

「海峡派」133号、はたけいすけあしたは 晴れている」は連載で孤独な少年の物語。全体像が明らかでないので、いまは講評を控えるが生き生きとした描写が読ませる。若窪美恵ミシンの音」は母と娘の葛藤を描いた家族小説で心理描写にすぐれている。

「海峡派」132号は四十周年記念号横山令子「流れる」はDVの夫との死別など、女性の流れていく日々を淡々と描き味わいのある小説。比喩や形容を用い、さらに磨けばよい作品になる。高崎綏子「海鳴り」は短編で巧い。ストーリーや状況設定ではなく、文学的感性のよさが光る。

「海峡派」131号は、四十歳になった看護師の女性が母の病気や死に際しての葛藤を描いた都満州美「あふれるもの」が印象深い。長い気もするが作品世界は重厚。

「海峡派」130号は伊藤幸雄の掌編「嫌な女」がうまい。ショートストーリーの手本のような作品。古濱紘志「酒のためいき」は酒の失敗談でよくあるモチーフだがうまくまとめて温かい話になっている。

「海峡派」129号では短編ながら犬童架津代「秋の音」、赤坂夕「遠い雲」の二編が光っている。小説としての手応え感があるからだ。

「海峡派」128号は連載第一回目のはたけいすけ「あしたは 晴れている」は昭和初期の大阪が舞台、少年とその周囲の人たちのそれからが気になる。

「海峡派」127号、都満州美「没落風景」は田舎に行き両親の墓参りと叔父伯母に会う話。昔の風景や人の様子を回想しながら人生を考える。テーマはありきたりだが、読後考えさせられる。作者の腕だろう。随想の高崎綏子「夜明けのコーヒー」、さとうゆきの「我が家の記念樹」も興味深く読んだ。  

「海峡派」126号では若窪美恵「特別室の事情」。腹腔鏡手術に失敗して病院の特別室に入院している女子大生の両親との葛藤を書いた。説明をなるべく省き描写で書いていくとさらによくなる。
若窪美恵「イスノキ」は詩、ショートショート、 シナリオ、童話を散りばめ多彩な貌をもつ作品集。

「海峡派」125号では、戦後新制中学に通うようになった少女の好奇心と感傷を描いた有馬多賀子「別れ」、詩ではいよやよい「耳がみていた」、随想では赤坂夕「彼の日、母さんへ」が個性的で感性も優れ目についた。

「海峡派」124号も興味が湧く作品が並んでいた。高崎綏子「時の狩人」、神川こづえ「水たまり」、有馬多賀子「高い石段の上の家」、木村和彦「祥太」などの各作品をおもしろく読んだ。それぞれの個性が光っている。

「海峡派」123号、都満州美「新しい土地」は新しい土地に引っ越してきた女性が土地に馴染むまでを描く。川とその近辺に棲息する動物たちの「土地の力」が妙である。

「海峡派」122号の伊藤幸雄「モンスター・ペアレント」は、時代を往還する着想のおもしろさが光る。アナログ式の黒電話という仕掛け、小道具に注目。

「海峡派」121号、石谷富士男「結核病棟の森」は昭和二十年代に結核に罹り入院した男性が見た病棟のなかの世界。金と力がある者だけがストマイを手に入れ、恵まれた入院生活を送ることができる現実。回顧だけではなく現代の医療格差と通底させてほしい。高崎綏子「百均婆」は、かつて電話交換手をしていた高齢のふたりの女性の心温まる交流を描く。若いころにはいろいろあったふたりだが、時間の流れが尖った角を削っていくように「日々是好日」の心境にたち至った。そのふたりの時間を噛みしめるボケぶりがよい。

「海峡派」120号、大羽崇之「坂道のトラックと引っ越し」は戦後の小学生が見た身の回りの風景を等身大にオムニバス形式で描いておもしろい。伊藤幸雄「もう一人のオレ」は分身モチーフの短編。もうひとりの優秀な自分が家庭や職場に現れて混乱する模様をコミカルに描いた。SFやミステリに流れずにドストエフスキーや藤沢周平の作品のように自らの意識の分裂として書きあげるとさらによくなると思うがいかがか。 

海峡派135号感想 ③俳句、随想 

俳句

午後 ・・・・・・・・・・・・土田晶子


1
月~12月まで描2句ずつ、24句を発表。それぞれが文芸書を紐解くように作句されている。

病床に「初恋」を読む二月かな

啓蟄や「アンネの日記」の背文字見る

 八月の返らぬ本や「鍋の中」

 残暑光「砂の女」を古書店へ


各月の、対の句は文芸書ではないが、文学にまつわることだったり、関連の事柄を思わず連想してしまう句である。

 祖母の墓前にむかうさくらんぼ拾いて

 遠花火本読み終えしあと終わる

 海峡に船の消えいし星月夜

 書を読むも茶を飲むも飽き十二月


言葉の一つ一つの選び方が、もうこれしかないだろうと思われるくらいに鋭い。土田さんは
2015年福岡県先達詩人に顕彰されたほどなので、詩のうまさは言うまでもないが、俳誌「自鳴鐘」でも大ベテラン。

・土田さんの俳句が、一度にたくさん読めてうれしい。

・言葉の人。



随筆

静と動 ・・・・・木村和彦


小説を書く上で、最も大切なものは「奇抜な題材、静止画像でなく文章内で動かすこと、比喩表現こそ、小説の価値を定める最大の武器だ」「ありそうなことを、さもありそうに書く、これは作文である」と断じる。夢を書くと、自由に活動でき、しかも責任がないから、なんでもありで、許される。音楽が良い例である。

 

・もう少し具体的に引用してほしい。

・自分の体験だけを書いているのが小説と思っているようだが、そうではない。創造性に乏しい。

・物を書く=文学でなくてはいけないのか?

・後輩に優しい論文であってほしい。

・創造力で書く大事さ。

・体験から離れられないが、素材がいろいろ取れるし、表現の仕方によって変わる。

本人談:断定したところは、走りすぎた。事実からできるだけ離れるようにという意味。

老女カヌーに乗る ・・・・・さとうゆきの


134
号に掲載された「奄美紀行」の中の、カヌー体験を詳しく記している。「黒潮の森・マングローブパーク」というところでカヌー体験をするという。さとうさんは写真家Sさん(男性)との二人乗りのカヌー。空気が入ったチョッキとビニール草履にビニールレインコート。必死で漕ぐが、浅瀬に乗り上げる。その時にヒルギの種という黄色い植物を教えられ、ニギニギしてみたら・・・「こころなしか種はくすぐったそうに身を捩じらせた。そして、先端とおぼしきあたりがピシッと割れて、皺くちゃの黄緑の塊が姿を現した・・・(略)・・・わたしに捨てられた苗が、砂の上でもぞもぞしている。このまま放置しているとあの子は死ぬ・・・」。この辺の表現は詩の領域に踏み込む前触れ。切り取って詩になっているのが、「漂木(ヒルギ)」。最後にインストラクターは、44艘をロープでひと纏めにし、係留所まで引っ張っていく。

・勇気がある。まるでヒルギの苗のように貪欲。

・興味尽きない作者、写真が一枚あることで、イメージがわき、よかった。

・インストラクターは力持ちだなあと思った。

・作者は、はたからみれば苦痛に思えるようなことも、楽しく感じられる前向きな女性。

銀次郎の日記(ガン闘病記)
―河村一族のルーツを辿って・・・・青江由紀夫

一、 家系図(血脈図)を妄信して

二、 何故繁栄は継続できないのか

三、 出世不出世は努力のみでは不可能か

四、 凡庸も出る名門

五、 関東の未開地に来ては都では田舎者

六、 平将門のお陰で大出世の秀郷さん

七、 またも、密告・讒言で左遷

八、 必死で生きた祖先の人たち

河村一族のルーツに迫り、また、河村博旨について、ウィキペディアなどより転載。

 

・お身体は相当にきついだろうに、よく書かれる。驚異的な精神力。

・自分のルーツをたどっているが、藤原鎌足までさかのぼられると、まさに小説だ。


 


 


 


 

「海峡派」136号 ②詩 感想 

「海峡派」137号が海峡派同人のお手元に届いたころと思います。
早く読みたいのですが、チラチラ斜め読みしては、136号の感想をまとめております。
②詩の感想です。


雪の降る日に
 ・・・・・・山口淑枝

四十年ぶりの暴風雨、「窓越しに降る雪をみている」と、「―ゆうきやこんこんあられやこんこん」・・・とうろ覚えのうたが「降って」くる。そして、若い頃に住んでいた「東北の辺鄙な村」のことが思い出される。四連は時間が遡り、雪掻き、石炭ストーブ、ぽんこつのボンネットバス・・・が出てくる。五連からは再び現実に戻る。雪は小止みになり、外に出て雪ウサギを作った。

「雪は今年も私に/さまざまな《おもい》を寄越して/溶けていった」ラストで、ぐっと締まった。今年も・・・という一文で、去年も、昔も・・・と雪にまつわる何らかの思い出があるのだろうことがわかる。雪やこんこ・・・の唱歌が過去にいざない、また、一面銀世界という最近の北九州ではなかなか見られない真っ白な色の(ない)風景を見せてくれた。


・美しい詩。雪が流れるような情景。

・うろ覚えの、間延びした・・・詩の良さ。

・「ゆきやこんこ」歌一つとっても歌詞のことなど調べれば、勉強になる。

・懐かしい風景

・雪が降ると、東北の村に住んでいた若い日が、湧き水のようにわいて、流れてゆく。

漂木 ・・・・・・さとうゆきの

まず、ヒルギと読ませるタイトルがいい。「はなびらとともに/砂に落ちた俺」、俺が主人公ではなびらは母。「垂直に砂に刺されば/そのまま苗木となり・・・マングローブの密林を/さらに深くした・・・」、つまり、マングローブの種か。母は「潮がくれば漂って・・・砂をさぐり根を下ろしなさい」という。「みにくく焼け焦げた俺」は、海をめざし、未来を信じる。

焼け焦げた・・・というのは何によって? 戦争という外部の禍のためだろうか。母のはなびらも「無防備に焼け」ているので、俺の「母よ/この責め苦を味あわせるために・・・」というのは俺の誤解だろう。しかし、最後で、未来に息づき、さらに木、樹、森と命を増やす希望を得ることで大きな命の循環、生命の摂理を描き出す。

・ヒルギは終わりのようにおもえて、再生につながっていくという広がりを感じた。

・なり替わる方法・・・斬新

・ラストのマングローブの密林の風景がよくわかる。

・エッセーとセットにするとよくわかる。

・擬人化、はかなさ・・・小さい存在ながらも強くいくという意思もみえる。

・「そこがお前の生きる位置」いい言葉。母の言葉。子どもを突き放して強く育ってほしいと願う。

・マングローブは総称、森の意味。


記憶 ・・・・・・清水啓介

主人公の主語はないまま物語は進む。「二月の生温かな夕暮れ」に、会社から帰宅。中に、「見たこともないオカッパ頭の片眼の少女が・・・・積み木」で遊んでいる。「出られない・・・困った」と言いながら。隙間はたくさんあるのに出られないという。「誰だっけ?」自分の記憶があやふやになるが「雪だるまの歌」が聞こえてきて懐かしくなる、誰の記憶?すると、片眼の少女が「はじめから、有ったのよぉ・・・」と言う。

記憶は作り上げてきたものだけでなく、初めから有ったものもあるらしいことが見えてくるが、それ以上は想像するしかない。


・シュールなちょっと怖い物語。清水さんの作品は、いつも読後、ざわざわと波立つ気持ちを抱かせる。

・片目の女の子が「出られない、困った、困った」という。「何も入ってないじゃあないか」「入れないから出られない」「真ん中に赤い柱があるから、入れない」「何も無いじゃあないか」「有ることになているの」この世の不条理。作者は女の子のように、無いものを有ると思って、受け止めてみようと試みる。

・メルヘンチック

・前の号の詩と関連していて、存在を問う詩。難しいが、詩らしい世界を表現。この世の不条理。

・ラストで初めに戻る。少しホッとする。

向こう側―亡き娘に ・・・・・・高崎綏子

「寝間着が湿っていたので/封印した衣装函から/青い小花模様のパジャマを出して」着た作者。寝間着は「病院の 地価の暗がりで回転していた/ランドリィの匂い」がする。真夜中、用をたしたあと、洗面所の鏡に映る自分を見て「あ のかたちに開いた唇 瞠いた目・・・」がいる。ラストで「あれは あなた/それとも 私/どっち」と、問う。

亡くなった娘の胃腸箱を開けて、青い小花模様のパジャマを着る。封印していた衣装箱の中身は熟知している。長い看病の末に娘は亡くなり、捨てきれなかった衣装を年老いた母が箱に詰め込んだのだから。開ければ思い出があふれて、収拾がつかなくなるのがわかっていたから、封印という言葉を使った。だが、不用意に開けて、しかも身にまとう。真夜中、鏡に映った初老の娘。あっ・・・あの子がよろける私に幽かな笑みを投げて。


・初めて出会う髙﨑さんの詩に仰天した。どうしても詩ではなくてはならない、詩でしか行減できない、という必然が伝わった。

・亡き娘さんのパジャマを着たための錯覚なのか、一瞬、訪れたのか・・・いつもいつも亡き娘さんのことを思う母の愛が伝わってくる。よくある内容だが、言葉の選び方や文の斡旋が見事だと思う。

春はめぐる ・・・・・・赤坂 夕

「木の芽おこしの 雨が続き」の出だし、「春に出会えた」と締めくくる1連。2連目は、色とりどりに咲く花々を「まるで舞台の袖で 自分の出番を待つ様に」と描く。そして、3連は心臓リハビリに励んでいること。4連は鳥たち。終連は、「生きとし生けるもの」への賛美。

・命あることを、そして命がつながれていくことを、心から祈りたくなる春の賛歌。

・きれいにまとめてある。3連目がおちゃめ。元気な作者が顔を出している。
・気持ちの良い詩。

節分の夜 ・・・・・横山令子

「節分の豆は どこに向かって投げればいいのか」と「部屋に独り立ち尽くす」。「鬼はおまえかもしれないぞ」と問いながら、言い訳を探す。「相槌を打てば足元をすくわれるから/孤独を囲って生きるのが賢明」・・・「傷つくことに慣れないから心に圧力をかけていた」・・・が、「等身大の自分の姿が浮かんでくる」。五連、六連では湿原地帯に住む動物や、野焼きの炎の比喩が出てくる。

・孤独感を言葉巧みにつかみ、言い表そうとしているようだ。最後の行で現実に戻る。豆は「まだ手の中」で、短い時間の作者の戸惑いが感じられる。

・「節分の豆は どこに向かって投げればいいのか」「鬼はおまえかもしれないぞ」「豆をつかんでひとり立ち尽くす」「人間としてとりつくろって 生きていくのに疲れた」「誰に、どこに、この思いを投げようか・・・」投げられない豆を手の中にしたままの作者に同感した。


門司港の風 
・・・・・松本義秀

歌詞。門司港の風景描写。海からの風やレトロの街並み、和布刈りの岬、風師の山・・・門司港は作者が生まれてから育った町。自分も変わったように町も変わるが、その変化は作者の中では大したことはないようだ。

いつも変わらない姿を感じさせている。門司港の風、愛を感じさせる作品。曲をつけて披露してほしいものだ。

・門司港の風景がそのままに描かれている。よくわかる。

・昔5区それぞれに賛歌があった。この詩は、門司港という土地の賛歌。

・歌詞も詩であるか? 例えば文学賞に応募してもいいのか? もちろん、詩の一つだし、応募してもよい。よいものはよいという評価になるはず。

・この詩は、長編小説の中に入っている一つの詩。小説を出してほしい。

・歌詞のジャンル。海峡派の「銀次郎日記」にもよくでてくる。千葉の海などを唄った詞で、いずれもあたたかい賛歌。「門司港の風」は、門司港への想い。それは、遥か、深い、翔る、であり、駅舎、海、風が受ける。

・7・5・7・5と調子よく言葉が選ばれており、りっぱなご当地ソングになっている。


海に沈む夕陽 
・・・・・ 若窪美恵

「自らの重さに耐えかねて 落ちながら炎えて 海を焦がして沈みゆく夕陽/赩々揺れる 怒りの波にくるまれながら」・・・鮮烈なイメージ。

泣きたい思いがあっても、家族にも友人にも云いたくない。どこか人のいないところで心を静めていたい。作者は昔、住んだ海の見える場所に車を走らせる。その海は落日が美しい。夕陽を追いかけて走れば、昔、何も聞かずに明るく騒いで、励ましてくれた友と、友の母親を思い出す。あの母にも、自分の母にも重たい荷物があったろうに。大きく揺れながら海を染め、溶けていく太陽に、明日に浮上する自分があることを祈る。

・「泣ける人はいいよね」普段の作者とは違う情感がある

・わたしたちの「たち」がわかりにくい。いきなり疑問を誘う。

・「思う」「考える」は詩の中では禁句。

・ラスト2行は言い過ぎか?

・人生は重い荷を背負って坂道を登る如し・・・の言葉が浮かんでくる。

・母の口癖から自分に取り込まれる優しい気持ちが流れている。


賑やかな透明人間 ・・・・・・池田幸子

「わが家の仏間に/大勢の透明人間が集まった」。「軍服やら 水兵やら/羽織袴やら 桃割れやら・・・」透明人間同士はわかるらしい。なぜこの家に集まるかというと、「いつもお茶とお仏飯があり/お菓子や果物があり 心和む」らしい。いろいろ体調を壊した作者が「早く其方に行
きたい」と囁くと、二十三歳のままの娘を乗せた「てんとう虫が・・・飛び去った」

・戦後70年。異界のひとびとが賑やかに集っている。親戚の名簿に無い人もいっぱいいる。この家は心和むと言われれば悪い気はしない。持病が長引き、骨折などが追い打ちとなると、あちらの方たちにご一緒させて・・・と言ってみたくなる。たしかにあの世は、隣の部屋みたいに近く感じる。そこまでは平凡だが、てんとう虫に乗って秋天深く翔び去った亡き娘の登場で、詩が成り立った。

・この世とあの世とわけるほどのことはないという心境なのか。それでも心が弱ったときには娘さんのいるあの世に行きたいと呟く。終連の娘さんを乗せたてんとう虫は、またお彼岸にくるよ、思えばいつでも会えるとでもいうように感じられた。

・隣の部屋に死者の魂がたくさんうごめいている。堺のない心境。

・てんとう虫に乗って、亡くなった娘が飛んでいく。作者は救われる。

・ビワの音が聞こえる。苦痛に思えることを楽しく感じる。


 

「海峡派」136号 感想①小説 

みなさま
暑い夏でしたね。お元気でしょうか?
はや8月も終わり・・・もうすぐ137号がお手元に届くと思います。
大変遅くなりました。お待たせしました。 「海峡派」136号の感想を順次アップしていきます。まずは、小説から。

ミステリー旅行 ・・・・・・・・若杉 妙

目的地が杖立温泉というだけで、参加人数もスケジュールもわからないまま、誘われた旅行に夫婦で参加した。一億円のトイレや「筑前町大刀洗平和祈念館」に寄り、朝倉で昼食。杖立温泉の旅館で、参加した六夫婦のことが少しずつわかってくる。また、何ともユニークなのは、温泉・夕食後に座布団を抱えて出かけた芝居。何と小国町町長や旅館の主人や郵便局長や駐在さんなどが演じている。少々がっかりしたが、観ると、面白く、とても上手。大いに満足した旅行だった。

612人の珍道中。楽しみの夕食が、宿の女将の手作りで、少しがっかりするが、板前さんが杖立伝承芝居の女形だと知り、許す。同業者の人間関係や宿のもてなし、行ずりのレストランやそこであった人々の様子が、手にとるようにわかり、12日の旅にしては盛りだくさんの楽しい旅だったろうなと思う。

・作者が好奇心に満ちた明るい性格の持ち主だと思う。

・旅紀行の分野か。

・文章が流れるようで読みやすい。描写もいきいきとしていたし、内容もとてもさわやかで、読後感もいい。それぞれの夫婦のありようもよく描かれていた。

・筆に力がある。

・どんどん入ってくる。「見える」のはいい作品。

・「ミステリー」なので何があるのかと思ったら、当たり前すぎる。だが、作者は人との出会いも含めて興味深く、ミステリーと考えているのだろう。

・作者にとってのミステリーだが、タイトルが大きすぎたかも。

 

輪廻 ・・・・・・・・・田原明子
陽子は五回目の、早死にという人生を選び、今また突然の死を迎え、魂になった。解脱するか、それともまた輪廻して徳を積むか。ひとまず、魂のまま前世の家に戻ってみると、夫は20歳も年下の女性と結婚する、しかも女性のお腹には赤ん坊もいるという。夫にだまされていたのだ。しかし、陽子はその赤ん坊に転生する道を選んだ。かつて夫だった男を父とし、夫の浮気相手を母と選び、再び生まれる。

45歳で突然死した陽子は、死後42日で解脱か輪廻の岐路にたち、門番といろいろ問答し、輪廻を選ぶ。夫の愛人のお腹にいる赤ん坊の魂と入れ替わり、無事にこの世に転生する。とてもうまくて、文章は洗練われているので、引き込まれてしまう。

・読後感は気持ちが落ち着かない。「赤ん坊になって、夫の腕に抱かれ、すべてを忘れるのだ」・・・夫への不実、女への恨みなど・・・そして母となった魔性の女がすすり泣いている。それを恨みを超えて愛しく思う陽子・・・と書かれているが、実際にはこうはいかないので、小説仕立てにしたのだろう。

・どこかで読んだような気がする内容ではあるが、その文章力はとても優れている。そのため、輪廻の仕組みもああそうなのかと思わず納得させられる。どういう状況での人生であれ、生まれてきてよかったと思えるのだろうという収まりのいいラストだった。

・よかった。仏教用語なども使い、ユニーク

・輪廻の精神がじんわりと入ってくる。楽しく読めた。

・死んだらどうなるのかというテーマをやわらかく描いている。

・P17上段〈いろいろ〉を3回使っている。

(本人談)チベットかどこかのビデオを見た。その内容が残っていて、こんな物語を作ってみた。

 

一枚の写真から
    ―明治初のミス日本騒動異聞 ・・・・・
有馬和子

聡子は蕎麦屋の壁に貼ってある一枚の写真を見て、女子大生の頃、末永スミ子について調べたことを思い出した。スミ子は明治初のミス日本に選ばれた女性だ。スミ子は学習院女子中等部時代、アメリカでカメラの修行をしてきた義兄が勝手に応募した写真が、みごと一位をとったのだ。景品は高級呉服やダイヤの指輪、タンスなど豪華なもので、二部屋二十畳がうまるほど。しかし、級友たちの冷たい視線や、何より学習院院長・乃木希典の逆鱗にふれ、退学に。義兄も事の重大さに気づくが後の祭り。その後、乃木院長から縁談話が・・・

・明治41年のミス日本一に輝いたスミ子の物語。タキは侍女として、彼女のき方をずっと見守っていた人。そのタキを取材するうちに聡子は、スミ子が女教師になりたいと思っていたことなどを知るが、結局、侯爵の息子の嫁になる道を選んだことがわかる。
・最後の「あなた方のお陰で、今の私たち女性の自立があるのですよね」というのは言い過ぎか。
・スミ子の人生を傍で見てきた侍女、タキから聞いたという設定が功を奏し、タキと聡子の会話もリアル感があった。スミ子の義兄に寄せる思いもしっかり描けていて、内容に厚みが出ていた。文章も滑らか。時代の持つ女性観がよくわかり、興味深く読んだ。
・小倉織は当時は男子の袴に使っていた。

・三層構造の書き方。わかりにくさもあったが、手が込んでいた。

・ラスト、大げさ。スミ子の生き方と今の女性の地位と結びつけるには少し無理がある。

 

上級生 ・・・・・・・・川下哲男

小学3年のミチコの家は崖のヘリにある。崖の下では、トンネル工事が始まり、近くに工事作業員の宿泊所が建てられた。そこに越してきたのが、5年のルミ。ミチコとルミは毎日一緒に通学し、下校後も遊ぶ。ひと月後、子共対抗リレーがあり、予選でルミとサヨが一位争いになるが、いつも一位になっているサヨが選手になった。だが、大会当日、サヨは仮病をつかい、ルミが出ることになり優勝する。夏休みに、ミチコとサヨが赤痢にかかる。サヨはまもなく良くなり、ルミと一緒に遊び場になっている「お地蔵さん」の所に行き、ミチコが早くよくなるように祈る。ミチコは夢の中でお地蔵さんの所に行くが、「行っちゃだめ。戻ってきたら、教えてあげる」という声を聞く。退院後、ルミは父親のトンネル工事が終わり転校していた。ミチコ宛ての手紙には、またトンネル工事が始まれば戻ってくる、その時には、ブランコから飛び降りたり・・・教えてあげると書いてあった。

・崖のへりと、崖の下のトンネル工事、年上の転校生、そしてよく遊んでいる「お地蔵さん」などの設定がぴったりはまっている。時代的には昭和の中ごろぐらいのようだが、ミチコ、ルミ、サヨのほのかな友情には時代に関係なく温かく感じられるものがある。文章もとてもうまく、一気に読めた。

・美少女ルミちゃん、優しく、かけっこも速く、すてき。

・絵本に書いてあげたいような「見えた」作品。

・おもしろかった。おとなのための童話。

・「親の顔が見たい」「先客がいた」などは子どもの言葉としてどうか?

・町内運動会の様子がいきいきと描かれていて、とても面白い。謎の少女、ルミ・・・

・メルヘンチック、ラストが切ない。

・いい小説。サヨ、さりげなく見てて、ルミを選手にさせる手段など思いつく・・・よく表している。

・―いる ―る が多い。タイトルが平凡

・テーマが作品に出ている。

(本人談)妻の体験を聞いた印象で書いてみた。

ハーレーズー ・・・・・中北潤之助

北九州のバイク野郎として名を知られる中野剛と妻しず子は、カフェ「ハーレーズー」を開いている。公園で出会った4歳のひとみを、歳とった養父からもらいうけ、以来、夫婦は人生の大きな転機を迎える。

・クレージーなまでの擬人化した形容詞で、門司港海岸が描写され、荒っぽい喧嘩言葉がいきかう。しかし、独創的な小説で、思わず読みふける。

・パンクは苦手な楽曲だが、ちゃんと歌詞がかかれていると、なるほど・・・と引き込まれる。

・初めて出会う文体なので、面食らっているが、次が楽しみ。

・とても読みやすかったし、ストーリー性もあり、また、得意の訳詩(セックス・ピストル)のもうまい具合に自然に文中に入れられていた。とてもいいと思う。

・ひとみを養女にするくだりで、もう1行でも困難だった経過など(たとえば、弁護士に相談して、とか、ひとみの本当の親や親類を訪ねてみる、とか)あれば、より説得力あるかも?

・ルート66がバイク乗りにとってどういうものなのか、最初に出てきたときに、1行でも説明という か、会話の中ででもあれば、(たとえば、「3キロ超えの一本道、バイク乗りのロマンス街道だ」とか)読者にスッと入ると思うが?

 

あしたは 晴れている ・・・・・ はたけいすけ

正太は全校朝礼で校長から、支那による日本人大虐殺は許されないと、『政府の戦争拡大・断固暴虐し合を應懲する声明』について説明され、最後に「海 行かば・・・」を合唱。やっと校長になれた彼を悩ましているのは長男。教育者一家に生まれたのに、勝手に東京のレコード会社に就職した。息子は新しいレコードと一緒に父や戦争を批判するような手紙を送ってくる。正太はというと、朝礼後、馬糞の前で座り込んでいる。聞くと、「子之八じいちゃんが・・・大将の乗る馬は、一番偉い馬・・・だからババも沢山できれい」のだと言う。正太は校長の新米女先生である娘、恵美子と以前会っている。恵美子は教師になったら支那に渡ると父・校長に話す。それを聞いていた正太は、「支那の鉄砲で、撃ち殺されてしまう」とむきになるが、恵美子は「鉄砲は胸の奥に持っていて、撃ち方も知っている」と正太に笑ってみせる。

・校長と、息子・娘の考え方の対比が鮮やかに描かれている。正太は大人も顔負けの子供らしい発想で、巨大なものと自分たちのような小さく弱いものを暴く。頭の良い子。子之八の影響がそこここで出ている。当時の庶民の様子が、典型的な人物像を動かすことによってうまく再現されていると思う。

・高岡校長の長男と長女を語ることによって、激動する戦争前夜の時代に、庶民の生き方を考えさせている。

・馬糞でも大将の馬糞はきれいで臭くなく仰山すると、子之八じいちゃんから聞かされていた正太が、懸命に馬糞を運ぶ姿が活写されている。

・群が教育に深く干渉し、戦々恐々とする校長らの様子も、リアリティがある。

・文章は子どもの目線だが、背景の歴史的事件をうまく記している。

・触れてはいないが、残虐なことがたくさんあった。

・校長の娘や息子が、父とまったく違う生き方をし、時代と絡めていく書き方。うまい・

・教育の分野に軍部がかなり入っていたのがわかる。

ラスト・ストラグル(連載第四回)・・・ 坂本梧朗

ワラシが死んだ。その前後や火葬も、詳しく書かれている。身内の死よりも切実に哀しみ、カティアとツムジの反応も納得がいくように、丁寧に描かれている。両親(サンジイ、サンバア)のますます進行している痴呆症状に、振り回される。とくにムーサンは、実の両親が夫には見せたくないような「へんなこと」をすると、やりきれない。ムーサンとサンバアの口汚いやり取りも、カーツンとサンバアが繰り広げる食べ物を巡ってのバトルも、よくあることだが・・・。

・スーパーリアリズムに文学性があるか・・・評価はわからないが、犬の死にあれだけの思いを持つ人が、人生を終わろうとする人にどう向き合うか、今後の展開が楽しみ。

・ワラシの目は、ドライアイのため、接着・・・ムーサンは自分のせいだと責める、切なさ。

・最後、甘えさせてあげることができ、ほっとした。

・サンジ―、サンバー夫婦の会話、すごい。また、ムーサンとサンバーの会話もすごい。

・自宅介護の描写が切実。介護には共感する人が多いはず。

・サンジ―、サンバーの性に関するところ、一緒に住んでいて恥ずかしいところも赤裸々に描いている。考え方で違うだろう。

黄昏の街 ・・・・・・・・・・・古濱紘司

徹は損保会社に勤務。課長として単身赴任した北九州でのこと。宿舎に戻っていたら、片山から呼び出しがあり、事故対応に同行することに。事故はおかしいところがいくつもあった。契約者の女性が軽自動車で狭い商店街を運転中、後方で「トン」と音がした。何もなかったと帰ると、その女性の車に当たってケガをしたと言ってきた男がいた。調べると、男はブロック片で自分の腕を叩きつけ、ケガを工作したことがわかった。


・全体にメリハリがない。

・自作自演のニセ事件。ケチな犯罪と、保険詐欺が横行するうすら寒さがジワリと身にこたえる。

・慣れぬ土地で遭遇した出来事に疲れている徹の実情がよくあらわされていた。

・土地柄というには厳しい当時の底辺の暮らしぶりもラストで書かれていることで、全体が引き締まったと思う。

・一昔前のこととはいえ、地元の暗部について小説仕立てでえぐり出そうとしている。この小説から学ぶこともあるだろう。変わったことと、変わってないこと・・・考えさせられ
る。


昼下がりの喫茶店
 ・・・・・・・・ 伊藤幸雄

昼休み、喫茶店でコーヒーを飲んでいる宏は、今日も営業成績が上がらず、会社に戻りたくない。上司はネチネチと疎ましい。時間だ・・・と思っていたら、隣から「邪魔者は消すしかない・・・」とドスの利いた殺気を忍ばせた声が聞こえた。気付かれた宏は、とっさに傍のデンドロビウムという花びらを摘まんでいた。男たちは今話していたのは、今度売り出す小説のことだと大笑いで宏の誤解を解こうとする。なるほどそうかと思った宏。翌朝、ビルの谷間の路上に叩きつけられた男が一人。手には花びらが一枚。

・人の話に首を突っ込んでいたら、ついに殺されることに。

・殺人計画を聞いたとしても、まさか自分のことだとは思わないだろう。

・なぜ宏が殺されなくてはならなかったのか?深読みすればおかしなことも出てくるが、すっと読むとなるほどと思ってしまう。

・オチのあるショートショートはとても難しいが、今後も新作をどんどん出してほしい。

・情景描写、悲哀なサラリーマンを描くのは伊藤さんの得意とするところだ。

  

日光行き その二 ・・・・・・・・ 犬童架津代
幾代は日光行きの途中、娘のところに寄り、孫たちと触れ合う。そして、彼らと別れ、再び日光を目指す。鬼怒川公園近くの旅館が詩の仲間との会合場所だ。一足先に着く。幾代のペンネーム「舞」の詩を批評される。横田すずの「横田商店」の詩も紹介。詩の会のあとは、皆と日光の観光。


・非日常を大事にすることで、日常を頑張れる。その非日常は、詩の世界で、作者が家族とも離れ、一人になり、自分自身をさらけ出せる場所。そのことが今回の小説でよくわかった。旅行も観光に行くだけではやはり物足りないが、詩の会と合わせることで、充実した日程になっただろう。

・好きな趣味のことを大事にしているのが伝わってくる。

・紀行文のように平板に陥りやすい。物の感じ方などをもう少し詳しく。

・P15の友人の詩は、もっといい詩がなかったか?

・幾代が高田先生に会った時のことをもっと詳しく書いてほしい。

・「旅疲れからくる解放感」はおかしいのでは?

・感心した人の詩を紹介しているが、紹介した詩はうまいとはいえない。ほかにあったのでは?


苦節川(九)・・・・・・・・・・・ 山之内士山を背景にする工場で働いている浩一。ある日、警戒警報が構内に流れ、頭上には敵機が低空飛行で旋回していたことがあった
。職場の中には沼津市内の空爆の犠牲者になった人もいた。そんな折、青年士官が一通の封書を持ってきた。母の体調が悪いとの知らせだった。浩一は母の元へと帰る。水戸駅から額田駅へ。母・慶子と妹たち三人が出迎えてくれた。その後、時は過ぎ、ラジオから日本の敗戦を告げる天皇陛下の玉音放送が流れてきた。


・戦争の中、ただならぬ様子が浩一の家族の消息を通して描かれる。浩一は母・慶子のことが気が気ではない。敵機からの攻撃の状況を考えれば、日本の負けは目に見えているが、気をもむしかない。玉音放送は、敗戦という残念な報告ではあったが、ようやく敵機に恐れながら眠る日々に終わりを告げるほっとする気持ちもなかっただろうか?

・すっと終戦までいってしまった。もう少し、戦争への思いなどを掘り下げてほしい。

・天皇のために死んだ人たち、天皇のために死んでしまった大人たち、言えない部分が大事だが、まじめな浩一は言えない。天皇に命を捧げると本気で思っていた。

・「鼓膜が痛くなるほどの静けさ」

・この時代の人々は、肉親を大切にし、引き裂かれれば、何としても会いたいと思う。今、ものは足り、余り、捨てる時代に、この浩一が母を気遣い、弟を気遣う情の深さを思う。

・天皇陛下のために死んだ人々は、それが親、兄弟を救うためと信じて、特攻も辞さなかった。浩一も上の言うことに逆らわないで生きてきたが、どうしても帰りたくて嘘をつく。

メダル・ソルジャーズ(3)川口編 ・・ 大空裕子

川口由美がメダル・ソルジャーズの一員になる前の話。由美の叔父が屋てきて、「メタモン界に異変が起きている」と告げる。そして、由美に一緒に来るように言う。その頃、一人の男が邪悪なメタモンを復活させようとたくらんでいた。かつてのカルサイトだった。由美は、メダル・ソルジャーズの一員になって、その男たちと闘うことになるのだ。

・まだあらすじのようなので、もう少し書き込んでほしいところだ。また、できることなら、なるべく細切れでなく、まとまった枚数で発表してほしい。

・由美がメダル・ソルジャーズになる必然性を描いたようだが、叔父もメダル・ソルジャーズの一員なのか、その説明がほしかった。どんどん話をおもしろくしていってほしい。楽しみだ。

・ライトブックスという分野は初めて知った。


慰霊碑 ・・・・・・・・・・・ 都 満州美

雄一は養豚場で下っ端として働いていたが、四十歳で多額の借金をして、延岡の外れの養豚場を引き継いだ。家から車で一時間もかかり、途中に豚の慰霊碑がある。慰霊碑は雄一の慰めでもあった。雇っている洋一はベテランだが、雄一の母親・繫子はまったくの素人だ。豚は高価なものを食べるので、エサ代だけでもお金がかかる。桂子という妻と二人暮らし。繫子は一緒に住もうと誘うが、話に乗らない。豚舎で働かせることを申し訳なく思うが仕方がない。生まれた子ブタは半年で出荷するが、それまでの飼育は並大抵ではない。弱い子ブタは死ぬ。初めて豚を出荷する日のことを雄一は忘れない。


・豚の飼育について、エサの調合から掃除、出産のことなど詳しく書かれてある。匂いまで漂ってきそうだ。家畜の飼育は根気と愛情がなくては続かない。割に合わない仕事だと思う。大事に育てたからこそ、おいしい肉になってくれよと言えるのだと思う。

・雄一は魚釣りが好きで、サーフィンもやっていた。豚の世話に追われる彼は、一日も休んだことがなく、今では商売人の顔になっている。死んだ子豚を抱いて泣いている母親を見て、自分も声を放って泣く優しい男。
・今までの作品とガラッと違っている。読んだことのない世界。

・豚を送るとき辛い。むごい世界。

・スーパーで何でも買えて恵まれているが、生産者のご苦労は並大抵のものじゃない。

・タイトルにもなっている慰霊碑というのが作品中でうまく位置づけられていない。誰が何のために?由来なども必要。

・力強い筆力。

・息子と母親の情感が出ていて、ラストがよかった。

・体験と見まがうほどの緻密な創作力だ。取材の力だと思う。

・苦労が伝わってくるが、まだ弱い。葛藤を赤裸々に描いてほしかった。



五月二十七日「西日本新聞」【西日本文学展望】

坂本梧朗『ラスト‐ストラグル』が、五月二十七日「西日本新聞 【西日本文学展望】に、長野秀樹氏筆により、「奇妙な固有名詞がもたらす微苦笑」と題して紹介されました。

三月二十日「毎日新聞」【同人誌季評】

坂本梧朗『ラスト‐ストラグル』都満州美『傷跡』 が、三月二十日「毎日新聞」【同人誌季評】に、古閑章氏筆により、紹介されました。

第五回 勉強会

3月17日(木) 13時~ 戸畑生涯学習センターで、第五回 勉強会を開催しました。

講師   都 満州美さん
タイトル 「東京で出会った作家たち」
参加者 13名

都さんが、35歳ぐらいから出会った、画家や作家との交流を通して学んだこと、影響を受けたこと、そして彼らをモデルに小説を書いたこと、また、どんなときでも毎日日記を書くことや英会話を続けてきたことなど、貴重な体験を話してくださいました。

また、勉強会に136号より入会される新しい仲間が二人、参加してくださいました。



Wikipedia に載っています

「海峡派」の同人、青江由紀夫さんが、Wikipedia に載っています。

    ↓  ↓  ↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E6%9D%91%E5%8D%9A%E6%97%A8



あらためて、すごい方だなあと思いました。

「西日本新聞」2016年01月30日(土)朝刊「西日本文学展望」

「西日本新聞」2016年01月30日(土)朝刊「西日本文学展望」長野秀樹氏筆題「闘病記」

青江由紀夫「銀次郎の日記(ガン闘病記)」 (「海峡派」135号)が、顔写真入りで紹介されました。
また、柿田半周さんの
追悼特集 も紹介されました。

※135号合評会のときに、銀ちゃん(青江由紀夫)にお見舞いの気持ちで、色紙に寄せ書きをし、送りました。
  銀ちゃんはたいそう喜び、海峡派同人のみなさんにくれぐれもよろしくとのことでした

「海峡派」135号 感想 ③ 随想、追悼、他

私の筑豊物語 
  ―炭坑節編―・・・・・・・・・・・ さとうゆきの

私たちにはお馴染みの炭坑節。それをひとり芝居の中西和久氏にお手本を見せたという出だしに何だろうと引き込まれる。1985年、山本作兵衛翁一回忌追善供養を嘉穂劇場でやろうと、上野英信さんが発案し、中西和久さんに演出を頼んだ時の話。さとうさんは筑豊文庫に入り浸っていたという。炭坑夫の父のことから仕事唄である炭坑節について、それは楽しく語る。父のもとに酒をあてにして集い来る若者たちも愉快だ。さて、嘉穂劇場での話が盛り上がってきたとき、英信さんが「締めはやはり炭坑節だろう」と言うのに、中西さんは「でも、みんな踊ってくれますかねぇ」と案じる。この一言に逆上したさとうさん「踊るくさ!」「誰でんかれでん、ぜったい踊る」。


・痛快、痛快。当たり前やん、踊るくさ、ねえ。この話は、千人を集めた嘉穂劇場の山本作兵衛記念祭のフィナーレで、さとうさんの母が一番に舞台に上がって踊ったという実に楽しく「さすが!」と拍手喝采したいくらいの結末も記されている。私も踊る、炭坑節。きちんと注釈があるのも嬉しい。

・転勤先の青森や北海道で「炭坑節」を聞いたときは、涙が出た。皆、当たり前のように踊る。こちらの炭坑節と同じ。

・方言が違うのでは?という意見に対し、「わたしの筑豊物語」というように、「わたし(・・・)()でいいないか、という意見
・上野英信について意見あり。作品とは関係ないのだが・・・

・作者より・・・筑豊物語は、小説でも出したが、今回は随想で。伝えたいことは、当時の炭坑の暮らし。明るくあっけらかんとしている。

走人の詩 ・・・・・・・・・・・・・ 古濱紘司

健康診断で糖尿病を指摘され、奮起してジョギングをすることに。最初はグランドを数周しただけで終わったが、じょじょに10週したり、ロードを走ってみたり、自信がついてきた。そして、「関門健康マラソン大会」の5キロ部門に出場。それが年中行事になった。


・若い女性がいたらスピードをあげ、その後必ず息切れするなどのエピソードもあり、走るだけのエッセイだが、面白く読めた。合評会の日が、「北九州市民マラソン大会」だが、病気で足を悪くして走れないのは、古濱さんにとって、どんなにか残念で悔しいことだろうか。

48歳で、体重85キロの男がジョギングを始め、ついにロードにでるまでになった、苦心談。走った人しかわからない満足感が、わからないながらもあれこれと筆者の気の迷いなど入れて、面白く読める。桜の葉っぱを10枚ちぎり、グランドを1周するたびに1枚捨てて、目標を貫徹するあたり、拍手したくなる。掌に残る桜の葉の匂いを、桜餅の匂いと書くところが、人柄が出ている。

・電車の中から、今日の「北九州マラソン」を見た。大勢いた。

・最初の頃「ベトベトした汗」が、しだいに「サラサラした汗」になるなど、体験した人にのみわかること、リアル。

・(今日はもうやめよう)と自分をかわいがるところなど、よくわかるし、書き方がおもしろい。

・君原ランナーの、首を振りながら走る姿を思い出した。

・体験の中での「思い」を何でするのか、どう考えたのか、書いていくとおもしろいのでは?


銀次郎の日記(ガン闘病記)
    ――また二泊三日の入院治療 ・・・・・ 青江由紀夫

今号はタイトルにカッコ付で、ガン闘病記と入れられた。作品は入院中にも書かれている。原稿は手書き、大変なことだ。闘病記でもあるが、(二)では、大学・大学院のころのこと、(三)では、血統書、家系図のことを書いている。

・13回目の入院とあるが、1回目の2013年の腸閉塞と人工肛門開設手術に遡って回想している。

わたし達は「海峡派」128号、129号で、銀ちゃんの手術体験を読んでいるはず。

129号・・・ ―― この世の別れのつもりの一言 ―― が副題である。何か書いておきたい、と冒頭にこんなひとりごとがあり、せつない。あれから2年もガン闘病記を書き続けておられる。
西日本新聞
130日の文学展望(長野秀樹氏筆)に紹介された。日記形式が取り上げられるのは珍しい。若窪さんが指摘するように、銀ちゃんのは文学の域にあるからでしょう。

長野先生が海峡派の「銀次郎の日記」を長年、読んでくださっていたのだ・・・と感動した。

作家の後藤みな子さんもファンだといってくださいました。みんなが有り難く読んでいる。

・おもしろいのは、(四)のラウンジもホテルのように利用していること。銀ちゃんを訪ねてくる人はたくさんいるようだ。病棟のラウンジが、ホテルのラウンジのようにお客様と話をする様子が手に取るように書かれている。実に前向きな明るい人柄だ。

追悼 柿田半周

柿田半周氏を悼む ・・・・・・・・・・・木村和彦
柿田半周同人を偲んで ・・・・・・・髙﨑綏子
トランペットを吹く柿田さん ・・若窪美恵
柿田半周さん ・・・・・・・・・・・・・・・坂本梧朗
柿田さんのこと ・・・・・・・・・・・・池田幸子
シャイな紳士 ・・・・・・・・・・・・・・ いよやよい
弔句 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 笹田輝子

これら追悼文についても、西日本新聞1西日本新聞130日の文学展望(長野秀樹氏筆)に紹介された。


 


 


 


 


 


 

「海峡派」 135号 感想 ② 詩

拍手 ・・・・・・・・・・・・ さとうゆきの


ママがトイレで手を洗う間、ベビーカーの中の赤ちゃんがそのまま置かれていた。そこに居合わせた皆が赤ちゃんを見つめていた。「ブーンと大きな乾燥器の音が鳴り響いて」戻ってきた時、赤ちゃんは「お指とお指をふんわりあわせて」拍手した。でも音は出ない。「男の子は不思議そうに首を傾げた」。ママはベビーカーを押して退場し、「みんなは・・・・/胸の内にある指先をふんわりあわせ/音の出ない拍手を」した。


・短い時間の中の無言劇。心にさわやかな風が抜けるような詩。こういう光景に出くわしたときに、小さな風を捕まえられるかどうか・・・感性豊かな作者だからこそ。男の子の不思議そうな顔が思い浮かび、読後感が実にいい。
・「退場した」というのが大げさすぎないか。「出ていった」ぐらいでいいのでは?
・「退場した」でいいと思う。作品中に「舞台の幕が降りたときみたいだった」という一文がある。作者は、舞台に見立ててこの詩を作り上げている。「拍手」もその一つ。
・何気ない、ちょこちょこ目にする日常なのに、よく覚えているなあ。こういう風景を詩にできるなあ・・・感心する

ごちそうさまでした ・・・・・・・・さとうゆきの


紅葉の季節、英彦山神宮でのこと。「小さな参拝者が おおきな鈴を鳴らそうと/両の手にあまる綱にぶら下がり 足で漕ぎ 格闘している」なかなか鈴は鳴らないようだ。作者はそれを微笑ましいものとして、その子のパパの姿をも、じっと観察している。「鬼杉までいくのだろう・・・この子は歩けるだろうか/おんぶしても大丈夫のように準備は怠りない」と。「さあ、お祈りしようぜ」のパパの声に、その小さな子は、「ごちそうさまでした!」と甲高い声を響かせる。


・一瞬の出来事。皆の笑い声。やわらかに緩む空気。アクションポエムと呼びたい。「拍手」共々、この一瞬を捕まえられるかどうかは、文章力に加え、かなり映像的なセンスが問われる。そしてそのセンスに長けているさとうさんだからこそ、詩にできた。
・濁音を使うときの心構えについて、考えさせられた。ガキグゲゴ、かいじゅう・・・など。子どもはわりと使う
・本当にあったことだと思うが、そういうことがあっても、気に留めないぐらいのことだ。メモでもとっているのか。すごいね、天才か。・・・天才でしょうの声も。

腰痛・トラジック ・・・・・・・・ 山口淑枝

トラジックとは「悲劇的な様」。料理中に腰に激痛が走り、うずくまる。「つの字の姿勢が/最悪だったのかしらん」と分析するぐらいの余裕はあるというか、腰痛じたいが慣れになっているのか。

歯を食いしばるのは、「家事の切り盛りをしている者は/切ない・ね」と思いつつ、手抜きしつつも家族のために作る。本当だったらもっと色とりどりのサラダも添えたいのに「色消し手抜きサラダ」をうなだれて食べている。

・「つ」その姿勢。「ゆがきすぎたほうれん草」「うなだれて ひとりのおうに もぐもぐ食む」・・・とめどもなくほとばしる愚痴、効かされるとはた迷惑なだけ。だが、詩になると、少し笑える。

・誰かが一緒だと、痛くても頑張れる。家族のためというのはけっこう大事。

・水屋、下(しも)など古い言葉をあえて使っている。下はしもとルビを振った方がいい

・色気がなくなってきた、サラダも色合いが無くなった

・わかりやすい詩


居る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・清水啓介


ふと、自分が「居る」ことに、気付いたという。何者?という出だし。どこに?アパートらしい陰気な木造の内部廊下のよう。何者かはまだわからない。わかならないという不安感がある。その「居る」と感じている何者かも、「居る」という実感は、不安感と区別出来ないような気がするという。

場面は展開して、最後の三行で、女性が玄関の内側で呟く。「何でドアが勝手に開いたのかしら? 誰も居ないじゃない。それとも、誰か、居た、のかしら」と。


・魂のような、透明人間のような、霊のような、実体はないが、「居る」らしい何者かになったような気持ち。不思議な詩。清水さんの詩は、物語的な、独自のワールドを作っていてとても面白い。

・朗読に向いていると思う。

・「居る」という実感は、不安感と区別できないような気がする。この思いは共感できる。存在を決して生きることで、他人につべこべ言われる、じゃまとも思われずに生きてきた男。くらげのような月が象徴的だ。だが、自分を「居る」ことをたしかめようとする。いいところで、女(ひと)がつぶやく。「誰もいないじゃない」・・・ここで男はますます不安になる。

海峡派 135号 感想①小説

菊は好かん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 横山令子

繭子はイトと出会い、次第に仲良くなり、イトの身の上話を聞くことに。イトは結婚してひと月で戦地に行った夫に死なれ、生まれた子どもと嫁ぎ先で働いた。その亡夫の墓参りの時に、繭子の家の前を通る。墓参りに菊を持っていかない、タイトルになる「私ゃ菊は好かん。夫をとった花だから」の言葉を聞く。ある日イトからお昼に誘われ、イトの家を訪ねる。そこは母屋に通じてはいるものの、入り口も別で、鍵をかけられている。夕食は嫁が運んでくる。毎朝、出勤前、息子が仏壇に手を合わせに部屋へ来て、イトに「おはよう」という。その後、知人からイトが死んだことを知らされる。
・繭子とイトとの出会いになる書き出しがとてもテンポよく、繭子のウエットに富んだ子ども達との会話も楽しい。重く切ない内容だが、こなれた美しい文章がイトを不幸に思わせずよかったと思う。
・たった一ヶ月の夫婦生活を心の支えにして、ひとり息子を生きがいに、戦後の荒波を生き抜いた老女を丁寧に、自分達夫婦のありかたと引き比べながら書いている。
イトさんの息子の嫁のしうちに怒りを覚えながらも、理解を示すあたり、筆者の年齢ならではの洞察力と思う。「菊は好かん」と凛とした声に反応する筆者、反戦の気持ちも、ひしひしと伝わる。数年前、同じタイトルで詩を発表している。ずっと大切にしてきた題材であろう。
ただ、今の若い人は、菊と天皇、天皇にとられた命、について書かれているとは全くわからず、「あちらさんにも言い分はあろうよ」の所で立ち止まってしまうのではないか。考える必要もないと筆者が考えるなら、老人向け小説と限定的に評価したい。
・テーマがよい。「菊は好かん」をもっと表に出してもよかったのでは?イトの姿をもっとリアルに書いてほしい。イトと嫁のところ、母屋と玄関も別など、もう少し書き込んだほうがよかった。
・詩にも書いていたが、詩は詩。小説にするとしみじみとしてきた。「戦争反対」というより入ってくる。戦後70年・・・一人も戦死者を出していないことは、素晴らしいこと。

帰り途・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・有馬和子

デパ地下で睦美と幼馴染みの健一が偶然に出会う。お茶でもと誘う健一に、孫たちが集まるからと嘘をつくが、その後、やはり健一に会いたくて、電話をする。健一の家に訪ねたとき、入院中の彼の父が急性肺炎だと連絡がある。睦美は健一の父を介護する役目をかってでる。楽しく世話をしていたら、健一の妻が病院に来て、健一の父のヘルパーに報酬を払って雇いたいと言い出す。

・健一との再会は楽しいものだったが、年月がそれぞれの生活を変えていたことを、妻の出現によって明らかにされ、睦美は現実に戻る。睦美の心の動きが、手に取るように描かれている。健一へのほのかな想いとは裏腹に、お互いの暮らしや家族との関わりが、動かしがたいものだと気づく。健一や妻の立場、性格などが、会話などの表現でよく表している。

・夫もその両親のみとりが終わった女は、ひさびさの独身貴族気分である。同窓会で昔あこがれていた少年が、ちょっと憂いを帯びたよい漢字の初老の男になっていて、声でもかけてもらえば有頂天になる。そして見栄をはる。うそをつく。男も女を知り尽くしていて、うそをつく。よい仲になったところにお決まりの冷たい感じの男の妻が現れる。妻を名乗る女の見下した態度に怒りながら、こんな女の言いなりにならざるを得ない男に同情する。男の父親の世話を任されただけ。なのに「健ちゃんはこれからどうするのだろう」ばかか。「しかもその帰り途を迷うことなく、けっして!」と言い聞かせている。健ちゃんの幸せを願いつつ、ふしだらを避けつつ、真面目に死ぬことだけ。

・全般的にみて状況が手に取るようにわかり、すらすら読めた。ラストは西方への途ということだろうか。

・中年の淡い思い。おくさんが何か感付く。おくさんが現れて予定通りの男と女の描き方。ラストで急に老人文学になってしまい、つまらなくなった。

・行儀よすぎる。もっと遊びも入れていいのでは?

・健一は自分が恥をさらしてように感じているだろう。終わりを簡潔に。


ゆるりさんの左目 ・・・・・・・・・ 若窪美恵

あかねは隔週で〈ほぐしや ゆるり〉という治療院に通っている。たまたま、ゆるりさんから左目がらみでよく外国人に引き寄せられるという。話せば長いが・・・と、自分の左目は角膜移植をしていること、その角膜のドナーはアメリカ人だったこと、そしてどうして治療師になったか、など治療しながら聞く。語り部分は、感情を入れない手法で文体を変えている。
・題名がいい。さらに内容にはいっていくと〈ほぐしや ゆるり〉という屋号が出てきて、治療師の年齢や口調など、それから推し量られる腕前や性格が見事に活写されている。ここで読者はすっかりゆるりさんのファンになっているから、彼のちょっと長い話とやらを聞こうかな、と思う。ゆるりさんの独白は衝撃的だ。じつによく移植手術について調べられており、それだけでは硬くなるところを、術前の家族との会話とか、術後の病室の描写も、同病の人たちの会話もあって、読ませる。遺伝性の目の病気で、右目も視力を失う可能性を考え、マッサージ師になった。終章「あかねは治療院を出た・・・空のほとんど真上の高い位置~暗闇に弾けた」は、詩である。構成がしっかりしえいて、言葉も十分選ばれており、推敲のきいた作品。異色の分野。
・ゆるりさんの内面が美しい文章によって表現され、とても読みやすく、感動した。
・ゆるりさんの話の部分が(中盤)、文体が独立しているので、レポートのような印象。
・手術で新しい人生を考えたゆるりさんの並々ならない覚悟、人生の捉え方がよく描かれている。
・タイトルの「左目」はいらないかも。単に「ゆるりさん」はどうか?
・ゆるりさんは左目が見えるようになった。見えないのと見えるのとでは全く違う。見えないというのはそんなものじゃない。

ラスト‐ストラグル 第三回・・・・・・・ 坂本梧朗

二学期。カーツンは三年スポクラの生徒の成績のことで、相変わらず悩みをかかえている。特に、試験のカンニング疑惑がある生徒たちについて、思い切って学年会でどうしたものかと聞いてみた。注意し続けるだけとの意見に、そんなものかと思いながらも一安心する。そんな時、カンニングペーパーが発覚した生徒が停学になった。授業中、生徒がうるさいということで豊田が校長に告げ、カーツンは校長に呼ばれたが、豊田の思惑通りにならず、校長はカーツンの思いを重視してくれた。校長がカーツンの書いた小説が取り上げられた新聞を見たらしい。一方、家のほうは、サンジ―、サンバーの世話や、老犬ワラシの介護を妻のムーサンと共に労わりながらやっている。
・職場のことも、老犬、老親の介護もあり、言いたい愚痴も溜まっていく状況が淡々と描かれている。どこにでもある暮らしぶりだと思うが、こうしてきちんと書くことによって、カーツン自身、その時々で決着をつけ、明日への活力になっているのかもしれないと思う。文は短く、とても読みやすい。それぞれの立場での心情が汲み取れる。ラストの「武肥」をブヒと呼んだ生徒の名前が、「いさみつ」であったこと、彼との会話が救われる。
・第二部1 カーツンの職場。教師経験のない読者にはこの教室内風景は異常に思えるだろう。退屈か、興味がないか? だが私は面白くてたまらない。カーツンの真面目さが痛々しい。森元をからかいたくなる衝動など包み隠さず書いているもの、おかしくて吹き出したが、こんなときにも生徒にうけたい、なじみたいと努力する姿が痛ましい。
2、悲惨である。あんなに努力して、カンニングを防いだつもりだが、またしてもやられた。そしてスポクラはカーツンの出題した試験になんと半数以上が欠点をとる。
3、カーツン夫妻はサンジイとサンバアの介護に追われる毎日。この両親の介護が必要になったいきさつが納得いく形でつづられていて、どこの家にも起きそうな危機を感じさせる。トイレの始末、こまごまと架かれている。目に見えるようだ。どれくらい臭いか。このひどさもぎょっとする。
4、ワラシが夜泣きする。これは親戚から聞いた話だが、死期が迫ると夜泣きをするらしい。無視して眠りたいが、耳について眠れない。カーツン夫婦の寝不足は深刻だ。ムーサンがいびきをかいて寝ているのさえ恨めしく思ってしまう。「たいしたものだ」なんて。
5、カーツンの職場での人間関係。先生同士は実に陰険にカーツンを責めたてる。給料泥棒と豊田に言われる。我慢ならない。謝らせたい。でも豊田を誤らせる時期を失い、諦める。けれどこれらの連続は、苦痛。
6、再び、カンニング問題。しかし今回はカーツンの投げかけた問題に若い教師たちが真剣に考えてくれた。結局、村岡のいう生徒が処分をうけ、少しは改まったかにみえても、学年末考査が終われば、めちゃくちゃで、救いようがない。そんな中でカーツンは最後の授業をする。ジイサンがサンジイ、バアサンがサンバア。名前の謎解きができたあとは、二人の登場が楽しみになってくる。トイレのトラブルも家族ならではの、あけすけな表現がきいていて、なぜか汚らしくも嫌悪感も感じない。カーツンのため息が聞こえる。

・今回が一番面白かった。一気に読めた。

・夫婦は深いなあ、両親、愛犬、それぞれがぎりぎりで生きている。

・サンジイ、サンバア、身につまされる。

・生徒像は時代により違うのは当たり前。流れに逆らえない教師が描かれている。

・「擒の記」で理想の教師像が破れたあたりがかかれている。それを読んでいると、なおよくわかる。


あしたは 晴れている
   第一章(六)・・・・・・・・・ はたけいすけ

支那事変は、日本軍の一進一退を報道。一方、現地軍は、突然単独で戦線拡大。728日襲撃。冀東政府は報復、日本人を虐殺。そんな時局の中、正太の母丈子は外で働いていたが辞め、家に備え付けた靴下を編む機械で仕事を始めた。父武市は、子之八に頼まれ、子之八の姪、ヌイを預かることに。ヌイは実は軽いものの肺病を患っていた。そのことで丈子と武市はいさかいが絶えない。正太は、ヌイからシンデーラの物語を聞かせてもらうのが楽しみだった。魔法使いにはよい魔法使いと悪い魔法使いがいるのか、と。悪い魔法使いというのは、以前、サトの父、源さんが家賃を払わず、鼠にされたと聞いたことを指している。
・途中で挿入される、ヌイとシンデーラとのつながりになる、香川との話や、『女工哀史』にまつわる話も出てきて、女工たちの中でも文学を語る時間や人がいたことを知れたのは、がとてもよかった。その香川がヌイに言う言葉に「君には明日があるんだからね。教授が云ったんだ。晴れた明日は必ず来る、これは歴史の必然なんだって」という部分がある。この小説のタイトルにもなっている。香川のことを思いながら涙するヌイも不憫だ。
・冒頭の新聞記事見出しで、時局を語り、戦争というものが拡大していくからくりを短く説明した第一章(六)は見事である。あとは結核に関する庶民の恐れや扱い方を活写されていて、丈子の気持ちに同情する。おヌイさんと書いたりヌイと書いたりするが、これはなぜか?
・この号でヌイに香川という大学生が青臭い論陣をはる。そして博多の大学病院に訪ねてくるようにいう。「君には明日があるんだからね。教授が言ったんだ。晴れた明日は必ず来る。これは歴史の必然だからね」・・・いよいよ本題に入ったか。

・ラジオ放送を鮮明に覚えている。これで終わるかと思った。

・肺病のヌイに対する優しさ、思いやりと同時に、丈子のおろおろぶりが感じられた。

・大学生が出てきて、物語が立ち上がった。


傷痕・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 都 満州美

私は東京の精神科病院のナース。病院の新館に配属された私は、何もできないナースとしてナース間のいじめの対象になった。しかし、仕事を離れれば、東京で同人誌に小説を書いたり、音楽を楽しんだり、旅行して、楽しんでいた。が、膀胱に腫瘍があり、手術することになった。腫瘍が良性か悪性か医師が言わないのを、ナースである私は非常に不安に思っている。その辺の心理もよく出ていた。初期だったが、悪性、つまり、ガンだった。定年後、小倉に住むことに。小倉の医師は抗がん剤を使わない方針。患者サイドに立った治療法をしてくれる医師に、田舎だからと思っていた気持ちが吹き飛ぶ。膀胱ガンは治ったが、あらたに、肝臓血管腫が見つかる。検査続きだが、仕方がない。大きくなればガンだということだ。

P150 の夜勤のナースの仕事ぶりが事細かく描写されているところなど、知らない世界を見せてくれ、読み応えがあった。また、ナースと知れたときの医師の対応ががらりと変わるところは面白かった。これは、本当によく聞く話で、私の知り合いのナースは皆、自分がナースだということはふせて診察を受けるらしい(だいたい途中でバレル)。下手に知識があるだけに、不安はかなりのものだろう。リスクのある検査にも盲目的に従うのではなく、「いやです」と言える。自分の人生、最終的には自分で納得のいくように生きた方がいいと思った。

・看護師の専門知識を持っていることによって、病人になった筆者はかえってさまざまな苦労をする。

・一作一作、腕が上がってきている。ち密でおもしろい。

・医療関係に詳しい。冷静。

・日記になってしまったのでは? 出来事が診察記録になっていないか? ドラマをもっと。

・主人公の思いが伝わってくる。病気と格闘している。

・小倉に来てからの診療、P145~東京、P156~小倉。どちらも病気のことを書いているので、わかりにくい。

・自分の専門世界に引き込むことが可能なら、りっぱにできるが、そうはいかない。一般の人の言葉に直して語るのが小説。

・ほっとする部分がいる。

・海外旅行に行く部分が面白い。


あした苦節川(八)・・・・・・・・・・ 山之内一次

川崎を離れる浩一。自転車を漕ぎながら、昔のことをあれこれ思い出す。時間の経過が感じられてよいと思った。そして安易に考え、箱根超えに旧道を選んだ。疲れと喉の渇きに握り飯も口にできない。ようやく芦ノ湖が見えたときは夕闇が迫っていた。旅人宿を見つけ、相部屋で泊めてもらう。

沼津で鉄工所で働くことが決まる。飛行機の翼にとりつける高射機関銃の素材の焼き入れをする過酷な職場だった。

・赤レンガの横浜駅を「ハンチング帽子をかぶり、膝までのホームスパンのズボンを着用して、パイプタバコをくゆらせながらホームに佇む男の姿」と表現。横浜駅の異国情緒あふれるカッコ良さがよくわかる。自転車での道中の景色も細かく書かれていて、目の前に風景が広がるようだった。

・浩一は自転車で川崎から沼津まで超えていく。箱根越え、わざわざ旧道を選び、苦労する。沼津の兵器廠で働くことになった浩一は、飛行機の翼にとりつける高射機関銃の焼き入れという過酷な場所に従事する。東京の上空では、連日、空襲があっている。


藤クラブの仲間たち・・・・・・・・・ 池田幸子

お天気のいい朝から始まる。主人公の名前も朝子。朝子は公民館の事務職を退職後、地域の音楽ボランティア「藤クラブ」の仲間と老人ホームを慰問している。フィリピン人の華ちゃんもその一人。華ちゃんは朝子の姉の看取りの時にも力になってくれた。

文子の、夫のケータイの電話に女性名があったときのエピソードや、華やぐ化粧やドレスを着るなどの楽しそうな雰囲気、歌を紹介しながら、ホームの人たちの様子など、始終楽しそうな状況が描かれている。しかし、アパートに帰ると救急車が来ていてあわただしい様子。たいしたことはなかったが、今後、誰の身にも起こりうる年齢だと心を引き締める。

・老人たちの群像。特養の老人を訪問して、体操やカラオケで喜ばせるボランティア団体。藤クラブは100人ちかい。そのなかの8人のある日の行動をかなり綿密に描写。

・する、行く、見る、言うなど、現在形の動詞で歯切れがいい。こういう表現を写生というのだろうか。絵画ではデッサン、あるいはクロッキーというが。さらっとした印象が、最後の今村のおじいさんの事件で、ちょっと諦めた。お互い他人事ではないよね。ここが筆者の言いたかったことか。

・ボランティアしていることにすごいなあと思う。

・あったかい読後感。

・短編ではあるが、久々の小説が読めて、とても嬉しく思った。重松清の小説のように、ほのぼのとした人間関係を描いていて、読んでいて気持ちがよい。


ストーカー・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤幸雄

四六時中、付きまとわれている女性・・・ストーカーされていることはわかっている。だから、その決定的証拠を写メで撮り、うまく警察に捕まえてもらうことができた。ようやく肩の荷が下りた女性は、今日こそはスター富士夫の部屋に忍び込み、日頃の思いを伝えたいと思う。

ストーカーに狙われていた女性、実は、ファン心理が高じてスター富士夫のストーカーだったというオチ。ストーカーは本当に不気味だが、軽やかタッチで読めた。

・自分がされていやなことを人にしている、それを気付かない。

・ストーカーされている女性は自分が美人じゃないことを知っていて面白い。

・後半の「あたしのストーカー」の部分、あっさりしすぎでは?

・被害妄想だったのか? でも実際に警察に捕まっているし・・・


メダル・ソルジャーズ(2)・・・・・・大空裕子

プロンザナイトをメダルに封じこめた翌日、倉成礼佳ら三人のメダル・ソルジャーズは、新しいメタリックブレスレットを渡される。そして、メタモン訓練所に研修に行くことに。訓練所では、どんな敵にも対応できるように訓練される。そこで新しい仲間、川口由美に出会う。倉成礼佳は、昔見た夢を見るが、「助けてくれ!」と夢の中で叫ぶ男性を思い出せない。その後、高須先生が、コンピュータの画像を見せる。一組の男女がいて、男の方は前世での礼佳の父だった。

・登場人物がどんどん出てくるし、細かい描写に欠けているので、頭の中で映像が浮かにくい。

・ドラマはある。この先どうなるのか、作者はわかっているのだろう。

・ち密にゆっくりと書き上げてほしい。あせらずに。

日光行き(その一)・・・・・・・・・・・・・犬童架津代

幾代は、若いころからの詩の仲間が発案した日光旅行に参加しようと決心する。夫も、快く勧めてくれた。まずは、関西の娘の所による。ユニバーサルジャパンに孫たちと行き、楽しい時間を過ごす。娘は手術後ながら、勤務時間を調整してもらい、もう仕事している。前より楽だという娘に胸を詰まらせる幾代。パレードに参加して、楽しいのは現実から逃避しているから、現実は厳しいと思った。

・まだ孫も小さいのに、ママである娘のことを幾代は不憫に思っている。代わってあげたいが、できるはずもない。たまに行って楽しく過ごすだけ。それでもお互いにとって、大事な時間だろう。

・詩の会にでたいという幾代の思いは、行くという決心に変わる。決心さえすれば、願いは叶う。

なかなか行動できない女性(主婦)が多いが、幾代はちゃんと実行するところがすばらしい。

第4回 勉強会、「あなたが講師」

10月15日(木)
「私たちは好きな時に、好きなだけ時間を割いて、好きなことを書いてきました。これからも色々と書くことで苦しみ悩みながら人生を充実させ、同人たちと楽しい時を分かち合いたいと思います。今回は、あなたが詩や小説、エッセーを書くとき、どのように取り組んでおられますか。皆で考え、勉強しながら楽しい二時間を過ごしましょう」というお誘いのもと、 「あなたが講師」と題して、池田幸子の司会で勉強会を行いました。
池田さんから、お茶菓子に、コーヒーや紅茶を用意していただき、楽しいひと時を過ごしました。
 

伊藤幸雄『変化観音』

海峡派同人の伊藤幸雄が、10月1日変化観音を出版しました。

あとがきより

「『変化観音』は、私が初めて書いた小説です。
 私は現在、文芸同人誌『海峡派』に在籍し、小説やショート・ショート等を書いて居ますが、その原点となったのが、この『変化観音』です。
 読書以外にこれと言った趣味もない私は、定年退職後、小人閑居して、晴耕雨読の生活を送って居ましたが、小説を読むだけの生活に飽き足らず、自分でも書いてみたいと思い、初めて書いたのが、この『変化観音』です。
 若い頃、演劇に熱中し、職場演劇ブームに浮かれ、自立劇団『いちご座』を結成し、脚本を書いた事は有りますが、小説への挑戦は初めてなので、試行錯誤の連続でした。
 私は若い頃から『面白くなければ小説ではない』という偏見を持って居ましたので、如何に読む人に興味を持って貰えるかに重点を置いてこの作品を書き上げました。私に取っては良い勉強になったと思って居ます。
 この作品を書き終えて感じた事は、長編小説は生き物であるという事です。作中の人物が勝手に動きだし、作者お意図せぬ方向に展開する事があるという事です」

来年1月の新年会の時に出版記念会をいたします。そのときに、感想をまとめて更新したいと思います。

海峡派134号 ③リポート、紀行文、随想 感想

リポート

星野村に源太さんを訪ねて
―池田流ヒューマン・リポート 
・・・・・・・・池田幸子
618日、海峡派文学散歩で、星野村に行った。目的は、詩人・陶芸家の山本源太氏を訪ね、「詩人、丸山豊について」お話を伺うというものだ。源太さんは、一部屋を丸山豊展に設えて、丸山豊像を語ってくださった。

・池田流ヒューマン・リポートという副題どおり、あたたかい文面になっているのは、人柄が出ているからだろう。

渾身のレポート、有難うございました。

・久留米市百年公園の「新春」の紹介「なんと清々しい身の引き締まる詩であることか!という

池田さんの感想がいいです。源太さんの推薦でこの詩が、選ばれたそうです。

・一昨年の文学散歩は、「野上弥生子」の間違い

・文部省が喜ぶよ・・・ほめ言葉。りっぱなリポートできちんとしている

・真似できない。雰囲気があらわれている。他の人たちがこれを読むと、きっとうらやましがるだろう。

・源太さんに本を送った。ていねいなお手紙がきた。(回して読む)

『新春』の詩碑のこと、よくぞ載せてくれた



紀行文

田中一村と島尾敏雄を訪ねて 
            ・・・・・・・・・・さとうゆきの

日本画家、田中一村の絵画と、島尾敏雄文学碑を訪ねる奄美大島の紀行文。4人の楽しく珍しく、好奇心旺盛の道中。一日目、蛍光キノコ、シイノトモシビダケを探したり、『田中一村終焉の家』を訪ね、上がり込んだり。二日目、田中一村記念館を訪れたあと、加計呂麻島へ行き、戦跡巡り。ここでの体験で、作者は帰ってから島尾敏雄、妻のミホの著書を読む日々となる。

・一気に読ませる、勢いのある筆力。おもしろい。こんな小さな南の島に戦跡がきっちりと時を止めて、訪れる人を待っていることに、作者同様、静かに感動した。そして、勧められるまま島尾敏雄、ミホの著書を読み、人を愛するというその情熱に、それを引き裂く戦争に対して、厳粛な気持ちになった。

・奄美から出さない絵もある。懐かしく思い出した

・村全体の人が一村を愛している。一村展のとき、村人全員参加、信じられない数。

・中学生まで一村が浸透している

・日本画壇に背を向けた一村、一時は麦の仕事をされていたらしい

・デッサン力、完璧。変化していく。見る人に形で色を見せる技。しみじみとした絵。

・テンポもよく、難しすぎない。少しくだけすぎか・・・

・ヤギが普通にいる文化、おもしろい



随想

父の戦後 ・・・・・・・・・・・・田原明子

大正10年生まれ、93歳で亡くなったお父様の思い出。戦争の体験、それもシベリア抑留は、父の忘れられない体験。当時24歳の父は、「敗戦の責任は自分達兵隊にあると考え、どんな処遇も仕方ない、内地返還は実現しないかもしれないと死を覚悟していた」という。着いた先はシベリア。日本に帰ってきたのは昭和22年、左目を失明していた。

・最後に「ご苦労さん」と言おうとしたけど言えなかった母、「ありがとう。大好きだったよ・・・」と何度も耳元で言った姉妹。あたたかな家族の姿と、戦争の惨さが十分に伝わってくる、とても良い作品だった。

・たった2pなのに、とてもよくわかる。全て周到に簡潔に状況説明したうえで、自分の

感情を伝えている。だからこそ父を送る「ありがう、大好きだったよ、ありがとう」が響く。

・お父様のこと、愛情深く書かれており、読むほうもほろりとしました。戦後70年、いろんな人がいろんな事情を、戦争の傷痕を抱えて生きているのだと考えさせられました。



銀次郎の日記

―抗ガン治療の数値にも一喜一憂 ・・・・・・青江由紀夫

いよいよ本を読み、日記を書き、みかんの木のつぎ木などして過ごす。

作詞を何点か載せているが、「男だったら一人泣け」は特にいい。武骨で我慢強く、仕事をする男の姿がそこにある。昔の男という感じ。「死んで残るは墓石一つ」は悲しい。

・銀ちゃん、がんばれ。医者、がんばって、銀ちゃんを長生きさせてください。それでも、看護師さんに手相を見てあげたり、博学の銀ちゃんは人気者。本も読んでいる。海峡派の原稿も落とさない。

・ほんとに気丈な銀ちゃん。いよいよのみぐすりの抗ガン剤になったらしい。

これは、銀ちゃんに伝えたくないが、夫のときは、効き目がわからない。そしてなぜか飲み下しが困難になり、やがて飲めなくなる。医者にいうと「では量を減らしましょう」・・・それからまもなく、ホスピス入院をすすめられた。がんばって!最後の最後まで、日記書いてください!



輪廻転生 鶴になる ・・・・・・・・・・・・古濱紘志

高校時代の友人が亡くなった。59年前のことだ。友人の家は、高校に通うバスの窓から広がるミカン山の中腹に立っていた。破天荒だった高校時代、友人の顔、記憶を思い起こしながら、亡き友に「次の世に輪廻し、出来ることならお互いに鶴に転生し、自由に大空を飛び回り・・・」と語る。

・誰にもやってくる老いと死。わかっていても友人の死はいっそう悲しい。だが、そうやって、ずっと会うことのなかった友を、若かった自分を想い出す機会を作ってくれたのかもしれない。

友の訃報で、故郷の風景が、あざやかによみがえる。

・子供の頃の風景をふと思い出す。頭に浮かぶ若い日、幼少の頃。よくわかる

・「ブロンディ」というまんがの、冷蔵庫の中にサンドイッチがあった、アメリカに日本は負けるはずと思った。泡がたくさん出る粉せっけんにも、アメリカのすごさを思った

・アメリカ国民は、日本に原爆を落としたことを知らないか、知っていてもよいことだ(それで戦争が終わった)と思っている人もいる。

・破天荒な自分から見て、ミカン畑の友の家がまぶしかったのだろう


つれづれに ・・・・・・・・・・・・赤坂 夕

幹事として、同窓生で「喜寿を祝う会」をしたときのこと。思えば「すべての価値観が根こそぎ覆され、多くの教師が教壇を去ったのもこの頃」。すさまじい窮乏生活。「何より嬉しかったのは・・・お昼の給食があったこと」「引き上げのどさくさで五才上の姉と生き別れ、次女の私が長女になった為、買い出しから食事の仕度まで本当によく働いたものだ」などなど、当時の状況を想い出している。

・貴重な記録だし、これは誰彼に、そして子どもや孫にと読み継がれることこそ大事だ。語り継がれれば一番よいだろうが、なかなかそうはいかないので、こうして記録として書き残せば、確実に残る。そして読んでもらえる。赤坂夕という一人の女性の過ごした子ども時代を伝える小さな伝記として。

・喜寿の祝いで、同級生150人中 48人の出席とは凄い。戦後70年のふしめが同じ苦労をした友との出会いをうながしたのだろう。たべられる草を求めて歩き回った幼い思い出は、わたしにもある。いまも野歩きをすると、自然に、食べられる草を探している自分に苦笑する。

・書けるなら名前を出したらリアルでよかった

・飢えた時代のこと、書いてほしい

・舞踏家も呼び、豪華な同窓会

海峡派134号 ➁詩・俳句 感想



柿の花 ・・・・・・・・・・・・ 山口淑枝

「居を構えて/裏庭にすぐさま植えた/富有」桃栗三年柿八年というが、「五、六年で/そえは見事な/入日色した実を結んだの/ではなかったか」。その後三十年経ち、庭仕事もきつくなった作者。今年の柿の花は「あそこに二つこっちに三つ四つ」という具合。

柿の花を「小さい小さすぎる/小さくて優しすぎて/人目には触れにくい」と言い、それをなんとなく「自分の詩のことなども/考えたりしている」と繋げていく。


・人目に触れなくても小さすぎてもいいではないか、詩も同じだともとれる。また、自身の詩のことも、庭の富有柿のように細々とでも実をつけていこうというふうにも・・・しっとりとした味わいがあった。

・「君に朝の挨拶をして」ここが1ばんいい。このまま呼び掛け文でいけないか、、、、、


ニオイバンマツリ ・・・・・・・・・・・・ 横山令子

「まるで祭りの花笠のよう」に「日毎に変化して」「びっしりと三色咲いて」いるニオイバンマツリ。初夏の夕ぐれにその香りを浴びると、「からだは甘く 痺れる」という。窓ガラスに映った老女の顔を見て「花失せては面白うない」、「一年に一瞬/おんなの盛り 立ち上がる」とニオイバンマツリの香りから、褪せることのない女性の色気を感じさせる。


・窓ガラスに映った姿を、老女と言いつつも、がっくりくるわけでなく、まだまだ女の盛りよと湧き上がる情念のようなものを見るあたりが、若さの所以だろう。

1連がいい。あとはこの花のイメージの持ち方。私はこの花のにおいを柔艶とか魔力とか

かんじない。ただただ、、、清楚。

・今年2回咲いた

・「おんな の魔術は解けたのか」が効いていていい

・匂いがすべての原点、イエスタデーという別名がいい・・・昔のことを暗示

・とらわれの女というイメージを感じる。何にとらわれているのか、わからないのばミソ。


バナナ ・・・・・・・・・・・・清水啓介

「朝、起き」ると、夫の姿はなく、リビングに妻の葉子あてに「バナナが一本と手紙らしき紙片」があった。「自分は昨夜バナナに」なったという。手紙は「まだ人間であるうち」に書いているのだという。そのバナナの処分は任せる・・・と。葉子は「今度はこういうテで来たんだ」と情けない思いでいる。


・「カフカ・・・かしら?」はないほうが読者に想像させる広がりがあったのでは?

変身譚の詩。ものすごくおもしろかった。こういう詩もあるのだと、今後の作詩のヒントになった。夫の人をくったような手紙、痛快だが、自分の夫だったら、呆れて情けなくてものが言えないだろう。

逃げたがっている男をむんずと捕まえ、自信たっぷりの女。でもその女の悲しみをしっている男は、彼女から逃げられないと、観念している。

・人間は普通に生活しているとき、たまに遠くに行きたい、逃げたい、という心境になる。

・おかしみを感じた。

・ラスト、気持ち出ている。

・男のもだえってなんだろう?



八十八夜の月明り ・・・・・・・・・・・・ 笹田輝子

夫婦と思しきABの会話。フランス焼酎、シャンソン愛の賛歌、月・・・「お・・・月だ カーテンは寸分の動きもなしだ・・・」では、風のない月夜を知らせ「今夜は廊下のカーテン/開けたままでいいぞ」と続く。ラストの「八十八夜の月はABの言葉を/絡ませはじめる」がいい。


・穏やかな日常、ABの仕合せの刻、それこそが幸せの時間。かけがえのないいとおしい時間を人はどれくらい過ごし、どれくらい覚えており、どれくらい思い出すかで幸せ感が違うのかなとも思わせられた。

ABの会話はちっとも絡んでいけないが、絡んでいるという錯覚。



終戦の日 ・・・・・・・・・・・・土田晶子

「戦争が終わったぞ」で始まる詩。兄からの一言。そして「兄の携帯ラジオは/大本営発表を繰り返し/そのことを告げていた」。「助かった/日本国民はと」。生活を根底から脅かしていた戦争の終結に、ホッとした安堵感がよく出ている。


・心に沁みる。どこか高見順を思わせる。

・ハンドバッグくらいのラジオを抱えてきたらしいので、携帯ラジオではなく、単に「ラジオ」か、もしくは「ラジオを抱えて」とすれば、誤解がなくてよかった。

・きっとこうだっただろう。10歳の少女の敗戦。



加計呂麻島にて ・・・・・・・・・・・・さとうゆきの

最初の10行、島尾ミホ「海辺の生と死」から「この人を失いたくない・・・この人を死なせるのはいや・・・戦争はいや」という文を引用。加計呂麻島はミホの住んでいた島。そこが「戦争の最前線となり」/島人のすべてが手段自決を覚悟」したことなどの導入として、効果的に使っている。
「本土防衛の捨て石となった奄美大島の悲劇」「わが国の自衛隊から死者はだしませんという総理の文言」の二行は、ラストに掛かる。

・島尾ミホのことを知り、島尾敏雄を読むことにつながる。ミホの愛の力に気圧される。問いかけで終わり、考えさせる詩

・島尾敏雄の「死の棘」という小説があるが、あれはリアル。言葉を選びながらあれだけのものを書いたのがすごい。

・ラストで今とつないでいる

・ミホの言葉でなく、自分の言葉で詩を。大事な素材だけに、読者に届けてほしい。

・ミホの言葉が作者が一番訴えたいことだとわかるが、10行は大きすぎる。

作者の言葉

・借りた10行の叫び声、今まさに叫びたいので、借りてしまった。ミホは、夫への愛(娘をほおってでも・・・と、後に息子が書いている)をとった。



メンタル系疾患 ・・・・・・・・・・・・若窪美恵

「いつ晴れるともしれぬ 立ち込めた 霧」に僕はいる。その霧は、「待ってくれ/と掴んだはずのきみの腕」の、「手ごたえだけを残し」「湿度を含んで重たく」消えていく。「サヨナラと言ったはずの きみの声も」聞こえないふり。


・霧に閉ざされた不安な生のあり様が書かれているようで、感銘した。

・一人の人間が、もう一人の男、死にたがっている、もうひとりを追いかける

・心の悩み=心が重い=メンタル系疾患

・タイトルがいい。掴む

・僕はもう一人の男? 僕はなんなのか? 自分が誰なのかわからないもどかしさ、とらえどころがない、霧の中という感じが出ている

・二人だけど、一人が言っている。心のありようを書いている

・喪失感、逃避願望

・もう一人の自分、その正体がわからない。遠ざかる人もわからない。一人の人格がすれ違う、生き辛さ。

・タイトル、決めすぎでは?


カラスが嗤う ・・・・・・・・・・・・池田幸子

今朝も電線にとまっているカラスが「人間が笑うように/人間を嗤うように/カハハハハハハ・・・」。

そして「日本人が世界で一番食料を捨てるという」と言い、わが家の冷蔵庫の残り物に思いが及び、後半では「七十年前のあの欠乏・・・」から「あの頃は平和だったか/いまは平和だろうか」と問いかける。


・カラスの嗤いは象徴的だ。人間社会の無駄、贅沢、争いなどを嗤っている。「たろう」という矢島太郎の絵本を想い出し、読み直した。

時琉のままに生きる自分自身を悲しむ

・人間が笑っているみたい

・自分が嘲笑われているみたい

・祖母の生き方、教えられた

・カラスは知能が高い

・「日本人が一番ゴミを捨てる」など観念的なところは除けるほうがいい


悲しみの正体 ・・・・・・・・・・・・いよやよい

「夫が逝ったとき・・・泣かなかった」のに、「夫の車が 業者の手で/車庫から運び出されたとき・・・泣いた」と告白する。タイトルは『悲しみの正体』、つまり、悲しみの正体は、「車につながる過去に/別れを強いられて/これから来る変化に/応じられな」かったと気付く。

確かにそういうことってあると思う。夫に車であちらこちらとドライブした楽しい思い出が、悲しみを誘ったのだろう。「泣いた」という単語が重い。


喪ったもののかけがえのなさを、すなお 逃げたがっている男をむんずと捕まえ、自信たっぷりの女。でもその女の悲しみを

しっている男は、彼女から逃げられないと、観念している。にいわず、強がっている。別れを強いられてと、3連で本音。

・胸が詰まった

・いとしさ、優しさ、美しさを感じる

・夫につながる思いで・・・深い愛、こういうふうに表現したのだと思った

・客観的に書いている

・強がっている女、かけがえのない人と暮らした時を思う


空想 ・・・・・・・・・・・・加村政子

「感覚を研ぎすませて/天空を見上げると・・・受信する相手を求めている」と、最初から広大で宇宙的なイメージを喚起させる。3連、「退化して失ってしまった能力が/消える寸前に爆発炎上し/ようやく理解できる脳に変化する・・・」なども難解だ。しかし、作者には、「愛も憎悪も/形としてわかってしまう」のだという。一種の超能力とも言えそうだが、それを世間では「妄想は幻覚だ」と言いうのだろう。しかし、「大いなる未来を切り開く/希望の種かもしれないのだ」と言い切る。


・完結していて、他社が入る隙がない。だが、そういった空想、妄想、幻覚が緻密で飛躍的な小説を作り出してきたのは間違いない。

感覚をとぎすませて 天空を見上げると の1連と 4連の 見えてしまう恐怖。わたしはみえない。空想という題名に対し、妄想、幻覚、未来、希望と展開するが、3連がもっとも理解不能



俳句


草笛 ・・・・・・・・・・・・笹田輝子 

手をつきて何ぞ言ひたげ夕蛙

蛇の衣昨日の意思を見せてをり

草笛が合図今日から友達に

間を守りて力を込めてほととぎす

薔薇剪って今朝の気持ちを変へてみる



・小さな生き物、草木にまで心を寄せる優しさが感じられる。

・旧仮名遣いは、一段と味わいがあるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海峡派 134号 感想①小説

四十年前の紙芝居 ・・・・・・・・有馬多賀子
喜寿になる和子は「終活」というので納戸の整理中、思わぬ物を見つけた。和子が小学校に勤めているとき、社会科の授業で作らせた6年生自作の紙芝居『Yおばあちゃんの満州脱出』だ。そのほか、ダンボールいっぱいの記録も・・・。昭和49年、吉永文夫を家庭訪問したこことから始まる。文夫の祖母の満州の「十五年戦争」体験を聞き、学校で話してもらうことにした。その話を児童たちに「紙芝居」にさせた。

・絵具は色あせてはいないと書かれてあったが、文章も生き生きと色あせずに、すっと昭和49年当時に戻っている。Yおばあちゃんの話を聞いた児童の質問のやり取りなど、ぐいぐいと物語に引き込ませ、読ませる力があった。また、児童の感想を載せたことで、臨場感あふれ、締まった気がした。

 


Yおばあちゃんから戦争体験をきき、それを紙芝居にすることによって扱い辛かった受け持ちの6年生の子共が、しだいに団結していき、卒業前の発表会では創作劇として演じる。当時の小学校でこんなすごい平和教育を実現された和子先生に敬意を表する。とくに、Yおはあちゃんの表情が場面によって次々と変化し、11pの、ロシアの将校に懇願するシーンなど、すばらしい表現でした。これこそ語り継ぐべき庶民の戦争史と思いますが、作者も憂いているように、いまの教育現場でどれほどの事が出来ているか、、、を考えさせられた。

・よい材料をお持ちだった

・引き上げのことなど貴重

・当時、日本人がいかに平和というものをかみしめようとしたかわかる

・児童の個性がよく出ている

・今の子どもたちに、どんなふうにつながっているか。ロマンがほしい

・自分の子もこういう先生に教えてもらいたかった

・おばあちゃんのシーン(口調・表情)がよく書けている。このYさんを通して語ってくれたのでよかった。

 


あしたは 晴れている 
第一章(五)
・・・・・・・・・・・・ はたけいすけ

いろいろすったもんだした後に、何事もなかったかのように暮らしている養女と養父、その母の丈子、子之八、ワカたちに、小2の正太はわかがわからず、寂しい思いをする。ある日、正太は45人で難波の繁華街に行く。そして万引きをし、警備員に見つかる。特に朝鮮人の金が「お前ら朝鮮人は、子共に万引きするように教育しとるんかぁ・・・」と差別むき出して怒鳴る。だが、金は、だた見ていただけだったのに・・・。

 


・警備員の態度、子之八の激怒、かばう母、濡れ衣きせられた子どもに絶望的なあしたを見る金の母・・・などの大人たちに正太の幼いなりに感情が、理不尽や差別、母の愛などを知り、複雑に揺れ動く。物語の展開がとても歯切れよい。当時の時代背景や状況、人間模様が正太の目を通して描かれていて、とても読みやすい。これからどうなっていくのか、楽しみだ。

・今回は、呼笛がキーポイントになっている。子供相手に威張り散らし、それを大人に見せて、威光を誇示するあたり、とてもうまく書けている。あらわな朝鮮人差別とそれに対処する金の

母親の、やるせない怒り。「若奥さんとうちとどっちがすきなんやねん?」と訊く丈子、そして、子之八、武市、直太   それぞれの様子を正太の目線が語る。ときは支那事変前夜、、とある。

つぎが待ちどうしい。

・その頃の巡査、強かった、差別的。

・書いておかなければいけないことが感じられた

・朝鮮人の扱い(書き方)が気になった

・金少年だけが犯人にしたてあげられるところ、辛かったがリアリティーあった

・過去の日本人にそういうことがあった・・・人権問題についての書き方はどうなのか?

・強いものには弱く、弱いものには強い・・・巡査、権力者

作者の言葉

「自分たちが人間として考えるとき、朝鮮・中国に対して下に思っているのではないか、と思い、当時のことを屑買いの隣人に聞いて書いた」


街(三)・・・・・・・・・・・那津瑠々
中島という女性が経営している店で話す。コーヒーはとても味わい深いが、中島自身は仕事に対して甘さが見える。そういうところが文代と似ている感じがした。一方、久美子は仕事でもなんでも情報を収集し、きめ細やかに計画し、実行している。中島から久美子の自殺の原因を尋ねられるが、自殺したことさえ知らなかった。周囲からは仲がよかったと思われているのに・・・突き放された感じがした。

・親友といっても、何も知らなかったことを順を追って探り出そうとしている。それは文代の青春時代の過ごし方にもかかわること。久美子を知ることをどれほど追及できるか、今後の展開が楽しみ。

・自殺した久美子と親友だった文代。文代はでも、彼女との希薄なつながりを、かなしむ。

・秋の空気を飲む。すこんとした味わい。独特の完成。


もったいない ・・・・・・・・・・・・ 伊藤幸雄

ケチ野と呼ばれている男性のケチぶりといったら見事というよりない。40過ぎまで独身。なぜなら、家族が増えれば生活費がよけいにかかるから。そのケチ野が美人女性と結婚。もちろん、ケチはかわらず・・・。同僚の私はちょこちょこケチ野の家に、焼き鳥や餃子などを買って寄っていた。そのケチ野が、莫大な資産を残してあっけなく死亡。美人の奥さんはもったいないので、私が結婚した。

・一番ケチだったのは私というオチ。一番いい思いをしている。ケチ野は性分とはいえ、ケチケチして莫大な資産と美人妻を残し、かわいそうな人生だと思った。やはり、人生楽しまねば・・・

・ケチ野さんのあっけない死。首尾よくあとがまにはいれた私。親切はするものですね。

・ケチ野、ケチが性分、我慢したわけじゃないので、これで案外幸せだった?

作者の言葉

「実際にこういう人が会社にいた。老後の資金をためていたようだが、老後を迎えずして死んだ」

 


蹲いの水と野良猫 ・・・・・・・・・・・・都満州美

夫が亡くなり、晶子も七十歳半ば。家の庭にある蹲いにやってくるようになった二匹の野良猫のことを、つぶさに観察するのが日課となった。水を飲みにくるのだ。日々、見ていればしだいにかわいくなってくるが、餌は勘弁してと思う。「蹲いの水はたらふく飲ましてあげるから」と心でつぶやきながら、蹲いをきれいにし、水を入れ替える。そのうちに一匹になった。

・猫に対する晶子のまなざしは優しい。自分の貴重で幸せな読書の時間に、さらに、野良猫たちが彩を添えてくれている。豊かな時間と言える。晶子が自分は猫が好きなのだろうと思い当たるところが、なかなか楽しい。風や、猫の動き、牛蛙の声など、家の巡りの自然なども随所にさりげなく描かれていて、美しい文章になっている。

・枯葉の掃除ではじまる小説なので、最初、季節がよめずとまどったが、つつじの花が

咲いているから春なんだとおもう。野良猫のしぐさを観察し、克明に書いていく。じっと見つめられた晶子峨幸福な気分になる,、とまで野良猫にいれこんでいく。見張られ、見張り返す晶子の日常。

・毎日水を変えていたら、小鳥が来、猫が来、犬が来た。

P121の上段、小鳥が2羽死んでいた・・・同じことがあった、思い出す

P120 2行目、やしなってみたい→飼ってみたい

P121 夜になると毎年→毎年夜になると

 


メダル・ソリジャーズ ・・・・・・・・・大空裕子
2020年。メタリックモンスターという生物群が現れ、その研究施設の学園での小さなドラマを描くファンタジー。私(礼佳)は、ブレスレットとメダルを手に入れ、メダル・ソルジャーズの一員になった。戦闘員として、敵のモンスターと自分のモンスターとを戦わせ、手に入れるのだ。 


・学園ものとして、もう少し長い物語だと、登場人物たちの個性(キャラ設定はできているのだろうが)が十分に発揮できたのでは、と少し残念だ。

・今からの人、書き続けることでどんどん上達していってほしい。

倉成礼佳という名前の私・メタリックモンスター・ブラックコンドル・和雪・レッドドラゴンブロンザナイト・メタモン・イグアナのメタモン・タートルのメタモン・魔女のカリントン・

ユカナイト・カルサイト・クワガタムシのメタモン3匹・ウルフのメタモン・メタルソルジャーズの反場幸一・永峰亮太・学園長の高須先生。これは2020年の春のこと。しかもこの生物群は

それより2年前に発見せれている。ということは、今から3年後のことかー。

 


苦節川(七) ・・・・・・・・・・・・山之内一次

田舎に疎開すれば、食べ物の不自由はないものと思っていたが、妹由紀や弟辰夫に辛い思いをさせることになった。彼らを残して、浩一は川崎の下宿先に帰った。東京の大空襲勃発。「東京の空は一面真っ赤に燃え上がり、のしかかるように・・・逃げ惑う人々の阿鼻叫喚が・・・」・・・世話になっている祖母の家は都心から離れていたが、「浩一もてっきりこれが最後かと思った」。下宿先はみじめなもので、物音もひどく、何より、留守中、父の愛用の黒のオーバーがなくなっていたことで、部屋を引き払うことにした。

 


・田舎にいてさえ、戦争の余波をくらう。食べ物も困窮し、親は子を心配し、上の子どもは弟、妹など下の子を心配する。アニメ『ほたるの墓』を想い出す。

・浩一のがんばりが伝わってくる。一生懸命に正直に生きる姿がいい。悲惨な物語であるが、読んでいて、浩一の姿には救われる思いがする。

・東京空襲のあおりを食って、亀井戸あたりというからずいぶん田舎なのにB29の襲来に遭遇する。130pの描写がなんのかざりもなく、たんたんと書かれているが、かえってリアリティがあって、浩一の恐怖感はいかばかりのものだったか。

 


一瞬 ・・・・・・・・・・・・犬童架津代

理佐は、「鬱陶しい日は納屋の片づけをしなさい」という新聞の広告欄を見て、物置を片付けることに。クレゾールやグリセリンなど薬のビンをみつけ、医師であった義父のことや、火事にあったこと、義母が火事の犠牲になったこと、一年後に病院を再開したことなど、いろいろ思い出す。その義父もなくなって15年。長いと思っていたことも、過ごしているうち、振り返れば一瞬に感じることだろうと理佐は思った。

・いろいろな場面でひとは一瞬を感じるが、すべて人生は一瞬である。(134P)といわれるともうなにもいえなくなる。最後に人生を花火にたとえるのは陳腐すぎないか。夫、猛、主人と、1文のなかで3回も変わるのはよくない。

・過ぎてしまえば色々なこともあっという間、それでもきちんと生きていくという理佐の決意はよかった。夫との関係も時間が解決してくれることもあったのだろう。それが年月の力のような気がした。

 


ラスト・ストラグル 
第一部 6~11
・・・・・・・・・・・・坂本梧朗

職場の健康診断で糖尿病判定が出たため、カーツンは禁酒をすることにした。2年のスポクラの試験監督でカーツンは、カンニングとも疑われるような行為をしている生徒を見つける。また、答案を返すときに答えを書き換えて点数を上げてくれという生徒に、コピーをとっていたので「答えを書き変えとるやないか」と問題にするのだが、結局、副校長などが出てきてうやむやにされた。コピーをとったことが、生徒を信頼していないというので批判の対象になるというのだ。

一方、ワラシは舌の力も衰え、自力で食べられず、紙オムツもしないといけないようになった。便が出なくなり、手袋を付け、便を取り出すのが日課になった。カーツンとムーサンは、そうやってワラシのために努力し、ワラシが気持ちよさそうにしたり、うまく食べてくれると嬉しいし、次第に体が麻痺していくのを見るのはとても辛いことだった。

・私立高校の国語教師のカーツンの職場での苛立ち、生徒との疲弊するやりとりと、ワラシという老犬を妻のムーサンと介護し、一喜一憂する二つの物語の進行で進めていっている。とてもよくわかり、とくにワラシの弱っていく姿には心が痛む。

・カーツンはほんとにふつーのなさけないほど健康に注意しながらくらす庶民です。素直で純情です。第1部、6 では、それがよくわかる。7・8  では、こんどは勤め先での不愉快な事件だ。どうしてもこうしても、上からも下からも、不利な面白くない結果が返ってくる。9 は管理体制について、、、おたがいに監視しあう最悪な情況。10 では、これらのストレスから来る心臓の異常。医者とのやりとりが細かく書かれていて、カーツンのなげきがみにつまされる。11 ワラシのこと。弱っていくワラシをかなしむカーツン、カーツンはかなしんだ。カーツンは考えた。

カーツンは思った。カーツンはカーツンを悲しませた。カーツンには寂しいことだった。このぶきような、中学生の作文のような、率直な表現が緊迫感を持たせている。だんだんのめりこむ。ワラシ死ぬな。

・カタカナが多く目立つ。

・全体としての苦悩がわかる

・作者のテーマ、それぞれ登場人物の意志を関係づけていく

・生徒のカンニング事件、うやむやにする学校側、教育の歪みにカーツンが疲弊していく様がよく出ている

・ワラシの介護に一喜一憂するカーツンとムーサンがよく書かれている。

 


再見 ・・・・・・・・・・・・木村和彦

理屈ばかりの夫がガンになった。妻はおっとに女でもいるのではないかと怪しんでいたが、

2人一緒に病院で医者に宣告されると、それどころではなくなった。そしてなんと妻が狭心症で

たおれる。臨死体験のようなものをしてしまった妻は、あの世で待ってるとつぶやく。

・文章に破たんがなくとても読みやすい。

・夫がガンで手術、そして妻も狭心症で倒れるなど、人生どうなるかわからないものだ。

作者の言葉

「サイケンと読めば『また会いましょう』、中国語読みにしてツアイチェンと読むと、『もう会えませんサヨナラ』となるそうです」




土田晶子 第八回福岡県先達詩人

「海峡派」土田晶子が、第八回福岡県先達詩人に顕彰されました。


福岡県詩人協会 総会・受賞式・懇親会

七月十二日(日)に、福岡市、西鉄イン福岡で開催された福岡県詩人協会総会・受賞式・懇親会「海峡派」から池田幸子犬童架津代さとうゆきの土田恵子若窪美恵名が出席しました。土田晶子は体調不良のため欠席、代理を土田恵子が務めました。

文学散歩 星野村 6月18日

文学散歩 
「星野村を訪ねてー山本源太さんに聞く〈丸山豊〉像」

6月18日(木)に、海峡派 参加者14名で、文学散歩に行きました。

〈文学散歩内容〉
●食事 池の山荘  八女市 星野村

●池を見学後、源太窯&源太さんによる丸山豊展

詩人・陶芸家の山本源太さんに、詩人丸山豊氏について語っていただきました。

源太さんは、一部屋を〈丸山豊展〉に設えてくださり、また、星野のおいしいお茶とお茶菓子も用意してくださりました。
源太さん、ありがとうございました。

なお、この文学散歩のレポートは、134号に詳しく記されます。

「週刊読書人」第3092号

「週刊読書人」第3092号(2015年06月05日)「文芸同人誌評」に、白川正芳氏筆により、池田幸子「海峡派と私と膠原病」 ( 「海峡派」132号)が紹介されました。

「読売新聞」6月13日

「読売新聞」2015年06月13日(土)「季評-小説」松本常彦筆―名曲の世界観そのままに―に、坂本梧朗「ラスト・ストラグル」「海峡派」第133号)が紹介されました。

海峡派133号 俳句・随想・評論・レポート感想

俳句

今朝の春・・・・・・・・・・・・笹田輝子

どちらからともなく握手今朝の春

書初のまごころと書く気の抜けず
八重一重灘風揺らす野水仙
避難先より参拝てふ今朝の春
雨女とされて探梅行ならず


花菫


朝の空真珠のような雪連れて

寒夕焼け一瞬そっぽ向く鴉

色白に引き立てられて春著かな

九十の髪に差したし花菫

白足袋の殊に目に沁む能の舞

随想

わが家のゆく年くる年 ・・・・・・さとうゆきの


正月のあり方、その家の主人が生きていたときと、亡くなってからの・・・同じように変わりなく続けようとする作者。

それをやはりそうあることこそ当たり前として受け入れる、息子の家族。

あたたかく通い合うものが伝わってきます。変わっていくことのやむを得なさの中で、変わらないことを続けようとすることの大変さと大切さ。

でも、大切さが勝つのです。家族だから。本当にあったかい家族のありようが手に取るように思い浮かぶ。

佐藤家の賑やかな年越しに備えて、エネルギッシュな働き。何
事につけても、好奇心から出発し背景を考慮し、万全を期す。そして端的に愉快に表現される佐藤節。

銀次郎の日記 ―読書― 死の不安からの逃避
             ・・・・・・・・・・ 青江由紀夫

     1. カントもプルーストも役に立たな
2.同級生も死ぬ

           3.  回想・同級生たち
4. 囲碁の勝負に逃避
5.  国政選挙
6. 八回目の入院二泊三日
7. 必ず死ぬ、寿命という天命に服従


相変わらず、読書家で、その種類も多岐にわたるが、やはり、『それでもがん治療をつづけますか』『死を見つめて生きる』『死の淵より』など、死を見つめる作品が多くなってきている。作者の心境なのだろうが、切ない。

医者にがんばってもらうほかないが、海峡派の仲間、文学仲間はみな、銀ちゃんの体を心配し、祈り、
応援している。


蘇った瞳 ・・・・・・・・・・・・・・  赤坂 夕


白内障の手術を受けた作者が。局所麻酔のため意識があったので、手術の様子がありありと描かれている。

ふだん見ることのできない手術の様子を患者の心の目を通してうかがい知ることができた。貴重な体験だったが、術後、視界が開け、すべてが明るくなったような作者の晴れ晴れした気持ちがよく出ている。


とてもいいエッセーだ。簡潔なタッチで、冷静に手術を受ける様子を細かく書いてあり、術後の喜びが伝わってくる。私も迷わず行こうと云う気になってくる。


評論

日本よどこへ行く(七)・・・・・・  木村和彦


これまで書いてきた論をまとめている。日本、日本人についての結論は、「日本人に論理性を」という内容に帰結すると作者はいう。


・日本人は感情的になりやすい。議論するなという風潮。会議をするといっても、そこで決めるのではなく、水面下で根回しができている。

・議論すると嫌われる。根に持つ。

・「日本人論」がたくさん書かれ、たくさん売れる。


レポート

四十年の歴史を引き継いで新しい船出だ!
                   ・・・・・  有馬多賀子


海峡派40周年祝賀会の様子をレポート。

文学仲間のお客様、後藤みな子氏、深田俊祐氏、八田昂氏、中尾三郎氏、下山八州夫氏がご出席くださった。それぞれのお祝いの言葉や、海峡派に対する思いを丁寧にまとめている。また、いよやよい詩集「彼岸と此岸」の出版記念会も兼ねていたため、詩集の感想にも触れている。


・レポートを読めば、その場の情景がありありと思い浮かぶ。

 

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