「海峡派」139号 詩・短歌・俳句


れんじふーど・だいぶ ・・・・・・・・・ さとうゆきの
タイトルも詩もすべてひらがな。「あるふゆのあさ/みんながいくので ついていった」のだが、「おされて/てつのはねのすきまから おちた」「にげなくては」「もどっておいで/なかまが ないている」何が?ヒントは「はねをばたばた ちゅんちゅん」。ここで、スズメだとわかる。一時間後、「にんげんのてが にょきっと でてきて」「にんげんのてと てつのあみのすきまは/ぼくの いきしに を さゆうする/〈かつろ〉というものではなかろうか」と理解する。最後は無事に「なかまのところに もどっていった」

・主人公はぼく。ぼくはスズメ。れんじふーどにだいぶしてしまった。スズメがこわがっている様子が、よく出ている。ひらがなの効果。外の寒さと、「にんげんのいえのなか」の温かさの対比は、この場合、そのままにんげんの優しさにつながっている。
・レンジフード(換気扇)に小鳥が入って来たことを詩にした。面白み。
・小さい出来事でも、鳥にとっては大きな出来事。 ・鳥だったら〈かつろ〉を感じたら書かないだろう
・ドキッとした、ひらがなばかりだから、一見簡単そうに見えるのだが・・・ ・真ん中で主人公が何かわかる 《作者の言葉》 去年までレンジフードの下に気があったが、その木を切ったので、レンジフードからいろいろ入ってくる。

83歳Now ・・・・・・・・ 高崎綏子
なんとも若々しいタイトル。「電波障害で」「司令塔から/指示が届かないので」という出だしからよくわからない。テレビなのか、ラジオなのか。駅前の幹線道路の陥没は、博多で起きたあれだろう。苦江巣氏はクエスチョンのことのようだ。3連目では、司令塔復活。ラストは「わたし/今」「物干竿にぶらさがっている」とある。

・一行に多用する/の意味するものは何? →視覚的に面白いと思った
・/は目で見ての効果 ・陥没事故のことを書いているが、メタファ
・苦江巣氏というのは、クエスチョンのこと。物干し竿にぶら下がっているというのは、クエスチョンマーク ?がフックの形になっていて、ひっかかっている様子を描いているのでは?
《本人談》 まだらぼけのことを書いている。電波障害とは脳のこと。これからは詩を書いていく。

旅行記 ・・・・・・・・・・ 清水啓介
就寝前のいつもの儀式。「目を閉じて、自身の意識の内側を覗」く。古びた階段を降りてみると、扉があり、開けると「そこは裸電球の灯った一畳ばかりの和室」。その鏡に「戸惑った中年男の顔が映っている」のだが、何かおかしい。俺だが、よくよく見ると、木偶人形だ。「意識という現象さへも、実は幻影に過ぎないのかもしれない」と思う。

・自分を探し、その探し当てた自分さえも自分でないと疑う。意識も例外でなく、自分の意識だとおもっているのも、やはり幻影にすぎないのでは?と考える。入れ子式の箱を次々と開けては「違う」と落胆しているよう。いつ作者は自分にたどり着くのだろうか。
・どこかで読んだような詩(作品)
・起きたことに対する判断 ・タイトルが面白い ・村上春樹が自分の意識の内側の地下1F、地下2Fまで下りて行くと言っている。もっと下りてほしかった。
・幻想感を説明しないでいいのかも。
・行間があるので、一行に長く書かなくてもいいのでは?

水自慢 ・・・・・・・・・ 山口淑枝
「水が美味しい。/有り難いねえ。」とは、東南アジアの旅から帰った時のセリフ。さらに、蛇口から水を出し、「日本の・・・水は」と連れ合いが言ったら、「これ北九州の・・・水よね」と私が言って、「にこにこする」。

・海外に行くと、日本のよさがわかるが、ことに水に関しては、日本ほど安心して飲める国はないのでは・・・
・確かに、言われてみれば、日本のように蛇口から出る生水を飲める国は数少ない。
・誰にともなく、自慢げになる。水は体を作る。水なしでは生きられない。本当にありがたいことだと思う。足りすぎて忘れているだけだ。そのことに気づかされる。
・ありがたい・・・と改めて思ってみると、ありがたいのは水だけではないと気づく。

母よ ・・・・・・・・・・・・・ 波多野保延
「九十六年を生きた証が/神は無情な試練を与えている」という。苦労した母が人生の最後にまだ試練があるという。「骨と皮の四肢に/何本もの管が垂れ下がる」ので、見ている方も辛い。そして「十日後遺ろうの決断をした」という。口で食べられないというのは、見ていてなんとも言えない気持ちになるもの。そんな母に好きだった日舞のレコードを聴かせる。

・96歳の母親の看取りをする やつれ果てた母の「生」を神の無情な試練ととらえる作者だが、母が踊ったことがある「柳の雨」のレコードを聞かせ、顔の反応にこころを動かされる作者でもある。この揺れ動く心情を詩にされている。俳句もされ、短歌もされる作者だが、これは詩を選ばれた。
・母を思う気持ちはいくつになっても変わらない。生きていてほしいと願う気持ちも。
・最後にレコードを聴いてかすかに顔に反応があったというのは、ほっとした。
・短歌には、斎藤茂吉の「赤光」がある。波多野さんは当然、意識されただろう。

友は逝く ・・・・・・・・ 横山令子
彼女と私の距離感を「そうだ 友と呼ぼう」。友は「大切そうにいつも箱を抱えていた」「友からの電話は古本屋の匂いにも似て/束の間 時計の針は戻った」・・・友と作者との距離感、そして同じ時代を過ごした日々が感じられる。ラストは「電話も住所も消したけれど/マタ向コウデ会イマショウ サヨウナラ」と、消した後のことはカタカナで表現。

・カタカナ表記の事務的な感じが、なんとなく無機質で終わりの寂しさを捉えている気がする。 ・加村さんの追悼詩だと思った。
・友との別れはとてもつらいもの ・追悼とはいえ、よい詩
・箱はメタファ ・ヒリッと肌がつるという感性がいい。

しあわせ時間 ・・・・・・・ 赤坂 夕
「釣川土堤に/つくしがはえて・・・こがもが十二羽・・・」私は聞く。声に出してか、心の中でか、「何をしてるの/藻を食べてるの」と。そして思う。「きみたち・・・自給自足で/自立していて カッコイイ」と。 自然に恵まれている家の周辺を散歩でもしながら、作者はいろいろと考える。たとえば小鴨を見た時。誰から養われているわけでもなく、自分でエサを取り、生きている。そういうことにもふと思い当たり、えらいなあと感想を持つ。

・素直に詩にできる人。感動こそが詩の原点かと思う。そして、その気づきに、幸せ時間と思っている。しあわせは身近にあるものだと改めて考えさせられる。
・自分の今の辛さを釣川の小鴨に思いを寄せている。 ・車から川面を見たりするのが、なぐさめ
・表記の仕方を工夫している
・ラストの「カッコイイ」の言葉を使わずにカッコよさを伝えることが大事
・小鴨のかわいらしさや、歌いたくなるような、浮かんでいるようなレイアウトになっている。

カティア逝く ・・・・・・・・ 坂本梧朗
26行にわたる第一連。その最後は「君の去り際に/立ち会えたことを/よかったと思い/また不思議にも思った」と締めくくる。カティアの最後を看取ったのだ。二連目はカティアの思い出。「寒い夜中に抱いて出て/大小便をさせた/雨の日には傘の中に君を置いた」など、そこここに君の思い出を探す。ラストもそう。「家のあちこちに/君の思い出がある」という。

・ワラシの子ども、カティア。苦労もさせられたが、家族なのでその死はつらいはず。作者はまた、犬と暮らすことがあるのだろうか。
・ペットは子供のようなもの。亡くしたら悲しい。
・先に誰かをわからせたほうがいい。→せっぱつまった状態が出ている
・愛したものに対する看取りが、愛情こめて書かれている
・ペットロス

短歌
十戒 ・・・・・・・・・・ 波多野保延
冬となり梢の枯葉旅にでて時雨に濡るるは蓑虫ばかり
リラ冷えの未還の四島遠く見て若布刈りとる手こぎの舟は
いい味と妻をほめあげ筑前煮にそっと好みのみりん加うる
岬なる水仙の香を分けて来る沖より届く原発の波
我れの行く遍路の旅に来し妻か札所の道を車椅子押す
天草の「五足の靴」の旅終えてクルスの見ゆる窓辺の聖書
有明けの干満の差は六メートル露天風呂より夕日を掬う
カルデラの盆地に色づく麦の穂は風と余震にさ迷いゆれる
大仏の背より広がる片瀬浜晩夏の昼を江ノ電軋しむ
「十戒」の海割るシーン幾度か新宿コマはわれの青春

・蓑虫ばかり、手こぎの舟は・・・寂しさが出ている。
・いい味と妻をほめあげ、われの行く遍路の旅・・・妻を思い、感謝する作者の気持ちが出ているほのぼのとした歌。
・原発の波・・・水仙の香を分けて届くというその対比がどきっとさせる。
・江ノ電、タイトルになっている「十戒」の海割る・・・青春時代を東京で過ごしたのだろう作者の懐かしむ気持ちが表れている。
・旅行記が多く、行った場所の印象で、一番のものをずばりと。


俳句
海軍カレー ・・・・・・・・・・・ 波多野保延
冬の蝶排卵の日に舞い上る
共謀法一夜で通過春の雷(らい)
モナリザの笑みに嫉妬青葉風
皐月闇寺山修司の性(さが)匂う
六本に性を操る鵜飼かな
けん玉の地球一周テロ炎暑
蟷螂のなほ嚙み砕く生殖器
発艦の湾はぐんにゃり油照り
老婆にも化粧の権利天花粉
湘南に海軍カレー夏の果て

・俳句は、時代背景を伴って、言葉選びも鋭い。
・共謀法、テロ、発艦、海軍カレー ・・・・ 戦争を憂い平和を願う思い
・鵜飼、蟷螂、冬の蝶 ・・・ 性のまばゆさ、あるいは生きること

「海峡派」139号 ①小説

「海峡派」139号 
合評会での感想を目次の順に少しずつ更新していきます。

泰子、河内に吹く風のように ・・・・
若窪美恵

桜や藤の頃、また山登りやキャンプ、サイクリングにと、にぎわいを見せている河内貯水池。そのダムは、全体が石積みでできており、西洋のお城を思わせる美しさで、大正八年に着工されてから完成するまで、おおかた十年をも要した。設計は、沼田尚徳・・・これは、尚徳の妻・泰子にふりかかる悲しくも美しい夫と子どもを想う物語。八幡東区には、製鉄・石炭に関連する様々な近代化産業をけん引してきた歴史的建造物がある。それは地域の発展の軌跡を浮き彫りにし、当時の暮らしや文化を後世に伝える貴重な証でもある。

 

・太字のメモリアルの文や、(男1)(男2)など、必要かどうかわからないが、凝っているし、冒険したなと思う。

・亡くなった泰子の語りで進む。

・いい題材を見つけた。人柱という怖い表現も、うまく取り込んでいる。

・ドラマに使える構成。臨場感があった。

・ダム建設を巡っての作、すでにこの世にはいない妻泰子の視点から、その経過を語られているところが、立体的で、新鮮だった。内容もダム造りという珍しいもので、興味深かった。

・とてもよかった。いいシナリオになっている。

・たしかに製鉄所というものはドイツその他の欧米の技術のほとんど並行輸入かもしれないが、ダムというその為には絶対不可欠な存在などは自前で、自腹ですべて成したはず。

・人柱。なんと重い、痛々しい言葉だろう。場面的には「父の死、娘の死、、、、こうしてお天道様がのぼっていて、、、、、、やはり、父たちはここにいるかもしれないなぁと思え、とても神聖な気持ちになりました」(p11)が素晴らしい。

・この小説は骨格がしっかりしていて、健全、明晰なのでとても読みやすく、好感が持てる。

 

楠木の下を通る日に ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田原明子

激しい頭痛に襲われ、気付くと息子の太郎や孫の翔太など皆がわたしの周りに集まっている。体は動かない。どうやらあの世へいきそこねて、魂だけが離れてしまったようだ。施設から引き取って育てていた美希も来た。美希はわたしとは母が違う妹の子どもだ。妹は美希が生まれるとすぐに死んだ。その後、20歳離れた男性と結婚し、太郎が生まれた。美希は太郎をとてもかわいがり、知らず知らずにお手伝いさんのように使っていた。高校卒業時に美希は二千万円貸してくれと言って出て行った。病室で、美希と太郎は二人で話す。美希は苦労して医者になり、借りた二千万の中から、元の自分が育った家を買い診療所にした。それぞれの思いの行き違いを二人の会話で明らかにした。

 

・すべてはそおれぞれが相手を思いやってのこと。人の思いはなかなか伝わらないもの。それぞれが勝手に思いめぐらす。そういったことを立場を変えずに、うまく魂が離れたとするわたしも入れて3人の気持ちを繋げたいい作品だと思う。

・今、作者は死後の世界に興味があるのかもしれない。

・まだ若いのによくこのようなものを書けると感心した。

・女性の心理がよく出ている。

・エッセイの臨死体験が、2年後、この小説に生まれ変わったよう。

・口がきけない人の立場から書いている。

・現代版おとぎ話と思う。悪人がいない。感情の行き違いで悪人に見えただけ。

・人は亡くなる前、耳だけは聞こえるらしい。うまく取り入れている。

・二千万円は額が大きすぎるのでは?

〈作者の言葉〉

昔書いたものを掘り起こして、直して書いた。テーマは「自由に生きられるように」

 

五時の女 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 有馬 多賀子

平田先生は、保育園の迎えがあるから5時で帰る。それを快く思わない女性教師もいる。三井弥生は、小学校1年生の担任、幸いなことに近くに住む母親に子どもをみてもらっている。そんなとき、母が脳梗塞で倒れた。だが、弥生は、おいそれとやすめない。母の知り合いの足立夫人に子どもをみてもらうことに。なにがしゃくにさわるかといえば、他人事みたいな夫の態度。結局じぶんにふりかかる火の子は全力でふりはらわねばと、弥生も五時の女になることに。

 

・昔と違い、今はイクメンがもてはやされているようだが、現実はなかなか厳しい。夫の仕事の都合にもよるだろう。いつの世も、やはり女性が子育ての中心になる。仕事をもっていたら、本当に大変だ。弥生のように、周りの協力を得るのが一番だろう。

・仕事をしながら子育てをがんばっている女性への応援小説。

・あの子育て戦争と呼ぼうか、女性が自立して生きていくために、子どもはしばしばじゃまものとしてたちはだかる。夫も女の自立をはばむ。いとしい者たちがなぜ!その時代を生きたものとしてこころから共感。弥生はかしこくきりぬける。同僚の苦境も理解する人に成長していく。えらい。

 

落とし穴 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 都 満州美

PCのトラブルの体験談を、微に入り細に入って書かれている。パソコンで書いた文章が操作ミスで消えたこと、誤作動を起こすようになったこと、初期化したこと、マウスの老朽化、XPのセキュリティーが終わったこと、インターネットがつながらなくなったこと、いきなり10にアップデートしてきたこと・・・それからの故障とサポートとのやり取りを細かく追って描いている。

 

・克明に書いてある。仕事をしていれば、PCトラブルなどは詳しい人が必ずいるから、自分で対処することはないが、わからないと大変なことだ。

・結果がどうなったか、知りたい。今、ちゃんと使っているのかどうか・・・

・サポートの人も、いろいろいて、結局は人柄なのかなと思った。いい人に当たるかどうか、ずいぶん違う。

・どれもがPCに非常に詳しい人なら苦笑するような内容だろうが、どれもこれも多少の差こそあれ、思い当たるふしがある私には、身につまされる。他人事ではない。逆に、PCを使わない人には、何のことやらわからないだろう。ともかく、大変でしたね。

〈作者のことば〉

トラブルは怖いけど、今はネットで英語の動画ニュースを見ています。

 

父の贈り物 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 若杉 妙

淳子ばあばが、孫に昔語りをする。・・・昭和二十五年頃のこと。淳子の父武雄は右足が義足で、松葉杖をついている。母芙美子と淳子はリヤカーに下駄の歯替えをする道具をつんで、行商に行く。頼まれた下駄を武雄が修理するのだ。その父のことで一番印象に残っている思い出は、淳子の結婚式の前日のこと。武雄は、黒地に表面には牡丹の花があしらっている中歯下駄を挿げていた。その中歯下駄を、明日は雨が降るに違いないから、これを履いて嫁に行けと渡してくれた。五十年過ぎても、淳子の宝物である。

 

・花嫁を作り、家から出ていく・・・当時の様子がありありと思い出された。今はなき、風景だろう。

・花嫁を見るため、近所の人たちがやってくる。子供たちは花嫁の後ろをぞろぞろとついてくる。そんな懐かしい風景を再現させてくれた。

・淳子ばあばが孫に語るのは、とてもいいことだと思う。幸せな光景。

・最初のほうに出てくる餃子、作り方どうりに作って食べてみた。シイタケを入れたら、食感がよくおいしかった。

 

関東文芸同人誌交流会の掲示板より

関東文芸同人誌交流会の掲示板に、根保孝栄・石塚邦男さんより、「海峡派」139号の丁寧な批評をいただきました。ありがとうございました。
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  http://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs
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抜粋します

「海峡派」139号(北九州市) 木村和彦「銀次郎の日記」で有名だった青江由紀夫氏の追悼文の惜別の情  投稿者:根保孝栄・石塚邦男  

 ・引き続き139号の感想。編集後記で詩人の大岡信さんがなくなったことに触れている。大岡さんの息子さんの大岡玲さんは、イタリア文学の専門家で、芥川賞作家。たまたま、私が所属している苫小牧の読書会で、連休明けに大岡玲さんの小説「黄昏のストーム・シーディング」を取り上げて読後感を話し合うことにしているので、奇遇な気がする。大岡信さんは、朝日新聞で長く折々の歌を連載していたので、古い人は歌人の間でも有名だ。 三十年ほど前に、札幌の詩人の集まりにたまたま来道した大岡さんの謦咳に接する機会を得たことがあった。詩だけではなく歌にも造詣深い方であった。

若窪美恵「泰子、河内に吹く風のように」は、あの世に居る沼田泰子が、夫が自分のために建ててくれた五言絶句の詩を記した記念碑に対して夫の真心に感激、夫とのなれそめからその後の一生を回顧するという設定の小説。明治十九年に八幡製鉄の建設計画が浮上、地元の八幡村の土木部長だった夫の沼田が製鉄に必要な大量の水を確保するためダムを建設、河内浄水場の完成にこぎつけることに成功するのだが、住民との間で摩擦が生じて苦労した次第を、あの世の妻の立場から語るという構成になっている力作短編。

田原明子「楠木の下を通る日に・・」は、突然の頭痛に見舞われ意識を失った老婦人の私から、枕元に集まった家族の様子を幽冥界から見下ろす・・という構成。周りの愚痴や溜息、残った者への冥界からの労り・・作品が読む者を惹きつけるのは、そんな場面がいずれ訪れることを感じている年配者であろう。

有馬多賀子「五時の女」は、残業で遅くまで帰れないのが日常になっている職員室なのに、夕方の五時に帰る教師がいた。それは・・・というような教職現場の話。学校のこと、町内会のこと、育児のことなどをからめて、女性の職場の課題を考えさせる作品。

都満州美「落とし穴」は、パソコン、インターネットの問題点、便利さがあるかわりに機種やセッティングの違いによって不便もある、というような今日的な課題を小説にした新しさは買える。

若杉妙「父の贈り物」は、中心街で四十年スナックバーをやっている淳子が、八幡製鉄の社宅時代を思い出して語る・・という内容。

・詩作品は、さとうゆきの「れんじふーど・だいぶ」が、レンジフドに乗った側からの目線で童詩的に語る構成。高橋糸子「83歳nou」の諧謔時代批評詩は愉快だ。波多野保延「母よ」は、96年散々苦労してきた母が、今病床にある。その母への感謝と労りの詩。

木村和彦「青江由紀夫同人を悼む」は、「銀次郎の日記」の連載で有名な青江由紀夫さんが亡くなり、追悼の文。この青江さんは、私の大学の学部も一緒の同級生だが、大学院で経営学の学位を取った方と記憶している。北海道の「山音文学」にも「銀次郎の日記」を十数年連載していた。函館大学の学長で定年になり、その後東京の団体役員をしてこれを辞し千葉の自宅で読書三昧を楽しんでいた人物。ネットもワープロもやらないので、原稿用紙に直接書き込むやりかたで押し通した方で、私も十年前まで「山音文学」の編集部の一員として生原稿のタイプ打ちを数年手伝ったことがあった。合掌・・・。

関東文芸同人誌交流会の掲示板より

関東文芸同人誌交流会の掲示板に、根保孝栄・石塚邦男さんより、「海峡派」138号の丁寧な批評をいただきました。ありがとうございました。
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  http://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs
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抜粋します

「海峡派」138号(北九州市) しみじみした読後感は都満州美「逃避行」  投稿者:根保孝栄・石塚邦男  
 
・遅れましたが、読後感を。
川下哲男「川筋少年」上の作品は、1958年、小学校三年生になった本田正吾が主人公。その目線から炭鉱町に住む一家の模様が語られる。家族は六人、三十代前半の父母と母方の祖母、幼い弟二人の合計六人が木造平屋の二軒長屋に住んでいる。酒が回ると炭坑節を歌う大人たち。線路沿いに水路があり、池がある。川上には滝がある自然に恵まれた町。学校生活、子供たちの遊び。そのような昔懐かしい日本の炭鉱町の風情を細やかに描く。

若窪美恵「まいど。鰻屋です」は、大学で文学部を専攻した太った若者が鰻の養殖場に見習いとして勤めることになり、日々奮闘するという珍しい職場の話。

有馬多賀子「おもちゃのヘビ」は、新しく赴任した女性教師が、難しい年頃の六年生の担任になって奮闘する話。

都満州美「逃避行」は、佳作である。両親と暮らしていた兄は、母が世話をするので日常生活で身の回りのことを何もせず過ごしてきた男。父が亡くなり、世話係の母も亡くなって、一人っきりの生活になった兄の住む実家は荒れ放題。姉はまともな結婚をして家を離れていったのに比較して、語り部の私は一人暮らしをして今はアルバイト生活。実家に帰って兄の世話をしながらアルバイト生活をすることにした・・。実家の一室を自室として住むことになったのだが、兄の日常生活が少しずつ狂い始め、それにつれて自分もおかしくなって行くのを感じ始める。老いに向かう兄妹の共同生活は・・・という話なのだが、細やかに肉親の変わり行く姿を描写する筆筋が地味ながら読者を惹きつける。

横山令子「艶やかに」は、夫の死後、あまり外出をせず、誰とも会話しない日が多くなった夢香は、久しぶりにコスモスを見に外出する。そして、粋な感じの老年紳士と知り合いになる・・というロマンチックな話。

詩作品は清水啓介「あくるひ」は、団地風景の一齣をシュールに点描した着想と構成が光る。山口淑枝「ダイニングキチンで」は、ご飯の炊き具合を竈の神様めいた目線で描写した構成と着想に心魅かれた。随想では、若杉妙「私の岩下俊作像」が同人雑誌ゆかりの岩下氏にまつわる伝説めいた思い出話の披露が心に残った。

高岡さんより批評 木村和彦『輝けブラス』・・・

関東文芸同人誌交流会の掲示板に、高岡啓次郎さんより、木村和彦『輝けブラス』の丁寧な批評をいただきました。ありがとうございました。
   ↓       ↓       ↓

  http://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs

高岡さんは、今年度の、
第十回北九州文学協会文学賞の小説部門、『無口な女』大賞を受賞されました。北九州文学協会文学賞授賞式、懇親会でお会いし、「海峡派」ともご縁ができました。以下、抜粋します。

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①輝けブラス  
 投稿者:高岡啓次郎  
 海峡派の同人である木村和彦さんから上記の題の本をいただいた。以下はその内容を紹介した西日本新聞の数年前の記事である。

盲学校に赴任した23歳、新米の物理教師の悪戦苦闘。

「死ぬ前に、もう一度だけ演奏しないか?」

昭和33年に、初めて盲学校にブラスバンドができた、NHKラジオで全国放送の、あの感動シーンが蘇る。
1956年から7年間勤めた八幡東区の北九州盲学校(現・北九州視覚支援学校)で、全国でも珍しいブラスバンド部を創設した元教員木村和彦さん(82)=門司区花月園=が、当時の体験を基にした小説『輝けブラス』を出版した。視覚障害で楽譜を読めない生徒たちと苦楽をともにしたドラマがつづられる。木村さんは「私の体験を通じて、一般的なイメージとは違う視覚障害者の姿や彼らが考えていることをぜひ知ってほしい」と話す。専門は物理で、音楽の知識が全くない中でブラスバンド部を創設。目が不自由な約20人の部員に代わって楽器を調律することから始まり、部員たちとレコードを聴いて、時には面識がない芸大生に頭を下げて指導を請い、演奏技術に磨きをかけていった。
練習風景を見学しに来た人たちに対し、見せ物見学に訪れたように感じて時に怒りがこみ上げ、部活動に入れ揚げるあまりにほかの教員と対立するなど、血気盛んな20代の木村さんの姿も描かれる。一方、視力が徐々に失われて完全な失明が近づくことに悩む部員を海岸に連れだして励ますなど、盲学校であるがゆえの出来事にも見舞われる。
教職の傍らで同和問題を取り上げる作品を手はじめに小説を書き続け、退職後も同人誌を20年、主宰した木村さん。これまで手掛けた小説は多数あり、今回出版した『輝けブラス』は、かつて第1回蓮如賞の最終候補作に残った作品「アイウルラ」に、失明した部員のその後の生活などを加筆した。
80歳を超えた今もワープロを使って創作活動を続け、たった1行を書くために2、3日考え抜くこともあるという。それでも「小説を書くという好奇心が大事。それがエネルギーになっている」。
その後、ブラスバンド部員たちは卒業して各地で鍼灸師(しんきゅうし)になるなどし、木村さんも北九州市内の高校に転校したが、その後も連絡を取り合っている。木村さんは「一般の人はもちろん、出版した本を音訳したり点字にしたりして、かつての部員たちにもぜひ読んでほしい」と話している。

近々、この本を読んだ私の感想を載せたい。

②「輝けブラス」の続き   投稿者:高岡啓次郎  
 
 私がこの本を褒めるのは他にも理由がある。以下に一部を記す。

 彼の表情を見ているのが私だけだということが、彼と私が二人だけで対決しているようなき重さになって私を捉えていた。

 体育の先生がムッとくる炎熱の匂いを撒き散らしながら入ってきた。

 彼の音は、彼の体臭のように周囲に従えている空気そのものであった。その音は凍りついていた。硬くて重く傲慢でさえあった。
 それが攻撃的ならばまだ若さがあったが、彼はけっして自分からことを起こそうとはしなかった。四角や三角の組み合わさったその音は長調では格言のように、短調では靴に石を入れた歩行のように辛く痛かった。
 それは私に頑固な老人を思い出させた。
 これだったんだな、私はつぶやいた。

 この文章を見ていて分かると思うが、周囲に溶け込まない少年が楽器に向き合っていく様子が描かれ、それを主人公である教師が不思議そうに、扉の中をのぞくように描写している。
木村さんの許可を得てこの本の入手方法を近々みなさんに知らせたいと私は思った。  

③輝けブラスは映画になり得る
 投稿者:高岡啓次郎  
 木村さんの作品を読んですぐに感じたことは、私が映像の世界に生きる人間なら、ためらわずに映画にしたいということだ。この種の成功物語には「フラガール」があり、いま封切り中の「チアダン」があるが、この小説ははるかに精神性をともなった深い映画になりえるのではないかと思う。工学部を出た物理の教師が盲学校に赴任するいきさつや、正義感に満ちた青年教師が、今まで気付かなかったことに目覚め、新しい世界で子どもたちと一緒に成長していく過程が実に面白い。文体は平易にして会話も軽妙。九州にはずいぶん優れた書き手がおられるのだなあと改めて感心させられた。この本についてはもういちどふれてみたい。  

③「輝けブラス」最終考  投稿者:高岡啓次郎  
 前回ふれた周囲に溶けこまない少年のかかえた闇がエンデイングが近づくに連れて明らかになっていく。少年は人間が存在することそのものが罪なのだとつぶやくが、ずっと自死を考えていたのだった。周囲の仲間たちが楽しそうに音楽にのめりこんでいくのを、どこか冷ややかな態度で達観しているふうだった。奏でるトランペットの音色はどこか周囲と違う。その超然とした様子に、ときに教師は苛立ちを感じるが、ある日、少年の心に宿る深い悲しみの理由を知って謝罪したいと望み学校から連れ出そうとする。
 どこに行きたいかと聞くと、小石海岸に行きたいと答える。絶えず死を意識している少年に教師は死ぬなとはいえない。ただひとこと、もういちどだけ全員で演奏してみないかという。少年は暗い海岸にたたずみながら首を縦にふる。何が演奏したいかと教師が質問すると、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレがいいと答える。
 やがて演奏会があり、結果として少年は自死を思いとどまる。ずっと後年になってから大人になった少年は。あのとき先生が小石海岸に連れて行ってくれて、もう一回だけ一緒に演奏しようと言ってくれなければ自分は死んでいたと思うと打ち明ける。少年はやがて小石に住む同級生の女性と親しくなり結婚し、街で鍼灸師として治療院を作る。
「輝けブラス」という表題は、ある意味で人間すべてに向けられた普遍的な言葉である。障害を背負った人たちへの激励であり、不条理な時代に生きている我々すべてに向けられたメッセージなのだ。この本には哲学的な要素も随所にちりばめられており、視覚を遮断された人たちの思考がいやおうなく深くなっていく謎にも迫っている。この本を入手したい人は下記に申し込むことができる。

リーダーズノート出版。 東京都北区田端6-4-18 電話 03-5815-5428   
 
 

勉強会 

3月16日(木)門司生涯学習センターで、講師 髙﨑綏子による勉強会を行いました。12名参加。
とても勉強になりました。髙﨑さん、ありがとうございました。

内容
1)創作(散文、詩)について討議
 ・主題について
 ・省略と拡大(描写)
 ・会話文
 ・視点
 ・表題
 ・プロローグとエピローグ
 ・その他

2)創作実験
  名前、性別、年齢、場所、季節 などの設定を決め、一人二分ずつ、物語を作り繋いでいきました。思わぬ展開になり、最後はこれまた思わぬ結末になりました。

「週刊読書人」第3175号

「文芸同人誌案内」掲示板より
   ↓   ↓    ↓ 
http://www.geocities.jp/hiwaki1/doujin/douindexF.htm

抜粋します・・・・・・・・・・・・・・・

「週刊読書人」第3175号(2017年02月03日)「文芸同人誌評」白川正芳氏筆により、若杉妙「私の岩下俊作像」(「海峡派」138号)が、紹介されました。

「西日本文学展望」2017年01月31日

「西日本新聞」2017年01月31日(火)朝刊「西日本文学展望」に、長野秀樹氏筆により、「海峡派」138号、笹田輝子さんの追悼特集若窪美恵「まいど、鰻(うなぎ)屋です」坂本梧郎「ラスト-ストラグル」最終回が紹介されました。

「海峡派」138号 ④(4)小説・俳句

艶やかに ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 横山令子

夢香は夫が亡くなって二年、「古文書読む会」やシニアコーラスにとようやく自分の生活リズムを取り戻している。ある日、コスモスを見に行こうと出かけたとき、ふとしたことから男性と知り合った。その男性は松田といい、映画館で再会。お茶を飲み話すと、松田は定年を機に、学生の頃から住んできた東京を離れ、妻や息子たちとも離れ、一人で戻ってきた。夢香は松田を親しく思うと同時に、自分の息子は自分のために戻ってくることはないだろうと寂しくも思った。

 

・父が付けた《夢香》の名前が芸者の名前というところ、なかなか時代的でおもしろかった。

・書き出しと終わりが自然でよかった。

・《古文書読む会》は、地元民を入れない・・・本当

・恋心、ういういしさ、ぎこちなさが出ていた。

・独り身の立場と母としての立場で夢香の気持ちが違うのがよく出ていた。

・夢香が夫亡きあと、自分なりの生き方をしている。松田の出現は今後どうなっていくのか・・・

〈作者の言葉〉続きを書くつもり

 

メダル・ソルジャーズ(5)・・・・・ 大空裕子

前回までの戦いでは、メダル・ソルジャーズが、カルサイトに負けた。カルサイトはニタニタ笑いで、残りのメダル・ソルジャーズを葬り去り、あらゆるメタモンを自由に操ろうと企む。負けた礼佳たちメダル・ソルジャーズの間では「メタモン界のこと・・・私達人間がでしゃばることではないんじゃないかしら?」との思いもよぎる。だが、みんなが帰ったあと、カルサイトは不敵な笑みを浮かべていた。
 

・カルサイトとは鉱物の名前。そういうこともカルサイトがどんな容姿なのか、想像するヒントになるが、もう少し描写、情報を書き込んでほしい。

・イメージを創造しながら読んでいく。

・戦いはまだまだ続くようだ。悪を倒すということは、平和につながる。負けた時の退廃的なムードがよく出ている。

 

永鞆中学校 ・・・・・・・・・・・・・・ 中北潤之介

僕の、故郷の永鞆中学校の物語。ヤンキー気取りの僕は、柔道部に入っている。顧問の賀鬼先生からよくビンタをくらう。2年になって、「〇〇ちゃんと付き合って」と言われるが、付き合うという意味がわからない。また、ジンエという矢沢に熱狂していた同級生や、W里香、そしてもう一人、釣りマニアのKの存在は、僕に大きな影響を与えた。3年になってMさんとの恋が、僕の永鞆中学校での独りよがりな尻の青い自伝を自由な世界へと広げてくれた。
 

・長い小説。最初とラストを比較すると、変化が大きい。

・書き方が気になる。もっと推敲を。

・書きたいことをバッと書いていく。ある意味、うらやましい。

・ポルノ的な部分、特に中学生なのに・・・読めない。

 

サプライズ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 犬童架津代

幸子の息子、一郎はひでみと結婚する。式はハワイでする予定だったが、ひでみが妊娠しているため、幸子、夫信也、ひでみの両親と4人でハワイ観光。その時に幸子は足をくじいた。帰国し、披露宴。ウエルカムボードはひでみの母の手作り。受付は一郎の友人。あたたかく幸せそうな息子夫婦の披露宴だった。
 

・式をしないで披露宴・・・友人たちが式をしてくれた。貴重な経験。

P224下、後ろっから6行目「ぜひ息子と・・・」のセリフは誰が言ったのか。友人の言葉に直し、すぐにわかるように。

・披露宴などの状況はどこもさほど変わりはないのかもしれないが、結婚しないと思っていた息子がひでみの父に迫られ、結婚を決意する様子や、ひでみの妊娠でハワイ行きが若者抜きのそれぞれの親同士が4人で行くなど、面白かった。

 

俳句 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・髙﨑綏子

漂着の鯨渚に星明かり

たぷたぷと鯨の骸岸壁に

ふり向くな寂しい鯨が自爆する

鯨埋めて不在の岸を波洗う

図書館を居場所と決めて冬に入る

図書館の黙に匂える冬林檎

「海峡派」138号 ④(3)小説

逃避行 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 都 満州美

兄は母が亡くなり実家に一人暮らし。実家は散らかり放題。三歳上の姉は結婚し、子どもや孫もいて、私に実家で暮らし、兄の面倒を見てほしい様子。私は兄と暮らす決心をする。兄に認知症の兆しが表れ、好きなダンスもやめた。私は近所に住む兄を車でショッピングモールに連れ出し、散歩させるのが日課になっている。次第に兄と一緒にいると窒息しそうに思え、逃避行のためのマンションを借り、兄の目をかすめてはやってくるようになった。部屋を観葉植物でいっぱいにした。

 

・背負い込んでしまう人の運命というものがある。

・認知症はいろいろな症状があり、性格も変える。誰もが直面する可能性がある。

・兄をショッピングモールに連れていく・・・などリアル。

・逃避願望からか、一人になる部屋を借りるが、そこは異常な部屋。メンタルをやられている。深層まで入り込んで書いている。

・兄弟とはいえ、離れていた者同士が一緒に暮らすのはとても大変なこと。私の気持ちがとてもよく表現されていたし、よく伝わってきた。兄と母との相互依存の関係が崩れたことで、実家があれていく様子が現実的で自分の実家のことと重なった。

 

対馬海峡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 木村和彦

昭和50年のこと。新井先生は、市内の由枝の小学校で合唱を指導している。新井先生の提案で、韓国に演奏旅行に行くことになった。韓国は1945年、日本が戦争に負け自由の国になった。その後三八度線という境界で北と南に分かれて行き来ができないという状況にあった。春休み、ようやく韓国へ。ソウルへの列車の中でちょっとしたトラブルになり、新井先生が韓国語ができることがわかった。ソウルで、由枝たち日本人が合唱した後、新井先生が黒い服を着た男性二人に連行された。男らは特務員ではないかと他の先生たちは言ったが、定かではない。結局、新井先生を欠いたまま、帰国した。

 

・韓国は反日、台湾は親日という感じ。台湾は唯一植民地として成功した?

1919年(P143 )、日本の植民地になった。

・歓迎の挨拶、創作だと思うが、反日的でひどい内容。本当のよう・・・

・とても興味深かった。こういうことが本当にあったのではないか・・・

・小学生とは思えない、非常に聡く賢い由枝だと思う。

・p153上段の「あとは時間が運んでくれる・・・甲板に出た」までは、大人の目線。

・続きはあるのか。続きを読みたい。

 

ちょっと変・本能寺の変 ・・・・・・・ 伊藤幸雄

軽口、悪口は本人に知れるとまずいことになるが、歴史上の人物の悪口なら誰も文句は言わない。

飲んで帰り、寝る前、どこからか『それでは、お前、俺と代わってくれるか』と声がし、『勿論、俺が信長なら、あんな馬鹿はしないなあ』と言ったら、起きた時に、本能寺の変の日だった。目の前には森蘭丸が「トノ、お覚悟を」。

 

・本能寺の変には、秀吉がやったなど、いろんな説がある。

・夢ではなく、タイムスリップ。ちょっとわかりにくい。

・ちょっとした世間話のつもりが、後で本人に知れ大変なことになるという話だが、前振りの江戸時代の儒学者の言葉や、焼き鳥屋での会話など、本筋に引き込むための布石がうまい。

・『信長協奏曲』という信長と入れ替わる現代の若者が、歴史を参考にうまく事を処理していく映画があったが、この小説では入れ替わったのは暗殺される当日。笑える。

 

酔って候 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山之内一次

職場での30人ほどのわれわれのチームが受け持った仕事が順調で、結果も残すことができた。山陰の入船亭という料亭で一席をと、部長から持ち掛けられた田中は、酒の席で過去、屈辱的なことがあったのを思い出す。しかし、逆にその事件があってから部長は飲みごとの席では田中に目をかけるようになった。魚料理に皆、舌鼓を打った。帰り際、5歳くらいの少年が、悲痛な声で「伝家の宝刀が盗まれた」と叫んでいた。主人も、今日のお客はあなた方だけだから、子どもの言う宝刀が戻るまでは帰すわけにはいかないという。酒に酔った前川と野田が、刀を持ち出したのだった。その刀は本物だった。

 

・ひと昔前の会社の宴会風景という感じが伝わってくる。

・少年が遊んでいた刀が本物だったこと、それを冗談のつもりで取り上げた前川と野田の酒癖の悪さが大きなことになっていく。本物と気付き、警察沙汰になる前に返すことができてよかった。
・ラストの月に照らされている男たちの姿が目に浮かぶ 

「海峡派」138号 ④(2)小説

あしたは 晴れている(連載第十一回) 
                ・・・・・・・・・・ はた けいすけ

正太がセルロイドの筆箱を馬島に取られ、からかわれているのを兄の直太が見た。そのことで母丈子と直太は万引きかも・・・と思うが、正太を問いただし、若奥さんからもらったことを知る。ある祭りの夜のこと。アセチレン・ランプの灯りの元、バナナの叩き売り、飴屋の前を通り過ぎ、雑踏の中、聞きなれた声が・・・。お面屋のところに座った一人の女の子を見たとたん、正太は胸の鼓動が止まるほど驚いた。なんと、サトちゃんだった。しかも目が見えない。元活動弁士の父親がお面を売っている。正太は、ドブ川の土手でまじないの一銭銅貨を拾ったせい(そんなことしよったら、眼が潰れてしまう)だと思い込む。だが目が見えないふりしているとお面がよく売れるという。ただ、朝鮮に行ったはずのサトちゃん親子がなぜお面を売っているのかは、謎。また、正太親子で肉飯屋に行ったのだが、そこで若奥さんに再会した。
 

・一回ごとに完結しているので読みやすい。

・セルロイドの筆入れ事件が、効いている。

・物語の展開のさせかたがとてもうまい。

・アセチレン・ランプに照らされた懐かしいサトちゃんを見たときの正太の驚き、しかも目が見えなくなっている・・・この回は、たっぷりと昭和初期の下町を活写して、人間関係のもつれもその喧騒に巻き込んで動きがある。

 

雨に咲く花 ・・・・・・・・・・・・・・古濱紘司

睦男と妻弘子、その娘時枝の物語。睦男が出て行ったまま帰らず、警察に保護されていて、引き取りに行った。認知症の疑いがあるということで、病院に。昔のことは覚えているが、最近のことは覚えていない睦男。検査の結果、アルツハイマー型認知症と診断され、妻の弘子が娘の援助を受けながら、地域の隣組に病気を公開し、協力を頼む。隣家の大久保さんも町内会長さんもよく話してくれたと、「カラオケ教室」に誘ってくれたり、ドライブに連れ出してくれたりした。
 

・恥ずかしかっただろうが、正しい対処だ。作者は、よく女の気持ちを表現できるなあと感じた。

・認知症の介護問題、世間に恥を忍んで助けを求める。役に立つ情報がたくさんあった。解決策の一つを提示してくれた。

・元会計士が簡単な引き算もできなくなる。

・認知症確認から一年後、庭の紫陽花が声援を送ってくれているようというラスト、うまくまとめている。

 

ラスト‐ストラグル(連載最終回)
           ・・・・・・・・・・・・・ 坂本梧朗

ついに最終回。カーツンは退職を迎え、今日が最後の授業の日。これまでを振り返り、進学理系の二クラスはカーツンに教える喜びを与えてくれたことを思う。そのクラスの最後の授業で、最後にアンケートを書いてもらった。アンケートの内容は感謝の言葉であふれ、カーツンを幸福にしてくれた。一方、離任式で考えていた挨拶は代表の挨拶のみとなったことや、離任式に担任が来てなかったこと、離任式後に学習会の監督があることなど、ちょっとしたことがカーツンをイライラさせた。離任式後の生徒とのふれあいはとても嬉しいものだった。卒業生もやってきた。後日、ムーサンの車でサンバーと一緒に来て、荷物を運び出し、学校を出るとき、記念写真を撮ってもらった。そこで終わればよかったのだが、学習会の監督があった。離任式で別れた後に生徒に会うのは気恥ずかしかった。やっと終わったとき、菊丸という若くて気軽に話せた国語科教員に「お疲れさまでした」とにこやかに声をかけられたのに、別れ際、〈先生、お体大切にね〉という言葉をかけられなかったのか。菊丸を追いかけようとして、一度は足を止めたのに。

 

・坂本さんの描く教師像は直球。対して中北さんは変化球。書き方はいろいろ、どんなふうに書いてもいいのだと思った。

・学校を去る場面、細かい描写。最後までストラグル。

・教師集団のさまざまな葛藤の中で、ああ思い、こう思いして、揺れ続ける一人の気弱な、まじめな、人間らしい、普通の人を最後まで描いて、ハッピーエンドなどどこにもないと思い知らす作者の意図を、複雑な思いで受け止めた。

・最後の授業「一字題、一行詩」の授業風景は心が温まった。そのあとの生徒の感想文に感激するカーツンの人の好さに、おかしみを覚え、この膨大なつらいことばかりだったような小説を救っていると感じた。

・連載最後は退職の時のこと。生徒たちに色紙をもらったり、写真を一緒に撮ったりと、それなりに教師生活の最後を迎えられてほっとした。だが、私立校の人手不足ゆえか、離任式後も仕事があり、それがラストの「やはり学習会の監督はカーツンを躓かせる罠」だと感じさせた。なかなか大変な教員生活だったようだが、お疲れ様でした。生きる、生活費を稼ぐというのは本当になかなかに大変なものですね。

「海峡派」138号 ④(1)小説

川筋少年(上)・・・・・・・・・・・ 川下哲男

1958年、ぼくは小学三年生。担任は中田規子先生。ぼくは炭鉱の社宅に住んでいる。線路に五寸釘を置き、蒸気機関車にひかせたりして遊んだ。5月のある日のこと。若い兄ちゃん、シュンさん(炭鉱の野球部でショートを守っている)に誘われ、野球の試合を炭鉱のバスで見に行く。ボタ山を見ながら、竹森しのぶが中田規子先生を書いた絵のことを考えていた。納得できた試合ということで、帰りのバスの中は盛り上がった。帰って、『クラブ』に行き、テレビで月光仮面を見た。

 

・当時の子どもたちの遊び、まんが、テレビなど取り込みながら、細やかに日常を描いている。

・次回に続くが、中田規子先生や竹森しのぶがぼくにとって、どういう役割をしているか、気になるところだ。

・子どもの目線で書くのはとても難しいのだが、よくぶれずに描写している。

・自分が知っているもう十年前の炭鉱の子どもたちは、もっと男の子は元気よくいたずら、悪そうをしては怒られたり。この小説の子どもたちはとてもいい子。

 

かべちょろの誕生日 ・・・・・・・・・・・ 髙﨑綏子

洗濯物を干していると、何か落ちてきた。かなへびの交尾中と判明。法事で家族8名、レストランで食事しながら、孫のはなちゃんが、学校でかなへびを飼育している話を聞く。かなへびの産卵のことをしきりに聞いていると、次男が、スマホで検索をかけ、映像を見せてくれた。

 

・短い中に家族それぞれの性格などがよく出ている。

・思わぬことからかなへびの産卵に興味がわく。すると、孫娘がかなへびの飼育係という展開。そしてスマホの映像。かなへびがどんどん情報を引き寄せているかのようだ。

・「出生時に呼吸不全で一ヶ月近く保育器に・・・とりわけ次女のはなちゃんに煩悩がかかる」など、さすが髙﨑さんと思える美しい表現がたくさん。

・作者はエッセイとして出したが、小説でもいいのでは・・・というので小説で発表。

〈作者の言葉〉これを出すにあたって、お嫁さんに発表するけどいいかと訊いたら、「OK その通りでしたね」と言われた。

 

まいど。鰻屋です ・・・・・・・・ 若窪美恵

僕は大学を卒業したものの、就職が決まらず、ハローワークで探し、大隅の養鰻業に就職した。3ヶ月は試用期間。鰻の養殖は砂利を敷いた池(プール)にパンツ一枚で入り、池を洗うことから始まる。砂利が痛く、あちこち擦り傷だらけになる。毎日疲れて眠るだけ。餌作り、餌やり、出荷・・・と少しずつ仕事が増えていく。愉快な仲間たちもいる。そんなとき、ニホンウナギが絶滅危惧種に指定され、僕は試用期間が終わり、正社員になる。

 

・近頃の青年が裸になったり、裸足になったり、まったく初めての経験をする。すごいこと。

・バイクで行ったという場面と、車に乗っている場面が出てきて、ちょっと1行でも車を買ったとか、面接のとき(バイクで行った)とか書いていたら混乱しなかった。

・珍しい職場のことを書いている。足の裏の痛み、ぬるぬる感、暑さなど皮膚感覚の描写が優れていた。

・若い青年の仕事に対する心理がとても豊かに、繊細に表現できている。中でも、若い青年の内面性と「更科日記」「菅原孝標女」などとの交わりがとても面白く、この文章表現に感激した。

・とてもおもしろかった。鰻が食べたくなった。

・読んで元気が出た。がんばろうと思った。

・青年の仕事に対する苦悩がもう少し書けていたらよかった。

 

おもちゃのヘビ ・・・・・・・・・ 有馬多賀子

小学校教師、紺野幸美26歳は化粧化がなく、男性教師のような言動をとるので、6年生たちにユキオと呼ばれている。理科担当の村上のことを想っている。ある日、クラスの陽平たちは、紺野の苦手なヘビで脅かそうと教卓の隅にゴムのヘビを袋に入れて置いた。袋を開けた紺野は驚き、教壇から降りるが、おもちゃのヘビを持って陽平が追いかける。「たすけてー」と叫ぶ紺野の声に、理科準備室にいた村上が出てきた。女校長も出てきた。事情の説明を求める校長に、村上が「後はわたしが・・・」とかばうように引き受ける。その10か月後のこと、紺野と村上は結婚式をあげる。

 

・ラスト、陽平たちも一緒に写真撮影するが、そのとき、二人の間におもちゃのヘビを並べるといういたずらに笑える。子どもたちと先生たちの親しい交流がほほえましい。

・紺野はなかなか大変なクラスの担任になったことから、対抗するために男性教師のような言葉遣いをしたのだろう。そういう背景がよくわかる。

・ラストはあったほうがいいと思うが、写真撮影に子どもたちが一緒に写るものなのか?→ スナップ写真ならみんなで写るのもあるだろう。→ 新郎新婦の間でおもちゃのヘビをかざしているというのはあり得るのかなあ?(まあ、小説だが)

関東文芸同人誌交流会の掲示板より

関東文芸同人誌交流会の掲示板より
   ↓   ↓ 
http://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs?page=26&

 根保孝栄・石塚邦男さんより、たくさんの「海峡派」の感想をいただいていました。
遅くなりましたが、まとめて、貼り付けます。
 根保孝栄・石塚邦男さん、いつも丁寧に読んでくださり、また、感想を書いてくださり、一同感謝しています。本当にありがとうございました。
 
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貼り付けます

「海峡派」129号(北九州市) 読ませる都満州美「沈黙の人」 柿田半周「秋刀魚は苦いか塩っぱいか」の文壇裏面史の面白さ  

投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2013年12月18日(水)
 
 北九州市は文芸の盛んな土地柄で名のある作家があまた定住して活躍している。
「海峡派」も有名同人誌として名がある。
今号では都満州美「沈黙の人」に注目したのは、主人公満子が亡き父政太郎の旧い日記を70年経って開き読む内容が、第一生命の外交員として満州で業績をあげた内容の珍しさにある。大阪毎日新聞の記者から転進して生命保険の辣腕外交員になった政太郎がの旧仮名書きの日記に記された満州の生活、満人の性向、満州の地の日本の統治状況など、詳細な記録が貴重である。終戦の混乱期と戦後の貧しい生活なども、日記を読み解く主人公の目線と共に読者の目を釘付けにするところがいい。
文体は素朴で地味な写生文なのだが、珍しいリアルな素材内容だけなのに読ませるのである。

小説ではこのほか、加村政子「プライド」有馬多賀子「三十人の花盗人」
犬童架津代「秋の音」などが印象深い。
エッセイでは、柿田半周「秋刀魚は苦いか塩っぱいか」が、詩人の佐藤春夫と谷崎潤一郎などの文壇の周辺について、記した文壇裏面史的内容が愉快だった。
国文学者の吉田精一が早稲田の講堂で公演したのは昭和四十二年の年末。この公演内容を引用しているイントロなのだが、どうも、全部が公演内容なのか、途中から柿田氏の論調なのか、はっきりしないところがある。世間的には文壇的醜聞として有名なのだが、この場面は面白かった。佐藤春夫と谷崎潤一郎は知る人ぞ知るどろどろした家族ぐるみの友情で結ばれていたのでも知られている同時代者同士。佐藤春夫は谷崎より四歳上だったが、谷崎の千代夫人と佐藤の結婚を承諾したのに、そのうち急に惜しくなって元の木阿弥にかえってしまった話、有名な佐藤の秋刀魚の詩の背景などの逸話など<文壇こぼれ話>が読めるエッセイであった。

詩作品では、登り山泰至「黒猫」「力場」「オートマチック恋愛実験」の三編を掲載していて、どれも作者の情念的心境を詩という表現手段であばいて見せる姿勢が、佐藤春夫的ディレッタンティズムを感じて面白かった。

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「海峡派」40周年記年号132号) 
投稿者:根保孝栄・石塚邦男  
 

有馬多賀子「月乃雫梅」は、幕末から続く老舗の菓子店の人間模様と家族の話。長編にすると、宮尾登美子風の作品になりそうな雰囲気。

古濱紘志「地獄からの脱出」①は連載1回。
事故があって運転していた男は逃亡、同乗の女は大怪我をする。
男は逮捕され、賠償金の支払いの行方がどうなるか、
相手は500万円で和解したいと弁護士を通して言って来た。さてどうする、という話。

はた けいすけ「あしたは晴れている」は、戦時中の少年の話。

・詩作品は以下に。
清水啓介「夜汽車」は、筋書きのある散文形態。死の間際、見たものは・・・
 
山口淑枝「見落としてゆく」は、忘れていた冷凍庫のキューリ揉み、という日常の隙間を。
 
池田幸子「混沌の窓」は気になった詩。

    この狭いアパートで
    年金暮らしの数年が過ぎ
    これから先に何をしようというのか

以上のようなフレーズが読者の心に突き刺さる。

坂本梧朗「集団的自衛権」

    戦争はいつも
    「自衛」「邦人保護」から始まる・・・

    どんどん拡大して
    侵略までいっても
    「自衛」と言い続ける

    ポイントは
    発火だ
    血が流れてしまえば
    後はモウ

この作品の行方ははっきりしている。

詩作品は、色々な形がある。
発想も多様だ。しかし、読者の心を鷲つかみにできるものは・・と考えると、なかなか難しい。
詩は古来から東西問わず巫女の呪文であったことを思い出したいもの。

このほか、小説では、横山令子「流れる」は虐待された夫を今は看病しているが・・という話。
 
高崎綏子「海鳴り」は、アーティストの苦悩の青春記。
 
伊藤幸雄「身から出た錆」は、同級生のヤスは本物の殺し屋だったというオチのショート話などの気のきいた短編の佳作が載っている。

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「海峡派」133号(北九州市) ① 横山令子「薫子 六歳の夏」は終戦間近、浜で倒れていた米兵を家に連れて来てかくまった父だが・  ・・
投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2015年 5月24日(日)
 
「海峡派」は創刊40周年を迎えたという。編集後記によると、書き手も第二次海峡派といってもいいくらいに、新旧が入れ替わったらしい。これも年月というものだろう。

坂本梧朗「ラスト・ストラグル」は、連載一回目。教師のカーツーンが飼っているシーズー犬の親子。親犬のワラシは老犬になってよぼよぼしているのに、子のツムジが親犬のワラシに噛みつくようになった。どういう理由で噛みつくのか知らないが、これではワラシが哀れなのでツムジをどこかに預けなくてはと思う・・という話をイントロにカーツーン一家の話、彼の糖尿病との闘い、職場のことなどが語られる、という120枚にもなる作品は、教師としての奮闘振り。今後、どのような展開になるのか。

はたけいすけ「あしたは 晴れている」は、戦中の話で迷子になった正太が巡査に引っ張って行かれようとしていた現場に行き合わせた山本閣下の若奥さんが助けてくれて、家まで連れて行き風呂に入れてくれた。若奥さんの亡くなった弟が同じ正太という名前だったことから、若奥さんは特に正太のことが気に入ったらしい・・。この30数枚の作品も連載第1回。関西弁が面白い。

横山令子「薫子 六歳の夏」は、戦地で指を怪我して鉄砲が撃てなくなった父が漁師をしている。浜で波打ち際に米兵が倒れているのを発見して、空いている離れに内緒で連れ帰り看病することになる。薫子は父から「誰にも言うな」と口止めされる。そして・・米兵と友だちのようになるのだが・・という珍しい15枚ほどの短編は印象に残った。5、60枚の作品にしたかった。

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「海峡派」133号② 若窪美恵「ミシンの音」は知恵遅れの姉たちに向かう妹の複雑な気持を描いた問題作  
投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2015年 5月25日(月)

伊藤幸雄「他人の不幸は蜜の味」は、官僚の天下りがトップを占める会社の派閥抗争激しいなか、サラリーマンの人事をめぐる右往左往のショート・ショート。この作者は日頃、良い作品を書いている注目の作者の一人なのだが、この作品は走り書き程度の作品。

都満州美「ホームスティ」は、英国のラムズゲートでホームステイをしながら朝子が英会話学校に通う体験の詳細。日本人に会わず、日本語を話さないをモットーに英語力を培う生活。50枚ほどの作品には、各国から英語を学ぶため滞在する者が多い実体とその振る舞いが紹介されており、これからの人には参考になるだろう。

青江由紀夫「銀次郎の日記」は、闘病生活を中心に読書や家族、親族、知人の近況など。この人は函館大学の学長であった現役時代から北海道の同人誌「山音文学」で同じ日記を連載、定年後東京に居を移してからも、日記をかきつづけて来ている。

木村和彦「日本よどこへ行く」は連載7回目。日本の特殊性とその長所、短所などを作者の目線で示唆的に提示してきた内容には、参考になることが多々あった。今回で終了ということらしいが、また別の表情でお会いしたいもの。

若窪美恵「ミシンの音」は、二人の姉が知恵遅れであることに何かと気にしている久美は小学校六年生のときに初潮を迎えた。母に「何で産んだの」と姉たちのことで不満をぶっつける久美。母は黙ったままだ。言ってから、「まずいことを言っちゃった」と反省し自己嫌悪に陥る久美だった。姉たちを感情的に嫌になることもあり、煩わしいと思うこともあるが、やはり姉妹である。他人のように知らんふりすることもできない・・・という微妙な姉妹の感情を描いている問題作であった50枚・・は考えさせられた。

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「海峡派」133号③ 柿田半周「やまは夕焼け」方言の会話が作品を魅力的に彩る  
投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2015年 5月27日(水)
 
 ・大空裕子「メタリック ファンタジー」は、冒険好きのユウイチは、これまでさまざまな異世界に旅をして来た。そのうちのメタリック世界へ旅した話の次第。友人たちがその世界に行ったっきり帰ってこない。また、付き合っていた女性もどこかの異世界へ吸い込まれるように失踪してしまう。残されたユウイチは、ある日朝食をとっていると、メタリック世界の扉が突然目の前に現れた。そこに入って行くと・・という7、8枚のショート・ショート。

柿田半周「やまは夕焼け」前編。町外れに雑木が茂った丘があり、鉄条網が張り巡らされている。少年の省一は、好奇心をつのらせる。一月ほどして東京の金持ちが別荘をつくると噂が立ち、工事が始まる。派手な餅撒きがあり、やがて瀟洒な洋館が建った。六年生になった省一は「皇軍は連戦連勝です」という校長の挨拶をたいくつに耳にしていた。戦争中の子供たちの教育現場を詳細に再現する一方、東京から転校して来た洋館の美少女が紹介され学校中が噂で持ちきりになる。悪戯少年たちの好奇心・・・という話は会話の田舎弁が生き生きとしていてなかなか読ませる30枚弱。
作者は誰しも、方言の魅力にもう少し目覚めていいのではないかと思ったことであった。

山之内一次「苦節川」は、連載⑥。戦時中、米軍機影に怯える敗戦色濃い頃、少年航空兵を志願したいと願書まで手にしたのに、父に激怒されていた浩一は、満州開拓義勇軍に志願した同級生を見送っていた・・・そして・・という話はつづく。

犬童架津代「決心」は、70近くなっての同窓会の話。よくある話だが、それぞれの人間模様、交友模様があり、一度は書きたいものなのだろう。

古濱紘志「地獄からの脱出」は、連載②。長崎の島で生まれた波子は、小学校三年のとき両親は離婚、新しい母になじめず高校を卒業すると東京の病院で医療事務員をしていて日出男と知り合いになる。日出男は酒気帯びの交通事故を起こし、同乗していた波子は負傷、日出男は逃走しようとする。そんなことで波子は博多に舞い戻って来たのだが・・という話。

ショートショート短編と連載が多く、がっちりとした構成の短編が少なかったのがやや物足りない内容であったが、それぞれの書き手の思惑もあるのだろう。長い目で見守りたい。

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「海峡派」134号(北九州市)  
投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2015年 9月 8日(火)
 
 ・有馬多賀子「40年前の紙芝居」は、喜寿を迎える和子が暇を見ては納戸の整理をしていた。身辺整理をする歳になった自覚である。すると、小学校に勤めていた頃、社会科の授業で作らせた六年生の児童の紙芝居が出てきた。題は「おばあちゃんの満州脱出」というもの。敗戦後の満州の赤い夕日・・。ソ連兵の進駐で右往左往した日本人。そして、最後の十場面は、やっと帰れるようになった貨物船の甲板・・。かれこれ40年前、赴任先の学校での六年生の荒れた学級を受け持った頃のこと・・その子たちは今52歳になるはずだ。結局、紙芝居は新しい紙に包まれてまた納戸の奥にしまうことになった。夫は「お前が先に死んだら、紙芝居も子供らの作文も、ぜーんぶ棺桶にいれてやるわい」と言った、というオチが何とも味がある。

はたけいすけ「あしたは 晴れている」は、夫婦喧嘩の末に家を飛び出し、三ヶ月も音信普通だった祖父。居所が判明したので義母は迎えに行った。その後をこっそりつけていく養子の少年の正太。そのあと大人たちは何事もなかったかのように暮らしている様子を不思議そうに観察する正太だった・・。前作からの続きで、昭和十二年の満州事変が勃発する前夜までの話。時代背景の中で、当時の庶民の生活が生き生きと描かれていて飽きさせない。

都満州美「蹲いの水と野良猫」は、庭の蹲いの水を飲みにやってくる野良猫の10数枚の話なのだが、庭の自然描写か゜なかなかいい。

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「海峡派」134号②  多様な詩法の彩り  
投稿者:根保孝栄・石塚邦男  投稿日:2015年10月30日(金)
 
前回は小説について触れたので、今回は詩作品について。

山口淑枝「柿の花」は、庭に植えた柿の苗木が数年たったとき、実を結ぶようになった。そして30数年経ち見事な柿の木になった。そこに着想して詩想を広げた作品。
おはよう。/君に朝の挨拶をして/土の乾き具合など見ながら/水遣りをする

横山令子「ニオイバンマツリ」は、花の魔力を感じる作者。巫女的なまなざしである。
老女よ なにが欲しくて/立ち尽くしているのか/花失せては面白うない
そして、最後の一行がいい。おんなの盛り たちあがる

清水啓介「バナナ」は、妻が朝起きてリビングへ行くと、いつも新聞を見ているはずの夫の姿がなく、かわりにバナナが一本あるだけで、それには走り書きがそえてあった。俺はバナナになってしまった。食べようが捨てようが冷凍保存しようが自由だ、と書いてある。それを読んで妻は、あの人らしい。いつも逃げることばかり考えている。情けなくて涙が出ると慨嘆する妻・・という内容の散文詩。皮肉な喩法は通じる人には通じる、という神がかりだ。

笹田輝子「八十八夜の月明かり」は、夫婦らしきAとB二人の会話をもじった一情景詩はさまになっている。

土田晶子「終戦の日」
「戦争が終わったぞ」/田舎の道を我が家に向かっていると/すれ違いざまに兄は言った
こんな一行で始まる一場面を切り取った作品の実感は同じ体験を持つ年配者の心に重く響く。

さとう ゆきの「加計呂麻島にて」は、沖縄戦の悲惨な例を挙げたあと、次の結句を置いている。
自衛隊から死者は出しませんという総理の文言//2015年 この夏/あなた 信じられますか

若窪美恵「メンタル系疾患」は、やや散文に流れた語法が目立つが、精神的な内面の悩みを悩む者の立場で描く。
すれ違ったままで なお/生き辛さを抱えたままで まだ

池田幸子「カラスが嗤う」は七十年前の田舎での一風景。
夕焼け空を 山に帰るカラスのひと群れ/祖母の膝で聞いた おぼろな話

いよ やよい「悲しみの正体」は、夫が亡くなったとき泣かなかったのに、夫の乗っていた車が車庫から業者に運び出されたときに泣いたこと。いつもこの車に私を乗せてくれた夫・・。
車庫が空っぽになったとき/緑の車が思い出を運び去ったとき/泣いた

加村政子「空想」は、感覚を研ぎ澄ませると命のエネルギーが飛び交っているのを感じる、という詩人的霊感を描いたのか。
間隔を研ぎすませて/天空を見上げると/微細な電波の粒つぶが/受信する相手を求めている


関東文芸同人誌交流会の掲示板より

関東文芸同人誌交流会の掲示板より  
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http://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs?page=4&

根保孝栄・石塚邦男さんに感想をいただきました。ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・貼り付けます

「海峡派」135号 清水啓介「居る」の詩作品に観る存在の意味・・はたけいすけの連載小説「あしたは 晴れているか」は先行き楽しみな練れた文章

投稿者:根保孝栄・石塚邦男 投稿日:2016年 6月13日(月)

水啓介「居る」
・・ふと自分が「居る」ことに、気が付いてしまったのだ・・こんな書き出しから始まる散文の実存的エスプリ詩作品。・・自分は、一番手近な扉のノブをつかみ、回して、引いた。//呆気にとられた顔の女性が一人、ドアの開いた厳寒の内側に立って、つぶやいている。/「変ねえ?何でドアが勝手に開いたのかしら?誰も、居ないじゃない。それとも、誰か、居た、のかしら?」・・・ ・上の清水の作品は、コント風のドラマを語りながら、人間の存在のあり方を問いかけたコミック批評詩として成立する作品。前号の作品から継続するドラマを盛り上げているところが愉快。

はたけいすけの連載小説
「あしたは 晴れている」は、支那事変のころの大阪を背景にした少年正太と紡績工場で働く十六歳の少女ヌイとの淡い心の交流・・・という場面。先行きが楽しみな練れた作品である。


 「海峡派」134号(北九州市) 清水啓介「バナナ」エスプリの効いた現代詩

投稿者:根保孝栄・石塚邦男 投稿日:2016年 6月13日(月)

・短歌、俳句もそうだが、現代詩の描写の方法は一つではない。その方法を区別するのは、一言で言えば当然ながら文体の差異によるものである。そのことをよく知っている者は実作者以外にはいない。それは小説の解析でも同様に言えることだろう。野球の解説でも、投手経験者と打者経験者の解説では大きな差異があるように、実作現場にない者が解説できるのは、作品の傾向と作者の事跡を探査した研究に根ざした作者の振る舞いについてのみに限定されるものだ。それはともかく、作品の鑑賞に入る。

・今号の「海峡派」は散文はやや低調だが、詩作品に良いのがあった。差異や上手下手は別にして、観賞してみたい。

山口淑枝「柿の花」 
桃栗三年柿八年/ここ貫に居を構えて/裏庭にすぐさま植えた・・・こんなイントロで作者の日常が描写された後・・・消毒などこまめにやってきたが/それももうきつくなった//足腰がめっきり弱り/すぐには立ち上がれない/近頃はランホーだ・・・こんな作者の体調と日常の生活動作を描写する。

横山令子「ニオイバンマツリ」 
皮革に似た葉が繁ると/小さな花びら・・・こんなイントロで始まり、題名の植物の独特の香りに酔う作者・・終章は・・ 別名 イエスタデーと呼ばれる/南米産の低木/一年に一瞬/おんなの盛り 立ち上がる ・・・老女にしてなお花失せない気持を秘かに主張するのである。

清水啓介「バナナ」  
朝、起きてリビングに行くと、毎朝そこで新聞を見ている筈の夫の姿が無かった・・こんな書き出しの散文詩・・というよりも、ちょっとしたショート・ショートづくり。・・夫がいないかわりにテーブルにバナナ一本と手紙が置かれていた。その手紙には「このバナナは自分だ。どう処分しようが君の自由だ。人間としての啓介はもう現れない。さようなら」と書いてある。それを読んだ妻の葉子は「今度はこんな手できたか。あの人らしい。いつも逃げることばかり考えている」と嘆く・・エスプリの効いた見事な現代詩である。

「海峡派」138号 ③随想

郷愁 ・・・・・・・・・・ 田原明子

私の故郷、島根県岩見では、十月の収穫のあと、祭りがある。家では新米で作った押寿司やご馳走。大人たちは宴会。夜中に石見神楽を見に出かける。とくに好きなのは塵輪の舞の鬼。鬼は妖術を使い、白い蜘蛛の糸のようなものを滝のように落とす。神が現れ、鬼と戦う。そのくるくると激しく舞う様、お囃子は見事だ。島根県浜田市に神楽面を作っているところがあり、訪ね、購入した。鬼の面の写真もある。
 

・島根県にふさわしい伝統の神楽の様子がいきいきと描かれている。集落で祭りの様子は違うだろうが、石見は銀山があったところ。昔の祭りの際はさぞかしにぎやかだったことだろう。鬼の面の写真を入れたことで、ぐっと臨場感が増し、迫るものがある。

・短いが。文章に迫力がある。特にお神楽の部分。

・らすとが、少し早く終わった。余韻がほしい。

〈作者の言葉〉島根県でも広島に近いところ。祭りは一晩中行われていた。神楽の衣装もすごかった。

 

マルクスとロボット社会 ・・・・・・・・・ 中北潤之介

現代社会は弱肉強食の社会であり、力がすべて。善も悪も時代制約も超えて人間世界を支配している。そして近年必ずやってくるロボット社会に、仕事を奪われていくだろう。日本では「職人気質」というと、匠という賞賛の言葉でもあるが、欧米では手作業、職人という言葉は、繰り返し作業しかできない人たちを指す。マルクス思想は旧共産圏の古びた時代遅れのイデオロギーではけっしてない。むしろマルクスの市場分析論を資本主義社会は「良心の呵責」を免れて、借用しつづけているように思える。
 

・大きく広げすぎているようなので、ロボット社会ならロボット社会、人工知能なら人工知能に焦点をしぼってまとめてみたらどうだろうか。

・時事エッセイは珍しい。

・職人についての日本人と欧米人との捉え方の違いなど、興味深かった。

 

私の岩下俊作像 ・・・・・・・・・・ 若杉 妙

夫が買ってきた『ひろば北九州』に、佐木隆三が岩下俊作の家でやっている研究会に行っていたと書いてあった。私は佐木隆三は岩下俊作の弟子ではないと言われたので、聞いてきたことと違うと思っていたが、事実が明らかになり溜飲を下げる思いだった。その16年後、中野の出版記念パーティーが縁で、「創作研究会」山下克敏が編集する『周炎』に入り、『熱風』にも作品を載せるようになる。「俊作忌」での様子が、映画「この天の虹」でのエピソードなども織り込み、細やかに描かれている。
 

・岩下俊作を中心に、佐木隆三、山下克敏など、たくさんの製鐵所の関係者の話、文学者の話をうまくまとめている。随想にするか、小説にするか迷うところだ。ラストの、自分に手渡されたものを誰かに繋げていかなければとの思いでいっぱいだが、後ろに誰もいないことに気づくところ、寂しいやら、不安やら、怖いやら・・・誰か後ろをついてきてほしいものだ。

「海峡派」138号 ②詩

「あくる日」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 清水啓介

場所は「人の気配の希薄な白っぽい団地の中」男の子は「凶々しいまでに赤黒く、それでいて寂しさの漂う一輪の花の絵」を見ている。その絵の題名を教えられてないのに「あ…く…る…ひ」と読み上げる。「団地の別の場所」では、女の子が排水溝の中を覗き込んでいる。「きたならしい水は・・・水の『最後』って、あるのかしら?」と呟く女の子。
 

・二つの場面のつながりはなさそうに思える。団地の部屋は同じようでも、まったく違う人が住み、違うことをしている。少年は「あくるひ」を思い、少女は終わりを思う。

・題にカギカッコがついている。男の子の言葉が詩の題名になる。それは壁にかかった絵の題。女の子は排水溝を覗き込んでつぶやく。『最後』これは二重カギカッコだ。思わせぶりな詩。不安感が漂う。

・少女の「汚らしい水」というのは、むかえている日常か。少年の内面、「あ・く・る・ひ」は重い。

・社会性チラリ、まあまあ理解できる。

〈作者の言葉〉子供の頃住んでいた市営住宅の壁に、見えないが絵がかかっているように思えた。その題が「あ・く・る・ひ」で、詩全体では不安感を表しているつもり。

 

置き去り ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さとうゆきの

「ぼく」は、「あんた」が忘れていったトートバッグ。ぼくの語りで時間が進んでいく。場所は甘木鉄道大板井(単線)駅のベンチ。ぽつんと置き去りにされたトートバッグのつぶやきから、持ち主は「詩の学校」に行って、詩を作ったようだ。「あんた/いまどこ」から、「よーし いいぞ/ぼくはきっとまた/あんたにあえる」まで、単線ゆえの妙味を織り交ぜながら、持ち主が戻ってくる様子をトートバッグの思いに語らせている。
 

・忘れてられたバッグの立場での発想がよい。

・トートバッグの語り口が軽妙で、持ち主との仲の良さ(お気に入り)を感じさせる。

・「  」がせりふなのかどうかわかりにくい。「詩の学校」→〈詩の学校〉などとしたほうがいいのでは?

・「かもね」が効いている。

・詩のレジメ、甘木線など情報が背景をわかりやすくして、効果を上げている。

・シーンを切り取るのはとてもうまい。

〈作者の言葉〉擬人化ではなく、トートバッグに人格を与え、人間である「あんた」が空疎なものとして書いた。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 加村政子

水の起点、「岩の窪みから湧き出る 一滴の水」が、「一筋の川に」なり、「大川に注ぎ」「海に向かう」・・・「年を重ねる毎に 流れ下っていくと/母の故郷であるいろは川の河口に出る」そして、「季節を彩りながら」「やがて周防灘の海に」出る。命の水。
 

・少々当たり前のこと。これから浮上する視点が必要だろう。

・水と自分との接点は、母の故郷だろう。また、命を謳っているのだろうが、大きいゆえに弱まっている気がする。

・観念的だが、「いろは川」が出てくると、細かいところまで入っていく。これは小説に書いた『故郷喪失』のいろは川と一緒。ふるさとの話で、切実感が出ている。

・地球は水の惑星。うまく表現している。

・ラスト2行がいい。

 

ダイニングキッチンで ・・・・・・・・・・・ 山口淑枝

わたしが小さかったころ、祖母は「薪をくべたり懊を十能で/消壺に移したりしながら」ご飯の炊き方などを教えてくれた。「物(事)には何でも加減って言うものがあるの/それがいっとう/大切なことなのね」などなど。時を経て、今。わたしには孫がいて、電気釜でご飯を炊いている。それも面倒な時があり、孫言い訳の「一人芝居でもしているように喋って」「そこのレトルト食品とって頂戴」と言う。時折「知恵や枝のごときものを授けてくれた/祖母を・・・静かにうら(こころのなか)で想う」
 

・自分が祖母の年代になり、貧しかったかもしれないが、心豊かでスマートだった祖母を思い出すことがある。同じような思いをした経験があるのでとてもよくわかる。祖母の姿は、明治の女性像を感じさせる。尊敬するが、だからといって、そうそう真似できない。すっかりラクチンに慣れている。教わったことを実行できなくても、時折、祖母の言動を思い出すことが大事。

・解き文字をつけながらだと、読者を立ち止まらせて・・・を生むのでは?

・祖母のこと、優しさや懐かしさなどが伝わってきた。

 

疾風の如く ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 赤坂 夕

孫娘の成長をバレエ、ラグビーと夢中なものを中心に描く。「家族全員が魅せられ/家業のようなラグビーに/又もや、とり憑かれてしまった」は、女子高生がラグビーに夢中になることに、祖母として複雑な心境なのか? だが、「周囲の心配をよそに/自由な、柔軟な思考と/確かな決意を胸に目標に向って/突き進む彼女」から終連の「青春を翔けて/疾風の如く」まで、強い応援見守りになっている。
 

・ラ、ガールの青春の躍動感が出ている。

・ラグビーの若者の理解はよいが、詩としては少し不足かもしれない。

・リズム感たっぷり。幸せな青春群像が描かれている。

・家族の風景が垣間見られる。

「海峡派」138号 ①笹田輝子同人 追悼

2016年9月13日、笹田輝子同人がご逝去されました。
5名より追悼文が寄せられました。
合評会のはじめに、笹田さんの娘さんである水谷さんがご挨拶に来られました。水谷さんによると、笹田さんは最後まで「海峡派」にいて楽しかった思い出を持ったまま旅立ったそうです。追悼文についても、とても喜んでおられました。
追悼文ですので、感想はありませんが、タイトルのみ記しておきます。
 

弔句 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 髙﨑綏子

笹田輝子同人を悼む ・・・・・・・・・ 木村和彦

凛とした女性 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 若窪美恵

貴女のように生きたい ・・・・・・・ 池田幸子

友の歌声 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土田晶子

「海峡派」138号合評会・新年会

1月29日(日) 「海峡派」138号の合評会、終わってから新年会をしました。
みなさん、いろいろと事情がありいつもより参加者が少なかったのですが、久しぶりに同人の集合写真を撮りました。139号に載せる予定です。
138号の感想は、少しずつ更新していきたいと思います。

 

第6回勉強会

10月27日、第6回勉強会を行いました。
講師は伊藤幸雄氏、 「チョイワル少年の乱読放浪記」という題で本や映画との出会い、書くことへ導いてくれた先生との出会いなど面白おかしく話していただきました。
参加者は12名。
意見交換では、それぞれの心に残る本との出会いなどが語られ、思わぬ懐かしい本のタイトルを耳にしたり、思い出がよみがえってきたりと、楽しいひと時となりました。

「全作家文芸時評」 より抜粋 (「海峡派」136号)

全作家文芸時評より 抜粋

 文芸評論家の横尾和博氏による「全作家文芸時評」のHPより、「海峡派」の批評の部分を抜粋しました。
 毎号、横尾氏より批評をいただき、大変うれしく思っています。皆、励みになっています。
 ありがとうございます。

全作家文芸時評
・・・文芸評論家 横尾和博
  ↓   ↓   ↓
http://zensakka.world.coocan.jp/bunngeizihyou1.html


「海峡派」136号、古濱絋志「黄昏の街」は、北九州支店転勤でなじめない独身生活をおくる四十代の損保会社管理職の男が、仕事で見た街の情景を描く。地方都市の荒廃や人の心の荒れは示唆にとむ。

「海峡派」137号感想 ③随想・書評

宇宙の塵 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 加村政子
手首骨折から始まった作者の死の淵までの闘い。入院中はオムツを当てられ宙づり。リハビリにこぎつけた後も、両肺の石灰化。非常に危険な状態だったようで、たまたまリハビリ中だったことでの早期発見と、治療が合っていたことで回復。するとナースに黙ったまま病院内を散歩したり、院内の一般向け講演会に参加したり身勝手に行動したり。ようやく退院したが、肺に影があり手術。死を覚悟した作者は私物や家具など、業者に頼んで処分してもらうよう娘に頼んだ。未練が残るとしたら、若いころから同人誌に
書いてきた作品が何も残っていないこと。

・自分の書いたものがすっかり無くなったことの寂しさはいかばかりか。お金に換えられる価値があるとかないとかではなく。生きているうちは捨てたくないものがあるが、作者のように自分で処分をするのが一番だと思う気持ちもある。
・宇宙の塵として漂う・・・哲学である。ともあれ、死ぬまではまだしっかり生きて、書き続け、合評会や勉強会でお会いし、いろいろと話しましょう。
・強い人だなあと改めて感心した。暗い人という印象があったけれど、この前向きさはどうだ。
・94ページの「群れない媚びない屈しない」という粘り強い性格である・・・という自己分析も納得できる。
・未明に門司港発の一番列車が数人の人を乗せて通り過ぎりくだり、とても詩的で、人の世の哀歓が身に染みる。・心打たれた。読んでいて、生きる悲しさを感じた。・共感できるところが多かった。
・入院中も強い精神で、痛い思いをしながらも好奇心旺盛で歩き回ったり、覚書きをするなど、頭が下がる。
・作者は引揚げ者で、その時、地獄を見たと思っているので、そのことを思えば「たいしたことない」と思っている。屈しない。

私の筑豊物語―どまぐれもん― ・・・・・・・・・ さとうゆきの
甥っ子のYが専門学校に通っていたころ、兄から「あいつ、どまぐれちょるごたる。見に行っちゃらんね」と電話。パチンコに出入りしているようなのだ。夫は北海道出身で、炭車が脱線したときに使われ、転じて人間にも使われる「どまぐれる」の意味がわからない。甥っ子の様子を見るためパチンコ屋に入り、夫婦でパチンコをしていると、裏方のバイトをしているという甥っ子に声をかけられる。安心したのはいいが、夫がパチンコにはまった。「ちょとどまぐれたぐらいで、つべこべいうな」と言う夫に「あんたはただのひとでなしたい!」と言い放つ作者。パチンコ熱は収まったが、夫はそれ以来「どまぐれる」という筑豊弁を嫌った。嫉妬であろう。

・「どまぐれる」とは、まごつく、うろたえる、まちがえる、道を踏み外す、など。方言がとても生きている。
・「どまぐれもん」というときの関係性に、地縁や家族愛を感じ、自分だけが「よそ者」のような感じを常に受けていた夫の気持ちがじわりと伝わってくる。
・今は「どまぐれる」は人にしか使わないが、元々は炭車の脱線に使われていたということが、むしろ新鮮だった。
・ラストで夫が北海道に帰りたいと思っていたことは、とても心に響いた。
・昔、筑豊で教鞭を取っていた時があったので、読んで懐かしかった。
・ユーモアのある展開。引き付ける。・大学生の息子がパチンコにうつつを抜かしていると思っていたのが、実はパチンコ屋でバイトをしていたというところ、ほっとした。

東北で踊った炭坑節 ・・・・・・・・・・・・・ 横山令子
135号、さとうゆきのさんの「私の筑豊物語」を読み、よみがえってきた炭坑節のことや東北のこと。小さい子どものこと。東北ではお盆頃でも、夜は寒い。三才の娘と境内での盆踊りに出かけた。踊っている人たちの浴衣に晒の裏がついている。下着は真っ赤なシャツ、股引。寒いのでもう帰ろうと思ったら、炭坑節。一緒に踊ろうと誘われる。炭坑節は福岡県の人しかしらないものと思っていた。石炭に変わって石油が席巻してきたころのこと。

・作者が東北で過ごしたのが、最初に、何年ごろのことというのがわかればよかった。
・忘れてはいない、思い出せないだけ・・・という言葉を思い出させる。こういうことがしばしばある。今のことは思い出せないのに、昔のことは鮮明に蘇ることがある不思議。
・お盆とはいえ、東北の夜は寒い。浴衣では寒いので、下に真っ赤なシャツ、股引きを着ている。また男性の浴衣にも裏が付いている・・・など、実際に住んでみなければわからないこと。なるほどなあと思った。・なんとなく炭坑節は、私たち福岡県民が歌っているので、このへんの歌だろうと思っていたが、東北の人も自分たち地方の歌だと思っているかもしれない。おもしろい。

居候 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山之内一次
ゴールデンウイークに家にこもって、三味線や二胡、チェロ、オカリナなど思い切り弾いてみた。一日があっという間。と、守宮が。箒をもってきてたたこうとするが、もうどこにもいない。しかし、物は考えようで、小生が守宮の家に住まわせてもらっていると思えば、怖がることはない。

・86歳の作者が、部屋の真ん中にチェロを持ち出して思い切り気を入れて引き出すと、1時間2時間はあっという間に過ぎてしまう・・・とはすごい。
・文章は勢いがあり、ユーモラス。
・楽譜のおたまじゃくしの見過ぎで、やもりの幻覚を見てしまうところなど、笑える。

弟と私
12歳の頃、なぜか鬱のような気分から、死にたい死にたいと思っていた。青病譚のように育った私と違い、弟は成績優秀、今は東京で病院を経営している。私の息子も歯科医として活躍しているが、私のような独居老人の寂しさには理解が至らないらしい。

・兄、弟はそれぞれ比べては優劣を競い合うもののようだ。
・死神を追い出してやると叫びながら、バチバチ顔をたたく祖母。まさに体をはった指導であり、愛情だ。
・兄弟で楽器ができる。家庭の環境なのだろう。

合評会後日譚―海峡派で育つ― ・・・・・・・ 池田幸子
136号の木村和彦氏の『静と動』に対して、合評会で議論になったことを受け、同人Hから、菊池寛の『文芸作品の内容的価値』の一部抜粋記事が送られてきた(掲載)。さらに、平野宏氏の言葉も掲載。「海峡派」を創作活動の研鑽の場として同人同士切磋琢磨しよう。

・木村さんの「奇妙な題材、独特の比喩、文を走りに走らせよ、とどまってはいけない」は言葉足らずか。
・伊藤静雄賞の選考委員の平野宏氏の言葉は参考になった。作品化とは、作品が独り立ちできるかどうか。
・池田さんの海峡派の実力アップを心から希求する心情が伝わる。
・「海峡派」で育つ という副タイトルがとてもよい。そうありたいことだ。

『羊と鋼の森』宮下奈津著
      
―を読んで― ・・・・・・・・・・・・・・ 髙﨑綏子
音を主題にした作品だと何かで読んで、この本を手にした。十七歳という主人公のこの書は人生入門の物語といえよう。文章の美しさに息をのみ、登場人物のリアルな描写に心を打たれる。「小説家原民喜の言葉の引用にも注目。主人公の少年の体感したこと、自らへの問いかけを、私はそのまま、私の文学に取り組む姿勢に重ねた」

・タイトル、書きだしもよい。「本屋大賞」の本は、多くの人々を感動させる本がたくさんある。
・美しいものにあこがれていたい気持ち。
・さっそく、本を読んでみた。そして原民喜まで読んだ。美しいものを求めて、あこがれて、もし人がその純粋さを失わずに、音楽であれ、文学であれ、美術であれ、求め続けられたら、どんなにかよかろうと思う。

林鉄幸生涯作品記録文集
    『駅長室にて』感想
・・・・・・ 若窪美恵
〈生涯作品記録文集〉と名付けたのは、林鉄幸氏が、十八歳で国鉄に就職し、「国鉄文学会」で発表したものから、「海峡派」で発表したものなど活字のままコピーして本にまとめたものだからだ。『日本国有鉄道の時代』『九州旅客鉄道の時代』『JR九州退職後の作品』『姉の作品』『「海峡派」同人としての作品』のカテゴリーに分けている。主だった作品をあげながら、林鉄幸氏の〈鉄道文学〉から〈歴史物〉まで幅広い内容の作品の魅力について紹介している。

林 鉄幸氏より ・・・ 若窪さんから『駅長室にて』の感想を載せてもらい感謝している。何度も読んだ。
副題の〈鉄道と文学のレールで支えられた人生〉というのは、まさに言い得ており、内容もよく汲み取ってもらえている。
今、困難な病気になってしまったが、受け入れている。治ったら、また「海峡派」で作品を発表したい。

「海峡派」137号感想 ②詩

クスリ ・・・・・・・・・・・・ いよやよい

酒を呑んだ夜は鼾をかくらしいので、彼女との旅行では酒をひかえる。だが、彼女は睡眠導入剤を持参していて、どうぞ呑んでとすすめる。彼女の思い遣りが今、クスリを処方される身となってはよくわかる。「クスリ嫌いな自分は/医師から処方されても/その半分しか 呑まないのに・・・」と思うから。それを彼女の思い遣りといい、さらに「彼女の社交術の 上級テクニックを/今さらながら 学んでいる」という。

・自分という書き方のため、作者名を見なければ男性と彼女との旅行に思える。

・彼女が自分と同じクスリ嫌いかどうかはわからないが、それでもクスリ呑んだら眠れるから鼾なんか気にしないでお酒を呑んで、という気を遣わせない思い遣りはたしかに見習いたいものだ。

・今さらながら のリフレインが余韻を残している。

・「社交術の上級テクニック」ではなく、優しさ。・・・わかっていて書いているのだろうが・・・

・こういう友達がいたといのは、いいこと。いない今、切なさが出ている。

・自分のことを「自分」という人、気になる。「わたし」でいいのでは?

・同室で他人と泊まるとき、自分の癖が人様に不快を与えないは、心配なこと。

 

六月『小糠雨』の人 ・・・・・・ 山口淑枝

「あじさいの向こう側から/歩いてくる/女の人は」「左手をにゅーっと突き出して/こぬかあめ・・・・の―/と呟」く。傘をたたもうかどうしようかと「手の平で/雨をはかっている様子」など、情景がすっと現れる。映画のよう。見ているのは私。私は「カット・サロン」からの帰り。その女の人とどこかで出会ったことがある・・・とあれこれ考えている。ラストでふいにひらめいた。それは「散歩をしながら/俳句をひねっていたのかも」しれないということ。


・きれいな絵のような一遍。この女の人がとても魅力的に見える。

5連目の「早速/アンドロイド(スマホ)を操作し」というのが、よくわからなかったが、3連目の「あじさいを写していた其処」を受けて、スマホで写メを取っていたのかと納得。ちょっとわかりにくいかも。

・不透明のビニール傘・・・左手をにゅーっと突き出して、背筋がびしっとしていて、しっとりしていた その人の言葉や所作・・・映像がなかなか浮かばない。

 

流れ星 ・・・・・・・・・・・・ 赤坂 夕

余命4カ月、肺ガンは脳に転移している兄が、「そんなら家に帰ろう」という。「治療はまだ終わっとらんよ」と叫ぶ私に「もうええんよ、これしたら頭が狂うけん」という。1連は読むに辛いが、兄の状況が切々と伝わってくる。「うどんが食べたいのう」という兄に、あつあつのうどんを作って食べさせる作者。それを兄は「おふくろの味」だとすする。時間が遡り、内地に引き上げたころを思い出す。


・別れが近い人との「仲良しの時間」をどれほど持てるか、大事にしたいものだ。でも、なかなかそうはいかず、別れがくるもの。心にじんわりと沁みる作品。兄妹の思いやりが良く出ている。

・生きることの深刻さ、さみしさなどが出ている。

・戦争体験が兄弟にまつわるメインの思い出になっている。

80歳の兄の食べたいものが「うどん」、ささやかで悲しい。しみじみとさせられた。

・流れ星で、一瞬、詩を暗示。

・胸を打つ作品。引揚者として、妹として、見届けること。

・戦争体験が、老いた兄弟に深くまつわる。

・詩を目前にした兄の食べ物の所望は、なんとささやかなことか。

・梅雨の季節に兄が逝く。濃紺の山並みは一瞬、照らす、兄の星。

 

森通い ・・・・・・・・・・・ 若窪美恵

あの日(母が死んだ日)以来、毎日森に通うわたし。わたしはおかんと呼ばれている。森では動物たちにかくれんぼをせがまれる。いつもオニ。探しても見つからない。不安になる。わたしの誕生日に母からカーネーションの花束と、もう交代よというメッセージが届く。

・母を失うと、いい大人になっても心細く、あてどない思いにさいなまれる。母を亡くしてから、毎日森に通う。そこで動物たちとかくれんぼなどをして過ごす。オニになって隠れた動物たちを探す。ずっと居ない者を探し回る感覚に。森通いという美しい言葉で、作者はその心情を語り、やがて母のメッセージに救われ、日常を取り戻す。

・くるくると白昼夢を見ているような作品。

・母を亡くしたばかりの作者、心細さ、あてどない思いでいる。いつも探している。

・深刻に書かずに、探し物・・・うまい表現。

・母からの架空のメッセージ、よかったなあと感動した。

・母のことをまだ作者は納得していない。今まで通りを維持していたい。どこかで取り戻したい心の中が良く出ている。

・かくれんぼは一度だけというところ、がんばって海峡派のみなさんをまとめている姿に思えた。

 

このところ忙しい婆様の二片 
                           
・・・・・・・・・・・ さとうゆきの

「昼飯」「オレオレ」の独立した二つの詩が、並べられ、時間差での物語になっている。「昼飯」は一人で食べる。

一合炊き炊飯器から朝1杯、昼に1杯で「空になるとほっとする」。食べながらも「右手にお箸 左手は読みかけのページを押さえる/目は本を読むため 耳はテレビを聴くため/口は右手が運ぶものを咀嚼するため」という一人暮らしの婆様はとても忙しく、「ほらほら 電話だ」「はい はい」と次につながる。

「オレオレ」では、受けた電話の内容が克明に知らされる。非通知なのをおかしいと思っているのに、落として変えたというのを信じ、声も変だと思うのに、体調がわるいからと言われ信じてしまう。そこに嫁さんが来て、コーヒーを淹れ、冷蔵庫から賞味期限切れのソースを見つけ出し、電話してましたね・・・と再生機能を使って聞くと、「これがKくんのこえであるわけないでしょう。オレオレよ」という。そしてKに掛け直す。オレオレが判明。


・しっかりとコミニュケーションが取れているお嫁さんだから、オレオレがすぐにわかった。いい関係。

・おかしい点がいくつかあるのに、うまく塗り替えられていく心理状態が描かれていて、学ばされる。人は簡単にだまされるのだ。

・ラストではせっかく淹れてくれたコーヒーも冷め、途中だった「昼飯食べてもいいですか」、「わたしの携帯返してください」となる。がっくり感がにじみ出ている。

・あえて編や篇にせず、ひとかけらという片にしている。

・昼食という日常のなんでもない、ありふれた状況を凝縮している。

・オレオレはおもしろい。一人暮らし・・・前向きでけなげ。人柄が出ている。

・若い人はみな賞味期限を気にしてすぐに捨てる。世代で異なる感じが出ている。

・オレオレに、同じくあやうく引っかかりそうになった。

 

半魚人 ・・・・・・・・・・・・・ 清水啓介

古井戸の底からウロコだらけの半魚人と化した自分が浮かび上がる夢を見た。真夜中だが、時計を見ても文字盤だけで針がない。ひょっとして死んでいるのか?それとも半魚人の自分が本当の自分で、今の自分が夢なのか?と問いながら、再び眠りに落ちる。


・作者はずっと自分が何者なのか、生きていること、死んでいることの違いについて問いを投げかけている。回答はない。  

・夢という設定は小説でも詩でも少し甘くなると思う。

・他人事でない現実と夢の深いぞっとするような、それでいてホッとするような意識の流れをうまく作品にしている。

・レム・ノンレム睡眠を言葉にすれば、こういうことなのかも。

・いつも自分を探している人。見つからないのは当たり前と思っている。

・最初2行が怖い。問答により理屈っぽくなったところが詩的でない。

・ずっと自分を探し続けて、詩を書かれるとよい。

「海峡派」137号 感想①小説

雨に咲く花 ・・・・・・・・・・・・・・・ 古濱紘志
弘子、隆男夫婦、娘夫婦が登場する連載小説。時枝を嫁に出して、弘子も役所を退職し、庭にアジサイを育てるなど余裕ある生活の中で、70歳になったばかりの隆男に痴呆の兆しが見えてくる。甘茶、ガクアジサイの変種。弘子が8年前に役所を退職するときにもらった花束にアジサイがあり、庭に挿し木にしていた。それが毎年咲くようになった。花言葉は「別れ」。弘子夫妻には一人娘、時枝がおり、時枝には子供がいない。夫、隆男は弘子より2年早く退職し、家にいる毎日。穏やかだった人柄が、怒りっぽくなってきた。ある日、外出したまま帰らない。午前3時ごろ、警察から隆男を保護していると電話が。

・アジサイから甘茶の思い出・・・そしてラストで紫陽花の枯れていく姿と認知症の隆男の下を向いて憔悴している姿の描き方がうまい。
・共働きで、それぞれ退職して夫婦二人暮らしを襲う、認知症。笑えない現実があり、今後の展開がどうなるか楽しみ。支えあっていくのか・・・娘の時枝がどうかかわっていくのか。
・抒情的なタイトル。ストーリー展開が説明ではなく、場面での表現にしたらいいのでは?・弘子、隆男がたくさん出てくるので、省略したり、彼、彼女に置き換えたりしたらいい。
・続きものなので、弘子の愛していた隆男の痴呆が進んで、どう展開するか楽しみ・P5のアジサイの説明で「知った」が6行の間に4回出ている。
・男性が女性になって書くのは難しいが、よくできている。
・登場人筒の説明、いかにも説明的。

もしかして ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田原明子 
桜の義母洋子は、レビー小体症という小人が見える病気。小人の名はマーシーといい、双子のユーリもいる。夫の淳は単身赴任、洋子と二人暮らし。洋子は「わーたしはあなたーの、とうちゅうかそうー、はっしゃー、おーらい」と東京のバスガールの部分を変えて歌うようになった。冬虫夏草のことらしい。6時から始まる何かのためにマーシーと合唱しているという。そして突然、洋子が死んだ。葬儀も終わり、棺桶の洋子を見ると、小人が立っていた。マーシーだった。ユーリが洋子に寄生して、一旦煙になって粒子として散らばっていくのだという。また誰にでも見えるのではなく、寂しさや悲しさなど抱えた心の隙間から見える人がいるという。・P11上段、後ろから6行目~義母と桜の視点で書き始めたため、桜、洋子、夫、淳・・・関係性がわかりにくくなっている。・寂しさや悲しさの心の隙間を埋めることのできる人がいれば、桜もだが、洋子もユーリに寄生されずに済んだのかも・・・というラストも見事。

・桜はずっと夫の淳がレオナルド・ディカプリオに似ていると思っていたが、葬儀の後、桜が倒れて病院に運ばれ意識が戻ったとき、ディカプリオに似てないことに気づいた。そのときの「幻って、いろいろあるものね」というセリフが面白い。
・レビー小体症という病気のことは知らなかったので、とても面白く読んだ。
・義母の幻視がよく書けている。誰にも訪れる老い、死を考えさせられた。
・一気に読んだ。SFを意識したこと、痴呆症の状況(現実と幻)の二つに感心した。
・「レビー小体症」を1行目にもってきたのは、どうなのか・・・ラストや、医者との話で明かす方がよかったのでは?
・単身赴任中の淳のことをもう少し描いてほしかった。
・ユーリやマーフィーを死神に置き換えるとわかりやすいかも。
・病気のことより、義母と接しての苦悩を描いてほしかった。

新・六本木心中 ・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤幸雄
六本木のソフト制作会社の新入社員のオレが仕事をしていると、パソコンの画面が時々、ポーッと赤くなる。また、「好きです」とか「アイラブユー」などの文字が画面いっぱいに出てくる。どうもパソコンが人間のように喜怒哀楽の感情を持ち、オレに恋心を抱きだしたらしい。ある日、大きなエラーをしたことに腹を立て、パソコンのキーを乱暴に叩いたところ、パソコンが大爆発。

・「六本木心中」というアン・ルイスの歌がある。また、六本木ヒルズというオシャレな高層ビルもある。そこから喚起させられるものが物語を厚くしている。
・心中・・・しんじゅうと読み、パソコンとの恋愛?と思ったところ、ラストで、ホラ話に、(明日からまた、就職活動をやり直すしかないな)と心中(しんちゅう)決意する。しんじゅうとしんちゅうの同じ字の読みの違いをうまく利用したオチ。とても面白い。・タイトルの意味がわからなかった。
・どんどん時代についていけないということを、うまく取り入れている。
・パソコンが赤面するなど、面白かった。独特な味わい。
・人間はどうなるのか、考えさせられる。
・内容が少し古い。

ラスト・ストラグル《連載第五回目》 
                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 坂本梧朗
第3部は勤務先(学校)で、定年退職までの3カ月をいつもの綿密さで描かれている。鹿毛山教頭が、ほとんどの生徒が机に突っ伏して寝ている授業風景の写真を持ってきた。ネットに上がっていたのだという。よく見れば、その授業の教師はカーツンだった。スポクラの生徒たちの悪ふざけだ。普段のように授業は続けられ、広井はあからさまに寝たり、やる気ないので、呼び出すことに。追試を避けるため、放課後、広井に試験範囲の要点を教えたりしたのに、44点で追試決定。頑張るという言葉は嘘だったのか、上から目線のカーツンの指導は受けたくないという。広井との問題はまだ続くものの、三月で退職だ。離任式以降は出て来なくていいとは思いながらも、鹿毛山に21日休ませてほしいと届け出る。そのことで鹿毛山に細かい理由を聞かれたり、しぶしぶといった様子で認めてもらったり、最後まで不快な思いをする。

・授業風景をフェイスブックにアップされて、カーツンが窮地に陥るところは同情する。
・広井とカーツンのやり取りが面白い。「上から目線」教師だから当たり前だ・・・のカーツンの常識が、広井にも、担任の大島にも通じない。それでも、広井に追試指導の徹底を目指して、ストーカーまがいにつきまとう。寝ても覚めても広井だ。脳梗塞を起こすほど思いつめる。このあたり、痛々しい。
・作者は、上から目線は教師だから当たり前について、どう思っているのだろうか。
・忖度とか誼などは、ルビをふってほしい。
・カーツンが自分のことを強迫神経症では?と分析しているところなど、まじめな性分がよく書かれている。
・カーツンは自分が正しいと思っている。
・投げ出したい気持ちがあるが、最後まで生徒と関わり合うカーツンを応援する気持ちになった。
・広井のことを気にしすぎ。広井のことにかなりページ数を割いている。
・学校のことはわからなかったが、面白い。民間企業と同じ悩みがあると思った。徒労感、達成感の繰り返し。
・フェイスブックにUPされたことは、学校にとっても困ったことだろうが、カーツンにとっても手痛い仕打ち。こういうことをいたずら半分にする生徒は、悪質だと思う。

メダル・ソルジャーズ(4) ・・・・・・・・・・・ 大空裕子
中二、礼佳は、メダルを使って敵を封じ込める特殊能力を持つメダル・ソルジャーズの一員。学園内でのこと。日食のように暗い朝。だんだんと闇に包まれる。カルサイトがやってきた。幸一、亮太、由美が戦っている。和雪と礼佳も参戦。だが、カルサイトは以前より強く、巨大になっている。必死で立ち向かうが、かなわず、撤退する。(続く)・今回は、メダルを使っての戦い方がていねいに書かれていて、臨場感があった。もっとも、見たことがないものを想像するわけだから、わかりやすいというところまではいかないが・・・。5体1でかなわかいほど、だんだん強さを増していくカルサイトに、今後どう立ち向かうのか。楽しみになってきた。

・文の乱れがない。
・あらすじがあったので、わかりやすかった。
・なんのための戦いなのか、そろそろ明確にしてほしい。
・ゲームセンターにいるような感じ。日進月歩、極彩色。
・回を重ねるごとにわかりやすくはなっている。がんばってほしい。

薔薇の庭 ・・・・・・・・・ 都満州美
菊子は庭に薔薇を育てている。といっても、手入れはほどんど夫の健一郎の仕事。農家を継がなかった夫に、菜園や庭にする土地がたくさんあったのだ。毎年、薔薇を見に見物客が来るほど。その人たちに、感謝の気持ちで薔薇を切ってあげる。この冬の極寒で植物はかなりやられたが、何とかつぼみをつけ、一斉に花を咲かせた。「プリンセス・アイコ」という名の花もある。今年はオーストラリアからマイケルさんがやってきた。バラを介しての、ご近所さんとの人間関係や、ひと時の楽しい時間が描かれている。

・とてもよかった。緻密でよく書かれている。
・意図した百合子さん、菊子という花の名前は、花をメインにした小説中ではかえってわかりにくいのでは?・一斉に咲くということは、散った後の寂しさを増すこと。ラスト、余韻が残る。
・バラの大きなイメージ、枯れたみじめな様子などよく書けていた。
・いろんな色のバラが目に浮かぶ。
・全体的に穏やか。ドラマ、クライマックスがほしい。
・バラこそ、世界中にあり、それを育て、見ず知らずの人にも見せる、平和を願い、古風な日本家屋の庭をバラでいっぱいにするという夢がうまく小説化されている。

栗まんじゅう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 有馬多賀子
看護師の晶子は、夫、優と九州出張の土産に買てきた栗饅頭をつまみに、朝食後のコーヒーを飲んでいる。こんなゆったりした朝がくるなんて・・・と思っていたら、義兄が義母のシズを連れてくるという。以前同居していたとき、シズは晶子のことを何かにつけ「中卒」と言って見下し意地悪く接した。しかし、シズは3人兄弟の二人のところともうまくいかなかった様子。義兄、義姉がシズを連れてやってきた。シズは認知症になっている。話し合いの最中に粗相をし、機転をきかせた晶子がシャワー室に。義姉もやってきて、シズの体を洗う。シズは気持ちよさから「シャッシャッシャッーと体を洗おう・・・」と歌いだした。

・いくつになっても母親からすれば、子どもは子ども。シズの無邪気な歌に、皆、ハッとなる。世話になってきたのに、いつの間にか邪魔者扱いするようになる。身内の方が厳しい。嫁の晶子に気づかされた。
・同居というのはとても難しいこと。うまく距離を置くことが一番大事かもしれない。
・切実だが、読後感がとてもよい作品に仕上がっている。
・タイトルの「まんじゅう」ひらがながよい。
・認知症の親の介護は実の子どもでも大変で、難しいところがあるのだが、嫁に負担がかかっていることが、現実にも多い。・親は、老後、娘や息子に面倒をみてもらうのがいいのか、嫁に面倒をみてもらうのがいいのか。考えさせられる。

七夕飾り ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 川下哲男
小3のミチコと小5のルミとサヨは仲が良く、三人でよく遊ぶ。大池に寄り道すると、七夕飾りのついた笹が放置されていた。そこへ3人組の男子がやってきた。うち高木と小島は、以前、ルミがブランコの遠くまでの飛び降り競争で二人を負かしたことがある。「ブランコのケリ、つけようぜ」とルミを引っ張り連れて行こうとする。嫌がるルミを今度は池に落とそうとした。が、うまくかわしたルミ。勢いづいて自分から池に飛び込んでしまった小島。逃げた高木。ルミは機転を利かし、七夕の笹を使って、落ちた高木を捕まらせ、引っ張り上げた。その後、警察に事情を聞かれたが、高木は自分がふざけていて誤って落ちたと言い、皆もそれにならい、一応の解決はみた。

・子どもを助ける笹は計算されている感じ。・臨場感があった。
・昔の子どもは外でよく遊んでいた。そんなよき時代。
・子供たちの気持ち、様子など、会話等でよく出ている。
・映像が浮かぶ。
・ミチコ、ルミ、サヨの会話がかわいい。
・このくらいの子供が主役の小説はあまり読む機会がないので、作者はいくつぐらいの人々に読ませたいと思っているのだろうか。
・ルミが男の子を池に放り込むところ、よく描かれている。・前作の「上級生」の時も思ったが、子ども達がとても気遣いができ、好感が持てる。
・とても素直で、わかりやすい。
・池に落ちたところは、いい場面だけにもう少し詳しく。少し物足りなかった。たとえば、少年少女たちの後日談でもあったらそれを入れるなど。

朝子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中北潤之
烏丸徹は京都の呉服店の御曹司。
だが、家を継がず、油絵の道に進もうとパリへ。しかし、絵描きにはならず、英語を身につけたことで、英語教師として北九州のO高校に赴任。烏丸は始業式に奇妙奇天烈な演説をする。5ページに及ぶ長演説だ。次の日は一人の女生徒に目をつける。吾妻晃子だ。このときは烏丸ではなく、透だが、この場合、彼は女生徒を「をんな」と書く。次なる展開は、八雲朝子との手紙のやり取りだ。朝子はW大に入り、パリに行き、個展なども開く画家になったらしい。その朝子からハガキが届く。「わたし朝子は、貴方烏丸透に向かって飛翔します」。烏丸は「さあ 朝子 飛翔せよ!」と最後を締めくくる。ハッピーエンドなのか?・常に〈カラッと〉乾燥しきっている印象を、京都からきた烏丸はもつ。これは九州人特有の市民性と思う。また、透は、しばしば九州という蛮族どもの地という言葉を使い、どちらなのかと読むほうは混乱する。

・話がどんどん飛んでいく。
・思考の段階でまとめる前に書いていっている印象を受ける。言葉があふれ出るのだろう。
・比喩は独特でおもしろい。
・演説部分は、作者の言いたいことなのだろう。
・烏丸が朝子にジャンヌダルクに似ていると言ったことから、父に、ジャンヌダルクのことを尋ね、実は朝子はジャンヌダルクの祖先なんだと言われる。そこからの旅立ちなど、どんどん飛躍していくが、そのへんがおもしろいのか、不思議なのか、とっぴょうしもないのか、ジョークのような小説といえる。

憂愁 ・・・・・・・・・・・・ 犬童架津代
貞子の弟の嫁が乳がんで亡くなった。貞子の娘も乳がん。貞子の兄も喉頭がんで手術をした。夫と兄を見舞いに行くことに。兄は、術後、流動食になったものの、すっかりやつれている。味がわからないという。貞子夫婦が来てくれたことをとても喜んだ。貞子の夫は、「オレが励ましたから、少しは元気になったみたいだったね」と帰りに話すのだった。

・貞子の弟の嫁は、乳がんで「2017年に亡くなった」は、2016年の間違いだろうが、気になるところ。
・病み上がりの兄が「俺だけだよ、遊んでいるのは。他は皆働いている」と言うセリフが泣けてくる。
・日常のことを書き留めたような小説ではあるが、こういうふうに小さな日常を掬うことは大切だと思う。おそらく年数が経って読み返すとじわりとくることだろう。

あしたは 晴れている ・・・・・・・・・・・ はたけいすけ
校長先生が泣いたとき、三丁目の馬島が「噓泣きや」というけれど、校長先生の娘を知っている正太は、「支那で鉄砲で撃ち殺されたんや」と心を痛める。家に帰るとヌイはすでに熊本に帰ってしまっていた。かなしくてくやしくて、気持ちの持って行きようのない正太。そこへ訪ねてきた若奥さんが、二階の正太のところに行く。正太をからかい、セルロイドの筆箱をプレゼントし、旦那はんの都合で満州に行くかもしれないと告げる。校長先生の娘、女先生が殺された地だ。しかし、若奥さんにも言うに言われない悲しみがあり、正太が降りて行ったあと、二階の部屋で忍び泣きしている。誰もかれもが本音を吐けず、軍歌においたくられる日々。

・正太は奥さんが好きなのだなあ。
・目に見えるような書き方。子どもの視点は難しいのだが、よく書けている。
・女性の「わい」という言葉遣いが違和感。男性ぽい。「わて」ならすっと読めた。
・当時、少年雑誌などでも戦争ものが多く、少年少女をあおった。マスコミの罪。
・セルロイドの筆入れの描写など、巧みで、正太がわくわくしただろうと共感できた。
・自分の髪の毛をほめてくれ、さすがやまとなでしこ・・・切らないといけない、裏切り、たまらなさ。

塩おにぎり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 若杉 妙
38年前からスナックバーをしている私は、スーパー銭湯に行くのを日課にしている。今日は夫と孫の真由ちゃんと一緒に。風呂に入りながら、真由が最近自分ばかり手伝いをさせられるという愚痴から、私は子どもの頃、よく手伝いをしていたことや、定時制高校に合格したこと、真由の母、つまり私の娘の結婚相手と遊びに行くとき塩おにぎりを作ったことなどを昔の思い出話をする。

・ほのぼのとした作風を確立していっている。
・孫に聞かせていく話として、とても後味もよく、いい作品。
・小説仕立てなので、すてきな書き出しから、出だしの夫のところを、夫のO男とかにし、そのあと、夫を全部、O男とすると、小説らしくなる。
・ずっと行動を丁寧に説明し、会話も淡々と写実的に書かれるばかりなので、盛り上がりがない。もう少しの工夫しだいで「私」の歩んできた戦後がくっきりするのではないか。
・P173 「まだ」が二かい。一つを取る。
・生活者としてよく書けている。
・塩おにぎりが食べたくなる小説。
・庶民の暮らしの孫と祖母の繋がりがとてもよい。
・あたたかくて、ほっとする。読みやすい。
・地の文での「お米」3カ所は、「米」でいいのでは?
・私ではなく、三人称で書いた方がよかった

文芸同人誌案内 より抜粋

全国の文芸同人誌のことを紹介しているHP「文芸同人誌案内」に、 「海峡派」137号も紹介してくださっています。

文芸同人誌案内

 
 ↓  ↓  ↓

http://www.geocities.jp/hiwaki1/doujin/douindexF.htm

 

「海峡派」第137(北九州市八幡西区)は小説12編と詩、随想、書評を掲載。「編集後記」(m.wさん)に、「四名の入会者があった。」と報告されています。また原稿提出に関して「こんなふうにしてくれたらありがたいなあ、助かるなあと思ったこと」として12項目が記されています。どれも納得。12番目は「校正は基本的には印刷ミスを訂正したり、ちょっとした修正をするもの。なるべくページ数が変わらないようにする。」。よーく判ります。

 

ひわきさん、いつもお世話になっています。ご紹介、ありがとうございます!

「週刊読書人」文芸同人誌評より

「週刊読書人」第3155号(2016年09月02日) 「文芸同人誌評」に、白川正芳氏により、犬童架津代「日光行き その二」(「海峡派」136号)が紹介されました。

「西日本文学展望」 田原明子「もしかして」

「西日本新聞」2016年09月29日(木)朝刊「西日本文学展望」長野秀樹氏により、田原明子「もしかして」 (「海峡派」137号)が紹介されました。

全作家文芸時評より 抜粋

文芸評論家の横尾和博氏による「全作家文芸時評」のHPより、「海峡派」の批評の部分を抜粋しました。
毎号、横尾氏より批評をいただき、大変うれしく思っています。皆、励みになっています。ありがとうございます。

全作家文芸時評
・・・文芸評論家 横尾和博
  ↓   ↓   ↓
http://zensakka.world.coocan.jp/bunngeizihyou1.html


「海峡派」135号、伊藤幸雄「ストーカー」は短いが最後のどんでん返しがうまい。 有馬多賀子「帰り途」は高齢女性の孤独を幼なじみの男性や正月の情景に託していて読ませる。

「海峡派」134号では戦争回顧物の有馬多賀子「四十年前の紙芝居」が敗戦で満州に押し寄せたソ連軍と庶民の生活の話。シベリア抑留も含めてこの時代の話を書くことは無限大に存在する。

「海峡派」133号、はたけいすけあしたは 晴れている」は連載で孤独な少年の物語。全体像が明らかでないので、いまは講評を控えるが生き生きとした描写が読ませる。若窪美恵ミシンの音」は母と娘の葛藤を描いた家族小説で心理描写にすぐれている。

「海峡派」132号は四十周年記念号横山令子「流れる」はDVの夫との死別など、女性の流れていく日々を淡々と描き味わいのある小説。比喩や形容を用い、さらに磨けばよい作品になる。高崎綏子「海鳴り」は短編で巧い。ストーリーや状況設定ではなく、文学的感性のよさが光る。

「海峡派」131号は、四十歳になった看護師の女性が母の病気や死に際しての葛藤を描いた都満州美「あふれるもの」が印象深い。長い気もするが作品世界は重厚。

「海峡派」130号は伊藤幸雄の掌編「嫌な女」がうまい。ショートストーリーの手本のような作品。古濱紘志「酒のためいき」は酒の失敗談でよくあるモチーフだがうまくまとめて温かい話になっている。

「海峡派」129号では短編ながら犬童架津代「秋の音」、赤坂夕「遠い雲」の二編が光っている。小説としての手応え感があるからだ。

「海峡派」128号は連載第一回目のはたけいすけ「あしたは 晴れている」は昭和初期の大阪が舞台、少年とその周囲の人たちのそれからが気になる。

「海峡派」127号、都満州美「没落風景」は田舎に行き両親の墓参りと叔父伯母に会う話。昔の風景や人の様子を回想しながら人生を考える。テーマはありきたりだが、読後考えさせられる。作者の腕だろう。随想の高崎綏子「夜明けのコーヒー」、さとうゆきの「我が家の記念樹」も興味深く読んだ。  

「海峡派」126号では若窪美恵「特別室の事情」。腹腔鏡手術に失敗して病院の特別室に入院している女子大生の両親との葛藤を書いた。説明をなるべく省き描写で書いていくとさらによくなる。
若窪美恵「イスノキ」は詩、ショートショート、 シナリオ、童話を散りばめ多彩な貌をもつ作品集。

「海峡派」125号では、戦後新制中学に通うようになった少女の好奇心と感傷を描いた有馬多賀子「別れ」、詩ではいよやよい「耳がみていた」、随想では赤坂夕「彼の日、母さんへ」が個性的で感性も優れ目についた。

「海峡派」124号も興味が湧く作品が並んでいた。高崎綏子「時の狩人」、神川こづえ「水たまり」、有馬多賀子「高い石段の上の家」、木村和彦「祥太」などの各作品をおもしろく読んだ。それぞれの個性が光っている。

「海峡派」123号、都満州美「新しい土地」は新しい土地に引っ越してきた女性が土地に馴染むまでを描く。川とその近辺に棲息する動物たちの「土地の力」が妙である。

「海峡派」122号の伊藤幸雄「モンスター・ペアレント」は、時代を往還する着想のおもしろさが光る。アナログ式の黒電話という仕掛け、小道具に注目。

「海峡派」121号、石谷富士男「結核病棟の森」は昭和二十年代に結核に罹り入院した男性が見た病棟のなかの世界。金と力がある者だけがストマイを手に入れ、恵まれた入院生活を送ることができる現実。回顧だけではなく現代の医療格差と通底させてほしい。高崎綏子「百均婆」は、かつて電話交換手をしていた高齢のふたりの女性の心温まる交流を描く。若いころにはいろいろあったふたりだが、時間の流れが尖った角を削っていくように「日々是好日」の心境にたち至った。そのふたりの時間を噛みしめるボケぶりがよい。

「海峡派」120号、大羽崇之「坂道のトラックと引っ越し」は戦後の小学生が見た身の回りの風景を等身大にオムニバス形式で描いておもしろい。伊藤幸雄「もう一人のオレ」は分身モチーフの短編。もうひとりの優秀な自分が家庭や職場に現れて混乱する模様をコミカルに描いた。SFやミステリに流れずにドストエフスキーや藤沢周平の作品のように自らの意識の分裂として書きあげるとさらによくなると思うがいかがか。 

海峡派135号感想 ③俳句、随想 

俳句

午後 ・・・・・・・・・・・・土田晶子


1
月~12月まで描2句ずつ、24句を発表。それぞれが文芸書を紐解くように作句されている。

病床に「初恋」を読む二月かな

啓蟄や「アンネの日記」の背文字見る

 八月の返らぬ本や「鍋の中」

 残暑光「砂の女」を古書店へ


各月の、対の句は文芸書ではないが、文学にまつわることだったり、関連の事柄を思わず連想してしまう句である。

 祖母の墓前にむかうさくらんぼ拾いて

 遠花火本読み終えしあと終わる

 海峡に船の消えいし星月夜

 書を読むも茶を飲むも飽き十二月


言葉の一つ一つの選び方が、もうこれしかないだろうと思われるくらいに鋭い。土田さんは
2015年福岡県先達詩人に顕彰されたほどなので、詩のうまさは言うまでもないが、俳誌「自鳴鐘」でも大ベテラン。

・土田さんの俳句が、一度にたくさん読めてうれしい。

・言葉の人。



随筆

静と動 ・・・・・木村和彦


小説を書く上で、最も大切なものは「奇抜な題材、静止画像でなく文章内で動かすこと、比喩表現こそ、小説の価値を定める最大の武器だ」「ありそうなことを、さもありそうに書く、これは作文である」と断じる。夢を書くと、自由に活動でき、しかも責任がないから、なんでもありで、許される。音楽が良い例である。

 

・もう少し具体的に引用してほしい。

・自分の体験だけを書いているのが小説と思っているようだが、そうではない。創造性に乏しい。

・物を書く=文学でなくてはいけないのか?

・後輩に優しい論文であってほしい。

・創造力で書く大事さ。

・体験から離れられないが、素材がいろいろ取れるし、表現の仕方によって変わる。

本人談:断定したところは、走りすぎた。事実からできるだけ離れるようにという意味。

老女カヌーに乗る ・・・・・さとうゆきの


134
号に掲載された「奄美紀行」の中の、カヌー体験を詳しく記している。「黒潮の森・マングローブパーク」というところでカヌー体験をするという。さとうさんは写真家Sさん(男性)との二人乗りのカヌー。空気が入ったチョッキとビニール草履にビニールレインコート。必死で漕ぐが、浅瀬に乗り上げる。その時にヒルギの種という黄色い植物を教えられ、ニギニギしてみたら・・・「こころなしか種はくすぐったそうに身を捩じらせた。そして、先端とおぼしきあたりがピシッと割れて、皺くちゃの黄緑の塊が姿を現した・・・(略)・・・わたしに捨てられた苗が、砂の上でもぞもぞしている。このまま放置しているとあの子は死ぬ・・・」。この辺の表現は詩の領域に踏み込む前触れ。切り取って詩になっているのが、「漂木(ヒルギ)」。最後にインストラクターは、44艘をロープでひと纏めにし、係留所まで引っ張っていく。

・勇気がある。まるでヒルギの苗のように貪欲。

・興味尽きない作者、写真が一枚あることで、イメージがわき、よかった。

・インストラクターは力持ちだなあと思った。

・作者は、はたからみれば苦痛に思えるようなことも、楽しく感じられる前向きな女性。

銀次郎の日記(ガン闘病記)
―河村一族のルーツを辿って・・・・青江由紀夫

一、 家系図(血脈図)を妄信して

二、 何故繁栄は継続できないのか

三、 出世不出世は努力のみでは不可能か

四、 凡庸も出る名門

五、 関東の未開地に来ては都では田舎者

六、 平将門のお陰で大出世の秀郷さん

七、 またも、密告・讒言で左遷

八、 必死で生きた祖先の人たち

河村一族のルーツに迫り、また、河村博旨について、ウィキペディアなどより転載。

 

・お身体は相当にきついだろうに、よく書かれる。驚異的な精神力。

・自分のルーツをたどっているが、藤原鎌足までさかのぼられると、まさに小説だ。


 


 


 


 

「海峡派」136号 ②詩 感想 

「海峡派」137号が海峡派同人のお手元に届いたころと思います。
早く読みたいのですが、チラチラ斜め読みしては、136号の感想をまとめております。
②詩の感想です。


雪の降る日に
 ・・・・・・山口淑枝

四十年ぶりの暴風雨、「窓越しに降る雪をみている」と、「―ゆうきやこんこんあられやこんこん」・・・とうろ覚えのうたが「降って」くる。そして、若い頃に住んでいた「東北の辺鄙な村」のことが思い出される。四連は時間が遡り、雪掻き、石炭ストーブ、ぽんこつのボンネットバス・・・が出てくる。五連からは再び現実に戻る。雪は小止みになり、外に出て雪ウサギを作った。

「雪は今年も私に/さまざまな《おもい》を寄越して/溶けていった」ラストで、ぐっと締まった。今年も・・・という一文で、去年も、昔も・・・と雪にまつわる何らかの思い出があるのだろうことがわかる。雪やこんこ・・・の唱歌が過去にいざない、また、一面銀世界という最近の北九州ではなかなか見られない真っ白な色の(ない)風景を見せてくれた。


・美しい詩。雪が流れるような情景。

・うろ覚えの、間延びした・・・詩の良さ。

・「ゆきやこんこ」歌一つとっても歌詞のことなど調べれば、勉強になる。

・懐かしい風景

・雪が降ると、東北の村に住んでいた若い日が、湧き水のようにわいて、流れてゆく。

漂木 ・・・・・・さとうゆきの

まず、ヒルギと読ませるタイトルがいい。「はなびらとともに/砂に落ちた俺」、俺が主人公ではなびらは母。「垂直に砂に刺されば/そのまま苗木となり・・・マングローブの密林を/さらに深くした・・・」、つまり、マングローブの種か。母は「潮がくれば漂って・・・砂をさぐり根を下ろしなさい」という。「みにくく焼け焦げた俺」は、海をめざし、未来を信じる。

焼け焦げた・・・というのは何によって? 戦争という外部の禍のためだろうか。母のはなびらも「無防備に焼け」ているので、俺の「母よ/この責め苦を味あわせるために・・・」というのは俺の誤解だろう。しかし、最後で、未来に息づき、さらに木、樹、森と命を増やす希望を得ることで大きな命の循環、生命の摂理を描き出す。

・ヒルギは終わりのようにおもえて、再生につながっていくという広がりを感じた。

・なり替わる方法・・・斬新

・ラストのマングローブの密林の風景がよくわかる。

・エッセーとセットにするとよくわかる。

・擬人化、はかなさ・・・小さい存在ながらも強くいくという意思もみえる。

・「そこがお前の生きる位置」いい言葉。母の言葉。子どもを突き放して強く育ってほしいと願う。

・マングローブは総称、森の意味。


記憶 ・・・・・・清水啓介

主人公の主語はないまま物語は進む。「二月の生温かな夕暮れ」に、会社から帰宅。中に、「見たこともないオカッパ頭の片眼の少女が・・・・積み木」で遊んでいる。「出られない・・・困った」と言いながら。隙間はたくさんあるのに出られないという。「誰だっけ?」自分の記憶があやふやになるが「雪だるまの歌」が聞こえてきて懐かしくなる、誰の記憶?すると、片眼の少女が「はじめから、有ったのよぉ・・・」と言う。

記憶は作り上げてきたものだけでなく、初めから有ったものもあるらしいことが見えてくるが、それ以上は想像するしかない。


・シュールなちょっと怖い物語。清水さんの作品は、いつも読後、ざわざわと波立つ気持ちを抱かせる。

・片目の女の子が「出られない、困った、困った」という。「何も入ってないじゃあないか」「入れないから出られない」「真ん中に赤い柱があるから、入れない」「何も無いじゃあないか」「有ることになているの」この世の不条理。作者は女の子のように、無いものを有ると思って、受け止めてみようと試みる。

・メルヘンチック

・前の号の詩と関連していて、存在を問う詩。難しいが、詩らしい世界を表現。この世の不条理。

・ラストで初めに戻る。少しホッとする。

向こう側―亡き娘に ・・・・・・高崎綏子

「寝間着が湿っていたので/封印した衣装函から/青い小花模様のパジャマを出して」着た作者。寝間着は「病院の 地価の暗がりで回転していた/ランドリィの匂い」がする。真夜中、用をたしたあと、洗面所の鏡に映る自分を見て「あ のかたちに開いた唇 瞠いた目・・・」がいる。ラストで「あれは あなた/それとも 私/どっち」と、問う。

亡くなった娘の胃腸箱を開けて、青い小花模様のパジャマを着る。封印していた衣装箱の中身は熟知している。長い看病の末に娘は亡くなり、捨てきれなかった衣装を年老いた母が箱に詰め込んだのだから。開ければ思い出があふれて、収拾がつかなくなるのがわかっていたから、封印という言葉を使った。だが、不用意に開けて、しかも身にまとう。真夜中、鏡に映った初老の娘。あっ・・・あの子がよろける私に幽かな笑みを投げて。


・初めて出会う髙﨑さんの詩に仰天した。どうしても詩ではなくてはならない、詩でしか行減できない、という必然が伝わった。

・亡き娘さんのパジャマを着たための錯覚なのか、一瞬、訪れたのか・・・いつもいつも亡き娘さんのことを思う母の愛が伝わってくる。よくある内容だが、言葉の選び方や文の斡旋が見事だと思う。

春はめぐる ・・・・・・赤坂 夕

「木の芽おこしの 雨が続き」の出だし、「春に出会えた」と締めくくる1連。2連目は、色とりどりに咲く花々を「まるで舞台の袖で 自分の出番を待つ様に」と描く。そして、3連は心臓リハビリに励んでいること。4連は鳥たち。終連は、「生きとし生けるもの」への賛美。

・命あることを、そして命がつながれていくことを、心から祈りたくなる春の賛歌。

・きれいにまとめてある。3連目がおちゃめ。元気な作者が顔を出している。
・気持ちの良い詩。

節分の夜 ・・・・・横山令子

「節分の豆は どこに向かって投げればいいのか」と「部屋に独り立ち尽くす」。「鬼はおまえかもしれないぞ」と問いながら、言い訳を探す。「相槌を打てば足元をすくわれるから/孤独を囲って生きるのが賢明」・・・「傷つくことに慣れないから心に圧力をかけていた」・・・が、「等身大の自分の姿が浮かんでくる」。五連、六連では湿原地帯に住む動物や、野焼きの炎の比喩が出てくる。

・孤独感を言葉巧みにつかみ、言い表そうとしているようだ。最後の行で現実に戻る。豆は「まだ手の中」で、短い時間の作者の戸惑いが感じられる。

・「節分の豆は どこに向かって投げればいいのか」「鬼はおまえかもしれないぞ」「豆をつかんでひとり立ち尽くす」「人間としてとりつくろって 生きていくのに疲れた」「誰に、どこに、この思いを投げようか・・・」投げられない豆を手の中にしたままの作者に同感した。


門司港の風 
・・・・・松本義秀

歌詞。門司港の風景描写。海からの風やレトロの街並み、和布刈りの岬、風師の山・・・門司港は作者が生まれてから育った町。自分も変わったように町も変わるが、その変化は作者の中では大したことはないようだ。

いつも変わらない姿を感じさせている。門司港の風、愛を感じさせる作品。曲をつけて披露してほしいものだ。

・門司港の風景がそのままに描かれている。よくわかる。

・昔5区それぞれに賛歌があった。この詩は、門司港という土地の賛歌。

・歌詞も詩であるか? 例えば文学賞に応募してもいいのか? もちろん、詩の一つだし、応募してもよい。よいものはよいという評価になるはず。

・この詩は、長編小説の中に入っている一つの詩。小説を出してほしい。

・歌詞のジャンル。海峡派の「銀次郎日記」にもよくでてくる。千葉の海などを唄った詞で、いずれもあたたかい賛歌。「門司港の風」は、門司港への想い。それは、遥か、深い、翔る、であり、駅舎、海、風が受ける。

・7・5・7・5と調子よく言葉が選ばれており、りっぱなご当地ソングになっている。


海に沈む夕陽 
・・・・・ 若窪美恵

「自らの重さに耐えかねて 落ちながら炎えて 海を焦がして沈みゆく夕陽/赩々揺れる 怒りの波にくるまれながら」・・・鮮烈なイメージ。

泣きたい思いがあっても、家族にも友人にも云いたくない。どこか人のいないところで心を静めていたい。作者は昔、住んだ海の見える場所に車を走らせる。その海は落日が美しい。夕陽を追いかけて走れば、昔、何も聞かずに明るく騒いで、励ましてくれた友と、友の母親を思い出す。あの母にも、自分の母にも重たい荷物があったろうに。大きく揺れながら海を染め、溶けていく太陽に、明日に浮上する自分があることを祈る。

・「泣ける人はいいよね」普段の作者とは違う情感がある

・わたしたちの「たち」がわかりにくい。いきなり疑問を誘う。

・「思う」「考える」は詩の中では禁句。

・ラスト2行は言い過ぎか?

・人生は重い荷を背負って坂道を登る如し・・・の言葉が浮かんでくる。

・母の口癖から自分に取り込まれる優しい気持ちが流れている。


賑やかな透明人間 ・・・・・・池田幸子

「わが家の仏間に/大勢の透明人間が集まった」。「軍服やら 水兵やら/羽織袴やら 桃割れやら・・・」透明人間同士はわかるらしい。なぜこの家に集まるかというと、「いつもお茶とお仏飯があり/お菓子や果物があり 心和む」らしい。いろいろ体調を壊した作者が「早く其方に行
きたい」と囁くと、二十三歳のままの娘を乗せた「てんとう虫が・・・飛び去った」

・戦後70年。異界のひとびとが賑やかに集っている。親戚の名簿に無い人もいっぱいいる。この家は心和むと言われれば悪い気はしない。持病が長引き、骨折などが追い打ちとなると、あちらの方たちにご一緒させて・・・と言ってみたくなる。たしかにあの世は、隣の部屋みたいに近く感じる。そこまでは平凡だが、てんとう虫に乗って秋天深く翔び去った亡き娘の登場で、詩が成り立った。

・この世とあの世とわけるほどのことはないという心境なのか。それでも心が弱ったときには娘さんのいるあの世に行きたいと呟く。終連の娘さんを乗せたてんとう虫は、またお彼岸にくるよ、思えばいつでも会えるとでもいうように感じられた。

・隣の部屋に死者の魂がたくさんうごめいている。堺のない心境。

・てんとう虫に乗って、亡くなった娘が飛んでいく。作者は救われる。

・ビワの音が聞こえる。苦痛に思えることを楽しく感じる。


 

「海峡派」136号 感想①小説 

みなさま
暑い夏でしたね。お元気でしょうか?
はや8月も終わり・・・もうすぐ137号がお手元に届くと思います。
大変遅くなりました。お待たせしました。 「海峡派」136号の感想を順次アップしていきます。まずは、小説から。

ミステリー旅行 ・・・・・・・・若杉 妙

目的地が杖立温泉というだけで、参加人数もスケジュールもわからないまま、誘われた旅行に夫婦で参加した。一億円のトイレや「筑前町大刀洗平和祈念館」に寄り、朝倉で昼食。杖立温泉の旅館で、参加した六夫婦のことが少しずつわかってくる。また、何ともユニークなのは、温泉・夕食後に座布団を抱えて出かけた芝居。何と小国町町長や旅館の主人や郵便局長や駐在さんなどが演じている。少々がっかりしたが、観ると、面白く、とても上手。大いに満足した旅行だった。

612人の珍道中。楽しみの夕食が、宿の女将の手作りで、少しがっかりするが、板前さんが杖立伝承芝居の女形だと知り、許す。同業者の人間関係や宿のもてなし、行ずりのレストランやそこであった人々の様子が、手にとるようにわかり、12日の旅にしては盛りだくさんの楽しい旅だったろうなと思う。

・作者が好奇心に満ちた明るい性格の持ち主だと思う。

・旅紀行の分野か。

・文章が流れるようで読みやすい。描写もいきいきとしていたし、内容もとてもさわやかで、読後感もいい。それぞれの夫婦のありようもよく描かれていた。

・筆に力がある。

・どんどん入ってくる。「見える」のはいい作品。

・「ミステリー」なので何があるのかと思ったら、当たり前すぎる。だが、作者は人との出会いも含めて興味深く、ミステリーと考えているのだろう。

・作者にとってのミステリーだが、タイトルが大きすぎたかも。

 

輪廻 ・・・・・・・・・田原明子
陽子は五回目の、早死にという人生を選び、今また突然の死を迎え、魂になった。解脱するか、それともまた輪廻して徳を積むか。ひとまず、魂のまま前世の家に戻ってみると、夫は20歳も年下の女性と結婚する、しかも女性のお腹には赤ん坊もいるという。夫にだまされていたのだ。しかし、陽子はその赤ん坊に転生する道を選んだ。かつて夫だった男を父とし、夫の浮気相手を母と選び、再び生まれる。

45歳で突然死した陽子は、死後42日で解脱か輪廻の岐路にたち、門番といろいろ問答し、輪廻を選ぶ。夫の愛人のお腹にいる赤ん坊の魂と入れ替わり、無事にこの世に転生する。とてもうまくて、文章は洗練われているので、引き込まれてしまう。

・読後感は気持ちが落ち着かない。「赤ん坊になって、夫の腕に抱かれ、すべてを忘れるのだ」・・・夫への不実、女への恨みなど・・・そして母となった魔性の女がすすり泣いている。それを恨みを超えて愛しく思う陽子・・・と書かれているが、実際にはこうはいかないので、小説仕立てにしたのだろう。

・どこかで読んだような気がする内容ではあるが、その文章力はとても優れている。そのため、輪廻の仕組みもああそうなのかと思わず納得させられる。どういう状況での人生であれ、生まれてきてよかったと思えるのだろうという収まりのいいラストだった。

・よかった。仏教用語なども使い、ユニーク

・輪廻の精神がじんわりと入ってくる。楽しく読めた。

・死んだらどうなるのかというテーマをやわらかく描いている。

・P17上段〈いろいろ〉を3回使っている。

(本人談)チベットかどこかのビデオを見た。その内容が残っていて、こんな物語を作ってみた。

 

一枚の写真から
    ―明治初のミス日本騒動異聞 ・・・・・
有馬和子

聡子は蕎麦屋の壁に貼ってある一枚の写真を見て、女子大生の頃、末永スミ子について調べたことを思い出した。スミ子は明治初のミス日本に選ばれた女性だ。スミ子は学習院女子中等部時代、アメリカでカメラの修行をしてきた義兄が勝手に応募した写真が、みごと一位をとったのだ。景品は高級呉服やダイヤの指輪、タンスなど豪華なもので、二部屋二十畳がうまるほど。しかし、級友たちの冷たい視線や、何より学習院院長・乃木希典の逆鱗にふれ、退学に。義兄も事の重大さに気づくが後の祭り。その後、乃木院長から縁談話が・・・

・明治41年のミス日本一に輝いたスミ子の物語。タキは侍女として、彼女のき方をずっと見守っていた人。そのタキを取材するうちに聡子は、スミ子が女教師になりたいと思っていたことなどを知るが、結局、侯爵の息子の嫁になる道を選んだことがわかる。
・最後の「あなた方のお陰で、今の私たち女性の自立があるのですよね」というのは言い過ぎか。
・スミ子の人生を傍で見てきた侍女、タキから聞いたという設定が功を奏し、タキと聡子の会話もリアル感があった。スミ子の義兄に寄せる思いもしっかり描けていて、内容に厚みが出ていた。文章も滑らか。時代の持つ女性観がよくわかり、興味深く読んだ。
・小倉織は当時は男子の袴に使っていた。

・三層構造の書き方。わかりにくさもあったが、手が込んでいた。

・ラスト、大げさ。スミ子の生き方と今の女性の地位と結びつけるには少し無理がある。

 

上級生 ・・・・・・・・川下哲男

小学3年のミチコの家は崖のヘリにある。崖の下では、トンネル工事が始まり、近くに工事作業員の宿泊所が建てられた。そこに越してきたのが、5年のルミ。ミチコとルミは毎日一緒に通学し、下校後も遊ぶ。ひと月後、子共対抗リレーがあり、予選でルミとサヨが一位争いになるが、いつも一位になっているサヨが選手になった。だが、大会当日、サヨは仮病をつかい、ルミが出ることになり優勝する。夏休みに、ミチコとサヨが赤痢にかかる。サヨはまもなく良くなり、ルミと一緒に遊び場になっている「お地蔵さん」の所に行き、ミチコが早くよくなるように祈る。ミチコは夢の中でお地蔵さんの所に行くが、「行っちゃだめ。戻ってきたら、教えてあげる」という声を聞く。退院後、ルミは父親のトンネル工事が終わり転校していた。ミチコ宛ての手紙には、またトンネル工事が始まれば戻ってくる、その時には、ブランコから飛び降りたり・・・教えてあげると書いてあった。

・崖のへりと、崖の下のトンネル工事、年上の転校生、そしてよく遊んでいる「お地蔵さん」などの設定がぴったりはまっている。時代的には昭和の中ごろぐらいのようだが、ミチコ、ルミ、サヨのほのかな友情には時代に関係なく温かく感じられるものがある。文章もとてもうまく、一気に読めた。

・美少女ルミちゃん、優しく、かけっこも速く、すてき。

・絵本に書いてあげたいような「見えた」作品。

・おもしろかった。おとなのための童話。

・「親の顔が見たい」「先客がいた」などは子どもの言葉としてどうか?

・町内運動会の様子がいきいきと描かれていて、とても面白い。謎の少女、ルミ・・・

・メルヘンチック、ラストが切ない。

・いい小説。サヨ、さりげなく見てて、ルミを選手にさせる手段など思いつく・・・よく表している。

・―いる ―る が多い。タイトルが平凡

・テーマが作品に出ている。

(本人談)妻の体験を聞いた印象で書いてみた。

ハーレーズー ・・・・・中北潤之助

北九州のバイク野郎として名を知られる中野剛と妻しず子は、カフェ「ハーレーズー」を開いている。公園で出会った4歳のひとみを、歳とった養父からもらいうけ、以来、夫婦は人生の大きな転機を迎える。

・クレージーなまでの擬人化した形容詞で、門司港海岸が描写され、荒っぽい喧嘩言葉がいきかう。しかし、独創的な小説で、思わず読みふける。

・パンクは苦手な楽曲だが、ちゃんと歌詞がかかれていると、なるほど・・・と引き込まれる。

・初めて出会う文体なので、面食らっているが、次が楽しみ。

・とても読みやすかったし、ストーリー性もあり、また、得意の訳詩(セックス・ピストル)のもうまい具合に自然に文中に入れられていた。とてもいいと思う。

・ひとみを養女にするくだりで、もう1行でも困難だった経過など(たとえば、弁護士に相談して、とか、ひとみの本当の親や親類を訪ねてみる、とか)あれば、より説得力あるかも?

・ルート66がバイク乗りにとってどういうものなのか、最初に出てきたときに、1行でも説明という か、会話の中ででもあれば、(たとえば、「3キロ超えの一本道、バイク乗りのロマンス街道だ」とか)読者にスッと入ると思うが?

 

あしたは 晴れている ・・・・・ はたけいすけ

正太は全校朝礼で校長から、支那による日本人大虐殺は許されないと、『政府の戦争拡大・断固暴虐し合を應懲する声明』について説明され、最後に「海 行かば・・・」を合唱。やっと校長になれた彼を悩ましているのは長男。教育者一家に生まれたのに、勝手に東京のレコード会社に就職した。息子は新しいレコードと一緒に父や戦争を批判するような手紙を送ってくる。正太はというと、朝礼後、馬糞の前で座り込んでいる。聞くと、「子之八じいちゃんが・・・大将の乗る馬は、一番偉い馬・・・だからババも沢山できれい」のだと言う。正太は校長の新米女先生である娘、恵美子と以前会っている。恵美子は教師になったら支那に渡ると父・校長に話す。それを聞いていた正太は、「支那の鉄砲で、撃ち殺されてしまう」とむきになるが、恵美子は「鉄砲は胸の奥に持っていて、撃ち方も知っている」と正太に笑ってみせる。

・校長と、息子・娘の考え方の対比が鮮やかに描かれている。正太は大人も顔負けの子供らしい発想で、巨大なものと自分たちのような小さく弱いものを暴く。頭の良い子。子之八の影響がそこここで出ている。当時の庶民の様子が、典型的な人物像を動かすことによってうまく再現されていると思う。

・高岡校長の長男と長女を語ることによって、激動する戦争前夜の時代に、庶民の生き方を考えさせている。

・馬糞でも大将の馬糞はきれいで臭くなく仰山すると、子之八じいちゃんから聞かされていた正太が、懸命に馬糞を運ぶ姿が活写されている。

・群が教育に深く干渉し、戦々恐々とする校長らの様子も、リアリティがある。

・文章は子どもの目線だが、背景の歴史的事件をうまく記している。

・触れてはいないが、残虐なことがたくさんあった。

・校長の娘や息子が、父とまったく違う生き方をし、時代と絡めていく書き方。うまい・

・教育の分野に軍部がかなり入っていたのがわかる。

ラスト・ストラグル(連載第四回)・・・ 坂本梧朗

ワラシが死んだ。その前後や火葬も、詳しく書かれている。身内の死よりも切実に哀しみ、カティアとツムジの反応も納得がいくように、丁寧に描かれている。両親(サンジイ、サンバア)のますます進行している痴呆症状に、振り回される。とくにムーサンは、実の両親が夫には見せたくないような「へんなこと」をすると、やりきれない。ムーサンとサンバアの口汚いやり取りも、カーツンとサンバアが繰り広げる食べ物を巡ってのバトルも、よくあることだが・・・。

・スーパーリアリズムに文学性があるか・・・評価はわからないが、犬の死にあれだけの思いを持つ人が、人生を終わろうとする人にどう向き合うか、今後の展開が楽しみ。

・ワラシの目は、ドライアイのため、接着・・・ムーサンは自分のせいだと責める、切なさ。

・最後、甘えさせてあげることができ、ほっとした。

・サンジ―、サンバー夫婦の会話、すごい。また、ムーサンとサンバーの会話もすごい。

・自宅介護の描写が切実。介護には共感する人が多いはず。

・サンジ―、サンバーの性に関するところ、一緒に住んでいて恥ずかしいところも赤裸々に描いている。考え方で違うだろう。

黄昏の街 ・・・・・・・・・・・古濱紘司

徹は損保会社に勤務。課長として単身赴任した北九州でのこと。宿舎に戻っていたら、片山から呼び出しがあり、事故対応に同行することに。事故はおかしいところがいくつもあった。契約者の女性が軽自動車で狭い商店街を運転中、後方で「トン」と音がした。何もなかったと帰ると、その女性の車に当たってケガをしたと言ってきた男がいた。調べると、男はブロック片で自分の腕を叩きつけ、ケガを工作したことがわかった。


・全体にメリハリがない。

・自作自演のニセ事件。ケチな犯罪と、保険詐欺が横行するうすら寒さがジワリと身にこたえる。

・慣れぬ土地で遭遇した出来事に疲れている徹の実情がよくあらわされていた。

・土地柄というには厳しい当時の底辺の暮らしぶりもラストで書かれていることで、全体が引き締まったと思う。

・一昔前のこととはいえ、地元の暗部について小説仕立てでえぐり出そうとしている。この小説から学ぶこともあるだろう。変わったことと、変わってないこと・・・考えさせられ
る。


昼下がりの喫茶店
 ・・・・・・・・ 伊藤幸雄

昼休み、喫茶店でコーヒーを飲んでいる宏は、今日も営業成績が上がらず、会社に戻りたくない。上司はネチネチと疎ましい。時間だ・・・と思っていたら、隣から「邪魔者は消すしかない・・・」とドスの利いた殺気を忍ばせた声が聞こえた。気付かれた宏は、とっさに傍のデンドロビウムという花びらを摘まんでいた。男たちは今話していたのは、今度売り出す小説のことだと大笑いで宏の誤解を解こうとする。なるほどそうかと思った宏。翌朝、ビルの谷間の路上に叩きつけられた男が一人。手には花びらが一枚。

・人の話に首を突っ込んでいたら、ついに殺されることに。

・殺人計画を聞いたとしても、まさか自分のことだとは思わないだろう。

・なぜ宏が殺されなくてはならなかったのか?深読みすればおかしなことも出てくるが、すっと読むとなるほどと思ってしまう。

・オチのあるショートショートはとても難しいが、今後も新作をどんどん出してほしい。

・情景描写、悲哀なサラリーマンを描くのは伊藤さんの得意とするところだ。

  

日光行き その二 ・・・・・・・・ 犬童架津代
幾代は日光行きの途中、娘のところに寄り、孫たちと触れ合う。そして、彼らと別れ、再び日光を目指す。鬼怒川公園近くの旅館が詩の仲間との会合場所だ。一足先に着く。幾代のペンネーム「舞」の詩を批評される。横田すずの「横田商店」の詩も紹介。詩の会のあとは、皆と日光の観光。


・非日常を大事にすることで、日常を頑張れる。その非日常は、詩の世界で、作者が家族とも離れ、一人になり、自分自身をさらけ出せる場所。そのことが今回の小説でよくわかった。旅行も観光に行くだけではやはり物足りないが、詩の会と合わせることで、充実した日程になっただろう。

・好きな趣味のことを大事にしているのが伝わってくる。

・紀行文のように平板に陥りやすい。物の感じ方などをもう少し詳しく。

・P15の友人の詩は、もっといい詩がなかったか?

・幾代が高田先生に会った時のことをもっと詳しく書いてほしい。

・「旅疲れからくる解放感」はおかしいのでは?

・感心した人の詩を紹介しているが、紹介した詩はうまいとはいえない。ほかにあったのでは?


苦節川(九)・・・・・・・・・・・ 山之内士山を背景にする工場で働いている浩一。ある日、警戒警報が構内に流れ、頭上には敵機が低空飛行で旋回していたことがあった
。職場の中には沼津市内の空爆の犠牲者になった人もいた。そんな折、青年士官が一通の封書を持ってきた。母の体調が悪いとの知らせだった。浩一は母の元へと帰る。水戸駅から額田駅へ。母・慶子と妹たち三人が出迎えてくれた。その後、時は過ぎ、ラジオから日本の敗戦を告げる天皇陛下の玉音放送が流れてきた。


・戦争の中、ただならぬ様子が浩一の家族の消息を通して描かれる。浩一は母・慶子のことが気が気ではない。敵機からの攻撃の状況を考えれば、日本の負けは目に見えているが、気をもむしかない。玉音放送は、敗戦という残念な報告ではあったが、ようやく敵機に恐れながら眠る日々に終わりを告げるほっとする気持ちもなかっただろうか?

・すっと終戦までいってしまった。もう少し、戦争への思いなどを掘り下げてほしい。

・天皇のために死んだ人たち、天皇のために死んでしまった大人たち、言えない部分が大事だが、まじめな浩一は言えない。天皇に命を捧げると本気で思っていた。

・「鼓膜が痛くなるほどの静けさ」

・この時代の人々は、肉親を大切にし、引き裂かれれば、何としても会いたいと思う。今、ものは足り、余り、捨てる時代に、この浩一が母を気遣い、弟を気遣う情の深さを思う。

・天皇陛下のために死んだ人々は、それが親、兄弟を救うためと信じて、特攻も辞さなかった。浩一も上の言うことに逆らわないで生きてきたが、どうしても帰りたくて嘘をつく。

メダル・ソルジャーズ(3)川口編 ・・ 大空裕子

川口由美がメダル・ソルジャーズの一員になる前の話。由美の叔父が屋てきて、「メタモン界に異変が起きている」と告げる。そして、由美に一緒に来るように言う。その頃、一人の男が邪悪なメタモンを復活させようとたくらんでいた。かつてのカルサイトだった。由美は、メダル・ソルジャーズの一員になって、その男たちと闘うことになるのだ。

・まだあらすじのようなので、もう少し書き込んでほしいところだ。また、できることなら、なるべく細切れでなく、まとまった枚数で発表してほしい。

・由美がメダル・ソルジャーズになる必然性を描いたようだが、叔父もメダル・ソルジャーズの一員なのか、その説明がほしかった。どんどん話をおもしろくしていってほしい。楽しみだ。

・ライトブックスという分野は初めて知った。


慰霊碑 ・・・・・・・・・・・ 都 満州美

雄一は養豚場で下っ端として働いていたが、四十歳で多額の借金をして、延岡の外れの養豚場を引き継いだ。家から車で一時間もかかり、途中に豚の慰霊碑がある。慰霊碑は雄一の慰めでもあった。雇っている洋一はベテランだが、雄一の母親・繫子はまったくの素人だ。豚は高価なものを食べるので、エサ代だけでもお金がかかる。桂子という妻と二人暮らし。繫子は一緒に住もうと誘うが、話に乗らない。豚舎で働かせることを申し訳なく思うが仕方がない。生まれた子ブタは半年で出荷するが、それまでの飼育は並大抵ではない。弱い子ブタは死ぬ。初めて豚を出荷する日のことを雄一は忘れない。


・豚の飼育について、エサの調合から掃除、出産のことなど詳しく書かれてある。匂いまで漂ってきそうだ。家畜の飼育は根気と愛情がなくては続かない。割に合わない仕事だと思う。大事に育てたからこそ、おいしい肉になってくれよと言えるのだと思う。

・雄一は魚釣りが好きで、サーフィンもやっていた。豚の世話に追われる彼は、一日も休んだことがなく、今では商売人の顔になっている。死んだ子豚を抱いて泣いている母親を見て、自分も声を放って泣く優しい男。
・今までの作品とガラッと違っている。読んだことのない世界。

・豚を送るとき辛い。むごい世界。

・スーパーで何でも買えて恵まれているが、生産者のご苦労は並大抵のものじゃない。

・タイトルにもなっている慰霊碑というのが作品中でうまく位置づけられていない。誰が何のために?由来なども必要。

・力強い筆力。

・息子と母親の情感が出ていて、ラストがよかった。

・体験と見まがうほどの緻密な創作力だ。取材の力だと思う。

・苦労が伝わってくるが、まだ弱い。葛藤を赤裸々に描いてほしかった。



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