れんじふーど・だいぶ ・・・・・・・・・ さとうゆきの
タイトルも詩もすべてひらがな。「あるふゆのあさ/みんながいくので ついていった」のだが、「おされて/てつのはねのすきまから おちた」「にげなくては」「もどっておいで/なかまが ないている」何が?ヒントは「はねをばたばた ちゅんちゅん」。ここで、スズメだとわかる。一時間後、「にんげんのてが にょきっと でてきて」「にんげんのてと てつのあみのすきまは/ぼくの いきしに を さゆうする/〈かつろ〉というものではなかろうか」と理解する。最後は無事に「なかまのところに もどっていった」

・主人公はぼく。ぼくはスズメ。れんじふーどにだいぶしてしまった。スズメがこわがっている様子が、よく出ている。ひらがなの効果。外の寒さと、「にんげんのいえのなか」の温かさの対比は、この場合、そのままにんげんの優しさにつながっている。
・レンジフード(換気扇)に小鳥が入って来たことを詩にした。面白み。
・小さい出来事でも、鳥にとっては大きな出来事。 ・鳥だったら〈かつろ〉を感じたら書かないだろう
・ドキッとした、ひらがなばかりだから、一見簡単そうに見えるのだが・・・ ・真ん中で主人公が何かわかる 《作者の言葉》 去年までレンジフードの下に気があったが、その木を切ったので、レンジフードからいろいろ入ってくる。

83歳Now ・・・・・・・・ 高崎綏子
なんとも若々しいタイトル。「電波障害で」「司令塔から/指示が届かないので」という出だしからよくわからない。テレビなのか、ラジオなのか。駅前の幹線道路の陥没は、博多で起きたあれだろう。苦江巣氏はクエスチョンのことのようだ。3連目では、司令塔復活。ラストは「わたし/今」「物干竿にぶらさがっている」とある。

・一行に多用する/の意味するものは何? →視覚的に面白いと思った
・/は目で見ての効果 ・陥没事故のことを書いているが、メタファ
・苦江巣氏というのは、クエスチョンのこと。物干し竿にぶら下がっているというのは、クエスチョンマーク ?がフックの形になっていて、ひっかかっている様子を描いているのでは?
《本人談》 まだらぼけのことを書いている。電波障害とは脳のこと。これからは詩を書いていく。

旅行記 ・・・・・・・・・・ 清水啓介
就寝前のいつもの儀式。「目を閉じて、自身の意識の内側を覗」く。古びた階段を降りてみると、扉があり、開けると「そこは裸電球の灯った一畳ばかりの和室」。その鏡に「戸惑った中年男の顔が映っている」のだが、何かおかしい。俺だが、よくよく見ると、木偶人形だ。「意識という現象さへも、実は幻影に過ぎないのかもしれない」と思う。

・自分を探し、その探し当てた自分さえも自分でないと疑う。意識も例外でなく、自分の意識だとおもっているのも、やはり幻影にすぎないのでは?と考える。入れ子式の箱を次々と開けては「違う」と落胆しているよう。いつ作者は自分にたどり着くのだろうか。
・どこかで読んだような詩(作品)
・起きたことに対する判断 ・タイトルが面白い ・村上春樹が自分の意識の内側の地下1F、地下2Fまで下りて行くと言っている。もっと下りてほしかった。
・幻想感を説明しないでいいのかも。
・行間があるので、一行に長く書かなくてもいいのでは?

水自慢 ・・・・・・・・・ 山口淑枝
「水が美味しい。/有り難いねえ。」とは、東南アジアの旅から帰った時のセリフ。さらに、蛇口から水を出し、「日本の・・・水は」と連れ合いが言ったら、「これ北九州の・・・水よね」と私が言って、「にこにこする」。

・海外に行くと、日本のよさがわかるが、ことに水に関しては、日本ほど安心して飲める国はないのでは・・・
・確かに、言われてみれば、日本のように蛇口から出る生水を飲める国は数少ない。
・誰にともなく、自慢げになる。水は体を作る。水なしでは生きられない。本当にありがたいことだと思う。足りすぎて忘れているだけだ。そのことに気づかされる。
・ありがたい・・・と改めて思ってみると、ありがたいのは水だけではないと気づく。

母よ ・・・・・・・・・・・・・ 波多野保延
「九十六年を生きた証が/神は無情な試練を与えている」という。苦労した母が人生の最後にまだ試練があるという。「骨と皮の四肢に/何本もの管が垂れ下がる」ので、見ている方も辛い。そして「十日後遺ろうの決断をした」という。口で食べられないというのは、見ていてなんとも言えない気持ちになるもの。そんな母に好きだった日舞のレコードを聴かせる。

・96歳の母親の看取りをする やつれ果てた母の「生」を神の無情な試練ととらえる作者だが、母が踊ったことがある「柳の雨」のレコードを聞かせ、顔の反応にこころを動かされる作者でもある。この揺れ動く心情を詩にされている。俳句もされ、短歌もされる作者だが、これは詩を選ばれた。
・母を思う気持ちはいくつになっても変わらない。生きていてほしいと願う気持ちも。
・最後にレコードを聴いてかすかに顔に反応があったというのは、ほっとした。
・短歌には、斎藤茂吉の「赤光」がある。波多野さんは当然、意識されただろう。

友は逝く ・・・・・・・・ 横山令子
彼女と私の距離感を「そうだ 友と呼ぼう」。友は「大切そうにいつも箱を抱えていた」「友からの電話は古本屋の匂いにも似て/束の間 時計の針は戻った」・・・友と作者との距離感、そして同じ時代を過ごした日々が感じられる。ラストは「電話も住所も消したけれど/マタ向コウデ会イマショウ サヨウナラ」と、消した後のことはカタカナで表現。

・カタカナ表記の事務的な感じが、なんとなく無機質で終わりの寂しさを捉えている気がする。 ・加村さんの追悼詩だと思った。
・友との別れはとてもつらいもの ・追悼とはいえ、よい詩
・箱はメタファ ・ヒリッと肌がつるという感性がいい。

しあわせ時間 ・・・・・・・ 赤坂 夕
「釣川土堤に/つくしがはえて・・・こがもが十二羽・・・」私は聞く。声に出してか、心の中でか、「何をしてるの/藻を食べてるの」と。そして思う。「きみたち・・・自給自足で/自立していて カッコイイ」と。 自然に恵まれている家の周辺を散歩でもしながら、作者はいろいろと考える。たとえば小鴨を見た時。誰から養われているわけでもなく、自分でエサを取り、生きている。そういうことにもふと思い当たり、えらいなあと感想を持つ。

・素直に詩にできる人。感動こそが詩の原点かと思う。そして、その気づきに、幸せ時間と思っている。しあわせは身近にあるものだと改めて考えさせられる。
・自分の今の辛さを釣川の小鴨に思いを寄せている。 ・車から川面を見たりするのが、なぐさめ
・表記の仕方を工夫している
・ラストの「カッコイイ」の言葉を使わずにカッコよさを伝えることが大事
・小鴨のかわいらしさや、歌いたくなるような、浮かんでいるようなレイアウトになっている。

カティア逝く ・・・・・・・・ 坂本梧朗
26行にわたる第一連。その最後は「君の去り際に/立ち会えたことを/よかったと思い/また不思議にも思った」と締めくくる。カティアの最後を看取ったのだ。二連目はカティアの思い出。「寒い夜中に抱いて出て/大小便をさせた/雨の日には傘の中に君を置いた」など、そこここに君の思い出を探す。ラストもそう。「家のあちこちに/君の思い出がある」という。

・ワラシの子ども、カティア。苦労もさせられたが、家族なのでその死はつらいはず。作者はまた、犬と暮らすことがあるのだろうか。
・ペットは子供のようなもの。亡くしたら悲しい。
・先に誰かをわからせたほうがいい。→せっぱつまった状態が出ている
・愛したものに対する看取りが、愛情こめて書かれている
・ペットロス

短歌
十戒 ・・・・・・・・・・ 波多野保延
冬となり梢の枯葉旅にでて時雨に濡るるは蓑虫ばかり
リラ冷えの未還の四島遠く見て若布刈りとる手こぎの舟は
いい味と妻をほめあげ筑前煮にそっと好みのみりん加うる
岬なる水仙の香を分けて来る沖より届く原発の波
我れの行く遍路の旅に来し妻か札所の道を車椅子押す
天草の「五足の靴」の旅終えてクルスの見ゆる窓辺の聖書
有明けの干満の差は六メートル露天風呂より夕日を掬う
カルデラの盆地に色づく麦の穂は風と余震にさ迷いゆれる
大仏の背より広がる片瀬浜晩夏の昼を江ノ電軋しむ
「十戒」の海割るシーン幾度か新宿コマはわれの青春

・蓑虫ばかり、手こぎの舟は・・・寂しさが出ている。
・いい味と妻をほめあげ、われの行く遍路の旅・・・妻を思い、感謝する作者の気持ちが出ているほのぼのとした歌。
・原発の波・・・水仙の香を分けて届くというその対比がどきっとさせる。
・江ノ電、タイトルになっている「十戒」の海割る・・・青春時代を東京で過ごしたのだろう作者の懐かしむ気持ちが表れている。
・旅行記が多く、行った場所の印象で、一番のものをずばりと。


俳句
海軍カレー ・・・・・・・・・・・ 波多野保延
冬の蝶排卵の日に舞い上る
共謀法一夜で通過春の雷(らい)
モナリザの笑みに嫉妬青葉風
皐月闇寺山修司の性(さが)匂う
六本に性を操る鵜飼かな
けん玉の地球一周テロ炎暑
蟷螂のなほ嚙み砕く生殖器
発艦の湾はぐんにゃり油照り
老婆にも化粧の権利天花粉
湘南に海軍カレー夏の果て

・俳句は、時代背景を伴って、言葉選びも鋭い。
・共謀法、テロ、発艦、海軍カレー ・・・・ 戦争を憂い平和を願う思い
・鵜飼、蟷螂、冬の蝶 ・・・ 性のまばゆさ、あるいは生きること