2015年10月

第4回 勉強会、「あなたが講師」

10月15日(木)
「私たちは好きな時に、好きなだけ時間を割いて、好きなことを書いてきました。これからも色々と書くことで苦しみ悩みながら人生を充実させ、同人たちと楽しい時を分かち合いたいと思います。今回は、あなたが詩や小説、エッセーを書くとき、どのように取り組んでおられますか。皆で考え、勉強しながら楽しい二時間を過ごしましょう」というお誘いのもと、 「あなたが講師」と題して、池田幸子の司会で勉強会を行いました。
池田さんから、お茶菓子に、コーヒーや紅茶を用意していただき、楽しいひと時を過ごしました。
 

伊藤幸雄『変化観音』

海峡派同人の伊藤幸雄が、10月1日変化観音を出版しました。

あとがきより

「『変化観音』は、私が初めて書いた小説です。
 私は現在、文芸同人誌『海峡派』に在籍し、小説やショート・ショート等を書いて居ますが、その原点となったのが、この『変化観音』です。
 読書以外にこれと言った趣味もない私は、定年退職後、小人閑居して、晴耕雨読の生活を送って居ましたが、小説を読むだけの生活に飽き足らず、自分でも書いてみたいと思い、初めて書いたのが、この『変化観音』です。
 若い頃、演劇に熱中し、職場演劇ブームに浮かれ、自立劇団『いちご座』を結成し、脚本を書いた事は有りますが、小説への挑戦は初めてなので、試行錯誤の連続でした。
 私は若い頃から『面白くなければ小説ではない』という偏見を持って居ましたので、如何に読む人に興味を持って貰えるかに重点を置いてこの作品を書き上げました。私に取っては良い勉強になったと思って居ます。
 この作品を書き終えて感じた事は、長編小説は生き物であるという事です。作中の人物が勝手に動きだし、作者お意図せぬ方向に展開する事があるという事です」

来年1月の新年会の時に出版記念会をいたします。そのときに、感想をまとめて更新したいと思います。

海峡派134号 ③リポート、紀行文、随想 感想

リポート

星野村に源太さんを訪ねて
―池田流ヒューマン・リポート 
・・・・・・・・池田幸子
618日、海峡派文学散歩で、星野村に行った。目的は、詩人・陶芸家の山本源太氏を訪ね、「詩人、丸山豊について」お話を伺うというものだ。源太さんは、一部屋を丸山豊展に設えて、丸山豊像を語ってくださった。

・池田流ヒューマン・リポートという副題どおり、あたたかい文面になっているのは、人柄が出ているからだろう。

渾身のレポート、有難うございました。

・久留米市百年公園の「新春」の紹介「なんと清々しい身の引き締まる詩であることか!という

池田さんの感想がいいです。源太さんの推薦でこの詩が、選ばれたそうです。

・一昨年の文学散歩は、「野上弥生子」の間違い

・文部省が喜ぶよ・・・ほめ言葉。りっぱなリポートできちんとしている

・真似できない。雰囲気があらわれている。他の人たちがこれを読むと、きっとうらやましがるだろう。

・源太さんに本を送った。ていねいなお手紙がきた。(回して読む)

『新春』の詩碑のこと、よくぞ載せてくれた



紀行文

田中一村と島尾敏雄を訪ねて 
            ・・・・・・・・・・さとうゆきの

日本画家、田中一村の絵画と、島尾敏雄文学碑を訪ねる奄美大島の紀行文。4人の楽しく珍しく、好奇心旺盛の道中。一日目、蛍光キノコ、シイノトモシビダケを探したり、『田中一村終焉の家』を訪ね、上がり込んだり。二日目、田中一村記念館を訪れたあと、加計呂麻島へ行き、戦跡巡り。ここでの体験で、作者は帰ってから島尾敏雄、妻のミホの著書を読む日々となる。

・一気に読ませる、勢いのある筆力。おもしろい。こんな小さな南の島に戦跡がきっちりと時を止めて、訪れる人を待っていることに、作者同様、静かに感動した。そして、勧められるまま島尾敏雄、ミホの著書を読み、人を愛するというその情熱に、それを引き裂く戦争に対して、厳粛な気持ちになった。

・奄美から出さない絵もある。懐かしく思い出した

・村全体の人が一村を愛している。一村展のとき、村人全員参加、信じられない数。

・中学生まで一村が浸透している

・日本画壇に背を向けた一村、一時は麦の仕事をされていたらしい

・デッサン力、完璧。変化していく。見る人に形で色を見せる技。しみじみとした絵。

・テンポもよく、難しすぎない。少しくだけすぎか・・・

・ヤギが普通にいる文化、おもしろい



随想

父の戦後 ・・・・・・・・・・・・田原明子

大正10年生まれ、93歳で亡くなったお父様の思い出。戦争の体験、それもシベリア抑留は、父の忘れられない体験。当時24歳の父は、「敗戦の責任は自分達兵隊にあると考え、どんな処遇も仕方ない、内地返還は実現しないかもしれないと死を覚悟していた」という。着いた先はシベリア。日本に帰ってきたのは昭和22年、左目を失明していた。

・最後に「ご苦労さん」と言おうとしたけど言えなかった母、「ありがとう。大好きだったよ・・・」と何度も耳元で言った姉妹。あたたかな家族の姿と、戦争の惨さが十分に伝わってくる、とても良い作品だった。

・たった2pなのに、とてもよくわかる。全て周到に簡潔に状況説明したうえで、自分の

感情を伝えている。だからこそ父を送る「ありがう、大好きだったよ、ありがとう」が響く。

・お父様のこと、愛情深く書かれており、読むほうもほろりとしました。戦後70年、いろんな人がいろんな事情を、戦争の傷痕を抱えて生きているのだと考えさせられました。



銀次郎の日記

―抗ガン治療の数値にも一喜一憂 ・・・・・・青江由紀夫

いよいよ本を読み、日記を書き、みかんの木のつぎ木などして過ごす。

作詞を何点か載せているが、「男だったら一人泣け」は特にいい。武骨で我慢強く、仕事をする男の姿がそこにある。昔の男という感じ。「死んで残るは墓石一つ」は悲しい。

・銀ちゃん、がんばれ。医者、がんばって、銀ちゃんを長生きさせてください。それでも、看護師さんに手相を見てあげたり、博学の銀ちゃんは人気者。本も読んでいる。海峡派の原稿も落とさない。

・ほんとに気丈な銀ちゃん。いよいよのみぐすりの抗ガン剤になったらしい。

これは、銀ちゃんに伝えたくないが、夫のときは、効き目がわからない。そしてなぜか飲み下しが困難になり、やがて飲めなくなる。医者にいうと「では量を減らしましょう」・・・それからまもなく、ホスピス入院をすすめられた。がんばって!最後の最後まで、日記書いてください!



輪廻転生 鶴になる ・・・・・・・・・・・・古濱紘志

高校時代の友人が亡くなった。59年前のことだ。友人の家は、高校に通うバスの窓から広がるミカン山の中腹に立っていた。破天荒だった高校時代、友人の顔、記憶を思い起こしながら、亡き友に「次の世に輪廻し、出来ることならお互いに鶴に転生し、自由に大空を飛び回り・・・」と語る。

・誰にもやってくる老いと死。わかっていても友人の死はいっそう悲しい。だが、そうやって、ずっと会うことのなかった友を、若かった自分を想い出す機会を作ってくれたのかもしれない。

友の訃報で、故郷の風景が、あざやかによみがえる。

・子供の頃の風景をふと思い出す。頭に浮かぶ若い日、幼少の頃。よくわかる

・「ブロンディ」というまんがの、冷蔵庫の中にサンドイッチがあった、アメリカに日本は負けるはずと思った。泡がたくさん出る粉せっけんにも、アメリカのすごさを思った

・アメリカ国民は、日本に原爆を落としたことを知らないか、知っていてもよいことだ(それで戦争が終わった)と思っている人もいる。

・破天荒な自分から見て、ミカン畑の友の家がまぶしかったのだろう


つれづれに ・・・・・・・・・・・・赤坂 夕

幹事として、同窓生で「喜寿を祝う会」をしたときのこと。思えば「すべての価値観が根こそぎ覆され、多くの教師が教壇を去ったのもこの頃」。すさまじい窮乏生活。「何より嬉しかったのは・・・お昼の給食があったこと」「引き上げのどさくさで五才上の姉と生き別れ、次女の私が長女になった為、買い出しから食事の仕度まで本当によく働いたものだ」などなど、当時の状況を想い出している。

・貴重な記録だし、これは誰彼に、そして子どもや孫にと読み継がれることこそ大事だ。語り継がれれば一番よいだろうが、なかなかそうはいかないので、こうして記録として書き残せば、確実に残る。そして読んでもらえる。赤坂夕という一人の女性の過ごした子ども時代を伝える小さな伝記として。

・喜寿の祝いで、同級生150人中 48人の出席とは凄い。戦後70年のふしめが同じ苦労をした友との出会いをうながしたのだろう。たべられる草を求めて歩き回った幼い思い出は、わたしにもある。いまも野歩きをすると、自然に、食べられる草を探している自分に苦笑する。

・書けるなら名前を出したらリアルでよかった

・飢えた時代のこと、書いてほしい

・舞踏家も呼び、豪華な同窓会

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