2016年10月

「海峡派」137号感想 ②詩

クスリ ・・・・・・・・・・・・ いよやよい

酒を呑んだ夜は鼾をかくらしいので、彼女との旅行では酒をひかえる。だが、彼女は睡眠導入剤を持参していて、どうぞ呑んでとすすめる。彼女の思い遣りが今、クスリを処方される身となってはよくわかる。「クスリ嫌いな自分は/医師から処方されても/その半分しか 呑まないのに・・・」と思うから。それを彼女の思い遣りといい、さらに「彼女の社交術の 上級テクニックを/今さらながら 学んでいる」という。

・自分という書き方のため、作者名を見なければ男性と彼女との旅行に思える。

・彼女が自分と同じクスリ嫌いかどうかはわからないが、それでもクスリ呑んだら眠れるから鼾なんか気にしないでお酒を呑んで、という気を遣わせない思い遣りはたしかに見習いたいものだ。

・今さらながら のリフレインが余韻を残している。

・「社交術の上級テクニック」ではなく、優しさ。・・・わかっていて書いているのだろうが・・・

・こういう友達がいたといのは、いいこと。いない今、切なさが出ている。

・自分のことを「自分」という人、気になる。「わたし」でいいのでは?

・同室で他人と泊まるとき、自分の癖が人様に不快を与えないは、心配なこと。

 

六月『小糠雨』の人 ・・・・・・ 山口淑枝

「あじさいの向こう側から/歩いてくる/女の人は」「左手をにゅーっと突き出して/こぬかあめ・・・・の―/と呟」く。傘をたたもうかどうしようかと「手の平で/雨をはかっている様子」など、情景がすっと現れる。映画のよう。見ているのは私。私は「カット・サロン」からの帰り。その女の人とどこかで出会ったことがある・・・とあれこれ考えている。ラストでふいにひらめいた。それは「散歩をしながら/俳句をひねっていたのかも」しれないということ。


・きれいな絵のような一遍。この女の人がとても魅力的に見える。

5連目の「早速/アンドロイド(スマホ)を操作し」というのが、よくわからなかったが、3連目の「あじさいを写していた其処」を受けて、スマホで写メを取っていたのかと納得。ちょっとわかりにくいかも。

・不透明のビニール傘・・・左手をにゅーっと突き出して、背筋がびしっとしていて、しっとりしていた その人の言葉や所作・・・映像がなかなか浮かばない。

 

流れ星 ・・・・・・・・・・・・ 赤坂 夕

余命4カ月、肺ガンは脳に転移している兄が、「そんなら家に帰ろう」という。「治療はまだ終わっとらんよ」と叫ぶ私に「もうええんよ、これしたら頭が狂うけん」という。1連は読むに辛いが、兄の状況が切々と伝わってくる。「うどんが食べたいのう」という兄に、あつあつのうどんを作って食べさせる作者。それを兄は「おふくろの味」だとすする。時間が遡り、内地に引き上げたころを思い出す。


・別れが近い人との「仲良しの時間」をどれほど持てるか、大事にしたいものだ。でも、なかなかそうはいかず、別れがくるもの。心にじんわりと沁みる作品。兄妹の思いやりが良く出ている。

・生きることの深刻さ、さみしさなどが出ている。

・戦争体験が兄弟にまつわるメインの思い出になっている。

80歳の兄の食べたいものが「うどん」、ささやかで悲しい。しみじみとさせられた。

・流れ星で、一瞬、詩を暗示。

・胸を打つ作品。引揚者として、妹として、見届けること。

・戦争体験が、老いた兄弟に深くまつわる。

・詩を目前にした兄の食べ物の所望は、なんとささやかなことか。

・梅雨の季節に兄が逝く。濃紺の山並みは一瞬、照らす、兄の星。

 

森通い ・・・・・・・・・・・ 若窪美恵

あの日(母が死んだ日)以来、毎日森に通うわたし。わたしはおかんと呼ばれている。森では動物たちにかくれんぼをせがまれる。いつもオニ。探しても見つからない。不安になる。わたしの誕生日に母からカーネーションの花束と、もう交代よというメッセージが届く。

・母を失うと、いい大人になっても心細く、あてどない思いにさいなまれる。母を亡くしてから、毎日森に通う。そこで動物たちとかくれんぼなどをして過ごす。オニになって隠れた動物たちを探す。ずっと居ない者を探し回る感覚に。森通いという美しい言葉で、作者はその心情を語り、やがて母のメッセージに救われ、日常を取り戻す。

・くるくると白昼夢を見ているような作品。

・母を亡くしたばかりの作者、心細さ、あてどない思いでいる。いつも探している。

・深刻に書かずに、探し物・・・うまい表現。

・母からの架空のメッセージ、よかったなあと感動した。

・母のことをまだ作者は納得していない。今まで通りを維持していたい。どこかで取り戻したい心の中が良く出ている。

・かくれんぼは一度だけというところ、がんばって海峡派のみなさんをまとめている姿に思えた。

 

このところ忙しい婆様の二片 
                           
・・・・・・・・・・・ さとうゆきの

「昼飯」「オレオレ」の独立した二つの詩が、並べられ、時間差での物語になっている。「昼飯」は一人で食べる。

一合炊き炊飯器から朝1杯、昼に1杯で「空になるとほっとする」。食べながらも「右手にお箸 左手は読みかけのページを押さえる/目は本を読むため 耳はテレビを聴くため/口は右手が運ぶものを咀嚼するため」という一人暮らしの婆様はとても忙しく、「ほらほら 電話だ」「はい はい」と次につながる。

「オレオレ」では、受けた電話の内容が克明に知らされる。非通知なのをおかしいと思っているのに、落として変えたというのを信じ、声も変だと思うのに、体調がわるいからと言われ信じてしまう。そこに嫁さんが来て、コーヒーを淹れ、冷蔵庫から賞味期限切れのソースを見つけ出し、電話してましたね・・・と再生機能を使って聞くと、「これがKくんのこえであるわけないでしょう。オレオレよ」という。そしてKに掛け直す。オレオレが判明。


・しっかりとコミニュケーションが取れているお嫁さんだから、オレオレがすぐにわかった。いい関係。

・おかしい点がいくつかあるのに、うまく塗り替えられていく心理状態が描かれていて、学ばされる。人は簡単にだまされるのだ。

・ラストではせっかく淹れてくれたコーヒーも冷め、途中だった「昼飯食べてもいいですか」、「わたしの携帯返してください」となる。がっくり感がにじみ出ている。

・あえて編や篇にせず、ひとかけらという片にしている。

・昼食という日常のなんでもない、ありふれた状況を凝縮している。

・オレオレはおもしろい。一人暮らし・・・前向きでけなげ。人柄が出ている。

・若い人はみな賞味期限を気にしてすぐに捨てる。世代で異なる感じが出ている。

・オレオレに、同じくあやうく引っかかりそうになった。

 

半魚人 ・・・・・・・・・・・・・ 清水啓介

古井戸の底からウロコだらけの半魚人と化した自分が浮かび上がる夢を見た。真夜中だが、時計を見ても文字盤だけで針がない。ひょっとして死んでいるのか?それとも半魚人の自分が本当の自分で、今の自分が夢なのか?と問いながら、再び眠りに落ちる。


・作者はずっと自分が何者なのか、生きていること、死んでいることの違いについて問いを投げかけている。回答はない。  

・夢という設定は小説でも詩でも少し甘くなると思う。

・他人事でない現実と夢の深いぞっとするような、それでいてホッとするような意識の流れをうまく作品にしている。

・レム・ノンレム睡眠を言葉にすれば、こういうことなのかも。

・いつも自分を探している人。見つからないのは当たり前と思っている。

・最初2行が怖い。問答により理屈っぽくなったところが詩的でない。

・ずっと自分を探し続けて、詩を書かれるとよい。

「海峡派」137号 感想①小説

雨に咲く花 ・・・・・・・・・・・・・・・ 古濱紘志
弘子、隆男夫婦、娘夫婦が登場する連載小説。時枝を嫁に出して、弘子も役所を退職し、庭にアジサイを育てるなど余裕ある生活の中で、70歳になったばかりの隆男に痴呆の兆しが見えてくる。甘茶、ガクアジサイの変種。弘子が8年前に役所を退職するときにもらった花束にアジサイがあり、庭に挿し木にしていた。それが毎年咲くようになった。花言葉は「別れ」。弘子夫妻には一人娘、時枝がおり、時枝には子供がいない。夫、隆男は弘子より2年早く退職し、家にいる毎日。穏やかだった人柄が、怒りっぽくなってきた。ある日、外出したまま帰らない。午前3時ごろ、警察から隆男を保護していると電話が。

・アジサイから甘茶の思い出・・・そしてラストで紫陽花の枯れていく姿と認知症の隆男の下を向いて憔悴している姿の描き方がうまい。
・共働きで、それぞれ退職して夫婦二人暮らしを襲う、認知症。笑えない現実があり、今後の展開がどうなるか楽しみ。支えあっていくのか・・・娘の時枝がどうかかわっていくのか。
・抒情的なタイトル。ストーリー展開が説明ではなく、場面での表現にしたらいいのでは?・弘子、隆男がたくさん出てくるので、省略したり、彼、彼女に置き換えたりしたらいい。
・続きものなので、弘子の愛していた隆男の痴呆が進んで、どう展開するか楽しみ・P5のアジサイの説明で「知った」が6行の間に4回出ている。
・男性が女性になって書くのは難しいが、よくできている。
・登場人筒の説明、いかにも説明的。

もしかして ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田原明子 
桜の義母洋子は、レビー小体症という小人が見える病気。小人の名はマーシーといい、双子のユーリもいる。夫の淳は単身赴任、洋子と二人暮らし。洋子は「わーたしはあなたーの、とうちゅうかそうー、はっしゃー、おーらい」と東京のバスガールの部分を変えて歌うようになった。冬虫夏草のことらしい。6時から始まる何かのためにマーシーと合唱しているという。そして突然、洋子が死んだ。葬儀も終わり、棺桶の洋子を見ると、小人が立っていた。マーシーだった。ユーリが洋子に寄生して、一旦煙になって粒子として散らばっていくのだという。また誰にでも見えるのではなく、寂しさや悲しさなど抱えた心の隙間から見える人がいるという。・P11上段、後ろから6行目~義母と桜の視点で書き始めたため、桜、洋子、夫、淳・・・関係性がわかりにくくなっている。・寂しさや悲しさの心の隙間を埋めることのできる人がいれば、桜もだが、洋子もユーリに寄生されずに済んだのかも・・・というラストも見事。

・桜はずっと夫の淳がレオナルド・ディカプリオに似ていると思っていたが、葬儀の後、桜が倒れて病院に運ばれ意識が戻ったとき、ディカプリオに似てないことに気づいた。そのときの「幻って、いろいろあるものね」というセリフが面白い。
・レビー小体症という病気のことは知らなかったので、とても面白く読んだ。
・義母の幻視がよく書けている。誰にも訪れる老い、死を考えさせられた。
・一気に読んだ。SFを意識したこと、痴呆症の状況(現実と幻)の二つに感心した。
・「レビー小体症」を1行目にもってきたのは、どうなのか・・・ラストや、医者との話で明かす方がよかったのでは?
・単身赴任中の淳のことをもう少し描いてほしかった。
・ユーリやマーフィーを死神に置き換えるとわかりやすいかも。
・病気のことより、義母と接しての苦悩を描いてほしかった。

新・六本木心中 ・・・・・・・・・・・・・・・ 伊藤幸雄
六本木のソフト制作会社の新入社員のオレが仕事をしていると、パソコンの画面が時々、ポーッと赤くなる。また、「好きです」とか「アイラブユー」などの文字が画面いっぱいに出てくる。どうもパソコンが人間のように喜怒哀楽の感情を持ち、オレに恋心を抱きだしたらしい。ある日、大きなエラーをしたことに腹を立て、パソコンのキーを乱暴に叩いたところ、パソコンが大爆発。

・「六本木心中」というアン・ルイスの歌がある。また、六本木ヒルズというオシャレな高層ビルもある。そこから喚起させられるものが物語を厚くしている。
・心中・・・しんじゅうと読み、パソコンとの恋愛?と思ったところ、ラストで、ホラ話に、(明日からまた、就職活動をやり直すしかないな)と心中(しんちゅう)決意する。しんじゅうとしんちゅうの同じ字の読みの違いをうまく利用したオチ。とても面白い。・タイトルの意味がわからなかった。
・どんどん時代についていけないということを、うまく取り入れている。
・パソコンが赤面するなど、面白かった。独特な味わい。
・人間はどうなるのか、考えさせられる。
・内容が少し古い。

ラスト・ストラグル《連載第五回目》 
                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 坂本梧朗
第3部は勤務先(学校)で、定年退職までの3カ月をいつもの綿密さで描かれている。鹿毛山教頭が、ほとんどの生徒が机に突っ伏して寝ている授業風景の写真を持ってきた。ネットに上がっていたのだという。よく見れば、その授業の教師はカーツンだった。スポクラの生徒たちの悪ふざけだ。普段のように授業は続けられ、広井はあからさまに寝たり、やる気ないので、呼び出すことに。追試を避けるため、放課後、広井に試験範囲の要点を教えたりしたのに、44点で追試決定。頑張るという言葉は嘘だったのか、上から目線のカーツンの指導は受けたくないという。広井との問題はまだ続くものの、三月で退職だ。離任式以降は出て来なくていいとは思いながらも、鹿毛山に21日休ませてほしいと届け出る。そのことで鹿毛山に細かい理由を聞かれたり、しぶしぶといった様子で認めてもらったり、最後まで不快な思いをする。

・授業風景をフェイスブックにアップされて、カーツンが窮地に陥るところは同情する。
・広井とカーツンのやり取りが面白い。「上から目線」教師だから当たり前だ・・・のカーツンの常識が、広井にも、担任の大島にも通じない。それでも、広井に追試指導の徹底を目指して、ストーカーまがいにつきまとう。寝ても覚めても広井だ。脳梗塞を起こすほど思いつめる。このあたり、痛々しい。
・作者は、上から目線は教師だから当たり前について、どう思っているのだろうか。
・忖度とか誼などは、ルビをふってほしい。
・カーツンが自分のことを強迫神経症では?と分析しているところなど、まじめな性分がよく書かれている。
・カーツンは自分が正しいと思っている。
・投げ出したい気持ちがあるが、最後まで生徒と関わり合うカーツンを応援する気持ちになった。
・広井のことを気にしすぎ。広井のことにかなりページ数を割いている。
・学校のことはわからなかったが、面白い。民間企業と同じ悩みがあると思った。徒労感、達成感の繰り返し。
・フェイスブックにUPされたことは、学校にとっても困ったことだろうが、カーツンにとっても手痛い仕打ち。こういうことをいたずら半分にする生徒は、悪質だと思う。

メダル・ソルジャーズ(4) ・・・・・・・・・・・ 大空裕子
中二、礼佳は、メダルを使って敵を封じ込める特殊能力を持つメダル・ソルジャーズの一員。学園内でのこと。日食のように暗い朝。だんだんと闇に包まれる。カルサイトがやってきた。幸一、亮太、由美が戦っている。和雪と礼佳も参戦。だが、カルサイトは以前より強く、巨大になっている。必死で立ち向かうが、かなわず、撤退する。(続く)・今回は、メダルを使っての戦い方がていねいに書かれていて、臨場感があった。もっとも、見たことがないものを想像するわけだから、わかりやすいというところまではいかないが・・・。5体1でかなわかいほど、だんだん強さを増していくカルサイトに、今後どう立ち向かうのか。楽しみになってきた。

・文の乱れがない。
・あらすじがあったので、わかりやすかった。
・なんのための戦いなのか、そろそろ明確にしてほしい。
・ゲームセンターにいるような感じ。日進月歩、極彩色。
・回を重ねるごとにわかりやすくはなっている。がんばってほしい。

薔薇の庭 ・・・・・・・・・ 都満州美
菊子は庭に薔薇を育てている。といっても、手入れはほどんど夫の健一郎の仕事。農家を継がなかった夫に、菜園や庭にする土地がたくさんあったのだ。毎年、薔薇を見に見物客が来るほど。その人たちに、感謝の気持ちで薔薇を切ってあげる。この冬の極寒で植物はかなりやられたが、何とかつぼみをつけ、一斉に花を咲かせた。「プリンセス・アイコ」という名の花もある。今年はオーストラリアからマイケルさんがやってきた。バラを介しての、ご近所さんとの人間関係や、ひと時の楽しい時間が描かれている。

・とてもよかった。緻密でよく書かれている。
・意図した百合子さん、菊子という花の名前は、花をメインにした小説中ではかえってわかりにくいのでは?・一斉に咲くということは、散った後の寂しさを増すこと。ラスト、余韻が残る。
・バラの大きなイメージ、枯れたみじめな様子などよく書けていた。
・いろんな色のバラが目に浮かぶ。
・全体的に穏やか。ドラマ、クライマックスがほしい。
・バラこそ、世界中にあり、それを育て、見ず知らずの人にも見せる、平和を願い、古風な日本家屋の庭をバラでいっぱいにするという夢がうまく小説化されている。

栗まんじゅう ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 有馬多賀子
看護師の晶子は、夫、優と九州出張の土産に買てきた栗饅頭をつまみに、朝食後のコーヒーを飲んでいる。こんなゆったりした朝がくるなんて・・・と思っていたら、義兄が義母のシズを連れてくるという。以前同居していたとき、シズは晶子のことを何かにつけ「中卒」と言って見下し意地悪く接した。しかし、シズは3人兄弟の二人のところともうまくいかなかった様子。義兄、義姉がシズを連れてやってきた。シズは認知症になっている。話し合いの最中に粗相をし、機転をきかせた晶子がシャワー室に。義姉もやってきて、シズの体を洗う。シズは気持ちよさから「シャッシャッシャッーと体を洗おう・・・」と歌いだした。

・いくつになっても母親からすれば、子どもは子ども。シズの無邪気な歌に、皆、ハッとなる。世話になってきたのに、いつの間にか邪魔者扱いするようになる。身内の方が厳しい。嫁の晶子に気づかされた。
・同居というのはとても難しいこと。うまく距離を置くことが一番大事かもしれない。
・切実だが、読後感がとてもよい作品に仕上がっている。
・タイトルの「まんじゅう」ひらがながよい。
・認知症の親の介護は実の子どもでも大変で、難しいところがあるのだが、嫁に負担がかかっていることが、現実にも多い。・親は、老後、娘や息子に面倒をみてもらうのがいいのか、嫁に面倒をみてもらうのがいいのか。考えさせられる。

七夕飾り ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 川下哲男
小3のミチコと小5のルミとサヨは仲が良く、三人でよく遊ぶ。大池に寄り道すると、七夕飾りのついた笹が放置されていた。そこへ3人組の男子がやってきた。うち高木と小島は、以前、ルミがブランコの遠くまでの飛び降り競争で二人を負かしたことがある。「ブランコのケリ、つけようぜ」とルミを引っ張り連れて行こうとする。嫌がるルミを今度は池に落とそうとした。が、うまくかわしたルミ。勢いづいて自分から池に飛び込んでしまった小島。逃げた高木。ルミは機転を利かし、七夕の笹を使って、落ちた高木を捕まらせ、引っ張り上げた。その後、警察に事情を聞かれたが、高木は自分がふざけていて誤って落ちたと言い、皆もそれにならい、一応の解決はみた。

・子どもを助ける笹は計算されている感じ。・臨場感があった。
・昔の子どもは外でよく遊んでいた。そんなよき時代。
・子供たちの気持ち、様子など、会話等でよく出ている。
・映像が浮かぶ。
・ミチコ、ルミ、サヨの会話がかわいい。
・このくらいの子供が主役の小説はあまり読む機会がないので、作者はいくつぐらいの人々に読ませたいと思っているのだろうか。
・ルミが男の子を池に放り込むところ、よく描かれている。・前作の「上級生」の時も思ったが、子ども達がとても気遣いができ、好感が持てる。
・とても素直で、わかりやすい。
・池に落ちたところは、いい場面だけにもう少し詳しく。少し物足りなかった。たとえば、少年少女たちの後日談でもあったらそれを入れるなど。

朝子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 中北潤之
烏丸徹は京都の呉服店の御曹司。
だが、家を継がず、油絵の道に進もうとパリへ。しかし、絵描きにはならず、英語を身につけたことで、英語教師として北九州のO高校に赴任。烏丸は始業式に奇妙奇天烈な演説をする。5ページに及ぶ長演説だ。次の日は一人の女生徒に目をつける。吾妻晃子だ。このときは烏丸ではなく、透だが、この場合、彼は女生徒を「をんな」と書く。次なる展開は、八雲朝子との手紙のやり取りだ。朝子はW大に入り、パリに行き、個展なども開く画家になったらしい。その朝子からハガキが届く。「わたし朝子は、貴方烏丸透に向かって飛翔します」。烏丸は「さあ 朝子 飛翔せよ!」と最後を締めくくる。ハッピーエンドなのか?・常に〈カラッと〉乾燥しきっている印象を、京都からきた烏丸はもつ。これは九州人特有の市民性と思う。また、透は、しばしば九州という蛮族どもの地という言葉を使い、どちらなのかと読むほうは混乱する。

・話がどんどん飛んでいく。
・思考の段階でまとめる前に書いていっている印象を受ける。言葉があふれ出るのだろう。
・比喩は独特でおもしろい。
・演説部分は、作者の言いたいことなのだろう。
・烏丸が朝子にジャンヌダルクに似ていると言ったことから、父に、ジャンヌダルクのことを尋ね、実は朝子はジャンヌダルクの祖先なんだと言われる。そこからの旅立ちなど、どんどん飛躍していくが、そのへんがおもしろいのか、不思議なのか、とっぴょうしもないのか、ジョークのような小説といえる。

憂愁 ・・・・・・・・・・・・ 犬童架津代
貞子の弟の嫁が乳がんで亡くなった。貞子の娘も乳がん。貞子の兄も喉頭がんで手術をした。夫と兄を見舞いに行くことに。兄は、術後、流動食になったものの、すっかりやつれている。味がわからないという。貞子夫婦が来てくれたことをとても喜んだ。貞子の夫は、「オレが励ましたから、少しは元気になったみたいだったね」と帰りに話すのだった。

・貞子の弟の嫁は、乳がんで「2017年に亡くなった」は、2016年の間違いだろうが、気になるところ。
・病み上がりの兄が「俺だけだよ、遊んでいるのは。他は皆働いている」と言うセリフが泣けてくる。
・日常のことを書き留めたような小説ではあるが、こういうふうに小さな日常を掬うことは大切だと思う。おそらく年数が経って読み返すとじわりとくることだろう。

あしたは 晴れている ・・・・・・・・・・・ はたけいすけ
校長先生が泣いたとき、三丁目の馬島が「噓泣きや」というけれど、校長先生の娘を知っている正太は、「支那で鉄砲で撃ち殺されたんや」と心を痛める。家に帰るとヌイはすでに熊本に帰ってしまっていた。かなしくてくやしくて、気持ちの持って行きようのない正太。そこへ訪ねてきた若奥さんが、二階の正太のところに行く。正太をからかい、セルロイドの筆箱をプレゼントし、旦那はんの都合で満州に行くかもしれないと告げる。校長先生の娘、女先生が殺された地だ。しかし、若奥さんにも言うに言われない悲しみがあり、正太が降りて行ったあと、二階の部屋で忍び泣きしている。誰もかれもが本音を吐けず、軍歌においたくられる日々。

・正太は奥さんが好きなのだなあ。
・目に見えるような書き方。子どもの視点は難しいのだが、よく書けている。
・女性の「わい」という言葉遣いが違和感。男性ぽい。「わて」ならすっと読めた。
・当時、少年雑誌などでも戦争ものが多く、少年少女をあおった。マスコミの罪。
・セルロイドの筆入れの描写など、巧みで、正太がわくわくしただろうと共感できた。
・自分の髪の毛をほめてくれ、さすがやまとなでしこ・・・切らないといけない、裏切り、たまらなさ。

塩おにぎり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 若杉 妙
38年前からスナックバーをしている私は、スーパー銭湯に行くのを日課にしている。今日は夫と孫の真由ちゃんと一緒に。風呂に入りながら、真由が最近自分ばかり手伝いをさせられるという愚痴から、私は子どもの頃、よく手伝いをしていたことや、定時制高校に合格したこと、真由の母、つまり私の娘の結婚相手と遊びに行くとき塩おにぎりを作ったことなどを昔の思い出話をする。

・ほのぼのとした作風を確立していっている。
・孫に聞かせていく話として、とても後味もよく、いい作品。
・小説仕立てなので、すてきな書き出しから、出だしの夫のところを、夫のO男とかにし、そのあと、夫を全部、O男とすると、小説らしくなる。
・ずっと行動を丁寧に説明し、会話も淡々と写実的に書かれるばかりなので、盛り上がりがない。もう少しの工夫しだいで「私」の歩んできた戦後がくっきりするのではないか。
・P173 「まだ」が二かい。一つを取る。
・生活者としてよく書けている。
・塩おにぎりが食べたくなる小説。
・庶民の暮らしの孫と祖母の繋がりがとてもよい。
・あたたかくて、ほっとする。読みやすい。
・地の文での「お米」3カ所は、「米」でいいのでは?
・私ではなく、三人称で書いた方がよかった
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