2017年05月

「海峡派」139号 ①小説

「海峡派」139号 
合評会での感想を目次の順に少しずつ更新していきます。

泰子、河内に吹く風のように ・・・・
若窪美恵

桜や藤の頃、また山登りやキャンプ、サイクリングにと、にぎわいを見せている河内貯水池。そのダムは、全体が石積みでできており、西洋のお城を思わせる美しさで、大正八年に着工されてから完成するまで、おおかた十年をも要した。設計は、沼田尚徳・・・これは、尚徳の妻・泰子にふりかかる悲しくも美しい夫と子どもを想う物語。八幡東区には、製鉄・石炭に関連する様々な近代化産業をけん引してきた歴史的建造物がある。それは地域の発展の軌跡を浮き彫りにし、当時の暮らしや文化を後世に伝える貴重な証でもある。

 

・太字のメモリアルの文や、(男1)(男2)など、必要かどうかわからないが、凝っているし、冒険したなと思う。

・亡くなった泰子の語りで進む。

・いい題材を見つけた。人柱という怖い表現も、うまく取り込んでいる。

・ドラマに使える構成。臨場感があった。

・ダム建設を巡っての作、すでにこの世にはいない妻泰子の視点から、その経過を語られているところが、立体的で、新鮮だった。内容もダム造りという珍しいもので、興味深かった。

・とてもよかった。いいシナリオになっている。

・たしかに製鉄所というものはドイツその他の欧米の技術のほとんど並行輸入かもしれないが、ダムというその為には絶対不可欠な存在などは自前で、自腹ですべて成したはず。

・人柱。なんと重い、痛々しい言葉だろう。場面的には「父の死、娘の死、、、、こうしてお天道様がのぼっていて、、、、、、やはり、父たちはここにいるかもしれないなぁと思え、とても神聖な気持ちになりました」(p11)が素晴らしい。

・この小説は骨格がしっかりしていて、健全、明晰なのでとても読みやすく、好感が持てる。

 

楠木の下を通る日に ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田原明子

激しい頭痛に襲われ、気付くと息子の太郎や孫の翔太など皆がわたしの周りに集まっている。体は動かない。どうやらあの世へいきそこねて、魂だけが離れてしまったようだ。施設から引き取って育てていた美希も来た。美希はわたしとは母が違う妹の子どもだ。妹は美希が生まれるとすぐに死んだ。その後、20歳離れた男性と結婚し、太郎が生まれた。美希は太郎をとてもかわいがり、知らず知らずにお手伝いさんのように使っていた。高校卒業時に美希は二千万円貸してくれと言って出て行った。病室で、美希と太郎は二人で話す。美希は苦労して医者になり、借りた二千万の中から、元の自分が育った家を買い診療所にした。それぞれの思いの行き違いを二人の会話で明らかにした。

 

・すべてはそおれぞれが相手を思いやってのこと。人の思いはなかなか伝わらないもの。それぞれが勝手に思いめぐらす。そういったことを立場を変えずに、うまく魂が離れたとするわたしも入れて3人の気持ちを繋げたいい作品だと思う。

・今、作者は死後の世界に興味があるのかもしれない。

・まだ若いのによくこのようなものを書けると感心した。

・女性の心理がよく出ている。

・エッセイの臨死体験が、2年後、この小説に生まれ変わったよう。

・口がきけない人の立場から書いている。

・現代版おとぎ話と思う。悪人がいない。感情の行き違いで悪人に見えただけ。

・人は亡くなる前、耳だけは聞こえるらしい。うまく取り入れている。

・二千万円は額が大きすぎるのでは?

〈作者の言葉〉

昔書いたものを掘り起こして、直して書いた。テーマは「自由に生きられるように」

 

五時の女 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 有馬 多賀子

平田先生は、保育園の迎えがあるから5時で帰る。それを快く思わない女性教師もいる。三井弥生は、小学校1年生の担任、幸いなことに近くに住む母親に子どもをみてもらっている。そんなとき、母が脳梗塞で倒れた。だが、弥生は、おいそれとやすめない。母の知り合いの足立夫人に子どもをみてもらうことに。なにがしゃくにさわるかといえば、他人事みたいな夫の態度。結局じぶんにふりかかる火の子は全力でふりはらわねばと、弥生も五時の女になることに。

 

・昔と違い、今はイクメンがもてはやされているようだが、現実はなかなか厳しい。夫の仕事の都合にもよるだろう。いつの世も、やはり女性が子育ての中心になる。仕事をもっていたら、本当に大変だ。弥生のように、周りの協力を得るのが一番だろう。

・仕事をしながら子育てをがんばっている女性への応援小説。

・あの子育て戦争と呼ぼうか、女性が自立して生きていくために、子どもはしばしばじゃまものとしてたちはだかる。夫も女の自立をはばむ。いとしい者たちがなぜ!その時代を生きたものとしてこころから共感。弥生はかしこくきりぬける。同僚の苦境も理解する人に成長していく。えらい。

 

落とし穴 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 都 満州美

PCのトラブルの体験談を、微に入り細に入って書かれている。パソコンで書いた文章が操作ミスで消えたこと、誤作動を起こすようになったこと、初期化したこと、マウスの老朽化、XPのセキュリティーが終わったこと、インターネットがつながらなくなったこと、いきなり10にアップデートしてきたこと・・・それからの故障とサポートとのやり取りを細かく追って描いている。

 

・克明に書いてある。仕事をしていれば、PCトラブルなどは詳しい人が必ずいるから、自分で対処することはないが、わからないと大変なことだ。

・結果がどうなったか、知りたい。今、ちゃんと使っているのかどうか・・・

・サポートの人も、いろいろいて、結局は人柄なのかなと思った。いい人に当たるかどうか、ずいぶん違う。

・どれもがPCに非常に詳しい人なら苦笑するような内容だろうが、どれもこれも多少の差こそあれ、思い当たるふしがある私には、身につまされる。他人事ではない。逆に、PCを使わない人には、何のことやらわからないだろう。ともかく、大変でしたね。

〈作者のことば〉

トラブルは怖いけど、今はネットで英語の動画ニュースを見ています。

 

父の贈り物 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 若杉 妙

淳子ばあばが、孫に昔語りをする。・・・昭和二十五年頃のこと。淳子の父武雄は右足が義足で、松葉杖をついている。母芙美子と淳子はリヤカーに下駄の歯替えをする道具をつんで、行商に行く。頼まれた下駄を武雄が修理するのだ。その父のことで一番印象に残っている思い出は、淳子の結婚式の前日のこと。武雄は、黒地に表面には牡丹の花があしらっている中歯下駄を挿げていた。その中歯下駄を、明日は雨が降るに違いないから、これを履いて嫁に行けと渡してくれた。五十年過ぎても、淳子の宝物である。

 

・花嫁を作り、家から出ていく・・・当時の様子がありありと思い出された。今はなき、風景だろう。

・花嫁を見るため、近所の人たちがやってくる。子供たちは花嫁の後ろをぞろぞろとついてくる。そんな懐かしい風景を再現させてくれた。

・淳子ばあばが孫に語るのは、とてもいいことだと思う。幸せな光景。

・最初のほうに出てくる餃子、作り方どうりに作って食べてみた。シイタケを入れたら、食感がよくおいしかった。

 

関東文芸同人誌交流会の掲示板より

関東文芸同人誌交流会の掲示板に、根保孝栄・石塚邦男さんより、「海峡派」139号の丁寧な批評をいただきました。ありがとうございました。
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  http://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs
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抜粋します

「海峡派」139号(北九州市) 木村和彦「銀次郎の日記」で有名だった青江由紀夫氏の追悼文の惜別の情  投稿者:根保孝栄・石塚邦男  

 ・引き続き139号の感想。編集後記で詩人の大岡信さんがなくなったことに触れている。大岡さんの息子さんの大岡玲さんは、イタリア文学の専門家で、芥川賞作家。たまたま、私が所属している苫小牧の読書会で、連休明けに大岡玲さんの小説「黄昏のストーム・シーディング」を取り上げて読後感を話し合うことにしているので、奇遇な気がする。大岡信さんは、朝日新聞で長く折々の歌を連載していたので、古い人は歌人の間でも有名だ。 三十年ほど前に、札幌の詩人の集まりにたまたま来道した大岡さんの謦咳に接する機会を得たことがあった。詩だけではなく歌にも造詣深い方であった。

若窪美恵「泰子、河内に吹く風のように」は、あの世に居る沼田泰子が、夫が自分のために建ててくれた五言絶句の詩を記した記念碑に対して夫の真心に感激、夫とのなれそめからその後の一生を回顧するという設定の小説。明治十九年に八幡製鉄の建設計画が浮上、地元の八幡村の土木部長だった夫の沼田が製鉄に必要な大量の水を確保するためダムを建設、河内浄水場の完成にこぎつけることに成功するのだが、住民との間で摩擦が生じて苦労した次第を、あの世の妻の立場から語るという構成になっている力作短編。

田原明子「楠木の下を通る日に・・」は、突然の頭痛に見舞われ意識を失った老婦人の私から、枕元に集まった家族の様子を幽冥界から見下ろす・・という構成。周りの愚痴や溜息、残った者への冥界からの労り・・作品が読む者を惹きつけるのは、そんな場面がいずれ訪れることを感じている年配者であろう。

有馬多賀子「五時の女」は、残業で遅くまで帰れないのが日常になっている職員室なのに、夕方の五時に帰る教師がいた。それは・・・というような教職現場の話。学校のこと、町内会のこと、育児のことなどをからめて、女性の職場の課題を考えさせる作品。

都満州美「落とし穴」は、パソコン、インターネットの問題点、便利さがあるかわりに機種やセッティングの違いによって不便もある、というような今日的な課題を小説にした新しさは買える。

若杉妙「父の贈り物」は、中心街で四十年スナックバーをやっている淳子が、八幡製鉄の社宅時代を思い出して語る・・という内容。

・詩作品は、さとうゆきの「れんじふーど・だいぶ」が、レンジフドに乗った側からの目線で童詩的に語る構成。高橋糸子「83歳nou」の諧謔時代批評詩は愉快だ。波多野保延「母よ」は、96年散々苦労してきた母が、今病床にある。その母への感謝と労りの詩。

木村和彦「青江由紀夫同人を悼む」は、「銀次郎の日記」の連載で有名な青江由紀夫さんが亡くなり、追悼の文。この青江さんは、私の大学の学部も一緒の同級生だが、大学院で経営学の学位を取った方と記憶している。北海道の「山音文学」にも「銀次郎の日記」を十数年連載していた。函館大学の学長で定年になり、その後東京の団体役員をしてこれを辞し千葉の自宅で読書三昧を楽しんでいた人物。ネットもワープロもやらないので、原稿用紙に直接書き込むやりかたで押し通した方で、私も十年前まで「山音文学」の編集部の一員として生原稿のタイプ打ちを数年手伝ったことがあった。合掌・・・。

関東文芸同人誌交流会の掲示板より

関東文芸同人誌交流会の掲示板に、根保孝栄・石塚邦男さんより、「海峡派」138号の丁寧な批評をいただきました。ありがとうございました。
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  http://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs
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抜粋します

「海峡派」138号(北九州市) しみじみした読後感は都満州美「逃避行」  投稿者:根保孝栄・石塚邦男  
 
・遅れましたが、読後感を。
川下哲男「川筋少年」上の作品は、1958年、小学校三年生になった本田正吾が主人公。その目線から炭鉱町に住む一家の模様が語られる。家族は六人、三十代前半の父母と母方の祖母、幼い弟二人の合計六人が木造平屋の二軒長屋に住んでいる。酒が回ると炭坑節を歌う大人たち。線路沿いに水路があり、池がある。川上には滝がある自然に恵まれた町。学校生活、子供たちの遊び。そのような昔懐かしい日本の炭鉱町の風情を細やかに描く。

若窪美恵「まいど。鰻屋です」は、大学で文学部を専攻した太った若者が鰻の養殖場に見習いとして勤めることになり、日々奮闘するという珍しい職場の話。

有馬多賀子「おもちゃのヘビ」は、新しく赴任した女性教師が、難しい年頃の六年生の担任になって奮闘する話。

都満州美「逃避行」は、佳作である。両親と暮らしていた兄は、母が世話をするので日常生活で身の回りのことを何もせず過ごしてきた男。父が亡くなり、世話係の母も亡くなって、一人っきりの生活になった兄の住む実家は荒れ放題。姉はまともな結婚をして家を離れていったのに比較して、語り部の私は一人暮らしをして今はアルバイト生活。実家に帰って兄の世話をしながらアルバイト生活をすることにした・・。実家の一室を自室として住むことになったのだが、兄の日常生活が少しずつ狂い始め、それにつれて自分もおかしくなって行くのを感じ始める。老いに向かう兄妹の共同生活は・・・という話なのだが、細やかに肉親の変わり行く姿を描写する筆筋が地味ながら読者を惹きつける。

横山令子「艶やかに」は、夫の死後、あまり外出をせず、誰とも会話しない日が多くなった夢香は、久しぶりにコスモスを見に外出する。そして、粋な感じの老年紳士と知り合いになる・・というロマンチックな話。

詩作品は清水啓介「あくるひ」は、団地風景の一齣をシュールに点描した着想と構成が光る。山口淑枝「ダイニングキチンで」は、ご飯の炊き具合を竈の神様めいた目線で描写した構成と着想に心魅かれた。随想では、若杉妙「私の岩下俊作像」が同人雑誌ゆかりの岩下氏にまつわる伝説めいた思い出話の披露が心に残った。

高岡さんより批評 木村和彦『輝けブラス』・・・

関東文芸同人誌交流会の掲示板に、高岡啓次郎さんより、木村和彦『輝けブラス』の丁寧な批評をいただきました。ありがとうございました。
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  http://9301.teacup.com/douzinnnzassi/bbs

高岡さんは、今年度の、
第十回北九州文学協会文学賞の小説部門、『無口な女』大賞を受賞されました。北九州文学協会文学賞授賞式、懇親会でお会いし、「海峡派」ともご縁ができました。以下、抜粋します。

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①輝けブラス  
 投稿者:高岡啓次郎  
 海峡派の同人である木村和彦さんから上記の題の本をいただいた。以下はその内容を紹介した西日本新聞の数年前の記事である。

盲学校に赴任した23歳、新米の物理教師の悪戦苦闘。

「死ぬ前に、もう一度だけ演奏しないか?」

昭和33年に、初めて盲学校にブラスバンドができた、NHKラジオで全国放送の、あの感動シーンが蘇る。
1956年から7年間勤めた八幡東区の北九州盲学校(現・北九州視覚支援学校)で、全国でも珍しいブラスバンド部を創設した元教員木村和彦さん(82)=門司区花月園=が、当時の体験を基にした小説『輝けブラス』を出版した。視覚障害で楽譜を読めない生徒たちと苦楽をともにしたドラマがつづられる。木村さんは「私の体験を通じて、一般的なイメージとは違う視覚障害者の姿や彼らが考えていることをぜひ知ってほしい」と話す。専門は物理で、音楽の知識が全くない中でブラスバンド部を創設。目が不自由な約20人の部員に代わって楽器を調律することから始まり、部員たちとレコードを聴いて、時には面識がない芸大生に頭を下げて指導を請い、演奏技術に磨きをかけていった。
練習風景を見学しに来た人たちに対し、見せ物見学に訪れたように感じて時に怒りがこみ上げ、部活動に入れ揚げるあまりにほかの教員と対立するなど、血気盛んな20代の木村さんの姿も描かれる。一方、視力が徐々に失われて完全な失明が近づくことに悩む部員を海岸に連れだして励ますなど、盲学校であるがゆえの出来事にも見舞われる。
教職の傍らで同和問題を取り上げる作品を手はじめに小説を書き続け、退職後も同人誌を20年、主宰した木村さん。これまで手掛けた小説は多数あり、今回出版した『輝けブラス』は、かつて第1回蓮如賞の最終候補作に残った作品「アイウルラ」に、失明した部員のその後の生活などを加筆した。
80歳を超えた今もワープロを使って創作活動を続け、たった1行を書くために2、3日考え抜くこともあるという。それでも「小説を書くという好奇心が大事。それがエネルギーになっている」。
その後、ブラスバンド部員たちは卒業して各地で鍼灸師(しんきゅうし)になるなどし、木村さんも北九州市内の高校に転校したが、その後も連絡を取り合っている。木村さんは「一般の人はもちろん、出版した本を音訳したり点字にしたりして、かつての部員たちにもぜひ読んでほしい」と話している。

近々、この本を読んだ私の感想を載せたい。

②「輝けブラス」の続き   投稿者:高岡啓次郎  
 
 私がこの本を褒めるのは他にも理由がある。以下に一部を記す。

 彼の表情を見ているのが私だけだということが、彼と私が二人だけで対決しているようなき重さになって私を捉えていた。

 体育の先生がムッとくる炎熱の匂いを撒き散らしながら入ってきた。

 彼の音は、彼の体臭のように周囲に従えている空気そのものであった。その音は凍りついていた。硬くて重く傲慢でさえあった。
 それが攻撃的ならばまだ若さがあったが、彼はけっして自分からことを起こそうとはしなかった。四角や三角の組み合わさったその音は長調では格言のように、短調では靴に石を入れた歩行のように辛く痛かった。
 それは私に頑固な老人を思い出させた。
 これだったんだな、私はつぶやいた。

 この文章を見ていて分かると思うが、周囲に溶け込まない少年が楽器に向き合っていく様子が描かれ、それを主人公である教師が不思議そうに、扉の中をのぞくように描写している。
木村さんの許可を得てこの本の入手方法を近々みなさんに知らせたいと私は思った。  

③輝けブラスは映画になり得る
 投稿者:高岡啓次郎  
 木村さんの作品を読んですぐに感じたことは、私が映像の世界に生きる人間なら、ためらわずに映画にしたいということだ。この種の成功物語には「フラガール」があり、いま封切り中の「チアダン」があるが、この小説ははるかに精神性をともなった深い映画になりえるのではないかと思う。工学部を出た物理の教師が盲学校に赴任するいきさつや、正義感に満ちた青年教師が、今まで気付かなかったことに目覚め、新しい世界で子どもたちと一緒に成長していく過程が実に面白い。文体は平易にして会話も軽妙。九州にはずいぶん優れた書き手がおられるのだなあと改めて感心させられた。この本についてはもういちどふれてみたい。  

③「輝けブラス」最終考  投稿者:高岡啓次郎  
 前回ふれた周囲に溶けこまない少年のかかえた闇がエンデイングが近づくに連れて明らかになっていく。少年は人間が存在することそのものが罪なのだとつぶやくが、ずっと自死を考えていたのだった。周囲の仲間たちが楽しそうに音楽にのめりこんでいくのを、どこか冷ややかな態度で達観しているふうだった。奏でるトランペットの音色はどこか周囲と違う。その超然とした様子に、ときに教師は苛立ちを感じるが、ある日、少年の心に宿る深い悲しみの理由を知って謝罪したいと望み学校から連れ出そうとする。
 どこに行きたいかと聞くと、小石海岸に行きたいと答える。絶えず死を意識している少年に教師は死ぬなとはいえない。ただひとこと、もういちどだけ全員で演奏してみないかという。少年は暗い海岸にたたずみながら首を縦にふる。何が演奏したいかと教師が質問すると、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレがいいと答える。
 やがて演奏会があり、結果として少年は自死を思いとどまる。ずっと後年になってから大人になった少年は。あのとき先生が小石海岸に連れて行ってくれて、もう一回だけ一緒に演奏しようと言ってくれなければ自分は死んでいたと思うと打ち明ける。少年はやがて小石に住む同級生の女性と親しくなり結婚し、街で鍼灸師として治療院を作る。
「輝けブラス」という表題は、ある意味で人間すべてに向けられた普遍的な言葉である。障害を背負った人たちへの激励であり、不条理な時代に生きている我々すべてに向けられたメッセージなのだ。この本には哲学的な要素も随所にちりばめられており、視覚を遮断された人たちの思考がいやおうなく深くなっていく謎にも迫っている。この本を入手したい人は下記に申し込むことができる。

リーダーズノート出版。 東京都北区田端6-4-18 電話 03-5815-5428   
 
 
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