ヴィッセル神戸を愛するすべてのみなさんこんにちは。
事務局長の藤原です。
神戸市兵庫区和田宮通にある和田神社は、
町名にあるとおり地元では 「和田宮さん」として親しまれています。
ヴィッセル神戸がシーズン前に
必勝祈願に参拝する場所としても知られており、
毎年、5月2日と3日には、だんじりが運行されます。
和田宮さんのだんじりは、江戸時代には既に曳かれており、
明治45年の記念大祭には10台の地車が出たと記録にあります。
残念なことに、昭和20年の空襲によりその多くが焼失してしまいましたが、
昭和52年、「和田宮だんじり保存同好会」が設立され、
準備を重ねて昭和55年にようやく復活し、現在まで続いています。
このだんじり運行には、
地元に住む私たちの仲間が加わっています。
ヴィッセルを見守ってくれている和田宮さんに感謝の意を表し、
改元祝賀と、その仲間への応援を兼ねて、
「彼に内緒で集まろう、ノエスタ前で応援だ!」と呼びかけたところ、
多くの者が「行きます」とのこころよい返事。
三々五々、約10名の仲間が集まってくれました。
太鼓と鐘の音と、威勢のいい「おたおた!」の声が遠くから聞こえます。
この掛け声は「魚が“おった、おった”(いた)」が語源と聞きます。(※1)
航海安全、大漁祈願の和田宮さんを象徴するものです。
このタイミングで私は日の丸を掲揚。
そしてフラッグやタオルマフラーなどを手に、
みな思い思いに応援を繰り広げます。
この姿に、地車に帯同する総責任者の保存会会長さんがいたく感激。
「この気持ちに応えよう」と特別に、
地車を行ったり来たりさせる「返せ戻せ」(※2)を目の前でやってくださいました。
こんなの普通は、相当な御祝儀をはずまなければやってくれません。
さらにこのとき、道路の信号が赤に替わったのを私は見逃しませんでした。
地車は法規上「軽車両」の扱いですから、赤信号では止まらねばなりません。
「返せ戻せ」をやるには好都合です。
和田宮さんの神通力は、信号まで替えてしまうのです。
一昨年のこの日、ノエスタでの試合とだんじり運行時刻が重なり
スタジアム前でこれをやっている最中に、
ヴィッセルの決勝ゴールが決まったことを思い出しました。
それは、ゴール前の混戦の中、
見えない力に押されるかのような印象的なゴールでした。
「和田宮さんありがとう」
感謝の応援は、まだまだ続きます。
私たちはその後、大鳥居前に移動。
クライマックスである「宮入り」を見物するため、
地元の人々も集まってきました。
日没頃に、地車が通りの向こうに姿を現しました。
あたりが暗くなり、提灯に明かりがつきます。
曳いている氏子衆も相当疲れているでしょうが、
そんなそぶりは一切見せません。
みな元気です、楽しそうです。
その気持ちは地車の動きに自然と乗り移ります。
大鳥居を前に「返せ戻せ」を繰り返している地車の姿は
「まだおうちに帰りとうない、もっとお外で遊びたい!」 と、
駄々をこねている子供のようで、
どこかいじらしく感じました。
時刻が午後8時を回った頃、
ようやく地車が大鳥居をくぐりました。
観衆からは、大きな拍手が沸き起こりました。
(※1) 魚群を「追うた!追うた!」との説もある。
(※2) 現在は地車をバックさせる際の掛け声として使われているが、
本来はこれが運行時の掛け声。
今から360年前の万治二(1659)年、武庫川決壊に伴う洪水で
岡太神社(西宮市小松南町)の御祭神、
天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)を祀る神輿が
和田岬に流れ着いたことが和田宮建立の起源であり、
その神様を両地域の民が「返せ」いや「戻せ」とラブコールしたことに由来する。
また、『追うた』魚群を網に収め、引くときの掛け声『返せ!戻せ!』に
由来するという説もある。
参考HP http://www.wadamiya.jp/
http://www.wadamiya.jp/danjiri/
事務局長の藤原です。
神戸市兵庫区和田宮通にある和田神社は、
町名にあるとおり地元では 「和田宮さん」として親しまれています。
ヴィッセル神戸がシーズン前に
必勝祈願に参拝する場所としても知られており、
毎年、5月2日と3日には、だんじりが運行されます。
和田宮さんのだんじりは、江戸時代には既に曳かれており、
明治45年の記念大祭には10台の地車が出たと記録にあります。
残念なことに、昭和20年の空襲によりその多くが焼失してしまいましたが、
昭和52年、「和田宮だんじり保存同好会」が設立され、
準備を重ねて昭和55年にようやく復活し、現在まで続いています。
このだんじり運行には、
地元に住む私たちの仲間が加わっています。
ヴィッセルを見守ってくれている和田宮さんに感謝の意を表し、
改元祝賀と、その仲間への応援を兼ねて、
「彼に内緒で集まろう、ノエスタ前で応援だ!」と呼びかけたところ、
多くの者が「行きます」とのこころよい返事。
三々五々、約10名の仲間が集まってくれました。
太鼓と鐘の音と、威勢のいい「おたおた!」の声が遠くから聞こえます。
この掛け声は「魚が“おった、おった”(いた)」が語源と聞きます。(※1)
航海安全、大漁祈願の和田宮さんを象徴するものです。
このタイミングで私は日の丸を掲揚。
そしてフラッグやタオルマフラーなどを手に、
みな思い思いに応援を繰り広げます。
この姿に、地車に帯同する総責任者の保存会会長さんがいたく感激。
「この気持ちに応えよう」と特別に、
地車を行ったり来たりさせる「返せ戻せ」(※2)を目の前でやってくださいました。
こんなの普通は、相当な御祝儀をはずまなければやってくれません。
さらにこのとき、道路の信号が赤に替わったのを私は見逃しませんでした。
地車は法規上「軽車両」の扱いですから、赤信号では止まらねばなりません。
「返せ戻せ」をやるには好都合です。
和田宮さんの神通力は、信号まで替えてしまうのです。
一昨年のこの日、ノエスタでの試合とだんじり運行時刻が重なり
スタジアム前でこれをやっている最中に、
ヴィッセルの決勝ゴールが決まったことを思い出しました。
それは、ゴール前の混戦の中、
見えない力に押されるかのような印象的なゴールでした。
「和田宮さんありがとう」
感謝の応援は、まだまだ続きます。
私たちはその後、大鳥居前に移動。
クライマックスである「宮入り」を見物するため、
地元の人々も集まってきました。
日没頃に、地車が通りの向こうに姿を現しました。
あたりが暗くなり、提灯に明かりがつきます。
曳いている氏子衆も相当疲れているでしょうが、
そんなそぶりは一切見せません。
みな元気です、楽しそうです。
その気持ちは地車の動きに自然と乗り移ります。
大鳥居を前に「返せ戻せ」を繰り返している地車の姿は
「まだおうちに帰りとうない、もっとお外で遊びたい!」 と、
駄々をこねている子供のようで、
どこかいじらしく感じました。
時刻が午後8時を回った頃、
ようやく地車が大鳥居をくぐりました。
観衆からは、大きな拍手が沸き起こりました。
(※1) 魚群を「追うた!追うた!」との説もある。
(※2) 現在は地車をバックさせる際の掛け声として使われているが、
本来はこれが運行時の掛け声。
今から360年前の万治二(1659)年、武庫川決壊に伴う洪水で
岡太神社(西宮市小松南町)の御祭神、
天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)を祀る神輿が
和田岬に流れ着いたことが和田宮建立の起源であり、
その神様を両地域の民が「返せ」いや「戻せ」とラブコールしたことに由来する。
また、『追うた』魚群を網に収め、引くときの掛け声『返せ!戻せ!』に
由来するという説もある。
参考HP http://www.wadamiya.jp/
http://www.wadamiya.jp/danjiri/
関西蹴球國士連合総本部 事務局長
神戸海征塾 事務局長
神戸フリーバーズ 代表
藤原 裕二