2014年09月

2014年09月26日

反戦展

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9/25~29まで開催されている「反戦ー来るべき戦争に抗うために」展に参加しています。
沖縄でたまたまお目にかかった、美術評論家の土屋誠一さんの呼びかけによる企画展。(特にセレクションはなく、参加の意志のある人は誰でも出品できるスタイルの展示です。)沖縄で知り合った方というのも何かの縁だし、と参加する事にしました。
今回の自分の作品は、戦争体験を後世に伝えるための作品に関わった経験をふまえつつ、前回のブログ記事に書いたような、最近ゴキブリについて考えていたことがそこに組み合わさってひとつの作品となりまさした。
この二つの事象がなぜ組み合わさったのか?と考えていたのですが、以前書いたとおり、ゴキブリは正当な理由なく、排除することが社会的に許されている存在、その排除の力学に、戦争に通じるものを感じたのかな・・と。

前回も引用した、メレ子さんの「ときめき昆虫学」、ゴキブリについて書かれた、最終章の書き出しの文章。

〜ついに来たか、という感じだ。その名を出すと彼らを呼んでしまいそうなので、あまり口にしたくない、そんな、未開の村に伝わる忌わしい怪物のような扱いをしてしまう唯一の昆虫。〜

ゴキブリを排除する論理はそんな「未開」の領域に属し、また人びとを戦争へと向かわせる力もそんな所から来ているのではないかな、と思いました。

戦争の体験の、悲劇性を共有することが、私たちに何をもたらすのか。そこから無意識にこぼれ落ちてしまうもの、そこに本当にこわいものが含まれているのではないだろうか。
悲劇の再現を防ぐために、学ぶべきこととは、なんだろうか。

戦争の体験が「表現」されるものである以上、その表現の裏側にあるものに常に意識を向けていないと、足元をすくわれてしまうのではないか、そんなことを考えつつ、作品を作りました。

とはいえ色んな作家の作品と並ぶ中で、どんな事が見えてくるか、それは見る人次第でもあります。
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会場:SNOW Contemporary
〒154-0016
 東京都世田谷区弦巻2-30-20 1F XYZ collective内
開場時間:12:00 - 20:00
会期中無休 / 入場無料

kaizuken1 at 18:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 展示 | 沖縄

2014年09月24日

黒っぽい虫の話。

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この虫なんだか分かりますか?
実は、家の中に居る嫌われ者の代表の虫・・の仲間。
でもこれは人家ではなく森の朽木の中に住む、オオゴキブリ。

image先日訪れた仙台の青葉城へ行く歩道で、たまたま死んでるのを見つけました。
この虫は、横から見るとちょっとカブトムシにも見える?ような立派な鎧をまとった姿で、趣味で飼育もされる方もいるみたいですが、家に居るごく普通のゴキブリのことも、最近気になっています。
生きている化石と言われるほど、原始的な昆虫の姿を残しているという身体は、よく見ると結構面白い。ゴキブリに米を食い荒らされたとか、ゴキブリが原因で病気に感染したという話も聞かないのに、見かけたら即殺す、みたいな反応が当然のように思われてるのって、なんだか不思議な気がします。
でもそれは逆に、それだけゴキブリが人間の身近にいるからでもあって。

「ときめき昆虫学」の最終章、ゴキブリについての文章はこう書き出される。

 ついに来たか、という感じだ。その名を出すと彼らを呼んでしまいそうなので、あまり口にしたくない、そんな、未開の村に伝わる忌わしい怪物のような扱いをしてしまう唯一の昆虫。

ゴキブリを排除しようとする力学も、こういう「未開」の領域に属する事なのかも知れないなあ、と。ゴキブリに限らず、多くの虫に抱かれる気持ちも(嫌悪、好奇心を問わず)、人間の無意識の領域から来ているのかなあ、なんて思います。

昔話に登場するキツネやたぬきなどの動物が人間の生活空間から去って行き、(山間地ではまだサルや猪が出て来ますが・・)自然界のなかで人間がどんどん孤独になってきた中で、まだこんなに居住空間の近くに、共存している生き物が居るというのは、まだ人間が生き物であることを思い出させてくれるというか、そんな気がするんですね。
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↑家の近くの河畔林の樹のうろにあった、ゴキブリの巣(人家に住むゴキブリとは別種)。ほとんどのゴキブリはこうやって、人類が誕生する以前から暮らして来たのだろう。

kaizuken1 at 12:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0) その他のエッセイ | 身近な自然

2014年09月16日

最近描いた絵。

月の帽子002

最近「月夜の賢治」展に展示したのとは別に描いた絵を載せておきます。
最初の絵は、先日の満月をイメージして描いた『月の帽子』。大きな麦わら帽子を月に見立てて描きました。

小鳥001

『かごから出た小鳥』
最近、白と黒のモノクロームで描く事にはまっていて、この絵はかごから外の世界へ出て行く小鳥の静謐なあこがれみたいなものを表現してみました。

黒アゲハ003

『黒アゲハ』
夏の終わり頃、まだ眩しい日ざしの差し込む森の中で、良く木漏れ日に見え隠れしながら飛ぶ黒アゲハを見かけます。光と影の強いコントラストの中で見る黒い羽の輝きは美しく、そこに真夏の健康的な美しさを感じて、こんな絵を描いてみました。



kaizuken1 at 11:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  

2014年09月09日

「月夜の賢治」展 ありがとうございました。

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おもては軟玉(なんぎよく)と銀のモナド
半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ
巻積雲のはらわたまで
月のあかりはしみわたり
それはあやしい蛍光板(けいくわうばん)になつて
いよいよあやしい苹果の匂を発散し
なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる
  「青森挽歌」宮沢賢治

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「月夜の賢治」展、銀座煉瓦画廊での展示が終わりました。ご来場の方、他みなさま、ありがとうございました。今回は作家それぞれの知り合いや美術好きな方の他にも、やはり宮沢賢治の好きな方が多く足を運んで下さり、嬉しかったです。中には岩手・花巻の賢治記念館などで案内葉書を手にしたという方や、ご自身のブログで賢治作品と月について詳しく考察されている方なども。また賢治作品の朗読をしている知人も来てくれましたし、創作能で賢治の世界を表現している中所宜夫さんは、その場の雰囲気で「原体剣舞連」を披露して下さって、なんともぜいたくな空間になりました。
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「月と賢治作品」というテーマもとても面白く、まだまだ他にも面白い絵に出来そうな作品があるので、このテーマはこれからまた個人的に深めて行き、どこかでまた発表できたらと思っています。

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今回の展示では葉書大くらいの木の板にもたくさん絵を描きました。並べてみると、なんだか「絵馬」みたい・・

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<はるかなモリーオの市のぼぉっとにごった灯照りのなかから、十六日の青い月が奇体に平べったくなって半分のぞいているのです。わたくしどもは思わず声をあげました。ファゼーロは、そっちへ挨拶するように両手をあげてはねあがりました。>
「ポラーノの広場」

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<ただその澄み切った桔梗いろの空にさっきの黄金いろの二十六夜のお月さまが、しずかにかかっているばかりでした。
「おや、穂吉さん、息つかなくなったよ。」俄に穂吉の兄弟が高く叫びました。
 ほんとうに穂吉はもう冷たくなって少し口をあき、かすかにわらったまま、息がなくなっていました。そして汽車の音がまた聞えて来ました。>
「二十六夜」

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展示が終わった夜に見た月。

kaizuken1 at 20:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 宮沢賢治 |