2008年11月09日
コペル君とミモリさん
先日、ミュージシャンの遊佐未森さんのデビュー間もない頃のインタビュー記事をなんとなく読んでいたら、「好きな本」という質問の中で”今読み途中なんですけど・・”と挙げられていたのが、「君たちはどう生きるか?」(吉野源三郎著・岩波文庫)という本。”タイトルがちょっとすごいんですけど・・”と言われていた通り、かなりカタそうな、時代を感じさせるタイトルだが、実はこれも最近読んでいた宮崎駿さんの「折り返し点」というインタビュー&エッセイ集の中に、この本について書かれた文章があったのを思い出した。(スタジオジブリのフリーペーパー「熱風」に寄稿されたものらしい)
このお二人がこの1冊の本で偶然接点をもっていることに興味を持って、その本を読んでみました。
内容は、15才の少年「コペル君」と、父親のいない彼のめんどうをしばしば見ている「叔父さん」との対話を軸に、コペル君が学校の友だちなどを通して”自分の目と頭と体で”経験していくことがらをもとに、一人の少年が社会を「知って行く」過程が、きわめて平易な文章で描かれている。
そのスタートとなるのが、銀座のデパートの屋上で町を見下ろしていた時の体験だ。ここでコペル君は、”人間ってほんとうに分子だね”という発見をする。東京の町に、朝夕と潮が満ち干するように人が押し寄せ、道を川の流れるように車が流れて行く・・その中にコペル君は、自分と同じくらいの年頃の、自転車に乗った少年を発見する。雨に濡れた道を車に揉まれながら走ってゆく少年は、それを見ているぼくには気付く様子もない・・
その描写を読んだ時、僕は遊佐未森さんの歌「暮れてゆく空は」の一節を思い出してしまった。
石を投げたくなって河原に降りたら 君が橋の上を自転車で過ぎてゆく
追い掛けたりしたら夕焼けの空に君がそのまま吸い込まれてゆきそう
<「暮れてゆく空は」作詞・工藤順子 アルバム「ハルモニオデオン」収録>
「ぼく」が見ていようといまいと関係ない世界で生きている「君」がいること、僕の知らない君がいる、ということ、それは考えれば当たり前のことなのだが、人はつい自分はすべてを見れて、すべてに関係出来ると思ってしまう。
それが出来ない事をはじめて知るのが「思春期」というものなのだろうが、”ネット時代”の今はその痛みを簡単に仮想的人間関係に代替できてしまうので、そのことをじっくり理解することが難しくなっているのかもしれない。
その世界のとらえ方の大転換を、”叔父さん”は「天動説」から「地動説」への大転換を成し遂げたコペルニクスになぞらえ、そして、大人になっても少年がこの”コペルニクス的”な物の見方を忘れてしまわないように「コペル君」と名前をつけるのだ。
その後も、ニュートンは木から落ちるリンゴを見て”ナゼ?”万有引力の法則を発見できたか、という話や、粉ミルクのびんから、それに関わった人々への想像をめぐらせて生産と流通について考える話、学校でバカにされている友人が、家で豆腐屋の手伝いをしているのに感心する話し、友人の家に遊びに行って、その姉の勝ち気なかつこさん(笑)に、”ナポレオンの英雄的精神”を教えられる話、と、そのつどコペル君は自分の体験と考えた事をおじさんに話して、叔父さんは一冊のノートにそのことがらについての考えを記す、という対話がなされていく。
中でもコペル君が一番困ってしまうのが、がらの悪い上級生に目を付けられている友だちを、みんなでかばおうと約束したのに、自分だけその約束を守れなかった”卑怯者”のエピソードで、ここでは”お婆さんに手を貸そうと思って貸せなかった”という母親の体験がコペル君の気持ちを和らげる。


この本は、太平洋戦争前の1937年に「日本少国民文庫」の一冊として出版されたという。しかし、ここに書かれていることは思想的に全く時代を感じさせるものではない。ナポレオンの話しや、”卑怯者”のエピソードなどは、その後の大戦で起きた事を考えると余計に身につまされるものがあるが、この本が思想の”刷り込み”ではなく”自分で考えること”を書いているので、現代の感覚でも全く齟齬がないのである。
宮崎駿さんも、先述の文の中でこの本のタイトルについて、「困って生きなさい、という意味なんですよね。こういうふうにすれば上手く生きられますよ、じゃないんです。」と書かれている。
コペル君が庭先で見つける、一つの水仙の球根のエピソードでこの本は閉じられる。おもい土を抜けて伸びて来ようとする植物のように、コペルくんの中にも何か伸びゆく物が感じられる。
遊佐さんの歌にもよく植物の芽生えが歌われているので、そういう所でもこの本と深く繋がっているのではと思ってしまう。
「僕はまだ何も生み出せないけど、自分がいい人間になれば、いい人間を一人、この世界に生み出す事ができると思う」
どう生きるか?と問いながら、この本には何のために生きるか、というもうひとつの命題の答えがシンプルに示されているのではないか。とにかく、15才の少年だけでなく、何度でも読み返して考える事の出来る本なので、これはぜひ手にとって読んでみて欲しいと思います。
遊佐さんも宮崎さんも、本の中の「挿し絵も良かった」と言われていました。それもぜひ見てみて下さい。

(この絵は冒頭の銀座のデパートのエピソードをもとに描いたもの。この本には魅力的な場面がいくつもあるので、またこれを題材に絵を描いてみたいなあ。)
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