2005年08月31日

安部公房 「他人の顔」

ていうか、その仮面、最初からバレバレだったんじゃあなかろうか。

というのがオチの話なのです。

事故で顔が醜くただれてしまい、包帯で顔を覆い隠している男。
彼が密かに熱中する「仮面」作り。
顔、たかが顔の表面。人間の本質とは何の関わりも無いはずだ。
理系の研究者でもある主人公には今更取るに足らない問題である。

だが、事故を機に職場の人間関係、妻との関係、全てが変わってしまったように思われてならない。
顔を失ってから、自分自身さえ失ったような気がする。
顔さえ取り戻せれば、いや、あるいは別の人間の顔ならば…

顔に対する屈折する思いから、精巧な他人の顔を仮面としてかぶる男。
顔の意味を否定しつつ、顔に固執せざる矛盾はもう何て言うか息苦しい。
そしてそのまま自分の妻を誘惑するというさらなる屈折ぶりを見せる男。

一体何をしたいのか。自分でわかっているようでわかっていない男の行動。
いやだからもう、読んでいて辛い。全部が比喩なのに、全部がストレート過ぎる。この作品は。

”攻撃的な面相”を選んで仮面にしたことによって、性格までも攻撃的で派手になる男。
自分を決めているのは自分ではなく、やはり顔だったのか。
それとも、仮面をかぶっている自分が本当の自分で、仮面の下の自分がもともと仮面だったのか?

安部公房が繰り返し書くテーマの一つが、”贋者”である。医者の贋者、自分の贋者、贋者の顔…
贋者を描くことによって本物が描かれる。では贋者を愛するということは本質を愛することか?
いや、贋者は贋者なのだ。飽くまでも。

仮面とは結局なんだろう。仮面の滑稽さがわかったところで、それは素顔の肯定にはならない。
それどころか、ありのままの素顔など、あり得ない気さえしてくる。
では結局、人間の本質とはどこに存在しているのか。

ていうかその仮面、バレバレですよ。

他人の顔



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2005年08月