2006年03月

2006年03月29日

桜が満開です

81d9fd8a.jpg桜の下の一幕

昼寝をしていたとき不意の来客があって、寝ぼけまなこで応対に出たら、いきなり
「桜が見事ですねぇ、このまえお伺いしたときは、桜の木があることさえ気づきませんでした」と言う。
 「ああ、今が盛りですからねぇ」と相槌を打ちながら、さらに付け加えた。
 「花が咲かないと、これだけの巨木でも人目につかないものですねぇ」
 「ほんと、ほんと。今日はまた、雪が降っているのかと思えるほど花が散って、見事ですねぇ」
 庭先に立っている男の頭上を覆うように花を広げた満開の桜の木から、おびただしい花びらが舞い散っている。
 ここに在るということを知らせるために花は咲き、そして散るのだろうと、ふと私は思った。そこで、男に向かって言った。
 「こうやって、ひととき花を咲かせることで、あなたに気づいてもらって、桜も満足でしょう」
 すると、男が言った。
 「いや、いや、花びらに気づかせてもらいました」
 「ほんとに、そうですねぇ。花がなければ桜の木も存在しないのとおなじですよねぇ」
 私は、男に応じながら、初めて発見した者のように桜の木を見上げた。七、八メートルはあろうかという樹高をもつ桜の木が精一杯にひろげた枝の先端まで花に覆われている。そこから、無限に尽きないのではないかと思えるほどの花びらが降ってくる。
 「しかし、桜も、もう終わりですねえ」と男が言った。
 「そうですねえ、あと、三日もすれば終わりでしょうねぇ」と私は応じた。
 咲きはじめて十日もすれば花は終わる。咲き急ぎ、散り急ぐ桜の花を見ていると、誰でも不思議な感懐に捉われるものらしい。
 何の用向きで来たのか言わない男と、何の用向きで来たのか問わない私と二人、花吹雪のなかに立って、惚けたように空を見上げている図は、やはり花狂いの図であろう。それも、爛漫と咲く花との何かそぐわない取り合わせの図。
 突然、「樹下美人図とはいきませんなぁ」と男が言った。
 「そうですねぇ」と私も応じた。
 二人とも同じようなことを考えていたらしい。そういえば、どのくらいの時間を桜の下に立っていたのだろう。男は、画材店の営業マンだが、頼んでいた額装のマットの色の打ち合わせは五分で済ませ、帰り際に、もう一度、「見事ですねぇ」と、桜の木を見上げていた。私は、男が帰ったあと、またしばらく庭先にたっていた。


kajuen134 at 08:49|PermalinkComments(1)TrackBack(1)

2006年03月09日

春、三月

4c08fe64.jpg 春、三月

木の影の日々に密なる春障子 道倉延意

 私は、カーテンというのが嫌いで全室を障子にしている。おかげで、やわらかな朝の光が楽しめるというわけである。また、その光のおかげで外の木立の揺れを楽しめるというわけだ。
 布団の中から仰向けに眺める障子は、さながら影絵のスクリーンである。たまには、枝から枝を飛び交うヒヨドリやメジロなどの鳥影も見ることがある。
寝ながらにして朝の庭の様子を窺っていると、なかなか布団から抜けだすことができない。
ところで掲句。作者も私と同様に、日々、障子に映る庭木立の影を楽しんでいるようだ。
 冬の間は葉が落ちてしまった落葉樹、それも樫や楢、また桜などの枝々の影ばかりだったものが、やがて芽吹き若葉が繁りはじめるにつれ、障子に映る木の影も密になってきたというのである。
わざわざ外に出て確かめるまでもなく、寝ながらにして春が爛けてきたことが判るというものだ。
 部屋の空気も暖かくなってきて、なんとなく寝床から抜け出すのがおっくうで、もう少し影絵を楽しみたい気分と、寝ていたい気分まで感じられる句である。
それはさておき、むかし読んだ森敦の小説『月山』の中に、たしか、雪の日に竹組みの障子紙を貼った覆いの中で目覚めるシーンがあったと記憶している。主人公が繭の中にいるような、幻想的で、すでに、この世ならぬ世界での目覚めを体験するシーンであった。
 この読書体験と、幼年期の障子に囲まれた暮らしの記憶がかさなって、家を建てるときに全室を障子にしたのである。
 それ以来、障子を透ってくる朝夕の日の光、夜の月の光を楽しんでいる。
また、春の庭を散策するとき、外から白い障子の嵌まった家を眺めるのも好きだ。特に夜、あたたかな灯が障子をもれてくるのはいいものである。それも照明を、すべて電球にしたおかげだ。障子に蛍光灯は似合わないと思ってのことだ。
村の寄り合いなどで、暗い夜道を辿って帰宅したときなど、我が家から洩れるオレンジ色の灯をみると、ほんのり、しみじみと優しい気分になれる。
 そんなとき家というものを、何かしら鳥の巣のようにかんじられるのは障子と灯のせいではないだろうか。


kajuen134 at 17:10|PermalinkComments(0)TrackBack(2)