風林火山

2007年12月02日

風林火山はいよいよ川中島の戦いですね。
こちらは現在の海津城内の景色です。





(22:22)

2007年04月22日

今、川中島の果樹園で桃の花が満開です。
奥に見えるのが妻女山です。




(16:32)
久しぶりに通ったら、胴合橋に「山本勘助翁鎮魂碑」と胴合橋の案内板ができていました。風林火山の影響は絶大ですね。これでまた観光スポットの出来上がりです。

石碑裏の解説によると「山勘」という言葉は「山本勘助」が由来だとか。広辞苑ではそういう記述はありませんけどね。むしろ逆のような気もしますが。










(16:21)

2007年04月15日

今日も朝から海津城に桜を見に行きました。
桜が満開の週末二日とも好天に恵まれました。












(17:50)

2007年04月14日

山本勘助が築城に関わったと言われる海津城。
桜が満開になる頃が一年で一番賑やかな季節です。









(14:57)

2007年02月12日

サイクリングのついでに典厩寺に寄りました。

1561年(永禄4)、川中島の合戦で戦死した武田信玄の弟、典厩信繁[てんきゅうのぶしげ]と両軍の戦死者を弔った曹洞宗寺院です。

「閻魔堂」
頭部が木造、身体が漆喰造り。高さ5mの巨大な閻魔大王像。



「武田信繁の墓」
大永5年(1525年)武田信虎の次男として生まれる。幼少より文武に秀でていたため、父・信虎から溺愛された。その溺愛ぶりは嫡男である信玄を廃して信繁に家督を譲ろうと画策するほどであったが、父の思惑とは別に兄弟仲は良く、天文10年(1541年)に信玄が信虎を駿河国に追放すると信玄を補佐して家中をよく取りまとめた。




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住所:長野市篠ノ井杵渕1000


(12:03)

2007年02月07日

今日は胴合橋(どあいばし)を見に行きました。



武田軍軍師山本勘助が戦死した後家来が敵の手から首を奪い取って胴と合わせた場所と云われていますが、看板がなければ用水路にかかる只の石橋で誰も見に来る人はいませんね。

釜飯の「おぎのや」奥の駐車場の「そば蔵」脇にあります。







(20:12)

2007年02月05日

今日はサイクリングのついでに川中島古戦場を訪れました。

(右)上杉謙信、(左)武田信玄の像です。













(18:00)

2007年02月03日

今日はサイクリングのついでに史跡巡りしました。

雨宮の渡し跡の碑


上杉謙信は武田軍の夜襲の裏を掻くべく妻女山の本陣に煌々と大篝火を焚かせて、あたかも未だに夜営しているが如くに偽装させます。そして数千もの上杉軍 は月明かりの無い漆黒の山中をたいまつも持たずに下り、人馬とも物音一つさせずに千曲川の 雨宮の渡しを渡河したと言われています。

頼山陽の詩「川中島合戦」



こちらは妻女山展望台からの眺望です。







川中島合戦のとき、上杉謙信が陣営を設けた山で、この平地は陣場平、その南西は千人窪と称し、伏兵千人を潜ませたと伝えられている。川中島平は一眺の中に入り、海津城の動静を伺い得る地である。
永禄4年9月夜、山を下り雨の宮の渡しを渡ったのが、かの有名な「鞭声粛々…」の詩となり、また「西条山は霧ふかし、筑摩の河は浪あらし…」と学校唱歌などにうたわれている。







(15:44)

2007年01月29日

今日はサイクリングのついでに山本勘助の墓と海津城に寄りました。

山本勘助の墓は千曲川河川敷の畑の中にぽつりとあります。
場所はこの辺です







海津城



1560年(永禄3年)武田信玄が上杉謙信との一騎打ちに備え、山本勘助に命じて川中島平をおさえる要地に築城したと言われています。







(17:18)

2007年01月28日

NHKで大河ドラマ「風林火山」が始まってから当地も
観光で訪れる人が増えてきたようです。
サイクリングのついでにいくつか撮影しました。

手前右の山が妻女山


「川中島合戦のとき、上杉謙信が陣営を設けた山で、この平地は陣場平、その南西は千人窪と称し、伏兵千人を潜ませたと伝えられている。川中島平は一眺の中に入り、海津城の動静を伺い得る地である。」

千曲川



「武田軍の軍師山本勘助は、妻女山の謙信を啄木鳥(きつつき)戦法で誘い出し、挟撃で一気に勝敗を決しようとした。謙信はこの企てを事前に察知し、夜千曲川を渡り八幡原で待ち伏せた。」

謙信が雨宮の渡しを渡った時の様子を頼山陽が有名な詩にした。
「 鞭声粛粛 夜 河を過る
  暁に見る千兵の大牙を擁するも
  遺恨なり 十年一剣を磨き
  流星光底に 長蛇を逸す」


典厩寺



「永禄4年9月10日川中島合戦の際、信玄の実弟典厩信繁の陣営地にして奮戦の末、この付近ではなばなしく討死したので遺骸を当寺の境内に埋めて典厩塚と云う。」






(16:25)