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福田恆存「人間・この劇的なるもの」(昭和文学全集27)


エロゲ総合一覧






ラスコオリニコフは、監獄に入れられたから孤独でもなく、人を殺したから不安なの


でもない。この影は、一切の人間的なものの孤立と不安を語る異様な(これこそ真


に異様である)背光を背負っている。見える人には見えるであろう。そして、これを


見て了った人は、もはや「罪と罰」という表題から逃れることは出来ないであろう。


(小林秀雄「ドストエフスキイの生活」)






同人エロゲのPLASTIC LABEL「強姦ゲーム」コンプリート。凄いな…。


大変な傑作ですよ。とても良作。プレイしていてドストエフスキーを


思い出させるところがありましたね…。良い意味でドストエフスキー的。


エロゲで云うならば、「キラキラ」等の瀬戸口廉也さん作品を彷彿とさせる。


タイトルは「強姦獣」とかと同じく強烈にセンセーショナルではありますが、


物語自体は、極めて良く出来ている、反・強姦的、底に倫理がちゃんとある。






確かに僕は怠け者だ、非常に怠け者です。しかし、どうも僕には、人生


に対して非常に怠惰な態度を取るほか道はない。とすればどうしたら


よいか。幾時になったら、この僕の暗い心持ちが無くなるか見当がつき


ません。思うにこういう心の状態は、人間だけに振り向けられたものだ。


天上のもとの地上のものが混ざり合って人間の魂の雰囲気が


出来上っている。人間とは、何と不自然に創られた子供だろう。


(ドストエフスキー。兄ミハイル宛書簡)






本作物語の主人公は、重度のエロゲオタかつサディスティックな性的欲望を持つ


自堕落な学生で、女学生にセクハラを繰り返し、「キモいオタク」として嫌われて


おり、本人も己自身を最悪最低の人間の屑として位置付けている、極めて自虐的


で陰惨な思考の持ち主(ドストエフスキー「地下室の手記」の主人公に似ている)


なのですが、彼はそんな自分の在り方に非常に苦しんでいる、本当は、悪ではなく


善を求めたい、女性を愛して幸せにしたいという気持ちも持っている。だけれど、


それを「己はどうしようもないエロゲオタで異常なサディストで人間の屑」と位置付け、


そう振舞うことで意識的に抑圧しているんですね。極めて複雑な清濁併せ持つ


意識的人物で、ドストエフスキーやシェイクスピア、瀬戸口廉也さんの作品に出てくる


登場人物を彷彿とさせる。こういった複雑さを持つのは、主人公の彼だけじゃないん


ですね。ヒロイン達や他の登場人物もこういった複雑さを持っている。ヒロイン達は


みな彼に負けないほどの複雑さを持った意識家、まさに「人間・この劇的なるもの」






愛は自然にまかせて内側から生まれてくるものではない。ただそれだけ


ではない。愛もまた創造である。意識してつくられるものである。………





自然のままに生きるという。だが、これほど誤解されたことばもない。


もともと人間は自然のままに生きることを欲しないし、それに堪えられも


しないのである。程度の差こそあれ、だれでもが、なにかの役割を


演じたがっている。また演じてもいる。ただそれを意識していないだけだ。


そういえば、多くの人は反撥を感じるであろう。芝居がかった行為に


たいする反感、そういう感情は確かに存在する。人々はそこに虚偽を見る。


だが理由は簡単だ。一口にいえば、芝居がへたなのである。………





舞台をつくるためには、私たちは多少とも自己を偽らなければならぬのである。


堪えがたいことだ、と青年はいう。自己の自然のままにふるまい、個性を伸張


せしめること、それが大事だという。が、かれらはめいめいの個性を自然のまま


に生かしているのだろうか。かれらはたんに「青春の個性」というありきたりの


役割を演じているのではないか。私にはそれだけのこととしか思えない。





個性などというものを信じてはいけない。もしそんなものがあるとすれば、それは


自分が演じたい役割ということに過ぎぬ。他は一切生理的なものだ。右手が長い


とか、腰の関節が発達しているとか、鼻がきくとか、そういうことである。………





私たちは二重に生きている。役者が舞台のうえで、つねにそうであるように。


(福田恆存「人間・この劇的なるもの」)






本作で面白いのは、主人公のプレイするエロゲの世界は、自然な世界(ヒロインが


演技せず、自然なまま振舞っている世界)であり、主人公がいる世界(本作に


おける現実世界)は、ヒロインが、そして皆が、周囲を意識して、自分を意識して、


演技している、自然ではなく、人工的な舞台としての世界としてある。にも関わらず、


本作におけるエロゲの自然なヒロイン、一面的なヒロインの在り方よりも、自ら演技して


いることを自ら意識している本作現実世界の二重的なヒロインの方がずっと魅力的


に感じること。人間は多かれ少なかれみな意識家・演技家であり、だからこそ魅力的、


人間の対他者としての在り方に自然などないと説く福田恆存さんの文を思い出す…。


「私たちは二重に生きている。役者が舞台のうえで、つねにそうであるように。」






俺は、二次元(エロゲ)の世界の中に没頭した。俺の視界はディスプレイと


シンクロし、脳は完全にパソコンと同化した。パソコンが全てであり、理想の


空想世界のみが俺の全てだった。完全快楽主義。溜まればエロシーンで抜く。


尽きたら、日常シーンで欲情ゲージを貯めていく。自己発情的、無限自慰行為


ループ。幼い言動。幼い顔立ちと、体つき。付き合う女性は、どの子も可愛く


少女的。現実のどす黒さは微塵も無い。製作者はプレイヤーの心理をわかって


いる。このまま、何も考えずに、快楽にだけ溺れていればいい。そのうち、


三次元と二次元の区別も付かなくなって、妄想の中で死ねればいいと思った。


(PLASTIC LABEL「強姦ゲーム」)






本作においては、通常の見方とは世界が反転して捉えられている。自然は創作で


描かれる世界にしかない。現実世界とは、人工的(意識的)に創られるものなのだ、と。


創作内部こそが唯なる自然であり、現実世界とは意識的なものである。そして、自然


に引っ張られると、それは破滅へ向かってゆくということで、極めて理性主義的な立場


からエロゲというものに対する批評性を劇中劇という形で与えていて、非常に面白い。


そして、自然に従うということは、本作においては破滅を齎す。主人公は小さい頃から


虐待を受けてきており、己のなかに破滅的な、サディスティックな性的欲望を抱いている。


そしてそれを、実際に行為するということは、主人公自身の破滅なのです。主人公の


なかには、サディスティックな性的欲望とともに、「良心」としか云いようのない、理屈


ではない倫理的なものがあって、それが壊れると、彼も壊れてしまう。彼は自らの心の


さまざまな争いのなかで、己自身を演技する。ハムレットのように、イワンのように。






人を殺すことを夢中で考えていた時さえ、マクベスは少しもそれ(自分が


実際に主君を殺す)を信じていなかったが、そういう醒めた自己意識が


(実際の行為としての)凶行によって無惨に壊れてしまったのである。


彼は「大事なもの」を殺した。いいかえれば、彼は窮極的にはあった筈の


conscience(意識=良心)を(観念に身を任せることで現実の行為と


心の中との区別を破壊してしまったことで)見失ったのである。





事件にはもともとどんな現実的契機も根拠もなく、彼らにとりついた


「必然性」(予言)の観念から生じた。人が観念を掴むのではなく、


観念が人を掴む。人が観念を食い潰すのではなく、観念が人を


食い潰す。そういう秘密を、マクベスの冒頭ほどよく示すものはない。


(柄谷行人「マクベス論」「意味という病」より)






ヒロイン達も同じなんですね。主人公の妹、誰よりも優しく、家族を愛しているゆえに


常に己を犠牲にしてしまう、ソーニャのような妹ヒロイン。彼女は傷つけられてきたゆえ、


心を意識的に閉ざしている。彼女と主人公を虐待する、それでいて根っからの


悪人というわけではない、酔漢マルメラードフのようなどうしようもない弱い父親…。





狡猾で愚か、強気で明るくて弱気で暗く、にぎやかで孤独、残酷で優しい、


人を傷つけ、人に傷つけられている、どうしようもないお嬢様ヒロイン…。





自分を守るために、どうしようもない愚かさを装う、とても優しい善人で、


そしてとんでもなくエゴイストな、勇気のない、そしてとても強いヒロイン…。





みな意識家・演技家ですが、一面的な、「自然」なヒロイン・登場人物にはない


活き活きとした魅力、人間的、あまりに人間的な魅力に溢れています。


彼らは、沢山沢山矛盾していて、そして、その上で、必死に生きている。


ドストエフスキーの作品にある、生の活力としか云いようのないものを感じる――。





虐待や性的暴行といった非常に陰惨で悲劇的な、取り返しのつかない傷を描いた


物語でありながら、最後までプレイした読後感は決して悪くないのは、彼らが、


どんな状況でも、傷を、決して回復できない傷と知りながら、それでも、傷の痛みを


堪えながら、意識的に、「頑張って共に生きていこう!」としているから…。


自然じゃない、彼らの共なる意志として、彼らの生が、彼らの倫理が、彼らの愛がある。


本作、非常に優れた同人作品です。特に瀬戸口廉也作品好きの方はぜひプレイを!





最後に、先日、瀬戸口さんはゲームライターを引退なされましたが、ゲームという媒体でなくても、


小説とか、劇脚本とか、何か創作表現という形で、表現をしてくださることを、心から願っています…。


これまで、お疲れ様でした。新しい場でも、ご活躍を願っております――。






今日の私たちの不信は、他人に裏切られ、自分だけが貧乏くじを引くことの恐ろしさ


から出てはいないか。つまりは、他人に利用されることを嫌い、他人を利用しようと


する心がまえにすぎないではないか。ふたたび、自由とはそういうものなのだ。………





親子、夫婦のあいだでも、昔の道徳をもって裁くことはできないなどと、いかにも


気のきいたことをいうが、それなら、(全てが自由であるのなら)なにによって裁く


ことができるか。私たちはなにによっても裁かれはしまい。完全な自由なのである。


が、だれがこの自由(究極の自由にして究極の孤独)に堪えうるか。………





いいかえれば、自由の原理(自分自身を全てとする自由)に身を委ねたとき、


私たちのところにやってくるのは、この自他に対する信頼感の喪失である。………





自由の原理は私たちに(他者と断絶した孤独な)快楽をもたらす


かもしれぬが、決して幸福はもたらさぬ。信頼の原理は私たちに


(他者と生きていくという)苦痛を与えるかもしれぬが、私たちは


そのさなかにおいてさえ生の充実感を受け取ることができる。


(福田恆存「人間・この劇的なるもの」)






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