2017年03月30日

タダオさんのこと

20170329













仏壇の母の写真の隣にタダオさんの会葬御礼のカードに付いて来た写真を飾った。写真のタダオさんは大きなグラスに入ったビールを片手に笑っていて、幸せそうだ。ああ、この人も激動の人生を良く生きた、と思うとちょっと涙が出る。

タダオさんは私の友人の姑さんだ。その友人夫婦が不定期ながらカフェを開いていて、そのサブタイトルはMusic&Library、つまり音楽と図書。私の茅ヶ崎での12年の生活は
そのカフェのおかげで繋がりがたくさんできて楽しくも充実した時代になった。

金曜日の夜、集まって来るのは週末の開放感を漂わせている人あり、私のように週末の忙しさを前に、充足を求めて来る客あり。タダオさんの嫁である友人が誰も彼もを短く紹介してくれる。バラバラの客達は友達になり、何かを一緒にやり、かけがえのない存在になっていく。そんな場所。

その金曜日の夜、翌日に仕事がある私はたいてい誰よりも早めに行く。すると、夕食を終えたタダオさんが犬のジャックを連れて夜の散歩に行くのに出くわす。僅かな挨拶の時間が恒例になって、私の楽しい習慣になっていた。

そのジャックが亡くなって、新しくやって来たフクはちょっと手強くて、タダオさんの夜の散歩は無くなった。だから毎週顔を見交わすことが無くなったのが寂しかった。タダオさんは、美味しいものと女性が好きで(他にもお好きなものがあったけれど)そのおかげで私はなんだか救われたことがある。

彼は私を名前で呼ぶ。彼は女性の名前だけは覚える。男性は「あの背の高い人」「あの太った人」などと識別されるのだ。私は前夫にこっぴどく振られたおかげで、すっかり女性としての自信を喪失してペシャンコになっていた。そんなときにばったり銀行の前でタダオさんに会った。

彼はにこにこして私を見つめていて、一言も発しなかった。気づくかな〜という視線だった。気づいて挨拶したのだが、私はそれをいいように解釈させてもらって、まだ自分が女の人であると思うことにした。彼にしたら少しもそんな意味合いはなかったのだが、私には心に小さな明かりが灯る一瞬だったわけ。

母を失くした翌月にタダオさんの訃報が届いた。94歳。母には、ひとつ年上なだけなのにとても元気なタダオさんの話をしたことがある。結局会うことは適わなかったけれど、自分の写真の横に据えられたタダオさんに天国で知り合うことはあるだろうか?

この幸せ上手な人と、ぜひ会って欲しいものだ。写真の楽しげな表情を見つめていると、タダオさんの幸せはご自分の意思と息子や私の友人である嫁、かわいい孫娘の思いで形作られたんだなぁと思う。この世代の人々はけっして容易い人生ではなかった。僅かばかり聞き知ったご苦労もある。

大抵の時、人間は小さくて非力な存在に思える。ことに巨大に見えるものを相手取れば
自分の非力は身にしみて悲しい。けれど、巨大に見えるものは、実はこの私と等身大のもの達、つまり人間の集まりでしかない。そのひとりひとりが幸せに生きることができたら、とぼんやり考える。

タダオさんみたいに幸せに生きて死ぬことは、本人の意思の力を以てしてしかできない。そう思うと、私の身体の奥にだって、静かな力が密かに漲っているような気がする。幸せかどうかは人と比べるものではない。どんな境遇にあっても幸せに生きることはできない相談じゃないんだな。

幸せに生きる、その様子は周囲を明るく照らす。決意ひとつだ。今日一日を瞬間を楽しむ、その連なりが人生だ。どんな時でも誰でもができる、素晴らしく偉大なことじゃないか。タダオさん、ありがとう。餅つきも楽しかった。天国で母をよろしく!

2017年03月27日

日本人の忘れものの謎解きー4(日本の軍隊)

20170323

自衛隊は軍隊なのかな。軍隊じゃないのかもしれない。長いこと曖昧なままだった。本当のところ、中身とか訓練とか、どんなふうなんだろうね?災害時にはものすごく良くやってくれるけれど、そういう訓練を普段もしてるのかな?

さて、日本が戦争放棄と非武装をうたった憲法をいただいたのが1947年。今年は70年目にあたる。謎解きー2で少し触れたけれど、3年後に警察予備隊というのができた。朝鮮戦争が起きて、日本にいた米軍が国連軍として鎮圧に行ったので日本は空っぽになった。

ここをどこかに攻め込まれると丸腰でどうにもならない。実際、当時の世界はいつでも戦争が起きそうな感じで、まだ不穏だった。アメリカが心配していたのは、日本が空っぽになって共産国に攻め込まれると、日本を足がかりにしてアジア一帯が共産国にやられる恐れがある。それだ。

そこで米軍が日本に軍隊を作ることを要求したのだ。駐留していた米軍と同じ数だけの7万5千人。政府はあくまでも警察の延長と言い張った。だが、「警察予備隊」ならいつ警察になるの?小学生なら突っ込むところ。これはれっきとした軍隊らしい。

それを証明しているのがフランク・コワルスキーの体験談「日本再軍備ー米軍事顧問団幕僚長の記録」。以下は矢部宏治氏の訳。「警察予備隊は軍事顧問団の作品と言っても過言ではない。その創設にあたった我々米軍の軍人にとって、自分たちが今作りつつあるものが軍隊であることに疑問の余地はなかった」

「警察予備隊は米軍と連携がスムースにできるように編成、装備され、米軍を小型化したような形になった。連合軍、日本国民などから抗議がなかったので、米軍の余った武器を押し付けるような形で着々と軍備を進めた」

「だが、それがあたかも警察の新しい組織であるかのようにカムフラージュすることが求められた」あらあら、大変な憲法違反が吉田首相の元で行われ、それをひた隠しにする。更にこの軍隊は朝鮮戦争に参戦したのだ。驚きモモノキですな。

掃海作業というのだが、敵軍の配置した機雷を撤去するわけで味方の応援だから、れっきとした参戦。憲法に抵触する由々しきことなので、海上保安庁長官は米軍の依頼に
ついて最高責任者の吉田総理に問う。で、返事は「国連軍に協力」と参戦を指示され
更に「サンフランシスコ講和条約案が動き出したところなので、内密に」と言われる。

結果、爆発、沈没、死者1名、負傷者18名を出す。3隻の船が戦場を離れ帰還。うーん、どう思いますか?これ。第3次吉田内閣の1回目の改造内閣(ややこしい!強化のため人事をいじった内閣) の間のことだな。感想は様々だと思う。

私はただ驚いた。独裁が悪いと単純に言うわけじゃない。混乱した社会を一時平定するために、議会政治でなくひとりの人に全権を委ねることは別に珍しくない。どんな場合、民族、社会、慣習の元でも民主主義が絶対良い、というわけでもないと思う。

実際、うちの息子の国、ルワンダでは内戦以降、戦を鎮めた業績のあるポール・カガメ大統領のほぼ独裁のもとで国内は平安である。場所と歴史、事情により、更に独裁者によっては悪いとも言えないし、むしろそれが覆った時に国内が混乱し暴力が発生することも多い。

だから、吉田茂がこの混乱時にほとんど独断で物事を進めたことに異を唱えるのではない。けれど、この時代と今とを照らし合わせた時、法の中の矛盾はこんなときから始まっていたのだな、という感慨は持った。 だからこそ、今も辺野古や基地がもつれ続けているんだな、と。

それにしても、あんまりアメリカ軍は酷いじゃないか?そう思わない?一度は武器を棄てさせ、戦争放棄を誓わせ、その人々に軍備させ戦争に行かせて、更にそれを国民に内緒にさせるとは。この辺りの辻褄の合わない米軍の要求はもう少しつぶさに調べないとわからない。

うーん、一筋縄では行かない。そして、日本とアメリカの「あの時」だけでなく「それから」も「現在まで」もぜひとも知らないとなぁと思った。大変そうだけど。ひとつ持ち上がった疑問は、米軍=国連軍なのか?ということ。今はそうじゃないけど、あの頃はそうだったんだろうか?

まだまだ続く。付き合って下さっている方、感謝です。一緒にひも解いて行きたいのです。今どうするのか、を決めるためにも。これまで話したことが無かった、頭の隅に溜っていた謎に対する純粋な好奇心でも。




2017年03月23日

鬱のたまご

20170322
ちょっと前、鬱の話を聞いた。他の友人も複数が鬱を経験している。真面目だったり、人付き合いのいい人が多い。私は今のところ、同じような症状になったことは無いけれど、よくよく考えてみるとやっぱり気分は上がったり下がったりしている。

小さな鬱や小さな躁で、振り幅広くなく治まっているから自覚が無いだけなのかも知れない。籠(こも)って誰とも会いたくなくなるときは私にだってあった。格好がつかない時には会いたくないし、今日は一日パジャマでいてやるぞ、と思う日もある。

対外的な顔ってみんなあるのだ。私が鬱を患わなかったのは、誉められたことじゃないけど我がままだからだと思う。したいようにしているせいだ。なんとなく自我の形って柔らかくてジェル状、たまごみたいなものなんじゃないかな?とひとり考察してみる。

社会に触れているところが外側にあって、白身。外の温度や密度に直接影響を受ける。それに守られて中にあって社会に触れないところが、ちょうど黄身みたいな感じ。このバランスは外的刺激なんかによって揺れる。

社会的に、つまり人との関係や仕事や、対外的なことを頑張ると白身がぐんと増える。そうすると黄身が圧迫されて、小さくなる。小さくなった黄身は圧縮されたのだ。それは出所を求めて彷徨う。

白身を浸食して全体が黄身と白身の混じりになって行く場合(不安定なまま外と対峙し続ける)もあるし、ぐんぐんと膨らんで白身部分がうんと少なくなって行く場合(内向する)もある。そのどちらも、やがて対外的な処理ができなくなる。

本音が漏れ出る自分、疲れた自分はいかん!と思うと誰にも会えない。で、籠る。
だから鬱って実は極めて健康的なことなんじゃないかな?むしろ頑張っちゃダメなんだと思う。そう言う時は籠っているのがいい。

社会に直接触れない黄身の部分って、実はすごく偉大なんだ。アイディアや発見、考察はここから生まれて来る。眠っているとき、宇宙や時空を越えて集合意識と繋がっているのはこの部分だ。だからあらゆる知恵と解決方法がここにある。

人は社会的な関わりの中で自分の価値を見出すから、対外的な部分=白身を大切にしちゃう。評価も白身側にある。でも、本当に大切なのは黄身だ。それが本来の自分だから。(もう、説明はすっかり卵だわ。)

もし今、鬱なんだよね、という人がいたら、事情の許す限り、周囲の心配や好奇心には一切構わずに籠ったりもぐり込んだり、寝たいだけ寝ることを勧める。擦り切れてしまったんだ、あなたは。外と波長を合わせるために頑張り過ぎた。休んで黄身を、つまり本来の自分をゆっくり養おう。かわいがってあげよう。

人間って、そんなにダメじゃないし、そんなにすごくもない。よく休んだら、動きたくなる。ホントだったよ。それまで休もう。冬眠中とでも充電中とでも言えばいい。外の人や外と接する人とはうまいことなんとか折り合い付けて。
 

2017年03月20日

日本人の忘れものの謎解き−3(密約)

20170320
前回の2で書いた安全保障条約は、その付帯した約束=行政協定とセットで機能する
し、憲法と相反するときには憲法を上回る執行力がある。またはひっかからない法律を新しく作ることになっている。トンデモナイ。どうも、このくだりが私には乗り越えにくい。

なぜこんな約束をしてしまったんだ。と再々思うせいか、1、2、3と読んでいただいて重複している箇所があると思うんだけど、謝るしかない。どうしてもそこに佇んでぼーっとしてしまう私がいて、なかなかそれ以降に進みにくいのデス。事実を知るってのは、感情を乗り越えるちょっとした闘いだな。

吉田茂(以後、登場人物敬称略)が総理だったときに、彼とアメリカ軍がこの密約を結んでいる。密約という理由は国民に公表されていないから。が、法的効力はある。1945年の敗戦→占領→1952年独立のための下ごしらえの間に、この文案は手を変え品を変えして日米間を往来し、押し切られる形で米軍の要求を丸呑みしてしまった。

日本は国連軍の皮をかぶった米軍に占領と同じ特典を、占領から解放されるというその時に与えてしまった。なんで?と思うよね。当然だ。でも、と私は考える。当時の混乱は私たちには想像がつかない。戦後の焼け跡から5年、国中にまだ孤児たちも家の無い人もわさわさいる。

昭和33年生まれの私はそれが想像できる映像を観たこともある。例えば「私は貝になりたい」は辛いきつい映画だった。(リメイクでない、フランキー堺さんの方)そういう無秩序を利用して暴力団も闊歩するだろう。食べるものも行き渡らない。国内の復興が一番の急務だ。そこにタイミングよく(?)勃発した朝鮮戦争。

需要は飛躍的に増えて、作れば作るだけアメリカに売れる。総理大臣だって、この勢いに乗じてまず経済復興を、という焦りを持っても無理はない。なにしろ外貨しか、この国にはめぼしいものが無かったのだ。こんな国の骨格の形成期に、冷静さを保つのが難しい局面が襲いかかったというべきか。それが救いの手に見えたのか。

ちょっと横道に逸れるけれど、吉田茂の個人的な秘書として戦後のGHQとのやり取りを引き受けていた白州次郎の存在はご存知だろうか?GHQとの連絡で対等に渡り合い、アメリカ軍人に「Difficult=やりにくい、掴みにくい鰻のような日本人」と言わしめた。

敗戦後、卑屈にならず胸を張って通した数少ない日本人である、というところが私の好みだし、こういう気骨はいつだって必要だ。彼は「戦争に負けたから人間として下等なわけじゃない、ケンカに負けただけだ。だが、その負けっぷりが問題だ」と言っている。

その随筆に「戦後処理をした吉田茂は一期で辞めるべきだった、後の仕事は別の人材に任せるべきだ。続けて総理をやったことは吉田の一番の失策だった。」とある。どうもピンと来なかったのだが、この密約のくだりを知れば理解できるような気になる。

ウィキリークスで吉田茂内閣を調べてみると、その始まりが全くの戦後史の始まりである。殆どの大臣をひとりで兼務したところからだ。再三固辞したにも関わらず、適当な引き受け手が無かった。そこで、ひとまず何もかもを丸ごと飲み込むという苦渋に満ちた首相業務。

維新からこちら、戦前戦中までは軍人が政治家を兼ねたのは世界中似たようなもの。主立った人材は軍事裁判にかけられている。残された文人達は学者肌で、理想に走り実務的でない。すぐ目の前のことが捌けない。ここの吉田茂の懐の深さはすごいなと思う。

誰もが長く続いた戦争と敗戦のショックで青ざめて冷静さを欠いている時期。前を向くことは難しい。5年の国内の混乱は、戦後政治をほぼ一手に引き受けた吉田茂に、経済復興を主眼に置いた政策を選ばせた。立て直したいという一心だったのじゃないだろうか。

それが占領を継続させる形であろうと、ひとまず立て直して、それから再交渉だ、と思ったのじゃなかろうか。というのは私の好意的な推察だけど。どうなのかな?しかし、その密約の重大さ、異常さは日本との外交に関わった複数のアメリカ官僚、研究者を驚かせ、かつ眉をひそめさせたらしい。

ここまで調べて来て私は思うのだけど、先に述べた白州次郎氏の「負けっぷり」というのは、負けを引き受けた上で前を向け、という意味かな。負けた国の国民は上も下も、前を向くことがそれほど難しかったのだね。日々のことで精一杯だったろう。(あれ?それ、今も政治に無関心な人々は同じこと言ってるよね?)

しかし、そんな中で汚れ仕事を引き受けた人々を誰が責めることができようか?例え、それが失策であったとしても。そんな気持がふと生まれる。そして戦後処理が終わったらさっさと身を退け、とアドバイスした白州氏の意味は、後進を育てなくてはならない、という意味だったのだろうか。

いっときの殆どを首相が決め捌いた後、すなわち戦後処理が一段落したら、議会に空白がわずかに生まれようと、新しい国づくりに向けて様々な人々の議論を百出させ、揉んでもみ合った末に、この国の行方を「みんなで=議会で」定めるべきだ、という意味だったろうか。

その頃、それができるほどに国民は気を取り直して前を向いていたのだろうか?
それとも「今度の政府はアメリカさんだ」と諦め半分、希望も半分でただうつむいているだけだったんだろうか?私にはわからない。軍人だけじゃない、庶民もみんな戦火をくぐった。国土が戦場となった。傷は深いのだ。







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