2017年05月25日

日本人の忘れものの謎解きvol.7

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調べ進むうちに(と言っても、たかだか3ヶ月だけども)最初期にわき起こった疑問についての答えが出たものがあるので、書いておく。いや、この関係の記事を書くと読んでくださる人がガクンと減るので、断る必要なんか無いのかも知れないけどなぁ。

占領時に首相だった吉田茂(敬称略)は悲願だった独立をサンフランシスコ講和条約で果たした。だが、その際、日米安全保障条約という不平等な条約を結んだこと、5万人の保安隊という自衛隊の前身となる軍隊を結成したことに、私は納得がいかない。

もちろんどれもアメリカからの要求だった。だが、戦争終結に努力奮闘し時の政府に拘留され、戦後は非武装を信奉し再軍備にずっと抵抗し続けた人がなぜ?と考えていた。その答えがみつかったので、ここに書いておこうと思う。

もしかしたら、いるかも知れない読者、つまり、私と同じ資料を読んだり観たりはしないけれど、私のこの無知や、少しづつ増えて行く知識や、生まれる疑問やその回答のあらましを以て、戦争と戦後処理の概略を知ることになる人のために。

吉田茂の矛盾は、彼自身の随筆にその答えがある。「後悔と言えば、占領下では大筋を間違えなければ良いと思った、独立を果たした上で変えたいところはいつでも変えられる、と考えたことだ。だが、一旦決まったことを変えるのは並大抵のことではないということが当時はわからなかった」というような内容がある。

この目でまだその該当文章を読んでいないのだが、他の本に再三登場して来た。ああ、やっぱりそうだったのか、と思った。そして、5万人の保安隊を申し出た当時の朝鮮戦争に沸き立つ社会の実情も、私自身少し理解が進んだ。

当時、ソ連と中国の侵攻によって朝鮮戦争が始まり、急激に東西冷戦(共産圏vs自由主義圏)が高まった。主任理事国のソ連とアメリカが対立してしまったせいで、国連はこの時、事実上機能せず、国連=アメリカという図式になってしまう。

ここに至ってアメリカはこれまで非武装を強制してきた日本を、急遽アジアにおける自由(資本)主義国として活用しようと方向を180度変えた。日本にも自由主義国の一員として世界に寄与せよ、というのだ。つまり再軍備ね。

これをのらりくらりとゼロ回答を続け、とうとう相手(ダレス)が「国際社会に何も寄与せず、独立だけを得ようというのか」とぶち切れかかったタイミングで、吉田茂は仕方なさそうに5万人の保安隊を申し出る。つまり外交的戦略だったのだね。

その見返りはなかなか素晴らしく、ダレスは日本を去ってそのままアメリカに帰らず、日本の独立に際し、先進国には賠償金の請求を極力しないよう、或いはアジアの国々には日本のできる範囲に留めるよう説得して回った。

その結果、日本の賠償金額(通常、敗戦国は巨額の負債を背負う。)は抑えられてサンフランシスコ講和条約の会議の席上、独立はこのときまでに47カ国加盟となった連合国(殆ど世界中を敵に回したわけです、ニッポンは)中43カ国の賛成を得、至極円滑に進んだという顛末らしい。

さて、先に書いたように7万5千の警察予備隊は援護射撃として朝鮮戦争に参戦してしまった(占領下で断れない)けれども、この5万の保安隊は占領軍の代わりに日本に存在するだけで済んだ。吉田茂の目論みは達成されたのだ。

複数の読み物見ものを体験することによって、当時の実情が結構立体的になって来る。最初、内心では悪印象を持って始まった吉田茂像が、へぇ、なかなかやるなぁという案配に変化して来たのは事実だ。粘り強い。交渉の場において少しも怯んでいない。

それにつけても、本土決戦に至るまでに、或いは原爆を落とされる前になんとか回避できなかったのか?勝算なしでたくさんの人々を巻き添えにして突っ走ったのはなぜか?天皇には戦争責任はないのか?などなど、まだまだ疑問が残る。新たに生まれもする。

おっと、昭和史オタクになり過ぎて、忘れてはならない。私は2017年の初夏に生きていて、いまある現実をより良くするために過去にさかのぼっているのだ。目的はそれだ。戒めないとならないくらい、調べて行くと興味深い。

歴史とは、人の感情や抑制、理性や因縁などが土中の無数の枝のように絡まり合ったものなんだなぁ。晴れた日に庭いじりしていて、絡まった根と格闘してるとふっとそういう思いが訪れる。なんか、いいな、このお勉強。無念の霊が成仏しそうだわ。


 

2017年05月21日

上手に絵を描くこと。

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絵を描くのが好きだった。そうだ、昔から好きだった。人と話をしていても、仕事の打ち合わせをしても、ことばだけで表現できない箇所は絵の方が早い。だから何かっていうと鉛筆でいつも絵を描いていた。鉛筆の描き心地も気持ちが良い。

延長線上にデザインがあった。製品のデザインなどで絵を描くことは役に立つ道具のひとつだった。店を始めてからは必要があって絵を描いた。案内ハガキや店頭のポップ、張り紙、包装資材などなど。頼まれて描くこともあった。

次第に絵を描くことが単なる快感を追う行為でなくなってきた。自分の着地点というか、できあがりが想定されているのにそこに到達できない。巧く描けないというのは嫌な気分だ。絵を描くことって、こんなことではなかったなぁという気になる。

そのうち、 他にもやりたいことがあったから、絵を描くことはたくさんの好きなことのうちのひとつになった。やがてすっかり忘れてしまった。必要があって描かなければならない字の方がずっと明解だったから、サインボードなどを描いた。

ふと、思い付いて今年の初めに絵を描いた。色鉛筆は出したり仕舞ったりが簡単だから、それを使った。やがて自分の描いたものが少しも気に入らなくなる。巧く描きたいと思うようになって、多分、それ、むしろどんどん気に入らない方向に行ってしまうだろうなと予感した。

そのうち、知人の朝比奈賢氏が月に一度デッサンを教えていることを思い出す。調べてみると、学生時代に嫌いだった石膏デッサンではなく、手触りや重量を実際に手に持ったりしてみて描くという教え方だった。今年から、そこに通い出した。

私は何事にも時間がかかる質だが、建物のディテールに目が向くくらいに、場所にも、人といながら絵を描くという行為にもようやく慣れた。兼ねてから聞いてみたかったことを講師の朝比奈さんに聞く。「完成図とか着地点ってあるんですか?」

いいえ、そういうのはいらないんです。途中だと思ったら描き足せばいいし、終わりと思ったら、それでいい。絵を描くということは、描く題材を感じる、共鳴するということなんですよ、という説明にちょっとうっとりする。

ああ、なんてロマンチック。なんてファンタジー溢れるんだ。そうか、そうやって世界と仲良く親和していくことなのか、描くことは。なんだ、上手に描きたいなんてのは雑念だったんだな。いらない感情だったんだ。急にうれしくなった。

生命の流れを感じ、さらに手触りを感じ、重みを感じ、それを写しかえて行く作業なんだ。誰に見せるわけでもなく、最初に到達点を設定して、そこに至るまで鉛筆で埋めて行くというものじゃないのだ。そうと知ると その無心の作業は、心地よくただ楽しい。

その世界との関わり方は、私の愛するアタゴオル物語の猫達のようじゃないか。なぁんだ、好きな時に好きなだけ描こう。。私が知りたい、話を聞きたいものをみつめよう。意外とみんな、知らないよね?だからこそ、絵は苦手、という人は多い。多分、巧く描かなくてはならないと思い込んでしまう。

だって評価の対象だったもんね、美術。いやいや、美術だけじゃない。何事も評価の対象だった。それで嫌いになったり苦手意識を持ったり。そんな教育は喜びをもたらさない。でも、自分を中心に据えて、やり直すと素敵なことがある。描くこと、学ぶことはただ楽しい。

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2017年05月18日

あんまりTシャツじゃない。

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「ワタシノキタイTシャツ展」に参加するようになって数年。途中スキップしたりも
しているけど、今回で3回目なんだな。あ、下の方に展示期間や場所のご案内を書いておきます。晴れていたら素敵な散歩になりますので、どうぞ気軽にお出で下さい。

最初の年は茅ヶ崎にあった自前のギャラリーで。オーガニックコットンの残布があったので、染めて使った。ギャザーをたくさん使った不思議な形のTシャツとタンクトップ。次が昨年で同じくつきやまで。布帛を使ってアルファベットのTの形とTの形を逆さまにしたものと、Iの形の被って着る服。

今年はなぜかワンピースを縫っている。Tシャツじゃないじゃん?と不安になりつつ。服は誰でも毎日着る。だからこそ、どんなモノを着ているかで人柄が出ちゃう。無難なのも、着ていて楽チンなのもいい。元気や心の余裕のない時には楽チン優先は仕方がないけど、それだけではつまらない。

私は新鮮なことに驚いたり楽しんだりしたい。着るということには、自分を程よく緊張させたり、高めたりする作用がある。久しぶりに着た服がきつくて「少し痩せた方が良さそうだな」なんて思うのも決して悪くないと思う。なんだか車椅子利用者のわりに生意気だ。笑。

柔らかい生地、ゆとりのある形、しゃっきりした生地、ピシリとした形。どれも心に変化をもたらす。身体に纏うことは感応が官能、奇しくも同じ音のことばだけれど、と直接繋がっているのだと思う。明るい色の服を着れば気持が明るくなる。着るものって容れ物だな。

私が今縫っているのは、夏の夕方や午後のお出かけに着たくなるような、軽やかな、きれいな色のシンプルな形の服。基本的には自分が着たい形や娘に着せたいもの(彼女が着たいかどうかは不明)。素直なもの。デート服と言ってもいいかも知れない。女性に生まれて良かった、と思える服を作りたい。

そうそう、サイズはS、M、Lの3サイズを作った。私の友人には小柄な人も大柄な人も多くて、とても彼らが同じサイズで良いとは思えないからね。ぴったり!とまでは行かないけれど、丈や幅、ウエストの位置などはなるべく合っていた方が素敵に見えるし、着心地も良い。
 
少しノスタルジックで面白いセンスの「三村養蜂場の」、版画の「高根友香」絵描きの「中村修」テキスタイルの「Woo Yukari Muhire」諸氏と一緒にさせてもらう展示。
まだまだ目指す出来具合には到達していないけれど、ご覧いただけたらうれしいです。

場所  アート&クラフトつきやま 奥にある「お風呂場」
日時 6月16日(金)〜30日 (金)11:00-17:00 月曜定休

大磯駅改札を出たら、右に進む。線路に沿った道の最初の角、和菓子屋三引屋さんとプロパンガス屋さんの間の細道を左に入ってすぐ。向かいには天然酵母パンのリーさんのカフェがあります(5月末オープン予定)。 雨天以外は午後からなるべく在廊するつもりです。
 

kalo_sapo_owner at 16:45コメント(0)つくる出かける 

2017年05月15日

押し付けられた憲法だから。

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改憲を支持する人々のうち、いくらかの割合で「アメリカ(=他国)に押し付けられた憲法だから」という理由がある。どぉれ、本当にはどうなんだろう?とまだまだ調べている最中である。

ここ数年、新しく発掘された資料やメモが明らかになって、日本にも当時、憲法研究会が民間にできていたことも分かって来た。占領軍の草案を巧みに意味を変えて日本語訳されたものであることも明らかになった。研究はこれからも進むだろう。

だけど、私のこの理由に対する反論は、また違うの。
戦後の占領体制をつぶさに見て行くと、押し付けられたのは憲法だけでないことが明白になって来る。占領軍の一番の目的「民主化」がそもそも押し付けられた。

戦争にはみんなうんざりしていたから、これには飛びついた。戦前がいいという人もいたけれど、それはお金持ち。庶民は暮らしだって楽じゃなかった。家長制度は長男第一主義だ。それ以外は生きづらい。明治から続く封建制度は、覆される時期を迎えていたのかも知れない。

ふたつめの目的「非武装」も押しつけであるが、庶民は大賛成だったし、天皇陛下の詔勅があったので頑迷な軍部も武装を解いた。戦争中に思想犯として拘留されていた人々を解放した。戦争反対を叫んだり、意見していた人々である。吉田茂もそのひとりだ。

言論統制が解除され、自由が保障されたので、新聞や雑誌などのメディアも解放された(後に検閲ができた)から、雨後の筍のように様々なメディアが生まれ、庶民の間に意見が活発に交わされるようになったし、オピニオンリーダーのような人々も出て来た。

農地改革も実行させられた。その結果、大地主はしばし難儀したろうが、国中に山ほどいた小作人達は自分の田畑を持つことができた。農家なのに飢えるという苦しみからやっと解放された。労働組合の結成も奨励されて、働く人々は団結して発言する機会を得た。

教科書は、天皇が中心の神話から始まった国作りの話から、石器時代を初めとする客観的な歴史に書き換えられた。そもそも、それまでは人権という概念はなく、天皇陛下のこども=臣民であり、忠義を尽くすことが最大の価値であり義務だったが、私たちは「国民」という人権のある存在になった。

財閥は解体され、女性を含む一般市民に選挙権が与えられた。それまでは選挙権は一定額以上の納税者のみに限られていた。他にもまだまだある。これ、みんな押し付けられたもの。現在の私たちが享受している、良きものは殆ど占領軍から押し付けられたものなのだ。

この中に、現在の私たちが、もう返還したいとか要らないというものがあるだろうか?あんまり無いんじゃなかろうか。そういう理由で私は、憲法を「押し付けられた」ものだから返還したい、変えたいという論理は、己の立ち位置を知らずに発言してるよなぁ、と思う。

押し付けられたものだから、というだけでは改憲理由としては全く弱い。それのどこが悪いのだ?劣っているのだ?それはここだよ、という点で論議されるなら、話はもちろん別だけども。占領政策が全て素晴らしかったわけではない。だけど、それも別の話。

やっぱりもっとみんな歴史、学んだ方がいいなと思うわけ。小学校でやっておくべきだったな、と。しかし、そう明確に言えるようになったのは、ついこの頃の私であることも、このブログ読者なら知っている。ああ、気持ちが良い。この点、すっきりしたわ。

本棚って脳内かも?
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