2017年01月23日

エコリノベ秘密兵器(断熱ブラインド)

20170120
我が家の断熱計画が完成しつつある。
年末の慌ただしい病院通いの合間にかねてから楽しみにしていた、最後の頼みの綱とも言える「ハニカム断熱ブラインド」が付いたのだ。

古い家で、かつ開口部の大きな我が家。向かいがお墓で日当たりがいいから広縁部分が温室のように温かい。けれど、ペアガラスの木製サッシが高額過ぎて諦めたので、日が落ちる頃からしんしんと冷え出す。そこには雨戸を取り外してガラス戸をもう一枚外側に付けた。だからなんちゃってペアガラス状態とも言える。

窓枠は冷気や熱を通しにくい木製ではあるが、茅ヶ崎の家の窓のように、閉めると部屋中の空気が震えるような気密性はない。どこかぼんやりと隙間がある。更に大ガラス面。ガラスというのは空気を遮蔽しつつも明かりを通してくれるし、景色を楽しませてくれる。

けれど、これは熱透過率は高くて、だから外気温と室内の温度差が甚だしいと水分に換えて結露する。居間の広縁辺りは全体が冷えるので、室内でも温度が上がり切らず結露にさえ至らない。広さ約24畳分の大きなスペースが暖まるのは大変だ。

この窓と北側に位置した窓全てに何か対策を施さないと、我が家の冷暖房費は垂れ流し状態になってしまう。家の壁と天井、床には改装予算の多くをかけて45mmのウレタンフォームを張り巡らした。セルロース断熱(予算オーバーでこれも諦めた)の次に効果が明記されていた上に安かったから。

しかし、断熱とはわずかな隙間があれば漏れてしまう水を入れたビニール袋のようなものである、ということを私が知ったのは工事が終わる頃。勉強不足だった。システムバスの外側があまりにむき出しなので、はてな?と思ってネットで調べて知ったのだ。ご存知でしたか?

断熱は家を丸ごとぴっちりと包まなくては効果が出にくいという、まさかの、しかし、論理的にわかれば尤もな話。空気が漏れれば室内の温度が変化する、ポリ袋やラップと一緒である。つまり家を包むのですな。お風呂は家と切り離してもうひとつの包みにするのが効果的らしい。

まぁ、そんな中途半端な断熱ハウスなので、完成間近にできる努力と言ったら、窓周辺からの冷気(夏は熱気)の侵入を防ぐものを後付けするくらいだったわけ。これは断熱に詳しい設計家の竹内さんに伺った。なかなかの優れものだとのお勧めだ。

調べてみると今やどのカーテン製造業でもハニカム(蜂の巣)構造のブラインドを作っている。だが、カタログを読み込むと、意外や意外、形ばかり。断熱という機能に着目して製造し、改良に情熱を燃やしていそうなメーカーは2つ程だった。

そのうち、きっちり仕事が続いているセイキ総業に生地見本を送ってもらう。購入は定価の65%のネットショップ、オークリッチを見つけた。窓は大小全部で11点、30万円弱。取り付けはリフォーム業者さんで手間賃3万円。器用な人が2人いれば多分一日半でできそうである。

まだ数日だが、北側の洗面とキッチンは確実に遠赤外線ヒーターやファンヒーターの効きが良くなった。和紙のような見た目は感じが良いし、窓枠の厚みによってシングルとダブルも選べる。不思議な構造で上から光を得るために開けられるところもいい。

プロパンガス代は給湯機をただで付けてもらったので、その分は割高を承知の契約。だけど22,000円というものすごい請求額でショックを受ける。この金額は全棟75坪あったかつての店舗兼用住宅の床暖房アリの冬場の料金(都市ガス)に匹敵。そっちは薪ストーブの薪代もかかったけど、何せ広さが倍ある。

現在の家はごく普通のサイズで、約120平米(約36坪)の二階建て木造トタン張りという条件だ。全ての温水と暖房をガスで賄っているからだろうけれど。電気代だって5,300円かかってるぞ。あっためたり冷したりで27,300円か。むぅ。

これだよ!問題は。古家再生の実体はエネルギーのランニングコストがかかる。かっこいいは大切なポイントだけど、燃料費が経費になるのは店舗だけ。住まいはこの辺りをきっちり押さえないとたまったもんじゃないぜ。今日は次ぎなるエコリノベ、太陽熱温水器の取り付け工事だっ!

 


kalo_sapo_owner at 16:34コメント(0)着る、住まう 

2017年01月19日

白髪とその対策の話

20170117

白髪が半分くらいになったら、いっそ全部白くしてウェーブを効かせた髪型にしたい。ずっとそう夢見ていたが、あれは色白ピンク系のお肌の人じゃないと似合わないのかな?そう美容院で聞いてみた。そんなことは無いけど、緑さん、随分時間かかりそう、と言われる。

そんなふうに言ってくれるS氏は40歳そこそこかもっとお若そうだが、結構白くなっていて、それが素敵な落ち着きを醸し出している。確かに白髪は人によって進行がずいぶん違うようで、計画通りには行かない。だから悩ましい。

私は2、3割が白髪という難しい時期を長く味わっている。これくらいが中途半端で一番汚く見えそうな気がする。この頃は元気も回復してきたので、ちょっとはおしゃれがしたい。そこでヘナと木藍のブレンドでトリートメントする作業を復活し始めた。

私が初めてヘナというものを見たのはアメリカへ取材旅行に行った33年前。エキゾチックなイラストの描かれた缶入りで、その頃出始めたオーガニックフードの店で売っていたから、どうやらアンテナの尖った人々が使い始めていた頃だったんだろう。

調べたけれどもよくわからず、若い私には単なる艶出し以上のものでは無かった。ずいぶん経って、部分的なヘアダイが流行ったとき、私も黒髪の色を抜いて赤くしてみたりした。そのあとで同じように部分的にオレンジを入れた人を見かけた。思えばこれが白髪に使った場合のヘナだった。

だが、自分でやろうとは思わなかった。おしゃれのためのヘアダイをするようになって10年近く経つといくらか白いものが見えるようになった。ちょうどその頃、ヘアダイに飽きた。で、ヘナのオレンジ色を藍でコントロールするアイテムを知ったのだ。

木藍とブレンドしたものは黒褐色に染まる。これを白髪隠しに使うようになったのは、だから数年前から。一説にはパーマがかかりにくくなるという。確かにそうらしいが、私はちゃんとかかる。パーマをかけるときに一言伝えてみてはどうかしら?

髪が年と共に痩せて行くのを実感すると、ほんのり怖くなる。長いこと髷を結っていた古い時代の人はその部分が禿げるというし、友人のご母堂でシャンプーを直に付けていたところから薄くなったのよ、なんて話も聞いたから、酷使や化学物質はキケン。

トリートメントにしろ、ヘアダイにしろ、ナチュラルに越したことはない。なので自分でひと月半に一度くらいヘナをするようになった。我が家はシャンプー洗面台が無いので、早めにお風呂を湧かして2度入ることになる。そのやり方を書きます。

準備:一度ざっと洗った髪をタオルで拭く。ボタボタ垂れる可能性があるから、古着の前開きシャツを着る。下はパジャマにソックス。部屋は暖かくしておく。

塗る:ボウルにヘナを入れてお風呂より少し熱めのお湯を注ぐ。マヨネーズくらいになるように割り箸でかき混ぜる。ビニール手袋をはめた手でさっくり取って髪に塗って行く。全体をべたべたにもみ込んでしまう。

放置する:ラップで巻く人もあるけれど、私は肩にかけておいた古タオルで巻く。その上からもう一枚タオルで巻く。ビニールキャップをかぶる。この前はビニールキャップが見当たらずトップスのビニールのショッパーをかぶって家族に大笑いされた。寒い季節はタオルの時にドライヤーで暖気を入れたりする。暖かいと色の入りがいいらしい。暖かくして一時間暇をつぶす。ストーブの前で本を読んだりトランプ占いをしたり。

洗い落とす:その後洗い落とす。シャンプーとコンディショナーをする。ドライヤーで乾かす。

後片付け:使ったボウルや櫛、刷毛があれば水洗いでキレイに落ちる。シミが付いた古タオルは浸けておいて翌日洗う。以上終了。

ヘナの色素は爪など、タンパク質に付くと取れないことを覚えておいて欲しい。ビニール手袋は割愛してはダメです。ラップやキャップは割愛可能。顔にクリームなど塗るのも私は割愛。数度やれば自分なりの簡単な方法が見つかると思う。

白髪が黒くなるわけでなく、褐色に染まる。逆に動きが出ていい思う。色が染まるだけでなく、基本がトリートメントだから髪の艶や手触りは良くなる。おしゃれに茶色にヘアダイしている人にはヘナだけのオレンジもきれい。

一箱でショートヘアだと大体3回分くらい。だから一回500円(税抜き)相当なわけで費用対効果は高いと思われる。髪も痩せないしね?マメや草のような土っぽい匂いに包まれてバスルームがキッチンみたいになるけれど、数日で消える。ヘナ+木藍のみネットショップで取り扱い開始しました。

2017年01月16日

ノーと言う力(例:PTA)


20170103
















ノーというには力がいるんだなぁと思う。力と言って悪ければ、感情の圧縮とでも言おうか。追いつめられてギュッと濃くなった不満とか、ガスとか。それがないとノーって言えないのが、私達が住んでいる国なのかも知れない。それとも、あなたはノーとさっくり言えますか?

電通の若い社員が、それが言えないばかりに自殺してしまったのは周知のこと。もちろん、言えないだけでなく、価値観の押しつけを受け入れてしまったのかも知れない。
自殺とまで行かなくても、自分を壊してしまうような、そんな例えはもしかしたら探せばたくさんあるのじゃないだろうか。

ノーと言えばいいのに、と思う人は多いだろう。言わなくては伝わらない。しかし言えない、或いは言わない側には理由がある。実は弱気ばかりでもないんだよね。かくいう私も言えたり言えなかったりだ。もちろん仕事の上では「できません」という方が責任上正しい。いっときも早く告げるべきである。

ところが、力関係に於いて弱い立場にいる人が「できません」と言うためには、相手の懐のサイズが大きく関係する。そう思わない?相手がそれを受け入れる力が無さそうに見えた時、とても切り出しにくい。逆上しそうとか、できないことをすら、受け入れてくれなそうとかっていう場合だ。

この場合は、言う側が相手を斟酌しているわけ。ここまでのいきさつで計ってみて、あ、ダメだな、この人には言えない、となる。幼いこどもでもこういうことはやる。大人がパニックになるタイプだと、言うべきことを言わずに飲み込む。

自分が自分を表現すると、関係が、或いは相手が破綻してしまう、と考えているのだ。こういう心の態度はいちがいに間違っているとは言えない。どうしたらいいんだろう?しかも、それは必ずしも正解とも限らない。けれど、言えない。

それにしても、日本の社会や会社(上下逆さまでもよく似ているね?)では、愚かしい発言やノーということが難しい。誰もが馬鹿だと嗤われることを極度に恐れているような気がする。そして、実際に意見を言うと容赦ない反撃を受けたりもする。

こどもが小学生だった頃のPTAでの経験。登校時に子供達に声をかけるとか、夕方町をパトロールして遅くまで遊んでいるこどもがいないか調べるとか、いたら帰宅するように指導するとか、様々な仕事がある。毎年4月の新学期に、その仕事の分担を決める。

みんな無言でうつむいて小さくなっている。長い無言の時間が徒らに経つ。誰もが引き受けたがっていないように見えた。そこでPTAって今、意義あるんでしょうか?と発言してみた。すると、意義がないと思うのなら、役員を引き受けて会議の上でなくす決議することですね、と言われた。

そのピシリとした正論の開陳振りに「あ、こりゃ、敵わねぇや。」と第六感でピンと来たので、できそうな仕事をさっさと請け負うことにした。うーむ、私なんかよりずっと能力の高い人々が母や父をやっているんだ。勝ち目は無いし、議論にならない。

親達の間では、その能力とPTAにかける時間と情熱の量で既にヒエラルキーができているのだった。その頂点に立つ会長などは名誉職の色合いも帯びているらしく、無意味じゃないか?なんて発言はとんでもないことだったのかも知れない。

ずいぶん後になってから、会長に推薦された男性の、頬を染めながら立ち上がる、まんざらでもなさそうな態度を見てそう感じた。私みたいな専業仕事人でついでに母親業をやっているようなのが「ナンセンスじゃない?」なんていっても通じないのであった。何かそこには厳然たる開きがあったよ。

え〜、ばっかみたい、と呆れるような仕事もあった。だが、せいぜいヒエラルキーの裾野でちょちょっと貢献するか,する振りで事を済ませるしかない。ここであまりエネルギーを使う気にはなれなかった。私はずっとフリーランスで働いてきて、組織に属した経験が極めて少ない。だから知らないことが多いのだろう。

うっかりノーと言えない罠は、日常のあちこちに仕掛けられているんだなぁと思いを馳せた。複数が関与する場では、よりよい結果を得るために自分の価値観と他者の価値観を闘わせることが大切である。それはわかる。だけど、そんなの、大向こうでは言下に取り下げられちゃう。

だから反論はするのも仄めかすのも恐ろしい。ノーなんて言っても無視されるだけかも知れない。或いはすぐに排除されてしまう可能性もある。アリだよね?とか、私はそう思わないけど、アリかもね?とか、いう懐、つまり許容範囲はこの頃の日本では狭くなってきているのかも知れない。

ノーと言いたい気持。あ、でもいいか、ここは。我慢ができないってほどじゃないから、と自分を少しばかり削る。それを更に我慢すると毒が全身に廻ってしまう。やっぱりそれはまずい。何が大切って、自分だもの。せめて心の中でだけはノーと言おう。

自分を大切にするには仕事とか肩書きは要らない。なんなら落ちこぼれる勇気の方が役に立つ。そして、苦しさを自分だけのことにしない方がいい。あなたみたいな人は必ずいるんだ、周囲にはいなくても。私はそう思う。それにしても気軽くノーと言える世界を作るにはどうしたらいいんだろう?


2017年01月12日

リウマチ持ちの着物始め

20170107
4年振りに着物を着ようと思って、三が日に箪笥の整理から始めた。
着物は30年も同じものを着ているから箪笥の中身は熟知しているはずだが、それでも袂の長さが違って長襦袢が合うものと合わないものがあったり、一通り調べておかないとスムースに進まない。

リウマチが悪化して以来、和服は着ることができなかった。着物を纏うにはひもで締める。だから握力の低下や間接の可動範囲が狭くなると着られない。この前着たのは2012年の秋に林由未ちゃんの人形劇を観にプラハへ行った時以来だ。

この時は既に病気は発症していたけれど、私は着物を着て、小さいスーツケースにもう一組の着物を突っ込んで全行程を着物で通した。朝、痛みや強ばりが来ないように祈って眠るような、挑戦と銘打った少しばかり過激なひとり旅だった。

挑戦もあったけれど、ヨーロッパの古い重厚な町並みの中に着物で紛れ込んでみたいというのが念願だったんだ。まぁ、バカみたいだけど願いが叶って満更でもなかった。
秋の早いプラハは9月でも単衣の着物では薄寒く、パシュミナという触れ込みの安いストールを買って首に巻いた。

さて、今朝の4年半ぶりの着付けはぐしゃぐしゃになってしまった。右手がまだある程度しか上がらず、後ろに回せない。昔の人はリウマチだろうが、通風だろうが、着物しか選択肢が無かったんだよね?と思いながらゆるゆる着付ける。でも恰好悪ぅ。

正月開けの母の葬儀で喪服を着ようと思ったのが、実はそのきっかけ。母は私が着物を着るのが好きだった。自分はほとんど着ないのに嫁入り前の私に着物をたくさん用意してくれた。よく考えると、彼女は大正13年の生まれだから、青春は戦争の真っ最中から戦後に当たる。

一番おしゃれがしたかった頃、日本中が食べるものを得るために必死だったわけだ。
失った青春の楽しみを娘の私に託していたのかも知れない。そうと言ってくれればと今になって思う。自分のためのことばの少ない人だった。この時代の人々は享受して当然の喜びを戦争で失った。

私は喪服だけは自分で用意した。初めて袖を通すのが母の葬儀になった。膝が赤ん坊のアタマ程の大きさまで腫上がって痛みに泣いていた頃には、娘は盲腸にはなれなかった。車でひとりで東伊豆の母の病院に行けるようになるまで、母は死ななかった。不思議なことだ。

さて、どうなるやら。洋服だって靴ひもがまだ自分で結べないレベルだというのに。
そうそう、ひとつには「あさが来る」というNHKの連続ドラマでの光景が残っている。怪我をした主人公は着物に杖姿だった。悪くないな、とニヤリとしたんだ、あの時。車椅子の着物の人もいいじゃない?笑。 

こんなことを書いている私は、一昨年の今頃はどんどん減って行く体重、むしろ悪くなって行く体調、だるさ、微熱、痛みにのたうちまわっていた。鍼も自然療法もホメオパシーも試した。不安でいっぱいだった。とうとう立ち上がれなくなったのが一昨年の今頃だった。

その頃は縋るように「リウマチ」「治る」「痛み」と検索していたんだ。時には「自殺の方法」なんてキーワードも使ってみた。もちろん「旅」もだけれど。希望と絶望との間で、その乖離がとても遠く思えた。

もし、今、そんな方がいたらなぁ、とちらりと考える。私、着物を着ようっていう気分にまで復活してきたよ、諦めずに共に良く生きて行こうよと言いたいから、なんとなくあてもなくこんな記事を書いてしまう。 

本棚って脳内かも?
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