2016年07月01日

自分の顔、政治家の顔。

樋口陽一

三宅洋平氏の立候補について、或いは小林節氏の行動について、あれこれ言う人が多いのね。他人のことを非難、批判するって簡単。私だって好きじゃない俳優のことを、髪型がとかなんとか言うのは気楽だし、ちょっと人をけなすって快感もある。

で、共感したりするともっと楽しい。悪口を言い合える仲というのは、親密度を上げるよね。でも、ご注意!そんなことしてるとゆっくりだけど、確実にブスになっちゃうんだぞ。そういう時の自分の表情を鏡で見てごらん?

表情筋というのは細い数本で成り立っているらしく、非常に繊細な動きをする。悩んでばかりいると眉間にシワがよってしまうでしょ?痛みに耐えていてもそうだね。長年の心の使い方で顔は変わって行く。悪い方向ばかりでなく良い方にも。

私は昔から顔に興味があった。特に政治家は顔つきの変化が著しくて興味深い。若い頃の爽やかさがメキメキと音を立てるかのように失われていくのは、魑魅魍魎の蠢く世界に生きているからだろうか。おもしろいくらいだ。

しかし、どんなに周りが策謀と悪意と強欲に満ちた世界にいても、清潔感が失われないなと思える人も稀にいる。年を重ねると爽やかさと純粋な瞳の輝きが損なわれるのは、仕方ないのかな?と思っていたけれど、人柄の良さが外貌に滲み出ている人もいる。

顔立ちは生まれつきだけれど、毎日の表情筋が作り上げていく「顔つき」というのは着実に変化していく。マッサージだってお手入れだってせいぜい一日二回。心が動くに連れてぴたりと寄り添って動く表情筋には敵うべくもない。

保身優先で人にくっついてばかりいる人は表情に乏しい。そういうタイプも政治家にいる。一般社会にも多いだろう。自分で考え、自分で動く人はその表情も魅力的だ。例え考え方が私と違っていても、唸らされる。主体性のある人こそがセクシーだと思う。

さて、選挙ともなれば、その人がどんな人なのか?「調べる、公約を聴く」などの努力くらいは払いたいし、できれば生で会ってみたい。街宣に行ってみたい。曇りのない目で見て決めたい。

人は考え方も経験もそれぞれ違って良いはず。人目に晒されてなんだかんだ言われることも、冷や水をかけられることも覚悟の上で、立ち上がり発言する人や立候補してくれる人のことをあれこれ言うだけ、なんてのはやめよう。ブスにならないためにも。

※画像は憲法学者の樋口陽一氏。80歳を超えて清潔な容貌。他にも素敵な表情の年配の人っているものだ。グロテスクな表情の働き盛りも多いけどね。

 

2016年06月29日

ナセバナル?

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ダンスだな、これは。運転免許奪還計画で技能講習を受けて感じたこと。運転歴30余年、初心者の頃に、寝ぼけていて止まっているトラックに突っ込んだ以外の事故はなく、安全運転には根拠のない自信があった。だから学科試験がパスして3日後に技能試験の日程が決まったときも慌てず騒がず心得た。

しかし、技能試験当日、一番先頭だった私は多分ものの10分?くらいで「キムラさん、あのね、点数なくなっちゃった。帰りましょう?」と優しい検査官にあっさりと言われたのだった。え?あ、こんなに早く?ですか?

思えば、免許失効だってツイテナイ。一番リウマチの痛みの激しい頃が更新で、過去五年の「身体が思い通りに動かせなかった」という設問にマルを付けた私は、条件つきでしか更新できなかった。

その条件が、痛い身体を引きずって二俣川の運転免許試験場に行き、原付バイクが起こせないことをやってみせる、という悲しいパフォーマンスだったので、もう気後れがしてどうにもならなかった。その頃は歩けたが、公共の交通機関は体がきつくて既に利用できなかった。

その後、イレウスでの入退院。体力が戻って免許について考えられるようになった頃には6ヶ月を過ぎてしまった。私だって起こったことは全て良いことと思ってる。でも、そう考えられるようになるにはちょっとかかる。気持を立て直して、前を向けて、それからの話。

電車に乗れないので、家族に連れて行ってもらうしか移動手段のない私。時期を待ち、満を期して試験に挑んだんだ。なのに、あっさりとね、ダメですか。あ〜そうですか。こうなりゃ、練習するしかない!一単位づつ申し込める「特定自動車教習所」に通う。

そこで思い知ったのは自分の運転の荒さ、拙さだった。動いているけれど滑らかじゃない。隣の人の足を踏みそうなくらいはみ出してる。きれいな弧を描いて曲がる右左折、歩行者を早めに大きく避ける、どれをとってもきれいな運転はダンスみたいだ。

最初の教習では連続2時間の間に自分が上達していくのがわかった。じんわりと楽しさがこみ上げて来る。しかし、楽しいばかりではない。自分の不器用さを知る度、何度も挫ける気持。運転歴30余年で身に付いたのは悪習であったのね。とほほな気持。

様々な個性の教官に指導を受けて運転技能練習10時間。やっと試験に合格した。仮免許申請から全部で10回を大磯〜二俣川間往復して付き合ってくれた娘は「もうこの先、この人は免許は持てないのかとちらっと思ったよ。」と本音を言う。

そうだ、私もそんな気持がよぎった。教習所でも試験場でも車椅子なんて私だけ。車椅子で入れるトイレは既に故障して数年経っていそうだし、洋式のトイレもわずかに一箇所。スロープも後付けで、施設としては歓迎されてるとは思えない。ひるむ。

けれど、人生は冒険だもんね。私の冒険は免許を奪還して更に幅広く続くんだ、と夢を見たのよ。だからこれでダメでも諦めるつもりはなかった。不器用だけど根性はあるんだぜ。ナセバナル。リラックスだ。深呼吸だ。モーガン爺さんの歌も「この世はステップ、力を抜いて」と言ってるよ。

2016年06月27日

台所用洗剤、これいいよ。

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この頃みつけたこれ、大好き。台所用合成洗剤です。
合成って現代では悪いイメージが強いですね?でもなぜ悪いのか、それを明白に説明できる人は少ないんじゃないかな?

合成って何かというと、あの素材とこの素材を組み合わせて、あれでもこれでもない違うものを作ること。画期的なことだったから、私がこどもの頃は良いイメージでしかなかったんだろうな、社名に「合成」を頂いた会社も数社あった。

合成繊維なんて「魔法の繊維」などというキャッチフレーズも使われた。それくらい、一時は時代の花形だったのね。けれど、いつの時代にも欲張りさんがいて、製品原価を下げるために不要なところに使われたりして、最早「合成」は悪役みたい。けれど、ここは冷静に考えてみたい。

環境への負荷が私の一番気になる点。次が使い勝手。その次に金額。この台所用洗剤は合成だけど、その原料は全部植物。残念ながら、植物でもその姿を変えると「合成」の文字から逃げられない。だから合成ってことばに引っかかってしまうのは惜しい。気になる生分解性も問題無し。

我が家の洗いものはもっぱらニュー息子が担当している。彼は泡をしっかり立ててきっちり洗うのが好きらしく、固形せっけんがお気に入り。確かに固形せっけんは水分が少ない=界面活性剤が多いので油などを良く落とす。けれど、その減りの早いこと!

せっけんは油をナトリウム(苛性ソーダ)で鹸化という状態にし、界面活性剤にしたもの。著しい姿の変化はなく、だから「合成」とは呼ばない。そのせいで環境に優しいと思っている人も多い。それもまた短絡的な考え方かも知れないの。

実のところはアルカリ分が水中のミネラルと結びついて石けんカスを作りやすい。お風呂で体を洗うとふかふかした白い固まりが洗面器にできるでしょう?そしてお風呂場の天井なんかに石化した白い小さな固まりが点々と付いていることもある。

あれがせっけんカスなんだけど、それ自体はもう水には溶けない。せっけん液の生分解性はいいのだけれど、固体になった、あれが問題なんじゃないかな?と常々思ってる。加えて、ニュー息子の使いっぷりを眺めていて、いい台所用洗剤が欲しいと痛感した。

サポネリアの頃からのお客さまにはかつて扱っていたソネットの食器用洗剤が欲しい、何か他にいいものはないの?と言われていたし。で、見つけました。真剣に探せば出会えるね。これ、素晴らしいです。泡立ちも良いし、洗い上がりもいい。何よりさっと泡切れが良いのが市販の洗剤と格段に違う点。

洗剤残りは全く気にならない。外国では洗剤で洗って漱がない国も多いんだけど、水の豊かな風土に生まれ育った日本人には抵抗がある。これなら漱ぎの水が最小限で済みそう。我が家とネットショップで採用しているのはグレープフルーツの香り。これも天然由来で安心の駄目押し。 

おまけに日本製です!もちろん、アクリル束子とかマイクロファイバーとか「擦る力」の強いツールと併用するのが吉。で、要らないときには使わない決意が大吉。手荒れしないのもアリガタイ。
ネットショップでお求めになれます。
 


2016年06月24日

風情って何だ?

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いい風情なんだ、大磯東町辺り。至る所に細い道があり、猫が道の真ん中で終日のんびりと寝転がっている。季節の草花も家々で咲く。私が住んでいる東町から大磯の辺りは
車の通らない、すれ違いにも気を使うような細い道が多い。

川の支流が縦横に流れていて、その際(きわ)の家並みや佇まい、庭木の様子がとても魅力的だ。これは新築の多い高麗の辺りとはちょっと一線を画すし、二宮寄りの西小磯や国府辺りとも違う。むしろ私が生まれ育った下町の深川の風情と似ている。深川も川だらけだった。

先日購入した家も車の入らない細い道にある。駅から近いわりに緑が残っていて、現在住んでいる東町や大磯の海側とはまた違うが、古い住宅の立ち並ぶ一画にある。この「風情」って何が作り出すんだろう?古家を再生して住む、それだけでも楽しい。でも、レトロで素敵ね、で終わりたくない。

様々な情報や手段がある今、時代に逆行してエネルギーの無駄遣いをしたくはないからね。ランニングコストにも関わって来るし。冬の寒さや夏の風通しなどを真剣に考えてリフォームすると風情のない建物になっちゃうんだろうか?それが目下の悩みなのだ。

調べたり、考えたりして行くうちに、自分がどんなものを欲しているのかわからなくなっちゃった。 それで「風情」の正体を見極めてみたくなった。自分にとって美しい、風情があるとはどんなものなんだ?カメラを片手に出かけてみる。

どうやら「古くて美しい」が鍵のようだ。シャビーという洒落た言い方もできるけれど、ボロが好きなだけかも知れない。トタン、と人が呼ぶトタンの波板も好きで、この建物のような大きめのピッチの波板が特に好み。これは断熱性など大したことはないのだけれど、何とも言えない味わいがある。

この季節にこの町で「風情」を探すと、古い家に紫陽花の咲いているのにすごい確率で出くわす。紫陽花のひとかたまりが地味な外観に細やかで優しい色合いを添える。古くて綻びかけていて、でも手の入ったものが好きなんだな。

古くならない、というのは私にとってはセールストークにならないみたい。ああ、私の好きな「風情」は時間なんだな。そして猫が道の真ん中でのんびり寝そべることができるような「気」の良さ。それは住まう人々が作り出し紡ぐものだ。

ゆっくり人々が培って行くもの。その甲斐のあるもの。そこにある遊びや愉しみ。その時間。うん、少し答えが見えて来たぞ。




 

kalo_sapo_owner at 17:11コメント(0)着る、住まう 
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