2017年10月21日

右と左の物語は終わる。

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あなたは保守派ですか?あれ、私どっちなんだろう。
リベラルという単語は「自由」という意味。保守、革新という二大対立にはまりたくないから私は「リベラル」を名乗って来た。だけど、ここへ来て、リベラルは反体制と同意義語になりつつあるみたいでいささか居心地が悪い、デス。

世間じゃ右翼も左翼も嫌われ者。極端なイメージは普通の人から乖離して「いっちゃってる」感があるのだろう。実際、右翼の方の宣伝カーなどは理解も共感もできかねる。まともに議論のテーブルにつける気がしない。実際はそうでもないのかね?

私より年上の人なら、浅間山荘事件や連合赤軍、統括と呼ばれた集団リンチ事件など
極端な例があるので左翼もちょっと怖いのが普通だろう。けれど、彼ら=共産党ではなさそうだ。共産党は穏やかで民主的な党是を守っていて、それを読んでみると民主主義そのものだけど、やっぱり左なのかな。 

あなたはどっち?右派とか左翼とか。おさらいすると、この単語はフランス革命の時にできたのですな!ざっくり言うと、王朝政府にお金が足りなくなって、貴族から税を徴収しようとした際、既得権にしがみついた側とそうでない側が左右に分かれて着席。

つまり現状維持派が右、変えてもいいんじゃない?派が左ってこと。それ以来、右左という言い方が市民権を得て、保守の中でも現状にがっちりしがみついてる系を右、革新の中でも行動的な辺りを左と呼び始めたらしい。

おお、それなら私、左だわ。万物は流転する。人々の安寧と幸せのためには、その時の状態にあった適度な変革が必要だと考えているもの。既得権にしがみついてるなんてお洒落じゃないしね。

でも、左とか左翼という呼び方には「極端な」という暗黙の形容詞がセットで付いて来る気がする。左って悪いの?ダメなの? 

私は数年前に共産党にメールで小学生並みの質問をして,その誠実な回答で不安を払拭した経験がある。彼らは第一党を目指すのでなく、民主主義を見守る立場で対抗勢力として存在し続けることに意義を感じている。今、彼らの考えを少し取り入れて、行き過ぎた資本主義、競争社会に歯止めをかけたいと思っている。

今回は、立憲民主党や社民党の候補がいる地区で、共産党が自主的に候補を取り下げて野党内の無駄な競争を避ける姿勢には感じ入っている。なのに、立憲民主党の枝野さんがすっぱりと共闘とは言わないのが気になっていた。

枝野幸男氏の対談(IWJの岩上さんと)を聴いていて、やっと納得したの。枝野氏はリベラルは保守との対立軸の反対でなく、保守の中にあると言う。リベラルは「そうは言っても現実に合わなくなっている部分は、みんなの合意の上で変えて行こうよ」というものなのだそうだ。 

みんなの合意の上で、という部分がものすごく大事なんですよ、と。「ゆっくり、大方の人の納得の上で」というもの。一時の政治が数の論理で賛成多数を以て急進的に変えてしまうことは民主主義を破壊する。それは保守と言えないという。

現状の安倍政権はまさしく数を味方につけて大急ぎで法案を可決したり、強行採決したりする。ある意味、ここが一番「いっちゃってる」系ではなかろうか。つまり、民主主義の破壊行為が政権与党のもとで行われているのが現状だ。

岩上さんはわかりやすく党の対立ストーリーに持って行きたがる。きっと私と一緒で共産党の懐深さにぐっと来たに違いない。野党共闘でなく連携と言うのはなぜか?と再三聞く。しかし枝野氏は注意深く、辛抱強く、政治家が共闘するのはよその党ではなくて市民のみなさんなのだと答える。

どの政党も市民や支持者との共闘によって方針を叩き上げ、案件によっては他党と連携するのがいい。話を党の対立にしてしまうと、ネガティブになって広がらない、と言い続ける。その穏やかながらしたたかな粘り腰にちょっと頼もしさを感じた。

この人は短気じゃない。悔しいとか、そういう一時的な感情に流されない。今、民主主義が政権与党の手に寄って壊されている、それにノーを突きつけるための連携をするのだという。今回一回の選挙でひっくり返らなくても仕方がない、立憲民主党はその次で政権を担える政党を作るんだと語っていた。

なんかすごいな。共産党の民主主義を達成するためになら、自分のとこの候補者を下ろしてでも協力しようという態度も素晴らしければ、枝野氏の煽られても揺さぶられてもぶれない政治姿勢も尊敬に値する。

今って、紙一重の危機でもあるけれど、だからこそ、千載一遇のチャンスでもあるのかも知れない。やがて立憲民主党が政権を取って、その働きを共産党や社民党が監視して行くという図もあるのかも知れない。もう、揚げ足を引っ張り合うような国会は終わるかも知れない。

ダメな人のことをあーだこーだといってエネルギー使っているバヤイじゃないなぁと思ったのだ。右やら左やらがもう既に死語になっているのだな。もっと理想の旗を高く揚げよう。よその素敵な国のことや同じように敗戦したけれど、大きくその後が日本と違う道を選んだドイツやイタリアの経緯を知ってもいいな。

もちろん、選挙で意思表示した上でだ。

2017年10月19日

捨てられる人々

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「棄民」
ということばをご存知だろうか?
私の中では比較的新しいこのことば。知ったのは福島原発事故から数年経った頃だ。この頃、またちらちら出てくる。知って欲しいという魂の声に導かれているのだろうか。

「その女、ジルバ」という漫画にはブラジルへ入植した人々のその後が描かれている。未完だが、福島と繋いだストーリーでこの後が気になる。それは、ちょうど私が勉強している時代の満蒙(満州=中国の一部、蒙古)開拓団と同じ構図だった。

政府が奨励して、移民する。その先で起こる不幸や政府が起こした戦争によって降り掛かる災難。政府は何の保障も手当もしないで放置する。人々は帰る場所を失くしてしまう悲しい筋書きだ。他にも棄民の例はたくさんある。

若い人達は名前だけを知っているかも知れない「水俣病」や私も知らなかった「足尾銅山事件」、そして「成田三里塚闘争」、現在も続行中の「沖縄米軍基地問題」と「福島原発事故」。いつの時代にも悲劇があって、遠く離れた場所に住む人々にはピンと来ない。

縁者がその地にいるのでもなければ、自分のこととしては捉えにくい。けれど、現実にいまだに仮設住宅に暮らしている人々がいて、沖縄では人々は毎日騒音と不安に包まれている。この数年で政府が撒いた海外への支援金は40兆だが、福島の人々に使ったお金は5億だけ。八分の一。

少しも解決していない事故後の原発の処理、汚染水、避難した人々の再就職や住居、生活保障の解決を放置して、政府は原発を再稼動し始めた。電気の問題じゃないのは、長い停止期間でわかり切っている。大企業である電力会社やその債権者の銀行のためだ。

政府は全く庶民などに関心は無いのね?寄り添ってなどいないのね?私は直接当事者ではないが、事実を見ればそういうことになる。東京オリンピックを誘致するお金で、福島の人々に住居や手当を与えることが充分にできる。だが、そちらへのお金は惜しむ。新しい棄民だ。

第二次世界大戦で亡くなった日本人は310万人。ものすごい数。我が町のちょうど100倍に当たる人々がひとり残らず亡くなってできる数字。もっと驚くのが、兵士の死亡のうち60%が餓死、病死だということ。食料や武器の補填もなく、闘え、死ねという命令は棄民だ。

その愚かさに呆然として声も元気も出ないが、こうしちゃいられないのだ。今、この瞬間にだって、沖縄の平和的な反対運動が、機動隊によって暴力的に排除されているのだから。住まいや土地を愛し、幸せに暮らしたいだけの人々が「棄民」にされる。

権力というものは、こんなふうに人の良心を壊すのだろうか。同じように「人」として生まれて、遠くの人々を切って捨てるのが平気になっちゃうんだろうか。わからないけど、事実として、人の痛みの全くわからない人々を私たちは政府に選んでしまった。

しかもその愚をずっと続けている。次の棄民は自分かも知れないのに。日本国憲法は権力を仮に信託した政府が暴走しないために、権力者を縛る。それを権力の側が変えようとしているのが、今回の選挙の本質だ。いやモリカケ問題隠しもあるけど。

私たちは自覚の無いまま大きな銀行に貯金をし、銀行はそれを武器製造会社に投資する。武器会社はその資金で開発製造し、日本政府もまたそれを言い値で買う。ひとつが保育所100箇所分くらいの価格だ。もう、日本製の武器が中東で着々と人を殺傷しているだろう。

北朝鮮に向けて更なる圧力をかけ、爆発させていくシナリオは、アメリカの軍産複合体(軍隊と産業のミックス)や日本の経済界に大きなメリットがある。与党のいう経済活性はそれが基本路線だ。日本政府は米軍の指揮のもとで自衛隊に戦争をさせる。

次の戦争は、民主主義の名のもとで私たちが選んだことになる。新しい棄民がまた出る。それでいいのだろうか?私は嫌だ。棄民の生まれない社会に変えることに手間と熱意はいるが、複雑なことではない。日曜日まで、それが選べるってわけです。

※画像は捨てられる運命だった我が家の犬達。ずいぶん前の写真が出て来た。

2017年10月15日

神奈川15区続き

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河野太郎氏の第一声のことを先日書いた。少し続ける。日本が分岐点にある今、このことは他の選挙区の人々にも共通点のあることだと思うので、読んでいただけたらうれしいデス。

河野氏はかつて原発に反対の考えだった。その根拠は非常に明確で「割に合わない」「コストが引き合わない」というビジネス目線のものだった。ここはとても大切なところで、なるほど、そういう冷静な見方は必要だな、と当時の私は大いに同感したものだ。

更に、事故があった際の処理費用などを鑑み、元の取れない投資であると指摘。もんじゅの多大なコスト倒れや核廃棄物にも言及し、一刻も早くやめるべきだと主張していた。原発を推進してきた歴史のある自民党内に於いて、その言動は快挙だった。

その彼が、今、大方の外務省官僚や党是に同調して、アメリカ依存の道を選択した。
こうなると、原発のコストには別の計算が立つ。原子力発電はいつでも核爆弾を製造できるのだ。無論、そのためにアメリカは日本に原発を続けさせたいはずなのだ。

河野氏も、かつての「発電」という分野では他の方法にコストが劣ると認めた原発だが、アメリカに恭順する路線をとるなら、原発には存在価値がある。彼の原発反対は、残念ながらこれで終了だろう。その整合性は見事だが、私はこれではっきりと自分が選ぶべき道が見えた。

彼の脱原発は経済的見地からの結論であって、命の肯定ではなかった。決して不動のものではなく、揺れ動く経済情勢に連れてともに動く。しかし、経済がどうあれ、命は保存本能を持っている。それに沿った生き方は屈折やフラストレーションの少ない社会を作るだろう。

命を生かす方向を目指すなら、どうしたって害のない発電方法が最良なのはわかり切っている。地下資源には自ずと限界がある。再生可能なエネルギーには適わない。未来も明るいし、人々に安全な仕事をもたらす。だが、いざとなれば戦争が前提という命を殺す方向へシフトするなら、より強い暴力装置である原発が有効だ。

ここで思い出さねばならない。かつて世界の強い国々はより強い暴力装置として核を採用し、核を多く保有することに依って自国を守ろうとした。その数は過去には最大で6万4千発に登ったのだ。使われることの無い、あっては困るものの開発にどれほど多くのお金と時間と情熱が捧げられたことだろう。

それを世界の飢餓や不平等の解消に使うことを、地球上の核がピークだった1986年当時、奇しくもチェルノブイリ事故の年の私たちが選んでいたら?今日の世界はもっと素敵なことになっていたかも知れない。

しかも、過去には誤発射(沖縄に於ける米軍)があった。偶然にも実際には爆発に至らなかったのは幸いなことだが、人間は間違いを犯すものである。こういう事故は箝口令が敷かれていて、表沙汰にならないが、一度しかないとも思えない。考えると本当に恐ろしい。

一度で地球が何個分も吹き飛ぶような物を所有することでバランスをとろうとした私たちは、北風と太陽の寓話を思い出さなくちゃならない。旅人の厚い衣を脱がせたのは、太陽だった。この際、旅人には北朝鮮を、太陽には対話と平和工作を、北風には武力的な威圧を例えるのがいいと思う。

長い歴史を人類は辿って、ゆっくり成熟してきた。今、分け合うことが奪うよりも豊かであると知っている、いわば新しい人々が大勢生まれている。大昔から大自然に習ってそれを知っている賢人もわずかにいる一方で、奪わなければ生きて行けないと考える人々もまだ残っている。

選ぶことができる、ということはどんなに幸せなことだろうか。選ぶことができない時代、人、国では人は目隠しされて暗闇に突っ込むようなものだ。そのことを少し考えて、この権利を有効に使いたい。




2017年10月13日

神奈川15区のこと

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我が家のある大磯は神奈川15区。河野太郎氏のお膝元で、強い地盤を誇っている。
なかなか彼と互角に戦える対抗馬が出にくい難しい地区だ。河野太郎氏の一族の会社、日本端子の本社も平塚に支社も大磯にあるし。

さて、候補者の第一声でも読んでみようと神奈川新聞の書き起こしを見る。うーん、話の持って行き方が上手だな、河野氏は。しかし注意深く読んで行くと、彼が揃えたがっている足並みや信頼は100%アメリカ軍との間の話に限られる。そう、そこだ、私の懸念は。

先日、政権交代の1993年の政権交代の頃、GNP世界第三位となった日本は自国のことだけでは大人扱いされなくなった、と書いた。世界中から非難が云々(でんでんではありませんよ)と。もちろん一番声高に責め立てたのはアメリカである。

ごく新しい情報なので、知らない人がほとんどなのが歯がゆい。公式文書が確かな論拠として見つかってからまだ2年以内。これをこの頃の私と有志で勉強しているわけなんだけど、ものすごい事実で、知るのが辛くなる。

日本は米軍の言いなりにならざるを得ない法的根拠があるのだ。まず基地の場所は日本中どこでも、更に日本周辺どこにでも作ってもらってOK。これは知らない人も多いけれど、以前からわかっていた。最近わかった新事実は、自衛隊のいざという時の指揮権は米軍にあるという条約。

そういう前提で河野太郎氏の第一声を読んでみて欲しい。彼が、独立国とは言えない日本の現状を諦めて、または良しとして維持しようという姿勢がよく見えて来るはずだ。日本が攻められたら?という仮定の話をしている。

不安を煽る巧い手だ。だが、北朝鮮が威嚇しているのはアメリカです。朝鮮戦争は1950年に停戦したきり、まだ終わっていないのだ。南北朝鮮間、そして南=韓国に加担していた米国を巻き込んでその緊張がずっと続いているわけ。

アメリカが日本をアメリカ防衛の防波堤として使っているという厳然たる事実は、もう日本人なら認めた方がいいと私は考えている。世界地図をご覧よ?沖縄の人々をご覧よ?冷戦まで沖縄には北朝鮮に向けて1300基の核が配備されていた事実をちゃんと見よう。米軍関係者のどんな事件も日本の法律で裁けない。

若干の反日感情があるにせよ、日本は今の所どこの国の怒りも買っていない。この平和は「どこの国にも攻め込まない」という憲法をこれまで尊守してきた世界中の信頼の見返りである。それがアメリカと100%同調したら?答えは火を見るより明らかじゃない?

既に、先に強引に強制決議された法案のおかげで、中東では日本人の活動が危なくなりつつある。俺たちに銃口を向けるのか?彼らはそういう疑いの眼差しでボランティアや民間の日本人を見始めたという報告があがっている。世界はアメリカだけじゃない。

私と有志が本気で怖いと考えているのは、日本におよそ関係の無い戦争で、しかも侵略であっても、アメリカが出て行く戦争には100%参加しなくちゃならない事態に陥ることだ。実際、この数年の安保法案、秘密保護法、そして一番恐ろしい緊急事態条項がそれを実現させるための一連の法案なのであるよ。

一応書いておくけれど、このような日本の属国化(というか、軍事に於いて米軍による占領が継続している状況)にはアメリカ人でも知った人は驚く。表向き、日本は独立国に見えるから。ライス国務長官を覚えているよね?彼女もこの件は問題だ、と指摘している。

現在、日本に於ける米軍の費用は日本が負担している。日本の多くの人々は、米軍は日本を守ってくれるから、と納得しているかも知れない。だが、以前も書いたように「日本を守ることに使うこともできる」という条約であって「守る」とは言及していない。

誰か日本人以外の人が、お金を払っているから駐留を許しているからと言って日本を守ってくれる、と信じられる程、私は人が良くない。どんな組織が命がけで他人を助けるだろう?その組織は日本人を助けるために数名の米軍兵の犠牲が出た、などということを自国民(アメリカの人々)を納得させられるだろうか?

河野氏の第一声は、アメリカに従い、アメリカの傘下で生きることを彼が押し進めて行こうとしていることを見事に表現している。その後には何が待っているのだろうか?日本が軍事的、政治的な独立を諦め、文化や芸術、民族としての独自性をも、やがては消え行く道だと私は思う。

そうはいってもアメリカは強い、怖いと思う方も多いだろう。逆らって大丈夫?実は私も長いこと、そう考えていた。しかし、陸続きのカナダを見て欲しい。アメリカはかつて日本と同様、カナダにも膨大な工作費をかけてアメリカ依存を進めた。意に染まない政府の転覆工作も数度あったらしい。

だが、いくらひっくり返しても、新しくできる政府は揃いも揃って自主独立の気概を持っていた。で、工作費の投資が割に合わなくなったてやめてしまった、その結果が今のカナダだ。たくさんの志位さん、たくさんの枝野さんが起き上がり小法師のように出て来て、初めて得られる「独立」なのかも知れない。

でも、諾々とアメリカ(というより、米軍、アメリカの軍と産業の複合体)の言いなりになって進んで首を差し出す気は私には無い。更に言えば、米軍の世界侵略の片棒を担ぐ気は無いんだ。だから今回、156議席を取れずに緊急事態条項が可決されてしまっても、諦めたりはできない。でも、最善を尽くしたい。

 

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