2019年02月17日

知り合いのガラパゴス

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知り合いにガラパゴス化した人、と言うか、私の常識など綿毛の軽く吹っ飛ぶ独特の思考をする人がいた。昨今「ニッポンスゴイ」という偏狭な戯言を耳目にする都度、思い出す人物なのだ。いくつかエピソードを紹介してみる。

その一、都市銀行のATMでのこと。
彼曰く、その日は混雑している月末で午後2時半ころに並んだのだそうだ。本日中の振込ができなければ信用を失うという、キリキリした思いで列のひとりとなっていた。

前に時間のかかる利用客がいて、やっとあと数人で自分の番になる、というところで3時になった。銀行員がガラガラと窓口のシャッターを閉めた。あなたなら、どうする?私ならそのまま並んで、自分の番が来るのを待ちます。

彼は、しかし、そこで激高したそうな。理由は「自分は3時前から並んでいたのだから、本日中の振込実行とならなければ、それは銀行のせいである。その旨を振込相手先に証明せよ、もしくは本日中の振込とせよ。」と銀行員に談判したのだそうだ。

いやいや、お客さま、それは、と宥める銀行員数名。しかし大声で談判する彼は正義感に燃え立っていて声が荒い。奥からわらわらと数名が出て来て、いわば力づくで引き取らされたのだそうだ。私に話している時も義憤で湯気が立っていた。

「それで振込はどうしたの?」と尋ねる私。「できなかった。」無言の私。「でも、できるだけのことはやったのだし、振込みする用意で列に並んだのだから、相手も誠意をわかってくれるはずだ。」そ、そういうもんかな?

エピソードその2、フランス、パリ郊外での国際的な展示会でのこと。
広大なスケール故、1日で見て回れなかった彼は、不用意にも前日のチケットを捨ててしまって、次の日もでかけた。受付で当然チケットを請求される。

彼は不得手な英語を駆使して「チケットは買って、昨日も来た」と主張する。しかしそのチケットが無いので相手も通さない。彼の理屈では「昨日来たのだから、チケットを買ったことは明白である。従ってそれを調べて、入れるべし」である。

彼は知っているだけの英単語を並べて、大声で抗議したのだそうだ。銀行の時と同様、辺りには人だかりができたそうな。それでも屈強なガードマンがいて、彼は追い出されてしまった。

非常に悔しかったので、入り口近辺に1時間以上いて、他の入場客に「入るのはやめた方がいい、ここはひどいところだ」と言って回ったという。

「効果はあったの?」「言葉が通じないから無視された」そうだよね。「で、あなたは再度チケットを買って入ったの?」「まさか。あんなひどいシステム。」それを話す彼はいくらか得意気である。私は黙った。

そういう彼には、次々と許し難いことが舞い込む。あるときは○○ミヤンという中華のファミリーレストランで一緒に食事をしていた。彼のラーメンは麺の湯で加減が悪く、ほぐれておらずひと塊になっているところがあった。

これは私でもいただけない。当然店員さんを呼びつけて苦情を言う。まぁ、ここまでは私もやるだろう。しかし、その苦情が延々と長く厳しいものであった。

同席の私たちはだいぶゲンナリしたものだが、彼に言わせると「その店員さんの将来のために、敢えて厳しいことを言った」ということになる。やはり指導的正義感がキラキラと輝くわけだ。

数ヶ月後だったか、同じ店に同じメンバーで行くと、今度は彼のラーメンに菜っ葉をまとめる紫色のビニールのヒモが5cmばかり入っているではないか!前回もそうだったが、他のメンバーの皿には何も事件はないのだ。

もちろん当人は激怒。私たちは再度ゲンナリしたが、さすがにこれは運ぶ段階でさえ気づくのではなかろうか?と話し合った。しかし、今にして思えば、あれは仕返しだったのかも知れないよ?

私はいつも、そうか、彼の正義はそういうものか。もしかして、私の方がおかしいのかも知れない、と思っていた。だって、人は本当に色々。だから付き合えたけれど、今はもう連絡も取らない。

私が彼や「ニッポンスゴイ!」という人々をまとめて考えてしまう,その理由は「自分の正義や価値観が唯一のものである」と疑わないところにある。人は様々であるとか、見方はいくつもあるとかの視点や許容範囲を持っていない。

私だってうっかりすると物事を狭い枠からしか見ていないことがある。けれど、その小さな枠を嵌めている自分に気づくとずっと楽になる。あっと発見があって、世界が広がる。

狭い視野は拝外性を伴うものだから、危険でもあるけれど、それにも増してその人の生き辛さを作ってしまわないか?「ニッポンスゴイ!」のそれが気になる。
 

2019年02月12日

我家の浄水器

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浄水器のこと、ミネラルウォーターのこと、であります。
ずいぶん前、自然食の人々にとっては高性能の浄水器を使うのが新しい常識みたいなブームがあった。ハーレーという名前だったか。

当時、我家は鉄筋のアパート暮らしだったので屋上のタンクから水が降りて来る仕組みで、それが付けられなかった。住んでいた東京都江東区の水は美味しくないと言われているものだったけれど、あまりお金持ちでもなかったので特に何もせず、それを飲んでいた。

茅ヶ崎に越してから、仕事や短期留学などで毎年のように家族も私もヨーロッパに行った時期があって、美味しいという理由で炭酸入りのミネラルウォーターにはまったことがあった。青いひょうたん型の2ℓボトルで、それがどんどん貯まる。

ペットボトルは資源ゴミとして回収されていたから、いや、今もだけど、きっとリサイクルされているのだと思い込んでいた。買って飲むミネラルウォーターはお金もかかる。けれど「美味しいから」気にしていなかった。

そのうち、原発事故が起きて、原発の問題やら政治やら、人繋がりやら、環境保護やらがもっとぐっとリアルなこととして迫って来た。その頃、カフェを始めようと考えて食品衛生責任者の講習を受ける。2013年だったろうか。

その講習会で講師が言ったことばが忘れられない。日本の水道技術は世界に誇れるものなんですよ、技術を輸出するなら水道は原発なんかよりずっと優れている。原発の是非というのではなく、単純に技術水準の比較であったと思う。

その前の年に東アフリカの小国に旅をし、都市はともかく、地方では水を汲むために大きなポリタンクを頭上に載せてそこそこ長い距離を歩いている人々を見かけた。

上下水道もないのに、みんな携帯電話は持っている。携帯電話の会社はひとりひとりに課金できる可能性に賭けて、アフリカに早くから乗り込んで来た。

開発や普及は神の仕事でも善意でもないのだ。ビジネスチャンスとしてしか捉えられないのだという不幸な現実を知った。

だからこそ、私は水道技術の輸出ということばに多いに反応した。実際、東アフリカでは、ある日本人の技術者が水道の設置のために長く貢献しているというのを聞いた。

彼は儲けという視点でなく善意からなのだが、個人でもあり、その歩みは遅々としている。採算に合うと見込んで投資を決めた営利団体の動きは素早くて、その網は広い。単純な比較ならとても太刀打できるものではない。

まぁ、そんなわけで、我家では高いお金を出して浄水器を付けるのも、ペットボトルや10ℓのビニールタンクに入った美味しいと言われる水を買うのも、ごく自然にたち消えて行ってしまった。

信念もなく、辞めよう、と思ったわけでもないし、家族会議もしなかったのだが、捻って出てくるタップウォーターの質に文句が無くなった、というのが本当のところだ。今では台所の水道水を水筒に詰めて出かける。

寒い季節には出がらしのお茶を入れるけれど、お湯のときもある。そう、まったく気にならなくなっちゃったわけだ。健康のためといい、美味のためといい、ずいぶんな贅沢をしていたんだなぁという気がする。

読んでいないので引用するのがちょっと恐縮だけど、ドラえもんの声で有名だった大山のぶ代さんの著書に、面白い見方がある。彼女は「人が一生に使って良い水には量の制限があるはずだ」という持論があったらしい。

だから使った水もすぐに棄てない。他の何かを洗って、棄てる。きっと我家でもやっているお風呂の残り湯利用などもしていらしたに違いない。なんだか、この話はうつくしさが感じられて好き。

さて、我家にやって来た東アフリカ生まれ育ちの息子くんは、泡立てて洗うのが大好きで、水道水をふんだんに使う。この点に於いては、かつて我家にホームステイしていたフランス人大学生だったジェレちゃんの方が素晴らしかった、とその妻はいう。

ジェレちゃんは洗い物をするとき、食器を擦る間はいちいち蛇口を捻って止めていた。最後に漱ぐ時のみ流水を使っていて、流しっ放しということがない。私も娘も横で見ていて、その賢い方法を直ちに採用したものだ。

エコ・コンシャスな娘は夫の洗い物方法にその都度クチを出しているが、時々イライラするという。温度も量も安定している水道水の魅力は彼にはまたとない豊かさに思えるだろう。エンジョイしているのよ、きっと、と私が言うと娘は「なるほど!」と納得していた。

やがて彼もこの状態に慣れる。変わって行くだろう。それよりも変わる可能性の感じられない、将来が心配な浪費が、この国にはたくさんある。

 

2019年02月02日

発熱コンプレックス

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少し前、紅茶がインフルエンザに効く、という記事を読んだ。友人に言ったら調べてくれて、どうやらポリフェノールがインフルエンザ菌に効果があるみたい。

そのせいかどうか、私と娘は生まれてこのかた(結構長い。笑)インフルエンザに罹ったことがない。毎朝紅茶を飲む。大抵甘いミルクティーにするが、牛乳を切らしているときもあって様々。

だが、毎朝飲む、確かに。その後、出がらしをずっと飲み続けるのだが、別の友人曰く、それは全く効果がないらしい。でも、なんだかもったいないので一日飲む。出かけるときは水筒に入れる。

風邪は多分、年に一度か二度ひく。でも熱が出ない。いや、出るのだけど37度台。38度を越えたことは長い人生の中でも幼児の頃を除けば1,2度くらいしかないと思う。

しかし「熱はいいものなのよ?」と言われてしまう。自然療法などに詳しい人によると、高熱が出ると身体の中の様々なウィルスが死滅して、それこそガン(ガンがウィルス性であるとは思わないが)細胞まで死んでしまうらしい。

なので、度々発熱した方が健康には良いのだそうです。しかし、熱が上がらないのよね。かといって、平熱が特に低いわけでもない。まぁ、高くはないが36.3℃くらい。

リウマチの炎症が燃え盛っていた頃は常に37度くらいあった。低体温があまりよろしくないことは事実だろうが、体温が高い=健康体ってわけではないことが、それでもわかる。

いつでも身体のあちこちが燃え上がっているわけで、その頃の私は体重が今より15kgくらい少なかった。見た目にも痩せていた。確かに寒くて寒くて仕方がなかったし、冷えている実感があった。今は人より少し寒がりな程度になったと思う。

それでも風邪を引いたときに発熱しないよ?と言うと冷えているのだとか、いろいろ言われる。みんな高熱で「浄化作用」が起きているらしいのだ。私は一向に浄化されてなくて、溜ってるかも知れない。うーむ、悲しいぜ。

まぁ、滅多に無いけど風邪の時に体温が38度に近くなると、寒気はするし、嫌な夢を見る。人々が高熱で苦しむのとそっくり。すごく低レベルで同じことが起こるわけだ。これはリウマチに罹患する前もそうだったし、私だけでなく、娘も風邪で熱が出にくい。

とすると、体質というものであろう。それでも幼い頃は身体が弱く、よく高熱を出したらしい。食も極めて細かったので、父は私にバレエを習わせた。食欲も出てずいぶん元気になったみたい。運動って必要なのね。

ちなみに私の二親は風邪というものをほぼ引かなかったなぁ。鼻をかむとか、痰が出るなどということはあったけれど、寝る程の風邪をひかなかった。

老いてそれぞれ脳梗塞や脳血栓を患ったが、80歳までの長い現役生活で、病気で休んだことがない。父は特に町医者をしていたので、自身が病めばたちまち休診だし、唯一の看護婦であった母も同様。

彼等も39度の熱が、なんてことは金輪際無かったと思う。発熱が良いのだって言われても、これは仕方ないよね?でも、ちょっとなんとなく劣等感を持っているわけ。

※画像は湯たんぽ。今年は電気製品を利用していて待機中。

 

2019年01月28日

サプリメントのお値段

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サプリメント、お好きですか?お使いですか?
私は実はサプリメントというやつが、どうも日々の暮らしに馴染まない。置きどころが無い、というか。習慣になりにくい。忘れちゃう。

医者から処方してもらった薬の服薬はそうでもなく、継続している。もっとも、調子が良いと時々うっかり忘れるが、その日のうちには思い出して事無きを得る。時々実際に効果が明確なモノだからだと思う。念のため的な栄養補助服薬はうっかりしやすい。

しかし、サプリメントには効果がちゃんとあるらしく、昨秋訪ねて来てくれた知人にアロエベラを勧められた。調べてみると確かに栄養が豊富で、生野菜をモリモリ食べにくい人や季節などには、抑えの供給源として素晴らしいようだ。

実際、彼女はリウマチと兄弟のような深刻な病気を発症したのだが、初期に整体師に勧められたこれを飲んで(他にもやっていることがあるらしいが)悪化せずに済んでいるという。そこでたって私に教えてくれたという親切。

更に後日、流通経路の問題で手に入れにくいものらしく、貴重な1本を手渡しに再訪してくれた。何ごとにもお金と情熱の続く限りはやぶさかでない私のこと、早速少々調べた上で試してみる。

ちょうどリウマチ薬の長い服薬歴のせいで口内炎口角炎ができやすい時期だった。すぐに効果が現れて、口周辺の粘膜の荒れは治まる。はぁ、これは良いかも?そこで同じような成分で普通に入手できる別製品を探し、1日50mlを目安に2ヶ月飲み続けた。

他にも兼ねてから気になっていた「免疫ミルク」というものもサンプルを取り寄せる。リウマチ、痛み、などのキーワードで検索すると毎度上位に躍り上がって来るものだ。これは相当な広告宣伝費をかけているってことで実効とは関わりがない。だが、気になるなら試してみた方がいい。 

つい最近会った友人には「ナイアシンはどうかしら、調べてみて?」と言われる。彼女はサプリメントを上手に使う人である。調べてみたらリウマチとの関わりはほぼない。(それよりグルコサミンというものが関節破壊を食い止めるのに有効なようだ。)

さてさて、お値段のこと。継続には習慣にすることが大切だけど、継続可能な価格なのかどうか?が私には最も大切。最初に書いたアロエベラ果汁は一日50ml飲用として月に1.5本必要なので5,670円に当たる。まとめ買いすれば4,374円で済みそう。

知人が勧めてくれたブランドのものは会員でないと買えないようだが、ネットでも探し出せてひと月当たりの計算が5,925円となる。まとめ買いすると安くなるのは同様。いずれにせよ、無味無臭なので楽しくはないが辛くない。

免疫ミルクは最少の飲用でひと月8,000円くらいかかりそうだった。美味しくないがひどく不味くもない。これも違うブランドから同様のコンセプトで出ているが、それは試していない。いずれも即効性のあるものでなく、継続してこその価値と言える。

2012年にリウマチを発症して、長い民間虜法ジプシーをやってしまった私が教科書にしていたのが「リウマチ感謝!」という本なのだが、そこにもお勧めのサプリメントが出てくる。もちろん試した。これは最低限でも6,000円程で、本来はもう少しかかるのだった。

本によると相当な効果だったのだが、アメリカ製で粒が巨大なので飲みにくく、更にアメリカ人と私の体質、体格、食習慣の違いなどを考えてしまい、疑い半分になって続かなかった。疑い始めるともう効かない気がする。

そうなのよ!サプリメントが効く人が共通して持っている力がある。それは「プラシーボ効果力」だと思うのだ。 思い込み力とでも言うか。これが高い人には、どんな薬でもサプリメントでもよく効果が現れる。

軍医時代の亡父が、薬が無くなったときに歯磨き粉を「よく効くが大変高価なものなので、いざというときにのみ服用せよ」と言って渡したが、相手は後日その効果を驚いたように報告してきた、と言うのを聞いた。この手の話はよくある。

及ばずながら私だって、プラシーボ力はなかなかのものだと思う。けれど、こと、サプリメントに関しては「ビタミンなどの微量栄養素は真珠の首飾りのようなもの」という丸元淑生氏の文章がしっかり頭に刷り込まれてしまっている。

「真珠の首飾りは、玉のひとつふたつが大き過ぎても小さ過ぎても壊れる原因になる。どれもが必要にして充分な量を摂取すべし」というものだ。この本を20代の真ん中で読んだせいか、刷り込まれてしまっている。とは言え、丸元氏は食道ガンで74歳で亡くなってしまった。

それが短いのか、充分長いのか、死が悪いものだとは思わないし、失敗だとも思わないのだけど。自然食に関わる人々や師匠みたいな人は死因を隠すことが多い。やっぱりその後の人達がビジネス上、都合が悪いんだろうな。

いただいたり取り寄せたサプリメントがちょうど底をついた。ここ数日は医者から処方された薬の服用のみ。サプリメントはひと月5,000円程度でも年間にすると6万円に登る。6万円を何にどう使うか?何も無しでいいのか。これからどーするかなぁ。



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プロフィール

kimuramidore

Kalokalohouseの代表。
仕事は新しい誰かと繋がるため。素敵なおばあちゃん修行中。
ここ数年はリウマチと仲良くつきあっていて、車椅子ユーザーでもあります。