2017年02月16日

ごはんに載せるもの

20170215

結局のところ、私たちはごはんに何か載せて手渡しているんだな。載せて、と言っても岩のりとかわさび漬けとかのことじゃない。ことばにならない何かだ。けれど、すごく大切で必要な何か。栄養満点のもの。

自分でも食事の支度ができそうな男性の友人から、先日の「オトコは馬と一緒だよ」の記事にいいね!や共感やコメントをいただいた。女性だって該当するよ、と言う人もいた。そうだ、私も商売でなくて誰かに作ってもらった食事は格別のものがある。

私がごはんを作らないと文句は言わないが何となくシュンとしてくる、という共働きの妻の感想もあった。彼も作れる人なのに、それでもだ。ふーん、それって愛?とかこっそり呟いてみて、ははは、とひとりで照れる。だが、多分そうなんだ。

娘が育つ頃から、私は母というのは食べもののことでは無かろうか?と仮説を立てた。その理由は、ことばだ。ほぼ世界共通で幼児語の母はマ行。思い当たるでしょう?そして食べることを表現することばにもマ行が多い。私はことばは音から発生するし、音は感情から発生すると考えている。

まみむめも。この湿った音は食べることの根源的な喜びを得た時に、命から生まれでて来る音なんじゃないだろうか?と考えたわけ。私の娘は満足して食べる時「んんん」と喉の奥を鳴らすような音を立てていた時期がある。だからまみむめもにプラス「ん」。

食べること、食べものそれ自体。それに寄り添うように母という立場の人が存在しているんじゃないかしら?と。拒食症が母親との関係性の修正のために発症することをご存知だろうか?様々な理由で、向かいあって食事を摂らないできた少女に多いらしい。

母という存在が食べものを司る人だいう暗黙の認識が私たちの土台にあるとしたら、それはよく理解できる。家庭崩壊という悲しい単語があるが、家庭崩壊の前にはもしかすると、食事風景の崩壊があるのかも知れない。

しかしながら、料理が苦手な女性だって、実は多い。知り合いの家では夫が主に食事を作るのもある。だが、夫の炊事の無い時には(割と頻繁に発生するらしい)妻が有り合わせで食事を賄う。つまり、安全弁としてとして2段階になっている構造で、その安全装置が「母」なのかも知れない。

それはごちそうとかである必要はなくて、多分、命を繋ぐための最低要素を意味する。ただし、確実に手に入ること、それが要なんだ。ああ、そこは私の一番苦手なところで、だから私には母性が不足しているんじゃないか?と悩んだこともあった。

私はほとんどマイブームで動く。お料理モードになっているときには熱心に作るし、研究怠りない。だが、そのブームが過ぎると次のモードに熱中して「定時に必ず納品する」ことが大の苦手だ。それは面白いのだが、家族の安全弁でいる、ということとは別の次元のことだ。

娘が育つ頃は、私は世の男性並みに働きまくっていて、炊飯器に炊いたごはんさえあれば自分でなんとかしてもらう、という時代だった。炊飯器の温かいごはんが安全弁で、それを切らさないことが彼女の私への信頼の綱だったわけだ。

この時代の彼女は、夜遅く帰宅するばかりの私とではなく、おばあちゃんとごはんを食べた記憶の方がずっと多いだろう。家庭は様々な形があるし、いろんな事情がある。けれど一緒に食べる、この人に作ってもらう、という一連の作業が、もしかしたら私たちの愛を伝えている。

そこにはオトコとかオンナとかって無いんだな。ただ、愛を乞う人と伝える人がいる。そしてそれは入れ替わり立ち替わりするんだな。それでいいんだ。バッテリーが充分に充電したなら、乞う人は与える人になるんだろう。与える人も時々は枯れるから、作ってもらえばいい。

食育と言うことばを作ったのは料理家の服部幸應氏だが、食卓の崩壊を危惧しての発案だったのだろう。教育は食卓から、という哲学で、だいぶ浸透したように見受けられる。今日も市井のあちこちで静かに愛は伝わっている。 

2017年02月14日

ギャラリーの人を再びやってみる。

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殆ど2年ぶりにギャラリーの人みたいなことをやる。茅ヶ崎の店舗とギャラリーを閉めるときに、お世話になった人や作家さんたち、心に残っているお客さま達にお手紙を書いた。あの時の私は人生最高(最低?)に痩せて骨と皮ばかりに近くなっていた。

痛みもまだひどかったし、店を閉め、仕事を畳み、大磯へ越すことはいわば蟄居という感覚が強かった。引退ってほどの年でもなく、貯金も全く無かったので目出たいリタイヤメントというより、うら寂しい、身の縮まるような思いだったんだ。

大磯に越して来て、生きることに専念するところから始めたせいか、次第に元気を取り戻し、体重はダイエットを考えるくらいに戻ってしまった。気持良く何もかもを手放したので、これから何をして生きるのか?還暦を目前にまた手探りを始めることになる。

この冬に引っ越した先の二軒隣がオカムラトモタロウ氏の家である。この人はいつも機嫌のいい楽しいお兄さんで陶芸一家の息子。楽しそうにサクサクと器やら陶器の秋刀魚(!)やらを作って、それを教えたりしている。

うちの娘の柄をその器に載せて焼いてみるというコラボレーションを少し前にやって、なかなか評判が良かった。それでボロ家を改装した我が家のお披露目も兼ねて展示をやってみようか、という運びになった。

何もかも手放したと書いたが、カロカロハウスは法人で手放すのに費用と手間が必要だったので、そのままになっている。郵便物のために看板を取り付けたのが昨年の暮れ。看板は瑠璃色の陶器でできていて気に入っており、また挙げるとは思っていなかったので少し感慨があった。

ギャラリーの人は誰でもできる。どんな仕事も実は誰でもできるのと一緒だ。情熱と、それに掛ける時間を注げば。場所だって探せばいい。一番のソースは情熱で、これが枯れてはどんなことも始まらない。私の2年前はそれが枯れつつあった。何もしたいと思わなかったから。

ほぼ引退みたいな寂しさを滲ませた手紙を書いた後、幾人かの方々から返事をいただいた。カロカロハウスとサポネリアの終焉を惜しんで下さる方が多かったが、中に「緑さんは私の仕事をものすごく良く見てくれていた」というご指摘があった。

ああ、確かに私は目なのだな、とその時に再認識した。初歩であろうと中堅であろうと、大御所であろうと、どんな作家も私は認める。そしてその優劣をつける立場にない。カロカロハウスというギャラリーの篩(ふるい)はお客さまだった。私はただの「見る人」だ。

幼い頃の毎週末のギャラリー、美術館、古書店巡りで知らぬ間に培われた目に、スタイリストとして職業的に圧倒的な物量を見て来た目が加わって私の両眼となっている。
好みを云々する以前に、作品の力は力としてそのまま私の目に迫って来る。

私は長いスパンで人と関わるので、作るその人の変化に気づく。その変わり様が面白く愛しい。だから見てくれていた、という感想をいただいたんだろう。そうか、手放した仕事だけれども、私が見続けることで誰かの背中がほんわりと温かくなるのなら、ギャラリーの人も悪くはないな、と思う。

しかし、定期的に続くギャラリーではなく、思いつきで。普段は仕舞屋(しもたや)なので開放していない。この展示は3月3、4、5、6日と翌週の10、11、12、13日のつまり金土日月曜日のみ。11時から17時の開催で土日にはオキナショクドウのランチも楽しめます。

詳しくはもう少し会期が近づいたら、またお知らせします。


 

2017年02月09日

73歳、何か違う。何が違う?

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偶然にお話する機会があって、しばらく談笑した女性が73歳だとおっしゃる。どお?
まぁ、年相応かしら?と微笑みつつアメリカ製のサプリメントの話が進む。いかにその繋がりがもたらしたものが尊いのかを説明してくれた。お金持ちでもあるという。

少しも反論の余地のない話。素晴らしい。そのような諸々の豊かさが手に入ったのが
サプリメントを通じてだという。健康がとても大切だ、と。確かにそうなのだ。そして彼女の健康と富を支えているのがそのサプリメントなのだそうだ。

なるほど、なるほど。私が一向に興味を示さないのが進行上悪かったのかも知れない。でも、無理しても仕方ない。初対面だし、相手はいきなり飛び込んで来た私が難病を抱えているので、自分の知る善きものを分け与えたいと思ってくれたのに相違ない。

けれどその会話の間、私は同じ73歳の友人達を思い浮かべていた。その73歳は、きっと今度の9日(今日だ!)にも茅ヶ崎駅北口のペデストリアンデッキでスタンディングをする。もう何年も9の付く日に憲法9条を守ろう、と意思表示のために立っている。

国会で強行採決などの暴力的なことが起こった時には、そのスタンディングが連日になった。若干の仲間がいるのがうれしいが、2月は寒さも底だ。しかも今日は小雪が舞っている。誰にとっても外に立っているのは辛い。

その妻が企画した「斉藤美奈子さんを茅ヶ崎に呼ぶ会」の講演会に先々週末は行った。東京新聞のコラムで馴染みのある文芸評論家で政治的な舌鋒の鋭い斉藤さんの切り口に興味があったし、なによりも夫を支え、共に活動してきた彼女の企画だったから。

この73歳のカップルに知り合ったのは、私がたったひとりでも脱原発スタンディングをやる!と共通の友人に持ちかけた時だった。ひとりなんかにさせないよ、と彼は言い、実際初回なのに彼の仲間が大勢参加してくれて、私に新しい世界をもたらしてくれた。

この人々の生きる様子が私は好きだ。もうひとり思い浮かぶ73歳は我が家を治してくれた大工さんだ。細くしなやかな姿で、年のせいかやや背は曲がっている。その人がたったひとりで床を剥がし、壁を剥がし、細かな箇所の寸法を計算して仕上げてくれた。

マッチョじゃないのに!年いってるのに!と我が家の外人息子は「日本人の強さはしなやかだ」と驚いていた。この人の仕事ぶりの少年のような熱中が私には美しく映った。どの73歳も善い人々である。でも何かが違う。なんだろう?

先日あった73歳に、健康は大切だけれども、リッチも素敵だけれども、それを燃やして何をなさっていますか?と聞くのは憚れた。「こんな歳でね、生きているだけでいいんですって。シルバー世代じゃなくて、プラチナ世代って言ってもらったのよ。」

もちろんプラチナでもダイヤモンドでも、好きなものに自分を例えていい。けれど、年のことや健康の度合いや富にそんなにたくさんの関心を払う必要はない気がする。残念だけど、健康と富だけでは私は繋がる鍵を持っていないみたいだ。

今、何に夢中なのか?そんな話が聞きたかった。もし、健康や富を外に向けて使ってくれたなら、私はきっと魂が震える程共鳴しただろう。何も社会的なことじゃなくていいんだ。何か情熱を燃やしていれば、或いは何かを心底楽しんでいたなら、多分。

同じサプリメントを飲んでるというのは、そんなに濃い繋がりなのだろうか?どこに友情が生まれるのだろうか?他人にシェアしたいほどの福音なのだろうか?それは私にはまだ分からない世界なんだろうか。そんな73歳と私の好きな73歳達はいったい何が違うんだろう?

私の魂か神さまは、いっとき健康を奪って、私を障がい者という立場に据えた。私は両方を行き来する切符をもらったってわけだ。電動カートなんかいらなくなるわよ、と勧められて会話の輪に入ったのだけれども、私はこの暮らしが今は気に入っている。

いろんなサプリメントや健康法をご伝授いただくけれど、以前のように藁をも縋る気にはなれない。もしかしたらすっかり治って健常者に戻るまでに、何かこの複眼的な視野でしかできないことがあるのかも知れない。

それこそが、私が病によって得る福音で、誰かを助けることができるのかも知れない。そこは分け与えようとしてくれた前述の彼女と同じだ。それは何で、まだ、終わってないよってことなんだろうか。もらった時間に情熱を注ぐと「命」となる、という日野原茂明氏のことばを思い出す。

 

 

2017年02月06日

オトコは馬と一緒だよ。

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すごい表題であります。大変失礼な言い草です。ほんとかよ?
これは昔、愚痴った私を諌めて母が言ったことば。もう少し詳しく言うと「男は美味しいものをお腹いっぱい食べさせるに限る。そうすりゃ、よく働くもんだ。」長兄の学校の学長が言ったのだそうだが。

そんな単純な話なの?「そうさ。言ってみりゃ馬と一緒だよ。餌が良ければよく走るんだ。」わぁ、ざっくりし過ぎていて付いて行けないよ、私。第一、男性一般に失礼じゃないの?しかもウチの夫はもう少し面倒なタイプ。屈折がひどいから、ごはんだけではどうにもならないよ?

「いいや、男は一緒だよ。まず食べもんだよ。」と譲らない。ふーん。本当かなぁ?半信半疑ではあれど、翌日から徒歩2分の仕事場に行く夫にお弁当を持たせることにしたのだった。その後、お弁当を作らなくなってから、彼にはよそに恋人ができたから、もしかしたら的を得た助言だったのかも知れない。

そんなことを思い出したのは、娘の婚姻によって私に初めて息子ができたから。東アフリカの小国で生まれ育った彼は、来日9ヶ月で和食にすっかり馴染んでしまった。もっとも、我が家の家計的制限でお寿司や刺身などのごちそうはあまり食べる機会が無い。

加えて彼はイスラム教徒なので豚肉とその加工品を食べない。職場には食堂があり、定食や麺類が割安で購入できる。だが、メニューが予めわからない上に出汁やスープなどにも豚肉の混入がわかりにくい。そこで我が家で作った弁当を持参する。

現在は仕事の後に日本語学校にも通う。だから、小腹が空いた時間帯のためにおにぎりとスナック菓子も持って行く。その彼を見ていると、母のことばがまんざら嘘っぱちでも無さそうに思えて来るときがある。

帰宅して開口一番、ただいま〜、オベント、オイシカッター。アリガトネ〜。我が家のイントネーション丸写しで謝意を伝えてくれる。黒(茶?)人の彼が秋田伝統工芸の曲げわっぱに詰めた弁当を箸で食べる。職場の人達は興味津々らしい。そうだよね、珍しいもの。

朝早く、お弁当とおにぎり、スナックを携えた息子は原付バイクで職場に通う。終われば近くの公園で一服し、おにぎりを食べて日本語学校に移動だ。全てを終えて帰宅するのは9時を回る。

その疑いもなく一途な日々の過ごし方は、ごはんに代表される家族への信頼に思える。その食事について疑うことが無い。作ってもらう側は献立に文句も言えず、好きでない品目の時にはがっかりするだろうに。

しかし、確かに、こんなふうに食にまつわる男性像というのは、どこか真っすぐでいじらしい。小さな男の子のようだなぁと思うとちょっと胸が一杯になる。そう言えば大工の鎌田さんも手作りのお弁当を持って来てたなぁ。

母の言うことにはひょっとして一理も二理もあったのかも知れない、と半世紀近く過ぎて思う。しかし、この話は男性に尋ねてみたことがない。馬と同じだって?そうかも知れないな、なんて言える男性はいるんだろうか?

それにいくらかの真実が含まれているとしたら、父はずいぶん我慢強いか、嗜好性が少ないか、経済的な馬だった。だって母はおよそ料理が好きでなく、実際フルタイムの看護婦であったから忙しいのだが、買って来た総菜を並べることが多かったんだもの。

おんなじだけ働いて、なぜ私がごはんを作るんだ?と時々は無理もない文句も言っていた。同じ口から「男は...」と出るのは俄に信じられない。本当のところはどうなんですかね? 

kalo_sapo_owner at 18:58コメント(0)食べる繋がり 
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