2016年09月29日

幸せになる方法(掃除)

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時々思う。こんなにたくさんの人々が生きていて、誰もが清潔に身じまいをしている。これって奇跡じゃないか?

もちろん例外はあるけれど、町を歩いていて、すれ違う殆どの人達は清潔だし、清潔な服を身に着けている。そんなことを考えるようになったのは、自分の身じまいが自分ではできないという経験をしたからかも知れない。

リウマチの痛みは、じっとしているだけでも私を苛んで、服を脱ぎ着するために動く関節が否応無しにひどく痛んだ。身体を自分で洗うことは今も全身の15%しかできないから、シャワーの水圧頼み。たまに家族に擦ってもらう。

洗濯物も腕を伸ばすことができないので、干すこと、取り込むことは家族に頼る。一時は顔を洗うことも歯を磨くことすら痛かった。こんな状況では自分を清潔に保つということが難しい。

しかし、清潔でないと痒みや臭いが出てくる。生の代謝は容赦なく病人を攻め込んで来る。それは言い換えれば希望でもあって「何もできなくなったけど、私はまだ生きているんだ」と実感させられた。

少しづつ回復してくるに従って、入浴もそれほどの苦行でなくなったし、顔を痛み無く洗えるようになった。次には日焼けやシミが気になって、美容にまで気持が届く。清潔にすることの意義も幸せも身を以て学ぶことになった。

自分という、唯一与えられた身体を手入れすることは、こんなに健全で素晴らしいことだったのか、と目が覚めるように思う。それを無意識にほとんど全ての人が行っているということは、なんてすごいことなんだろう。

悩んだり、迷ったりしているけれど、みんな根源的なところでは幸せになる方法を知っているってわけじゃないか。素晴らしいな。力強いな。

自分の手入れと共に、幸せになるもうひとつの手入れは自分の周囲。持ち物、部屋、家、庭をきれいにすると気持ちがいい。きれいにできる範囲で暮らすということが、身の丈の秤になるかも知れない。

それも痛感して大きな家から今の住まいに越した。できる範囲は限られているけれど、気づいたら割とすぐきれいにするようになった。自分のことは後回しで生きて来たけれど、病のおかげでちょっとは進歩したらしい。

それでも後回しになりやすいのがキッチンの油の飛沫だった。これはひとつには見えにくいのだ。そして手強い。ところが、夏前に手強さを半減させるものを見つけて試してみたのだが、これは良かった。

洗剤成分が1%と、ものすごく薄くて、泡で出てくるスプレー。2度拭きがいらない。
ささっと拭いて、それで終わる。なんと!簡単な。夜ごはんのフライの後でしっかりやろう、なんて考えては重たくなっていた油の後始末も気負わずにできるようになった。

なんだか重量を感じるなぁと思って、ふと見上げたら、レンジフードが汚れ始めていた、なんて時にも、拭いて終しまい。丸洗いできない箇所にぴったりのアイテムで、水も使わないし、生分解性もよく、植物と糖を栄養として醗酵させた洗浄成分。手肌にもやさしい。

ケチで怠慢なくせに環境も気になる私には、すごい、うれしい製品。力がいらないのもありがたい。ボトルデザインもすっきり悪くない。価格もいい。詰め替えもある。ネットショップでどうぞ。
  

2016年09月26日

こんな仕事は嫌だ。仕事とは、のある結論。

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このところ、ずっと仕事って何だろう?と考えて来て辿り着いたことがいくつかある。仕事とは誰にとっても生き方そのものだということ。私は美しく生きて行きたいという願望が強いのだ、ということ。

搾取はするのもされるのも嫌だし、人としてやりたくないことを、仕事だからという理由ですることが私にはできないのだ、ということ。ああ、そう、ふ〜ん、あなたはそうなんですね?という話だ。そう、極めて個人的な結論。

「仕事」とは普遍的な主題であって、しかし、その中身はごく個人的な主題なんだろうと思う。むしろ、もっともっと仕事が命の使い方に寄り添うような個人的な主題であって欲しい、というような話を聞いた。

数週間前、神奈川県会議員の池田東一郎氏の「出前県政報告会」だった。まだ記憶に新しい、津久井郡の障がい者施設での殺人事件のこと。背筋の寒くなることに、犯人が元職員だというのは知られたところだ。

その職員が施設を辞めるとき「こいつら殺してやる」というような脅し文句を言い放った、ということも知っているかも知れない。施設では、その犯罪宣言を捨ておかなかった。早速、防犯カメラを16台敷設するべく県に予算申請した。いい線行ってる。

だけど、本当に「なぜ?」と思うような仕事ぶりがここで見られてしまう。県の担当者は、そのおびただしい数の防犯カメラ増設の理由を尋ねなかったのだそうだ。施設側も説明しなかった。

仮にそこで「実は、退職した職員の犯罪予告に備えて」という報告があれば、或いは県側も「どうかしたんですか?」という問いがあれば、他の対策も提案もあったかも知れない。だが、ここにはコミュニケーションが無かった。

これを私は人間が疎外された作業、と感じる。どうだろうか?私には、このやり方は人がやるべき仕事とは思えない。ここには心が無い。だが、施設も事前の対策を講じたことにはなるし、県側もはねつけたわけでなく、減点は無いだろう。

でも、重要なことは「事件は起こった」ことだし「殺人は成功してしまった」ことだ。「抵抗できない人が何人も殺された」という事実だ。登場する担当者には、自分のこととして、身内のこととして、心を砕く想像力が決定的に欠けていた。

ここからここまで、と決められた範囲の中で決められた作業をする、それが仕事だ、というようなのを私は仕事だとは考えない。それは作業だ。だけど、その考えは今の日本ではどうやら普通ではないらしい。

私がかつて雇い入れた人達は、みんながそういうものを仕事だと考えていたみたいだった。私は自分の思いは伝えたけれど、やり方についてあまり親切に教えなかった。これが現状だけど、最高のものじゃないから自分で考えてくれ、と頼んだ。

それはいつでも私の本音だ。誰かが参加するなら仕事の出来具合ややり方は変わっていい。踏襲すべきことはハートであって、作業内容や手順ではない。次、何をしたらいいですか?と聞かれて、それを考えて欲しい、と却下した。

私と働くのは難しいと誰もが言った。しかし、不器用な私は人を「使う」ことはできなかった。今だってできない。けれど、仕事を手助けして欲しかった。この経験で、多くの人達は私と仕事観が違うんだな、と知った。

それでも、最後のスタッフだったくどまーに、緑さんに多くのことを教わった、などと言ってもらうと、何か伝わったんだと思う。私のやり方が正しいわけじゃない。それしかできないだけだ。でも、「やる」という行為が重視されて心が伴わないよりマシだ。

仕事とは、命の使い方に他ならないんだとやっとわかった。だからこそ、若かった私はいい仕事がしたい、と意気込んだんだろう。それが何かを知りもせずにね。仕事はここまでだからそれ以上はやらない、なんていうケチな了見は今も昔も私には無いぞ。

2016年09月22日

昨年の旅の友へ

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恵里子ちゃん、お元気ですか?日々、楽しそうにお暮らしの様子をFacebookで拝見しています。一昨日、娘と新しく息子になった青年と、西伊豆に一泊で行ってきました。ちょうど昨年の今頃、恵里子ちゃんと道東旅行をしたのでしたね。

あの時と比べて、私はずいぶん元気になりました。海で泳ぐ若い夫婦の後を追って、ひとりで車椅子で行けるところまで行き、そこから波打ち際までは椅子にもなるステッキをついて行き、しばらくその椅子に腰掛けて潮風に吹かれました。

交代で運転もしました。彼らにそう重大な負担を負わせずに一緒に旅することができたと思います。それに気づくと共に、昨年の私を旅をつきあってくれた恵里子ちゃんは大変だっただろうな、と思いました。

よくぞあの時の私を連れ出してくれましたね!本当にありがとう。できることはわずかだったし、長い睡眠時間が必要だったし、疲れやすかった。広い北海道の移動なのに運転することもできなかった。

あの旅は夢のようなできごとでした。そして恵里子ちゃんは天使でした。重い車椅子を車に載せたり下ろしたり、嫌な顔ひとつもせず、私が楽しめるかどうか事前に浴場に行ってみてくれたり。

あの後、私は編み物を始めました。明るく前向きな気持で秋から冬を過ごし、今に至ることができました。恵里子ちゃんと行った道東の旅の様々な場面が、この一年、心の栄養となって折々私を微笑ませてくれたの。

家族だって面倒な車椅子利用者との旅行。家族のために言い訳すると、大変だ、というだけでないのです。楽しませることを、楽しめるかどうか?も不安だし、彼らの楽しみを犠牲にすることを、私が喜ばないことをわかっているからでもある。

障害のある人と健常な人が共有する何かを持ち、それが同時に叶う条件が揃う、という前提でなければ、旅は苦労ばかりで楽しみの少ないものになってしまう。それをあの時期に買って出てくれたのは、本当うれしかった。

恵里子ちゃんの「困っている人のそばで役に立つ」というお仕事が、見事に生き方に反映されていると思うんです。私がFacebookに知床の画像と町のリンクを貼って「行きたいなぁ」と書いたとき、もちろん行けるなんて思いもしなかった。

あの頃の私は一日の大半をベッドで過ごし、痛みと闘い、トイレの度に立ち上がるのに一苦労している病状の重いリウマチ患者でしたから。

かつてアフリカに旅した際、広い成田空港の中を車椅子を押してもらっている老夫婦を見かけました。そのおふたりは私と同じフライトで、行った先では車で観光するとのこと。車椅子になっても、こんなこともできるんだなとその時思った。

その光景がちらっと脳裏をよぎったけれど、連れがなくてはできないことです。その夢のまた夢を現実に叶えてくれたのは恵里子ちゃんの「行きましょう。私、車椅子押しますよ。」の軽々としたひとことでした。

たくさんの旅をしてきた私ですが、この道東旅行は、これまでのどの旅よりも、意義深いものでした。いわば人生の岐路の明るい方向を、こっちだよ、と照らしてもらった、そんな気がしています。

あれからの一年、新しい家と出会って、その改修をしています。仕事はできる範囲で続け、縫ったり編んだりするという、元々やりたかったことも始めました。もうひとつ別の勉強も始めました。なんという進歩に満ちた一年だったでしょう!

恵里子ちゃんのおかげだと思っています。私も恵理子ちゃんのように誰かのお手伝いができる人になりたい。そのために障がい者であることをいつか卒業したい。

そして障がい者であった経験を何かのお役に立てたい。この頃、そんなふうに思います。そして台風被害のひどかった道東が一日も早く復旧できますように。
 

kalo_sapo_owner at 11:27コメント(0)出かける繋がり 

2016年09月19日

もしかしてすごい?私たちの身体。

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夏が試してみるチャンスですよ〜とブログに書いた布ナプキン。
実は昨日、娘にびっくりするようないい話を聞いた。彼女は昨日友達と会うために東京に行った。大磯の我が家は駅から遠いのもあって2時間近くかかる道のりだ。

生理初日だったし、遠出でもあるのでいつも使っている布ナプキンだけでは心配で高分子吸収体の市販の紙ナプキンも持って行ったが、結局使わずに済んでしまったという。陽のある内は一枚で足りてしまったわけだ。

あれ?そう言えば、最近はずいぶんつるっとスムーズに生理が来てるみたいね?
以前は一週間から長い時では10日前くらいから、もうすぐ生理なのかも?と失礼ながらいくらか情緒的な揺れが目立った。甘いものが欲しいとか、言ってたよね?どこか辛そうだった。

この数ヶ月あっさりと生理を迎えているよね?そうなんだ、布ナプキンは前から紙のものと併用していたけれど、ほとんどを布に切り替えてからは半年。現在は、その期間中いつでも出血しているという感じではなく、トイレに行った時にまとめて排泄している感じだそうだ。

あれ?それって江戸時代の女性もそうだったという、まさに理想のカタチじゃないの?なんだか、友人のひとりがいっとき熱心に調べていたことがある。本も出ているはず。聞いたときにはなるほど、と思ったけど、なんだか極端な行き方な気もした。

昔は今みたいな便利なグッズがなかったけれど、身体がしっかりしていたからわずかな当て布かなにかで生理の数日間の汚れ物が賄えたという話。それは骨盤底筋という筋肉らしくて,意識して鍛えることができるとか、そんなふうなことだった。

けれど、今考えると、特に鍛えなくてもいいのかも知れない。身体というのは賢い。首から上よりずっと賢いかも知れないくらいだ。肌に軽石を当て続けるとその部分が硬化するように、身体は学習する。必要に備える。

布おむつだと濡れた感触がいやだから、排泄後の赤ちゃんは良く泣いて訴える、おむつ離れが早い、そんな話を聞いたことがある。私は元来がケチなので娘はほぼ布おむつで育てた。今から30年近く前は紙オムツは高かったし。

赤ん坊のころの娘は神経質なのか、おしっこが出る前にも泣いた。もちろん出たら出たで大泣きだ。声の大きな人だったので放置もできず、早々に取り替える羽目になった。それが良かったのかどうか?

おむつ離れの頃には、早過ぎるくらいにさっさと取ってしまって、おむつを履かない快適さとお漏らしをした際の気持悪さも経験してもらった。そのせいか、2歳になった夏にはひと月もかからずおむつがいらなくなった。

布おむつや布ナプキンがすごいのではなくて、私たちの身体がすごいのだ、きっと。私たちはもっと身体を信頼していいんだと思う。迷った時、身体が行きたくないという方向には行かない、とか、ひざがそっぽを向いてしまう相手とは付き合わない、とか。

本当に自分で生理の経血をコントロール?できるのか、という辺りは、この方のブログが偏りなくニュートラルな気がする。血は「出ている」のか「出す」のか、という意識の差だという。人生の質がこんなところから大きく違ってきそうな話ではあります。

ひとまず身体に使い捨てでないものを与えたいもの。ネットショップからどうぞ。 

本棚って脳内かも?
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