2009年07月08日

裁判官の人間らしい「傍論」を期待する

       

 棄兵棄民訴訟の弁護団は2009年4月30日、原告第3準備書面において、被告国の立法不作為を咎めて追加主張をしています。「シベリア抑留」という災害に対して十分な補償、賠償の措置を講ずることなく、放置し続けているのは違法だと言うのです。

 つまり憲法上、条理上、抑留被害者に対して国は次のような作為義務を負っているのに何もしていない、これは明らかな立法不作為だと主張するのです。1)抑留による死傷者、行方不明者の調査、把握 2)遺体の確認と埋葬 3)補償、賠償

 更にこの3つが認められるための要件として次を挙げています。要件1、として「人権侵害の重大性」と「根源的価値違反」が未だに放置され侵害され続いていること。要件2、として憲法上、立法解決を図らなければならない作為義務があること。要件3、としてその作為義務違反が明らかであること。

 その判例として、韓国人慰安婦の関釜裁判やハンセン病熊本判決など数例を挙げ、“本事案は悉くそれらに該当し、被告国およびその国会議員としては「シベリア抑留」の被害回復のための補償立法に着手すべき具体的義務を認識しているものと言える“ と主張しています。

 そして結語として、“なお、本年3月24日付けで参議院に対し、戦後強制抑留者特措法案を提出しているが、その内容の貧弱さもさることながら、シベリア各地に抑留された被害者ら約60万人余りは、抑留中に6万人余りが死亡し、被告国が放置してきたこの63年の間に、現在の生存者は、9万人程度にまで減少してしまった。被告国のこの対応の遅さ(不作為)は強い違法性を帯びていると言わざるを得ない。と。

 国を相手に同じような趣旨で最高裁まで争った私は、今回のユニークな主張に敬意を表しつつ、以下のように考えます。

 被告国はこの主張を歯牙にも掛けずに無視することでしょう。一義的な原告の賠償要求をもすべて認めようともしない被告が、二義的な立法上の要求に耳を貸す筈が無いからです。“それを言いたいのであれば法廷ではなく永田町で言え” が彼らの言い分でしょう。

 戦後処理を争う行政裁判で負けを知らない国の姿勢は、「戦後処理問題懇談会」の答申に基づく“個人補償よりも慰謝を・・・・” であり、「シベリア抑留」は「平和祈念事業特別基金」の中へ組み込まれ、今回この事業廃止に伴う方向で粛々と幕引きを図っています。

 即ち被告国とその国会議員はこの方向の立法を採択し、その通りを実施しているのであって不作為のそしりは当たらない、 原告に好ましい法律でないだけのことであり、決して不作為ではないと言うことでしょう。

 内容の貧弱はあれ、抑留者の法案はどんなに悪い条件の下にあっても抑留者自身の手で作るより他ないのが現状です。私たちは最高裁の“これらは司法の判断するところではなく、立法府の裁量による” を手がかりに苦心の末に野党の協力を得て上程し、最後の力を振り絞って補償法案の採決を目指しています。

 因みに貧弱な内容にはそれなりの理由があります。この非情酷薄な国にあっては財源捻出の道はなく、辛うじて「平和祈念事業特別基金」の残資200億を転用しようという窮屈さです。祖国との戦いがいかに凄惨なものであるか、この国では秀でた洞察力が必要です。

 すでに結審を見た今、この主張は争われることなく判決の日を迎えることでしょうが、審理の過程を見れば遺憾ながら裁判官が良い主文を書く予想は乏しいでしょう。画期的な棄兵棄民の証拠がない限り以前の判例を覆すことは至難であると思います。

 裁判官も人の子、せめて僅かでも人間らしい気持ちがあるなれば、主文は棄却でもイラク派兵を憲法違反とした名古屋高裁のように「傍論」の形で立法不作為の違法を示して貰いたい、これがせめてもの司法の良心ではないでしょうか。

                                       




kamakiriikeda at 22:59│Comments(0)TrackBack(0)clip!シベリア抑留 

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