2007年12月31日

三丁目の夕日 のような場所

今日の一言:よいお年をお迎えください。

僕が住んでいる井の頭は、随分さみしくなってはいるが、それでも愛すべき商店街がある。この歳末も、商店街で組んで、歳末大売り出し的なことをやっていました。まるで昭和の商店街。そうです。「三丁目の夕日」のような商店街です。

この商店街で僕が特に好きなのが、鈴木肉屋さん。屋号は違うんだけど。 美男美女の夫婦(といっても結構お年を召されてはいますが)が切り盛りされているのですが、ここのお肉なら全く心配なし。うまい。揚げたてのメンチカツも、うまい。メンチカツが美味しい肉屋さんは、先ず間違いないですよね。

さあ、歳末大売り出しも終わり、昨日までは黒門(といわれる場所があります。この場所では、たまにあるミュージシャン・俳優夫婦がタクシーを舞っている姿を見ることができます)のコインランドリーで、正月の飾り付けを売っていました。もちろん我が家も、29日に購入して、既に正月を迎える準備は整っています。

29日から、家族は群馬の温泉地の実家へ里帰り。僕は広島へ。毎年恒例。家族が離ればなれに年を越すのは、本意ではないのですが、仕方ありません。

「三丁目の夕日」のような商店街のすぐ側にある、我が家も「三丁目の夕日」のような家で、そこで暮らしている私たち家族も「三丁目の夕日」のようと、よく言われます。息子は数年前、近所の幼稚園で「昭和の男」と保母さんにニックネームをつけられていました。

さあ、そんな「三丁目の夕日」の我が家も、正月の飾り付けを終え、家族全員で、里帰り。しばしの別れです。
玄関の扉を閉めようとしたときに、僕が新聞を止めていないことに気づきました。
「新聞止めていかないと」
それを受けて妻が
「電話しましょう、三丁目の朝日に」

朝日新聞の取り次ぎが、三丁目にあるのです。
「三丁目の夕日」から「三丁目の朝日」に電話した、というお話しでした。

来年の準備がよろしいようで。

皆さん、よいお年をお迎えください。

来年は、バンバン、書いて行きます。期待してくださいね。


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2007年10月27日

秋の井の頭公園……唐組、登場

今日の一言:きれいなお姉さんは、器がでかい



秋の終わりの、週末の井の頭公園での出来事です。
井の頭公園といえば、みなさんは神田川の源流の池がある公園を想像されるでしょうが、実は、もっと広く、動物園も、その先のジブリ美術館があるところも井の頭公園なのです。

で、ジブリ美術館のある井の頭公園は、池のある公園の西側にあるので、西園とも呼ばれています。
西園は、さらに二つに分かれます。運動競技場のあるところと、ジブリ美術館があるところ。ジブリ美術館のある広場は「木漏れ日広場」とも呼ばれています。誰が名前をつけたのか。実は、唐十郎なのです。

唐十郎といえば、神出鬼没の赤テント=状況劇場を率いて、全国を風のように飛んでいましたが、今も健在、赤テントは変わらず名前を「唐組」と変えて、あいもかわらぬ面白さで、テント好きを笑わせて、そして泣かせてきました。

あれは10月の中頃だったでしょうか。井の頭公園の西園を、そろそろ、夏の名残の秋の風から、冬の初めの秋の風が吹き始めた頃の週末、小学校2年生の息子とサッカーをするために西園に散歩に出かけたところ、見てしまったのです。木漏れ日広場に忽然と現れた赤テントを。

その赤テントは、木漏れ日公園に、突然現れたにもかかわらず、昔からそこにあるような、妙な佇まいでそこにありました。

私はといえば、昔、花園神社等で見た「新・二都物語」などを思い出し、息子に「唐十郎という人は……」などと説明しても、全く興味なし。早くサッカーがしたいの一点張り。
仕方なく、競技場のスペースへ移動しようかと思って未練がましく、赤テントの方を見やると、テントの側で、浅く椅子に腰掛け、なにやら考え事をしている唐十郎を発見。息子に
「あの人が、唐十郎さんだよ」
と教えると、
椅子に座っていても、きっと、どう見られるか計算している唐十郎さんの佇まいに、息子も惹かれるモノがあったのか、
「有名な人?」
と反応してきました。
「もちろん。有名な人だよ」
と答えると、息子の態度が一変。
「サインもらう」といきなり興味を示してきました。

私は、唐十郎さんって、新宿で殴り合いをした、とか舞台で寺山修司と、やはり殴り合いをした、とか、とにかく殴り合いをする人というイメージがあり、サインとか、してくれるのか……、いや、サインを頼むと「俺はサインなんかしないのだ〜」とか大声を張り上げられてぶん殴られんじゃないか、といった心配が先に立ち、それでも、息子にはいいところを見せなければならず、う〜ん、どうしよう、と悩んでいたら、息子がテントの側にあった前売りを発売する小さな建物にいる、きれいなお姉さんに、「唐十郎さんのサインをいただきたいのですが」と話しかけていた。う〜ん、既にナンパの達人なのか……。

キレイなお姉さんは「たぶん大丈夫だと思うよ」といいながら、息子を唐十郎さんのところへ連れて行き、そしてドド〜ンと、パンフレットにサインをしてくれたのだ。
唐さんは、金色の文字で、ズバッと書いてくれたのでした。

さすが唐十郎は人間が大きい。別の意味で、僕はぶん殴られた思いがした。人間は大きくなくっちゃ。
その時、私は、「サインをもらったのであれば、息子共々、劇を見なければ」と思い、
次の日の演目『眠りオルゴール』のチケットを買うべく、先ほどのキレイなお姉さんがいるチケット売り場に行きました。

しかし、唐十郎の舞台は、私は何度も見ましたし、最高に面白いのですが、さすがに、小学校2年生の息子が見るのはどうなんだ、と心配し、私は、キレイなお姉さんに質問しました。

「息子は、小学校2年生なんですが、見ても大丈夫ですかね」
それに対してキレイなお姉さんは
「子供が見ても大丈夫です。大人が見てもワケわかんないですから」

さすが。キレイなお姉さんも、器の大きな人でした。



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2007年04月06日

半年ぶりに、また書き始めようと思います

1b8c55d8.JPG今日の一言:今年も桜が咲きました

この前のことです。暖冬とか言いながら、なかなか今年は桜が咲かないな、と思いながら近所をあるいていました。このブログのタイトル通り、僕は井の頭公園の近所に住んでいて、井の頭公園は都内でも有数の花見スポットで、たくさんの桜が植わっているのですが、つぼみもまだ固い感じでした。これだと花見のピークは遅くなりそうだな、とか思いながら、散歩をしていたのです。ところが……(「続きを読む」をクリックしてくださいね)
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2006年10月09日

洋服屋を開くのが夢だった

今日の一言:ちなみにジャンパーも和製英語です。欧米ではウインドブレーカー


今の僕を知っているひとには、なかなか信じられないかもしれないけど、僕は、高校生の頃、洋服屋をやるのが夢だった。何しろファッションが好きで、自分なりにおしゃれをしていた。
その頃の僕のファッションは、ivyだ。購読雑誌はメンズクラブ。そのコーナーの「街アイ」と呼ばれていた「街のアイビーリーガーズ」という、今でいう所のファッションチェックのようなコーナーの広島篇に登場したことも2回ある。(僕の故郷は広島です。高校生まで過ごしました。もちろん大好きな街です)
高校の修学旅行ではじめて東京にきた時も、ギンザのテイジンメンズショップに直行。それだけで感動した。当然、高いものは買えないのでハンカチ1枚ほど買って帰った記憶がある。いじらしいな。
当時の僕は、好んでスイングトップと呼ばれたジャンパーを着ていた。ブランドはマクレガー。確か、ジェームスディーンが「理由なき反抗」で着ていて、一気に流行ったように思う。ジェームスディーンは赤いマクレガーのスイングトップだったが、僕はモスグリーンを愛用していた。その下には、イエローとグリーンのアーガイルの薄手のセーター(当時は気取ってプルオーヴァーって呼んでいた。恥!)、ベージュより少しイエローが入ったコッパン(コットンパンツ)を裾16センチのパイプドステム(裾に行くほど、細くなる)にし、リーガルの白に赤い縁が鮮やかだったデッキシューズを履いて、路面電車の走る広島の町を歩いた。
前説が長くなったけど、今回のテーマは、僕がファッションが好きだったという話ではなくて、スイングトップという名前につて、少しお話ししたい。
(「続きを読む」を読んでくださいね)
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2006年10月08日

雨が降る日には……

今日の一言:そりゃわかってるって


秋晴れという言葉があるように、秋は天気が良いイメージがある。が、実は意外と雨が多いのが事実だ。秋雨前線や台風などがその原因。
雨が降ると、個人的に気になることがある。ズボンの裾がぬれるのだ。僕はこのサイトで何回か書いてきたが、ファッションに目覚めたのはアイヴィーファッションの洗礼によってなので、ズボンはやや短めにカットするのが好きだ。が、最近はそうでもないらしく、店員の人の勧めもあり、やや長め(まあ、普通なのでしょうが)にカットするようになった。だから、雨が降ると、裾がぬれてしまう。
が、最近気づいたことがある。まず、右のズボンからぬれるのだ。
これはどういうことだ。(「続きを読む」を読んでくださいね)
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2006年09月13日

夏の音、秋の音

今日の一言:失礼しました

9月も中旬である。夏の終わりというには、もはや遅いか。しかし、数日、暑い日が戻ってくると、ホッとする。僕は、季節の中で、夏が一番好きだ。
井の頭公園の近くに住んでいるので、緑には恵まれている。確かに、暦では秋だが、日中はまだ、公園の木で行ってしまった夏のことを忘れるように、蝉が煩いほどに鳴いている。蝉時雨と強い日の光を浴びていると、まだ、夏はそこにいると感じて、これまたホッとする。しかし……(「続きを読む」に続きます) 続きを読む
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2006年09月12日

続・遥かなるヴェネチア。おそるべし、ビザンチン様式

今日の一言:430円は高いよ。牛乳と合わせて530円

ヴェネチア映画祭のニュースが、数日前にマスコミを賑わしていた。8月の上旬に、家族で行ったイタリア旅行を思い出す。あれからほぼ1ヶ月が経った。まだ1ヶ月しか経っていないのに、随分前のような気がする。
滞在したのはミラノ、ヴェネチア、ローマの3都市(フィレンツェも訪れたが、泊まらなかった)だが、ホテルの選択に関しては、30点くらいしか、自分で評価できない。
ミラノのホテルは、ドゥオーモの目の前にあり、ヘヤも大きく雰囲気もよかったが、いかんせん、メンテナンスがなってなかった。インターネットもつながらず、これにはまいった。
ただしホスピタリティはよかった。でも、値段とクオリティからすれば30点から40点といったところか。
実は、ヴェネチアがひどかった。雰囲気は悪くないのだが、狭い。そして決定的だったのは、部屋に浴槽がなかったことだ。
イタリアではよくあることらしいのだが、こちとら日本人だ(←こちとら、の後は普通、江戸っ子だ、じゃないか?)。湯船にどっぷりとつからないと、風呂に入った気がしない。その日の旅の疲れも、残ってしまうような気がした。
ホスピタリティもそれほどよくはなく、大運河を前にしたテラスレストランも、それほどおいしいものではない。10点。
ヴェネチアは、街自体は素晴らしかったけど、典型的な観光地の、あまりよくないホスピタリティを感じた。
ローマでは、高級ホテル街のホテルにしたので、ある程度満足した。大きな作りではないのだが、ホスピタリティもよく、気持ちよく過ごすことができた。
ローマに入る前に、フィレンツェに寄り、ウフィッツィで、モザイクを駆使したヴィザンチン様式の壁画や、ダ・ヴィンチの絵画等をたくさん見て来たので、ホテルに到着して、部屋に入った時は、お疲れ気味の心と身体が「ヤッター、いいホテルだ」と小躍りした。部屋は大きくきれい。ネットもつながる。そして、広くて清潔なバスタブ……。
レストランも小さかったけど、美味しかったし、愛想のよいフロントのあんちゃんは、カビラ慈英にそっくりで、浅漬けが恋しくなった。75点。(ちょっと辛めの採点です)
いろんなことがあったけど、素敵な夏の旅行だった。
………………
さて、日本に帰ったきた、その日のことである……。
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2006年08月27日

遥かなるヴェネチア。カルチョの国で、見果てぬ夢を

今日の一言:また行きたいな!!


8月の上旬、イタリアに行った。飛行機でミラノに入り、ユーロスターでヴェネチアに移動した。その後、フィレンツェ、ローマと訪れたが、今日お話するのは、ヴェニスに滞在して3日目の夕方の出来事だ。
宿泊していたホテルの前は、大運河。河岸に立つと、向こうに、夕日に染まる教会の大きなドームが見える。運河は夏の夕日を斜めに照り返し、キラリキラリと輝き返してくる。
時が止まる瞬間とは、こういうことだろう。神様が微笑んでいるような景色だった。
夕食まではまだ時間があり、のんびり運河でも眺めながら、テラスでアイスティーでも飲もうとホテルの部屋から出てきたのだが、その時間に眺めた教会があまりにも美しく、渡し舟に乗って礼拝に行くことにした。
手漕ぎの舟に乗ると、また新しい景色が見えてくる。夏のヴェネチアの夕日が運河に映り、河の中の光は渡し舟と太陽を結ぶ光る道になる。太陽まで歩いていけるような錯覚に、一瞬とらわれる。
時間にして数分。太陽の光を空と河に残して、舟は対岸に到着する。
教会の前には、至福の時を味わいながら、たくさんの旅人達が、石畳や階段に座って、話をしたり、川面を見つめたりしていた。彼らを見る私も、彼らと同じように、時を惜しむ旅人の一人だ。
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2006年08月02日

恒例:夏のミステリー 「空飛ぶ少年」

今日の一言:耳から離れない、あのリフレイン……(怖)

去年の夏だった。僕は、関越自動車道を東京方面に向かって車を飛ばしていた。イヤな雰囲気はあった。妙な噂も聞いていた。だから、草津にある妻の実家を夜中の11時に出るのは、いやだった。

先ずは、噂の内容を話そう。
夜中の2時頃。昔でいえば草木も眠る丑三つ時だ。その時間に関越自動車道を走ると、出るらしい。嵐山(らんざん)の10キロくらい群馬寄りの上り車線だ。
少年。しかも時速100キロ以上で飛ばす車に負けるとも劣らないスピードで空を飛び、車を追いかけてくるという。いわゆる都市伝説のひとつか。僕が子どもの頃、口割け女の話が噂され、ティーンエイジャーでさえ、夜中に一人でトイレに行くのは、相当怖かった。もちろん僕もその一人だった。
関越自動車道の「空飛ぶ少年」も、実態のないそのような都市伝説の一つに過ぎないと、思っていた。
なぜ、空飛ぶ少年が現れるのか、いろいろ言われていた。もっともらしいいくつかの説があったが、どれもあまり気分のいい説ではないので、ここでは書かない。
金曜日の会社を休み、土日とつなげて3連休にし、家族で、妻の実家の草津に行った。月曜日も有給を取っていて、4連休にするつもりが、会社の僕のチームが、月曜の朝、クライアントに呼ばれた、という連絡が入った。
いつも、こうだ。家族と楽しい時間を過ごそうとすると、仕事が入る。家族に申し訳ない、という思いで、日曜日は夜遅くまで草津で過ごした。それで出発時間が深夜になったのだ。
草津を12時に出るということは、嵐山通過は丁度2時くらいになるな、と空飛ぶ少年のことがチラリと頭に過ったが、バカバカしい話に行動を左右されるのは愉快ではないので、そのままスタートした。
当然のことながら、道は空いていた。前後を行く車も、すれ違う車もほとんどない。が、安全運転を心掛け、運転を続けた。日本ロマンティック街道を抜け、渋川伊香保インターから関越に入った。
さすがに深夜だ。関越に入ってもやはり車が少ない。空飛ぶ少年のことは考えずに、iPodに入っている夏にふさわしい曲を聞きながら、法定速度を守って、飛ばした。
しばらく走ると、道がほんの少し明るくなった。もうすぐ嵐山のパーキングエリアが近いのだ。時刻は丁度2時。出るとしたら、このあたりだが、特に何もなし。
嵐山を越えた。そこからの関越は、照明設備が整い、明るくなって運転がしやすくなる。
走っているのは、僕の車だけだが、実は、心の中で、ホッとした。出るわけないよな。

iPodの音楽が一回りしたので、ラジオに切り替えた。AMの深夜放送は一体どんなプログラムをやっているのだろうか。
その時である。
ラジオのチューニングが乱れ、風を切るような妙な音が聞こえてきた。最初はラジオからと思ったが、車の左後方からも聞こえてきた。まるで何かが空を飛んでいる音にも聞こえる。確実に近づいてくる。追いついてくる。追いつかれてしまう。アクセルを踏んだが思うほどスピードが伸びない。来た。並んだ。僕の車の左側だ。
既に僕の心は、恐怖に支配されていた。空飛ぶ少年だ。間違いない。左を見るな。前を見て走れ。
しかし、僕は恐怖にこらえ切れず、左を見てしまった。僕がそこで見たものは……(「続きを読む」をクリック!)
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2006年08月01日

楳図かずおに出会ったら in 井の頭公園

今日の一言:「まだ会えないの〜?」「会えません!」

楳図かずおがダントツ一番だ。何がか? それは、僕が生まれてから偶然出会った有名人、というジャンルで。
偶然、という条件が外れると、僕は仕事の関係上、かなりの数の有名人に何度もであっているケースがある。しかし、もしかして仕事で出会った有名人もオッケイとしても、もしかして、僕のこれまでの人生の中で、たくさんの回数遭遇した有名人は、楳図かずおかもしれない。
僕は、高校を卒業して、広島から東京に出てきたが、大学の場所の関係上、高田馬場駅を、頻繁に使用した。その頃、楳図かずおさんも、事務所が馬場にあって、もじゃもじゃ頭に赤白縞々の大きめのTシャツを着て、ブラブラと歩いている楳図さんをよく見かけたものだ。 「今日、馬場で楳図かずお見た!!」とはしゃいでいる人たちと、大学のキャンパスですれ違ったりすると、ふっ、楳図に会ってはしゃいでいるようでは、まだまだだな、などと意味もなく思ったものだ。
そして時は経ち、僕は数年前に、家族と一緒に井の頭公園の近くに引っ越してきた。そしたらまた、会うのである。楳図かずおさんに。井の頭公園の池ににかかる七井橋を歩いていると、向こうから、赤白の横縞のTシャツを着て、相も変わらないもじゃもじゃ頭の楳図さんが、こちらに渡ってくるのである。 それからまた、何度か、井の頭公園内で、楳図さんと遭遇した。この人、公園の中に住んでるんじゃないか、と思うほど。 雑誌などの情報によると、楳図さんも、事務所を引っ越したのか、それとももともと自宅はこちらだったのかわからないんだけど、とにかく井の頭公園の近くに住んでいるということだ。
ま、学生時代からの、根っからの楳図遭遇習慣を持っている僕としては、楳図かずおさんに遭遇しても、それは日常の出来事であり、たまに強い風の日があったりするようなもので、東京で冬に雪が降る以上に、あたりまえのことだった。
しかし、それがそうではなくなった。僕は、ある事情で、どうしても楳図さんに遭遇したくなった。その事情とは……(「続きを読む」をクリックしてくださいね)
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2006年07月02日

オシム氏、代表監督就任に思う。失敗を恐れることはない。怖いのは、そこから何も学ばないことだ

今日の一言:まあ、それもいいか……。

夏至を数日過ぎた早朝。4時過ぎ。夜の闇は既に去り、ジリジリと焦がすような暑さが、そこまで迫っていることを予感させていた。
僕は羽田に向かうタクシーに乗っていた。
タクシーのラジオからは、遥か遠いドイツからの電波が届いていて、既に、決勝リーグへ進むことは絶望的になった日本と、おそらく優勝の可能性が最も高いブラジルの一戦を伝えていた。
抑制の効いたアナウンサーの声と、フランスワールドカップのメンバーであり、この春までJ2で活躍していた小島伸幸氏の、落ちついた解説が、僕の逸る気持ちを何とか落ちつかせてくれていた。
キックオフから34分が過ぎた。それまで、抑制を保っていたアナウンサーが、突然別人になった。玉田が、左サイドの角度の無いところから、ブラジルゴールを突き刺した。
「いけるかもしれない」 僕を含め、日本を応援していた人間が、最後に希望を見た瞬間だった。
夏至を数日過ぎた朝。まだ夜は明けきっておらず、ほんの少しだけ、夜の闇がどこかに残っていた。
その10分後。ロナウド復活のゴールで、全ては終わってしまった。
とほぼ同時に僕の乗ったタクシーは、羽田の第一ターミナルに到着した。夜は完全に去り、全てのことが朝の明るさの中に照らし出された。
日本代表は、とてつもなく弱かったのだ。ワールドカップの地区予選を何とか勝ち抜いたが、そこまでだった。
ワールドカップは、フットボールの最高の舞台である。その舞台に登場するには、日本のサッカーはあまりにも稚拙すぎた。
僕はサッカーの専門家ではないので、技術的なことはわからないが、何より問題なのは、日本の実力は弱いのに、あわよくばベスト4くらい行くんじゃねーの的なノリがあったことだ。それは僕にも言えることだけど、マスメディアも、この現実に意識的ではないにしても、現実を見つめていなかった。今の日本の力を正確に分析し、ワールドカップでグループリーグを通過するには、どうすればいいかという、具体的な戦略とその実行がなされなかった。
話は変わるけど、私の母は、1945年8月15日の朝まで、日本が戦争に負けるなんて、頭に過ったことも無かったそうだ。冷静に考えれば、勝てるはずの無い戦いを進めた。
相性のよさや、偶然が見方し、また、一部の幹部のバカさ加減により、日本は列強だと勘違いしていたのだろう。
日本代表も、アジアで優勝してしまったものだから、強い、と思い込んでしまったのだろう。
そしてオーストラリア戦で、誰しもが感じたはずだ。「日本、弱くないか?」。クロアチア戦でさらに感じたはずだ。「日本、やっぱり弱くないか?」。そしてブラジル戦。日本の実力は、白日の下に晒された。
現実を見ていなかった。だから分析ができるはずもない。日本は、負けるべくして、負けたのだ。
いろいろ話が飛んで、申し訳ないけど、日本人は、現実を見るのが苦手なような気がする。それは僕にも言えることで、今回の敗戦で改めて、気をつけなければいけない、と思った。現実を知らなければ、次へ進めない。だから解決のためのアイデアを出すまでに進めないのだ。それでも、これまでの日本では、そこそこ生きて行けた。右肩上がりの時代は、結構幸せを感じることができた。現実を知り、問題点をピックアップして、その解決のためのアイデアが必要、そういった生き残るための基本的プロセスが必要なかったのだ。
逆に考えれば、日本にも、いや、日本で生きていくためには、そのようなプロセスが必要になったのだ。僕は、今回の代表チームの敗戦は、まさにそのことを告げていたように思う。日本で生きていくには、リアリズムとそこから生まれる想像力が必要なのだ。
僕は今、日本という国が、大きく変わっていく瞬間を体験することになると思う。瞬間といっても数年間くらいの長さだけど。
サッカーとともに、日本という国が変わり、そして僕も変わっていく。しかし、そのためには、一つ、条件がある。それは、代表監督にイビチャ・オシムを迎えることだ。
以上が、ブラジル戦直後に書いた文章。その後、僕は妻からの電話で、川淵キャプテンが、オシム氏に代表監督をお願いする意向がある、ということを聞いた。
あまりフェアではない川淵氏の発言で、ああいうやり方は許されるべきではないが、彼の口からこぼれ出た言葉がオシムだったので、取りあえずよしとしよう。これで、日本サッカーは、やっとまともに前に進むことができるのだ。
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2006年06月05日

村上ファンドの代表逮捕。走るチャンスだけど、それは内緒

今日の一言:本当に悪いヤツは、政治家と官僚と銀行だ、とみんな気づかないでくださいね

村上ファンドの代表がインサイダー取引の容疑者になり、いろんなマスコミが加熱報道している。特に、ニッポン放送やフジテレビは、気持ち批判色が強い気がする。 インサイダー取引はよくないですよ、確かに。しかし、もっと悪いヤツはいるんじゃないでしょうか。どうして、彼が批判にさらされるのか。それは、彼も逮捕前の記者会見で言ってましたが……
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2006年05月19日

乗り物酔い……ゴールデンウイークの想い出

今日の一言:「ある種、乗り物の原点かもしれない」

ちょっと古い話題ですが、ゴールデンウイークの話題です。僕は3日から日曜日まで、草津温泉ですごしました。家族の実家があるので、毎年の恒例になっています。
「泉質主義」を掲げる草津温泉は、実際、湯の力が強く、心と体に好影響を与えてくれます。 家族と行ったので、息子のリクエストに応えなければなりません。つまり温泉ばかりにつかっていられるわけではなく、ダッチオーブンで料理したり、温水プールに連れていったりと、それはそれで、いろいろ行事がありました。
5日のことだったと思います。草津を降りて、隣の六合村というところに、鱒を釣りに行こう(釣り堀ですが)ということになりました。
当然ですが、その日、草津へアクセスする道は、車でいっぱいです。特に長野原から大津を経由するメインの道路は、大津の交差点を超えて上り坂になってすぐ、渋滞が発生していました。
草津へのアクセスできる道は、3つあります。私たちが六合村に行く道に選んだのは、その中でも最もマイナーな、林道を選びました。
ザスパ草津の練習グラウンドでもある、小雨グランドの近くを通る林道です。
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2006年05月16日

ワールドカップ代表メンバー発表

今日の一言:「あの、ボックスダンスのステップを想い出してしまった」

前回の話題が、トリノオリンピックだったので、今回はサッカー(←跳びすぎ?)。今日、ワールドカップの日本代表のメンバーが決まった。僕は、サッカーは好きだけど、詳しくないし、ましてや専門家でもなく、代表のメンバーの全員の名前と顔が一致するわけでもない。
それでも、今日(15日)の代表メンバーの発表で、ワールドカップ予選突破への一筋の光明を見た(えらそうだけど、許してね)。
それは、フォワードのメンバーに、巻選手が選ばれたことだ。
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2006年05月10日

今さらながら、トリノオリンピックのスノーボードクロスは面白かったなぁ

今日の一言:「オリンピックらしくない競技だけど、僕は好き」

5回続いた温泉シリーズも終わり(って、ネタが無くなっただけでなのですが)、桜通信(通信というほどの回数もアップできなかったのですが)……。反省しております。

今年はサラリーマンには休みでがあったゴールデンウイークも終わり。始まるのは、梅雨ですよ、梅雨。時の流れは早いなあ。
僕は、今回のゴールデンウイークは、草津温泉に行きました。小学校1年生の子供のために、今回はいろいろ頑張りました。温水プール、釣り、炭で火をおこしてダッチオーブンで料理……。僕も楽しかったっと。
えっと、そこで(どこで?)今日は、寒かった冬を思い出し(なぜ?→今回の文章は、実はトリノ冬季オリンピックをやっていたころ、構成を考えたのです。だから冬のネタなのです)

息子はも7歳。もちろん平成の生まれですが、その三丁目の夕日的行動や言動、またから、昭和の男、との称号を卒業した幼稚園の保母さんやお母さんがたからいただいている。
その昭和の男が、最近、『水戸黄門』なのだ。まさに昭和の男の面目躍如である。もともと、おじいちゃんおばあちゃんが大好きだから、黄門様も息子に優しいお年寄りの一人くらいに感じていたのだろうか。
「この紋所が目に入らぬか」とか「♪じーんせい、ラクありゃ♪」なんて歌っています。
そんな昭和の男も、トリノオリンピック(いやー、時間の飛び方が強引だな、こりゃ)の荒川選手の活躍には感動していた。
それにしても、あまり見どころがなかったオリンピックでしたね(って、今、トリノのことを話題にしていることの方が、読みどころ無い感じもしないでもないが……もう、ワールドカップだよな)。荒川静の金メダルと、カーリングは脚光を浴びましたね。
あっ、忘れてました。スノーボードクロス。これはエキサイティングでしたね。もう一度みたい。
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2006年05月08日

今さらながら、井の頭公園桜通信第3号

058c9555.JPG今日の一言:終わったら、ほっとした

桜の季節が終わってしまった。井の頭公園の近所に引っ越して、三回目の桜だった。 冬が厳しく、しかし意外に桜は早く。公園の桜の蕾が膨らみはじめたのを発見したときは待ち焦がれた春の訪れの前兆に、心を踊らせた。
早かった分、桜の季節も四月に入ればすぐ終わるのだろうな、と、軽く覚悟をしていたが、これもまた意外に気温が低い日もあり、四月の中旬まで楽しむことができた。
寒すぎた冬の、季節からのお返しかもしれない。
今日の写真は、もっとも盛りの頃の井の頭公園。あれから一ヶ月の時が流れました。
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2006年03月29日

井の頭公園 桜ニュース〈28日)

8970e247.JPG今日の一言:どうか長持ちを……

perikoさん、すまん。レポートをアップできない間に、東京ではかなりの開花状況になってしまった。
写真は28日の井の頭公園。
かなりいい感じになってきました。昨日の雨で、どれくらい落ちたかな?
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2006年03月14日

井の頭公園 桜ニュース(13日の状況)

c1ef909c.JPG今日の一言:「特別バージョンなので、オチはなし」」

温泉シリーズもひとまず終わり。今日からは、きまぐれに井の頭公園の桜状況をお伝えします。
これは、友だちがやってるブログ「periko!s Cafe」
http://blog.goo.ne.jp/periko2
に、昨日の井の頭公園の桜を見て写真を撮った模様が出ていたので、であれば、近所に住んでいる私がレポートしましょう。ということで、この季節の特別エディション。井の頭公園の桜ニュースを、できるだけ毎日、お送りします。
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2006年03月12日

きき温泉

b47b1484.jpg今日の一言:「『このワイン、ボルドー?』って、焼酎のカシスジュース割りなんだけど」

(本文は、数年、いや十数年?前の記憶を元に記述しています)

「秋の夕暮れの林の中を、ゆっくりと歩きながら、林の木陰の向こうにたまに見える夕日のよう」「真夏の夜中。石畳はまだ昼の太陽の熱を抱いている。その熱にほだされて戯れる男女のよう」……さて、分けのわからぬ文章を書いていますが、これはワインを飲んで、味わい、直後の評価をするときのまねをしたのであります。その道の人たちはこんな文章というか語り口でされることもあるそうだ。
僕は、ワインは温めて、スキー場のヒュッテなどで飲んだ体を温めるものと思っている無粋な人間なので、ワインの評価は、うまいか、それほどうまくないか、くらいしか分類できない。したり顔でワインを語るヤツとは、あまり仲良くはなれないだろうな、となどと思う。もちろん、しっかりワインを学んで、それをカッコよく楽しんでいる人もたくさんいらっしゃることは承知している。そうではなくって、単にカッコつけているだけのヤツとは、酒は飲みたくない、ということだ。
ただし、きき酒は好きで、いくつかの種類の酒を、それぞれの個性を楽しみながらやるのは、結構楽しい。銘柄を当てることなど、まずできないが。
さて、温泉の話である。
温泉を巡りながら、きき酒ならぬ、きき温泉のようなことをやる輩(やから)と遭遇した。きき温泉ですよ、きき温泉……。
温泉にどっぷりつかりながら、皮膚や体で、どのようにお湯を感じるか、それを語り合うのである。
ということで、何と、5回連続、温泉の話題に突入します。
本日の舞台となる温泉は、北温泉。那須温泉郷を抜け、さらにボルケイノハイウエイをつづらにのぼって行く。景色は典型的な火山の裾野。あまり高い木はなく、溶岩が散在し、熊笹などの低い木が頑張って繁っている。てっぺんまで上りつめ、少し下ったところで左のわき道に入る。道が終わると、そこに車を止めて、渓谷の崖を伝わる細い道を、谷に向けて降りる。すると見えてくる。この温泉を象徴する大きな露天風呂のプール。木造3階建ての、和風のハウルの動く城のような建物。知る人ぞ知る、秘湯・北温泉である。

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2006年02月07日

伊豆の踊り子

今日の一言:「♪暮れなずむ街の〜、光と影の中♪……」

4回連続温泉ネタである。1回目は草津温泉。2回目は伊豆の大滝温泉。3回目は岩手県は松川温泉。そして今回は、2回目に近い、伊豆は天城の温泉が舞台になる。
僕が大学生だった頃の話である。専門は地理学だった。4年のゼミで、伊豆は天城のある温泉で、恒例のゼミ合宿が行われた。
その宿は、川端康成が逗留し、名作『伊豆の踊子』を執筆した宿で、当時大学生で、旅館の風情など全くわからない僕たちでも「本当に伊豆の踊子がいそうだよな」と思うほどの雰囲気があった。
というより、その番、私たちは、実際、伊豆の踊子に会うことになる。
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