腰をやってしまいました・・・・
建築の時の無理がたたり、癖になっているぎっくり腰が再度・・・
今は、腰が痛くて、座っているのも億劫な状態なので、こんな時なんでブログ更新をしておこうと・・
先程、以前からお世話になっているクライアントが来社されました。
その時の内容が今後の事業展開についてですが、その話をしていました。
その内容が、ちょっと資金が必要になり、コスト高でありながら危険も伴うので、難色を示されていました。
まあ、まだまだ先の話ではあるんですが、追々準備が整ったら、ブログでも発表したいと思います。
どんな事に難色を示されているのかというと、ある種のギャンブル的要素になってしまう部分ですね。
勝算が低いギャンブルです。
勿論、その確立によって「やる・やらない」を決定するのは当然の事だと思います。
特に私の場合、勝算が低い勝負に打って出ようとする事がとても多いのですが、今回は今まで以上にハイリスクな事に難色を示されているそうです。
といっても、心配して頂けるだけでもありがたいことですよね。
私の一連の行動を見ていると、人生の綱渡りをしているように見えるそうです。
しかも、ふらふらな状態で・・・w
「その考えがどうしても解らない、どうしたらそういう博打的な考えになるのか理解に苦しむ・・・」といった感じでしょうか?
これはよく言われ、今に始まった事ではありません。
そもそも安定した場所というか収入というか、そういったものを手に入れようとした事は、あまり考えてないというか・・・
そもそも起業そのものが、リスクを伴うものだと考えていますし。
嫌ならサラリーマンやって、雇用される側に回ればいい訳ですし。
振り返って考えてみると、安定というのは無縁の生活だったような気がします。
正確には、「心の安定」です。
収入を会社に依存すれば、起業よりも収入が安定する事で心が安らげますが、それでも絶対なんてものは無いと思っています。
私の考えは、むしろ「サラリーマンでいる事を良し」として、未来永劫この幸せが続いていくと考える事が、リスクを伴うと考えています。
よく50代の方は、この世代になると会社から段々と肩たたきにあうので、自分にしかやれない仕事の進め方や人脈を形成していくと言われます。
ようは、保険のようなものですね。
「切っても良いけど、仕事回らなくなると思うけど、平気?」って感じのやつです。
結構、こういうやり方されている方多いのではないでしょうか?
これが出来ない人になると、会社側はコストの低い人材(20代~30代)を起用して、今まで行っていた業務を行います。
会社側からすれば、ライニングコストを抑えることが出来るので、良いことでしょう。
その結果として肩たたきをする・・・というのが、一般的な流れなんでしょうね。
でも、全ての人がとは言いませんが、ごく一部には、自分が肩たたきされる可能性があるにもかかわらず、そんな事気にせず、人材育成に力を注いで、若手に自分のノウハウを惜しみなく出して、会社の為になるならば・・・と頑張っている人もいる事は確かです。
こういった方達がいて、今日の会社があることも、出来れば忘れないで欲しい。
できれば、会社側でセーフティーネットを設けて欲しい等とも個人的には考えてしまいますが・・・w
経営者側も勿論、切りたくて切っている訳ではないと思いますので、とても難しい問題ではありますよね・・・
成果主義ばかりが顕著に現れるのは良いけど、どの点にポイントを挙げているのでしょうか? 営業利益のみ?
「原因があって結果がある」という事は、考えるべきだと感じています。
で、ここからは、「なぜ私が風俗営業を始めたのか?第二弾」ということで、私的な部分のみにスポットを当てて話をします。
正確には、「リスクを負う選択をしたのか?」ですね。
・上記で述べられているように会社に依存する人生が怖いと感じたから。
・借金の返済金額が、自分のキャパを完全に超えていたので、このまま黙っていれば、破産しかないと感じていたから。
・自分の決定を反映させたいと感じていたから。
・経営しなければ勉強できない事が、そこにあると感じたから。
この点が私的なものですね。
私は、バブルというのは知りませんし、味わった事もありません。
話は聞きますが、それは過去の産物だと感じていて、その絶対的な価値観を変えなければ、この先厳しいだろう・・・と当初より感じていました。
というのも、仕事ではバブル世代の方が上司だったので、不景気といわれる現在と比べ、両面を離れた場所から客観的に見ることが出来た事が良かったかもしれません。
そして、バブルを味わった事ない世代だから、変化がしやすいというものあります。
上司はこう言うけど、「これからは変わっていくだろうな・・・きっと今までのやり方では通用しなくなる。」と当初より心の中で感じていました。
それは、「売れて仕方ない」という価値観でいつまでもいれば、問題の本質そのものが見えなくなる事もあると感じていたからでした。
だからこそ、「売れないからどうすればいいのだろう?」と考える価値観へ、一早くチェンジする必要があると、当時から感じていました。
いまでこそ、市場そのものが縮小しているように誰もが感じているので、不景気が当たり前の事のようですが、私が若い頃は、そうでもなかったような雰囲気がありましたね。
バブルはじけて間もないというのもあるのかもしれませんが、「なんとかなるでしょ?的な・・・」そういう雰囲気がありました。
その考えが怖い。
会社は営業利益が上向かなければ、会社はまず手始めに、保養所等の資産売却を行うと思います。
その次に、生産コストを削減ですよね。仕入れコストやら、設備の見直し等々。
その中には、人材コストも含まれていますよね。
更に削減するようになれば、不要な人材のカット。まあ、当然の流れですよね。
会社は株価を、絶対的に気にしますからね。
これが必ず来ると感じていました。
なので、「いつも怖いと感じながら仕事をしなくてはいけない」というのが、嫌だった。というのもあります。
会社の一歯車で得た知識が、限定的であればあるほど、会社に依存する人生になります。
それは独立するにも、他の会社に行くにも、その会社でしか通用しない事しか学んでいないのだから。
そうなれば、リストラ対象に選ばれないように、他の人を蹴落とす人生になってしまうと思います。
それが良いとか悪いとかではなく、びくついた人生は、まっぴらだと感じていました。
次に借金。
これはね・・・・自分が作った借金でもなんでもないんですが、名義は自分なんですよね・・・・
おおよそ1500万程度ですが、普通に生活しているサラリーマンが、住宅ローンや車のローン等、その他ローンを抱えている他にこの金額だと、返済は厳しいです。
借りたのもキャッシングですもん。金利の高さは、結構なものですよ。
毎月70万~80万程度無ければ、生活が成り立たないと感じていました。
その時の会社では、その金額は到底手が及ばなかったです。
返済だけで、毎月何十万て振り込まなければならないですし、しかも長期間に渡っての返済です。
このままいけば、破産し、住宅も取られるので、全てが振り出しに戻ってしまうという恐怖感がありました。
正直、この当時は気が変になりそうなぐらいに、その原因を作った人間を許せないと感じていましたよ。
でも、悩んでも恨んでも、何も変わらないどころか、悪くなる一方だったんですね。
どうせ指をくわえてまっていても、破産するのは目に見えていましたし、「だったら勝負しよう!」と考えていました。
しかし、勝算の低い勝負ではあるので、回りは大反対。
「絶対にお前には無理だって!やめとけって!!」と散々言われました。
そりゃそうですよね、やった事ない勝負ですもん。
でも、誰でも最初はやったことないですよね?経験を自分で詰めば良いだけですよね?
無理だというのなら、じゃあ、いつなら勝負してもいいんですかね?下地が出来ればできるで、「今は不景気だから・・・」と言うんでしょ?
景気がよくなっても、「経験が足りないから。」と言うんでしょ?
どの経験ならいいんですか?そんな風に感じていました。
いつの時代だって、理由をつけては、何もしない「無難」を選ぶようにする人はいます。
難の無い人生は、自分にとってプラスなんでしょうか?自分を大きくさせてくれるものなんでしょうか?
私は、一年一年少しづつでも前進して、大きく学ぶ人生でありたいと考えていますし、そうしなければ、きっともっと大きな恐怖がやってくると考えています。
そんな運なんかに、自分の人生を任せるのは、正直嫌です。
そんな思いが強かったというのがあります。正確には臆病者だったんでしょうね。
とはいえ、そうそう批判的な意見をしない広告代理店の社長から、「結構無理あるよね・・・」って言われた時には、正直怖かったのもありますw
そして、自己破産によって失うもの。それは住宅ですね。
「家」というものに対する私の思いは、自分の幼少時代の記憶からすれば、当然重くもなります。
「帰る家が無い」と感じていた時から、「変えれる家がある」と感じられる事は、大変大きなことです。
その家を、やっとの思いで26歳の時に購入したので、破産なんて考えたくも無いと感じていました。
家が無くなる事への恐怖というのは、その当時は相当なものでした。今でこそ、仏法を学んで、その様な執着は薄れたようにも感じますが・・・
「ま、駄目ならいいか。」って感じです。
とはいえ、これが「破産だけは絶対にしたくない」と考えていた要因です。
次に、ステージを変えて見える世界を変えること。
これがやりたいのは、人間としての成長を望んでいるからです。
多くの経験を経て、年を重ねた方には、言葉に深みがあり、かっこいいと感じています。
若い時には無い「深さ」がかっこよく見えるし、純粋に憧れます。
どんなに成功した人でも、一方的な見方をしている人もいます。
偏見ばかりではなく、物事を柔軟に捉えて、心静かに相手の意見を聞き、尊重できる人は、どんな立場であれ、かっこいいなーっていう憧れですね。
それが私の場合、たまたま社長業を行っている人に多かったというのが、そのきっかけです。
どんなものにも憧れってありますよね。
例えば、サーフィンでも、ライダーでも、お笑い芸人でも、その辺にいる人でも「かっこいいなー・・・あんなふうになりたい。」とか。
漠然とした憧れた人間に、少しでも近づきたいというのが、私にはあります。
女性でもかっこいい人いましたね。
どことは言いませんが、生命保険の役職付いている方とお話をする機会を頂きました。
その方の仕事や日々の生活に対する姿勢が、あまりにかっこよくて、女性でもかっこいい人いるんだなーって思って、憧れていました。
風俗の他店舗にもいました。
実際に私が憧れていた女性の一人は、風俗店の経営者でした。
正直ファンのような憧れ方で、一度お会いしてみたいと思っていましたが、その当時、芸能人を見るような感じだったので、「遠目で眺めているだけでもいい。」とスタッフに言ったところ、「それは会いに行ったほうが良いよ」と言われた事もありました。
それは、私がファン過ぎてって事なんですけどね。
性別、年代を超えて、一生懸命何かを得ようと努めている人は「かっこいい。」この一言に尽きるというのが、私の考えです。
そんな人間になりたいという気持ちが、突き動かしているかもしれません。
追い込まれる状況を作り出し、早急に手を打たなければ潰れてしまうと感じる事ができれば、どんな人間であっても、何かしら手立てを考えます。
そして、やっきになり、物事を解決出来る様に努力します。
今、自分が置かれている環境を考えてみて下さい。
そこは安定していますか?崖から落ちる手前ですか?
安定しているのであれば、安定を望むでしょうね。これは当たり前の事です。
崖に落ちそうなら、安定は考えられない程、追い込まれているでしょうね。だから、リスクをリスクと考えられないぐらいになっていると思います。
ここまで追い込まれたら、無茶もするでしょう。当然のことだと思います。
現在の自分の立ち位置で、考え方は変化します。
どちらが正しいのではなく。
人生は一度きりなので、勝率を限りなく上げる努力をしながら、自分の置かれた環境を見て、物事を決定すればいいと思います。
私は結果としてこれで、わずか数年で借金を全額返済しました。
そして、今は、自分にとって原動力になる違う物を探して、目標を立てて頑張っています。
腰が上がらないなら、腰を上げられる物を作ればいい。それすら解らないなら、憧れる人間像を思い描けばいい。
例え、めちゃくちゃな事であっても、その時行った努力は、決して無駄にならないと思います。
失敗からでないと学べない「現場の生の経験」があります。
これを知っているのとそうでないのでは、絶対的な違いがあり、結果あげている人は、これの繰り返しでしかないと感じています。
「成功するまで諦めない、コツコツと泥臭い努力は、絶対に必要」だと感じています。
私が風俗営業(起業)を始めたには、このような要因がありました。
まずは小資本でやれる事、ライニングコストを削減する方法を思いつくこと。
その分野を調査し、何回もシュミレーションをする事。
私の知り合いには、車好きが功を奏して、今では車のアナウンサー??っていうのかな?それを会社を経営しながらしています。
当時の事を知る私からすれば、知り合いも一度全てを失い、どのように生きていけば良いのか解らない状態までなっていました。
そこから、ここまで大きく飛躍させました。
本当に尊敬します。
周りに刺激的な人を多く作り、ワクワクしながら仕事したいと感じられる環境を作る出す事は、とても大切なので、是非実践してみてください。
最後に、ネガティブな意見ばかりを見たり聞いていたりすると、中毒性があるので危険です。
知らず知らずの内に、あなたはネガティブな意見に考えを支配されてしまいます。
だから、その様に意見や人には、極力「見ない・聞かない・会わない」ようにしたほうが良いと思います。
私はネット上等の意見でネガティブな事は、意識的に見ないようにしています。
聖人であればあるほど、相手との議論を避け、相手の意見を尊重し、気分を害しません。
「議論に勝つ」という事は、相手には不快な思いを与え、本当の意味での勝利ではないと私は考えています。