2008年03月17日

日宋貿易

日本の平安時代は、お隣中国「宋」の時代。明州や泉州には
ペルシャ(大食)の商人(蕃商)が西アジアや東アフリカから
集めた「金・銀・陶磁器・絹・綿・綾・砂糖・鉄・酒・米・薬草」
などの物資が集まり、交易されていた。

世界の先進国ペルシャの商人は、海のラクダとして現在も使用
されている大型帆船「ダウ船」を操り、南部アフリカ・ジンバブエ
共和国にも足跡を残し、「金・象牙・犀角・真珠・香料」などを
宋国にもたらし、中国製陶磁器・西アジアのガラス製品やペルシャ
の産物をジンバブエにもたらした。奥州藤原・平泉金色堂で
用いられているアフリカ象の象牙や、薬用だった犀の角の出所は、
ジンバブエだった可能性が高い。奥州平泉を建設した藤原清衡を
はじめとする一族は、こうした貿易事情=世界認識を持っていた
だろう。

菅原道真による遣唐使の中止や唐の滅亡によって、国同士の貿易
は中断していたが、新羅や渤海の商人を通じての密貿易は続いて
いた。その中で瀬戸内の制海権を掌握したのが、平清盛の祖父・正盛
と、父・忠盛だった。日宋密貿易で巨利を得た平氏は、白河院や
鳥羽院に取り入り、忠盛は正四位を得て貴族となり、昇殿を許される
までになった。

平清盛が太宰の大弐(大宰府長官)に任官されて筑紫国に赴いた時、
信任を得たのは、松浦党の祖・源久の7男・高俊だった。高俊は
密貿易に手腕をふるい、この絆によって松浦党が平家水軍の
中核になってゆくのである。平清盛も藤原秀衡も、国を構想する
土台になっていたのは、貿易による経済発展だった。


kame3328 at 22:10│Comments(6)TrackBack(0) 歴史・幕末 

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この記事へのコメント

1. Posted by yuki*   2008年03月18日 08:15
あ!松浦党!
貿易かぁ、、海の道。海の歴史。
歴史の奥深さ、また面白さ。
温故知新。
2. Posted by 亀松   2008年03月18日 16:22
YUKI姉>海洋民族と騎馬民族では、ものの考え方が根本から違うみたいです。その辺から個人の「縁」とか「相性」も生じてくるのでしょうね。
3. Posted by 瑞閏   2008年03月18日 20:20
水軍のお話は大好きでございます。
ロマンが広がりますね。

私の母方は渡辺姓で家紋が三つ星に一なのですが、
松浦党の祖の渡辺源氏も同紋なので、
お、もしや源融と親戚か!?、などと
夢想しております(笑)。
4. Posted by 亀松   2008年03月18日 22:26
瑞閏さん>うちの母方も新潟で海賊やっていたという伝承のある「渡辺」です(^^;) 三ッ星に一というと、毛利・小早川・吉川に連なる感じなんでしょうか? いずれ松浦党も書きます!!
5. Posted by 石山みずか   2008年12月15日 07:25
ジンバブエの宋陶器に関して
平清盛の繁栄も加えて良く分かりました。
遣唐使の事績は歴史書にも残されていますが
藤原秀衡の交易に関しては、大陸側の史書などで確認できるようなことはあるのでしょうか。アラブや宋や渤海などでしょうか。
6. Posted by 亀松   2008年12月15日 16:16
石山さん>奥州藤原の交易資料はあまりパッとしたものがないですねー・・・学者は推測でものが言えないのかもしれませんが、事実から推理していくしかないと思います。たとえば初代清衡が「宋版一切経」を10万両で輸入しているのですが、このお経、原則として国外への持ち出し禁止なんです。つまりその原則を曲げさせる中国側の高僧・政治家・有力商人などに、賄賂を含む十分な根回しが出来る組織があっただろう・・とか・・・渤海は縄文の昔からアイヌを含む北方交易として調べてゆくしかないです。渤海使は奈良時代の資料ですね。

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