2011年02月01日
羽田大鳥居の怪
江戸・文政年間(1818~29)の頃、村の名主・鈴木弥五衛門は
多摩川河口の砂州「要島」の新田開発に着手した。工事の際、堤に
小さな稲荷の祠を祀って安全を祈願した。そのせいか堤は決壊せず、
新田は水害を免れた。稲荷の化身である白い狐を見たという目撃談
もあり、祠は穴守稲荷神社と呼ばれることになった。
時は流れ昭和6(1931)年、穴守稲荷一帯の土地は東京飛行場へと
変貌していた。このため太平洋戦争では攻撃目標となり、昭和20年
4月、穴守稲荷社務所に爆弾が命中。宮司が死亡し、御神体は移動。
穴守稲荷は閉鎖された。
昭和20(1945)年9月13日、東京飛行場は米軍が接収し、ハネダ
エアベースになった。付近住民には強制立ち退き命令が出され、穴守
稲荷のコンクリート製一の鳥居撤去の工事も始まった。だが鳥居の上
で作業をしていた米兵3人が、突然足を滑らせて落下。1人死亡2人
重傷という事故が起きた。
再度、黒人工兵による鳥居撤収工事を行ったが、隊員の一人が機械の
操作を誤り、身体を挟まれて惨死。工事は中断となった。そこで米軍
は日本人の土建業者を募り、高額報酬を約束した。ところが工事直前
になって、作業員に怪我人やら原因不明の発作に襲われる者が続出し、
請け負った業者も倒産してしまう。これで鳥居撤収工事は中断したまま
になった。
飛行場は米第808建設部隊によって行われ、昭和21年6月に無事
工事を完了させた。昭和26年8月、日本航空発足。日航機・もく星号
の東京・札幌間試験飛行が行われた。11月には空港内に国内線用
ターミナルビルが完成した。だが翌年4月9日、もく星号は羽田空港
離陸直後に消息を絶ち、伊豆大島・三原山でバラバラの機体が発見
された。死者37名。
昭和37(1962)年、空港ターミナルビル拡張問題で、中断していた
大鳥居撤去問題が持ち上がった。その直後、藤田航空のデ・ハビランド
ヘロン機が八丈島空港離陸後、乱気流に巻き込まれて墜落、
死者19名。航空関係者の間で「大鳥居の呪いでは?」という噂が
囁かれ始めた。
昭和41(1966)年、佐藤栄作首相は運輸省に対して、各地の空港
整備促進と大鳥居撤去を指示した。すると2月4日(金)に
全日空ボーイング727型機が羽田沖に墜落。死者133名。
3月4日(金)カナダ太平洋航空・ダグラスDCー8型機が羽田空港に
墜落。死者124名。3月5日、BOACボーイング707型機が
富士山上空で空中分解。死者124名。同日海上保安庁の
ヘリコプターが事故調査中に羽田沖に墜落。死者3名。8月
26日(金)日本航空チャーター機が羽田空港に墜落。死者5名。
「大鳥居移転の話が出ると飛行機が落ちる」と言われた。また昭和46
(1971)年7月30日(金)の日航機が岩手県雫石で自衛隊機と衝突~
墜落・死者162名と合わせて、「魔の金曜日」とも言われた。
とはいえ、現実の政治が呪いの噂ごときものに左右されるはずもない。
昭和56(1982)年12月11日「第4次空港整備5ヵ年計画」が
閣議決定され、大鳥居撤去も決まった。すると2ヵ月後の2月9日、
機長が心身症による「逆噴射」により、日航機が羽田沖に墜落。
174人中24名が死亡した。
その後17年、大鳥居撤去の話は出なくなった。そして撤去ではなく移転
という事で政治決着し、平成11(1999)年2月3日、無事移転工事
が完了した。
多摩川河口の砂州「要島」の新田開発に着手した。工事の際、堤に
小さな稲荷の祠を祀って安全を祈願した。そのせいか堤は決壊せず、
新田は水害を免れた。稲荷の化身である白い狐を見たという目撃談
もあり、祠は穴守稲荷神社と呼ばれることになった。
時は流れ昭和6(1931)年、穴守稲荷一帯の土地は東京飛行場へと
変貌していた。このため太平洋戦争では攻撃目標となり、昭和20年
4月、穴守稲荷社務所に爆弾が命中。宮司が死亡し、御神体は移動。
穴守稲荷は閉鎖された。
昭和20(1945)年9月13日、東京飛行場は米軍が接収し、ハネダ
エアベースになった。付近住民には強制立ち退き命令が出され、穴守
稲荷のコンクリート製一の鳥居撤去の工事も始まった。だが鳥居の上
で作業をしていた米兵3人が、突然足を滑らせて落下。1人死亡2人
重傷という事故が起きた。
再度、黒人工兵による鳥居撤収工事を行ったが、隊員の一人が機械の
操作を誤り、身体を挟まれて惨死。工事は中断となった。そこで米軍
は日本人の土建業者を募り、高額報酬を約束した。ところが工事直前
になって、作業員に怪我人やら原因不明の発作に襲われる者が続出し、
請け負った業者も倒産してしまう。これで鳥居撤収工事は中断したまま
になった。
飛行場は米第808建設部隊によって行われ、昭和21年6月に無事
工事を完了させた。昭和26年8月、日本航空発足。日航機・もく星号
の東京・札幌間試験飛行が行われた。11月には空港内に国内線用
ターミナルビルが完成した。だが翌年4月9日、もく星号は羽田空港
離陸直後に消息を絶ち、伊豆大島・三原山でバラバラの機体が発見
された。死者37名。
昭和37(1962)年、空港ターミナルビル拡張問題で、中断していた
大鳥居撤去問題が持ち上がった。その直後、藤田航空のデ・ハビランド
ヘロン機が八丈島空港離陸後、乱気流に巻き込まれて墜落、
死者19名。航空関係者の間で「大鳥居の呪いでは?」という噂が
囁かれ始めた。
昭和41(1966)年、佐藤栄作首相は運輸省に対して、各地の空港
整備促進と大鳥居撤去を指示した。すると2月4日(金)に
全日空ボーイング727型機が羽田沖に墜落。死者133名。
3月4日(金)カナダ太平洋航空・ダグラスDCー8型機が羽田空港に
墜落。死者124名。3月5日、BOACボーイング707型機が
富士山上空で空中分解。死者124名。同日海上保安庁の
ヘリコプターが事故調査中に羽田沖に墜落。死者3名。8月
26日(金)日本航空チャーター機が羽田空港に墜落。死者5名。
「大鳥居移転の話が出ると飛行機が落ちる」と言われた。また昭和46
(1971)年7月30日(金)の日航機が岩手県雫石で自衛隊機と衝突~
墜落・死者162名と合わせて、「魔の金曜日」とも言われた。
とはいえ、現実の政治が呪いの噂ごときものに左右されるはずもない。
昭和56(1982)年12月11日「第4次空港整備5ヵ年計画」が
閣議決定され、大鳥居撤去も決まった。すると2ヵ月後の2月9日、
機長が心身症による「逆噴射」により、日航機が羽田沖に墜落。
174人中24名が死亡した。
その後17年、大鳥居撤去の話は出なくなった。そして撤去ではなく移転
という事で政治決着し、平成11(1999)年2月3日、無事移転工事
が完了した。
トラックバックURL
この記事へのトラックバック
1. 自分でできる6分間心身症改善術 [ 心身症改善術 ] 2011年08月05日 08:38
たくさんの本を読んでも、病院の薬を飲んでも治らないのに
わずかな期間で疲労感・倦怠感を改善させて、さらに偏頭痛や不整脈までも改善させてしまった方法を知りたくありませんか?
2. 自分でできる6分間心身症改善術 [ 心身症改善術 ] 2011年08月24日 07:17
たくさんの本を読んでも、病院の薬を飲んでも治らないのに
わずかな期間で疲労感・倦怠感を改善させて、さらに偏頭痛や不整脈までも改善させてしまった方法を知りたくありませんか?
3. 自分でできる6分間心身症改善術 [ 心身症改善術 ] 2011年09月15日 07:04
たくさんの本を読んでも、病院の薬を飲んでも治らないのに
わずかな期間で疲労感・倦怠感を改善させて、さらに偏頭痛や不整脈までも改善させてしまった方法を知りたくありませんか?
4. 自分でできる6分間心身症改善術 [ 心身症改善術 ] 2011年10月07日 08:21
たくさんの本を読んでも、病院の薬を飲んでも治らないのに
わずかな期間で疲労感・倦怠感を改善させて、さらに偏頭痛や不整脈までも改善させてしまった方法を知りたくありませんか?

