亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

本日は、“育成”について考えてみたいと思います。

 

ときに

 「部下には愛情をもって接することが大切」


といわれます。もちろん、そうあるべきだと思い

ますし、私自身もそうありたいと考えています。

 

しかし、頭で考えることと、心で感じることが常に

一緒とは限りません。

 

実際、ある研修終了後に、次のような質問を受けた

ことがあります。

 

「部下に愛情をもって接することが大切だと学び

ましたが、私はどうしても部下に深い愛情を持つ

ことができません。どうしたらよいでしょうか?」

 

とても素直で、真摯に取り組もうとされたがゆえの

心からの叫びともいえる質問だと思います。

 

この問いに対して私は次のように答えました。

 

「稲盛和男さんの言葉に、ものごとに取り組もうと

するときのあるべき心構えとして、

「動機善なりや、私心なかりしか」

というものがあります。

 

本来はそうあるべきであり、その通りだと思います。

                                                                     

しかし人は欲の塊。なかなかそうはいきません。

 

かくいう私も欲の塊。偉そうに

「愛情をもって育てましょう」

などといっていますが、最初からそうであったわけ

ではありません。

 

いや、今でもそのような純情な心で育てられている
 か、甚だ疑問です。

 

ときに、「私の本心は、早く育つことによって、  
 自分が楽になりたいだけなのではないか」と感じる
 ことがあります。

  

しかし、仮に欲塗れの動機で育てていても、部下が
 育ってくれればやはり嬉しいものですし、可愛くも
 なってくる。

 

愛情が芽生えてきて、もっと育って欲しいと心から

思えてくるようになるものなのです。

 

よって、最初から愛情がなくても構わないし、動機
 は善でなくても、
私心塗れでも構わない。

 

でも、最終的には愛情がもてるようになるまで育て
 上げる。

 

そういう気持ちで育てられてはどうですか?」

 

この回答を聞いた彼は

 

「気持ちが楽になりました。そういう気持ちで
  育てていきたいと思います」

 

と笑顔で答えてくださいました。少しはすっきりと
されたようです。

 

もちろん、真の愛情に基づく育成ができることが

一番です。

 

でも、今の今、そのような気持ちになれないので
あれば無理をせず、このような心持で接していた
だいてもよい、結果が愛情あふれる指導に結び
付ければよい、そう思います。 


これを機に社員さんや部下の方々との向き合い方
を振り返ってみてください。

 

そして最後には、みなさんが愛情をもって育てる
ことができる上司になられることをお祈りしてい
ます。

本日は、“変換”について考えてみたいと思います。

 

人のひとつの特性として、

 

「人は問題の原因を、自分に非がある場合は状況に
 求め、他人に対しては内面に求める」

 

というものがあります。

 

たとえば自分の行動で問題が生じた場合、

 

「あのときはこういう状況だったから仕方がなかった」

 

と、その原因を外に求めようとする。

 

一方で他人の行動で問題が生じた場合、

 

「あいつはああいう性格だからこういう問題を起こす
 んだ」

 

などとその人の内面にその原因を求める、ということ
です。

 

このギャップこそが、人と人との間のトラブルの原因
になっているといっても過言ではないでしょう。

 

問題が生じたとき、その原因に対して

「自分は外、他人は中」


という感情が生まれるのは自然発生的であり、これを
止めることは難しいかもしれません。

 

しかしこの理論を知り、活かそうとするならば、事態
は変わります。

 

実際にトラブルが発生したとき、

 

「俺はこういう状況だったから仕方がなかった。

でもあいつがもっとこういう性格だったら、今回の
 問題は起こらなかった」

 

という感情が芽生えるかもしれません。

 

しかしその次の瞬間に、

 

「いや、そういう状況であったとしてもやるべきこと

があったはずだ」

 

と、常に原因は自分にないかと反省する、そして

 

「あいつにも何かそうせざるを得なかった状況が

あったのかもしれない」

 

と、受容の精神を発揮するのです。

 

要するに「自分は中、他人は外」への“変換”を実行する

わけです。

 

そして「自分は中」の思考が定着し、行動が伴うように

なれば、トラブルそのものの発生も食い止めることが

できるようになるものです。

 

皆さんもこの変換作業、実施してみてはいかがですか?

本日は、“他力”について考えてみたいと思います。

 

私が尊敬する方のお一人に吉丸房江先生という方が

いらっしゃいます。

 

お会いするたびに多くの気付きと学びをいただく

ことができるのですが、本稿では人間の本質に

ついてお聴きした内容を一つご紹介しましょう。

 

それは

 

「人間は、まず人からしてもらうことから始まる」

 

ということです。

 

「動物は、独り立ちができるようにできていますが、

なぜか人間だけは一人では生きていけないように

できています。動物は、生まれてすぐに立ち上がり

自らお乳を求めますが、人間の子は1年も歩くこと

ができず、母親が乳房を口元にもっていってあげ

なければ、お乳さえ飲むことさえできません。

一人では生きていけない、支え合ってしか生きて

いけないから“人”と書くのです。」

 

「人間は、まずしてもらうことから始まりますが、

してもらっている間はそのことに気付かないもの

です。乳飲み子が「お母さん、ありがとう」と

思っている訳ではないように。だから、何事も

「当たり前」と思わず、してもらっていることを

きちんと自覚しましょう。」

 

「人は米一俵しか担ぐことができません。家族を

食わせていくのが精いっぱい。もしそれ以上の

成果が出ているのであれば、それには必ず別の

力が働いていると思いましょう。その力は、意外

に見えていないことが多いもの。その“見えない

力”とは何かを明らかにした上で、「ありがとう

ございます」と素直に受け取り、自分自身が役に

立てると自覚できるとき、喜んでお手伝いさせて

いただくのです。」

 

「素直に受け取ることができない人がいますが、

それはお返しをしたくない人、人に迷惑を掛けたく
 ありませんという人。でも迷惑を掛け合う
のが
 人の常、迷惑を掛け合ってお互いが成長し、より

よいものを生み出していくのが人間の世界です。

迷惑を掛けたら、その人のために自分ができること

が自覚できたとき、精一杯してあげたらいいのです。」

 

このお話をお聴きしたとき、なんだか気持ちが楽に

なりました。

 

どこかで「迷惑を掛けてはいけない」と気張って

いた部分が、「掛けちゃえばいいんだ。掛けちゃったら、

自分ができることでお返しすればいいんだ」という

解き放たれた気持ちになったのです。

 

一方で、「人は米一俵しか担ぐことができない」との

話に、どこかでおごっていた自分がいたように感じ、

ドキッとしました。

 

米一俵の力の自力を自覚し、見えない他力を常に意識
して、感謝の心で日々を過ごしていきたいと思います。

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