亀井英孝の「千年続く経営」ブログ

名南経営コンサルティング 亀井英孝 公式ブログ

2013年09月

皆さんには“師”と呼べる方はいらっしゃいますか?

 

私にはいくつかの分野で、勝手に師匠と思っている方がいらっしゃいます。それらの方々に共通しているのは、例え言葉遣いは優しくとも、その中に厳しさがあること。

 

 「何でここまで言われなくっちゃいけないんだ」

 

と思ったことも幾たびかありました。

 

しかし振り返って考えてみると、その言葉たちの中にはいつも私に成長して欲しいと願う心根がある。その振り返りのたびに私は、“師”を持つことの大切さを強く感じます。

 

そして、私を育ててくださっているそれらの先生方にも“師”がいらっしゃる。

 

優しいだけの、ものごとを教えてくれるだけの先生ではない。妥協を許さず、停滞を許さず、過ちを許さず、嫌われることを恐れず、肚に落ちるまで箴言を与え続けてくれる存在、正に“師”というに相応しい存在がいてくれたからこそ、今の私があると確信しています。

 

いつの時代も、一代を成す者には必ず“師”といえる方がいらっしゃることには疑う余地はありません。それが連綿と続いていくのが千年経営の要諦であると思います。どうぞ皆さんも、貪欲に“師”を求め続けていただきたいと思います。

 

そして自らが“師”と呼ばれるに相応しい者になれるよう、共に精進して参りましょう。

 

若い社員と話していますと、ときに

 「亀井さんは、これまで会社を辞めたいと思ったことはありますか?」

と聴かれることがあります。興味本位で聴く者、定年まで勤め上げる確信が持てずに聴く者、今に迷って聴く者、その置かれた状況はさまざまですが、比較的多い質問です。

 

「ある」私は即座に答えます。本当だからです。これまでに3回ほど辞めようと思ったことがありました。でも結局辞めませんでした。「何故だろう?」以前の私は、その疑問に明確に答えることができずにいました。

 

しかし今は確信を持って言えます。「名南に残った方が面白いことができる!やりがいがある仕事ができる!可能性がある!」と有意識・無意識に感じていたからでした。しかしその差は51対49の超僅差。いずれを選択してもおかしくない状態でした。

 

少し話はそれますが、だからこそ我々経営者は、常にこの「51-49=2(ふ)」の差を提示し続けなければなりません。

不:他社にはない不二のもの=魅力的かつ明確な差異があるか?

歩:社員さんと共に歩む道=魅力的な方向性・ビジョンはあるか?

譜:語り継ぎたい系譜=歴史・伝統はあるか?

富:心身共に富む=精神的・経済的満足を得ることができるか?

腑:腑に落ちる=納得できる話し合いができているか?     などなど

 

閑話休題

 

私は51対49の話をした上で、「もしも辞めたくなった時、辞めても残っても構わないが、大切なことは、49(ヨク)の方を完全に捨て去り、選んだ方に100%、51(コイ)することだ」と諭します。少なくとも私はそうしてきたという自負がありますし、その結果が今の私を作ってくれていると思うのです。

 

しかし世の中には、このヨクを捨てられず未練たらたらの人がいる。逆に「あっちにしておけば良かった」と、いつまでもクヨクヨしている人がいる。

 

「君は決してそうなってはいけない」・・・できればいつまでも100点満点で「残る」ことを選択し続けてもらえればと祈りつつ、そう語っています。

 

この「捨てるときはすっぱり捨てる」ことは企業経営においても大切な視点であり、千年経営の実現に必要な視点であると思います。

事業には「選択と集中」が必要です。それができないのは、捨てるべきものが捨てられないから。選択と集中には、まずすっぱり捨てることから始まる、そういう認識が必要だと思います。余計な欲はかなぐり捨てて・・・

今週は「推敲」について考えてみたいと思います。推敲(すいこう)とは、唐代の詩人賈島(かとう)が、「僧は推す月下の門」の「推(おす)」を「敲(たたく)」にしようかと迷って、韓愈の助言で「敲」にきめたという故事から生まれた言葉で、「詩文を作るとき、最適の字句や表現を求めて考え練り上げること」(大辞林)を意味します。

 

詩文に限らず、人生そのものが推敲の連続です。経営もまさに同じ。推敲に推敲を重ね、最適解を求め続ける。そしてその推敲の経験の量が、人間の器、経営者の器を創っていくのだと思います。

 

経営者は“経営のプロ”でなければなりません。そのためには常に勉強し続けなければならない。まずは『経営全般に対する専門知識・手法』をきちんと学ぶことが大切です。あらゆる手段を使って、経営に関するさまざまな知識や手法を習得する機会を設けていく必要があります。中には「勉強させると頭でっかちになっていけない」という親御さんもいらっしゃいますが、これは間違いです。やはり経営者としての勉強は必要です。

 

ただそこには“現場感”が欠かせません。机上で学んだ理論に現場体験を重ね合わせることで初めて効力を発揮するのです。現実は学んだ通り、定石通りには行かないもの。だからこそ百戦錬磨の訓練、即ち『その専門知識・手法を実践の場に適応した経験を積む』ことこそが大切なのです。

 

そしてこの取り組みそのものが「推敲」なのだと思います。学んだことを実践してみる。ところが期待通りにはならない。「何が悪かったのだろう」「どうすれば良かったのだろう」と思い悩み、次なる方法を考えまた実践。成果が上るまで実践し続ける。これこそが人生の推敲、経営者としての推敲だと思うのです。

 

そして「推敲は成功するとはかぎらない」と言われますが、本当にその通りだと思います。しかし、失敗や挫折のない人生なんて詰まらない。

 

推敲そのものが自らの成長に繋がる。経営者の器創りとなる。恐れず、怯えず、大安心で推敲し続けていきましょう。

以前、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古氏が日経新聞夕刊のコラム「あすへの話題」で、次のように述べられていました。

 

「かつての小学校の分教場のこどもはよく勉強するわりに学力の伸びが小さい。途中で本校へ移ると急によくできるようになる。せり合う友だちがあるからだ。社会人でも同期にライバルがいると大成することが多い。お山の大将ではだめ。スポーツ選手も好敵手があった方が強くなる。ひそかにライバルの事故を願ったりすることもないではないが、実際、敵がいなくなると、多くは自滅する。敵の健闘をたたえるのがスポーツマンシップである。汝敵を愛せよ、である。」

 

最後に「敵のあることはむしろありがたい」とまとめられていますが、経営においても、社員育成においても言えることだと思います。

 

もちろん、経営においては「ブルー・オーシャン戦略(*)」的な発想は大切です。しかし、明確なライバルがいるからこそ、ブルー・オーシャンを探そうとするのでしょうし、またその発掘の努力を怠らないのだと思います。

 

*「ブルー・オーシャン戦略」

INSEADビジネススクール教授のW・チャン・キムとレネ・モボルニュが著したビジネス書、およびその中で述べられている経営戦略論。競争の激しい既存市場を「レッド・オーシャン(赤い海、血で血を洗う競争の激しい領域)」とし、競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだと説く。

 

さて中小企業であっても、会社としてのライバルを探し出すこと、ベンチマークする企業を設定することはそれほど難しいことではありません。しかし、中小企業においては、同年代の社員を複数人採用できるだけの規模であればまだしも、社員同士をライバル化するのはなかなか難しいもの、また同期生が複数人いたとしても、大企業のようには競争の原理が働かないものです。

 

とすれば、ライバルの役割を経営者や上司が担う以外にありません。社員教育におけるこのライバルに替わる役割とは何か、それは

①    我が社の行く先を明確に示すこと

②    そのために“あなた”に期待すること(場と役割)を明確に示すこと

③    その役割をきちんと果たすよう、諦めず、指導叱責し続けること

④    達成感を感じさせ続けること

⑤    次の目標を絶え間なく与えること

ことを繰り返すことだと思います。

 

特に、達成感は人がヤル気になる最大の要因です。“今ドキの若いモン”は、「やらなくても何も言われない」「達成感を感じるところまで続けたことがない」のだそうです。そんな彼らでも、一度達成感を感じることができたら、間違いなく変われます。「今ドキの若いモンは・・・」と嘆く暇があったら、この役割をきちんと担いたいものです。

 

千年続く経営は、その仕組みの中でこの歴代の役割が明確に機能している経営だと思います。

 

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